沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







漲水のウプンマ




 昨夜(ゆうべ)、『目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)』が開いてくれた歓迎の(うたげ)で遅くまでお酒を飲んでいたのに、『ミャーク(宮古島)』に来て心が弾んでいるのか、翌朝、ササ(運玉森ヌル)は早くに目が覚めた。まだ夜が明ける前で、外は薄暗かった。

 空を見上げて、『ユンヌ姫』と『アキシノ』を呼んだが返事はなかった。無事に『ミャーク』に着けたお礼を言おうと思ったのに、どこに行ったのだろう。ササは首を傾げると、縁側に座り込んでヂャンサンフォン(張三豊)の呼吸法を始めた。

 静かに座りながら、改めて神様たちに感謝をした。祖父の『サミガー大主(うふぬし)』を知っている人が『ミャーク』にいるなんて思ってもいなかった。亡くなってからも助けてくれる祖父に大いに感謝した。

 シンシン(杏杏)とナナが起きてきて、ササの隣りに座って静座を始めた。ササは二人に気づくと笑った。

「『漲水(ぴゃるみず)のウプンマ』が来たわ」とナナが言った。

 ササが目を開くと、娘を連れたウプンマの姿が見えた。頭の上に水桶を乗せていた。ウプンマは水桶を下ろすと、挨拶をして近づいて来た。

「昨日はごめんなさいね。琉球(沖縄本島)の王様(うしゅがなしめー)の娘さんだって聞いたので、きっと名前だけのヌルだと思ったの。昨夜の宴であなたたちのお話を聞いて、『神様』の事を調べるためにヤマトゥ(日本)まで行ったと知って驚いたわ。わたしも『ミャークの神様』の事は色々と調べたのよ。でも、わからない事が多くて、あなたたちから教えてもらおうと思ってやって来たの。今は水汲みの途中なんだけど、また、お伺いしてもよろしいかしら」

「わたしたちこそ、教えてもらいたいですよ」とササは言って、ウプンマを縁側に迎えた。

「琉球の神様の『アマミキヨ様』は南の国(ふぇーぬくに)から琉球に来ました。それで、ミャークにも『アマミキヨ様』の痕跡が残っていないか調べに来たのです」

「『アマミキヨ様』のお名前は『狩俣(かずまた)の神様』から聞きました。『アマミキヨ様の一族』が『赤崎』に上陸して、その近くで暮らしていたようです」

「『赤崎』ってどこですか」とササは目の色を変えて聞いた。

南の方(ふぇーぬかた)です。わたしも『赤崎のウタキ(御嶽)』に行って神様の声を聞きましたが、その神様は『アマミキヨ様の一族』ではありませんでした。その神様がおっしゃるには一千年以上も前に、『大きな津波』がやって来て、『アマミキヨ様の一族』は全滅したそうです」

「何ですって‥‥‥」

 ササは驚いてウプンマの顔をじっと見つめていた。シンシンとナナも驚いていた。

「多分、その時の『大津波』で『漲水のウタキ』もやられたのだと思います。あそこに祀られている『コイツヌ様』と『コイタマ様』もどこか南の国からやって来たのだと思いますが、子孫たちは全滅してしまったのです。名前だけは伝えられていますが、詳しい事を知っている人は皆、亡くなってしまったのです」

「という事は、今、『ミャーク』に住んでいる人たちの御先祖様は、その『大津波』のあとにやって来た人たちなのですね?」とナナが聞いた。

「そうだと思います」

「『赤崎』にいらっしゃる神様は、どこから来られた神様なのですか」とササは聞いた。

「『池間島(いきゃま)』です。池間島には『ウパルズ様』という神様がいらっしゃいます。その娘さんが『赤崎』と『漲水』と『百名(ぴゃんな)(東平安名)』を守っています」

「『ウパルズ様』というのは、『ネノハ姫様』と関係あるのですか」とササが聞いたら、ウプンマは驚いた顔をして、

「どうして、『ネノハ姫様』を御存じなのですか」と聞いた。

「『大神島(うがんじま)の神様』から『ネノハ姫様』の事は聞きました。『ネノハ姫様』は琉球から来た神様です」

「そうなのですか」とウプンマは首を傾げてから、「『ウパルズ様』は『ネノハ姫様』の娘さんです」と言った。

「えっ!」とササは驚いて、大きく息を吐いた。

 『ウムトゥ姫(ネノハ姫)』が『イシャナギ島(石垣島)』に行く前に娘を産んで、その娘が『池間島の神様』になって、孫娘たちが『ミャークの神様』になっていたなんて驚きだった。ウムトゥ姫の娘の『ウパルズ』に会いに行かなければならないとササは思った。

「『ネノハ姫様』が琉球から来られた事は知らなかったけど、『狩俣の神様』は琉球から来られた神様ですよ」とウプンマは言った。

「えっ?」とササはウプンマを見た。

「『狩俣の神様』は琉球から久米島(くみじま)に行く途中で嵐に遭って、『ミャーク』まで流されてしまったようです。『一千年前の大津波』のあとで、『ミャーク』には人がほとんど住んでいなかったらしいわ。『大浦(うぷら)』の浜辺に着いたらしいけど、水を求めて『狩俣』まで行って、そこに落ち着いて、狩俣の御先祖様になったみたいです」

 『狩俣』には行ったのに、神様に挨拶はしていなかった。失敗だったとササは悔やんだ。そして、久米島からミャークに来た兄弟の事を思い出した。せっかくだから会ってみようと思った。

「『狩俣』に戻るわ」とササはシンシンとナナに言った。

「わたしも一緒に行ってもいいかしら」とウプンマが言った。

「一緒に行きましょう」とササはうなづいた。

 朝食を済ませたあと、ササ、シンシン、ナナ、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、漲水のウプンマ、クマラパと娘のタマミガは馬に乗って『狩俣』に向かった。ウプンマは知り合いに預けたと言って、娘は連れて来なかった。

 出発してすぐに、寄って行く所があると言ってウプンマが『船立(ふなだてぃ)ウタキ』に案内した。こんもりとした森の中にある小さなウタキだった。クマラパに待っていてもらって、ササたちはウプンマと一緒にお祈りをした。

「琉球からいらしたお客様です」とウプンマが神様に告げると、神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。

「ごめんなさい。こちらの言葉に慣れてしまって、『久米島』にいた頃の言葉をうまく話せないの」と神様はたどたどしく言った。

 ササはウプンマの通訳で神様と話した。

 神様は久米按司の娘で、兄嫁と喧嘩して小舟(さぶに)に乗って久米島を飛び出した。心配した兄が追って来て、小舟に飛び乗って説得したが、娘はずっと泣いていた。兄は久米島に帰ろうとしたのに、どんどん沖に流されてしまった。二日間、海の上をさまよった末に『ミャーク』に着いた。兄は自分で刀を作ろうと思って、鍛冶屋(かんじゃー)のもとで修行していたので、ミャークに来てからは鉄の農具を作って皆に喜ばれた。妹は『住屋里世の主(すみやだてぃゆぬぬし)』と夫婦になって多くの子孫を残した。亡くなったあと、兄は『鍛冶屋の神様』、妹は『豊穣の神様』として祀られたという。いつ、ミャークに来たのかと聞いたら、百年以上も前だと思うとウプンマは言った。

 その頃、久米島に按司がいたのかしらと不思議に思ったが、ササたちは、「ミャークの人たちを守ってあげて下さい」と言って神様と別れた。

「あの神様のお兄さんのお陰で、『鉄の農具』がみんなに行き渡って、この辺りは豊かになったのです」とウプンマは言った。

 久米島からミャークに来る人が多いような気がした。もしかしたら、久米島からミャークに向かう『潮の流れ』があるのかしらとササは思った。

 『船立ウタキ』から少し行った高台の上に、『糸数(いとぅかず)グスク』の跡地があった。

「ここに妹の(かたき)だった『糸数按司(いとぅかざーず)』のグスクがあったんじゃ。この辺りには城下の家々が建ち並んでいたんじゃが、糸数按司が亡くなると皆、他所(よそ)に移ってしまって、この有様じゃ。一時は『大按司(うぷあず)』と呼ばれて、この辺りで一番の勢力だったんじゃが哀れなもんじゃのう」

 そう言って、クマラパは樹木が生い茂った高台を見上げた。ササたちも見上げると崩れかけた石垣が見えた。

「糸数按司が滅んだのは『佐田大人(さーたうふんど)』が来る前の事なのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「そうじゃ。確か、『糸数按司』が六月頃に亡くなって、その年の十月頃に『佐田大人』がやって来たんじゃよ。糸数按司が生きていたら佐田大人ももっと早くにやられたかもしれんな。しかし、(いくさ)のあと、目黒盛と糸数按司は対立したじゃろう。目黒盛から見れば、糸数按司はいい時期に亡くなったと言えるのう」

「糸数按司は病で亡くなったのですか」

「噂では、(かんざし)で耳の掃除をしていたら肘にアブベエ(虻蝿)が止まって、アブベエを殺そうと肘をたたいたら簪が耳の奥まで刺さって死んだという」

「まあ、やだ」とササたちは想像して身震いした。

 そこから一気に『大浦(うぷら)』まで行って、『ウプラタスグスク』の跡地を見た。ウプラタスグスク跡は小高い丘の上にあった。あちこちに石垣が残っていて、割れた陶器の破片も落ちていた。眺めがよくて、右側の海も左側の海も見渡せた。丘の下に家々が建ち並ぶ城下があったらしいが、荒れ地になっていた。

「『ウプラタス按司』は福州の商人だったんじゃよ。鉄を持って『ミャーク』に何度も来ていたんじゃ。(げん)の国が騒乱状態になって商売ができなくなり、家族や使用人たちを連れて、『ミャーク』にやって来たんじゃよ。ここはまるで、桃源郷(とうげんきょう)のようじゃと幸せに暮らしていたんじゃが‥‥‥」

 クマラパは苦笑してから海を眺めた。ウプラタス按司の事を思い出しているようだった。しばらくして、

「奴らはウプラタス按司の船を奪い取ったんじゃよ」とクマラパは言った。

「ウプラタス按司様はミャークに来てからも交易をしていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「一度、明国の様子を見に行ったんじゃが、『ターカウ(台湾の高雄)』まで行って引き上げて来たんじゃ。明国は建国したが、倭寇(わこう)や海賊がいるので、危険だというので諦めたんじゃよ。その頃の『ターカウ』は『キクチ殿』はまだいなくて、明国の海賊がいた。その海賊と取り引きをして帰って来たんじゃ。その後は明国には行っていない。ウプラタス按司はウミンチュ(漁師)たちのために、『イシャナギ島』から『太い丸太』を運んでいたんじゃ。(ふに)を造るための丸太じゃよ」

「ウプラタス按司を助けられなかったのですか」とササは聞いた。

 クマラパはササを見てから海を見つめた。

「奴らはあの頃、南部を攻撃していたんじゃよ。『大嶽按司(うぷたきあず)』を倒して、大量の食糧も手に入れた。北部に攻めて来るなんて思ってもいなかった。わしは知らなかったんじゃが、奴らは『高腰按司(たかうすあず)』を倒して、馬を手に入れたんじゃ。その馬に乗って北部にやって来て、あっという間にウプラタスを攻撃した。知らせを聞いて駆け付けた時には、グスクも城下も焼かれていた。狩俣に来るかもしれないと思って、引き返して守りを固めたんじゃよ」

「『高腰按司』は馬を飼っていたのですか」とナナが聞いた。

「かなりの馬を飼育していたんじゃ。昔、百名崎(ぴゃんなざき)(東平安名崎)の近くの『保良(ぶら)』という(しま)女按司(みどぅんあず)がいて、ヤマトゥ(日本)と交易をして栄えていたんじゃ。女按司が亡くなったあと、保良は『野城按司(ぬすくあず)』に滅ぼされてしまった。『高腰按司』は保良で馬の飼育を任されていたサムレーだったらしい。保良が攻められた時、馬を連れて逃げて、その馬を飼育して栄え、グスクを築いて按司になったんじゃ」

「今でも、そこで馬の飼育をしているのですか」

「高腰按司は佐田大人に滅ぼされたんじゃが、『上比屋(ういぴやー)』に嫁いでいた娘がいたんじゃ。その娘が牧場を再開して、今でも育てておるよ。わしらが乗って来た馬も高腰の牧場で育てられた馬じゃろう」

 『狩俣』に着いたのは正午(ひる)前だった。ササたちは女按司の『マズマラー』と一緒に、石垣で囲まれた集落の北にある『ニシヌムイ』と呼ばれるウタキに入った。ササたちが最初に狩俣に来た時、浜辺に上陸して通り抜けた森だった。

 細い坂道を登って行くと『古いウタキ』があった。ササたちはお祈りをした。

「戻って来たわね」と神様の声が聞こえた。

「挨拶が遅れて申しわけありませんでした」とササは謝った。

「『大神島』の娘からあなたたちの事は聞いているわ。『ユンヌ姫様』からもね」

「『ユンヌ姫様』を御存じなのですか」

「『アマン姫様』の娘さんでしょ。わたしは『アマン姫様』にお仕えしていたヌルだったのです。『ユンヌ姫様』と最後にお会いしたのは、ユンヌ姫様が十歳の時でした。まさか、ユンヌ姫様が『ミャーク』に来られるなんて夢にも思っていませんでした。再会できて本当に嬉しかったです。わたしは『シビグァー(タカラガイ)』を求めて『久米島』に行く途中、嵐に遭って『ミャーク』まで流されてしまいました。わたしが来る数年前にミャークは『大津波』にやられて、住んでいた人たちは全滅したそうです。わたしは『狩俣』にたどり着いて、この森で暮らし始めました。翌年、生き残っていた男の人と巡り会いました。言葉は通じませんでしたが、一緒に暮らして子供も生まれました。その人はミャークを巡って、生き残った人たちを集めました。生き残った人たちによって、『狩俣』の村はできたのです」

「『大神島の神様』は娘さんだったのですね?」

「長女の『マパルマー』です。ヤマトゥの刀を持った女子(いなぐ)のサムレーがやって来たって騒いでいたわよ」と神様は笑った。

「わたしは時々、琉球に帰るので、『アマン姫様』からあなたたちの事は聞いております。アマン姫様のお姉さんの『玉依姫(たまよりひめ)様』をヤマトゥから琉球に連れていらした事も聞いています。わたしもあなたたちをお迎えできて嬉しく思っております」

 ササはお礼を言って、『アマミキヨ様』の事を聞いた。

「『一千年前の大津波』で、古いウタキは皆、流されてしまいました。ウタキを守っていたヌルたちも亡くなってしまい、ウタキの場所もわからず、再建する事もできなかったのです。わたしがミャークに来て七十年後、琉球の『百名(ひゃくな)』からヌルたちがやって来て、南部に『百名』という村を造ります。百名崎の近くに『パナリ干瀬(びし)』があって、そこでも大量に『シビグァー』が採れたのです。百名のヌルたちによって『赤崎のウタキ』が見つけられました。その時、わたしはすでに亡くなっていましたが、『赤崎の神様』とお話ししました。『アマンの言葉』なのでさっぱりわかりませんでしたが、『アマミキヨ様の一族』が『赤崎』にいた事は確かです。三百年ほど前にも『大津波』が来て、南部の村々はやられてしまいます。『百名』もやられて、住んでいた人たちのほとんどは流されてしまいました。生き残った人たちによって村は再建されました。ミャークにいた『アマミキヨ様の一族』は『一千年前の大津波』で滅びてしまいましたが、『アマミキヨ様』の子孫たちは名前を変えて、度々、『ミャーク』にやって来ています。唐人(とーんちゅ)たちは彼らを『倭人(わじん)』と呼んで、ヤマトゥンチュ(日本人)は彼らを『隼人(はやと)』と呼びました。『倭人』や『隼人』と呼ばれる海に生きる人たちは唐の大陸から八重山(やいま)、ミャーク、琉球、奄美の島々、ヤマトゥの九州を股に掛けて活躍していたのです」

「『倭人』というのはヤマトゥンチュの事ではなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「のちに『隼人』はヤマトゥに吸収されてしまったので、唐人たちはヤマトゥンチュと倭人を同じ者と見ていますが、『倭人』というのは海で活躍していた勇敢な『アマミキヨ様』の子孫なのです。ヤマトゥだけでなく、朝鮮(チョソン)や大陸に住み着いた者たちも多いはずです」

「どうして『隼人』と呼ばれたのですか」とササは聞いた。

 ジルーの父親の名前は『愛洲(あいす)隼人』だった。何かつながりがあるのだろうかと思った。

南風(はえ)に乗って来た人だから『ハエヒト』と呼ばれて、それがなまって『ハヤト』になったようね」

「ヤマトゥの水軍たちや明国の海賊たちは『隼人』なんでしょうか」

「すべてがそうとは限らないけど、『隼人』の子孫たちも多いはずです」

 ジルーも『アマミキヨ様』の子孫なのかしらとササは何だか嬉しくなっていた。

「わたしたちの御先祖様も『隼人』なのですか」と漲水のウプンマが聞いた。

「『一千年前の大津波』のあとに南の国から来た人たちは少ないので、きっと、『隼人』だと思うわ」

「『保良』という村の女按司がヤマトゥと交易をしていたとクマラパ様から聞きましたが、その村と『百名』は関係あるのですか」とササは聞いた。

「『保良』の人たちは『三百年前の大津波』のあとにヤマトゥからやって来た人たちです。ヤマトゥの『平泉(ひらいずみ)』という所のサムレーが『熊野水軍』のお船に乗って逃げて来たようです」

「『平泉の藤原氏』ですか」とササが聞いた。

 舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)の父親の新宮(しんぐう)の十郎が『平泉』に行って、京都のように賑やかな都だったと言っていた。その頃、『熊野水軍』によって、大量のヤコウガイが琉球から『平泉』に運ばれていた。『平泉』は源氏に滅ぼされたと聞いている。

「そうです。戦に敗れて逃げて来たのです。『藤原氏のお姫様』が按司になって保良の村を造って、『熊野水軍』によって、『ブラゲー(法螺貝)』の交易が行なわれました。あの辺りで大量の『ブラゲー』が採れたようです。ブラゲーの産地なので、『ブラ』と呼ばれるようになったようです。保良の村はヤマトゥと交易をして栄えていたのですが、『野城按司(ぬすくあず)』に滅ぼされてしまいます。野城按司の跡を継いだ若按司は保良按司(ぶらーず)の末娘の『マムヤ』に夢中になって、按司としての務めも果たさず、『大嶽按司(うぷたきあず)』に滅ぼされます。そして、大嶽按司は『佐田大人』に滅ぼされたのです」

「『ウムトゥ姫様』の事を教えて下さい」とナナが言った。

 ササはナナを見て笑った。

「『ウムトゥ姫様』がいらっしゃったのは、わたしがミャークに来てから五十年が経った頃でした。わたしが亡くなってから十数年が経っていました。あなたたちと同じように、『大神島』に寄ってから『狩俣』に来ました。『アマン姫様』の曽孫(ひまご)だと聞いて驚きましたよ。『ウムトゥ姫様』は『池間島』に行って『シビグァー』を採って琉球に送りました。勿論、わたしの子供たちも手伝いました。琉球との交易で『池間島』も『狩俣』も栄えたのです。池間島にいた頃は『ネノハ姫様』と呼ばれていて、池間島には二十年間いらっしゃいました。長女に池間島の事を任せて、次女を連れて『イシャナギ島』に行ったのです。イシャナギ島に行ってからは、舟を造る『材木』を送ってくれました。『ウムトゥ姫様』がミャークに来たのは二十二歳の時で、美しいお姫様でした。琉球の御殿(うどぅん)で育ったお姫様なので、わたしの子供たちは立派な御殿を建てて、そこで暮らしてもらおうと思っていたようです。でも、ウムトゥ姫様は『ヤピシ(八重干瀬)』に行ったまま帰って来ませんでした。心配になって様子を見に行ったら、池間島の人たちを指図して『シビグァー』を採らせていました。島人(しまんちゅ)たちと一緒に掘っ立て小屋で暮らして、一緒にシビグァーを採っていたのです。そして、島の男たちを引き連れて琉球に行って、交易をして帰って来ました。大したお姫様でしたよ」

 ササは神様にお礼を言ってお祈りを終えた。

「神様のお名前は何というのですか」とシンシンがマズマラーに聞いた。

「『マヤヌマツミガ様』です。マツミガ様は狩俣の『祖神(うやがん)』ですが、『中興の神様』もいらっしゃいます」

 そう言って、マズマラーは『別のウタキ』に案内してくれた。森の中を尾根づたいに南に行くとその『ウタキ』はあった。ちょっとした広場になっていて、隅の方に『石の(ほこら)』があった。

「昔、ここに『お寺(うてぃら)』があったそうです」とマズマラーは言った。

「『お寺』ですか」とササたちは驚いて辺りを見回した。

「三百年前にヤマトゥから『平家のサムレー』が狩俣に流れ着きました。『(そう)という国』に行く途中、嵐に遭って船は沈んでしまい、そのサムレーは板きれにすがって『ミャーク』まで流れ着いたのです。『雁股(かりまた)の矢』を板きれに突き刺して、それに捕まって生き延びたそうです。ここから北に行くと二本の飛び出た岬があって、丁度、『雁股の矢』に似ています。それで、村の名前を『カリマタ』に決めたようです。そのサムレーは海で亡くなった仲間たちを弔うために、ここに『お寺』を建てました。『ティラヌブース(寺の武士)様』と呼ばれて、亡くなったあと、神様になりました」

「『平家の落ち武者』だったのですね」と安須森ヌルが聞いた。

 マズマラーは首を振って、「そうではないようです」と言った。

「わたしはヤマトゥの歴史をよく知りませんが、『上比屋』に『平家の落ち武者』たちがやって来て、グスクを築きました。それよりも五十年も前に、『ティラヌブース様』はやって来ています」

 ササたちはマズマラーと一緒にお祈りを捧げた。

 『ティラヌブース様』は『平忠盛(たいらのただもり)』の家来(けらい)だった。安須森ヌルは忠盛が平清盛(たいらのきよもり)の父親だった事を知っていた。ティラヌブース様は忠盛の命令で宋と交易をするために博多から船出して、帰りに遭難したのだった。ティラヌブース様は狩俣の人たちに読み書きを教え、剣術も教えた。今でも子供たちに『読み書き』を教える風習が残っているのは嬉しい事だとティラヌブース様は言った。

 ウタキから出て、マズマラーの屋敷に戻って、一休みした。

「『ミャーク』には色々な人たちが来ていたのね」と安須森ヌルが言った。

「『平家の落ち武者』だけでなく、『平泉の落ち武者』もいたなんて驚いたわ」

「『熊野水軍』はやっぱり『ミャーク』にも来ていたのね」とナナが言うと、

「どこかに『熊野権現(くまぬごんげん)様』が祀ってあるはずだわ」とササが言った。

「『熊野権現様』って何ですか」と漲水のウプンマが聞いた。

「ヤマトゥの『熊野の神様』です。わたしたちの御先祖様でもある『スサノオの神様』の事です」

「スサノオ‥‥‥聞いた事があるわ」と言って漲水のウプンマは思い出そうとしていた。

「『ターカウ』だわ。市場の近くに『熊野権現』の神社があったわ。わたしが聞いたら、航海の神様で、ヤマトゥで一番偉い『スサノオの神様』を祀っていると教えてくれました」

「『ターカウ』に行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「十年くらい前にマズマラーさんと一緒に行って来たのよ。賑やかな所で驚いたわ」

「あたしたちも『ターカウ』に行くんでしょ?」とシンシンがササに聞いた。

「勿論、行くわよ」とうなづいてから、「あっ!」とササは言って、

「神様に聞くのを忘れちゃったけど、三十年前に来たという『久米島の兄弟』の事を知っていますか」とクマラパに聞いた。

「知っておるよ」とクマラパは笑った。

「その頃、琉球の言葉がしゃべれるのは、わししかいなかったからのう。わしを訪ねて来たんじゃよ」

「そうか。『与那覇勢頭(ゆなぱしず)様』が琉球に行く前だったのですね」

 クマラパはうなづいて、「その兄弟はミャークに流されて来た『進貢船(しんくんしん)』に乗っていた船乗りだったんじゃよ」と言った。

「『進貢船』が来た時、わしは呼ばれて通訳をしたんじゃ。使者は『アランポー(亜蘭匏)』という明国の男じゃった。その時、久米島の兄弟とは会わなかったが、わしが琉球の言葉がしゃべれて、狩俣に住んでいる事も知ったんじゃろう。二年後にミャークにやって来て、わしを訪ねて来たんじゃよ」

「船乗りの兄弟が何のために『ミャーク』に来たのですか」とシンシンが聞いた。

 クマラパは楽しそうに笑った。

「奴らは女子(いなぐ)に会うためにやって来たんじゃ。『進貢船』は船の修理と風待ちで、一月近くミャークにいたんじゃよ。その時、仲よくなった娘がいたようじゃ。お土産をたっぷりと小舟に積んでやって来た。しかし、遅かった。二人とも、すでに決まった男がいて、一人はお腹が大きかったそうじゃ」

「情けないわね」とナナが言った。

「それで二人はどうしたのですか」とササが興味深そうに聞いた。

「しばらく、ここにいて、ミャークの言葉を覚えていたんじゃが、『佐田大人の戦』が始まって、『池間島』に行ったんじゃよ。『池間按司(いきゃまーず)の娘』が美人(ちゅらー)だという噂を聞いて、飛んで行ったんじゃ。その後、弟が一人で『伊良部島(いらうじま)』にやって来た。兄はその美人と仲よくなって、一緒に『イシャナギ島』に行ったと言った。その頃、わしは伊良部島で兵たちを鍛えていたんじゃ。佐田大人を倒すためにな。弟は兵たちと一緒に武芸を習って、戦にも参加した。戦のあと、伊良部島に帰って、可愛い娘と巡り会ったようじゃ。弟の方はその後も家族を連れて何度かやって来た。今も伊良部島で楽しく暮らしているようじゃ」

「お兄さんはどうして『イシャナギ島』に行ったのですか」

「池間按司の娘が『シジ(霊力)』の高いヌルで、『イシャナギ島の神様』に呼ばれたと言って、兄が連れて行ったそうじゃ」

 兄弟の名前を聞いたら『阿嘉(あーか)のグラーとトゥム』だという。久米島の堂村からアーラタキに行く途中に『阿嘉』という村があったのをササたちは思い出していた。

「『池間島』に行きましょう」とササは立ち上がった。





糸数グスク跡



ウプラタスグスク跡



狩俣




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