マグルーの恋
キラマ(慶良間)の島から帰って来たら梅雨に入ったようだった。 サハチはヤマトゥに行く交易船と 将軍様は 帰る準備でシンゴも忙しく、マツとトラは毎日、海に潜ってカマンタ(エイ)捕りをしていた。旅芸人たちが早く帰って来ないかと首を長くして待ちながら、 四月二十一日、雨降りの中、佐敷グスクのお祭りが行なわれた。毎年、雨に降られるので、舞台に屋根を付けたが、お客の集まりは悪かった。 ササとシンシンとナナは頭を抱えて、鍋をたたきながら『ナンマイダー』と叫び、念仏踊りをしながら城下を巡った。何事だと城下の人たちは驚いて、子供たちが面白がって、真似して付いて来た。 『ナンマイダー』の声が佐敷中に響き渡って、空も驚いたのか雨もやみ、大勢の人たちがササたちのあとに従って佐敷グスクに集まって来た。お祭りの準備をしていたユリ、ハル、シビーは大喜びをして、一緒に念仏踊りを踊って、佐敷のお祭りは念仏踊りで始まった。 お芝居は『 佐敷のお祭りの七日後、去年の十月に行った 二人の正使、タブチ(八重瀬按司)とタキ(島尻大親)は 「驚きましたよ」とタキはタブチを見ながらサハチに言った。 「噂には聞いていましたが、その変わりようには本当に驚きました。 今帰仁合戦の時、タキは伯父の 「八重瀬殿のお陰で、偉い役人も紹介してもらいました。本来なら、決して会う事もできない偉い役人と親しくしているので驚きました。山南王は若い頃、 「これからも中山王の使者として、よろしくお願いします」とサハチはタキに言った。 「応天府では、永楽帝がヤマトゥを攻めるに違いないとの噂が流れていたぞ」とタブチがサハチに言った。 「えっ!」とサハチは驚いた。 「ヤマトゥが明国の使者を追い返したからですか」 「そのようじゃな」 「しかし、あれは タブチは首を傾げた。 「永楽帝は二月の半ばに 「朝鮮も加わるのか」 「朝鮮軍は先鋒を務める事になろう」 「そんな大戦が起こったら、対馬は全滅してしまう」 シンゴたちに知らせなければならないとサハチは思った。 「今、 「是非、中止してほしいものだ」とサハチは本心からそう思った。 次の日、馬天浜に行って、シンゴ、マツ、トラと会い、永楽帝のヤマトゥ攻めの噂を話した。 「冗談じゃないぜ」とトラが怒った顔をして言った。 「どうして、将軍様は明国の使者を追い返したんだ?」とマツが聞いた。 「将軍様が永楽帝から日本国王に任命されるわけにはいかないからだよ」とサハチは説明した。 「 「誰がそんな事を言ったんだ?」とトラが聞いた。 「もう亡くなってしまったけど、 「お前、そんなお方と会ったのか」 シンゴが笑って、 「サハチは将軍様とも会っているんだよ」と言った。 「ええっ?」とマツとトラは驚いて、サハチを見た。 「将軍様と会った?」 「正式に会ったんじゃない。お忍びの将軍様と会ったんだ」 「それだけじゃないぞ」とシンゴは言った。 「ササは将軍様の奥方様と仲良しで、毎年、将軍様の御所にお世話になって、一緒に伊勢参詣や熊野参詣に行っているんだよ」 「なに、あの若ヌルのササがか‥‥‥」 マツとトラは口をポカンと開けたままサハチを見ていた。 「運がよかっただけだよ。そんな事より、対馬に帰ったら、永楽帝のヤマトゥ攻めをちゃんと調べた方がいいぞ。実際に攻めて来る事がわかったら、その前に琉球に逃げて来いよ。戦って勝てる相手じゃないぞ」 「わかった」とマツとトラは真面目な顔付きでうなづいた。 「イトたちを頼むぞ」とサハチはシンゴに言った。 「わかっている。女たちは真っ先に逃がすよ」 五月九日に梅雨が明けた。翌日、マツとトラの送別の宴を うまい具合に旅芸人たちが馬天浜に来て、ほんのつかの間、マツとトラは舞姫たちとの再会を喜び、別れを惜しんで 「また来るからな。待っていろよ」と二人は舞姫たちに言っていたが、今度会えるのは、いつになるのかわからなかった。 同じ日、浮島からヤマトゥに行く交易船も船出した。今回の総責任者はクルー( その船は四月の末に明国から帰って来た船だったので、荷物の入れ替えと船の整備で大忙しだった。それに、初めてヤマトゥに行くので、クルシの活躍が必要だった。サハチは無事の帰国を祈って、交易船の船出を見送った。 勝連からも朝鮮に行く交易船が旅立って行った。それらの船は伊平屋島で落ち合い、薩摩の ヤマトゥから来ていた商人たちも交易船のあとを追うように、次々に帰って行き、浮島も静かになった。 五月の半ばに『小松の中将様』の台本が完成して、佐敷ヌルはユリ、ハル、シビーを連れて クルーの妻のウミトゥクは佐敷グスクの 佐敷グスクの女子サムレーのイリと、剣術の修行を積んでいた佐敷の娘のアキとユンとハニの三人が手登根に来てくれて、ウミトゥクを手伝った。アキとユンとハニの三人は女子サムレーになりたくて修行を続けていたが、誰かが辞めない限り補充はないので、なかなか女子サムレーになれなかった。マチルギの許しがあって、手登根の女子サムレーになる事ができたのだった。ほかの者たちはキラマ(慶良間)の島から送るとマチルギは言ったが、ウミトゥクは断って、自分で育てると言った。 「キラマの島にも女子サムレーになりたくて待っている娘がいるのよ。四人を島から呼んで、あとの四人はあなたが育てなさい」とマチルギは言った。 ウミトゥクはそれで納得して、うなづいた。 ウミトゥクが娘たちを鍛え始めてから一年半近くが経ち、四人の娘が選ばれて女子サムレーになった。イリを隊長とした女子サムレー十二人がお芝居の稽古に励んでいた。 サハチは子供たちを連れて、手登根グスクに行って、お芝居の稽古を見学した。クルーが造ったというセーファウタキへと向かう道も見て、感心した。人が歩けるだけの簡単な道だろうと思っていたのに、荷車も通れる立派な道だった。南部に新しい道は必要ないだろうと思っていたサハチは、もう一度よく確認して、必要な道は拡張した方がいいと思った。 子供たちと一緒に歌を歌いながら島添大里グスクに帰ると、珍しく、ンマムイ(兼グスク按司)が来ていた。 ナツと一緒にお茶を飲んでいたンマムイは、 「マグルーの事をナツさんから聞いていたんです」とサハチに言った。 「マグルー? マグルーはヤマトゥ旅に行ったぞ。マグルーに何か用なのか」とサハチは二人の間に座り込むと聞いた。 「マグルーのお嫁さんだけど、もう決めてあるのですか」とお茶の用意をしながらナツがサハチに聞いた。 「いや。まだ決めていないよ。誰かいい娘でもいるのか」 ナツが笑って、ンマムイを見た。子供たちの所に行くと言ってナツは出て行った。 「 「イハチの嫁のチミーから弓矢を習っているというのは聞いていたが、夢中になっていたかどうかは知らんな。マグルーがどうかしたのか」 「うちのマウミとマグルーが、どうも恋仲になっているようなのです」 「えっ、何だって!」とサハチは驚いて、ンマムイを見た。 ンマムイの長女、マウミは 「マグルーはマウミに会っていたのか」とサハチは聞いた。 マウミは母親と一緒に、首里や島添大里のお祭りに来ているので、マグルーと会っていても不思議ではないが、二人が恋仲になっているなんて、サハチはまったく知らなかった。 「マグルーが初めて 「マグルーがマウミと試合をして勝ったのか‥‥‥」 信じられないという顔でサハチは首を振った。 「二人を結ばせてやりたいのですが、師兄はどう思われますか」とンマムイは聞いた。 「お前の娘なら文句などあるわけがない。こっちから頼みたいくらいだ」とサハチは言った。 「師兄、ありがとうございます」 「マグルーがマウミを落としたか‥‥‥マグルーもいつの間にか、恋をする年頃になっていたんだな。それにしても、いい相手を選んでくれた。めでたいのう」 マウミは十二歳の時に家族と一緒に母親の故郷の今帰仁に行った。その帰り道、マウミの人生を変える事件が起こった。 今帰仁から 父は大勢の武芸者を家臣にしていたので、マウミが師と仰ぐべき人は何人もいて、マウミは武芸の修行に熱中した。首里グスクのお祭りで、女子サムレーを見て憧れ、やがては女子サムレーを作って、自分が率いようと思った。 新グスクにいた時、 お嫁に行くなんて考えた事もなく、ひたすら武芸の稽古に励んでいた。それでも、持って生まれた美貌に惹かれて、縁談話はいくつもあった。マウミは自分よりも弱い男にはお嫁に行かないと宣言して、言い寄って来る男たちと弓矢の試合をして、打ち負かして来た。 マウミはマグルーも簡単に打ち負かし、マグルーはうなだれて帰って行った。その後、マウミはマグルーの事は忘れた。去年の二月、従姉のマナビーが今帰仁から島添大里に嫁いで来て、ミーグスクに入った。マウミはマナビーとの再会を喜んだ。 五月にマグルーが兼グスクにやって来て、試合を申し込んだ。マウミはマグルーと試合をした。マウミは勝ったが、マグルーの上達振りに驚いた。いつかはマグルーに負けてしまうかもしれないとマウミは焦り、久し振りに本気になって修行に励んだ。 ある時、マウミがマナビーに会いにミーグスクに行ったら、マグルーがミーグスクの的場で弓矢の稽古をしていた。 「マナビー姉さんが、マグルーさんに教えていたの?」とマウミが聞いたら、 「あたしが教えたのは馬術よ。弓矢はチミー姉さんが教えているのよ」とマナビーは言った。 チミーが島添大里に嫁いだのは、兼グスクが完成する半月ほど前の事だった。マウミが師と仰いでいるマナビーとチミーの二人が島添大里に嫁いで行くなんて不思議な事だった。 「マグルーはあなたに勝つために必死だわ。寝ても覚めても、あなたの事しか考えていないわよ。本気であなたが好きなのよ。恋っていうものね。あたしには経験がないけど、人を好きになるって素晴らしい事だと思うわ。あなたはどう思っているの、マグルーの事を?」 弓を構えているマグルーを見ながら、「何とも思っていないわ」とマウミは言ったが、胸の中に何か熱い物を感じていた。 「あたし、マグルーを応援しているのよ」とマナビーは言った。 「えっ?」とマウミは驚いてマナビーを見た。 「だって、マグルーとあなたが一緒になれば、あたしたち、姉妹になるのよ。あなたも島添大里に来て、一緒に暮らす事になるのよ。考えただけでも楽しいわ」 今まで考えた事もなかったけど、マナビーの言う通りだった。島添大里にはマナビーとチミーだけでなく、佐敷ヌルもサスカサもいる。こんな凄い所にお嫁に来られたら素晴らしい事に違いなかった。 マナビーに言われたからではないが、マウミは少しづつ、マグルーの事を意識し始めるようになっていった。マウミは馬に乗って、度々、ミーグスクを訪ねた。マグルーがいる時は一緒に稽古をしたり、稽古のあとに話をしたりして楽しい時を過ごした。マグルーがいない時は、マナビーが呼んでくれた。マグルーは汗びっしょりになって飛んできた。そんなマグルーを見ながら笑って、お互いの事を話し合うのが楽しかった。 今年の四月、マウミはマグルーと弓矢の試合をして負けた。悔しかったが、自分よりも強い男がマグルーだったのは嬉しかった。マグルーは来月、ヤマトゥ旅に出るけど、帰って来るまで待っていてくれと言った。マウミは、待っていると答えた。会えなくなって、マウミはマグルーの面影を思い出しながら、マグルーを好きになっていた自分に気づいていた。 ンマムイが帰ったあと、サハチは 「マグルーが弓矢を教えてくれと行って来たのは、わたしがここに嫁いで来て、すぐの頃です。わたしには弟がいないので、姉さんと呼ばれて頼りにされると嬉しくなって教える事にしたのです。武術道場の的場は昼間はサムレーたちが使うので、早朝、そこでお稽古をして、あとは馬天浜の的場でお稽古させました」 「馬天浜の的場?」 「昔、 「あの的場がまだあったのか」 「サミガー 「そうか。シタルーだな」 チミーは首を傾げて、話を続けた。 「 「なに、チミーはマウミを知っていたのか」 「マウミが新グスクにいた頃、マウミは具志頭グスクに通って、母とわたしの指導を受けていたのです」 「そうだったのか」 「マウミは美人ですからね。マグルーが必死になるのもよくわかりましたよ」 「それじゃあ。マウミもマグルーもお前の弟子という事になるな」 「ミーグスクのマナビーもマウミとマグルーの師匠です。マウミとマグルーはミーグスクでよく会っていました」 「二人がミーグスクで会っていたのか」 「マウミとマナビーは 「成程な。ミーグスクで会っていたとは知らなかった」 サハチがミーグスクに行くと言ったら、チミーも付いて来た。ミーグスクにマウミが来ていて、的場の近くにある 「お前の親父が、お前の事で話に来たぞ」とサハチはマウミに言った。 マナビーが屋敷の方に案内しようとしたが、サハチは断って、東屋の縁台に腰を下ろした。 「父が何を言って来たのですか」とマウミは聞いた。 「大事な娘に虫が付いたようだとな。でも、娘もその虫が好きなようだから、何とかしてやりたいと言ってきたんだよ」 「そんな、虫だなんて‥‥‥」とマウミは言って俯いた。 「二人の話を聞いて、俺は昔の事を思い出したよ」とサハチは笑った。 「俺もマチルギに負けた時、悔しかった。一月後に試合をやる約束をしたんだが、急にヤマトゥ旅に出る事になってしまって、試合はできなかった。ヤマトゥに行く前、俺はマチルギに待っていてくれと頼んで旅に出たんだ」 「えっ、マグルーさんと同じです」とマウミが驚いた顔をして言った。 「俺もマチルギも、そんな昔の事を子供たちには話していない。偶然、同じ事が起こったのだろう」 「奥方様は待っていたのですね」とマナビーが聞いた。 サハチはうなづいて、 「マチルギは佐敷に来ていて、娘たちに剣術を教えていたんだよ。本当に驚いた」と笑った。 もっと詳しく聞かせてくださいと三人にせがまれて、サハチはマチルギとの出会いから話して聞かせた。 首里に行ってマチルギに相談すると、マナビーとチミーからマグルーとマウミの仲は聞いていて、この先どうなるか、二人に任せてみようと見守っていたという。 「マグルーがうまくやったのね」とマチルギは驚いて、 「マグルーはあなたに一番似ているのかしら」とサハチを見ながら笑って、 「マウミは素晴らしい娘さんだわ。マグルーはいいお嫁さんを見つけてくれたわね」と大喜びをした。 |
手登根グスク
兼グスク
島添大里のミーグスク