報恩寺
島添大里グスクを奪い取るのを失敗したのに、山南王のシタルーの悪夢は消えた。父親の亡霊に悩まされて寝不足が続く事もなく、シタルーはホッと胸を撫で下ろしていた。 慶留ヌルはシタルーの 慶留ヌルにとって島添大里グスクは十歳から二十四歳まで過ごした地で、思い出も多く、何とかして取り戻したいと思っていた。母親のお墓も島添大里にあって、お墓参りもできなかった。シタルーが 座波ヌルが慶留ヌルの行動に気づいた時はすでに手遅れで、シタルーは島添大里攻めの計画に熱中していた。座波ヌルもシタルーの作戦がうまくいくように祈ったが、失敗してしまった。座波ヌルは慶留ヌルを何とか説得して、シタルーの悪夢をやめさせた。 襲撃に失敗したのは刺客の誰かが裏切ったのに違いないが、一体、誰が裏切ったのか、わからなかった。シタルーは やはり、座波ヌルが言ったように、まだ時期が早かったのかもしれない。焦らずに時期を待とうと思い、シタルーは来年の正月に送る
浮島(那覇)ではヤマトゥ(日本)に行った交易船が、二隻の 交易船を追って来たかのように、ヤマトゥの商人たちの船も続々とやって来た。昨日まで閑散としていた浮島が急に賑やかになって、人々が忙しそうに走り回っていた。 旧港の使者たちはファイチ(懐機)と交易担当の 総責任者のマタルー(与那原大親)、正使のジクー(慈空)禅師、サムレー大将の 「チタ、クニ、サキ、ナミーの四人はササたちと一緒に、あとから帰って来ます」とマナミーがサハチに言った。 「ササたちはシンゴ(早田新五郎)の船で帰って来るのか」 「佐敷ヌル様が調べたい事があって、奄美の島に寄って来るとの事です。クルシ(黒瀬大親)様も一緒です」 「なに、クルシも残ったのか」 「旧港のシーハイイェン(施海燕)様、ツァイシーヤオ(蔡希瑶)様、シュミンジュン(徐鳴軍)様も残っています」 「なに、シーハイイェンたちも残ったのか」 『小松の中将様』のお芝居のために、奄美の島に寄って来るのだろうが、 「なに、また熊野まで行ったのか」とサハチは驚いた。 「熊野は山全体が大きなウタキ(御嶽)のようで、神気がみなぎっているとササは言っていました。一度、その魅力に取り憑かれると、二度三度と行きたくなるようです。旧港の娘たちも一緒に行きました」 「シーハイイェンたちもか」 「サタルーたちもです」 「サタルーたちもササたちと行動を共にしていたのか」 サタルーがナナを追い掛けているなと思い、「困った奴だ」とサハチは独り言を言って、マタルーを見ると、「それで、京都の様子はどうだった?」と聞いた。 「九年振りのヤマトゥ旅でしたが、博多も随分と変わっていました。初めて行った京都の賑わいには驚きましたよ。まさしく、ヤマトゥの都です。 「ほう。増阿弥殿の田楽を観たのか。佐敷ヌルも観たのか」 「俺たちが観た時、マシュー 「そうか。佐敷ヌルが増阿弥殿の芸を観たら、琉球のお芝居ももっと素晴らしいものになるだろう」 「高橋殿ですが、綺麗な人ですね、あんな 「高橋殿に会ったのか」 「 「何を言うんだ」と言いながら、サハチはマチルギの姿を探した。 マチルギは女子サムレーたちと一緒に『天使館』に料理を運ぶのを手伝っていて、まだ来ていないようだった。 「お前、そんな事をマチルギには言うなよ」 マタルーは楽しそうに笑って、 「やはり、何かあったのですね」と言った。 「何もない。一緒にお酒を飲んで酔い潰れただけだ。高橋殿は先代の将軍様の側室で、今の将軍様の母親代わりの人なんだ。ササが気に入られて親しくしているけど、本来なら会う事もできない雲の上のお人なんだよ」 「将軍様の母親代わりにしては若すぎるような気もしますが」 「将軍様の母親は将軍様が十四、五歳の時に亡くなって、高橋殿は先代の将軍様から、今の将軍様を守るように頼まれたらしい」 「そうだったのですか‥‥‥ササの話だと、舞の名人で、武芸も一流だそうですね。一目見て、マシュー姉と仲よくなったようです」 「そうだろうな」とサハチは笑ってから、「対馬はどうだった?」と聞いた。 マタルーは急に嬉しそうな顔をして、 「ユキさんが男の子を産みました」と言った。 「なに?」とサハチは驚いた顔でマタルーを見た。 「イトさんと一緒に明国の商品を船に積んで、あちこちに行って商売をしていたのですが、帰って来たら、だんだんとお腹が大きくなって、十一月の末に元気な男の子を産みました」 「ほう、そうだったのか。琉球に来た時、すでにお腹にいたんだな」 「ルクルジルー(六郎次郎)殿の跡継ぎが生まれたと皆、大喜びでした」 「そうか‥‥‥跡継ぎが生まれたか」 サハチは嬉しそうに何度もうなづいていた。 「三郎という名前です。琉球風に言ったらサンルーですね」 「サンルーザ(早田三郎左衛門)殿の名前をもらったんだな」 「そのようです」 「サンルーか。サンルーはユキのお腹の中から、琉球の景色を見ていたに違いない。ミナミと同じように琉球と対馬の架け橋になってくれるだろう。ところで、イトの商売の事だが、女だけで大丈夫なのか」 「女だけではありませんよ。武装した兵も護衛として付いて行っています」 「そうか。それなら大丈夫だな」 「サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿ですが、 「琉球の交易だけでは駄目なのか」 「貧しい浦々は交易をする元手もありませんからね。サイムンタルー殿が食糧を分け与えると言っても、わしらは 「サイムンタルー殿も大変だな」 「来年はルクルジルー殿が琉球に来るそうですよ」 「なに、ルクルジルーが来るのか」 「久し振りに会いましたが、立派な男になっていたので驚きましたよ」 「お前が前回、行った時に、ユキがルクルジルーに嫁いで行ったんだったな」 「そうです。ユキさんが嫁いで行ったあと、初めて船越に行って、ルクルジルー殿に会ったのです。あの時は、ただのガキ大将といった感じだったけど、武将という貫禄が付いていましたよ」 「サイムンタルー殿が朝鮮に行ったのは、ルクルジルーがまだ十歳の時だったらしい。色々な事があったのだろう。そう言えば、お前の留守中、大きな台風が来てな、 「えっ、与那原が‥‥‥」とマタルーは心配そうな顔をした。 「みんな、グスクに避難していたので無事だった。海辺のウミンチュ(漁師)の家はかなりつぶれたが、もう再建も終わっている。マカミーがサムレーたちを 「そうでしたか‥‥‥よかった」と安心したあと、 「マカミーだけど、俺も時々、親父に似ていると思いますよ」とマタルーは楽しそうに笑った。 「親父はまた正使として明国に行ったよ」とサハチは言った。 「毎年、明国に行かないと気が済まないようですね」 マチルギが顔を出した。 「佐敷ヌルもササたちも帰って来ないんですって?」 「そのようだ。対馬で正月を迎えるらしい」 「対馬の正月か‥‥‥今頃、対馬は雪が降っているかもね」 「そうだな」とサハチも美しい雪景色を思い出していた。 「旧港の 「 「ワカサは慈恩禅師殿を知っているのか」 「九州にいた時、教えを受けたらしいわ」 「へえ、そうだったのか」とサハチは慈恩禅師と懐かしそうに話をしているワカサを見た。 サハチはマタルーと別れて、慈恩禅師の所に行った。 「按司殿」とワカサはサハチに挨拶をして、「ジクー禅師殿から、慈恩禅師殿が琉球にいると聞いて驚きました」と言った。 「わしが若い頃、慈恩禅師殿が 「わしが平戸に行ったのは、喜次郎が嫁をもらったばかりの頃じゃったのう。嫁さんは元気でおるかね」と慈恩禅師がワカサに聞いた。 ワカサの本当の名前は喜次郎というようだ。 「幸い、かみさんも子供たちも元気にしていたので助かりました。わしは二十年近く前に明国に行って、明国の水軍の 「いい嫁さんじゃよ」と慈恩禅師は言った。 いつの間にか、 「平戸の 「多分、そうでしょう。わしも二度、勝連に行った事があります。勿論、 「明国に向かうのは来年の正月です。息子さんに会いに勝連に行って来たらいいですよ。案内させますよ」 「ありがとうございます。わしは何もせんのに、倅は立派な船乗りになったようです」 「ヤマトゥとの交易なのですが、ヤマトゥの刀が欲しいのであれば、わざわざヤマトゥまで行かなくても、ここまで来れば手に入りますよ」とサハチはワカサに言った。 「シーハイイェンやメイユーからその話は聞いております。実はわしもその方がいいと思ってはいるのですが、王様は日本まで行って来いと言うし、わしも家族の事が心配だったので、日本まで行ったのです。家族の無事もわかったので、何とか、王様を説得してみます」 「よろしくお願いします。琉球をもっと栄えさせたいのです」 その後、サハチは明国の海賊と過ごした日々をワカサから聞いた。 次の日、ワカサは勝連に向かった。ワカサと入れ違いのように 正使の 「もし、明国とヤマトゥが戦になったとして、朝鮮も関係あるのか」とサハチは聞いた。 「明国とヤマトゥが戦になれば、百年余り前に起きた 蒙古襲来と言えば、対馬や 「永楽帝は怒っているのか」とサハチは本部大親に聞いた 「それを確かめるために、朝鮮の王様(李芳遠)は明国に使者を送ったようです」 「そうか。怒りを静めてくれればいいが」 「 サハチは永楽帝が信じている
年が明けて、永楽十一年(一四一三年)になった。素晴らしい初日の出も拝めて、今年もいい年になりそうだった。 佐敷ヌルが留守なので、サスカサ(島添大里ヌル)は忙しかった。 正月の半ば、山南王の進貢船が船出して行った。中山王の進貢船も準備は整っているのだが、シーハイイェンたちが帰って来ないと船出はできなかった。 その頃、ナンセン(南泉)禅師のために建てていたお寺が、首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中間辺りの静かな森の中に完成した。 ナンセン禅師によって、『 首里グスクの北にある 立派な山門にナンセン禅師が書いた『報恩寺』という 広い境内を見回しながら、十年後にはここから使者や重臣になる者たちが現れる事を願った。サハチはふと、朝鮮の『 本堂に鎮座している御本尊のお ナンセン禅師、ソウゲン(宗玄)禅師、慈恩禅師、ジクー禅師の四人によって、 お経が響き渡って、厳かな儀式が始まった。ありがたいお経を聴きながら、首里が都らしくなって行くのをサハチは実感していた。 儀式が終わると、あとは賑やかにお祭り騒ぎとなった。 次にジクー禅師のお寺を建てるとサハチが言ったら、 「わしは使者としてヤマトゥに行っているので、半年は琉球にはいない。わしのお寺は、使者を引退してからでいい。慈恩禅師殿のお寺を先に建ててくれ」とジクー禅師は言った。 サハチとしても、ジクー禅師が使者をやめたら困るので、次には慈恩禅師のお寺を建てる事に決めた。 その夜、遊女屋『宇久真』で慰労の宴が開かれて、サハチと思紹は一徹平郎たちをねぎらった。 話の成り行きから、一徹平郎の名前の事が話題になって、サハチは『平郎』のいわれを知った。 本当の名前は平太郎だった。子供の頃、大工の修行に入った 佐敷ヌルとササたちが帰って来たのは正月の 佐敷ヌル、ササたち、サタルーたち、シーハイイェンたちはすでに上陸していて、みんなの顔を見て、サハチは安心した。 「 「大丈夫よ。あたしたちには神様が付いているもの。安全を確認してから上陸したのよ」と佐敷ヌルは言って、「いい旅だったわ」と満足そうに笑った。 「お土産を二人連れて来たわ」とササが言った。 「お土産?」 ササは 「熊野の山伏と、慈恩禅師様を探していたお坊さんよ」 「ほう」と言いながら、サハチが二人を見ていたら、 「親父、最高の旅だったよ」とサタルーが嬉しそうな顔をして言った。 「またお世話になります」とシーハイイェンとツァイシーヤオが笑って、シュミンジュンが、よろしくというように手を上げた。 「大歓迎ですよ」とサハチは言った。 「サハチ!」と誰かが呼んだ。 振り返ると、シンゴと一緒に同年配の二人の男がサハチを見ながら笑っていた。その笑顔を見て、サハチは一瞬にして十六歳の頃に戻った。 「マツとトラか」とサハチは言った。 「久し振りじゃのう」とトラ(大石寅次郎)が言って、 「琉球まで、お前に会いにやって来たぜ」とマツ(中島松太郎)が言った。 「おう、よく来たな」とサハチは言って、二人を見ながら、なぜか、目が潤んできていた。 |
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