山北王の出陣
「按司は逃げたのか」と湧川大主は聞いた。 使者は首を振った。 「殺されたものと思われます。船も敵に奪われたようです」 「どうして、そんな事になったんだ? 御所殿はどこから島に戻ったんだ?」 「わかりません」 「ヤマトゥに行った船が帰って来たのか」 「ヤマトゥに行った船は見当たりませんので、まだ帰って来ていないようです」 奄美按司は鬼界島に新年の挨拶をするために使者を送った。しかし、その使者は帰って来なかった。おかしいと思って、ウミンチュに扮した者に探らせた。すると、御所殿が戻っていて、山北王の兵は一人もいなかったという。 「信じられん。二百の兵が全滅したというのか」 「詳しい事はまったくわかりません」 湧川大主は怒りが込み上げて来るのを必死に抑えていた。 御所殿は 湧川大主は城下にある『薩摩館』に向かった。島津家の使者に鬼界島と取り引きしているかどうか聞いたが、していないと言った。 二百人の兵を倒すには、少なくとも二百人の兵が必要だ。二百人の兵の移動をすれば、島津家の者が知らないはずはなかった。薩摩からではなく、 湧川大主は『五島館』に行って、五島の者に聞いてみたが、鬼界島と取り引きはしていないと言った。壱岐島の事も聞いてみたが、鬼界島と取り引きをしている者なんて聞いた事がない。もしかしたら、博多の商人じゃないのかと言った。 今帰仁グスクに戻ると、「浮島まで行って、鬼界島の者がいるかどうか調べてくる」と湧川大主は山北王に言った。 「わざわざ、お前が行く必要もない。油屋に任せればいいだろう」と山北王は言った。 「鬼界島の奴らを許せんのだ。按司を殺して、二百人の兵を殺した。来年こそは全滅にしてやる」 「確かに許せん奴らだ。しかし、今、鬼界島に行く事はできん。お前が浮島に行って、鬼界島の者たちに会ってどうするつもりだ。浮島で戦をするのか」 「戦はせん。青鬼だか赤鬼だか知らんが、背の高い奴がいるはずなんだ」 「そいつと会うのか」 「どんな奴か見るだけだ」 山北王は笑った。 「見るだけのために浮島まで行ってどうする。南部の戦はタルムイが勝つだろう。結局、 「わかりました」と湧川大主は渋々うなづいて、「来年、三百の兵を率いて、梅雨が明ける前に鬼界島に向かいます」と言った。 「三百か‥‥‥」と山北王は少し考えてから、「いいだろう」とうなづいた。
勝連は若按司のジルーが大将としてやって来た。久し振りに会ったが、たくましい若武者になっていた。サハチは父親のサムが妻のマチルーを連れて、佐敷にやって来た時の事を思い出した。あの時のサムと雰囲気が似ていた。 「親父は留守番か」とサハチはジルーに聞いた。 「親父は俺に留守番しろと言ったのですが、俺が頼んで出て来ました。今帰仁を攻める前に サハチはうなづいた。 「張り切っているようだが、決して無理はするなよ。大将は兵たちの命を預かっている。慎重に状況を把握してから行動に移せ」 ジルーは顔付きを引き締めて、「かしこまりました」とうなづいた。 越来も若按司のサンルーが来た。サンルーはチューマチ(ミーグスク大親)と一緒にヤマトゥ旅に行っていた。面影が祖父の 「中グスク按司は 浦添も若按司のクサンルーが来た。クサンルーはサハチと一緒にヤマトゥに行き、マウシと一緒に 中グスク按司のムタと桑江大親はサハチの義弟だった。ムタはマチルギの弟で、桑江大親の妻はマチルギの妹のウトゥだった。 「マナミーの嫁ぎ先を間違ってしまったようだ。まだ半年も経たないのにこんな事になってしまった。すまなかった」とサハチはムタに謝った。 「いいえ。 「祖父が山南王になってしまったので、マルクも簡単には降伏しないとは思うが、必ず助けて、米須按司にしてやってくれ。無理に攻める事はない。グスクを包囲して、 ムタはうなづいた。 今帰仁合戦を経験している桑江大親には、若い二人の後見役として、焦らずにやってくれと頼んだ。 総大将は 喜屋武グスクは先代の島尻大里ヌルが留守番をしているので開城してくれるだろう。喜屋武グスクを開城したあと、ンマムイは思紹の指示によって、他のグスクの攻撃に加わる。手ごわそうなのは山グスクだった。唯一、按司がいた。グスク内には 無精庵が怪我人の治療をするために玻名グスクに行くと言った時、クレーは通訳として一緒に行けと思紹から命じられた。クレーも一度ヤマトゥ旅をしただけなので、ヤマトゥ言葉を完全に理解しているわけではないが、護衛も兼ねて一緒に旅をしていた。正月に玻名グスクに来てから、二人は米須の城下に行った。米須で病人たちの治療をしていたら、山グスクの子供が急病だから来てくれと言われて山グスクに行き、子供が起き上がれるようになるまでいてくれと頼まれて、今も山グスクにいた。
その日の夕方、山グスク按司が島尻大里グスクを包囲している 山グスク按司は 陸路で伝令を送っても石屋のテハに捕まってしまうので、海路を使って伝令を送った。ウミンチュに扮した伝令は大グスクにいる 山グスク按司の矢文が島尻大里グスクの 戦が終わった戦場には敵味方の兵、二百人余りが倒れていた。共に百人余りの犠牲者を出していた。他魯毎の兵たちは味方の兵を回収して、敵兵は島尻大里グスクの大御門の前に集めて、グスク内に回収させた。
その夜、ウニタキが 「山グスク按司もなかなかやるのう。外にいる兵たちを集めて総攻撃を掛けたか」と思紹が言った。 「山グスク按司の叔父は武術師範の 「そうか。山グスク按司の嫁さんは誰だか知っているか」 「 「伊敷按司は摩文仁の娘婿だったな。寝返りそうもないな」 「それでも、山グスクの若按司の妻は他魯毎のサムレー大将になった 「成程な、サムレー大将同士で姻戚関係になったというわけじゃな。その線で説得するか。しかし、山グスク按司のお陰で面倒な事になったのう。米須グスクに米須按司が戻ったら、簡単には降伏しないじゃろう」 「中座按司も玻名グスクに攻めて来そうですね」とサハチは言った。 「新垣按司と 「その二人は 「 「成程のう。三人の隠居たちだけでは役人たちも動かんか」 「 「米蔵が焼けて、兵糧はどれだけあるんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。 「詳しい事はわからんが、 「二か月というと三月の半ば頃じゃな」 「玻名グスクの方が先に落ちそうです」とサハチは思紹に言った。 翌日、中山王の兵たちは敵地を目指して出陣して行った。 サハチが玻名グスクに行くと、ヂャンサンフォン(張三豊)が兵たちに サグルーに聞くと三日前にササが連れて来たという。グスク攻めが続いてから一か月余りが経って、そろそろ疲れが出て来る頃だから、ちょっと変わった事をさせれば気分転換になると言って武当拳を教え始めたらしい。兵たちも喜んで武当拳の指導を受けて、士気も以前よりも高まったようだった。 「ササが四人の娘を連れて来て、みんな、弟子だと言っていました。四人の若ヌルを育てるなんて驚きましたよ」とサグルーは言った。 「俺も驚いた」とサハチは笑った。 「興味のある事しかしないササが、若ヌルの指導なんてやるはずがないと思っていた。どうやら、 「ササが大事にしている、あのガーラダマを若ヌルに譲ってしまうのですか」 「ササはやがては馬天ヌルを継ぐ。馬天ヌルのガーラダマはササが持っているガーラダマと同じように貴重な物なんだよ。ところで、ササたちはすぐに帰ったのか」 「ササとシンシンとナナがヂャンサンフォン殿と一緒に武当拳の模範試合をしました。素早い動きに皆、驚いていました。それを見て、みんなが身に付けたいと思って、真剣に稽古に励んでいるのです。四人の娘たちも目を丸くして見入っていました。あの娘たちもササに鍛えられたら、立派なヌルになるでしょう。 「そうか」とサハチはうなづいてサグルーと別れると、本陣になっている屋敷に行って サハチは中山王が介入した事を告げると、絵地図を見ながら、誰がどこを攻めているのかを教えて、明日、山北王の兵も来るだろうと言った。 「いよいよ、山北王が出て来ましたか。勿論、他魯毎側に付くんでしょう?」と佐敷大親が聞いた。 「来てみない事にはわからんが、今の状況で摩文仁に付いても、山北王には何の得もない。他魯毎に恩を売って、やがては 「島尻大里グスク内にいた按司たちが皆、出て行ってしまって、他魯毎としても山北王の力を借りなくては島尻大里グスクを攻め落とせないでしょう」と平田大親は言った。 「新垣按司と真栄里按司が邪魔をしそうだな」と言ってサハチは絵地図を見た。 中山王にはまだ兵の余裕があった。首里に待機している兵もいるし、八重瀬按司の兵も今回は出陣していない。新垣グスクは中山王に任せた方がいいのではないかと思った。 サハチは顔を上げると、「玻名グスクの兵糧はまだ充分にありそうか」と聞いた。 「炊き出しの様子ではまだ充分にありそうです」と佐敷大親が答えた。 「中にいる 「何もしないでいるのは疲れると見えて、グスクの中で仕事をしています。鍛冶屋は無理ですが、木地屋は木と 「敵兵の様子はどうだ?」 「かなり疲れているようです。交替で休んでいますが、グスク内には百人の兵が休める場所はありません。上の者たちはサムレー屋敷で休みますが、下の者たちは避難民たちと一緒に屋根のない所で休んでいます。最近、冷え込んできていますから、まともに眠る事もできないでしょう」 「そうか。あともう少しといった所だな」 サハチは本陣から出ると 櫓から下りるとサハチはヂャンサンフォンに挨拶をして、本陣に戻った。
本拠地に戻った新垣按司は真栄里按司と相談して、山北王が来る前に、島尻大里グスクを包囲している他魯毎の兵たちを追い払おうと総攻撃を計画した。前日の戦で負傷した兵も多く、他の按司たちは乗り気ではなかった。それでも、山北王が来てタルムイ側に付いてしまえば、わしらに勝ち目はない。今こそ決戦をしなければならないと説得して、兵を集めた。しかし、集まったのは三百人足らずの兵だった。 玻名グスク、米須グスク、山グスク、波平グスクは中山王の兵に包囲されていて身動きができない。北の大グスクでも百人余りしか集まらなかった。他魯毎は戦死した兵を補充したので八百の兵で包囲している。そこに半数の兵で攻め込んでも戦死者が出るばかりで勝ち目はなかった。新垣按司と真栄里按司は総攻撃を諦めて、兵たちを本拠地に返した。 「終わりじゃな」と新垣按司は溜め息をついた。 「これからどうするつもりなんじゃ。わしらもタブチと同じようにグスクと一緒に焼け落ちるのか」と真栄里按司は皮肉っぽく笑った。 「生き残る道を考えなくてはならんな」 「敵に降参するのか」 「先々代が亡くなったあと、重臣たちは皆、タブチの味方をした。先代がタブチに勝って山南王になった時、わしの親父が全責任を取って処刑され、ほかの重臣たちは助かった。今回も誰か一人が責任を取れば大丈夫じゃろう」 「誰が責任を取るんじゃ?」 「今も摩文仁の側に仕えている者に決まっておるじゃろう」 「波平按司か」 新垣按司はニヤッと笑ってうなづいた。
正月十五日、山北王の兵三百人が 山北王の意向は、他魯毎を山南王にさせて、その後、新たに同盟を結び、他魯毎の妹と婚約している若按司のミンを山南王の 「何だって、ミンを山南王の世子だって?」 テーラーは驚いて、開いた口が塞がらなかった。 「ミンは山北王の世子だろう。それを山南王の世子にするなんて考えられん」 「 「先の事?」 「山南王は今回の戦で、重臣たちが争って、他魯毎が勝ったとしても、重臣の数が足らないでしょう。王様は若按司を 「ほう。山北王がそんな凄い事を考えたのか」とテーラーは感心した。 「ここだけの話ですが、そんな奇抜な事を考えるのは湧川大主殿ですよ」と諸喜田大主は言った。 「成程な。ジルータなら考えそうだな」とテーラーは笑った。 「秘策があります」と言って諸喜田大主はテーラーに折りたたんだ紙を渡した。 紙を開くと、六つの車が付いた荷車に太い丸太が積んであり、荷車には屋根まで付いていた。 「何だ、これは?」 「この屋根は敵の弓矢や石つぶてを防ぎます。この丸太はグスクの 「成程、これを作って御門を破るのだな?」 諸喜田大主はうなづいた。 「リュウイン(劉瑛)殿のお考えです。明国ではそのような車を使ってグスクを攻めるそうです」 「よし、さっそく作らせよう」とテーラーは言って、「これで島尻大里グスクは落ちたも同然だな」と楽しそうに笑った。
その日、ンマムイが兵を率いて玻名グスクにやって来た。 「喜屋武グスクはどうした?」とサハチが聞くと、 「島尻大里ヌルがすぐに開城してくれました。そこまではよかったのですが‥‥‥」と言ってンマムイは口ごもった。 「どうした? 何か起こったのか」 「 「ああ、ヌルと結ばれる相手の事だろう」 「そうです。島尻大里ヌルのマレビト神が誰だか知っていますか」 「いや、未だに独りでいるんだから現れなかったのだろう」 ンマムイは首を振って、「それがいたのです。なんとヤタルー師匠だったのです」と驚いた顔をして言った。 「なに、ヤタルー師匠?」 ンマムイはうなづいた。 「二人が出会ったのは十二年も前です。お互いに一目惚れしたそうです。でも、二人は結ばれませんでした。島尻大里ヌルは山南王の妹で、ヤタルー師匠にとって、雲の上のような存在です。十二年の間、お互いに相手が好きなのに胸の奥にずっとしまっておいたようなのです。喜屋武グスクで会った二人はお互いに見つめ合って、島尻大里ヌルは、『あなたが来てくれるのを待っていました』と言ったのです。ヤタルー師匠は、『御無事でよかった』と言って、島尻大里ヌルの手を取って泣きそうな顔をしていました。もう、見ていられないと俺たちは二人を残して、ここに来たのです」 「島尻大里ヌルとヤタルー師匠か‥‥‥」 サハチは幸せそうな二人を想像して、島尻大里ヌルに幸せになってもらいたいと本心から思っていた。 |
首里グスク
島尻大里グスク
玻名グスク