漲水のウプンマ
空を見上げて、ユンヌ姫とアキシノを呼んだが返事はなかった。無事にミャークに着けたお礼を言おうと思ったのに、どこに行ったのだろう。ササは首を傾げると、縁側に座り込んでヂャンサンフォンの呼吸法を始めた。 静かに座りながら、改めて神様たちに感謝をした。祖父のサミガー シンシンとナナが起きてきて、ササの隣りに座って静座を始めた。ササは二人に気づくと笑った。 「 ササが目を開くと、娘を連れたウプンマの姿が見えた。頭の上に水桶を乗せていた。ウプンマは水桶を下ろすと、挨拶をして近づいて来た。 「昨日はごめんなさいね。琉球の 「わたしたちこそ、教えてもらいたいですよ」とササは言って、ウプンマを縁側に迎えた。 「琉球の神様のアマミキヨ様は南の国から琉球に来ました。それで、ミャークにもアマミキヨ様の痕跡が残っていないか調べに来たのです」 「アマミキヨ様のお名前は 「赤崎ってどこですか」とササは目の色を変えて聞いた。 「南の方です。わたしも赤崎のウタキに行って神様の声を聞きましたが、その神様はアマミキヨ様の一族ではありませんでした。その神様がおっしゃるには一千年以上も前に、大きな津波がやって来て、アマミキヨ様の一族は全滅したそうです」 「何ですって‥‥‥」 ササは驚いてウプンマの顔をじっと見つめていた。シンシンとナナも驚いていた。 「多分、その時の大津波で漲水のウタキもやられたのだと思います。あそこに祀られているコイツヌ様とコイタマ様もどこか南の国からやって来たのだと思いますが、子孫たちは全滅してしまったのです。名前だけは伝えられていますが、詳しい事を知っている人は皆、亡くなってしまったのです」 「という事は、今、ミャークに住んでいる人たちの御先祖様は、その大津波のあとにやって来た人たちなのですね?」とナナが聞いた。 「そうだと思います」 「赤崎にいらっしゃる神様は、どこから来られた神様なのですか」とササは聞いた。 「 「ウパルズ様というのは、ネノハ姫様と関係あるのですか」とササが聞いたら、ウプンマは驚いた顔をして、「どうして、ネノハ姫様を御存じなのですか」と聞いた。 「 「そうなのですか」とウプンマは首を傾げてから、「ウパルズ様はネノハ姫様の娘さんです」と言った。 「えっ!」とササは驚いて、大きく息を吐いた。 ウムトゥ姫様(ネノハ姫)がイシャナギ島(石垣島)に行く前に娘を産んで、その娘が池間島の神様になって、孫娘たちがミャークの神様になっていたなんて驚きだった。ウムトゥ姫様の娘のウパルズ様に会いに行かなければならないとササは思った。 「ネノハ姫様が琉球から来た事は知らなかったけど、狩俣の神様は琉球から来た神様ですよ」とウプンマは言った。 「えっ?」とササはウプンマを見た。 「狩俣の神様は琉球から 狩俣には行ったのに、神様に挨拶はしていなかった。失敗だったとササは悔やんだ。そして、久米島からミャークに来た兄弟の事を思い出した。せっかくだから会ってみようと思った。 「狩俣に戻るわ」とササはシンシンとナナに言った。 「わたしも一緒に行ってもいいかしら」とウプンマが言った。 「一緒に行きましょう」とササはうなづいた。 朝食を済ませたあと、ササ、シンシン、ナナ、 出発してすぐに、寄って行く所があると言ってウプンマが 「琉球からいらしたお客様です」とウプンマが神様に告げると、神様の声は聞こえたが、ミャークの言葉で理解できなかった。 「ごめんなさい。こちらの言葉に慣れてしまって、久米島にいた頃の言葉をうまく話せないの」と神様はたどたどしく言った。 ササはウプンマの通訳で神様と話した。 神様は久米按司の娘で、兄嫁と喧嘩して その頃、久米島に按司がいたのかしらと不思議に思ったが、ササたちは、「ミャークの人たちを守ってあげて下さい」と言って神様と別れた。 「あの神様のお兄さんのお陰で、鉄の農具がみんなに行き渡って、この辺りは豊かになったのです」とウプンマは言った。 久米島からミャークに来る人が多いような気がした。もしかしたら、久米島からミャークに向かう潮の流れがあるのかしらとササは思った。 船立ウタキから少し行った高台の上に、 「ここに妹の そう言って、クマラパは樹木が生い茂った高台を見上げた。ササたちも見上げると崩れかけた石垣が見えた。 「糸数按司が滅んだのは 「そうじゃ。確か、糸数按司が六月頃に亡くなって、その年の十月頃に佐田大人がやって来たんじゃよ。糸数按司が生きていたら佐田大人ももっと早くにやられたかもしれんな。しかし、戦のあと、目黒盛と糸数按司は対立したじゃろう。目黒盛から見れば、糸数按司はいい時期に亡くなったと言えるのう」 「糸数按司は病で亡くなったのですか」 「噂では、 「まあ、やだ」とササたちは想像して身震いした。 そこから一気に 「ウプラタス按司は福州の商人だったんじゃよ。鉄を持ってミャークに何度も来ていたんじゃ。 クマラパは苦笑してから海を眺めた。ウプラタス按司の事を思い出しているようだった。しばらくして、 「奴らはウプラタス按司の船を奪い取ったんじゃよ」とクマラパは言った。 「ウプラタス按司様はミャークに来てからも交易をしていたのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「一度、明国の様子を見に行ったんじゃが、ターカウ(台湾の高雄)まで行って引き上げて来たんじゃ。明国は建国したが、 「ウプラタス按司を助けられなかったのですか」とササは聞いた。 クマラパはササを見てから海を見つめた。 「奴らはあの頃、南部を攻撃していたんじゃよ。 「高腰按司は馬を飼っていたのですか」とナナが聞いた。 「かなりの馬を飼育していたんじゃ。昔、 「今でも、そこで馬の飼育をしているのですか」 「高腰按司は佐田大人に滅ぼされたんじゃが、 狩俣に着いたのは 細い坂道を登って行くと古いウタキがあった。ササたちはお祈りをした。 「戻って来たわね」と神様の声が聞こえた。 「挨拶が遅れて申しわけありませんでした」とササは謝った。 「大神島の娘からあなたたちの事は聞いているわ。ユンヌ姫様からもね」 「ユンヌ姫様を御存じなのですか」 「アマン姫様の娘さんでしょ。わたしはアマン姫様にお仕えしていたヌルだったのです。ユンヌ姫様と最後にお会いしたのは、ユンヌ姫様が十歳の時でした。まさか、ユンヌ姫様がミャークに来られるなんて夢にも思っていませんでした。再会できて本当に嬉しかったです。わたしはシビグァー(タカラガイ)を求めて久米島に行く途中、嵐に遭ってミャークまで流されてしまいました。わたしが来る数年前にミャークは大津波にやられて、住んでいた人たちは全滅したそうです。わたしは狩俣にたどり着いて、この森で暮らし始めました。翌年、生き残っていた男の人と巡り会いました。言葉は通じませんでしたが、一緒に暮らして子供も生まれました。その人はミャークを巡って、生き残った人たちを集めました。生き残った人たちによって、狩俣の村はできたのです」 「大神島の神様は娘さんだったのですね?」 「長女のマパルマーです。ヤマトゥの刀を持った 「わたしは時々、琉球に帰るので、アマン姫様からあなたたちの事は聞いております。アマン姫様のお姉さんの ササはお礼を言って、アマミキヨ様の事を聞いた。 「一千年前の大津波で、古いウタキは皆、流されてしまいました。ウタキを守っていたヌルたちも亡くなってしまい、ウタキの場所もわからず、再建する事もできなかったのです。わたしがミャークに来て七十年後、琉球の 「倭人というのはヤマトゥンチュ(日本人)の事ではなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「のちに隼人はヤマトゥに吸収されてしまったので、唐人たちはヤマトゥンチュと倭人を同じ者と見ていますが、倭人というのは海で活躍していた勇敢なアマミキヨ様の子孫なのです。ヤマトゥだけでなく、 「どうして隼人と呼ばれたのですか」とササは聞いた。 ジルーの父親の名前は 「 「ヤマトゥの水軍たちや明国の海賊たちは隼人なんでしょうか」 「すべてがそうとは限らないけど、隼人の子孫たちも多いはずです」 ジルーもアマミキヨ様の子孫なのかしらとササは何だか嬉しくなっていた。 「わたしたちの御先祖様も隼人なのですか」と漲水のウプンマが聞いた。 「一千年前の大津波のあとに南の国から来た人たちは少ないので、きっと、隼人だと思うわ」 「保良という村の女按司がヤマトゥと交易をしていたとクマラパ様から聞きましたが、その村と百名は関係あるのですか」とササは聞いた。 「保良の人たちは三百年前の大津波のあとにヤマトゥからやって来た人たちです。ヤマトゥの 「平泉の藤原氏ですか」とササが聞いた。 「そうです。戦に敗れて逃げて来たのです。藤原氏のお姫様が按司になって保良の村を造って、熊野水軍によって、ブラゲー(法螺貝)の交易が行なわれました。あの辺りで大量のブラゲーが採れたようです。ブラゲーの産地なので、ブラと呼ばれるようになったようです。保良村はヤマトゥと交易をして栄えていたのですが、 「ウムトゥ姫様の事を教えて下さい」とナナが言った。 ササはナナを見て笑った。 「ウムトゥ姫様がいらっしゃったのは、わたしがミャークに来てから五十年が経った頃でした。わたしが亡くなってから十数年が経っていました。あなたたちと同じように、大神島に寄ってから狩俣に来ました。アマン姫様の ササは神様にお礼を言ってお祈りを終えた。 「神様のお名前は何というのですか」とシンシンがマズマラーに聞いた。 「マヤヌマツミガ様です。マツミガ様は狩俣の そう言って、マズマラーは別のウタキに案内してくれた。森の中を尾根づたいに南に行くとそのウタキはあった。ちょっとした広場になっていて、隅の方に石の 「昔、ここに 「お寺ですか」とササたちは驚いて辺りを見回した。 「三百年前にヤマトゥから平家のサムレーが狩俣に流れ着きました。 「平家の落ち武者だったのですね」と安須森ヌルが聞いた。 マズマラーは首を振って、「そうではないようです」と言った。 「わたしはヤマトゥの歴史をよく知りませんが、上比屋に平家の落ち武者たちがやって来て、グスクを築きました。それよりも五十年も前に、ティラヌブース様はやって来ています」 ササたちはマズマラーと一緒にお祈りを捧げた。 ティラヌブース様は ウタキから出て、マズマラーの屋敷に戻って、一休みした。 「ミャークには色々な人たちが来ていたのね」と安須森ヌルが言った。 「平家の落ち武者だけでなく、平泉の落ち武者もいたなんて驚いたわ」 「熊野水軍はやっぱりミャークにも来ていたのね」とナナが言うと、「どこかに熊野権現様が祀ってあるはずだわ」とササが言った。 「熊野権現様って何ですか」と漲水のウプンマが聞いた。 「ヤマトゥの熊野の神様です。わたしたちの御先祖様でもあるスサノオの神様の事です」 「スサノオ‥‥‥聞いた事があるわ」と言って漲水のウプンマは思い出そうとしていた。 「ターカウだわ。市場の近くに熊野権現の神社があったわ。わたしが聞いたら、航海の神様で、ヤマトゥで一番偉いスサノオの神様を祀っていると教えてくれました」 「ターカウに行ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「十年くらい前にマズマラーさんと一緒に行って来たのよ。賑やかな所で驚いたわ」 「あたしたちもターカウに行くんでしょ?」とシンシンがササに聞いた。 「勿論、行くわよ」とうなづいてから、「あっ!」とササは言って、 「神様に聞くのを忘れちゃったけど、三十年前に来たという久米島の兄弟の事を知っていますか」とクマラパに聞いた。 「知っておるよ」とクマラパは笑った。 「その頃、琉球の言葉がしゃべれるのは、わししかいなかったからのう。わしを訪ねて来たんじゃよ」 「そうか。 クマラパはうなづいて、 「その兄弟はミャークに流されて来た 「進貢船が来た時、わしは呼ばれて通訳をしたんじゃ。使者はアランポーという明国の男じゃった。その時、久米島の兄弟とは会わなかったが、わしが琉球の言葉がしゃべれて、狩俣に住んでいる事も知ったんじゃろう。二年後にミャークにやって来て、わしを訪ねて来たんじゃよ」 「船乗りの兄弟が何のためにミャークに来たのですか」とシンシンが聞いた。 クマラパは楽しそうに笑った。 「奴らは 「情けないわね」とナナが言った。 「それで二人はどうしたのですか」とササが興味深そうに聞いた。 「しばらく、ここにいて、ミャークの言葉を覚えていたんじゃが、佐田大人の戦が始まって、池間島に行ったんじゃよ。 「お兄さんはどうしてイシャナギ島に行ったのですか」 「池間按司の娘がシジ(霊力)の高いヌルで、イシャナギ島の神様に呼ばれたと言って、兄が連れて行ったそうじゃ」 兄弟の名前を聞いたら 「池間島に行きましょう」とササは立ち上がった。 |
糸数グスク跡
ウプラタスグスク跡
狩俣