沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







山グスク




 米須(くみし)グスクは予想外な展開で開城となった。

 敵陣に突っ込んで行った米須按司の行動は不可解だったが、若按司の話から、ああなった経緯はわかった。

 物見櫓(ものみやぐら)の上で若按司と喧嘩をした按司は、重臣たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう)を開いた。山南王(さんなんおう)になった父上(摩文仁)に従うか、それとも、八重瀬(えーじ)グスク、具志頭(ぐしちゃん)グスク、玻名(はな)グスクまでも奪い取った中山王(ちゅうさんおう)(思紹)に従うのか、重臣たちと話し合った。摩文仁(まぶい)に従う按司派と中山王に従う若按司派に分かれた。

 米須が生き残るには中山王に従うより道はないと言う者が多かった。お前たちは父上を見捨てる気なのかと按司は怒って、自分に従う者たちを率いて突撃に出たという。敵陣を突破して、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入って、父上の山南王と最後まで戦うと言って出て行ったが戦死してしまった。

「どうして、あんな無茶な事をしたのか理解できません」と若按司は言った。

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)にもわからなかった。たとえ、米須グスクの包囲陣を突破できたとしても、島尻大里グスクは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵と山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵に包囲されている。三十人ばかりの兵でその包囲陣に突っ込んでも無駄死にするとしか思えなかった。包囲陣の手薄な真壁(まかび)グスクに行くつもりだったのだろうか。

 その夜、サハチ、(かに)グスク按司(ンマムイ)、中グスク按司(ムタ)、越来(ぐいく)若按司(サンルー)は米須の重臣たちと今後の事を話し合った。山南王になった摩文仁は島尻大里グスクにいるが、すでに隠居した身なので、今後、どのような事になろうとも米須の事には口出しはさせないと誓って、若按司を按司にする事に決まり、以前のごとく、東方(あがりかた)の按司として中山王に従うと約束してくれた。

 重臣の中に代々サムレー大将を務めている石原大主(いさらうふぬし)という武将がいた。摩文仁と同い年で、七歳の時に浦添(うらしい)から米須に来た摩文仁と一緒に育った。摩文仁は七歳の時から按司で、石原大主は摩文仁を助けるようにと幼い頃から言われていたという。

「カジムイは『山南王』という魔物に取り憑かれてしまったようじゃ」と石原大主は言った。

「摩文仁殿の童名(わらびなー)はカジムイというのですか」とサハチは聞いた。

(かじ)じゃよ。兄(武寧)は(ふに)で、弟(越来按司)は(ふし)じゃ。みんな、航海に関係する名前なんじゃ。察度(さとぅ)(先々代中山王)殿は船旅が好きだったようじゃな。いつも、冷静に周りの状況を見て動いていたカジムイが、山南王になったら周りの状況など見えなくなってしまったようじゃ。八重瀬殿(タブチ)が不可能じゃと言って抜けたのに、カジムイは山南王の座にしがみついてしまった。カジムイの嫁さんは山南王の妹だったので、山南王の座を取り戻したかったのかもしれん。気持ちはわかるが、山南王の座に目がくらんで、周りが見えなくなってしまった。情けない事じゃ。米須を守るには、カジムイを見捨てるしかあるまいのう」

「亡くなった米須殿ですが、ああするよりほかなかったのでしょうか」

「あいつも可哀想な奴なんじゃよ。ジャナという祖父(察度)の名を付けられたため、何をしても祖父と比べられるんじゃ。あいつも一生懸命やっていたんじゃが、祖父にかなうわけがない。それでも、カジムイが隠居して出て行って、按司になってからは張り切っていた。だが、戦が起きてしまった。ジャナはどうも戦の指揮が苦手なようじゃ。豊見(とぅゆみ)グスク攻めの時も判断を誤って多くの兵を死なせてしまったんじゃよ。戦のあと、思い詰めていたようじゃ。自分は按司には向いていないと気づいたのかもしれん。嫁のマナミーを連れて物見櫓に登って、撤収しなければマナミーを殺すと言った時には驚いた。あんな事をする奴ではなかったんじゃ。追い詰められて、とうとう狂ってしまったかとわしは思った。マルクが物見櫓に登ってマナミーを助けて、親子喧嘩となった。今となってはわからんが、わしはジャナがマルクを試したのかもしれんと思っておる。マルクがマナミーを助けに来るかどうかをな。もし、助けに来なかったら、本当にマナミーを殺したかもしれん。しかし、マルクはマナミーを助けに来て、親父を非難した。親父がもっとも傷つく言葉でな。『それでも、察度の孫ですか』とマルクは言ったんじゃ。しかし、息子からそう言われたジャナは嬉しかったのかもしれん。米須の事はマルクに任せて大丈夫だと確信したんじゃろう。ジャナは自ら悪役を買って出たんじゃよ。今後の災いを取り除くために、マルクに反対する者たちを道連れにして敵陣に突入して行ったんじゃよ」

 いつの間にか、若按司が来ていて話を聞いていた。

「そうだったのですか‥‥‥」と若按司は目を潤ませていた。

 翌日、あとの事は中グスク按司に任せて、サハチは報告のために八重瀬グスクに向かった。



 三月三日の久高島(くだかじま)参詣は中止となり、サハチは山グスクにいた。山グスクは苗代大親(なーしるうふや)が率いる首里(すい)の兵百人、外間親方(ふかまうやかた)が率いる首里の兵百人、勝連(かちりん)若按司(ジルー)が率いる勝連の兵百人、小谷之子(うくくぬしぃ)が率いる島添大里の兵百人、米須から移動して来たンマムイが率いる兼グスクの兵百人、計五百人の兵が包囲していた。

 山グスクの兵力は百人前後だが、樹木(きぎ)が生い茂った森の中にあるグスクなので、地の利を利用して、ちょくちょく攻撃に出て来て、手ごわい相手だった。

 山グスク攻めの本陣は山グスクの東側の丘の上にあり、石垣で囲まれていて小さなグスクのようだった。小屋が二つ建っていて、一つが大将たちの小屋で、もう一つは兵糧(ひょうろう)の蔵になっていた。小屋の中に苗代大親と勝連若按司、ンマムイがいた。

師兄(シージォン)のお出ましですか。師兄が現れると何かが起こるような気がします」とンマムイが言った。

「何かが起こったら、また活躍してくれ」とサハチはンマムイの肩をたたいた。

「任せてください」とンマムイはとぼけた顔をして言った。

「どんな具合ですか」とサハチは苗代大親に聞いた。

「山グスク按司(真壁按司の弟)は油断のならない相手じゃ」と苗代大親は笑って、ウニタキ(三星大親)が描いた山グスクの絵図を見せた。

「ウニタキから聞いたんじゃが、山グスク按司は以前、島尻大里のサムレー大将を務めていて、普請(ふしん)中の首里グスクの警備をしていたらしい。その時、シタルー(先代山南王)からグスク造りを学んだようじゃ。シタルーから何を教わったのかは知らんが、こんな所によくグスクを築いたものじゃ。崖の上にあるグスクは誰でも考えそうなグスクじゃが、崖の下にもグスクを築いておる。しかも、崖の下には大きな岩がゴロゴロとあるんじゃが、それをうまく利用しているんじゃ。攻めるのは容易な事ではない」

 サハチが絵図を見ると、崖の上のグスクには三つの曲輪(くるわ)があって、下のグスクには二つの曲輪があった。下のグスクの大御門(うふうじょー)(正門)は二の曲輪の東側にあるが、大御門の前に大きな岩があって、その上にも敵兵がいるので、大御門に近づく事はできない。崖下の一の曲輪の西側にも御門(うじょう)があるが、ここも御門の前にいくつも岩があって近づけなかった。さらにグスクの北側に巨大な岩があって、その上に見張りがいて、こちらの動きはすべて見られてしまう。

 上のグスクの大御門は東曲輪(あがりくるわ)の南側にある。屋敷は東曲輪と中央の曲輪にもあって、普段は東曲輪の屋敷で暮らしているらしい。東曲輪の東側に下のグスクとをつなぐ坂道がある。その坂道も岩に囲まれていて近づくのは難しい。井戸(かー)は下のグスクにあって、上のグスクにはないので、下のグスクを攻め取れば、上のグスクは干乾しになるが、下のグスクを攻め取るのは難しい。

「最近になってわかったんじゃが、中座按司(なかざあじ)(玻名グスク按司の弟)も山グスクにいるようじゃ」と苗代大親が言った。

「中座按司が?」とサハチは驚いた。

「島尻大里グスクから出たのはいいが、今度はここに閉じ込められてしまったようじゃな」

 中座按司が玻名グスクの包囲陣を攻めて来なかったので、おかしいと思っていたが、山グスクにいたとは知らなかった。

「中座按司も以前は島尻大里のサムレーで、山グスク按司の配下だったようじゃ。山グスク按司の力を借りて玻名グスクを攻めるつもりだったんじゃろう」

「中座グスクには誰もいませんでしたが、妻や子はどうしたんでしょうね」とサハチは聞いた。

「ウニタキから聞いたんじゃが、中座按司の妻は真栄里大親(めーざとぅうふや)の娘らしい。子供を連れて真栄里に帰ったのかもしれんな」

「玻名グスクを奪われた中座按司が一緒にいるとなると、かなり抵抗しそうですね」

「そうじゃな」と苗代大親はうなづいた。

 ここを本陣にしている苗代大親たちは下のグスクを攻めていて、西にある本陣にいる外間親方と小谷之子が上のグスクを攻めているという。

 サハチはンマムイと一緒に西の本陣に向かった。苗代大親が言った通り、大きな岩がゴロゴロしていた。その岩の上に敵兵がいるので側に近づけず、兵たちはかなり遠巻きにグスクを包囲していた。

「師兄、あの上からグスク内が見えます」とンマムイが言って、右側に見える大岩を指差した。

 サハチが見ると岩の上に味方の兵の姿があった。サハチとンマムイは縄梯子(なわばしご)を登って岩の上に行った。

 岩と石垣に囲まれたグスク内がよく見えた。下のグスクには避難民たちがいるようだ。グスクの手前の右側に、この岩よりも大きな岩があって、その上に敵兵が十人近くいるのが見えた。弓矢の届く距離だったが、弓矢を撃っては来なかった。

「ここに見張りを置いた当初は弓矢の撃ち合いがあったようです」とンマムイが言った。

「お互いに楯で防いだので、大した損害もなく、弓矢を交換するだけなので、お互いに攻撃するのをやめたようです」

「成程な」とサハチは並べられた楯を見た。敵の弓矢が刺さった跡がいくつも残っていた。

 その巨大な岩が邪魔をしていて、一の曲輪はよく見えなかった。一の曲輪の先に切り立った崖があって、その上に上のグスクがあるようだ。崖の上に石垣は見えるが、屋敷の屋根とかは見えなかった。

「あそこに大御門があります」とンマムイは巨大な岩と反対側を指差した。

 大御門の前にも大きな岩がいくつもあって、その上に敵兵がいた。

「夜になると奴らはあそこから外に出て、俺たちの兵に夜襲を仕掛けてきます。何とか防ぎたいのですが、大御門の近くまで行けないのでどうしようもありません」

 自然の岩をうまく利用した凄いグスクだった。

「あの大岩の向こう側にも一の曲輪の御門があって、そこも岩に囲まれていて近づけません」

「岩の上にいる敵を何とかしなくてはならんな」とサハチは巨大な岩の上にいる敵兵を見た。

「岩に登ろうとすると別の岩から狙い撃ちされます。すでに十数人がやられています」

「そうか」とサハチはうなづいて、岩があちこちにある風景を眺めながら武当山(ウーダンシャン)を思い出していた。ここは武術の修行の場にふさわしいような気がした。

 見張りの兵たちをねぎらうとサハチはンマムイと一緒に岩から下りた。

 西の本陣は山グスクから三丁(約三百メートル)ほど離れた丘の上にあった。ここも石垣で囲まれていて、小屋が二つあった。小屋の中に外間親方がいた。

 サハチを見ると驚いて立ち上がり、

「わざわざお越しになったのですか」と恐縮した。

「強敵らしいな」とサハチは言った。

 外間親方は厳しい顔付きでうなづいた。

「守りは堅く、長期戦になりそうです」

「山グスク按司は上のグスクにいるのか」とサハチは聞いた。

「います。家族も皆、上にいます。無精庵(ぶしょうあん)殿とクレーも無事です」

「そうか、無事か。あの二人は何としてでも助け出さなくてはならん」

 外間親方はうなづいた。

「上のグスクは下のように大岩はないのですが、高い石垣に守られていて近づけません。敵の兵糧が尽きるのを待つしかないようです」

 サハチはンマムイと一緒に上のグスクの様子を見に行った。西の本陣と尾根続きにあるグスクの西側は高い石垣になっていた。包囲陣の陣地に物見櫓が立っていたので登ってみた。

 西曲輪(いりくるわ)と中央の曲輪内は見えたが、東曲輪は見えなかった。石垣の上はかなり広くなっていて、敵兵が何人もいた。西曲輪にサムレー屋敷があって、中央の曲輪に按司の屋敷らしいのが見えた。石垣は飛び出した所が三か所あって、石垣に近づく敵を横から狙えるように造られてあった。サハチはグスクを造った事はないが、見事なグスクだと思った。これだけのグスクが造れる山グスク按司を、できれば味方に引き入れたいと思った。

 サハチとンマムイは物見櫓を下りて、包囲陣の後ろを通ってグスクの南側に行った。東曲輪にある大御門の前にも物見櫓が立っていて、サハチとンマムイは登ってみた。

 東曲輪内がよく見えた。奥の方に立派な屋敷があって、その脇にも屋敷があり、その横には大きな岩があって、岩の上に数人の兵がいた。その岩の右側にも屋敷があった。中央の曲輪に建っている屋敷も立派な屋敷だった。中央の屋敷が按司の屋敷で、東曲輪の屋敷は家族たちが住む御内原(うーちばる)かもしれない。東曲輪の庭で子供たちと遊んでいるヌルらしい人影が見えた。

「ヌルがいるのか」とサハチはンマムイに聞いた。

「息子が熱を出した時、真壁ヌルと名嘉真(なかま)ヌルを呼んだようです。名嘉真ヌルは山グスク按司の伯母で先代の真壁ヌルです。どういうわけか、慶留(ぎる)ヌルの子供を預かっていて、一緒に連れて来ています」

「慶留ヌルは島尻大里グスクにいるはずだな」

「そう聞いています。熱を出した息子を治すために呼ばれた無精庵殿とクレーはあの屋敷にいるようです」とンマムイは岩の右側にある屋敷を指差した。

「閉じ込められているのか」とサハチは聞いた。

「いえ、お客様として大切にされているようです。負傷兵の治療もしています」

「そうか」とサハチは言って、無精庵と中山王の関係がばれなければいいがと心配した。

 物見櫓から下りて、サハチが東の本陣に戻ろうとしたら、

「ウニタキ師兄はこっちにいます」とンマムイが西の方を示した。

奥間(うくま)のサタルーたちも一緒です」

 サハチはンマムイの案内でウニタキのいる所に向かった。西の本陣よりさらに西に行った丘の上に小さなグスクがあって、ウニタキはいた。

「こんな離れた所で何をしているんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。

「ここから南に行くと海に出る。そこに凄い崖があるんだ。そこで崖をよじ登る稽古をしているんだよ」

「下のグスクにある、あの大岩を登るつもりなのか」

「下のグスクを攻め落とすには、あの大岩を攻め取るしかない」

「ほかの岩から狙い撃ちにされるのだろう」

「いや」とウニタキは首を振って笑って、「順番があるんだ」と言った。

「何の順番だ?」

「攻め取る岩の順番さ。あの大岩を見張っている岩は四か所ある。大岩の西側にある二つの岩は西側から登れば攻撃される事はない。まず、その二つの岩を落とす。それから、大岩を北側から登って攻め取る。大岩を攻め取れば、そこからグスク内に潜入できる」

「いつ、決行するつもりなんだ?」

「十五日だ。十五日は阿弥陀(あみだ)様の縁日だそうだ。辰阿弥(しんあみ)に来てもらって『念仏踊り(にんぶちうどぅい)』をやってもらう」

「どうして総攻撃の日に念仏踊りをやるんだ?」

「敵を油断させるためさ」とウニタキは笑ってから、鉄でできた八寸(約二十四センチ)ほどの杭を見せた。

「これを打ち込んで足場にして大岩を登るんだ。杭を打てば音が出る。その音を消すために念仏踊りの太鼓と(かね)の音が必要なんだよ」

「太鼓と鉦の音に合わせて杭を打つのか」

「そういう事だ。敵もそろそろ戦に飽きている。大岩の上から念仏踊りを眺めているだろう。気がつくまい」

「サタルーも大岩に登るのか」

「登る事は登るが足場ができてからだ。足場を造るのは『赤丸党』の者たちだ。玻名グスクをもらったお礼をしなくてはならんと奴らは張り切っている。奴らに任せる事にしたんだ。下のグスクを攻め落としたあと、上のグスクに潜入するのは俺の配下の者たちだ」

「上のグスクはどうやって潜入するんだ?」

「同じやり方さ。下のグスクからあの崖をよじ登る」

「なに、あの崖を登るのか」

「敵の攻撃はないし、多少、音がしても上まで聞こえまい。下のグスクでお祝いの念仏踊りをしてもいい」

「敵の兵糧は尽きそうもないのか」

「まだ一月半だからな。あと一月は余裕で持ちそうだ」

 サハチはウニタキと一緒に海辺の崖に行った。ンマムイはあまりさぼると苗代大親に怒られそうだと言って帰って行った。

 『赤丸党』の者たちが命綱をつけて、杭を打ちながら険しい崖を登っていた。海からの風が強く、なかなか大変のようだった。



 それから五日後、サハチは八重瀬グスクの本陣に行って、波平(はんじゃ)グスクの様子を思紹(ししょう)(中山王)に話した。波平グスクは山グスクの北、米須グスクの西にあり、李仲(りーぢょん)グスクの近くにあった。丘の上にあるグスクを浦添の若按司(クサンルー)と北谷按司(ちゃたんあじ)が攻めていた。波平按司は島尻大里グスクにいて、若按司が守っていた。

 波平グスクは特に重要なグスクではないので包囲するだけで、攻める必要はないとサハチは浦添若按司と北谷按司に命じた。

「波平グスクは島尻大里グスクが落ちれば降伏するじゃろう」と思紹は絵地図を見ながら言った。

「北谷按司も浦添の若按司も包囲しているだけで、戦ができないと言って嘆いていましたよ」

「今回は戦の雰囲気を味わえばいい。今帰仁(なきじん)攻めの時に充分に活躍してもらう」

「いよいよ、あと二年になりましたね」

「そうじゃな。まさか、シタルー(先代山南王)とタブチ(先々代八重瀬按司)がいなくなるなんて思ってもみなかったのう」

「シタルーの死が突然でしたからね。シタルーの死によって、南部の状況がすっかり変わってしまいました」

 思紹はうなづいて、「先の事はどうなるかわからん。あともう少しじゃ。気を抜かずに頑張ろう」と言った。

 戦の本陣とはいえ、思紹は首里グスクから出られて、今の状況を楽しんでいた。一の曲輪の普請現場に行って、屋敷造りを眺めたり、時には八重瀬の兵たちを鍛えていた。八重瀬の兵たちはマタルーが与那原大親(ゆなばるうふや)になった時に、キラマ(慶良間)の島から来た者たちで、思紹が鍛えた若者たちだった。当時の思い出を語りながらサムレー屋敷で兵たちと酒盛りをしたりしていた。

 サハチは思紹と別れると城下に向かった。大通りを歩いていたら、ササたちが賑やかにやって来た。愛洲(あいす)ジルーたちも一緒にいた。

「旅から帰って来たか」とサハチは笑って、ササたちを迎えた。

「琉球はいい所です。旅をしてよかった」と愛洲ジルーは言った。

「充分に楽しんでいってください」と愛洲ジルーたちに言ったあと、「ルクルジルー(早田六郎次郎)はどうした?」とサハチはササに聞いた。

馬天浜(ばてぃんはま)に帰って行ったわ。ジルーたちにも帰れって言ったのに、帰らないでここまでついて来たのよ」

 ササが愛洲ジルーを見る目が変わっていた。以前はジルー様と呼んでいたのに、ジルーと呼び捨てだった。旅の途中で何かがあって、愛洲ジルーはササのマレビト神ではなくなったのだろうか。二人がうまく行けばいいと思っていたのに、今度もササの早とちりだったようだ。

 サハチはササたちを連れて、城下にある屋敷に向かった。

「ここは誰のお屋敷なの?」とササが聞いた。

「ここは以前、チヌムイと若ヌル母子(おやこ)が暮らしていたんだ」

「チヌムイはグスクじゃなくて城下にいたの?」とササは驚いた。

「そうらしいな。若ヌルの母親は二人を追って久米島(くみじま)に行った。今はタブチの側室だったミミが二人の子供と暮らしているんだ。奥間から贈られた側室でな、玻名グスクの城下に移ったらどうかと言おうと思って訪ねたんだよ」

 庭で二人の子供が遊んでいた。突然、大勢の人が訪ねて来たので、驚いて屋敷の中に入って行った。しばらくして、ミミが子供たちと一緒に現れた。

按司様(あじぬめー)」と言ってミミは驚き、ササたちを見た。

 サハチは皆を紹介して、縁側に腰を下ろした。四人の若ヌルたちは子供たちと遊んでいた。ササは愛洲ジルーたちに八重瀬グスクの事を説明していた。サハチは玻名グスクの事をミミに話した。

「あの子たちはもう按司の子供ではありません。今後の事を思うと、ここの城下で暮らした方がいいような気がします」

「城下で暮らすと言っても食うためには何かをしなければなるまい」

「ここで、子供たちに読み書きを教えようと思っております」

「読み書きのお師匠か」とサハチは言ってうなづき、「それはいいかもしれんな」と賛成した。

「玻名グスクは奥間の拠点になる。何か困った事があったら玻名グスクに行けばいい。懐かしい顔に会えるかもしれんぞ」

「わかりました。一度、挨拶に行って参ります」

 ミミが入れてくれたお茶を飲みながらサハチはササの旅の話を聞いた。ヤンバル(琉球北部)の辺戸岬(ふぃるみさき)まで行って来たという。

「古いウタキ(御嶽)は見つかったのか」とサハチはササに聞いた。

「見つかったわ。古いウタキは皆、安須森(あしむい)と関係があったわ。ヤマトゥンチュ(日本人)のウタキもあったのよ。唐の国に行ったヤマトゥンチュが嵐に遭って琉球に流されて、ウミンチュ(漁師)に助けられて、その地で亡くなったみたい。今帰仁(なきじん)のクボーヌムイ(クボー御嶽)でアキシノ様(初代今帰仁ヌル)と再会して、ユンヌ姫様が誘って、一緒に旅をしたのよ。小松の中将(くまちぬちゅうじょう)様(初代今帰仁按司)はまたヤマトゥ(日本)に行ったらしいわ」

 ササは急に思い出したらしく、

「按司様、驚かないでね」と言った。

英祖(えいそ)様が倒した義本(ぎふん)(舜天の孫)のウタキが安須森の(ふもと)にあったのよ」

「何だって? どうして、そんな所にあるんだ?」

「英祖様に追われてヤンバルまで逃げて行ったみたい。安須森が滅ぼされてから百年近く経っていて、あそこにはアフリヌルだけが住んでいたの。義本はアフリヌルと出会って幸せに暮らしたみたい。英祖様の事はもう恨んではいないと言ったわ。可愛い娘が生まれて、その娘がカミーの御先祖様なのよ」

「なに、カミーには義本の血が流れているのか」

「そうみたい。義本の血といえば、舜天(しゅんてぃん)様の血よ。そして、舜天様にはサスカサの血が流れているわ」

「そうか。カミーは舜天様の子孫だったのか」

「ねえ、今から玻名グスクに行きましょう」とササが言った。

 ササがミミを誘って、みんなで玻名グスクへ向かった。





米須グスク



波平グスク



山グスク




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