沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







ドゥナン島




 ササ(運玉森ヌル)たちは十日間、クン(古見)按司と対抗するために、ユーツン(高那)の若者たちと娘たちを鍛えていた。

 若ツカサのリンとユマは思っていたよりも強く、若者たちもその強さに驚いていた。二人はミッチェのもとで修行を積んで、ユーツンに帰って来てからも稽古は続けていたが、その実力を披露する事はなかったので、誰もその強さを知らなかった。二人の強さを知った若者たちは、女に負けてはいられないと真剣に剣術の稽古に励んだ。

 あとの事はリンとユマに任せておけば大丈夫だろうと、五十本のヤマトゥ(日本)の刀を贈って、十月の末、ササたちはドゥナン島(与那国島)に向かった。

 ドゥナン島は思っていたよりも遠かった。天気がよくて波も穏やかだったが、風に恵まれなかった。ササは焦る事はないわと言ったが、愛洲(あいす)ジルーは船乗りたちに()を漕がせた。

 太鼓の音に合わせて掛け声が響き渡って、船は気持ちよく進んで行った。一時(いっとき)(二時間)ほど漕ぐと風が出て来た。漕ぐのをやめて、帆を上げて、あとは風の力で進んで行った。

 正午(ひる)前に丁度中間地点に来たのか、前方にドゥナン島が見え、後方にクン島(西表島)が見えた。

「このまま順調に行けば、日が暮れる前にナンタ浜に着くでしょう」とムカラーが言った。

「ただ、ドゥナン島の手前に難所があって、船がかなり揺れますので覚悟していてください」

 ササはうなづいて、クマラパからドゥナン島の事を聞いた。

 クマラパは楽しそうに笑って、

「ドゥナン島は、男にとって夢の島じゃよ」と言った。

「どういう意味ですか」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いた。

「あの島には夫婦という決まりがないんじゃ。男は女のもとに通って、女が承諾すれば結ばれるんじゃよ。生まれた子供は女が育てる。夫婦という決まりがないから、男は別の女の所にも通うし、女は別の男でも気に入れば迎えるんじゃ。それは島人(しまんちゅ)だけでなく、よそ者にも言える事なんじゃよ。島の女が受け入れてくれれば、いい思いができるというわけじゃ」

「クマラパ様もいい思いをしたのですね?」と安須森ヌルが横目で睨んだ。

「ドゥナン島にわしの子供が二人おるんじゃよ。まだ、マズマラーに出会う前の事じゃ。息子はすでに四十を過ぎ、娘も三十の後半じゃ。前回、行ったのは五年前じゃった。タマミガと多良間島(たらま)のトンドをターカウ(台湾の高雄)に連れて行った時じゃよ。五年振りの再会じゃな」

「ターカウに行く船は必ず、ドゥナン島に寄るのでしょう?」とササが聞いた。

「ああ、そうじゃ。ターカウに行くには黒潮(くるす)を越えなくてはならんからな、いい風を待たなくてはならん」

「すると、与那覇勢頭(ゆなぱしず)様やアコーダティ勢頭様の子供もいるのではありませんか」

「ハハハハ」とクマラパは楽しそうに笑って、「その通りじゃ」と言った。

「アコーダティ勢頭が小舟(さぶに)に乗って、ドゥナン島に行ったのは十八の時じゃった。島の娘たちにもてて、ミャーク(宮古島)に帰るのはやめようかと悩んだそうじゃ。アコーダティ勢頭の娘もいるし、野崎按司(ぬざきあず)の娘も、与那覇勢頭の娘もいるよ。そういえば、平久保按司(ぺーくばーず)の娘もいたな」

「娘ばかりで、息子はいないのですか」

「息子もおるよ。与那覇勢頭の息子とウプラタス按司の息子もおったのう」

「まったく、男っていやねえ」と安須森ヌルが冷たい目をしてクマラパを見た。

「琉球に行ったドゥナン島の女按司(みどぅんあず)が、帰って来てから子供を産みませんでしたか」とササは聞いた。

「サンアイ村のユミじゃろう。ユミは琉球から帰って来てから娘を産んでいる。ナーシルという可愛い娘じゃ」

「ナーシル?」と安須森ヌルとササが同時に言って、顔を見合わせて溜め息をついた。

「サジルー叔父さんだわ」とササが言った。

 武芸ばかりに熱中していて、女なんて眼中にないといった叔父の苗代大親(なーしるうふや)が、ドゥナン島の女按司と結ばれて、娘が生まれたなんて信じられなかった。叔父はきっと知らないのに違いない。苗代大親の娘のマカマドゥには絶対に内緒にしなければならないとササは思った。

「なに、ナーシルの父親は、そなたたちの叔父なのか」とクマラパが驚いた。

「タキドゥン様がドゥナン島に行ったら驚く事があると言って笑っていたのです。叔父は苗代大親といって中山王(ちゅうさんおう)の弟で、サムレーたちの総大将を務めています」とササが説明した。

「ユミもいい相手を見つけたようじゃのう。わしがウプラタス按司と一緒に、初めてドゥナン島に行った時、ユミは九歳じゃった。サンアイ村のツカサの娘で、父親は倭寇(わこう)だったという。倭寇といっても、ドゥナン島を襲ったわけではなく、船を修理するために、しばらく滞在していたらしい。その時、ツカサと仲よくなって、ユミが生まれたんじゃよ」

「その倭寇はターカウの倭寇ですか」

「いや。その時はまだ、キクチ殿は来ておらん。ムラカミとかいう倭寇らしい。その倭寇からツカサは弓をもらったんじゃ。その弓は家宝として大事に飾ってある。そして、生まれてきた娘にユミという名をつけたんじゃよ」

「村上という倭寇だったのですか」とササが聞いた。

「ムラカミという倭寇を知っているのかね」

「ヤマトゥの瀬戸内海に村上水軍という海賊がいます。村上水軍も南北朝(なんぼくちょう)(いくさ)の時、九州で南朝のために活躍したと聞いています」

 もしかしたら、あやのお祖父(じい)さんがドゥナン島に行ったのかしらとササは思った。

「ほう。子孫は海賊をやっているのか」と言ってクマラパは笑った。

「ユミはわしの弟子なんじゃよ。ムラカミという父親も武芸が達者だったようじゃ。ユミも武芸の才能があった。スタタンのボウより一つ年下で、わしがボウをドゥナン島に連れて行った時には、お互いに負けるものかと稽古に励んでおった。二人は仲よくなって、その時、ユミも一緒にターカウまで行ったんじゃよ。ドゥナン島しか知らなかったユミは、ターカウの賑わいに驚いておったわ。大勢のヤマトゥンチュ(日本人)を見て、父親の面影を探しているようじゃった。キクチ殿もムラカミという倭寇を知っていた。ムラカミナガト(村上義弘)という凄い大将がいたと言っていた。将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王(かねよししんのう))を九州にお連れしたのも、ムラカミナガトだったと言っておったのう。丁度、キクチ殿が九州からターカウに行った頃、ムラカミナガトは行方知れずになってしまったらしい。嵐に遭って遭難したのか、明国(みんこく)の官軍にやられたのかわからんと言っていた。年齢からいって、ムラカミナガトの息子がユミの父親かもしれんとキクチ殿は言っていた。ユミは美人(ちゅらー)なんだが、男運に恵まれなかったんじゃ。ツカサの娘であるユミに言い寄る度胸のある男がいなかったんじゃよ。平久保按司は言い寄ったようだが、ユミに嫌われたようじゃ。ユミは三十歳になってしまい、琉球への旅に出た。心の中で、いい相手に巡り会える事を祈っていたんじゃろう。そして、苗代大親に出会えたんじゃ。たった一度の出会いだったが、琉球から帰って来たユミは幸せそうじゃった。念願の跡継ぎの娘、ナーシルも生まれた。ナーシルは母親から武芸を習って強くなった。五年前、わしがタマミガを連れてターカウに行った時、ナーシルも一緒に行ったんじゃよ。トンドも一緒じゃった。ナーシルが一番年下なんじゃが、一番、体格がよかったのう」

「ユミさんの娘のナーシルは、あたしたちの従妹(いとこ)になるわけね」と安須森ヌルが言った。

「もしかしたら、ササと同い年じゃないかしら」

「えっ、本当なの?」

「だって、ドゥナンの女按司が来たのはササが生まれる前の年だったのよ」

 ササは突然、旅立つ前に母が言った事を思い出した。

「昔、ササが生まれる前、馬天浜(ばてぃんはま)南の島(ふぇーぬしま)からやって来た人たちが来たのよ。ミャークじゃなくて、別の島の人だったわ。何という島だったのか忘れたけど、ユミという名のヌルと親しくなったの。縁が会ったら会えるわね。もし、会ったらよろしく伝えてね」と母は言った。

 どこの島の人かもわからないヌルに会えるなんて思わなかったので、ササは聞き流していたが、もしかしたら、ユミと苗代大親を会わせたのは母ではないのかと疑った。

「サジルー叔父さんの娘って、どんな人かしら? 会うのが楽しみだわね」とササは言った。

 自分と同い年なら、マカマドゥのお姉さんになる。もし、マカマドゥよりも弱かったら、従妹として認めないとササは密かに思った。

「まさか、南の島に従妹がいるなんて‥‥‥」と言って安須森ヌルは首を振った。

「もう一つ、驚く事があるぞ」とクマラパは言った。

「えっ、何です?」とササは聞いたが、クマラパは笑っているだけで教えてくれなかった。

「行ってからのお楽しみじゃ」

 ササと安須森ヌルは顔を見合わせて、何だろうと考えた。二人はもしかして、サハチの娘がいるのかもしれないと疑った。ドゥナンの女按司が琉球に行ったのは、サハチの長男のサグルーが生まれた年だった。ドゥナンの女按司は娘を産んだので、その後は行けなかっただろうが、代わりに誰かが行ったはずだ。その女とサハチが結ばれたのかもしれないと二人は疑って、舌を鳴らした。

 船は東風(くち)を受けて順調に進んでいるのに、前方に見えるドゥナン島はなかなか近づいて来なかった。

 若ヌルたちが笛の稽古を始めた。玻名(はな)グスクヌルも笛を吹いていたので、不思議に思って安須森ヌルが聞くと、クマラパから作り方を教わって自分で作ったと言った。

「安須森ヌル様とササ様の笛に感動して、わたしもやってみたくなったのです」

「そう、頑張ってね。あなたならできるわよ」

「頑張ります」と玻名グスクヌルは嬉しそうに笑った。

 クマラパに、笛も作れるのかと聞いたら、

「わしは見よう見真似で、船を造ったんじゃよ。笛などわけない事じゃ」と笑った。

「実はわしも笛が吹きたくなってな」と言って、(ふところ)から笛を出して吹き始めた。

 音程が少し狂っているような気がしたが、明国風な曲をクマラパは吹いた。

「まだまだ稽古中じゃよ」と途中でやめて、照れ臭そうに笑った。

 クマラパの吹く曲を聴いて、安須森ヌルもササもヂャンサンフォン(張三豊)が吹いていた曲を思い出した。琉球に帰っても、あの曲はもう聴けないと思うと、急に悲しくなってきた。

 タマミガも女子(いなぐ)サムレーのミーカナとアヤーも、自分で作った笛を出して吹き始めた。みんながそれぞれ勝手に吹いているので、ピーピーとやかましいが、安須森ヌルもササも笑いながら眺めていた。

 ドゥナン島が近くに見えて来た時、突然、船が揺れだした。若ヌルたちは慌てて船室に逃げ込んだ。

 大きな揺れは半時(はんとき)(一時間)ほど続いて、穏やかな波になったが、風は強かった。

 目の前に見えるドゥナン島は険しい崖に囲まれていた。東側に飛び出た東崎(あんあいさてぃ)の北側を進んだ。崖の下に小さな砂浜も所々にあるが、上陸するのは難しそうだった。崖の上に見張り台のような物があって人影が見えた。

 延々と崖が続いていて、崖が途切れたと思ったら岩場が続いた。小さな島があって、その先が少し窪んでいて、白い砂浜が見えた。

「あそこがナンタ浜じゃよ」とクマラパが言った。

 先程の崖の上にいた見張りの者が知らせたのか、ナンタ浜に数人の人影が見えた。ムカラーの指示で、珊瑚礁に気をつけながら、小島の裏側に回って、そこに船を泊め、いつものようにササたちが小舟に乗ってナンタ浜を目指した。

 ナンタ浜の右側には川があるようだった。ナンタ浜の向こうは鬱蒼(うっそう)とした森があり、その後ろに大きな崖があった。この島は崖に囲まれた大きなグスクのようだとササは感じていた。

 小舟が砂浜に近づくと、「お師匠!」と叫びながら女が近づいて来た。ヌルでもなく、女子サムレーでもなく、普通の着物を着た女だが、なぜか、五尺(約一五〇センチ)ほどの(やり)を持っていた。

「イヤ(お父様)」と叫びながら近づいて来る女もいた。

「クンダギのツカサさんが、お師匠が琉球のお姫様を連れて、この島に来ると知らせてくれました」と女が琉球の言葉で言った。

 身なりは質素だが、女按司という貫禄があった。そして、クマラパが言ったように美人だった。

「スサノオの神様からも、あなたたちの事は聞いています。ようこそ、ドゥナン(ちま)へ」

「スサノオの神様はこの島にもいらっしゃったのですね?」とササは聞いた。

「はい。驚きました。『ユウナ姫様』も驚いて、島のツカサたちを集めて、『ウラブダギ(宇良部岳)』の山頂で歓迎の(うたげ)を開いたのです。スサノオの神様はとても感激してくれました」

 ユウナ姫はイリウムトゥ姫の娘で、この島に来たのだった。ユウナ(オオハマボウ)の花が一面に咲いていたこの島は、当時、ユウナ島と呼ばれていたという。

 小舟から下りて上陸すると、ユミの隣りにいる娘を見て、「ナーシルじゃよ」とクマラパがササたちに教えた。

「お久し振りです」とナーシルはクマラパに頭を下げた。

 母親と同じように槍を持っているナーシルは、背が高くて体格もよくて、顔付きは何となく、苗代大親の面影があるような気がした。

「この二人は苗代大親の姪なんじゃよ」とクマラパがユミに言ったら、ユミは驚いた顔をして、ササと安須森ヌルを見た。

「ササは馬天ヌルの娘で、安須森ヌルはサグルーの娘なんじゃ。今は苗代大親の兄のサグルーが琉球の中山王になっている」

「何ですって!」

 ユミは驚きのあまり、ポカンとしてササと安須森ヌルを見ていた。

「ちょっと待って下さい」と言って、ユミは頭の中を整理していた。

「馬天ヌル様にはとてもお世話になりました。あなたが馬天ヌル様の娘さんなのですね。すると、お父様はヒューガ様ですね」

「えっ、父を知っているのですか」

「馬天ヌル様に連れられて会った事があります」

「そうだったのですか」

 ユミは安須森ヌルを見て、

「あなたは佐敷按司様の娘さんなのですね」と聞いた。

 安須森ヌルはうなづいて、「当時は佐敷ヌルでした」と言った。

 ユミは納得したようにうなづいて、

「そして、今は佐敷按司様が中山王になったのですね?」と聞いた。

 ササと安須森ヌルはうなづいた。

「スサノオの神様は、琉球から凄いヌルがやって来るとおっしゃいました。わしがこの島に来られたのも、そのヌルのお陰じゃと言いました。わたしはそんな偉いヌル様をどうお迎えしたらいいのだろうと悩みました。そして、クンダギのツカサから琉球のお姫様が行くと知らされて、わたしは混乱しました。お姫様とその凄いヌル様は別行動を取っているのかもしれないと思いましたが、お姫様と凄いヌル様というのは同じ人だったのですね」

 ユミは改めて、ササと安須森ヌルを見つめ、

「スサノオの神様を連れて来ていただき、ありがとうございました」とお礼を言った。

 そばで話を聞いていたナーシルは、

「わたしの従姉なのですか」とササと安須森ヌルに聞いた。

 二人がうなづくと、ナーシルは嬉しそうに笑った。その笑顔を見た時、ササも安須森ヌルも従妹に間違いないと思った。滅多に笑わない叔父の苗代大親が笑った時の笑顔にそっくりだった。

 クマラパは娘と息子との再会を喜んでいた。娘はラッパといい、ドゥナンバラ村の若ツカサで、その兄のクマンはドゥナンバラ村のサムレー大将だった。

 ダティグ村の若ツカサのアックも来ていて、アックはアコーダティ勢頭の娘だった。崖の上の見張り台でササたちの船を見ていたのは、ダティグ村のサムレーで、すぐにユミに知らせたのだった。

 ササは不思議に思って、どうして、みんな、槍を持っているのかナーシルに聞いた。

「敵が来たら、これを投げて敵を倒します」とナーシルは言った。

「えっ、槍を投げるの?」

「敵は一発で死にます」

「そうなの」と言って、ササは槍の穂先を見た。

 鋭い鉄の刃が付いていた。

 ナーシルが海と反対側の森を見て、大きな木を指差した。そして、槍を構えて素早く投げると、槍は真っ直ぐに飛んで行って、ナーシルが示した木に刺さった。あれが人だったら間違いなく死ぬだろうとササたちは思った。

「この島の者たちは皆、身に付けています」とナーシルは言った。

「ナーシル、武当拳(ウーダンけん)は身に付けたかね?」とクマラパが聞いた。

 ナーシルはうなづいて、

「祖父からみっちり仕込まれました」と言った。

 ササたちは驚いた。どうして、この島に武当拳があるのか、さっぱりわからなかった。

「驚く事とは、この事じゃよ」とクマラパは笑った。

「ユミの母親は倭寇のムラカミと結ばれてユミを産んだあと、ウプラタス按司が連れて来た武当山(ウーダンシャン)の道士、ウーニン(呉寧)と結ばれたんじゃ。ウーニンはこの島に住み着いて、島の者たちに武当拳を教えたんじゃよ。さっきの槍投げの指導をしたのも、ウーニンなんじゃ」

「その道士はヂャンサンフォン(張三豊)様の弟子だったのですか」

「直接の弟子ではないようじゃ。その道士の師匠はヂャンサンフォン殿の弟子のフーシュ(胡旭)という道士だったそうじゃ」

 フーシュという名前は、ササも安須森ヌルもヂャンサンフォンから聞いていた。

 ササはナーシルを見ると、

「行くわよ」と言って、武当拳で掛かって行った。驚いたナーシルは武当拳でササの技を受け止めた。

 突然、武当拳の試合が始まったので、皆が二人を囲んだ。ササの実力がわかったのか、ナーシルは本気になって戦った。打っては受け、受けては打ち、蹴りが飛んで、それをよけるように飛び跳ねた。見事な技の掛け合いが続いて、皆が固唾(かたず)を呑んで見守っていた。ナーシルがササの右拳を払って、右足で蹴りを入れようとした時、ササの左掌がナーシルの胸を突いた。しかし、その掌は胸に当たる一寸前で止まった。

「参りました」とナーシルが言って、ササに頭を下げた。

「素晴らしいわ」とユミが言った。

「この()、今まで誰にも負けた事がなかったの。このまま行ったら進歩しなくなるって心配していたのよ。まさか、この娘より強い人がいたなんて、信じられないわ」

 ササは笑って、

「わたしよりも、シンシン(杏杏)はもっと強いわ」と言った。

「わたしはササ、よろしくね」とササはナーシルに手を差し出した。

「ナーシルです」と言ってナーシルはササの手を握りしめた。

「琉球の人がどうして、武当拳を身に付けているのですか」とユミが聞いた。

「ヂャンサンフォン様は今、琉球にいるのです。琉球にはヂャンサンフォン様の弟子が大勢います。中山王もヂャンサンフォン様の弟子なのです。ところで、あなたのお祖父(じい)様は健在なの?」

 ナーシルは首を振って、「六年前に亡くなりました」と言った。

「祖父からもっと教わりたい事があったのですが、残念です。祖父が亡くなってから、疑問を正してくれる人がいなくなってしまいました。わたしに御指導お願いします」

「それはシンシンに頼んで。シンシンは幼い頃からヂャンサンフォン様の弟子だったから、あなたの疑問に答えられると思うわ」

「日が暮れないうちに帰りましょう」とユミが言った。

 ササたちが話をしているうちに、ユミが出してくれた小舟に乗って、愛洲ジルーたち、玻名グスクヌルと若ヌルたち、ミッチェとサユイも上陸していた。

 ナンタ浜の西側にあるタバル川に沿って上流に向かった。この辺りは湿地帯だった。川が狭くなった所に丸太の橋が架かっていて、それを渡って対岸に行き、密林の中の細い坂道を登って行った。途中から崖に沿った細い道を登った。

 大きな岩が(ひさし)のようにせり出した窪みに出て、突然、視界が開けた。ナンタ浜が見下ろせて、島の近くに浮かぶジルーの船も見えた。

「いい眺めね」とナナが言って笑った。

 若ヌルたちが来てキャーキャー騒いだ。

 青い海があって、真っ白なナンタ浜があって、その奥は緑の密林が広がっていた。密林の中に沼があった。密林の向こうには船の上から見た東崎が見えた。

「ここは『ティンダハナタ』というの。ここに見張りをおいて、あなたたちが来るのを待っていたのよ」とナーシルが言った。

「そうだったの。見張りの人に迷惑をかけたわね」とササが言うとナーシルは笑った。

「見張りをしていたのは子供たちよ。ここで遊びながら見張りをしていたの。気にする事はないわ」

 ティンダハナタにはおいしい水が湧き出ている岩場があった。こんな高い所にどうして水が湧き出しているのか不思議だった。その水は日照りの時も枯れた事がないという。

 来た道を戻って、途中から山道を登って行くと『サンアイ村』に着いた。

 大きなガジュマルの木がある広場から形のいい山が見えた。

「あれがウラブダギよ」とナーシルが言った。

「ユウナ姫様はあの山にいらっしゃるわ。あの山の東の方(あがりかた)に『ドゥナンバラ村』があるの。この島で一番古い村なのよ。そして、このサンアイ村は一番新しい村なの。ガジュマルの事をこの島ではサンアイって呼ぶの。この辺りにはサンアイの木がいっぱいあったらしいわ」

 広場を囲んで、奇妙な形をした家がいくつも建っていた。その家の古さからいって、新しい村と言っても、それは最近の事ではないようだった。

「いつ、この村はできたの?」とササは聞いた。

「五十年近く前よ。母が八歳の時、西の方(いりかた)にあったダンア村からここに移って来て、村造りをしたの。この村の隣りにブシキ村という古い村があって、祖母の父親はブシキ村のツカサの息子だったらしいわ。ブシキ村のツカサは跡継ぎに恵まれなくて、ブシキ村とダンア村は一つになって、サンアイ村が生まれたの。祖母がサンアイ村の初代のツカサになったのよ」

 広場の南側に新しい家が何軒も建っていた。

「あなたたちのために建てたのよ」とナーシルは言った。

 ササたちは新しい家に入って一休みした。屋根の後方が地面につきそうなくらい長くて、壁と床は竹でできていた。

 新しい家は四軒あったので、ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナが一軒に入って、玻名グスクヌルと五人の若ヌルたちが一緒に入り、タマミガ、ミッチェ、サユイと女子サムレーのミーカナとアヤーが一緒に入り、クマラパとガンジュー(願成坊)、愛洲ジルーたちが一軒に入った。

「今晩、広場で歓迎の宴があるわ。用意ができたら呼びに来るから、それまで待っていてね」と言って、ナーシルは広場の方に帰って行った。

「楽しそうな島ね」とナナが背負ってきた荷物を下ろしながら言った。

「明日、ウラブダギに登って、ユウナ姫様に御挨拶して、そのあと、島を巡ってみましょう」

 ササが言うとみんながうなづいて、

「ナーシルはいい娘だったわね」と安須森ヌルが笑った。

「ナーシルの事はマカマドゥには内緒にしようと思ったけど、教えた方がいいかしら?」とササがみんなの顔を見た。

「教えたら会いたくなるわよ」と安須森ヌルが言った。

「マウシと一緒に来ればいいわ」とササは言ったが、

「マカマドゥは二人も子供がいるのよ。無理だわ」とシンシンが言った。

「そうか。幼い子供を連れては来られないわね。やっぱり、内緒にしておいた方がいいわね」

「ねえ、サジルー叔父さんには教えるの?」と安須森ヌルがササに聞いた。

「どうしよう?」

「サジルー叔父さんの唯一の弱みだから、何か叔父さんに頼みがある時に使いましょうよ」

「それがいいわね」とササは笑った。

「お兄さんにも言っちゃだめよ」

「そうね。若ヌルたちにも口止めしなくちゃね」

 ナーシルが呼びに来て、広場に行くと、村の人たちが大勢、集まっていた。ツカサたちが琉球の言葉をしゃべったので、この島は言葉が通じると思っていたが、村人(しまんちゅ)たちがしゃべっている言葉は、まったくわからなかった。

 ササたちは拍手で迎えられて、上座にいる長老たちに紹介された。挨拶が済むと、指定された所に座って酒盛りが始まった。出されたお酒はヤマトゥのお酒だった。ターカウから仕入れたようだ。料理も贅沢なものだった。新鮮な魚介類は勿論の事、(やましし)の肉や海亀の肉、ザン(ジュゴン)の肉もあった。

 篝火(かがりび)が焚かれて明るい広場の中央では、娘たちの歌と踊りが披露された。若者たちの武当拳の套路(タオルー)(形の稽古)も披露された。ササたちが武当拳の名人だという事はすでに村人たちの間に広まっていて、武当拳を披露してくれと頼まれた。シンシンとナナが模範試合をして、皆から喝采を浴びた。安須森ヌルの笛に合わせて、ミーカナとアヤーが琉球の踊りを披露して、皆に喜ばれた。まるで、お祭りのようで楽しかった。

 宴は一時ほどでお開きになって、村人たちは散って行った。ササたちも引き上げようとしたら、ユミに引き留められた。

 安須森ヌルとササはユミの家に呼ばれた。ツカサの家もみんなと同じ小さな家だった。

「この島は変わったわ」とユミは言った。

「外の事なんて何も知らなかった島人が、スーファン(蘇歓)が来てから、色々な事を知るようになったの」

「スーファンて明国の人ですか」とササは聞いた。

「そうよ、唐人(とーんちゅ)よ。ミャークと交易をしていて、ミャークの行き帰りに、この島に寄ったのよ。初めて来たのは、わたしが生まれる前だったわ。わたしが六歳の時、その人はミャークに住み着いて、按司になったのよ」

「もしかして、その人、ウプラタス按司の事ですか」

「そうよ。ミャークに住み着いてからは一度、クマラパ様と一緒に来たけど、そのあとは来なくなってしまったわ。スーファンはダンヌ村のツカサと仲よくなって、今のダンヌ村のツカサの父親はスーファンなのよ。ダンヌ村はスーファンから色々な物を贈られて豊かになったわ。スーファンは一年おきにやって来たけど、みんながスーファンが来るのを首を長くして待っていたのよ。スーファンが来なくなって、島は昔のように静かになったわ。そして、わたしが十三歳の時、ナックが来たのよ。今はアコーダティ勢頭って呼ばれているわね。当時は若かったわ。ナックは丸木舟(くいふに)でミャークからやって来たのよ。それは衝撃だったわ。スーファンのような大きなお船でなければ、ミャークに行けないと思っていたのに、ナックは丸木舟でやって来た。島のウミンチュ(漁師)たちがナックを真似して、クン島やイシャナギ島(石垣島)に行くようになったのよ。そして、三年後、ナックはクマラパ様と一緒に大きなお船でやって来て、ターカウに行ったわ。ミャークとターカウの交易が始まって、ミャークのお船が立ち寄るようになって、今の状況になったのよ。今まで食べる分だけを捕っていたウミンチュたちは、欲しい物と交換できるザンや海亀を捕るのに夢中になったわ。牛の肉は食べないけど、牛の肉が取り引きに使える事がわかると牛を殺して、肉を塩漬けにする人も現れたのよ。鉄の(おの)や鉄の鍋も手に入って、ヤマトゥのおいしいお酒も手に入って、生活は豊かになったけど、島の人たちに落ち着きがなくなってきたような気がするわ。男だけじゃなくて、女たちもそうなのよ。ミャークから来た船乗りたちと仲よくなれば、欲しい物が手に入るって、みんな、着飾って、よそ者の男たちを待っているのよ。それはツカサたちにも言えるわ。この島のツカサたちの娘はみんな、船頭(しんどぅー)(船長)たちの娘なのよ」

「ユミさんはこの島の按司なのですよね?」と安須森ヌルは聞いた。

 ユミは笑って、「この島には按司はいないわ」と言った。

「琉球に行った時、この島の代表として按司を名乗ったけど、按司を名乗ったのはその時だけよ。この島には六つの村があるけど、どの村のツカサが一番偉いという事はないの。島全体に関わる事は六人のツカサが集まって決めるのよ。わたしが最初に琉球に行ったのは、切羽詰まった理由があったからなの。その念願はかなって、二度目の時はドゥナンバル村のツカサ、三度目はダティグ村のツカサ、四度目はダンヌ村のツカサが行って、次はクブラ村のツカサの番だったんだけど、琉球行きは中止になってしまって、クブラ村とナウンニ村のツカサは琉球に行けなかったのよ」

「切羽詰まった理由というのは跡継ぎの事ですね?」とササは聞いた。

 ユミはうなづいた。

「跡継ぎを産まなければ、ツカサを継げないわ。妹のムーに譲らなくてはならなくなるの。わたしは最後の頼みを琉球旅に託したのよ」

「叔父とはどこで出会ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「佐敷の武術道場よ。馬天ヌル様と一緒にヒューガ様のおうちを訪ねる途中、武術道場を覗いたら、物凄く強い人がいて、馬天ヌル様に、あの人を紹介してって頼んだら、あれはわたしの弟で、妻も子供もいるからだめよって言われたの。でも、わたしは諦めなかったわ。あの人しかいないって心に決めて、わたしの事情を説明したの。馬天ヌル様もわたしの気持ちはよくわかるって言ったわ。馬天ヌル様も三十を過ぎてもマレビト神に出会えない事に悩んでいたって言ったわ。そして、わたしを苗代大親様と会わせてくれたのよ」

 あの頃、叔父が美里之子(んざとぅぬしぃ)の武術道場で師範を務めていたのを安須森ヌルは思い出していた。美里之子が(うふ)グスクの戦で戦死してしまって、まだ若かった跡継ぎの長男を助けて、若い者たちを鍛えていたのだった。

「やっぱり、母だったんですね」とササが言った。

「叔父とは武術道場で会ったのですか」と安須森ヌルは聞いた。

 ユミは首を振った。

「その日はヒューガ様のおうちに泊めてもらって、次の朝、山の中のお稽古場で会ったのよ」

「ヒューガさんのおうちの隣りが叔父のおうちだって知っていました?」

「えっ、そうだったの。それは知らなかったわ」

「山の中のお稽古場で出会って、どうなったのですか」

「あの時の事は今でも夢のようだわ」とユミはうっとりとした顔をした。

「苗代大親様はわたしをじっと見つめたわ。わたしも苗代大親様をじっと見つめたの。何も話さなくても目を見ただけで、すべてがわかったような気がしたわ。わたしたちはお稽古場にあった小屋の中で結ばれて、その後、苗代大親様は色々な所へ連れて行ってくれたのよ」

「色々な所ってどこですか」

「景色の綺麗な所だったわ。素敵な人に巡り会えたかと思うと、一緒にいるだけで、もうとても幸せだったわ」

「わかります」と安須森ヌルが言った。

「今回、娘も一緒に来ているんですけど、わたしも運命の人に出会った時は夢のような気分で、とても幸せでした」

「そう。あなたもそうだったのね」とユミは嬉しそうな顔をして笑った。

「わたしは馬天ヌル様の妹のマチルー様のおうちにお世話になっていたの。三人のお子さんがいたわ。みんな、大きくなったでしょうね」

 マチルー叔母さんまで関わっていたなんて、安須森ヌルもササも驚いていた。

「わたしたちは毎朝、山の中のお稽古場で会って、わたしは剣術を教わって、あの人に武当拳を教えたのよ」

「えっ、叔父さんはヂャンサンフォン様に会う前から武当拳を知っていたのですか?」

「素手で戦う武芸があるなんて知らなかったって言って、真剣にお稽古をしていたわ」

「サジルー叔父さんはずっと隠していたのよ。武当拳の事を話すとユミさんの事も言わなければならなくなるので、知らない振りをしていたんだわ」とササが言った。

「サジルー叔父さんも役者だわねえ」と安須森ヌルは笑った。

「でも、わたしはサジルー叔父さんがユミさんと出会えてよかったと思っているわ。こんな遠く離れた島に従妹がいるなんて、本当に夢でも見ているような気分だわ。あたしたち、もしかしたら、ナーシルに会うために今回の旅を計画したのかもしれないわ。ナーシルを立派に育ててくれてありがとうございます」

 安須森ヌルは本心からユミにお礼を言った。





ナンタ浜



ティンダハナタ



サンアイ村




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