ミャーク
ササたちを石垣に囲まれた クマラパは元の国が滅びる時の騒乱に巻き込まれて命を狙われ、十歳違いの妹、フォーヤオを連れて琉球に逃げて行った。 津堅島に来たクマラパとフォーヤオは琉球の言葉を学びながら平和な時を過ごしていた。フォーヤオはみんなから可愛がられて、チルカマという名前で呼ばれた。津堅島に来た時、十三歳だったチルカマも年頃になって、島の男たちに騒がれるようになった。すると仲のよかった娘たちがチルカマを嫉妬するようになって、チルカマは家に閉じこもるようになってしまった。 そろそろ津堅島を離れた方がいいかもしれないとクマラパは思って、カルーに相談した。カルーがミャーク(宮古島)という南の島に行くと聞いて、一緒に行く事に決め、ミャークにやって来たのだった。 カルーはクマラパ兄妹をミャークに連れて行った五年後、泉州からの帰りに ミャークに来た翌年、チルカマは その年、明国の福州から家族を連れて逃げて来た商人が 十年間、大浦にいたクマラパは旅に出て、各地の有力者たちを訪ねた。不思議な術を使う男としてクマラパの名は有名になっていて、有力者たちも歓迎してくれた。 ミャークに来て十七年が経った時、クマラパは狩俣で女按司のマズマラーと出会った。ヌルでもあるマズマラーは霊力も高く、クマラパと気が合った。居心地がいいので、狩俣に落ち着いて三十年余りが経ったという。 マズマラーは女按司だけあって、威厳のある人だった。美しい顔をしているが、目付きは鋭く、男たちにも恐れられているようだった。年の頃はササの母親、 マズマラーも琉球の言葉がしゃべれた。クマラパから教わり、神様からも教わったという。 「大きな 「三十年前にひどい戦があったのよ」とマズマラーは顔をしかめた。 「倭寇じゃった」とクマラパが言った。 「わしが元の国にいた頃、倭寇が元の国の沿岸を荒らし回っていたんじゃ。反乱を起こした 「平家がミャークにも来ていたのですか」と 「平家も来ておるし、藤原氏も来ておるよ。なぜか、源氏の話は聞かんのう。佐田大人の奴らは南部の 「すると、その目黒盛という人がミャークの王様なのですか」と安須森ヌルが聞いた。 クマラパは笑った。 「王様ではないのう。だが、 「琉球に来た 「ああ、健在じゃ。与那覇勢頭は目黒盛豊見親の重臣で、目黒盛の命令で琉球に行ったんじゃよ。佐田大人との戦で大怪我をしたんじゃが、見事に役目を果たして琉球に行って来たんじゃ」 与那覇勢頭に会いたいと言ったら、クマラパは会わせてやると約束してくれた。 ササたちはクマラパとマズマラーにお礼を言って別れ、 ササたちは順調よと言って、ミャークに無事に着いたお祝いの 翌日、 ササたちが小舟に乗って白浜に上陸すると、クマラパが娘のタマミガを連れて待っていた。クマラパがウミンチュ(漁師)たちに頼んで小舟を出してくれたので、最低限の船乗りたちを残して、皆がミャークに上陸した。 タマミガはササより二つ年上で、琉球の言葉が話せた。ササがお母さんの跡を継ぐのねと聞いたら、ヌルの跡は継ぐけど、按司は兄が継ぐだろうと言った。昔は女の按司が多かったけど、だんだんと男の按司が多くなってきたと言ってタマミガは笑った。 ササはクマラパとタマミガにみんなを紹介した。若ヌルたちは砂浜で 「明国の拳術ではないのか」とササに聞いた。 「武当拳です」 「武当拳といえばヂャンサンフォン(張三豊)殿が編み出した拳術ではないか。どうして、武当拳を身に付けているんじゃ」 「わたしたちは皆、ヂャンサンフォン様の弟子なのです」 「なに、どういう事じゃ? ヂャンサンフォン殿が琉球にいるというのか」 ササはうなづいた。 クマラパは驚いたあと、 「そうじゃったのか」と一人で納得したようにうなづいた。 「わしは若い頃、 琉球に行ったのは、その時ではないと言おうとしたが、説明が長くなるので、ササはやめた。 「刀を差しているので、剣術はできそうだと思っていたが、武当拳までやるとは恐れ入ったのう」 若ヌルたちは タマミガはシンシンが明国から来た事を知ると、しきりに明国の事を聞いていた。父親の故郷に興味があるようだった。 ほとんど平らな島だが、左の方に山らしいのが見えたのでササはクマラパに聞いた。 「あの山は 「あとで連れて行って下さい」とササは言った。 クマラパは笑ってうなづいた。 「大嶽按司の長男は戦を嫌って 「この辺りにもグスクはあったのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「この辺りは 「妹さんは無事だったのですか」 「無事じゃった。わしに夫と息子の そう言ってクマラパは楽しそうに笑った。 しばらく行くと小高い丘の上に集落があって、その先に石垣で囲まれたグスクが見えた。それほど大きなグスクではなかった。 「 「ミャークではグスクの事をスクと呼んでいるんじゃよ。按司の事はアズじゃ。昔はティダとか 「三十年前の戦の時も、与那覇勢頭様はここを守っていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「守っていた。佐田大人が来る二年前に琉球の進貢船がミャークに来たんじゃよ。嵐に遭って流されて来たらしい。進貢船の大きさにミャークの者たちは皆、驚いた。目黒盛は琉球が明国と交易をしている事を知って、琉球に行かなければならないと思ったんじゃ。そして、与那覇勢頭、当時はマサクと呼ばれていたが、マサクをこのグスクに入れて、白浜で船を造らせたんじゃよ。船造りは グスクの 男はクマラパを笑顔で迎えた。クマラパが与那覇勢頭だとササたちに教えた。 与那覇勢頭は五十代半ばくらいで、 「中山王の 「与那覇勢頭様が琉球に行った頃は、中山王は 「首里?」と与那覇勢頭は首を傾げたが、「 「そうです。首里天閣はもうありませんが、あそこに首里グスクができて、その城下が都になったのです」 「ほう、そうだったのですか。 与那覇勢頭は当時を思い出していたようだが、ササたちを歓迎して屋敷に入れてくれた。通された 「 「琉球との取り引きをやめてから、ヤマトゥの商品を手に入れるためにターカウまで行ったのです。倭寇の拠点だと聞いていたので、捕まってしまう恐れもあったのですが思い切って行ってみたのです。クマラパ殿も一緒に行ってくれました。 「ミャークから何を持って行くのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「シビグァー(タカラガイ)、ヤクゲー(ヤコウガイ)、ガラサーガーミー(タイマイ)の甲羅、ザン(ジュゴン)の干し肉と 「南蛮の商品もあるのですか」と安須森ヌルは驚いてササたちを見た。 「野崎按司が南蛮と取り引きをしています。ターカウの南にトンド(マニラ)という国があります。野崎のアコーダティ 「すると、琉球に行っていた時も南蛮の商品を持って行ったのですか」 「勿論です。中山王の察度殿は喜んでくれました」 「それなのに、どうして琉球に行かなくなったのですか」 「詳しい事は知りませんが、察度殿は若い頃にヤマトゥに行った事があるらしくて、船乗りの気持ちをよくわかってくれました。遠くからよく来てくれたと歓迎してくれたのです。しかし、察度殿が亡くなって、跡を継いだ武寧はわしらを見下したような目で見て、わしらの事は家臣たちに任せっきりで、わしらに会おうともしなかったのです。船乗りたちがあんな男のために危険を冒してまで琉球に行く必要はないと言い出して、行くのをやめてしまったのですよ」 「そうだったのですか。察度様で思い出しましたが、察度様から刀をいただきませんでしたか」 「見事な刀をいただきました。目黒盛殿が大切にしているはずです」 「話は変わりますが、古いウタキはどこにありますか。ミャークに来た事を神様に挨拶しなければなりません」とササが言った。 「古いウタキと言えば 与那覇勢頭が馬を用意してくれたので、馬に乗って漲水ウタキに向かった。景色を眺めながらゆっくりと行ったが ウプンマは三十代半ばくらいのヌルで、七歳くらいの娘と庭で遊んでいた。ササたちを見ても驚くわけでもなく、歓迎してくれた。 漲水のウプンマは琉球の言葉がしゃべれた。琉球に行ったのですかと聞いたら、神様から教わったのよと言って笑った。 男たちはヌルの屋敷で待っていてもらった。ササたちは刀を預けて、森の裏にある海辺で ササたちはウプンマと一緒にお祈りを捧げた。神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。お祈りを終えたあと、ヌルの屋敷に戻って、ウプンマから神様の事を聞いた。 南の国からやって来たコイツヌとコイタマという夫婦の神様を祀っている。二人はこの辺りに住んでいる人たちの御先祖様だけど、詳しい事はわからないという。アマミキヨ様の事を聞いたが、ウプンマは知らなかった。 ウプンマと別れて、ササたちは根間グスクに行って目黒盛豊見親と会った。 目黒盛は与那覇勢頭より三つくらい年上で、大将という貫禄があった。目の上に目立つ黒いアザがあったが、決して醜くなく、なにか特別な人という感じがした。 言葉が通じないので、与那覇勢頭の通訳で話をした。目黒盛はササたちが滞在する屋敷を用意してくれ、昼食も用意してくれた。今晩、歓迎の宴を開くので、それまでゆっくりしていてくれと言った。 日が暮れるまで、まだたっぷりと時間があるので、ササたちはクマラパの案内で野崎に向かった。トンドの国と取り引きをしているというのが気になっていた。 「今は根間が都のように栄えているが、以前は野崎が一番栄えていたんじゃよ」とクマラパが馬に揺られながら言った。 「トンドの国に行ったというアコーダティ勢頭様を御存じですか」と安須森ヌルが聞いた。 「よく知っておるよ。奴は若い頃、ウプラタス按司のグスクに出入りしていたんじゃ。その頃、わしもウプラタスにいたんで、奴に明国の話をしてやった。奴は興味を持って、いつか必ず、明国に行くと言って、明国の言葉を学び始めたんじゃ。十八歳の時、奴は小舟に乗って明国を目指したんじゃよ」 「小舟で明国に行ったのですか」と安須森ヌルは驚いた。 「残念ながら明国には行けなかったんじゃ。ドゥナン(与那国島)まで行って引き返して来たんじゃよ。ドゥナンの者に小舟では 野崎は港の周りに発達した集落で、家々も多く建ち並んでいて賑やかな所だった。アコーダティ勢頭の屋敷は海の近くにあった。屋敷の周りには田んぼが広がっていて、稲穂が伸びていた。 「 「アコーダティ勢頭がトンドから持って来て植えたんじゃよ。もう少ししたら稲穂が赤くなる。アコーは赤い穂の事で、ダティは里の事じゃ。いつしか、この辺りはアコーダティと呼ばれるようになったんじゃよ」 アコーダティ勢頭は白髪頭の老人だったが、体格のいい海の男だった。琉球から来たというと、遠くからよく来てくれたと歓迎してくれた。アコーダティ勢頭は明国の言葉はしゃべれるが、琉球の言葉もヤマトゥ言葉もしゃべれなかった。シンシンが通訳をして、トンドの国の事を聞いた。 トンドには広州の海賊が来て、明国の商品を持って来る。 「今は二人とも琉球にいます」とササが言うと、アコーダティ勢頭は知っているというようにうなづいた。 ササたちの歓迎の宴にアコーダティ勢頭と野崎按司も招待されたようで、一緒に根間に向かった。 城下の屋敷に帰ると、玻名グスクヌルと若ヌルたち、マグジ(河合孫次郎)、女子サムレーのミーカナとアヤーが待っていた。目黒盛の家臣が白浜まで迎えに来たという。船乗りたちは白浜に残っているが、近所の女たちが炊き出しをしているので心配ないと言った。 |
与那覇スク
根間スク
漲水ウタキ
野崎