チヌムイ
ササはいなかったが、シーハイイェンたちもスヒターたちも結構楽しくやっていたようだ。シーハイイェンたちがヂャンサンフォンのもとで一か月の修行をしていたら、スヒターたちも加わって一緒に修行をした。修行が終わると、平田に行ってお祭りの準備を手伝って、シーハイイェンたちは 台本を明国の言葉に直したのはミヨンとヂャンウェイ(ファイチの妻)で、ファイリンがお嫁に行ってしまったため、二人は何となく気が抜けてしまったような気分だった。そんな時、佐敷ヌルに頼まれて、二人は喜んで引き受けたのだった。 武当剣やプンチャック、見た事もない珍しい武器も出て来て、楽しいお芝居だった。観客たちから、来年も頼むぞと言われて、シーハイイェンたちは大喜びしていた。 三姉妹の船、旧港の船、ジャワの船を見送ると、サハチは
ンマムイの ミカとチヌムイは マアサが具志頭にいた頃、ミカも具志頭に通って弓矢を習っていた。ミカは先代の マウミたちが阿波根グスクから 「そろそろ、マアサさんが来る頃だと思っているんでしょう」とマウミは的場の脇にある 「そうじゃない」とチヌムイは強い口調で言った。 「あら、そうかしら?」とミカが弟を見て笑った。 「親父から明国に行かないかって誘われたんだ」とチヌムイは言った。 「えっ、来月、お父様と一緒に行くの?」とミカが驚いた顔をして聞いた。 長兄の若按司、次兄の 「迷っているんだ」とチヌムイは言った。 「行って来たら」とマウミが気楽に言った。 「でも、行く前にちゃんとマアサさんに言わなくちゃね」 「そんなの無理だよ」とチヌムイは弱々しい顔付きで首を振った。 「まったく、あんたも、よりによってお父様と敵対している山南王の娘を好きになるなんて」とミカは苦笑した。 「マアサさんはそんな事を気にしていないみたいよ」とマウミは言った。 「それだから余計に、チヌムイが悩むのよ」とミカは言って、うなだれているチヌムイを見た。 「お父様から聞いたんだけど、明国はとてつもなく広い国で、こんな小さな島国で、あれこれ悩んでいるのが馬鹿らしく思えて来るって言っていたわ。チヌムイさんも明国に行ったら、 「絶対に忘れない」とチヌムイは厳しい顔をしてマウミに言った。 「今でもはっきりと覚えている。何も悪い事をしていないのに、お母さんは殺されたんだ。絶対に敵を討たなくてはならないんだ」 チヌムイは立ち上がってガジュマルの木の前まで行くと、左手で 馬の足音が近づいて来るのが聞こえた。チヌムイは刀を シカーは馬から下りるとチヌムイの所に来て、 「 「どこに?」とチヌムイも小声で聞いた。 「多分、 「長嶺グスクなら、今頃、もう着いているだろう」 シカーは首を振った。 「久し振りのお忍びです。馬にも乗らず、供のサムレーも二人だけです。陰の護衛も見当たりません」 「なに、陰の護衛がいない?」 「噂では、山南王は 「確か、去年の今頃だったな」 「山南王も島添大里按司の刺客を恐れて、お忍びで出掛けるのはやめていましたが、そろそろ大丈夫だと思ったのでしょう」 「 島尻大里から座波までは 「そうかもしれませんが、長嶺の双子の孫娘に会いに行くんじゃないかと思います。一か八か、それに賭けて、 「饒波橋か‥‥‥」 島尻大里グスクから長嶺グスクに兵の移動がしやすいように、饒波川に立派な橋を架けたのは山南王だった。その橋のお陰で、近所の住民たちも大いに助かっていた。 急用ができたとマウミに言って、チヌムイはミカと一緒に馬に乗って饒波橋に向かった。シカーはその後の様子を知らせると言って帰って行った。 馬を走らせながら、「二人だけで大丈夫かしら?」とミカが心配した。 「敵は三人だけだ。供の二人を弓矢で倒して、 「マアサの事は諦めるのね」 「最初から無理な話だったのさ」 饒波橋に着いたのは 北にある山の上を見上げて、「もうグスクの中にいるんじゃないの」とミカが言った。 「久し振りのお忍びだ。座波ヌルと会って、阿波根グスクで孫たちと会って、 チヌムイは草の上に横になって空を見上げた。雨が降りそうな黒い雲が流れていた。 十二年前の十一月、チヌムイが七歳の時、山南王だった祖父(汪英紫)が亡くなった。父と叔父のシタルーが家督争いを始めて 「必ず、母の敵を討つんだぞ」と父は悔しそうな顔をして言った。 チヌムイは母の敵を討つ事だけを生きがいにして生きて来た。そんな気持ちがぐらついたのは、マアサに出会ったからだった。 四年前の今頃、父は具志頭グスクを攻めて、按司と若按司を倒した。若按司の妻だったマアサは助けられて、八重瀬グスクに来た。マアサはまだ十四歳で、若按司は嫌いだったから別れられてよかったと笑った。その時はろくに話もしなかったが、マアサの笑顔はチヌムイの心に焼き付いた。敵の娘を好きになってどうすると思いながらも、マアサを忘れる事はできなかった。 翌年の夏、マアサが阿波根グスクで剣術を習っているという噂を聞いた。山南王の娘が木剣を振っていると言って、見物人も押しかけたらしい。 阿波根グスクのンマムイはマアサにとっても、チヌムイにとっても チヌムイはマアサの父親を敵だと思っているが、マアサはチヌムイの父親を敵だとは思っていなかった。マアサにとってチヌムイの父親は、幼い頃に会った微かな記憶しかなく、マアサの父親と対立して、今は中山王に仕えているというだけで、特に憎む理由もなかった。阿波根グスクに通っていた三か月近く、チヌムイは敵討ちを忘れて、マアサと一緒に楽しい時を過ごした。 その年の十月、山南王の三男、グルムイに チヌムイはミカと一緒に新グスクに通うが、マアサが現れる事はなかった。新グスクのガマ(洞窟)に入って、ヂャンサンフォンの一か月の修行も受けた。その修行の成果はすぐに現れて、チヌムイの弓矢と剣術は格段の進歩を遂げた。 ンマムイの兼グスクが 「シカーが来たわ」とミカが言った。 チヌムイは起き上がって様子を見た。シカーは橋の上でキョロキョロしていた。チヌムイは顔を出して手を振った。シカーが気づいて近寄って来た。 「的は今、保栄茂グスクにいます。あと シカーはそう言って、チヌムイに チヌムイはお礼を言って、 「シカーの思っていた通りになったな」と笑った。 「長かったです」とシカーはしみじみと言った。 シカーはチヌムイの母の父親であるブラゲー ブラゲー大主は古くから貝殻を扱っているウミンチュの親方で、祖父が山南王になった時、娘を側室として父に贈ったのだった。ブラゲー大主は貝殻が明国との交易に使われるようになって、かつての繁栄を取り戻したかのように大きな稼ぎを得るようになった。 娘が殺されたあと、ブラゲー大主は怒って、山南王との取り引きをやめて、先代の中山王と手を結んだ。今でもブラゲー大主の貝殻は、中山王によって明国に送られて喜ばれていた。シカーはブラゲー大主からチヌムイの敵討ちを助けるように命じられて、十二年間、ずっと、山南王の様子を探っていたのだった。 山南王はお忍びでよく出掛けていたが、いつも陰の護衛が十人前後付いていた。皆、凄腕の連中で手を出す事はできなかった。天の助けか、ようやく今回、絶好の機会が訪れた。この機会を逃せば、また十年はじっと我慢しなければならないだろう。 「親方も動きます」とシカーは言った。 「敵は必ず、俺が討ちます」とチヌムイは言った。 「わかっております。もし、敵が逃げ出した時に捕まえるために待機していると言っておりました」 「そうですか」 「二人のサムレーはかなりの使い手です。気を付けてください」 チヌムイはミカを見ながらうなづいた。 「絶対にはずさないわ」とミカは力強く言った。 「まもなく、的がやって来ます。邪魔者が現れないように、饒波橋を封鎖するので、念願を叶えてくれとの事です」 「そうか。お爺も近くにいるのだな」 シカーはうなづいた。 チヌムイとミカは前もって決めておいた場所に隠れて、弓矢を構えた。 三人の人影が近づいて来るのが見えた。どこでも見かける下級サムレーたちだった。誰が見ても山南王には見えない。楽しそうに話をしながら橋を渡って来る。以前にもこんな場面があったのをチヌムイは思い出した。あの時は危険だと言って止められた。あの時と今では武芸の腕に格段の違いがあった。 三人が橋を渡りきった。それが合図だった。 チヌムイは弓矢を放った。ミカも放った。 予想した通り、二本の弓矢は二人のサムレーの刀に払われた。二人のサムレーがシタルーを守るようにして、刀を構えて弓矢が飛んで来た方を見た。 第二の矢、第三の矢と弓矢は続けざまに飛んできた。第四の矢まではじかれたが、第五の矢が当たった。第六の矢、第七の矢、第八の矢も当たり、第九の矢でサムレーは倒れた。ミカが狙ったサムレーもほぼ同時に倒れた。 チヌムイもミカもこの日のために、弓矢の連射の稽古を長年積んで来たのだった。 「何者じゃ?」と刀を構えたシタルーが叫んだ。 チヌムイとミカはシタルーの前に姿を現した。 「わしが山南王と知っての襲撃か」 チヌムイは数本の矢が残った 「俺を覚えているか」とチヌムイは言った。 シタルーはチヌムイを見つめたがわからないようだった。 「サハチが送った刺客か」とシタルーは言った。 「サハチとは誰だ?」 「島添大里按司だよ」 「島添大里按司なんて関係ない。十二年前にお前に殺された女の息子だ」 「十二年前? わしは女など殺さない」 「嘘をつくな。俺の母親はお前の命令で首を刎ねられたんだ」 「あっ!」とシタルーは言った。 「お前はあの時の‥‥‥兄貴の倅か‥‥‥」 「やっと思い出したようだな。あれからずっと、母の敵を討つために生きて来たんだ」 「何という事じゃ。わしが母親の敵か‥‥‥恨むなら親父を恨め。お前の親父がさっさとグスクを明け渡さなかったから、お前の母親は犠牲になってしまったんじゃ」 「うるさい。正々堂々と勝負をしないで、人質を利用するなんて最低だ。何の罪もない母親を殺すなんて絶対に許さない。お前と正々堂々と勝負をして、俺は勝つ」 シタルーはふてぶてしい顔で笑った。 「わしはまだ死ぬわけにはいかんのじゃよ。勝負はしてやる。だが、死んでもわしを恨むなよ」 シタルーは右手に持っていた刀を構えた。身なりは貧しいサムレーだが、その刀は名刀のようだった。 チヌムイは刀の柄に右手を添えたまま、刀は抜かずにシタルーの動きをじっと見つめた。その刀は十二歳の時、父からもらった刀だった。父が祖父からもらった刀で 父はその時、シタルーを倒すために出陣して行った。シタルーを倒して山南王になるつもりだが、もし失敗に終わったら、お前がその刀でシタルーを必ず討てと父は言った。島添大里按司が中山王を殺して首里グスクを奪い取ってしまったため、父はシタルーを討ち取る事はできなかった。 「刀を抜け」とシタルーが言った。 「これが俺の構えだ。気にせずに掛かって来い」とチヌムイは言った。 ヂャンサンフォンから教わった呼吸法を毎日やっているお陰か、心が乱れる事はなく平常心を保つ事ができた。 シタルーは刀を振り上げて上段に構えた。刀を抜かないチヌムイを見て、抜き打ちをするつもりかと思った。先程の弓矢の連射といい、チヌムイの腕は相当なものに違いない。だが、チヌムイは戦の経験はない。真剣の勝負は初めてだろう。タブチには悪いが死んでもらわなければならなかった。 シタルーは刀を上段に構えたまま、チヌムイに近づいて行った。チヌムイを見ながらもミカにも目を配っていた。チヌムイを倒したあと、ミカの弓矢に気をつけなければならなかった。 踏み出した右足と同時に、シタルーはチヌムイの頭上目掛けて刀を振り下ろした。鋭い一撃だった。 チヌムイは右足を踏み出して、ぎりぎりの所でシタルーの一撃をよけた。 シタルーは振り下ろした刀を素早く返して、斜め左上に振り上げた。チヌムイは血しぶきを上げて倒れるはずだった。ところが、シタルーの刀よりもチヌムイの鞘から払われた刀の方が一瞬速かった。 血しぶきを上げたのはシタルーだった。シタルーの腹から血が勢いよく吹き出した。 信じられないといった顔で、シタルーはチヌムイを見つめたまま後ろへと倒れ込んだ。 シタルーの腹からどくどくと血が流れ出して、乾いていた地面が血で染まった。 シタルーは空を見上げながら何かを言ったが言葉にはならなかった。口から大量の血を吐き出すと、そのまま息を引き取った。 チヌムイはシタルーの死体を見下ろしながら、ついにやったと思ったが、うれしさは込み上げて来なかった。うれしさよりも、不安な気持ちでいっぱいになっていた。 敵は討った。しかし、相手は山南王だった。山南王を殺して、無事に済むはずがなかった。ミカを見ると、弓矢を持ったまま呆然とした顔で立ち尽くしていた。 シタルーの祖父はシタルーが生まれた時、すでに亡くなっていたが島尻大里按司だった。伯父が祖父の跡を継ぎ、従兄が伯父の跡を継いで、初めて山南王となり、 ぞろぞろと武器を持った人たちが現れた。祖父の配下のウミンチュたちだった。 「よくやった」と祖父のブラゲー大主がシタルーの死体を見下ろしながら言った。 「すげえなあ」と誰かが言った。 「あれが 「これからどうしたらいいのでしょう」とチヌムイは祖父に聞いた。 敵を討ってからの事を考えた事は一度もなかった。 「敵といってもお前の叔父さんじゃからのう。遺体を捨てて置くわけにもいくまい。遺体を持って帰って、親父にちゃんと話した方がいいじゃろう」と祖父は言った。 明国に行ってから父は変わってしまった。もう敵討ちなんかやめろと言った。明国に行く前、必ず、シタルーを倒して山南王になると言っていた父が、明国から帰って来たら、敵討ちなんかで大事な人生を無駄にするなと言い、毎年、明国に行くようになって、山南王になる事もすっかり忘れたようだった。 チヌムイも敵討ちの事は父に言わなくなって、姉のミカと二人だけで、敵討ちの機会を待っていた。姉といっても母親は違う。ミカの母親も側室で、チヌムイの母親が殺されたあと、チヌムイはミカと一緒に、ミカの母親に育てられた。ミカが チヌムイは叔父と二人のサムレーの遺体を荷車に乗せ、馬に引かせて八重瀬グスクに向かった。 東の空に少し欠けた満月が半ば雲に隠れて昇っていた。 |
兼グスク
饒波橋