小松の中将
琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは ササたちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。 六月三十日、ササたちは京都に着いて、いつものように高橋殿の屋敷に入った。男はだめよと言って、サタルーたちは『一文字屋』に預けた。 「ねえ、ササ、今年はどこに行くの?」と高橋殿は聞いた。 「 「熊野ですか‥‥‥」と言ってササは佐敷ヌルを見た。 「あたしも行ってみたいわ」と佐敷ヌルは言った。 「決まりね」と高橋殿は喜んで、 「もう、 「去年はサハチさんの娘さんが来て、驚いたけど、今年も驚かされそうね」と高橋殿は佐敷ヌルを見た。 佐敷ヌルは高橋殿を一目見て、その美しさに見とれ、兄のサハチと関係があったに違いないと思った。高橋殿は佐敷ヌルを一目見て、その美しさに驚き、ササ以上に凄い人が来たと思っていた。 その夜、お決まりの酒盛りが始まった。ササたちが御所に来るのが待ちきれないと言って、御台所様も奈美と一緒にお忍びでやって来た。去年一緒に熊野に行った 高橋殿は佐敷ヌルが琉球でお芝居をやっていると聞いて驚いた。佐敷ヌルが熱心に話すお芝居の話を聞きながら、わたしも負けてはいられない。 次の日、ササたちは船岡山に行って、スサノオの神様に挨拶をした。御台所様は用があるので帰らなければならないと寂しそうな顔をして帰って行った。奈美が御台所様を送って行き、高橋殿はササたちと一緒に来た。 「今年もやって来たな」とスサノオは言って、「おや、凄い美人を連れて来たのう」と嬉しそうに言った。 ササは佐敷ヌルを紹介した。 「御先祖様にお会いできて光栄です」と佐敷ヌルが言うと、 「ユンヌ姫から聞いたぞ。小松の 「御存じなのですか」 「残念ながら、知らんのじゃよ。あの頃で知っていると言えば、 「建春門院様というのは、小松の中将様と関係がある御方なのですか」 「小松の中将と関係あるかは知らんが、建春門院の 「安徳天皇様はどこにいらっしゃるのですか」 「それも知らんのう。小松の中将とやらは、都でも有名な美男子だったから、必ず、誰かが知っているに違いないと言って、ユンヌ姫が今、探し回っておる。見つかれば知らせてくれるじゃろう」 「ユンヌ姫様が探しているのですか」とササが聞いた。 「お前にお世話になったお返しだと言っていた。気まぐれな奴じゃが、義理堅い所もある。いい孫娘じゃよ」 「そうだったのですか」 ササはユンヌ姫を見直し、ユンヌ姫が見つけてくれる事を祈った。でも、小松の中将様はアキシノが会わせてくれると言っていた。どうせなら、小松の中将様ではなく、安徳天皇を探してくれればいいのにとも思っていた。 「スサノオ様、お願いがあるんですけど、 「また、熊野に行くのか」 「はい、行きます」 「いいじゃろう。鳥居禅尼に会わせてやろう。去年と同じように、 ササたちはスサノオにお礼を言って別れると平野神社に向かった。平野神社に来たのは 境内は閑散としていた。参道を真っ直ぐ本殿の方に向かおうとしたら、アキシノの声が聞こえた。アキシノの声に従って、本殿の脇にある小さな神社の前で、ササたちはお祈りをした。 「小松の中将様の居場所がわかりました」とアキシノは言った。 「大原の山の中に 「建礼門院右京大夫様というのはどなたですか」と佐敷ヌルが聞いた。 「有名な歌人です。当時、新三位の中将様との仲が噂されておりました」 「女の方なのですね」 「そうです。美しいお方で、殿方たちの憧れの的だったようです。建礼門院様(安徳天皇の母、平徳子)にお仕えしておりました」 「大原ってここから近いのですか」とササが高橋殿に聞いた。 「大原? 今から大原に行くつもりなの?」 「できれば行きたいのですが」 「 ササは佐敷ヌルを見て、「行きましょう」と言った。 「今から大原に行きます」と佐敷ヌルがアキシノに言うと、 「御案内します」とアキシノは言った。 ササたちはアキシノにお礼を言って、大原に向かった。 「去年は源氏で、今年は平家を調べるなんて、あなたたちも大変ね」と言いながらも、高橋殿も一緒に付いて来てくれた。 「平家を知るなら『平家物語』ね」と高橋殿は言った。 「 佐敷ヌルが目の色を変えて、「そんな書物があるのなら是非、読ませてください」と言った。 「御所に移ったら、好きなだけ読めるわよ」と高橋殿は笑った。 歩きながらササは、壇ノ浦で滅んだ平家の残党が琉球に来て、 「わたしも『平家物語』は聴いているので、小松の中将の事は知っているわよ。 「高橋殿も知っていたのですか」 「平家物語では、平維盛は熊野の那智で 「それなんですよ。あの頃、熊野水軍は琉球に来ていたのです。新宮の十郎様と同じように、熊野水軍のお船に乗って琉球に行ったのだと思います。それを確認するために、もう一度、熊野に行かなければなりません」 「確かに、それは考えられるわね。もし、維盛が今帰仁按司になったとしたら、その子孫は美男子のはずよ」 「あたしは見た事はないけど、噂では、今の今帰仁按司も美男子らしいですよ。今帰仁按司の娘が、 「サハチさんの息子さんに嫁いで来たの?」 「そうなんです。去年、ヤマトゥに来たチューマチですよ」 「あら、チューマチさんがお嫁さんをもらったの。それはおめでたいわね」 シンシンのガーラダマに 寂光院は荒れ果てていた。本堂の屋根は傾いて、板戸は破れている。庭には池もあったようだが、水は涸れて、夏草が生い茂っている。完全に世間から忘れ去られた存在のようだが、誰かが草刈りをしているとみえて、山門から本堂までの参道は綺麗になっていた。 「小松の中将様が笛を聴かせてくれと言っております」とアキシノが言った。 「えっ!」と佐敷ヌルとササは驚いた。 「マシュー 佐敷ヌルはうなづいて、腰に差していた横笛を袋から取り出した。半ば朽ちかけた本堂を見ながら、佐敷ヌルは笛を構えて吹き始めた。 何も考えなかった。今、感じている事を素直に音として表現した。 幽玄な調べが山の中に響き渡った。 辺りが急に暗くなった。 幻はきらびやかな衣装を身にまとった美しい男で、佐敷ヌルの笛に合わせて、華麗な舞を披露した。 夢でも見ているのだろうかと思いながらも、佐敷ヌルは笛を吹き続けた。 ササが佐敷ヌルの笛に合わせて、笛を吹き始めた。佐敷ヌルとササは、まったく別の調べを吹いているのに、うまく調和して、さらに幽玄さを増していた。 高橋殿が舞い始めた。高橋殿は幻の貴公子を相手に華麗に舞っていた。 シンシン、シズ、ナナの三人も幻を見ていて、高橋殿との華麗な舞を夢でも見ているかのような気持ちで、呆然と佇んだまま見つめていた。 佐敷ヌルとササの笛に、もう一つの笛が加わった。誰が吹いているのかわからないが、低音で響くその笛は、幽玄な調べを荘厳な調べに変えていた。 素晴らしい夢の世界が永遠に続くかと思われたが、佐敷ヌルとササの笛が静かに終わりを告げると幻は消え去って、もとの明るさに戻った。 高橋殿は呆然とした顔付きで、佐敷ヌルとササを見た。 「わたし、どうしたのかしら?」と高橋殿は言った。 「素晴らしい舞でした」と佐敷ヌルが言って、拍手をした。 ササ、シンシン、シズ、ナナも、「凄い」と言って拍手を送った。 「わたしじゃないわ」と高橋殿が言った。 「佐敷ヌルとササの笛よ。あんな曲、聴いた事もないわ。まるで、神様が奏でているような曲だったわ。わたしの体は自然に動いてしまったのよ。そして、一緒に舞っていたのは、もしかして、平維盛様だったの?」 「多分、小松の中将様に違いないわ」とササが言って、 「凄い美男子だったわ」とナナが言った。 「歓迎するよ」と神様の声が聞こえた。 「小松の中将様です」とアキシノが言った。 ササ、佐敷ヌル、シンシンは、その場にひざまづいて両手を合わせた。高橋殿、ナナ、シズもササたちに従って、神様にお祈りを捧げた。 「話はアキシノから聞いている」と小松の中将は言った。 「 「あなたは初代の今帰仁按司なのですね」と佐敷ヌルは聞いた。 「そうだ。わしは平家を棄てて、今帰仁按司になった。琉球に行って、わしは祖父(平清盛)や親父(平重盛)や叔父たちから解放されて、ようやく、自由になったんだよ」 「 「いや、あの時は琉球という島の事は知らなかった。どこでもいいから南の島に逃げたかったんだ」 「屋島から熊野に向かったのですか」 「そうだ。 「那智に行くのにどうして、熊野参詣をしたのですか。船でまっすぐ行った方が安全だったのではありませんか」とササが聞いた。 「確かにそうだ。湛増から新宮の者たちは源氏 「中将様のお父様は、もう亡くなっていたのでしょう?」 「ああ。五年前に亡くなっていた。親父は亡くなる前、わしたちを熊野に連れて行って、今後の事を話したんだ。あの時のわしたちには、親父が言った事は理解できなかった。親父は平家が滅びる事を予見していたのかもしれない。何が起こっても、一族と一緒に滅びる事なく、お前たちは必ず、生き延びろと言ったんだ」 「お父様がそう言ったので、琉球に逃げたのですか」 「そうだよ。それが親父の遺言だったんだ。京都に帰ってからは、その事には触れなかったけど、亡くなる前にも、熊野の事は決して忘れるなと言った。最初に親父の遺言に従ったのは弟の 「そして、答えが出たのですね」 「ああ、迷いは消えたよ。わしは 「熊野参詣をして、那智まで行って、それから琉球に行ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。 「いや、琉球に向かったのは、その年の冬になってからだ。北風が吹かないと琉球には行けないと言われて、冬まで隠れていたんだよ。那智に行くと熊野水軍の 「いい思いもしたんでしょ」とアキシノが言った。 「何を今更、言っているんだ」 「すっかり忘れていたのに、当時を思い出したら悔しくなったわ」 「あれは仕方がなかったんだよ。助けてもらったんだ。左衛門佐の願いを聞いてやるしかなかった」 「あたしに内緒で、都の話を聞かせてやるとか言って出掛けて、あちこちに女をこさえていたのよ」 「だから、仕方なかったんだよ。山の中の村だから、新しい血が欲しかったんだ」 「それにしたって、何人も相手にする事もないじゃない」 「夫婦喧嘩はやめてください」と佐敷ヌルが言った。 二人とも黙った。 「山奥の村で冬まで待って、それから琉球に行ったのですね」と佐敷ヌルは小松の中将に聞いた。 「そうだよ。南には思っていた以上に、いくつもの島があった。わしは生まれ変わった気持ちになって南の島々を巡って、琉球にたどりついたんだよ」 「平家の 「平家の御曹司か‥‥‥祖父や親父の時代だったら、面白おかしく暮らせただろうけど、わしの頃は、うるさい叔父や大叔父が何人もいて、何一つ思うようには行かなかったんだよ。十九歳の時に、法皇の御前で舞を舞って評判になったけど、わしに近づいて来る 「奥さんはいたのでしょう?」 「十五の時に、親が決めた娘を嫁にもらった。可愛い娘だったよ」 「奥さんは琉球に連れて行かなかったのですか」 「都落ちの時に、京都に残したんだ。わしの事は忘れてくれと言ってな」 「そんなのひどいわ」とササが言った。 「ああ、ひどい。でも、一緒に連れて行ったら、妻はもっとひどい目に遭ったかもしれない」 「どうしてですか」 「わしが二十歳の時、妻の父親( 「中将様は大丈夫だったのですか」 「わしもさんざ陰口をたたかれたよ。妻の父親が殺されて、その二年後には、親父が病死してしまった。親父の喪が明けたあと、わしは関東攻めの総大将に任命された。わしは張り切っていた。伊豆の三郎(源頼朝)の首を取ってくるつもりでいた。しかし、侍大将の 小松の中将は昔を思い出しているのか、黙ってしまった。 佐敷ヌルは 「今思えば、祖父は物凄い人だったんだなと思うよ」と小松の中将は言った。 「祖父は福原に新しい都を造ろうとしていたんだ。源氏の蜂起がなかったら、福原は素晴らしい都になって、 「中将様が富士川からお帰りになったあと、源氏は京都に攻めて来たのですか」と佐敷ヌルが聞いた。 「いや、まだだよ。祖父が亡くなったあと、わしはまた戦に出たんだ。叔父の 「木曽の山猿って何ですか」とササが聞いた。 「木曽の次郎(源義仲)だよ。わしらは 「アキシノさんとはいつ出会ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。 「アキシノと出会っていなかったら、わしは倶利伽羅峠で戦死していたかもしれんな。あの時、大勢の兵が戦死するのを見て、わしは京都に帰るのが恐ろしくなった。富士川の戦の時のように、負け戦の大将と陰口をたたかれるのに耐えられないだろうと思ったんだ。あの時とは違って、大勢の者たちが戦死した。宮中の者たちだけでなく、戦死した兵たちの家族からも責められるだろう。生きて京都には帰れないと思ったんだよ。供の者たちに、早く逃げようと言われた時、アキシノの顔が浮かんだんだ。わしは京都ではなく、アキシノがいる 「弟の新三位の中将様が安徳天皇様をお連れして、南の島へと逃げましたが、その天皇は偽者だったとアキシノ様から聞きました。本物の安徳天皇様がどこにいらしたのかご存じないのですか」 「わしも探しているんだが、どこにもおらんのだよ。何者かが 「結界ですか。誰がそんな事をするのですか」 「安徳天皇が壇ノ浦では亡くならず、どこかで生きていたという事が公表されたらまずいと思っている奴らだろう」 「その事が公表されたら、まずい事になるのでしょうか」 「安徳天皇は本物の三種の 「探す事はできないのですか」 「どこにあるのかわからんが、その結界を破ると天変地異が起こるかもしれんな」 突然、笛の調べが聞こえてきた。静かで優しい調べだった。小松の中将様が吹いているようだ。佐敷ヌルはその笛に合わせて、笛を吹き始めた。 源平の戦が始まる前の平和な京都の情景が思い浮かぶような曲だった。 やがて笛の音は消えた。佐敷ヌルは笛から口を離すと、両手を合わせて、お礼を言った。 「小松の中将様はお帰りになられたのですか」と佐敷ヌルがアキシノに聞いた。 「六波羅の方にお移りになられました。弟たちがあちらで酒盛りを始めたようです」 「弟たちと言いますと、新三位の中将様や小松の少将様たちですか」 「新三位の中将様はここにいらっしゃいました。左の中将様(平清経)、小松の少将様( 「賑やかそうですね」と佐敷ヌルは笑ったあと、「アキシノ様、熊野まで一緒に来ていただけないでしょうか」と頼んだ。 「まだ、何か、お調べになるのですか」 「小松の中将様の事をお芝居にして、今帰仁の人たちに見せたいと思っております。中将様の足跡を確かめたいのです」 「お芝居ですか。それは楽しそうですね。中将様もまだ帰りそうもないし、熊野に行っても構いませんよ」 佐敷ヌルはアキシノにお礼を言って、小松の中将の神様から聞いた話をササ、シンシンと一緒に、高橋殿、ナナ、シズに話して聞かせた。 |
高橋殿の屋敷(推定)
平野神社
大原寂光院