鳥居禅尼
八月の一日、ササたちは熊野 ササたちが大原から京都に戻ると、 シーハイイェンとツァイシーヤオとの再会を喜んだササたちは、二人を高橋殿の屋敷に連れて行って、歓迎の酒盛りを始めた。 五日後に、琉球の使者たちも京都に到着して、ササたちは行列に加わった。琉球の使者たちの宿舎はいつもの 「硫黄島は 「クルシ様は奄美大島の隣りの鬼界島に行った事はありますか」と佐敷ヌルは聞いた。 「一度だけ行った事がある。天皇の子孫だか知らんが、横柄な奴らが多くてな、二度と行きたくない島じゃった」 「今頃、 「あの島は簡単には攻め落とせんじゃろうな。海岸は岩場が多くて、上陸する場所は限られている。ほとんど平らな島で、中央に高台があって、そこに 「奄美大島に平家の落ち武者が住み着いた所があるようですけど、知っていますか」と佐敷ヌルは聞いた。 「 「 「クルシ殿は寄って行かないのですか」 「わしらが諸鈍に行った時は、今の小松殿ではなくて、先代の小松殿だったんじゃよ。先代はおっとりとした男で、それほど取り柄もなく、わざわざ会いに行くほどの男ではなかったんじゃ。今の小松殿なら会ってみたいとは思うが、あの辺りは島が多くてな、潮の流れも変わるし、風待ちをしなければならなくなるかもしれん。面倒なので、いつも素通りしてしまうんじゃよ」 クルシが絵地図を持っていたので、佐敷ヌルたちは、硫黄島、鬼界島、奄美大島の浦上と戸口、加計呂麻島の諸鈍の位置を教わった。 等持寺に、高橋殿がシーハイイェンとツァイシーヤオを連れてやって来て、ササたちは将軍様の御所に移った。 佐敷ヌルは豪華な御所に驚き、侍女に案内されて行った広い部屋に、驚く程の書物があるのに驚いた。漢字ばかりの書物が多くて、読む事はできないが、ひらがな混じりの書物もあった。『平家物語』はひらがな混じりで、何とか読めそうだった。ただ、十二巻もある長い物語なので、滞在中に読めるかどうか自信がなかった。 御所に移ってから三日後、将軍様の伊勢の神宮参詣か行なわれて、佐敷ヌルとササたちは 将軍様のお供をするサムレーたちの多さに、佐敷ヌルは驚いた。武装したサムレーが大勢従って、まるで 佐敷ヌルはササと一緒に、 「その龍神様は琉球と関係あるみたい」と佐敷ヌルは言った。 「龍神様の声が聞こえたの?」とササは聞いた。 佐敷ヌルは首を振った。 「感じたの。よくわからないけど、南の方から来た神様みたい」 それ以上の事は佐敷ヌルにもわからないようだった。 「どうして、龍神様は封じ込められてしまったの?」と高橋殿が佐敷ヌルに聞いた。 「安徳天皇様が封じ込められてしまったように、何か重大な事が隠されているんでしょうね」 「封印を解いたら天変地異が起こるのね」 「きっと、恐ろしい事が起こるのよ」 伊勢から帰って来ると、 七月二十一日の夜中に京都を発って、夜が明ける頃に船津に着いて、船に乗り込んで淀川を下った。去年は酔い潰れてしまったササたちも、今年は景色を充分に楽しんだ。 「酒は飲むものだ。飲まれるものじゃねえ」と大口をたたいていたサタルーも簡単に酔い潰れて、酒なんてあまり飲んだ事のないウニタルとシングルーは、おいしいと言って飲み過ぎて、何度も吐いていた。 シーハイイェンとツァイシーヤオも酔い潰れたが、さすがに、シュミンジュンは酔い潰れる事はなく、楽しそうにお酒を飲んでいた。 佐敷ヌルは、まともに高橋殿に付き合っていたらかなわないと悟ったのか、景色を眺めて感じた事を笛を吹いて表現していた。佐敷ヌルの笛の調べを聞きながらの風流な船旅だった。 去年と同じように、 シーハイイェンたちもサタルーたちも高橋殿のお酒好きには参っていた。ウニタルとシングルーは毎日、二日酔いで、頭が痛いと唸りながら、フラフラした足取りで歩いていた。 シンシンのガーラダマに 「湛増なら、わたしも知っているわ」と御台所様が言った。 「熊野水軍の大将で、源氏に味方したんでしょう」 「そうなんです。湛増のお陰で、壇ノ浦で源氏が勝ったのです」とササが言うと、 「ここで白い 「白い鶏が勝つって決まっていたのですよ」と高橋殿が言った。 「えっ?」と御台所様が驚いた顔をして高橋殿を見た。ササと佐敷ヌルも高橋殿の言った事には驚いた。 「湛増はずっと平家の味方だったのです。でも、平家が都落ちして苦戦しているのを見て、生き残るには源氏に寝返らなければならないと思ったのです。湛増がそう決めても、平家に恩を感じている者たちも多くいて、寝返るのは容易な事ではなかったのです。それで、神様に手伝ってもらったのです。神様のお告げとなれば、皆、従わなければなりませんからね」 「それも そうだったのかと御台所様もササも佐敷ヌルも納得して、大きな戦の時は、神様の力を借りるのも兵法なのだという事を知った。 小松の中将様は湛増の屋敷に五日間滞在して、精進してから山伏姿になって、熊野に向かった。中将様の一行にはアキシノの他にも女たちが二十人もいて、武装したサムレーが三十人、総勢五十人もいたという。 佐敷ヌルもササも驚いたが、 全員が熊野参詣をしたわけではなく、中将様とアキシノの他八人だけで、あとの者たちは船で那智に向かった。田辺から 「 「鳥居禅尼様って誰ですか」 「新宮の十郎様のお姉さんですよ」 「えっ、そんな人が熊野にいたのですか」 「熊野の別当の奥さんだったはずです。それに、湛増様の奥さんは鳥居禅尼様の娘さんだったはずです」 「そんな人がいたなんて知りませんでした。中将様は知っていたのでしょうか」 「大原で、聞けばよかったわね」と佐敷ヌルが言った。 中将様は悩みながら、この道を歩いたのだろうと考えながら佐敷ヌルは中辺路を歩いていた。 ササから話には聞いていたが、実際に来てみると熊野は凄い所だった。熊野の山々全体が大きなウタキのようで、霊気がみなぎっていた。今更ながら、佐敷ヌルはスサノオという神様の偉大さを思い知っていた。 去年と同じように、 佐敷ヌルが笛を吹いて、高橋殿が面を掛けて舞った。ササが見た所、去年の 石王兵衛も今回は満足して、子供のように喜んでいた。夜遅くまで酒盛りをして、翌朝、ササたちが起きると、石王兵衛はすでに面を打っていた。昨夜、話していた『 本宮に着くと神様に挨拶をして、湯の峰に登って 「中将様もここに来たの?」とササがアキシノに聞くと、 「来ました」とアキシノは答えた。 「京都の 佐敷ヌル、ササ、シンシンがお祈りをするとユンヌ姫の声が聞こえてきた。 「待ちくたびれて、お 「ありがとう」とササはユンヌ姫にお礼を言った。 「鳥居禅尼と申します」と落ち着いた声が聞こえた。 「琉球で生まれた十郎の子が、 佐敷ヌルはお礼を言ってから、小松の中将様の事を聞いた。 「見栄えのいい殿御でしたから、勿論、存じております。初めて会ったのは二十歳をいくらか過ぎた頃でした。噂通りの美男子で、 「中将様は父親と一緒にいらしたのですか」 「そうです。その年の二月に法皇様(後白河法皇)がいらっしゃって、三月に小松殿(維盛の父)の御一行がいらっしゃいました。中将様だけでなく弟様方も御一緒でした。小松殿は大分具合が悪いようでした。子供たちが交替で面倒を看ておりました。小松殿は父親の福原殿(平清盛)と法皇様の間に挟まれて、随分と苦労なさったようです。その心労が祟ったのか、小松殿は熊野から帰るとお亡くなりになりました。小松殿が亡くなると、法皇様と福原殿の対立は激しくなって、平家は滅亡への道をたどる事になるのです」 「壇ノ浦の合戦の前に、中将様が熊野に来た事を御存じですか」 「田辺の湛増から知らせを受けたので、知っております」 「えっ、湛増様が鳥居禅尼様に知らせたのですか」 「当時、湛増は悩んでおりました。今まで通りに平家に付いているか、寝返って源氏に付くか、悩んでいたのです。長年、平家に仕えておりましたから裏切るのは辛い事でしょう。しかし、平家が敗れてしまえば、一族郎党は田辺におれなくなってしまいます。湛増は中将様の事をわたしに告げて、わたしの反応を見たのでしょう」 「鳥居禅尼様は、中将様を捕まえようとなさったのですか」 「いいえ。助けなさいと湛増に言いました。熊野の神様は、助けを求めた者を決して見捨てはいたしません。敵味方、 「色川村の事まで御存じだったのですか」と驚いた声でアキシノが聞いた。 「あなたは中将様と御一緒に来られた 「アキシノと申します。わたしの事まで御存じだったなんて、驚きました」 「熊野の山伏たちは各地におります。どこで何が起こっているのか、すべて、わたしの耳に入るようになっておりました」 「湛増様から知らせがなくても、中将様が来られた事がわかっていたのですか」と佐敷ヌルは聞いた。 「わかっておりました。湛増がもし、わたしに知らせず、中将様を 「十郎様の息子が琉球の中部の按司になったように、中将様は北部の按司になりました」とササが答えた。 「そうでしたか。逃げてよかったのですね」 「十郎様を京都に送ったのは鳥居禅尼様だと聞きましたが、京都の事も詳しく知っていたのですか」とササが聞いた。 「法皇様は毎年のように熊野に 「その時、 「いいえ。その頃はまだ、福原殿と法皇様もそれほど険悪な状態になってはおりませんでした。十郎が京都に行った年の暮れには、高倉天皇様に嫁いだ福原殿の娘さんが皇子を産みます。のちの安徳天皇様です。福原殿も法皇様も共にお喜びになりました。その翌年、福原殿の娘の白河殿(平盛子)がお亡くなりになります。 「三条宮様は八条院様の息子さんだったのですか」 「いいえ。三条宮様の父親は後白河法皇様で、八条院様の甥でございます。幼い頃に出家なさいましたが、師と仰いだ 「八条院様の力というのは凄かったのですね」 「そうです。あの時、八条院様が熊野にいらっしゃらなかったら、こんなにもうまくは行かなかったでしょう。八条院様はその時、四十二歳でした。母親の美福門院様は四十四歳でお亡くなりになっております。もうすぐ、母親が亡くなった四十四歳になるので、今のうちに熊野参詣をしようと思い立って、兄の法皇様と一緒に来たと申しておりました。きっと、熊野の神様が八条院様を呼んでくださったものと信じております。三条宮様の令旨を持った十郎は各地の源氏だけでなく、各地にある八条院様の荘園も巡って、在地の武士たちも動かしたのです。在地の武士たちが源氏の旗のもとに集結したので、勝利を得る事ができたのです。それに、八条院様のお陰で、八条院様の姉の 「 「京都に探しに行っていたのですか」とササが聞いた。 「そうじゃ。 スサノオが言った通り、鳥居禅尼は建春門院との再会を喜んでいた。 「突然、亡くなってしまうんですもの。驚きましたよ」と鳥居禅尼は建春門院に言っていた。 「わたしだって驚きました。まだ若かったのに、亡くなるなんて思ってもいませんでした」 建春門院は後白河法皇の 懐かしそうに思い出話をしている鳥居禅尼と建春門院に、佐敷ヌルは声を掛けた。 「失礼いたします。建春門院様にお聞きしたいのですが、小松の中将様を御存じでしたか」 「あら、ごめんなさいね。お客様を放っておいてしまったわ」と言ったのは建春門院だった。 「勿論、存じておりますよ。わたしが亡くなった年の三月に、法皇様の五十歳を祝う式典が盛大に行なわれました。小松の中将様、その頃はまだ少将でしたが、見事な舞を披露なさいました。あまりの美しさに、『 「あなたの突然の死は、とても大きかったのよ」と鳥居禅尼が建春門院に言って、二人はまた話し始めた。 ササがスサノオとユンヌ姫に声を掛けたが返事はなかった。ササと佐敷ヌルは鳥居禅尼と建春門院にお礼を言って、お祈りを終えた。 次の日、新宮孫十の船に乗って那智に行き、那智の滝をお参りした。 次の日は、小松の中将様が 「中将様はこの海に大切な家宝の太刀を沈めたのです」とアキシノが言った。 「中将様の太刀はその後、見つかったのですか」とササが孫十に聞くと、 近くだというので飛鳥神社まで行って、その太刀を見たが、かなりぼろぼろで、アキシノに聞いても、中将様の太刀かどうかはわからなかった。 また船に乗って太地の岬を越えて南側に出て、太田川をさかのぼって行った。途中から山道を歩いて、小松の中将様が冬まで隠れていたという色川村に着いた。 色川村は山に囲まれた小さな村で、中将様を神様として祀る神社があって、中将様の子孫だと名乗る色川 「あの女たちから中将様の子供が産まれたのね」とアキシノが怒ったような口調で言った。 シンシンもササも佐敷ヌルも聞かなかった振りをした。 色川左兵衛尉は遠くからよく来てくれたと喜んでくれたが、小松の中将様が琉球に行った事は知らなかった。村に伝わる伝説では、この村に隠れていた中将様は、源氏の追っ手が来たと聞いて、さらに山奥の 孫十にお礼を言って別れ、ササたちは左兵衛尉のお世話になって村に泊まった。この村から 左兵衛尉の屋敷に若い山伏がいて、ササたちの話を真剣な顔をして聞いていた。 「すると、源氏の新宮の十郎が平家の追っ手から逃げるために琉球に行って、平家の小松の中将が源氏の追っ手から逃げるために琉球に行ったという事ですね」と山伏の 「そうです。源氏は滅ぼされてしまいましたが、平家は今も残っています」 「源氏は滅びましたか」と言って、福寿坊は唸った。 「我が国では平家が滅んだあと、鎌倉の源氏の世の中となり、源氏の政権を奪って、平家の 「平家と源氏が交替で、ヤマトゥを治めていたのですか」と佐敷ヌルが聞いた。 「ヤマトゥ? ヤマトゥとは随分と古風な事を言いますね」 「琉球では、この国をヤマトゥと呼んでいます」 「面白いですね。わしは歴史に詳しくはないが、ヤマトゥと呼ばれていたのはかなり昔の事でしょう。その頃から琉球とヤマトゥは交易していたという事ですか」 「スサノオ様がタカラガイを求めて琉球に来ています」とササが言った。 「スサノオ? スサノオといったら熊野の神様じゃないですか。スサノオが琉球に?」 話を聞いていた左兵衛尉が笑った。 福寿坊は笑わずに唸って、「実に面白い」と言った。 次の日、福寿坊の案内で、大雲取越えをして本宮に出た。福寿坊は琉球に行ってみたいと言って、京都まで付いて来た。 |
神倉山
色川村