ウムトゥ姫とマッサビ
名蔵の海岸は 「ようこそ」と琉球の言葉で迎えた品のいい顔をした四十代のヌルは、「ウムトゥダギ(於茂登岳)のフーツカサのマッサビです」と言って マッサビの隣りにいたのが名蔵の女按司のブナシルだった。ブナシルは五十代の半ばくらいの貫禄のある女で、馬乗り袴をはいて、ヌルたちと同じように白い鉢巻きをして、腰に小さな刀を差していた。 「みんな、ウムトゥ姫様の子孫たちのヌルなのよ」とブナシルがヌルたちを見ながら言った。 「ウムトゥ姫様があなたたちを歓迎するためにみんなを集めたのよ。遠い所からよく来てくれたわ。しかも、スサノオの神様まで連れていらっしゃるなんて、この島の神様たちはみんな驚いているわ」 みんなが来るのを待っているうちに、ササたちはヌルたちを紹介された。イシャナギ島(石垣島)ではヌルの事をツカサと呼び、ウムトゥダギのフーツカサ(大司)を継いだマッサビが一番偉いヌルだった。 ヤラブダギ(屋良部岳)のツカサ、 もう一人、 「バガツカサ?」 「若ヌルの事よ。サユイはフーツカサ様の跡継ぎなのよ。そして、弓矢の名人よ」とブナシルが言った。 「サユイです。よろしく」と言って笑ったサユイを見て、自分と同じ位の年頃だとササは思った。 ツカサたちは皆、三十代、四十代なので、話が合いそうもないが、サユイとは気が合いそうだった。 若ヌルたち、 途中にこんもりとした森があった。ウタキかなとササが思っていると、 「神様に御挨拶しましょう」とマッサビが言った。 クマラパと愛洲ジルーたちには外で待っていてもらって、ササたちは森の中に入って行った。森の中に広場があって、その中央に石で囲まれた岩があった。そこから前方を見ると 「ここはウムトゥダギの 「ここに、これだけのヌルが集まるのは久し振りね」と嬉しそうに笑った。 ササが振り向くとツカサたち、若ヌルたち、総勢二十人以上もいた。 「この島ではウタキの事をオンと呼ぶの。ここはノーラオン(名蔵御嶽)よ。ウムトゥダギの遙拝所だけでなく、ウムトゥ姫様の娘、ノーラ姫様のお墓でもあるのよ」 「ノーラ姫様は池間島のウパルズ様の妹さんですね?」 「そうです。ウムトゥ姫様はノーラ姫様を連れて、池間島からこの島にいらっしゃいました」 ササたちはお祈りを捧げた。 「スサノオ様をこの島に連れて来てくださって、ありがとう」とノーラ姫の声が聞こえた。 「スサノオの神様がイシャナギ島にいらした事によって、イシャナギ島、ミャーク(宮古島)、琉球、そして、ヤマトゥまで神様の道ができました。イシャナギ島の神様たちも琉球に行けるようになりましたので、琉球にいらっしゃる 「ユンヌ姫様から聞いて、神様たちは本当に喜んでいるわ。わたしは姉と一緒に琉球へは行ったけど、ヤマトゥへは行けなかったの。母や姉からヤマトゥのお話を聞いて行ってみたいと思っていたのよ。いつか、神様たちと一緒に行ってみようと思っているわ」 「きっと、スサノオ様が歓迎してくれる事でしょう。ノーラ姫様がこの島に来た時、この島はどんな状況だったのですか。やはり、この島も一千年前の大津波にやられたのでしょうか」 「ミャークほどではないけど、南部はやられたのよ。わたしたちがこの島に来たのは大津波から七十年くらい経っていたので、南部にも多くの人たちが暮らしていたわ。でも、言葉の通じない人たちばかりで、この島に来た当初は、とても苦労したのよ」 「南の国から来た人たちが住んでいたのですか」 「そうなのよ。しかも、違う国から来た人たちが、あちこちで暮らしていたのよ」 「赤崎にも南の国から来た人たちが暮らしていたのですか」 「そうよ。あの頃は、この辺りまで湿地になっていて、ここには誰も住んでいなかったわ。勿論、ウムトゥダギも誰も登ってはいないわ。当時はウムトゥダギよりもヤラブダギ(屋良部岳)が神様の山として、崇められていたのよ。ヤラブダギの裾野の赤崎に南の国から来た人たちが住み始めたのよ」 「その人たちはアマミキヨ様の一族なのでしょうか」 「姉からミャークの赤崎がアマミキヨ様に関係あると聞いて、わたしも調べてみたんだけど、わからなかったわ。わたしの娘のヤラブ姫がヤラブダギの神様をお守りしているの。ヤラブ姫に聞いたら何かわかると思うわ。今晩、ウムトゥダギの山頂で、スサノオ様の歓迎の 「今晩、スサノオの神様の歓迎の宴があるのですか」とササは驚いた。 今晩は名蔵に泊まって、明日、ウムトゥダギに登るつもりでいた。 「スサノオ様はあなたたちが来るのをずっと待っておられたのよ」 スサノオの神様が待っていたなんて知らなかった。知っていたら、もっと早く来られたのにとササは悔やんだ。 日が暮れる前にウムトゥダギに登らなくてはならないので、ササたちはノーラ姫の神様と別れた。 ウタキから出て、 「ウムトゥダギの山頂まで、どれくらいで登れますか」とマッサビに聞いたら、「 「按司のお屋敷には寄らずに、このままお山に登りましょう」と言った。 ウタキの南側にある集落を抜ける時、ササたちは村人たちに歓迎された。子供たちはキャーキャー騒ぎながらあとを追ってきた。やはり、ここもミャークと同じように、何を言っているのかさっぱりわからなかった。 村はずれで村人たちに見送られて、ササたちはウムトゥダギへと続く細い道を進んで行った。歩きながら代わる代わるツカサたちが挨拶に来た。 ツカサたちの話からイシャナギ島の事が少しづつわかっていった。 ウムトゥ姫がイシャナギ島に来た時、もっとも栄えていたのは南部のメートゥリオン(宮鳥御嶽)を中心とした集落だった。南の国から来た人たちで、ノーラ姫はその集落の若者と結ばれて、ノーラオンの所に屋敷を建てて暮らし始めた。 二人の間に六人の子供が生まれた。長女は祖母の跡を継いで、二代目ウムトゥ姫になり、次女は母親の跡を継いで、二代目ノーラ姫になった。三女はヤラブダギに登ってヤラブ姫となり、四番目に生まれたのは男の子で、武芸を身に付けて姉たちと妹たちを守った。四女はクバントゥ姫になって、南部のクバントゥオン(小波本御嶽)のツカサになり、五女はメートゥリオンのツカサになった。 クバントゥオンはまた別の国から来た人たちのウタキだった。お米をイシャナギ島に持って来た人たちだと伝わっている。 ノーラ姫は娘たちをツカサとして各地に送って、娘たちはその土地の男と一緒になって子孫を増やし、言葉も伝えたのだった。今、この島の人たちは皆、同じ言葉をしゃべっているという。元々は琉球の言葉だったのだが、一千年も経つうちに変化してしまって、まったく別の言葉になってしまっていた。 ササはヤラブダギのツカサにアマミキヨ様の事を聞いたが、知らなかった。 「ヤラブダギの古い神様は南の国の言葉をしゃべります。何を言っているのかわかりませんが、アマミキヨという言葉は聞いた事がありません」 そう言われて、アマミキヨという言葉が琉球の言葉だとササは改めて気づいた。アマミはアマンの事で、キヨは人だった。アマンの人が自分たちの事をアマミキヨと言うはずはなかった。 「今の赤崎は寂れているけど、五十年前は唐のお船がやって来て賑わっていたのよ」と崎枝のツカサは言った。 「唐のお船?」とササが驚いた顔をすると、 「福州という所の商人なんだけど、その人、ミャークに移住しちゃったの。その後はこの島からミャークに材木を送っていたんだけど赤崎には来なくて、東部の方で木を伐り出していたみたい」と言った。 その 「両親や亡くなった人たちの ササは驚いて二人を見た。大城のツカサは三十代半ば、新城のツカサは二十代後半に見えた。 大城のツカサが二歳の時、大城でヤキーが流行って村人たちが次々に亡くなった。その前年、宮良湾で 村人たちが次々に高熱を出して亡くなるのは、南蛮の船の呪いに違いないとツカサたちはマジムン(悪霊)退治の フーツカサは座礁した南蛮船を調べた。船乗りたちはすでに白骨になっていた。船から財宝を運び出したウミンチュたちから当時の事を聞くと、船乗りたちは苦しんでいるような顔付きで亡くなっていて、今思えばヤキーにやられたのかもしれないと言った。 フーツカサは白骨を集めて、丁寧に葬り、座礁した船は沖に流して沈めた。船に乗っていた財宝も調べたが、怪しい物は見つからなかった。フーツカサは大城のウタキに籠もってマジムン退治の祈祷をしたが、姉は亡くなってしまった。そして翌年、大城のツカサの祖母が亡くなり、その翌年にはフーツカサもヤキーに罹って亡くなった。 フーツカサは亡くなる前に神様のお告げを聞いた。その神様は蚊の神様だった。蚊の神様は、大城の人たちがヤキーに罹ったのも、南蛮の船乗りが亡くなったのも、皆、蚊の仕業だと言った。イシャナギ島にはいなかった南蛮の蚊が南蛮の船に乗ってやってきた。その蚊を退治しないとイシャナギ島は全滅してしまうと言ったという。 フーツカサが亡くなってしまい、ツカサたちが嘆いていたら、ミャークの池間島からマッサビがやって来た。マッサビはウムトゥダギで修行を積んでから大城に行った。ヤキーに罹った病人の治療をしながら蚊の退治に励んでいたが、大城のツカサの父も母もヤキーで亡くなってしまった。両親が亡くなったあと、村人たちは逃げ去って、グスクも村も焼き払われた。 当時、九歳だった大城のツカサはマッサビに引き取られて名蔵に行った。初めの頃、両親が亡くなったのはマッサビのせいだと恨んでいたが、マッサビが休む間も惜しんで、蚊の退治に専念している姿を見て、やがて尊敬し、マッサビの指導のもとツカサになったのだった。両親が亡くなってから、すでに二十五年が経つが大城はまだ危険地帯で、戻る事はできなかった。 新城にヤキーが流行ったのは、大城を焼き払った時から十三年後の事だった。新城のツカサの父親が亡くなって、マッサビもヤキーに罹って死にそうになった。マッサビは何とか 大城と新城を滅ぼしたヤキーはそれだけでは終わらず、四年後に宮良で流行り、八年後に白保で流行って、二つの村も焼き払われた。白保の村が焼き払われたのは去年の夏の事だという。 宮良のツカサと白保のツカサも両親を失って、名蔵に来ていた。 話を聞いていたササはヤキーの恐ろしさ、凄まじさを改めて感じていた。四つの村がヤキーで全滅したなんて考えられない事だった。 集落の奥にフーツカサの屋敷があった。それほど立派な屋敷ではなかった。他の家よりも少し大きいといった感じの 縁側で縄を 大勢でぞろぞろ来たので庭に入りきれず、マッサビは隣りの家に案内した。隠居した先々代が住んでいた家で、大城のツカサもこの家で育ったという。その家の縁側で一休みしていたら、ササと 「ここのウタキは最も神聖な場所で、フーツカサと今は按司を名乗っているけど、名蔵のツカサしか入れないのよ。あなたたち二人は豊玉姫様の子孫だから入れるわ」 「マッサビ様は琉球に行った事があるのですか」とササが聞いた。 「ミャークの 「そうだったのですか」 一緒に行ったリーミガは、クマラパの娘の女按司に違いない。二人は同じ位の年齢だった。その頃はまだ、佐敷にいたササも安須森ヌルも豊玉姫様の存在すら知らなかった。そして、今、イシャナギ島にいるなんて、当時は夢にも思っていなかった。 沢に沿って山の奥に入って行き、険しい岩場を抜けると滝がいくつも落ちている場所に出た。 不思議な景色だった。岩壁に囲まれた空間で、四方から滝が落ちていた。 「あなたたちを歓迎しているわ」とマッサビが言って、示す方を見ると綺麗な虹が出ていた。 まるで、夢の世界にいるようで、ササも安須森ヌルも言葉が出て来なかった。沢の中にある石を渡って、一番大きな滝の裏側に行くと大きなガマ(洞窟)があった。滝に太陽の光が反射して、ガマの中はキラキラ光っていた。その中に古いウタキがあった。物凄い霊気が漂っているのをササも安須森ヌルも感じて、思わずひざまづいて、両手を合わせていた。 「ここは池間島からいらっしゃったウムトゥ姫様とノーラ姫様がしばらくお暮らしになったガマです。ウムトゥ姫様のお墓でもあります」とマッサビが言った。 マッサビもひざまづいて両手を合わせた。 「スサノオ様を連れて来てくれてありがとう」とウムトゥ姫の声が聞こえた。 「ビンダキの神様からウムトゥ姫様の事を聞いて、どうしてもイシャナギ島に行かなくてはならないと思いました。ようやく、やって来る事ができました。ずっと見守っていただき、ありがとうございます」とササはお礼を言った。 「人の事は言えないけど、今の時代に琉球からイシャナギ島までやって来るヌルがいるなんて考えてもみなかったわ。しかも、偉大なるスサノオ様を連れていらっしゃるなんて、そんな凄いヌルがいるなんて思ってもいなかったわ。わたしがヤマトゥに行った時、 「わたしはまだまだ未熟です。これからもお守りください」と安須森ヌルは言った。 「あなたたちはスサノオ様に守られているわ。大丈夫よ。 「頑張ります」と言ったあと、ササはヤキーの事を聞いた。 「ヤキーが座礁した 「本当よ。わたしにも信じられなかったけど、先代のフーツカサに現れた蚊の神様はわたしの前にも現れて、ヤキーの事を説明してくれたわ。ヤキーは目に見えないほど小さな虫が原因なのよ。その虫は、ヤキーに罹った人の血を吸った蚊に移って、その蚊に刺された人がヤキーになるのよ。人の体内に入ったヤキーの虫が暴れると高熱を出して苦しみ、やがて亡くなってしまうのよ」 そう言われてもササには信じられなかった。そんな小さな虫が暴れたくらいで人は亡くなってしまうのだろうか。 「あなたのように誰も信じなかったわ。マッサビとグラーが一生懸命、蚊の退治をしていても、馬鹿な事をしていると言って、みんな、笑っていたのよ。大城の女按司も信じなかったわ。そして、亡くなってしまったのよ。大城の女按司が亡くなって、グスクと村を焼き払ったあとも、マッサビは蚊の退治を続けていたわ。一匹でも生き残っていれば、また悲劇が起こるかもしれないと思って地道に蚊の退治をしていたの。十年が経って、もう大丈夫だろうと安心していたら、新城でまたヤキーが流行ったのよ。そして、宮良、白保でも流行ったわ。今は落ち着いているけど、また、どこかで流行る可能性があるのよ」 「マッサビ様もヤキーに罹ったけど、生き返ったと聞きましたが、治す事はできるのですか」 「できないわ。でも、まれに、治る事があるのよ。どうして治るのかはわからないけど、きっと、体内にいるヤキーの虫を退治する力を持った人が、百人に一人くらいいるのかもしれないわ。グラーも生き返ったのよ。二人は神様に守られていると言いたいけど、残念ながら、わたしたちにもヤキーの虫を退治するやり方はわからないの」 話の続きはウムトゥダギの山頂でしましょうとウムトゥ姫に言われて、ササたちはお祈りを終えて、ウタキから出て集落に戻った。 |
ノーラオン(名蔵御嶽)
ナルンガーラ