マツとトラ
サイムンタルー(早田左衛門太郎)は 「六郎次郎も行ったのか。無事に帰ってくれるといいが‥‥‥」 サハチはサイムンタルーと六郎次郎の心配をした。 「お前たちは行かなくても大丈夫だったのか」とサハチはマツとトラに聞いた。 「当然、俺たちも明国に行くつもりだったんだ。そしたら、急に琉球に行って、お前に会って来いってお屋形様に言われたんだよ」とマツが言った。 「琉球の事はシンゴから色々と聞いていたし、行ってみたいと思ってたんだ。明国はいつでも行けるけど、琉球にはなかなか行けないからな。お屋形様が行って来いと言うのなら今のうちに行こうと思ったんだ。それに、お前の妹に会って、あんな美人がいる国に行ってみたいと思ったんだよ」とトラが言うと、 「それにしても驚いたな。シンゴの奴がお前の妹といい仲になるなんてな」とマツが言った。 「俺もあの時は驚いた」とサハチはシンゴを見ながら笑った。 「 「ヌルたちが酒盛りをしているぜ」とマツが言った。 浜辺を見ると、佐敷ヌル、ササ、シンシン、ナナ、シズ、シーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュン、そして、サタルー、ウニタル、シングルーも一緒にいて、ヤマトゥから連れて来た山伏と僧侶もいた。 「俺たちもあそこに加わろうぜ」とトラが言った。 サハチは笑ってうなづくと『対馬館』には向かわず、浜辺の酒盛りに加わった。 「ヤマトゥから帰って来ると琉球の景色の素晴らしさが改めてわかるわ」とササがサハチに言って笑った。 「そうだな」とサハチはうなづいた。 「琉球はいい所じゃのう」と僧侶が言った。 ササが山伏と僧侶を紹介した。 山伏は 「正確に言えば、わしは熊野の山伏ではありません。本当は 「児島といえば瀬戸内海の?」とサハチは聞いた。 「御存じですか」と福寿坊は嬉しそうな顔をした。 「児島の 「そうでしたか。あのお頭はちょっと変わっておりますが、頼りになる男です。児島には 「わしは 「慈恩禅師殿もまもなく現れるでしょう。琉球の酒盛りを充分に楽しんでください」 サハチが二人と挨拶を交わしている隙に、シンゴとマツとトラは佐敷ヌルと一緒に酒を飲んでいた。高橋殿のお陰で、佐敷ヌルも 佐敷ヌルは、シンシンが持っていたガーラダマのお陰で、アキシノという 佐敷ヌルはユリたちとの再会を喜んで、「お祭りは大丈夫だった?」と聞いた。 佐敷ヌルはユリたちに取られ、ササたちも馬天ヌルに旅の話をしていた。 サハチはマツとトラに、マチルギを紹介した。 「噂はイトから聞いているよ」とマツが言った。 「 「イトと出会った時に、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマチルギに説明した。 凄い美人と言われて嬉しいのか、マチルギは機嫌よく、「充分に琉球を楽しんでくださいね」と笑顔で言って、『対馬館』へ挨拶をしに行った。 サハチはマツとトラから朝鮮の事を聞いた。 「朝鮮での暮らしは悪くはなかったよ」とマツが言った。 「屋敷も衣服も与えられて、充分な食糧も与えられたんだ。さらに、地位も与えられた。対馬に残したシノと子供たちには悪いが、向こうで家庭も持って、それなりに暮らしていたんだ。十四年も向こうにいたんだぜ。みんな、もう、対馬に帰る気なんかなくしていたよ。このままでいいって思っていたんだ」 「お前が朝鮮に来て、 「俺もサイムンタルー殿と会えるなんて思わなかった。五郎左衛門殿のお陰だよ」とサハチは言った。 「お屋形様が倭寇働きを再開したので、向こうの家族が心配だよ」とトラが言った。 「連れて帰る事はできなかったのか」 「人質のようなものだよ」 「連れ戻せないのか」 「難しいだろう」とマツが言った。 「お屋形様の家族だけなら何とかなるだろうが、俺たち全員の家族を連れ戻す事は無理だ。しかも、俺の妻になった女は生真面目な小役人の娘なんだ。絶対に対馬には来ないだろう」 「朝鮮ではなく、明国を攻めるのなら問題ないのだろう?」とサハチは聞いた。 「いや、見つかれば、向こうの家族は殺されるかもしれん。朝鮮は明国の言いなりだからな。明国を攻めた倭寇が、朝鮮と関係があったなんてばれたら大変な事になる。俺たちが朝鮮にいたという証拠になるようなものは、すべて抹殺するだろう。その中に俺たちの家族も含まれるんだ」 「皆殺しさ」とトラが苦しそうな顔をして言った。 「何の罪もない子供たちまで殺されるのか」 「国を守るというより、宮廷を守るための犠牲にされるんだ。 急に雨が降ってきた。日が暮れて、辺りも暗くなっている。サハチたちは『対馬館』に逃げ込んだ。 その夜、サハチはシンゴ、マツ、トラの四人で、明け方近くまで語り明かしていた。翌日、 シーハイイェンたちが帰って来たので、 「話には聞いていたけど、 「俺より強い娘がいるなんて恐れいったよ。イトたちに再会して、対馬の女は強いと思ったが、琉球の娘たちはそれ以上だ」 「それに、みんな、美人だし、女子サムレーに守られているお前が羨ましいぜ」とマツが言った。 「マチルギが娘たちに剣術を教え始めてから、もう二十年以上も経つんだ。マチルギから剣術を教わった娘たちは相当な数に上るだろう。佐敷ヌルもマチルギの最初の弟子なんだよ」 「そうか。お前のかみさんは凄い女だな」 佐敷ヌルの姿が見えないので、どこに行ったのか聞くと、サスカサが、「あたしのおうちよ」と言った。 「お芝居の台本作りに熱中しているわ」 サハチはサスカサの屋敷に行ってみた。 佐敷ヌルは サハチは部屋に上がって、佐敷ヌルが書いている物を見た。 「うまくいっているようだな」とサハチは聞いた。 「今の所は順調よ。でも、そのうち、わからない事が出てくると思うわ」 「わからない事が出て来たら、来年もヤマトゥに行けばいい」 佐敷ヌルは顔を上げて、サハチを見ると笑った。 机の脇にあったのは『平家物語』だった。サハチは手に取って眺め、 「お前が写したのか」と聞いた。 「そうよ」と佐敷ヌルは答えた。 「『平家物語』はお爺が読んでいたよ。親父も読んだかもしれない」 「えっ!」と佐敷ヌルは驚いた顔をしてサハチを見た。 「そう言えば、お爺が難しいヤマトゥの書物を読んでいたのを今、思い出したわ」 「お爺はヤマトゥから色々な書物を取り寄せていたんだ。その書物は首里グスクのどこかにしまってあったらしいけど、今、 「報恩寺?」 「ナンセン禅師のために建てていた 「そこに書庫があるの?」 「お爺の書物だけでなく、親父の書物や、明国や朝鮮、ヤマトゥから持って来た書物もある」 佐敷ヌルは目を輝かせて、「『 「『保元物語』はお爺が持っていたはずだよ。俺に読めって勧めたけど、俺は頭の部分しか読まなかったんだ」 「『保元物語』と『平治物語』は『平家物語』の前のお話なの。源氏と平家に関係あるのよ。京都で読もうと思ったんだけど、時間がなかったの。まさか、お爺が持っていたなんて夢のようだわ。それで、その書物は借りられるの?」 「お前なら借りられるだろう。 佐敷ヌルは嬉しそうにうなづいて、「明日、首里に行ってくるわ」と言った。 「俺も明日、マツとトラを連れて首里に行く。一緒に行こう」 佐敷ヌルはうなづいて、「これで『小松の中将様』の台本も書けそうだわ」と笑った。 翌日、佐敷ヌルと一緒に、マツとトラを連れて、サハチは首里に行った。シンゴは交易の仕事があるからと 報恩寺の書庫で、佐敷ヌルは嬉しい悲鳴を何度も上げていた。将軍様の書庫で、読みたいと思ったけど諦めた書物が何冊もあった。今更ながら、佐敷ヌルは祖父のサミガー ナンセン禅師は書物を見ながら喜んでいる佐敷ヌルを見て、琉球にも素晴らしい女子がいるものだと驚いていた。 書物を手に取っては読んでいる佐敷ヌルを報恩寺に置いて、サハチはマツとトラを連れて首里グスクに向かった。途中にある旅芸人の小屋を覗くと、旅芸人たちは旅から帰っていて、お芝居の稽古に励んでいた。 「何なんだ、ここは?」とマツが聞いた。 サハチが旅芸人たちの事を説明しているとウニタキが現れた。 「おう、丁度よかった。お前に会いに行こうとしていたところだ」とウニタキはサハチに言った。 「いつ、帰って来たんだ?」 「昨日だよ」 サハチはマツとトラにウニタキを紹介した。 「おう、ウニタキか。ツタがよろしくって言っていたぞ」 ウニタキは笑って、「ツタか。会いたいな」と言ってから、「話がある」とサハチを誘って小屋の中に入った。 小屋の中には大きな絵地図が壁に貼ってあり、旅芸人たちが行った村々に印がしてあった。 「佐敷ヌルが今、『小松の中将様』の台本を書いている」とサハチは言った。 「そうか。来年の正月には 「元旦は今帰仁にいたのか」 「ああ。帰って来ようかと思ったんだが、ウニタルはいないし、チルーはグスクの手伝いで忙しいだろうし、帰って来るのはやめたんだ。それに、 「山北王の反応?」 「ああ。山北王は 「やはり、失敗したか」 「半数の兵が戦死して、先代の 「進貢船もやられたのか」 「ひどいもんだった。よくあれで帰って来られたもんだと思ったよ。敵の船に体当たりされたようだな」 「山北王が怒っただろう」 「かなりの 「そうか。それで、先代の与論按司はどうなったんだ?」 「進貢船を直せと命じられた。 「山北王の怒りは治まったのか」 「 「今年は湧川大主が鉄炮で攻めるのか。テーラーも行くのか」 「いや、その話は出ていない。テーラーには中南部の事を調べさせるつもりなんだろう」 「そうか。ウニタルだが、ずっとサタルーと一緒にササたちと行動を共にして、熊野まで行って来たようだぞ。頼もしくなって帰って来た」 「ウニタルが将軍様の奥方様と一緒に熊野まで行ったのか」 「高橋殿に鍛えられて、酒も強くなったようだ」 「そうか。倅と一緒に酒を飲みながら旅の話でも聞くか」 嬉しそうな顔をしてそう言うと、ウニタキは小屋から出て行った。 サハチも小屋から出て、マツとトラを探した。二人は五人の舞姫たちと楽しそうに笑っていた。 旅芸人たちと別れて、サハチはマツとトラを首里グスクに連れて行った。ずっと続いている高い石垣に二人は驚いて、グスク内に立つ 「凄い御殿だな」とマツとトラは目を丸くして眺めていた。 「ここがお前の本拠地か」 「いや、親父の本拠地だよ」 「それにしても驚いた。お前の親父が琉球の王様になったと聞いていたが、まさしく、ここは王様の宮殿だな」 「十六歳の時のお前は小さな城の若様だったが、今は王様の跡継ぎか。朝鮮でいったら 「あの時は佐敷グスクの若按司だった。あとで連れて行くよ」 サハチたちもお祭りの準備を手伝った。 翌日、 「源五郎親方に 「瓦の焼き方なんか教わってどうするんだ。 「瓦じゃありませんよ。 「ほう。お前、奥間で焼き物をするつもりなのか」 「明国の焼き物は高価ですからね、庶民の手には入りません。それで、奥間の者たちに焼き物をやらせようと考えたのです。炭焼きの者たちはいますからね。あとは窯を作って、いい土を見つけるだけです」 「焼き物か‥‥‥お前も色々と考えているんだな。ヤマトゥ旅を無駄にしなかったようだな。見直したぞ」 「親父に褒められたら照れますよ」とサタルーは照れ臭そうな顔をして、 「ここは凄い所ですね」と言って、並んで座っている 思紹の挨拶をファイチが明国の言葉に訳して、宴が始まった。旧港の使者やジャワの使者の接待をするようになって、女将のナーサは マツとトラは驚いた顔をして、 「まるで、龍宮だな。美しい 「俺が若い頃、対馬に行って、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマユミに言った。 「あら、サイムンタルー様の御家来なんですね」 「お屋形様と一緒にずっと朝鮮にいたんだよ」とトラが言った。 「すると朝鮮の言葉もしゃべれるのですね」とトラの前にいる遊女、ヤマブキが聞いた。 「しゃべれるとも。最初は苦労したが、女を口説くために必死に覚えたんだ」 「うまく行ったのですか」とマツの前にいるミカサが聞いた。 「うまく行ったさ、なあ」とトラがマツに言った。 「いや、お前の言葉は全然、通じなかった」とマツは首を振った。 「何だと?」 「あとになって聞いたんだよ。俺たちは通じたものと思っていたけど、何を言っているのかさっぱりわからなかったと言っていた。でも、そこは男と女だ。言葉が通じなくても、心は通じたのさ」 「二人とも朝鮮に奥さんがいるのですね」とヤマブキが聞いた。 「対馬にもいるよ」とサハチは言った。 「お前だって、琉球と対馬に奥さんがいるだろう」 「ああ。孫もいるよ」とサハチが言ったら、マユミが笑って、 「もうお爺ちゃんですね」と言った。 「俺たちが朝鮮に行った時、ユキちゃんは十歳だった。母親に似て可愛い娘だった。その娘がお屋形様の息子と結ばれたなんて信じられなかったよ。お屋形様の息子は離れた所で暮らしていたんだ。まさか、二人が出会って結ばれるなんて奇跡だと思った。そして、ユキちゃんの娘がまた可愛い娘だ」 「ミナミちゃんでしょ」とミカサが言った。 「知っているのか」とマツが聞いた。 ミカサはうなづいて、 「 マツとトラがミカサとヤマブキを相手に朝鮮の事を話し始めたので、サハチは慈恩禅師と話しているワカサの所に行った。 ワカサは 「息子と一緒に勝連の近くにある島々を巡って、楽しい一時を過ごしました。もう、あいつも一人前です」 ワカサは満足そうな顔をして酒を飲んだ。 ササたちと話をしているシーハイイェンの所に行って、「今回は琉球にいる時間が少なかったな」と言うと、 「ササたちと一緒に熊野に行ったり、対馬に行ったりしたので、楽しかったです」と言った。 「今年の夏はメイユーさんと一緒に来ようと思っています。そしたら、たっぷりと琉球で過ごせます」 「ワカサ殿にも言ったが、王様を説得して琉球に来てくれ」 「はい」とシーハイイェンは笑ってうなづいた。 「まだ聞いていなかったが、奄美のどこに寄って来たんだ」とサハチはササに聞いた。 「まず、 「ヤマトゥに行く時に見た事がある」 「何だ、知っていたんだ。あたし、何度もヤマトゥに行っているのに見逃していたわ。その島で硫黄を採って、明国との交易に使っていたんですって。硫黄島を見たあとはいつもの通り、トカラの島々を通って、宝島から奄美大島に渡ったわ。あたしたち、ヤマトゥから来た倭寇の振りをしたのよ。ヤマトゥの着物を着て、サタルーたちはヤマトゥ風の サハチは笑って、 「あの二人がそんなお芝居を演じたのか」と遊女を口説いているマツとトラを見た。 「うまかったわよ。きっと、朝鮮にいた時も、あんな調子で朝鮮の人たちをだましてきたに違いないと思ったわ」 サハチの笑いは止まらなかった。 「浦上のあとは 「安徳天皇の偽者?」 「鬼界島に隠れたのは偽者だったのよ。でも、島の人たちは偽者とは知らないで、ずっと、本物だと信じてきたらしいわ。きっと、今も偽者の子孫がいて、その子孫を守るための団結は強いと思うわ。だから、山北王の兵も負けたのよ」 「そうかもしれんな。本物はどこに逃げたんだ?」 「それはわからなかったわ。小松の中将様が言うには、 「結界か‥‥‥」 「加計呂麻島の諸鈍でも、マツさんとトラさんの活躍で、小松殿から色々と聞く事ができたのよ。佐敷ヌルさんがとても喜んでいたわ」 「そうか」と言ってから、サハチは馬天ヌルの話を思い出した。 「お前のお母さんから聞いたんだけど、 「えっ!」とササは驚いて、目を丸くした。 「お母さんはその事を誰から聞いたの?」 「 「えっ、お母さんが舜天の神様に会ったの?」 「舜天はお前にお礼を言ったそうだ」 「お母さん、舜天の神様に会ったんだ‥‥‥」 「朝盛法師にも会ったと言っていたぞ」 「えっ、朝盛法師にも‥‥‥やっぱり、お母さんは凄いわ」 ササは驚いた顔をしたまま首を振っていた。 「お母さんもお前は凄いって言っていたよ」 サハチとササの隣りではサタルーがナナを口説いていた。サハチが睨むと、サタルーは違いますというように手を振った。シンシンはどこに行ったのかと見渡したら、シーハイイェンと一緒にヂャンサンフォンの所にいた。 |
首里グスク