平久保按司
雨降りの天気が続いて、三日間、 今日はいい天気で、海も荒れる事はなく、快適な船旅だった。 ムカラーの指示で半島の北にあるフージパナリという小島の近くに船を泊めて、 「毎年、秋になるとこの島にやって来て、子育てをしているらしい」とクマラパは言ったが、鳥の名前は知らなかった。 いつものように、ササ、 「平久保按司はターカウ(台湾の高雄)のキクチ殿の家臣だったサムレーじゃ」とクマラパが言った。 「ターカウに来る 「という事は平久保按司は牛を飼っているのですね」と安須森ヌルが言って、半島を見たが牛の姿は見えなかった。 「ここからは見えんが、百頭余りの牛がいる。 「平久保按司があたしたちを襲うかもしれないというのですか」とササが驚いた顔をして聞いた。 「平久保按司は琉球に行ったが、ミャークの者たちのように驚いたりはしない。ヤマトゥンチュ(日本人)だからヤマトゥの都を知っているのじゃろう。琉球で手に入るのはヤマトゥの商品と明国の商品で、それらはターカウでも手に入るので、わざわざ、琉球まで行く必要はないと言って、一度だけでやめてしまったんじゃよ。平久保按司も ササがうなづいて、安須森ヌル、シンシン、ナナ、タマミガも顔を引き締めてうなづいた。 砂浜に弓矢を持ったサムレーが十一人、小舟が近づくのを見ていた。弓は構えていなかった。 ササたちは警戒しながら小舟から降りた。 「クマラパーズ様、お久し振りです」と女の声がヤマトゥ言葉で言った。 中央にいたサムレーは女だった。ここにも 「按司の娘のサクラじゃ。サクラはスタタンのボウの弟子なんじゃよ」とクマラパは言った。 「えっ!」とササたちは驚いた。 「平久保按司は琉球に行って、按司の娘はヌルになって神様にお仕えする事を知って、サクラをボウに預けて修行させたんじゃ。多良間島でヌルの修行と武芸の修行を積んで来たというわけじゃ」 クマラパがササたちを紹介するとサクラは驚いて、「琉球から来たのですか」と小島のそばに泊まっているヤマトゥ船を見た。 サクラの案内で按司の屋敷に行った。高台の上にある屋敷から牛がいっぱいいる牧場が見えた。 それほど高くない石垣に囲まれたヤマトゥ風の屋敷の縁側で、平久保按司は刀の手入れをしていた。娘と一緒にいるクマラパを見ると驚いた顔をして、刀を 白髪頭でぎょろっとした目をした体格のいい老人だった。 「クマラパーズ殿、お久し振りですのう。ターカウにでも行かれるのですかな」 平久保按司はヤマトゥ言葉でそう言って、腰に刀を差しているササたちを怪訝な顔をして見ていた。 「琉球から来たお客様をターカウに連れて行く途中なんじゃよ」 クマラパがササたちを紹介すると平久保按司は大笑いした。 「琉球にも多良間島のボウのような ササたちは歓迎されて、屋敷に上がって、明国のお茶を御馳走になった。 平久保按司に聞かれて、ササたちは今の琉球の様子を話した。高い石垣で囲まれた 「フニムイ(武寧)とかいう跡継ぎがいたが、そいつが滅ぼされたのか」 「そうです。今の王様はわたしの父の 「王様の娘が直々にやって来るとはのう。勇ましい事じゃな」 ササはイシャナギ島で流行っているという『ヤキー(マラリア)』の事を聞いた。 平久保按司は顔をしかめて、「まったく困ったもんじゃよ」と言った。 「もう三十年近くも前の事なんじゃが、南部の 「村人たち全員がヤキーで亡くなったのですか」と安須森ヌルが驚いた顔をして聞いた。 「大城按司が亡くなったあと、村から逃げた者も多いはずじゃ。それだけでは治まらず、今度は 「蚊に刺されるとヤキーになると聞きましたが本当なのですか」とササが聞いた。 平久保按司は大笑いをした。 「誰から聞いたのか知らんが、蚊に刺されてヤキーになるわけがなかろう。蚊ならここにもいるが、蚊に刺されてヤキーになった者などおらん。呪いじゃよ」 「呪い?」 「そうじゃ」と言って平久保按司はうなづいた。 「ヤキーが流行る前、大城の近くで座礁した 「その何かというのは何なのですか」 「未だにわからんのじゃろう。大城だけでなく、新城までもやられたんじゃから、その何かは新城にも関係あるはずじゃ。大城の 座礁した南蛮の船の呪いがあったなんて知らなかった。蚊に刺されてヤキーになるという事にササも疑問を持っていたので、そうかもしれないと思った。 「 「池間島の按司の娘? さあ、知らんのう」と平久保按司は首を傾げた。 「ヤマトゥ船で来たようじゃが、倭寇の船で来たのかね。わしが琉球に行った時、 「松浦党も 「なに、愛洲水軍‥‥‥」と按司は驚いた顔をしてササを見た。 「愛洲 「九州で活躍していた愛洲隼人様の孫のジルーが来ています」 「なに、愛洲隼人殿の孫が来ているのか。わしは愛洲隼人殿に命を救われた事があるんじゃ。恩返しができぬまま別れた事を未だに悔やんでおる。こんな所で、隼人殿の孫に出会えるなんて、何という巡り合わせじゃろう」 平久保按司はすぐに小舟を出して、愛洲ジルーを呼びに行かせた。 やって来たジルーを見た平久保按司は、愛洲隼人の面影があると言って感激していた。ジルーのお陰で、急遽、歓迎の 平久保按司がジルーの祖父、愛洲隼人に助けられたのは十八歳の時だった。十六歳の時、初めて明国に行って まだ明国が建国したばかりの時で、 大小会わせて二百 それぞれの船が奪い取った収穫を満載にして、舟山群島の島影に隠れて、風待ちをしている五月の初め、突然、明国の水軍が攻めて来た。 敵の船は大きく、 かなり沖に出た時、赤松播磨は船隊を整えて反撃に出た。平久保按司も海戦に加わりたかったが、邪魔になると思って見ている事にした。愛洲隼人とキクチ殿が鉄炮を恐れずに、敵の船を挟み撃ちにして、火矢を放ち、敵船に突撃した船もあって、敵の船は傾いて沈んでいった。 平久保按司は喜んだが、別の敵船がやって来て、赤松播磨の船を攻撃してきた。播磨も火矢で応戦したが、鉄炮にはかなわず、播磨の船は焼けながら沈んでしまった。船が沈む前に船から飛び降りた兵たちが何人も海に浮かんでいた。平久保按司は泳いでいる者たちを助けようとしたが、敵の鉄炮が飛んできた。助けを求める者たちを見捨てて、平久保按司は逃げた。敵船は追ってきて、鉄炮を撃ち続けた。 必死になって 敵の船も去って行ったので安心したが、陸まで泳いで行ける場所ではなかった。平久保按司は海に顔を出している仲間たちと励まし合いながら海に浮かんでいた。船の破片の板きれが流れて来て、それにすがって浮かんでいたが、顔を出していた仲間の数は見る見る減って行った。 俺も死ぬのかと思いながら、故郷にいる 死を覚悟して夕日を眺めていた時、船が近づいて来るのが見えた。敵か味方かわからなかった。たとえ、敵であったとしても、どうせ死ぬのだから同じ事だと思い、腰の刀を抜いて振り上げた。夕日が刀に反射して、船からわかるに違いないと思った。 近づいて来た船は愛洲隼人の船だった。行方知れずになった仲間の船を探しに来て、平久保按司を助けたのだった。 「わしが今、ここにいるのは愛洲隼人殿のお陰なんじゃよ。それから二年後の十一月、わしはキクチ殿と一緒にターカウに向かった。その時、愛洲隼人殿は 「今、思い出しました」とジルーは言った。 「祖父は九州にいた頃の事はあまり話しませんでしたが、その時の海戦の話は聞いた事があります。菊池三郎殿と敵の船を挟み撃ちにして沈めたと言っていましたが、その菊池三郎殿というのが、ターカウにいたキクチ殿だったのですね。菊池三郎殿の事は懐かしそうに話していたのを思い出しました。そして、その海戦の時、菊池三郎殿の 「そうじゃ。わしじゃよ」と言いながら、平久保按司は泣いていた。 ジルーが平久保按司と話をしている時、ササたちはサクラと話をしていた。サクラには九歳になる娘がいた。父親は 「どこで出会ったのですか」とナナが聞いた。 「多良間島よ。わたしがお師匠のもとでヌルになるための修行をしていた時、琉球に行くためにミャークに向かうムイトゥクと会ったのよ。その時は別に何も感じなかったわ。わたしは修行に夢中で、男なんて眼中になかったの。わたしがお師匠に初めて会ったのは五歳の時だったわ。その時は素敵なお姉さんだと思っていたけど、何度も会ううちに憧れに変わっていったわ。わたしもお師匠みたいになりたいと思ったの。父から習ってお馬のお稽古をしたり、弓矢のお稽古をしたわ。クマラパーズ様が来た時は拳術も習ったのよ。そして、父が琉球に行って、帰って来ると、ヌルになりなさいと言って、お師匠のもとで修行を始めたの。嬉しかったわ。多良間島にいた時は毎日が楽しくて、ムイトゥクの事なんか考えている暇なんてなかったの。琉球から帰ってきたムイトゥクはお土産だと言ってヤマトゥの刀をくれたわ。今まで刀なんて持っていなかったから、とても嬉しかったの。二年半、多良間島で修行を積んだわたしは平久保に帰って、ヌルになったの。それから二年後、わたしは弟と一緒にターカウに行く事になって、仲間に寄ったら、ムイトゥクも一緒に行くと言い出して、一緒にターカウまで行って来たわ。ターカウからの帰り、ムイトゥクは仲間に帰らずに平久保まで来て、一緒に暮らす事になったのよ。ムイトゥクは四男だから、平久保にいたら何かと便利だろうと仲間按司も許してくれたみたい」 「よかったわね」とササたちが言っていると、ムイトゥクが現れた。 背の高い真面目そうな男だった。 今までヤマトゥ言葉でしゃべっていたサクラはムイトゥクと琉球言葉でしゃべっていた。 「ムイトゥク様はヤマトゥ言葉はわからないのですか」とササが琉球言葉で聞いた。 「ムイトゥクの御先祖様はヤマトゥンチュなんだけど、この島に来たのが二百年も前の事だから、今は島の言葉しかしゃべれないのよ。初めて、多良間島で出会った時は言葉がまったく通じなかったの。その頃のわたしはヤマトゥ言葉しか話せなかったけど、お師匠から琉球の言葉を習ったのよ。神様とお話をするには琉球の言葉を知らなければならないって言われてね。琉球から帰ってきたムイトゥクも琉球の言葉をしゃべるようになって、お互いにお話ができるようになったのよ」 「ムイトゥク様の御先祖様って、もしかしたら平家ですか」と安須森ヌルが聞いた。 ムイトゥクはうなづいた。 「二百年以上も前の事なので、詳しい事はわかりませんが、御先祖様は『 「門脇の中納言様って知っている?」とササが安須森ヌルに聞いた。 「京都の 「その人も壇ノ浦で戦死したの?」 安須森ヌルはうなづいた。 「ヤマトゥの歴史に詳しいのですね」とムイトゥクが尊敬の眼差しで安須森ヌルを見た。 安須森ヌルは謙遜して、「琉球にも平家の子孫がいるので、それで調べたのです。まだまだわからない事がいっぱいあります」 ムイトゥクとサクラは琉球の平家の子孫に興味を持って、安須森ヌルから話を聞いた。 ササはいつものようにお酒を飲んで、牛肉をたらふく食べていたが、シンシンとナナは平久保按司を警戒して酔う事はできなかった。ジルーに会えてよかったと感激していても、平久保按司の本心はわからなかった。平久保按司が用意してくれた屋敷に移り、ササと安須森ヌルは安心して眠ったが、二人は寝ずの番をした。何事もなく夜が明けて、シンシンとナナはホッと胸を撫で下ろした。 平久保按司はお土産だと言って、たっぷりの牛肉の塩漬けをくれた。ササたちはお礼にヤマトゥの名刀を贈った。娘のサクラにも名刀を贈ったら、サクラは大喜びしてくれた。 平久保按司と別れて、船はフージパナリの北側を抜けて、細長い半島の西側を南下して行った。寝不足のシンシンとナナは船に乗るとすぐに眠りに就いて、ササはジルーにお礼を言った。 「ここにもお祖父さんを知っている人がいたなんて驚いたわね」とササが言うと、 「まったく信じられないよ。祖父が助けた人がこの島にいたなんて‥‥‥」とジルーは遠くの海を見つめていた。 「ジルーがいなかったら平久保按司に襲われたかもしれないわね」 ジルーはうなづいて、「一癖ありそうな男だったな。でも、本心から祖父に感謝している事はわかったよ」と笑った。 雨が降りそうな曇り空の下、船は半島に沿って南下して行った。その半島は思っていたよりもずっと細長く、ようやく半島の付け根辺りに着いたのは 「あれが『ウムトゥダギ(於茂登岳)』じゃよ」とクマラパが来て指差した。 「 「えっ、登ったのですか」とササは驚いた。 「わしは 「どこから登るのですか」 「こっちからも登れん事はないが、見た通り、人が入った事がないような密林がずっと続いている。反対側から登った方がいいじゃろう。山の裾野の『 「今日の内に名蔵まで行けるかしら?」 ササがそう聞いた時、「フィフィフィーフィー」と鳥が鳴いた。空を見上げると大きな鳥が気持ちよさそうに飛んでいた。 「 「クマラパ様はこの島の按司の事も詳しいのですね?」 「詳しいと言っても四十年も前の話じゃからな。今はもう、按司たちも子や孫の代になっているじゃろう。ターカウやトンドに行く時に寄っていく平久保の按司、仲間の按司は何度も会っているが、ほかの按司たちは琉球に行っていた頃、ミャークで何度か会ったくらいじゃ。それも二十年も前の話じゃよ」 「仲間按司はこの先にいるんですよね?」とササは進行方向を指差した。 「ああ、川平という所の按司じゃよ」 「平家の落ち武者なんでしょ?」 「そうじゃ。今の按司が九代目とか言っておったのう。会ってみるかね?」 ササは首を振った。 「まずはマッサビ様に会ってウムトゥダギに登るのが先です。スサノオの神様がいらっしゃるうちに登らなくてはならないわ」 「山の上で、酒盛りをするのかね?」 「勿論ですよ。イシャナギ島の神様たちを集めて、楽しい酒盛りをやります」とササはウムトゥダギを眺めながら笑った。 ウムトゥダギの山並みを左手に眺めながら船は進んだ。正面に半島が現れた。その半島の中に仲間按司のグスクがあるという。 半島の先にあるヒラパナリという小島を越えて、 クマラパがシンシンとナナと一緒にやって来て、 「あの山にも登ったぞ」と半島の中程にある山を指差した。 愛洲ジルーはいなくなって、ササは安須森ヌルと一緒に景色を眺めていた。 「何という山ですか」と安須森ヌルが聞いた。 「『ヤラブダギ(屋良部岳)』じゃ。山頂に大きな平らな岩があって、神様が降りて来るような気がしたよ」 「古いウタキなのかしら?」とササが興味深そうに言ってヤラブダギを見つめた。 「フーツカサの話だとヤラブダギの裾野に 「航海の安全という事は、あそこに住んでいた人たちは、どこかの国と交易をしていたのですか」 「福州辺りまで行っていたのかもしれんな」 御神崎の周りは険しい崖が続いていて、奇妙な形をした岩がいくつもあった。 「神々しさが感じられるわね」と安須森ヌルが言った。 ササはうなづきながら景色を眺めて、アマミキヨ様はイシャナギ島にも来たのかしらと考えていた。 御神崎を越えたら急に波が高くなって船が揺れだした。大きなカマンタ(エイ)がいると騒いでいた若ヌルたちは慌てて船室に入って行った。 船の揺れはしばらく続いて、半島の南端の大崎を越えると海は穏やかになった。そこは広々とした名蔵湾だった。珊瑚礁に気をつけながら湾内に入って行った。 屋良部半島の付け根あたりに少し飛び出した所があって、クマラパがそこを指差して、「あそこは何だか知っているかね?」と聞いた。 「あそこも古いウタキですか」とササが聞いた。 「ウタキかどうかは知らんが、あそこは『赤崎』というんじゃよ」 「えっ!」とササは安須森ヌルと顔を見合わせた。 「ミャークの『赤崎』に行った時、ここの赤崎を思い出したんじゃよ。フーツカサからは何も聞いておらんが、もしかしたら、アマミキヨ様と関係あるのかもしれんぞ」 ササは目を輝かせて、「絶対に行きましょう」と安須森ヌルに言った。 安須森ヌルはうなづいて、「ヤラブダギと御神崎も行かなくちゃね」と笑った。 赤崎から海岸に沿って南下して、 「名蔵の女按司のお迎えよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。 |
平久保
ウムトゥダギ
ヤラブダギ
名蔵