察度の御神刀
夜が明ける前の早朝、華麗なお 「姉のために作ったお輿が、弟のために役に立つなんて思ってもいなかったのう」とサムレーは苦笑した。 頭を丸めたサムレーはタブチ(先代八重瀬按司)だった。昨夜、隠居を宣言して、侍女たちに手伝ってもらって髪を綺麗に剃っていた。 「お姉さんは一度もこれに乗らなかったわ」と 「 「お姉さん、十三の時に 「そうじゃな。ただ、わしとシタルーの事は心配していた。親父が 「チヌムイの母親を殺した時のシタルーは正気じゃなかったわ。山南王の座を手に入れるために、狂ってしまっていたのよ。きっと、シタルーも罪のないチヌムイの母親を殺してしまった事を、あとになって後悔したに違いないわ。シタルーはたった一つの過ちで、自分の命を縮めてしまったのよ」 「確かに、あの時のシタルーは狂っていた。魔が差したとでもいうのかのう」 「そうじゃないわ」と八重瀬ヌルは首を振った。 「山南王の座が、人を狂わせるのよ。このあと、シタルーの子供たちが家督争いを始めるかもしれないわ」 「まさか、そんな事はあるまい。タルムイが継ぐだろう」 八重瀬ヌルは首を振った。 「長男が継ぐとは限らないわ。シタルー自身が、弟でも山南王になれるっていう前例を作ってしまったのよ。山南王の座を巡って、子供たちが家督争いを始めるわ。長男のタルムイ( 「なに、また家督争いが始まると言うのか」とタブチは驚いた顔をして八重瀬ヌルを見た。 「シタルーは突然亡くなったので、遺書はないでしょう。タルムイが一番、有力だけど、山北王が家督争いに加わって来たら 少し明るくなってきた空を見上げながら、タブチは家督争いは何としてでも防がなければならないと思った。 島尻大里グスクに着くと、 西御門の しばらくして新垣大親は現れて、タブチの顔を見て驚いた。 「李白法師とはそなたの事だったのか」と言って、新垣大親はタブチの頭を見て笑った。 「隠居したんじゃよ」とタブチは言った。 「似合っておる。とうとう、そなたも隠居したか。それにしても、こんな早朝に、ここまで訪ねて来るなんて何かあったのか。ゆっくり話を聞きたい所じゃが、今はちょっと忙しいんじゃよ」 「わかっている」とタブチはうなづいて、お輿を示した。 「豪勢なお輿じゃのう。花嫁でも乗っているのか」 タブチは答えず、お輿のそばに行った。新垣大親は首を傾げながらタブチに従ってお輿に近づいた。 タブチがお輿のすだれを上げた。 白装束のシタルーが膝を曲げて、首をうなだれたまま座っていた。 「 「これは‥‥‥これは、一体、どうした事じゃ」 「ここでは目立ち過ぎる。中に入れてくれんか」 「そうじゃな」と新垣大親はうなづいて、御門番に命じて御門を開けさせ、タブチたちを中に入れた。 石垣で囲まれた タブチは新垣大親に事の成り行きを説明した。 「なに、そなたの倅が敵討ちをしたじゃと?」 「十二年前、山南王だった親父(汪英紫)が亡くなると、わしはここを占領した。そして、このグスクをシタルーに明け渡す時、わしの側室が一人殺された。その側室の倅が、母親の 「おう、そんな事があったのう。一番若い側室が首を 「なに、首を刎ねた奴が亡くなったのか」 「詳しい事は知らんが、 「そんな事があったのか‥‥‥」 「それで、そなたも倅の事は知っていたんじゃな」 「敵を討つために武芸の稽古に励んでいたのは知っていた。だが、シタルーが倅に討たれる事はあるまいと思っていた」 「確かにのう。今回は陰の護衛も付けずに出掛けて行った。わしも心配したんじゃが、凄腕の二人が付いて行けば大丈夫だろうと思っていたんじゃ。あの二人を弓矢で倒したなんて信じられん事じゃ。それで、これからどうするつもりなんじゃ?」 「わしがここに来たのは倅を助けるためじゃ。敵討ちとはいえ山南王を殺したんじゃから、ただでは済むまい。わしが倅の代わりに捕まるために、ここに来たんじゃ」 「なんと‥‥‥自ら捕まりに来たのか」 「すでに隠居もした。倅さえ助かれば、この世に未練はない」 新垣大親はタブチを見つめて、「わかった」とうなづいた。 タブチと新垣大親は同い年で、幼い頃に一緒に遊んで、共に武芸の稽古に励んだ仲だった。タブチが八重瀬按司になった時は、タブチを守るサムレーだったが、シタルーが シタルーは島尻大里グスクを守るために、重臣たちの本拠地に出城を築かせた。新垣大親も新垣にグスクを築いて、非番の時はそこにいた。三王同盟のあと、タブチの配下の タブチと八重瀬ヌルは客殿の中の一室に案内されて、そこで待たされた。 「弟の葬儀のあとに、お兄さんの葬儀をしたくはないわ」と八重瀬ヌルは言った。 「仕方あるまい。チヌムイを助けるには、わしが死ぬしかない」 「ここに来る前に、 「山南王の問題に中山王を関わらせてはならん。中山王が出て来れば、山北王も出て来る」 「重臣たちは、お兄さんがシタルーを殺した事にして、お兄さんを処刑するのかしら」 「それが一番無難かもしれんな。チヌムイの敵討ちを公表しようと思っていたが、そんな事をしたら、チヌムイはこの先、生きていけんかもしれんのう」 「息子たちや山南王に忠実だった家臣たちに命を狙われるわね」 「一生、逃げ回らなくてはならなくなってしまう。わしが殺した事にした方がいいのかもしれんのう」 タブチと八重瀬ヌルは椅子に座らされて、新垣大親に説明した事をもう一度、重臣たちに話した。 「八重瀬殿は息子さんが 「わしは昨日は 照屋大親はうなづいて、 「一応、確認させていただきます」 「チヌムイを助けてくれ」とタブチは言った。 「後先も考えず、ただ、母親の敵を討っただけなんじゃ。チヌムイの敵討ちは隠して、わしが殺した事にして、わしを罰してくれ」 照屋大親は首を振った。 「それはできません。チヌムイの敵討ちは公表しなければなりません。王様がチヌムイの母親を殺した事も公表します。そして、チヌムイの母親が殺される前の正常な状態に戻すのです」 「何じゃと?」とタブチは照屋大親が言った言葉に驚いた。まったく、予想外な事だった。 「親の跡を継ぐのは長男でなければならないと世間の者たちにはっきりと知らせるのです。弟が跡を継いでもいいと思わせてはなりません。亡くなられた王様のなされた事を先例として残してはならないのです。それが残ると、今後も家督争いが起こります」 「わしに山南王になれと言っているのか」とタブチは照屋大親に聞いた。 照屋大親はうなづいて、ほかの重臣たちもタブチを見てうなづいた。 タブチは信じられないといった顔で重臣たちの顔を見ていた。奇跡が起こったと八重瀬ヌルは思い、驚いた顔をしたまま神様に感謝をしていた。 「長男が跡を継ぐという理屈はわかるが、今更、元へは戻れまい」とタブチは言った。 「そんな事が公表されたらシタルーの息子たちが黙ってはおるまい。ところで、息子たちはグスク内にはおらんのか」 「朝早くから王様を捜しにお出掛けになられました」 「捜しても見つかるまい」とタブチは苦笑してから、 「タルムイに跡を継がせて、以後、長男が継ぐ事に決めればいいではないか」と言った。 「豊見グスク按司殿が山南王になれば、必ず、中山王が介入してくる事でしょう。それ以前に、父親を殺したチヌムイは勿論の事、八重瀬殿を初め、一族の者たちを皆、殺してしまうかもしれません」 「一族まではわからんが、わしとチヌムイは殺されるじゃろうな」 「チヌムイを助けるには、八重瀬殿が山南王になるしかないのです」 タブチは重臣たちを眺めながら、自分たちの保身のためではないかと思っていた。重臣たちは皆、自分の領地にグスクを持っていた。いわば、小さな按司のようなものだ。タルムイが山南王になって、中山王の介入で重臣たちが入れ替わり、領地を失う事を恐れているようだった。 波平大親が戻って来て、照屋大親に何かを告げた。 照屋大親は顔をしかめて、「困った事になった」と言った。 「 そう言って照屋大親は重臣たちを見回した。 「誰かが裏切って、王妃様に真相を知らせたらしい」 「王妃様はどこに行ったんじゃ?」とタブチは聞いた。 「豊見グスクじゃろう」 「タルムイの母親なんじゃな?」 「豊見グスク按司殿だけではありません。次男の兼グスク按司殿も、三男の保栄茂按司殿も、長嶺按司殿の チヌムイを守るためには山南王になって、タルムイたちと戦うよりほかに、いい方法は見つからなかった。しかし、山南王の座を手に入れるために、甥たちと戦をしたくはなかった。 「少し考えさせてくれ」とタブチは言った。 照屋大親はうなづいて、タブチと八重瀬ヌルをシタルーが使っていた山南王の執務室に案内した。 ふと懐かしい刀が目に入った。父の愛刀だった。タブチがここを出て行く時、シタルーのために残しておいたのだった。シタルーも大切に扱っていたようだ。 「お父さんの自慢の刀ね」と八重瀬ヌルが言った。 「 「えっ、そうだったのか」とタブチは妹に聞いた。 父親からそんな話は聞いた事もなかった。 「先代の八重瀬ヌルの叔母さんは、その刀は凄い刀だって言っていたわ。察度は若い頃、ヤマトゥ(日本)に行って、 「察度が盗んで来たのか」 「盗んだというよりも、その刀が察度に付いて行く事を選んだんだわ。その刀のお陰で、察度は浦添グスクを攻め落として、浦添按司になったのよ。そして、中山王になったわ」 「そんな大切な刀を察度は親父に贈ったのか」 「お父さんが八重瀬グスクを攻め落とした時、『見事じゃ』と褒められて、その刀を贈られたらしいわ。その時、お姉さんと察度の長男の 「ほう、そんな凄い刀だったのか」 タブチは改めて御神刀を見た。 「御神刀を持っていながら、どうして、シタルーはチヌムイに討たれたんじゃ?」 「飾っていただけで、身に付けなかったからでしょう」 タブチは八重瀬ヌルを見て、そして、御神刀を見ると、腰から自分の刀をはずして、御神刀と交換した。 八重瀬ヌルは笑ってうなづいた。 「これで、山南王になっても大丈夫よ。その刀がお兄さんを守ってくれるわ」 「わしが山南王になってもいいのじゃろうか」 タブチはまだ迷っていた。 「チヌムイのためにも、なるべきだわ。山南王にならなければ、お兄さんもチヌムイも殺されるし、それだけでは怒りが治まらない息子たちは、八重瀬の一族たちを皆殺しにするでしょう」 タブチは御神刀を抜いてみた。手入れはよく行き届いていて、吸い込まれそうな 刀を
朝早くウニタキ(三星大親)がやって来て、配下のアカーからの報告をサハチ(中山王世子、島添大里按司)は聞いていた。今朝早く、立派なお輿と一緒にタブチと八重瀬ヌルが島尻大里グスクに入ったという。 「タブチがどうして、朝っぱらから島尻大里グスクに行ったんだ?」 サハチにはタブチの行動が理解できなかった。 「わからん」とウニタキも首を傾げた。 「シタルーが山南王になってから、タブチは一度も島尻大里に近づいてはいない。タブチが朝早く、誰を連れて島尻大里グスクに行ったのかさっぱりわからんのだ」 サハチは唸って、「お輿に乗っているのは女か」と聞いた。 ウニタキはまた首を傾げた。 「かなり豪華なお輿らしい。タブチがそんなお輿を持っていたなんて信じられん。まさか、明国から持って来たのだろうか」 「昨日のシタルーの行方知れずと今朝のタブチの行動は関係あるのだろうか」 「それもわからんが、タブチは頭を丸めていたそうだ」 「なに? 隠居でもしたのか」 ウニタキは首を傾げて、「俺もちょっと調べてくる」と言って出て行った。 サハチがお茶を飲みながら考えていると、豊見グスク按司が来たと侍女が知らせた。通すように言って、サハチは一階の 山南王の行方不明は知らないといった顔で、「朝っぱらからどうしたんだ?」とサハチはタルムイに聞いた。 タルムイは父親の行方不明には触れずに、去年の サハチはいち早く、その計画を知る事ができて、未然に防ぐ事ができたと答えた。その事を恨んで、父に刺客を送りましたかとタルムイが聞いたので、サハチは首を振って、「ウミトゥクを悲しませたくないからな」と言った。 タルムイはうなづいて、「妹は元気ですか」と聞いた。 「 タルムイは笑って、忙しいからと言って帰って行った。後ろ姿を見送りながら、タルムイはどうして、シタルーの行方不明を隠したのだろう。もしかしたら、見つかったのかなとサハチは思った。 『山南王は敵討ちに遭って亡くなった。八重瀬按司の息子のチヌムイが母親の 「シタルーが殺されただと‥‥‥」とサハチは驚いて、「その噂は本当なのか」とウニタキに聞いた。 「噂を流しているのは 「ああ、貝殻を扱っているウミンチュの親方だろう」 「どうやら殺された側室の父親がブラゲー大主のようだ。ブラゲー大主は娘の敵を討つために、ずっと、チヌムイを助けていたらしい」 「なに、チヌムイはブラゲー大主の孫だったのか。しかし、あの時に殺された側室の息子がチヌムイだったなんて知らなかった」 「俺も気が付かなかった。 「タブチの側室が殺された時、幼い子供がいて、心に深い傷を負うだろうと思ったが、その事はすっかり忘れていた。チヌムイがンマムイ(兼グスク按司)のグスクに通って、武芸を習っているのは知っていたが、ただ、父親に似て武芸が好きなのだろうと思っただけで、詳しい事は調べなかった。まさか、敵討ちのために武芸を習っていたなんて、まったく知らなかった」 「チヌムイは姉の若ヌルと一緒に、ヂャンサンフォン(張三豊)殿の一か月の修行もやっているぞ」 「なに、チヌムイもヂャン師匠の弟子なのか」 サハチはうなづいて、「ンマムイが 「チヌムイは 「今、八重瀬グスクにいるのか」 「わからん。この噂を聞いたら、タルムイたちが八重瀬グスクを攻めるんじゃないのか」 「シタルーが殺されたなんて信じられんが、本当だったら戦が始まるな。タブチは八重瀬に帰ったのか」 「いや、まだ島尻大里グスクから出て来ないようだ」 「まさか、噂通りに山南王になるつもりなのか」 「それは何とも言えんが、今朝、タブチに従ってグスクに入ったお輿には、シタルーの遺体が入っていたのではないのか。昨日のシタルーの行動を調べたら、島尻大里から 「チヌムイはシタルーを待ち伏せしていたのか」 「ブラゲー大主のウミンチュたちがシタルーの居場所を常に調べていたのだろう」 「タブチはチヌムイの事を知っていたのだろうか」 「タブチに聞いてみない事にはわからんな。それより、戦が始まるぞ」 「そうだな。万一に備えて、 ウニタキはうなづくと出て行った。 「シタルーが死んだか‥‥‥」とサハチはつぶやき、昨夜の胸騒ぎはシタルーの事だったのかと思い当たった。 妹のマチルーがシタルーの長男のタルムイに嫁ぐ時、不安になったマチルーは馬天ヌルに相談した。馬天ヌルはシタルーの事をサハチのお友達だとマチルーに説明していた。年齢は十歳も年上だが、サハチにとってシタルーは永遠の友達だったのかもしれない。敵として戦い、命を狙われた事もあったが、シタルーの存在はサハチにとっては大きかった。 この先、シタルーとは戦わなければならないと思っていたのに、あっけなく亡くなってしまった。サハチは胸にぽっかりと穴が空いたような |
島尻大里グスク
島添大里グスク