王妃の思惑
「お前が何で、ここにいるんだ?」とサハチはンマムイに聞いた。 タブチから援軍依頼が届いて、それを知らせに来たら、東方の按司たちが集まっていたので、一緒に待っていたという。 「お前は東方ではないだろう。 「俺もそう思ったんだけど、タブチは東方だと思っているようなんで、それを確認に来たんです。俺はグスクを守っていればいいんですね?」 「今の所はな。今後の展開によっては、 ンマムイはうなづいて、「チヌムイがシタルーを倒したなんて驚きましたよ。真剣に修行を積んでいたけど、まさか、敵討ちのためだったなんて知らなかった。 「まだ、どこにいるのかわからんのだ」とサハチは言った。 「タブチは 「タブチは八重瀬ヌルだけを連れて、島尻大里に乗り込んだようです。その後、兵の移動はありませんから、八重瀬グスクは二百人の兵で守られているはずです。そう簡単には落ちないでしょう」 「それでタブチは八重瀬の救援ではなくて、 皆が知念按司の言葉に賛同した。 東方の按司たちにとって、タブチには世話になっているが、タルムイ(豊見グスク按司)とは縁がなかった。シタルー(山南王)は常に敵だったし、その息子が山南王になるより、タブチがなった方がいいと思うのは当然の事だった。 玉グスク按司の弟、 全員がタブチを応援しているのに、やめろとはサハチには言えなかった。やめさせる正統な理由は見つからなかった。 全員一致で、タブチに援軍を送る事に決まって、各自、 廊下に飾ってある水墨画を眺めながら、「わしも隠居しようかのう」と知念按司がサハチに言った。 「玉グスク按司が亡くなって、垣花按司は隠居したんじゃよ。わしらの時代は終わったと言っておった。わしも今回の戦は倅に任せる事にしよう」 知念按司は手を振ると帰って行った。知念按司が見ていた水墨画には、山奥の渓流で釣りをしている老人の姿が描いてあった。 サハチはサグルーと会って状況を説明して、戦の準備をさせた。
八重瀬グスクを攻めていた兼グスク按司(ジャナムイ)、 日が暮れる前、家が燃えやすいように、長嶺按司の兵が 空き家になっている城下に敵が隠れていたなんて、思いもよらない事だった。長嶺按司は改めて城下の家々を確認させ、火を掛けようとした時、突然、雨が勢いよく降ってきた。 「燃やさなくてよかったのかもしれんぞ」と瀬長按司が言った。 「どうせ、この城下はわしらのものになる。燃やしたら再建が大変じゃ」 「しかし、前回、城下を燃やしたら、グスク内にいる者たちが騒ぎ出して、グスクは落ちました。今回もその手で行こうと思ったのです」と長嶺按司が言った。 「その手を使うのはまだ早い。 一晩中降っていた雨は翌朝にはやんでいた。 雨宿りに飛び込んだ空き家の その日、豊見グスクで山南王の葬儀が行なわれた。兼グスク按司と長嶺按司は、八重瀬グスクの包囲陣を瀬長按司に任せて豊見グスクに向かった。島添大里にも知らせが届いて、サハチは行かなかったが、 葬儀から帰って来たウミトゥクは、久し振りに母親に会えたのは嬉しかったけど、父親が亡くなったなんて、今でも信じられないと言った。それと、もう一つ信じられない話を聞いたと言った。 「わたしたちの読み書きのお師匠なんですけど、久し振りにお会いしてお話を聞きました。去年の十月に、二人の娘さんを亡くしてしまったと嘆いていました。なかなか話してはくれませんでしたが、山南王の秘密のお仕事で、島添大里で亡くなったと言いました。わたしには信じられませんでしたが、本当なのでしょうか」 「去年の十月? 娘の名前はわかるのか」とサハチはウミトゥクに聞いた。 「アミーとユーナです」 「何だと? ウミトゥクは二人を知っているのか」 「幼馴染みです」 「そうだったのか‥‥‥」 サハチは驚いた顔でウミトゥクを見ていた。アミーの父親はシタルーの護衛役だった。当然、シタルーの娘のウミトゥクは知っているだろう。その娘とも親しかったのかもしれない。今まで、どうして気づかなかったのだろう。 「二人は何をしようとして殺されたのですか」とウミトゥクはサハチに聞いた。 「二人は俺を助けてくれたんだよ」とサハチは言った。 「えっ?」とウミトゥクはわけがわからないと言った顔でサハチを見ていた。 「二人は無事だ。生きている。生きている事がわかると山南王に殺されるので隠れているんだ。山南王は亡くなった。もう出て来ても大丈夫だろう」 「本当に、二人は生きているのですか」 サハチはうなづいた。 「どうして、父がアミーとユーナを殺すのですか」 アミーが 「そんな事があったなんて‥‥‥」 ウミトゥクは目を丸くしてサハチを見つめて、信じられないというように首を振った。アミーが 「アミーはその時の借りを返してくれたんだよ」 「父を裏切って、 「二人は俺の命の恩人だよ」 「ユーナが島添大里グスクの女子サムレーだったなんて驚きました。あたし、何度か、佐敷ヌル様のお屋敷に行った事がありますけど、ユーナに会った事はありません」 「ユーナは山南王の 「もし、会ってもわからなかったかもしれないわね。あたしが知っているユーナはまだ十二歳だったもの。でも、どうして、アミーは刺客になって、ユーナは間者になったのでしょう」 「わからんが、父親が動けなくなってしまって、父親の代わりに頑張ろうと思ったんじゃないのかな」 ウミトゥクはうなづいて、「二人に会いたいわ」と言った。 「もうすぐ、会えるだろう」 サハチはウミトゥクからアミーとユーナの事を聞いた。 ウミトゥクのお師匠は シタルーが明国に留学した時は、中程大親も護衛役として一緒に明国まで行き、シタルーを 中程大親は男の子に恵まれなかった。それでも、アミーは武芸の才能があり、アミーも武芸の稽古をするのが好きだった。ウミトゥクもそんなアミーを見て、自分もやろうと思ったが、あまりにも厳しい修行なので、自分には無理だと諦めた。 山南王だった祖父が亡くなって、父と伯父のタブチが争いを始め、その時の戦で、中程大親は足に怪我をしてしまった。何とか歩く事はできるが走る事はできない。護衛役を引退して、子供たちに読み書きを教えるお師匠になった。ウミトゥクがお嫁に行く時、アミーとユーナは家族と一緒に島尻大里の城下で暮らしていた。その後の二人の事はまったく知らない。二人ともサムレーの妻になって幸せに暮らしていると思っていた。中程大親は三年前に豊見グスクの城下に移って、若按司の指導をしているという。 「戻って来たら、ユーナを手登根の女子サムレーに迎えます」とウミトゥクは言った。 サハチは笑って、「島添大里の女子サムレーたちもユーナが戻って来るのを待っているよ」と言った。 「そうなんですか。みんなから好かれていたのですね。それじゃあ、アミーをいただきます」 「アミーはキラマの島で若い娘たちを鍛えているのが楽しいと言っていたよ」 「アミーらしいわね。あたしも佐敷にお嫁に来る前、アミーから剣術と弓矢を教わったのです。今思えば、アミーと一緒にお稽古を続けていたら、もっと強くなっていましたね」 ウミトゥクは軽く笑ったあと、真顔になって、 「それで、戦が始まるのですね」と聞いた。 サハチはうなづいて、「クルーは留守だがグスクを守ってくれ」と言った。 「かしこまりました」とウミトゥクは力強くうなづいた。 いつの間にか、ウミトゥクも立派な ウミトゥクは帰って行った。父親の死よりもアミーとユーナの死の方が、ウミトゥクには衝撃だったようだ。そして、クルーの妻として、何をやるべきかをちゃんと心得ていた。
シタルーの葬儀の次の日、戦は再開した。 タルムイが 豊見グスクにいる王妃は石屋のテハを使って、島尻大里の城下に噂を流させた。タルムイが攻めて来た時、グスク内に避難した人たちは城下に戻って状況を見守っていた。戦は糸満川の周辺だけだと少し安心して、いつもの生活に戻っていた。 石屋によって流された噂は、『 タブチはその噂を聞いて驚き、王印がなくなっている事に初めて気づいた。王印がなければ山南王として進貢はできなかった。何としてでも取り戻さなくてはならなかった。 王印を取り戻すのは難しかった。警戒厳重な豊見グスクに忍び込む事はできないだろう。 ふと、タブチはシタルーに贈った側室のカニーを思い出した。八重瀬に帰したのだが、若ヌルがいないと言って、侍女を連れて、また戻って来ていた。敵が攻めて来た時、八重瀬グスクには入らず、隠れながら逃げて来たという。 若ヌルのミカはチヌムイと一緒にブラゲー大主に預けてあるが、今、どこにいるのかタブチも知らなかった。居場所を調べるから待っていろと言って、以前に使っていた カニーも二人の侍女もミカの弟子だった。ミカが女子サムレーを作ると言って鍛えていた娘たちの中から三人を選んで、シタルーのもとに送ったのだった。刺客を務めるほどの腕はないが、王妃に近づく事はできるはずだった。八重瀬に帰ったが、グスクは敵に囲まれていて入れないので、王妃を頼って来たと言えば豊見グスクに入れてくれるだろう。どうして、島尻大里に帰らないのかと聞かれたら、山南王を殺したタブチを恨んでいると言えば何とかなるだろうと思った。 タブチは御内原に行って、カニーと会い、重大な指令を与えた。
「山南の王妃もやるのう」と 「とっさの時に、王印を持ち出すなんて、よく思いついたものじゃ」 「王妃は察度の娘ですから、王印の重要さを心得ていたのでしょう」とファイチが言った。 来月の進貢船が中止になったので、ファイチも腰を落ち着け、龍天閣に滞在して、戦の成り行きを見守っていた。 「タブチは今頃、大慌てじゃろうな。山南王になっても王印がなければ、進貢船が出せんからのう」 「そろそろ四月に送った進貢船が帰って来る頃です。その船をどっちが奪い取るかで、今後の状況は変わります。ヤマトゥの商人たちと取り引きができる方が本当の山南王と言えるでしょう」とファイチは言った。 サハチは絵地図を見ながら考え込んでいた。 「王妃が言う事も一理ありますね」とサハチは言った。 「何も、島尻大里グスクにこだわる事はないのです。中山王が 「何じゃと?」と思紹が驚いた顔でサハチを見た。 「王妃は島尻大里グスクの事は、すでに棄てに掛かっているようです。王妃が今、攻めているのは照屋グスクと糸満グスクです。糸満の港を手に入れようとしているのです。港さえ抑えれば交易ができます。たとえ、領地が狭くても交易さえできれば、のちになって按司たちは付いてきます。交易ができないタブチは皆から見捨てられるでしょう」 「成程のう」と思紹はうなづいたが、「しかし、照屋グスクと糸満グスクを落とすのは簡単ではないぞ」と言った。 「長期戦になったとしても、戦をしているので、糸満の港は使えません。ヤマトゥの商人たちは皆、国場川に集まって来るでしょう。豊見グスクは交易ができます」 「そうか。焦って落とす必要もないわけじゃな」 思紹は唸って、「凄い事を考えるもんじゃのう。察度の娘だけあって、恐るべき 「王妃がそのまま、山南の女王になればいいんじゃないですか」とファイチが言った。 「女王か。そいつは面白い」と思紹は楽しそうに笑った。 サハチも笑いながら、王妃は凄い女だと思っていた。サハチは今まで一度もシタルーの妻に会った事はなかった。シタルーからも妻の事は聞いた事がない。もしかしたら、王妃はシタルーの陰の軍師として、シタルーを支えてきたのではないかと思った。 「何か動きがあったのか」と思紹が聞いた。 「特に動きはありませんが、八重瀬グスクを包囲している兵たちが下痢に悩まされているようです」 「悪い物でも食ったのか」と思紹が聞いた。 「それはわかりませんが、戦をしているのか、 「何じゃと?」 「 十二年前、八重瀬グスクが敵兵に囲まれた時、新グスクは出城として数人の兵が守っているだけだったが、今はタブチの三男が新グスク大親を名乗って、五十人前後の兵を持っていた。その兵が 「阿波根グスクと保栄茂グスクはどんな状況じゃ?」 「阿波根グスクは 「粟島の兵がタルムイ側に付いたのか。やはり、王妃は知っていたようじゃのう。タブチにとっては計算外じゃろうな」と絵地図を見ながら思紹が言った。 「照屋グスクは 「長嶺グスクの様子はどうです?」とサハチは聞いた。 「陣地作りに励んでいます。東方の大グスク攻めの時にファイチ殿が考えた高い 「タブチは島尻大里の兵は使ってはいないのですね?」とサハチは奥間大親に聞いた。 「島尻大里グスクには三百の兵がいると思いますが、動いてはいません」 「糸満川を越えて、糸満、照屋、大グスクを攻めているタルムイの兵が危険だな」とサハチは言った。 「夜襲でも掛けるか」と思紹が言った。 「それは阿波根グスクと保栄茂グスクを攻めているタブチの兵も同じです。豊見グスクの兵は動いていません」とファイチは言った。 「豊見グスクにも粟島の兵が加わって三百はいるかもしれません」と奥間大親が言った。 「今夜が ファイチが期待した見物は起きなかった。夕方、糸満グスク、照屋グスク、大グスクを包囲していたタルムイ軍は撤収して、糸満川を渡って |
照屋グスク
島尻大里グスクの出城の大グスク
阿波根グスク
保栄茂グスク