さらばヂャンサンフォン
ヂャンサンフォン(張三豊)の送別の宴はやらなくても、三姉妹たち、旧港(パレンバン)のシーハイイェンたち、ジャワのスヒターたちの送別の宴はやらなければならなかった。 サハチは打ち合わせのために首里に行って、打ち合わせが終わったあと、ビンダキ(弁ヶ岳)に登った。ササたちが船出してから一月近くが経ち、何となく気になっていた。ビンダキには南の島に行ったウムトゥ姫の母親がいるという。ヌルではないので、ウタキに入って祈るわけではないが、ビンダキから南の海を見れば、少しは気持ちが落ち着くだろうと思った。 山の頂上から海を眺めながら、ササたちの無事を祈って両手を合わせた。 「ササたちは大丈夫よ」とユンヌ姫の声が聞こえた。 サハチは驚いて、目を開けると空を見上げた。 「ユンヌ姫様がどうして、ここにいるんだ?」とサハチは聞いた。 「お祖父様とお祖母様を送って来たのよ」 「えっ、スサノオの神様と豊玉姫様が南の島に行ったのか」 「そうなのよ」と言って、ユンヌ姫は簡単に経緯を説明した。 「そんな事があったのか‥‥‥」と言ってから、「無事にミャークに着けて、よかった」とサハチは一安心した。 「ミャークに帰れるのか」と聞いたら、スサノオが道を作ってくれたので大丈夫だと言った。 サハチはユミの事を思い出して、 「ササたちは、苗代大親と仲よくなったユミというヌルに会ったのか」と聞いた。 「まだ会っていないわ。今、イシャナギ島(石垣島)にいるから、クン島(西表島)に行ってからドゥナン島(与那国島)に行くわ」 「ユミさんはドゥナン島という島にいるのか」 「そうよ。娘のナーシルと一緒にね。ササたちにはまだ内緒にしているから、行ったら驚くでしょうね」 「娘はナーシルと言うのか」 「武当拳の名人よ。ササといい勝負じゃないかしら」 「ミャークからここまで、すぐに来られたので、また、ササたちの様子をお知らせに参ります」とアキシノが言った。 「随分と変わってしまったのね」と知らない声が言った。 「誰だ?」と聞くと、 「ウムトゥ姫の曽孫の赤名姫よ」とユンヌ姫が紹介してくれた。 「あたし、初めて琉球に来たわ。よろしくね」とまた別の声が言った。 ドゥナン島のメイヤ姫で、ウムトゥ姫の孫の孫だという。南の島にはウムトゥ姫の子孫が随分といるようだった。 サハチはユンヌ姫とアキシノにお礼を言って、赤名姫とメイヤ姫にササたちを守ってくださいとお願いした。 「サハチ、任せてちょうだい」と赤名姫とメイヤ姫は声を揃えて言った。 二人ともユンヌ姫に似て、調子のいいお姫様のようだった。 十月十二日、首里の会同館で、三姉妹たち、シーハイイェンたち、スヒターたちの送別の宴が催された。ヂャンサンフォンも慈恩禅師と一緒に何食わぬ顔をしてやって来た。思紹もサハチも何も知らないといった顔でヂャンサンフォンに接した。 驚いた事にスヒターたちは、ササたちが無事にミャークに着いた事を知っていた。ラーマがユンヌ姫から聞いたという。ラーマは神様と話す事ができ、ササからユンヌ姫を紹介されたという。 「按司様も御存じなんでしょう。ユンヌ姫様から按司様にも知らせたと聞きました」 サハチは笑って、 「ササたちは楽しい旅をしているようだ」と言った。 旧港の使者もジャワの使者も言葉が通じないのでファイチに任せて、サハチはソンウェイとワカサの所に行った。二人は報恩寺で、修行者たちに南蛮(東南アジア)の事や明国の海賊の事を講義していた。サハチも少しだけ聴いたが、実体験に基づく二人の話は興味深いものだった。修行者たちも真剣に聴いていて、評判もいいという。サハチが二人にお礼を言うと、 「まさか、わしが若い者たちに何かを教えるなんて、考えてもいなかった」とソンウェイは照れ臭そうに笑った。 「わしもじゃよ。倭寇をやって、海賊もやっていたわしが、他人様に物を教えるなんて思ってもいない事じゃった」 「そんな二人だからこそ、綺麗事だけでなく、実際の状況を教えられるのです。報恩寺の修行者たちは、やがて、使者になって南蛮の海に出掛ける事になります。お二人から聞いた話はきっと、役に立つはずです。修行者たちはお二人の話を聴くのを楽しみにしています。今度、来た時もお願いします」 「人に教えるとなると、わしらも色々な事を知らなければならん。今まで何気なく見ていた物も、しっかりとよく見なければならんという事に気づいたんじゃ。修行者たちの質問にしっかりと答えられるように、わしらも頑張るつもりじゃよ」とワカサが言うと、ソンウェイも、その通りじゃというようにうなづいた。 二人の顔付きが、何となく、師範ぽくなっているような気がした。 ソンウェイの妻のリンシァはヂャンサンフォンの指導を受けていたが、ヂャンサンフォンが一緒にムラカまで行く事はまだ知らないようだった。もう少し、ヂャンサンフォンから教わりたかったと悔しがっていた。 シュミンジュンは慈恩寺で、修行者たちを鍛えていた。まだ師範が足らないので、慈恩禅師も助かっていた。 リュウジャジン(劉嘉景)とジォンダオウェン(鄭道文)は苗代大親と話をしていた。ジォンダオウェンは何度も運天泊に行っていたので、出会った時に琉球の言葉がしゃべれたが、リュウジャジンは話せなかった。それでも、琉球に来るようになってから七年が経って、リュウジャジンも今では普通に琉球の言葉をしゃべっていた。 二人がヂャンサンフォンを連れて、琉球に来た時、二人はヂャンサンフォンの弟子になっていた。翌年もヂャンサンフォンの指導を受けようと楽しみにしていたら、ヂャンサンフォンはマチルギと一緒にヤマトゥに行っていて、指導は受けられなかった。その時、二人は首里の武術道場を訪ねて、苗代大親と親しくなったらしい。リュウジャジンは苗代大親より二つ年下で、ジォンダオウェンは四つ年下だった。苗代大親は二人よりも強く、二人は苗代大親を師兄と認めて、琉球に滞在中、修行者たちを鍛えていた。 翌年もヂャンサンフォンはサハチとヤマトゥ旅に出ていていなかった。二人は明国から持ってきた珍しい武器を披露して、修行者たちに喜ばれた。二人は苗代大親が武当拳を身に付けている事を知っていた。若い頃、琉球に来た唐人から習ったが、武当拳だとは知らなかったと苗代大親はごまかしていた。 翌年もヂャンサンフォンは思紹と一緒に明国に行っていて、なかなか会う事ができなかった。 三年前に来た時、ようやく、ヂャンサンフォンと出会えて指導を受けた。去年も出会え、今年も出会えて指導を受けたが、慈恩寺ができると、手伝ってやってくれとヂャンサンフォンに頼まれて、修行者を選ぶ試合の時から慈恩寺に来て慈恩禅師を手伝い、その後も修行者たちを鍛えていた。 サハチはリュウジャジンとジォンダオウェンにお礼を言った。 「二人にわしが武当拳を習ったユミの事を話していたところじゃ」と苗代大親は言った。 「あの時は驚きましたよ」とジォンダオウェンが言った。 「修行者たちを連れて与那原から帰ってきたら、ヂャン師匠と苗代の兄貴が試合をしていて、わしらは驚いて声も出ませんでした。あんな凄い試合は滅多に見られません。修行者たちは息を殺して、二人の素早い動きを見つめていました。あの試合を見てから、修行者たちの目付きが変わりました。自分も速く、あの境地に到達したいと真剣になって修行に打ち込んでいます。わしも改めて、苗代の兄貴の強さを思い知りました」 「わしとしてはもっと早くに披露したかった。そしたら、わしが修行者たちに武当拳を教えられたんじゃ。今、思えば、妻に隠れて、ユミに会ったのが間違いじゃった。ユミと会った翌年、姉の馬天ヌルが子を孕んだ。お腹が大きくなったのを隠す事はできないが、姉は堂々としていた。大きなお腹をして歩き回り、人から聞かれると、嬉しそうにマレビト神の子よと言っていた。誰もがマレビト神がヒューガ殿である事を知っていたが、それは口には出さず、祝福していたんじゃ。姉の姿を見て、妻に怒られる覚悟で、ユミと会えばよかったと後悔したんじゃよ」 「でも、サジルー叔父さんの娘が、南の島にいる事がわかっていたら、サジルー叔父さんは南の島に行ったかもしれませんね」 「そうじゃな。わしの娘はナーシルという名前で、ササと同い年なんじゃ。ササの成長を見る度に、ナーシルの事を想っていたんじゃよ。あの頃、一年おきに南の島から船が来ていたんじゃ。わしはその船に乗って、南の島に行ったかもしれん」 「あの時は親父が隠居してしまって大変な時でした。サジルー叔父さんが二年も留守にしていたら大変な事になっていましたよ。汪英紫に攻められて、馬天浜を奪われていたかもしれません。汪英紫が最も頼りにしていた内原之子を倒したサジルー叔父さんは汪英紫も恐れていました。叔父さんがいたから、汪英紫も攻めて来なかったのです」 「わしがいたからだけではあるまいが、あの状況では、わしも南の島へは行けなかった。いつか、必ず会いに行くと約束したんじゃ。今帰仁攻めが終わったら隠居して、ヒューガ殿の船に乗って行ってこようかのう」 「叔父さんが行かなくても、ササがナーシルを連れて来るでしょう」 「そうかのう」 「わしらは来年は来られないけど、次に来た時、兄貴の娘に会えるかもしれませんね」とジォンダオウェンが言った。 サハチは苗代大親と別れて、ウニタキの所に行った。ウニタキはメイリンたちと一緒にいて、ンマムイ(兼グスク按司)も一緒にいた。メイファンはチョンチと一緒に島添大里グスクにいた。チョンチを連れて出席するつもりだったが、チョンチがいやだと言って動かず、メイファンも諦めたのだった。 「メイユーが来なくて寂しかったでしょう?」とリェンリーがサハチに聞いた。 サハチは周りを見回した。マチルギは思紹と一緒にファイチの所にいて、使者の話を聞いていた。 「寂しかったよ。みんなと一緒に杭州に行って、娘に会いたいよ」とサハチは言った。 「来年は来られないけど、再来年はロンジェンを連れてメイユーも来るわ」 「再来年か‥‥‥先は長いな」 「可愛い娘よ。楽しみにしていて」 サハチはうなづいて、「スーヨンはどこに行ったんだ?」とメイリンに聞いた。 「ユリさんたちと一緒にいるわ。あの娘もお芝居の魅力にはまったみたい」 スーヨンが初めて琉球に来たのは四年前で、当時、十四歳だったスーヨンも十八歳になっていた。 「お嫁に行かなくてもいいのか」とサハチは聞いた。 「あの子、シビーを姉のように慕っているわ。シビーがお嫁に行くなんて考えていないから、あの子も興味ないみたい。いつか、好きな人が現れたら、その時、考えるわ」 「スーヨンはメイリンの跡を継ぐんだ。お嫁になんか行かなくていい」とウニタキが言った。 サハチはウニタキを見て笑った。ミヨンの時と同じ口ぶりだった。 ンマムイを見たサハチは、 「リェンリーを口説いていたのか」と聞いた。 「師兄、何を言っているんですか。まあ、その通りなんですけど」 「まったく、この人ったら、あんなに綺麗な奥さんがいるのに、わたしに言い寄って来るんですよ。何とかしてください」 「何とかしてやりたいが、俺にはその資格がないだろう」 リェンリーは笑って、「あんなに素敵な奥さんがいるのに、メイユーに手を出したものね」と言って、笑いながら近づいて来るマチルギを見た。 「あとは頼んだわよ。わたしは帰るわ」とマチルギはサハチに言って、メイリンたちに挨拶をして帰って行った。 思紹がここにいるので、首里グスクを長い間、留守にするわけにはいかなかった。思紹がいない時に異常事態が発生した場合、首里グスクの重臣たちを動かせるのはマチルギしかいなかった。 ナーサが遊女たちを連れてきて宴に加わり、急に華やかになった。 ファイチがサハチたちの所に来た。 「旧港もジャワも、来年も来ると言っています。多分、また一緒に来るでしょう。シーハイイェンもスヒターもお姫様なので、国に帰ると自由に街中にも出られないようです。宮殿の中で退屈な日々を過ごしていて、琉球に来ると生き生きとしていると使者たちは言っていました」 「そうか。あの二人は国に帰ったら、雲の上の人なんだな」 「そうです。庶民たちは滅多に会えない高貴な人なのです。ヤマトゥの御台所様もそうですが、皆、ササと仲良しになります。あの二人は勿論、交易のために来るのですが、ササに会うために来ると言ってもいいでしょう」 「偉大なるササ様だな」とサハチは笑った。 シーハイイェンたちとスヒターたちはユリたちと一緒にいて、楽しそうに笑っていた。 次の夜、遊女屋『宇久真』で、ヂャンサンフォンと山グスクヌルの送別の宴が開かれた。サハチ、思紹、ヒューガと馬天ヌル、苗代大親、ウニタキ、ファイチ、ンマムイが集まった。 ヂャンサンフォンの弟子である女将のナーサとマユミは、ヂャンサンフォンが琉球を去ると聞いて驚き、 「昨夜、南蛮の人たちの送別の宴をやった時、そんな話はなかったのに、急に帰る事に決まったのですか」と聞いた。 「前から決まっていたんだけど、ヂャン師匠は大げさな送別の宴は嫌いなので内緒にしていたんです。今回がささやかな送別の宴なんですよ」とサハチが説明した。 「まあ、内緒にしていたら、大勢のお弟子さんたちが怒りますよ」と女将が言うと、 「わしはまた、ここに戻って来るつもりじゃよ」とヂャンサンフォンは言った。 「必ずですよ」と馬天ヌルが念を押した。 馬天ヌルはヂャンサンフォンだけでなく、山グスクヌルにも大変、お世話になっていた。今の自分がいるのも、久高島で山グスクヌル(当時はサスカサ)に出会ったからだと思っていた。 あの時、馬天ヌルは佐敷按司になった兄を助けるために、按司が行なう様々な儀式のやり方を教わろうと思って、島添大里ヌルだったサスカサを訪ねた。サスカサは島添大里グスクを奪われてから、ずっと久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっていた。馬天ヌルは教えを請うが、サスカサは何も教えてくれなかった。すべて、神様の言う通りにすればいいと言っただけだった。儀式のしきたりなんかは、あとからできた事だから気にしなくてもいいと言った。 馬天ヌルは先代から、ヌルはこうでなければならないと色々な戒めを学んでいた。それが正しいと信じていた馬天ヌルは、サスカサに会った事で、それらの形にはまったヌルから解放されて、まったくの自由になった。自由になった事で心も解放されて、神様の声も以前よりも聞こえるようになった。ササを授かったのも、サスカサのお陰だと言えた。 サハチとウニタキはヂャンサンフォンと初めて会った時の事を思い出していた。その時のヂャンサンフォンは薬屋の主人で、どこにでもいそうな普通の親父だった。とても武芸の達人には見えなかった。武当山に行って、真っ暗闇のガマ(洞窟)の中を歩いた事が、まるで、昨日の事のように鮮明に思い出された。 思紹はヂャンサンフォンと一緒に旅をした明国の険しい山々を思い出していた。 ンマムイはヂャンサンフォンと出会ったハーリーの日を思い出していた。その日、ハーリーが終わったら、サハチを襲撃して殺す予定だった。ヂャンサンフォンに出会って感激したンマムイは何もかも忘れて、ヂャンサンフォンのあとを追って島添大里の城下に行った。そこが敵地である事など頭からすっかり消えていた。 ヂャンサンフォンに出会ってから、ンマムイの生き方は変わっていった。敵だったサハチを師兄と仰いで、一緒に朝鮮やヤマトゥまでも行っていた。 「お師匠、テグム(朝鮮の横笛)を聴かせてください」とンマムイが言った。 ヂャンサンフォンはうなづいて、腰に差していたテグムを吹き始めた。 ヂャンサンフォンの吹く曲を聴きながら、それぞれがヂャンサンフォンとの思い出に浸っていた。 翌日は朝からいい天気だった。ヂャンサンフォンと山グスクヌルは、慈恩禅師とギリムイヌルと一緒に馬天浜に向かった。 この日は先代のサミガー大主の命日なので、サハチ、思紹と王妃、ヒューガと馬天ヌル、苗代大親夫婦、そして、サミガー大主の子供たちや孫たちも『対馬館』に集まっていた。 舞台ではユリ、ハル、シビーたちが準備をしていて、まだ、浜の人たちは集まっていなかった。ヂャンサンフォンたちもサハチたちの酒盛りに加わった。 「速いもので、親父が亡くなって、もう十二年が経ちました」と東行法師の格好をした思紹が言った。 「サミガー大主殿はウミンチュ(漁師)たちにとって、神様のような存在ですな」と慈恩禅師が言った。 琉球に来て各地を旅した時、一緒に行ったイハチが、馬天浜から来たと言うと、必ず、サミガー大主の名前が出てきて、以前にお世話になったというウミンチュが何人もいたという。 ヂャンサンフォンも勝連のウミンチュからサミガー大主の話を聞いた事があると言った。サハチも若い頃、勝連に言った時、祖父にお世話になったというウミンチュに歓迎された事を思い出していた。 鮫皮作りを隠居した祖父は、東行法師に扮して、毎年、旅に出て、若い者たちをキラマの島に送ってくれた。その頃の若者たちが立派に成長して、今は中山王のサムレーとして仕えている。 祖父の思い出話に弾んでいたら、突然、太鼓の音が鳴り響いた。 お祭りの始まりを知らせる太鼓だった。遠くからもわかるように、凧も上げられた。 「いよいよ、始まるのう」とヒューガが言って、サハチを見た。 サハチは微かにうなづいた。 「ウミンチュたちがやって来たようじゃな」と思紹が海の方を見た。 小舟が三艘、近づいて来るのが見えた。 「小舟が次々に来るわ」とギリムイヌルが言った。 「凄いわね」と山グスクヌルもその数に驚いていた。 二十艘、三十艘と小舟の数が増えていき、海は小舟で埋まっていた。 「親父が亡くなった時を思い出すのう」と思紹が言った。 あの時も、サミガー大主の死を知ったウミンチュたちが続々とやって来て、海は小舟で埋まっていた。 ウミンチュたちは浜辺に上がると整列した。 「何をやっているんじゃ?」と不思議そうな顔をしてヂャンサンフォンが誰にともなく聞いた。 皆が首を傾げた。 「おや、女子のウミンチュたちもいるようじゃ」とヂャンサンフォンが言った。 浜辺に整列したウミンチュたちは一千人余りもいた。全員が上陸すると、太鼓が鳴り響いた。すると、掛け声と共に武当拳の套路(形の稽古)が始まった。 一千人の者たちが一糸乱れず、套路をやっている情景は見事というほかなかった。 「ウミンチュたちではないな」と言って、ヂャンサンフォンがサハチを見た。 サハチはうなづいて、 「皆、お師匠の弟子たちです」と言った。 「送別の宴はやるなと言ったじゃろう」とヂャンサンフォンは言ったが、怒ってはいなかった。目を潤ませて、弟子たちの套路を見ていた。 「ここに来られず、グスクを守っているサムレーたちは、あの凧を見上げながら、ヂャン師匠にお別れを告げているはずです」と苗代大親が言った。 套路が終わると、弟子たちは声を揃えて、ヂャンサンフォンにお礼を言った。拍手や指笛が響き渡って、浜の人たちが現れた。整列は崩れて、お祭りが始まった。 ファイチは久米村から唐人の弟子たちを連れて参加していた。ウニタキはシズを連れて参加した。ンマムイは娘のマウミと本部のテーラーを連れて来ていた。サスカサ、浦添ヌル、麦屋ヌルとカミーもいた。具志頭からイハチ夫婦も来ていた。ミーグスクのチューマチ夫婦もいた。山グスクからサグルー、ジルムイ、マウシたちも来ていた。ナーサとマユミも来ていた。リェンリーたち、シーハイイェンたち、スヒターたちはまだお別れではないが、女子サムレーたちと一緒に加わっていた。 舞台では、娘たちの歌と踊りが始まった。舞台は対馬館の正面にあるので、サハチたちはそのまま対馬館の中から舞台を見ていた。 踊っている娘たちの中にサミガー大主の曽孫が何人もいた。長男のサグルーが中山王になっても、次男のウミンターは父の跡を継いでサミガー大主になり、三女のマチルーはウミンチュの妻として馬天浜で暮らし、四女のマウシは鮫皮職人の妻として新里で暮らしていた。 娘たちの踊りが終わると旅芸人たちによる『武当山の仙人』が上演された。 サハチが新里の馬天ヌルの屋敷でユリたちと会った翌日、ハルとシビーは首里に行って旅芸人たちと会い、馬天浜のお祭りで、『武当山の仙人』を演じてくれと頼んだ。ヂャンサンフォンが琉球を去ると聞いた旅芸人たちは驚き、ヂャン師匠のために見事なお芝居を見せると言って、その日から猛特訓を始めたのだった。 ヂャンサンフォンを演じたのはユシで、チャンオーを演じたのは身の軽いマイだった。月は対馬館の屋根の上にあって、マイは綱を伝わって上り下りしていた。最後のヂャンサンフォンとチャンオーを祝福する場面では、集まっていた女子サムレーたちが弟子に扮していた。 指笛が鳴り、拍手が沸き起こって旅芸人たちのお芝居は成功に終わった。 ファイチが舞台に上がってヘグム(奚琴)を弾いた。観客たちはシーンとなって、ヘグムの調べに聞き惚れた。ファイチの曲を聴きながら、それぞれがヂャンサンフォンとの思い出に浸っていた。 ファイチの次にサハチが一節切を吹く予定だったが、サハチは遠慮した。サハチが吹けば、また皆が思い出にふけるだろう。同じ事を二度もする必要はないと思った。 観客たちがファイチの曲の余韻に浸っている時、太鼓が鳴り響いて、ハルとシビーの新作『武当山の仙人その二』が始まった。 琉球に来たヂャンサンフォンとシンシンが、ジクー禅師、ササ、サグルーと一緒に旅をしている場面から始まった。ヂャンサンフォンを演じたのはリェンリーで、何気ない仕草がヂャンサンフォンによく似ていた。ササを演じたのはシーハイイェンで、シンシンを演じたのはスヒターだった。もし、ササとシンシンがいたなら自分で自分の役を演じただろうと思った。ジクー禅師を演じたツァイシーヤオは何をかぶっているのか、うまく坊主頭になっていた。 山の中で山賊が出て来て、お決まりの山賊退治をするが、ササもシンシンも強かった。サグルーとジクー禅師は見ているだけで、ヂャンサンフォンは薙刀を振り回している山賊の頭領を、触れもせずに気合いで吹き飛ばしていた。 旅から帰ったヂャンサンフォンは運玉森ヌルと出会って恋に落ちる。運玉森ヌルを演じたのは佐敷の女子サムレーのアサで、ウタキでお祈りを捧げている姿に神々しさが感じられた。 ヂャンサンフォンと運玉森ヌルが見つめ合っていると、そこに現れたのはフーイーとチャンオーだった。『武当山の仙人』で二人を演じた旅芸人のカリーとマイがそのまま登場して、フーイーはヂャンサンフォンと決闘をして敗れ、運玉森ヌルとチャンオーも決闘するのかと思っていたら、じっと睨み合ったあと、「あなたには負けたわ」とチャンオーが言って月に帰って行った。観客たちは何もしないで月に帰って行くチャンオーに拍手を送っていた。 場面は変わって、ヤマトゥ旅に出たヂャンサンフォンは対馬島の山の中で、一か月の修行の指導をする。ヒューガ、馬天ヌル、マチルギ、修理亮、ササ、シンシン、シズが呼吸を整えながら静座をしている。真っ暗なガマの中を歩く場面もあって、手探りで恐る恐る歩く場面で、ササたちが馬鹿な事を言って笑わせた。シズを演じていたのは本人だった。この場面に、本当はマチルギはいないのだが、『ウナヂャラ』でマチルギを演じた島添大里の女子サムレーのアミーが演じていた。この修行の場面は、ヂャンサンフォンの弟子なら誰でも経験していて、皆、当時の事を思い出していた。 全員で套路をして、ヂャンサンフォンとシンシンの模範試合も演じられた。 また場面は変わって、ヂャンサンフォンは思紹と一緒に明国を旅している。一緒に旅をしているのはクルーとユンロンだった。思紹を演じたのは佐敷の女子サムレーのアチーで、ジクー禅師と同じように坊主頭になっていた。クルーを演じたのはシャニーで、ユンロンを演じたのは本人だった。 四人は険しい山を登って景色を眺め、思紹とクルーは、明国は果てしもなく広いと驚く。 あんな小さな島で争いをしているなんて愚かな事じゃと思紹は言う。 武当山に登ると、ヂャンサンフォンが帰って来たと言って、弟子たちが集まって来る。 なぜか、ヂャンサンフォンと思紹が綱を伝わって月に登って行った。観客たちが二人を追って対馬館の屋根の上を見ると、そこに月はなかった。ヂャンサンフォンがそこで演説を始めると浜辺で酒盛りをしていた弟子たちが一斉に立ち上がって喊声を上げた。 『武当山の奇跡』の再現だった。 対馬館の中から見ていたサハチたちには何が起こったのかわからなかった。ユリが思紹に何かを囁き、思紹はヂャンサンフォンを連れて舞台に行き、ヂャンサンフォンと一緒に綱を伝わって対馬館の屋根に上がった。 思紹が右手を上げると弟子たちが一斉に喊声を上げた。一千人余りもいる弟子たちを見下ろして、ヂャンサンフォンの目が潤んでいた。 弟子たちが静かになって、ヂャンサンフォンを見上げた。 「ありがとう。わしは今日、この日を一生忘れないじゃろう」 ヂャンサンフォンがそう言うと喊声がどっと沸き起こった。 |
首里弁ヶ岳
馬天浜