アミーの娘
ヂャンサンフォン(張三豊)がいなくなって半月余りが過ぎた。何となく、琉球が静かになってしまったようだとサハチは感じていた。 今、改めて思い出してみると、もし、ヂャンサンフォンが琉球に来なかったら、ハーリーからの帰り道で、サハチはンマムイ(兼グスク按司)の襲撃を受けていた。あの時、ウニタキと苗代大親が敵の襲撃に備えていたので、サハチが殺される事はなかったかもしれないが、ンマムイは死んでいたかもしれない。ンマムイのその後の活躍を見ると、サハチにとってもンマムイが生きていてよかったと思った。今、明国に行っているマグルーはンマムイの娘のマウミと出会わなかっただろうし、ンマムイがいなくなけば、シタルー(先代の山南王)は山北王と同盟を結ぶ事もできなかったに違いない。シタルーを殺したチヌムイもンマムイのもとで剣術修行はできないし、ヂャンサンフォンのもとでも修行はできない。抜刀術を知る事もなく、敵討ちは諦めたかもしれなかった。 ヂャンサンフォンが琉球に来たか来なかったで、その後の琉球の歴史は大きく変わっていたように思えた。ササはヂャンサンフォンのもとで修行して、持って生まれた才能を開花させて、神様たちと会話をするようになり、サハチがスサノオの神様の声を聞く事ができるようになったのも、ヂャンサンフォンの修行のお陰だったに違いない。そう考えると、ヂャンサンフォンは琉球の偉大なる恩人と言えた。 「おーい。そんな所で、ササたちの心配をしているのか」と声が聞こえた。 下を見るとウニタキがいた。 「ミャーク(宮古島)は見えるか」と聞いて、ウニタキは物見櫓に登ってきた。 「ササは大丈夫だろう。ヂャン師匠の事を考えていたんだ」 「シタルーがいなくなって、ヂャン師匠もいなくなるとはな」とウニタキは言った。 シタルーが生きていれば、冊封使が来る事もない。シタルーが亡くなったから、ヂャンサンフォンが琉球を去る事になったのかとサハチは今になって気づいた。 「トゥイ様は旅から帰って来たのか」とサハチは聞いた。 「ああ、昨夜は恩納岳のタキチの屋敷に泊まって、宇座の牧場に寄って帰って行ったよ」 「なに、宇座の牧場に寄ったのか」 「宇座の御隠居様はトゥイ様の叔父さんだからな。嫁入り前に乗馬を習ったのだろう。懐かしそうな顔をして仔馬と遊んでいた。俺たちよりかなり年上なんだが、可愛い女だと思ったよ。シタルーには勿体ない奥方様だな」 「確かにな」とサハチはうなづいた。 「威厳のある王妃様の顔も持っているんだが、可愛い娘のような所もある。そんな所がウミンチュ(漁師)たちの心を奪うのだろう。宇座按司が何を言ったかわからんが、俺が宇座の牧場に出入りしていた事を知られたかもしれんな」 「多分、知られただろう」とウニタキは笑って、「それどころじゃないぞ」と言った。 「トゥイ様を奥間から今帰仁まで案内したのはサタルーとクジルーだ。クジルーから、トゥイ様が奥間にいた時の様子を聞いたら、トゥイ様はサタルーがお前の息子だと知ってしまったようだぞ」 サハチは苦笑した。 「サタルーが子供の名前に俺とマチルギの名前を付けるとは思ってもいなかった。子供の名前を知れば、誰でも気づいてしまうだろう」 「トゥイ様はお前の名前を知っているが、お前の名前を知っている者はそう多くはない。心配するな」 そう言われてみれば、ウニタキの言う通りだった。サハチと呼ばれていたのは幼い頃で、その後は若按司様と呼ばれ、今は按司様と呼ばれている。幼馴染みか親戚の者以外で、サハチの名前を知っている者は少なかった。しかし、マチルギの名前は有名だった。マチルギにあやかろうと、マチルギと名付けられた娘が何人もいると聞いている。サタルーが娘にマチルギと名付けた所で、怪しむ者はいないかもしれなかった。 「すると、ナーサが話したのか」 「どうも、そうらしい。奥間とお前のつながりをトゥイ様に教えて、ナーサなりにトゥイ様を味方に引き入れようと考えたようだ」 「トゥイ様が味方になってくれれば、確かに心強いが、シタルーの隠れた軍師だったからな。そう簡単には心を動かすまい。それより、ヤキチ(奥間大親)が玻名グスク按司になってから、奥間と玻名グスクを行き来する小舟が増えている。中山王と奥間の関係が山北王に気づかれるかもしれんな」 「山北王は今の所、奥間はヤンバル(琉球北部)の村の一つに過ぎないと思っている。玻名グスク按司になった奥間大親が奥間の出身というのも知っている。奥間の若者たちが小舟に乗って玻名グスクに行っているのも知っている。奥間の鍛冶屋が各地にいる事も知っている。しかし、奥間の鍛冶屋と木地屋が皆、中山王とつながっている事は知らない。その事を知れば、山北王は奥間を滅ぼすに違いない」 「サタルーによく言っておいた方がいいな」とサハチは言って、「トゥイ様は山北王と会ったのか」と聞いた。 「山北王は留守だったようだ。多分、沖の郡島(古宇利島)に行っているのだろう」 「例の若ヌルに会いに行っているのか」 「若ヌルのために立派な御殿を築いている。妻の王妃には、国頭按司の船を見張るためのグスクを築いていると言っているようだ。国頭按司が中山王に材木を送っているのが気に入らないらしい」 「山北王と国頭按司が仲違いしてくれるのはいいが、奥間の船も見張られるぞ」 「船の見張りなんて、沖の郡島に行くための口実に過ぎんよ。御殿が完成したら、見張りなんて置かんだろう。山北王が息抜きをする別宅のようなものだ」 「明国と密貿易ができなくなったというのに、のんきなものだな」 「リュウインに感謝しているようだ。リュウインのお陰で、中山王の進貢船に便乗して、使者を送る事も決まって、安心して沖の郡島に行ったんだろう。山北王は留守だったが、湧川大主が宴席に顔を出したようだ。湧川大主は去年、意気揚々と鬼界島から帰って来たら、母親が亡くなっていた。そして、今年は妻を亡くし、妻の父親の羽地按司も亡くなっている。さらに、海賊のリンジョンシェン(林正賢)が戦死した。リンジョンシェンの戦死はかなり応えたようだ。今帰仁に住んでいた唐人たちも、リンジョンシェンが来ないのなら今帰仁から引き上げようと考えている者も多いようだ」 「帰ると言っても、どうやって帰るんだ。唐人たちは船を持っているのか」 「船はない。財産などない身軽な奴はすでに、三姉妹の船や旧港やジャワの船に潜り込んで帰っている。だが、たっぷりと稼いだ奴は財産を持って帰る事もできず、このまま今帰仁で商売でも始めるかと考えている奴もいるようだ」 「そうか。それで、トゥイ様は湧川大主に会ったんだな?」 「おう。話が飛んでしまったな」とウニタキは笑って、「湧川大主はすべて、お見通しだったようだ」と言った。 「各地に奴の配下がいて、トゥイ様の動きは皆、知っていた。名護から奥間に向かう時、女ばかりだったのに、どうして、今、護衛のサムレーがいるんだと聞かれたんだ。トゥイ様は驚いた顔をしたが、笑って、二人は奥間の若者で、今帰仁まで案内してくれただけだと言った。湧川大主はその事は大して気にもせず、今帰仁に来た目的は何だと聞いたんだ。トゥイ様はママチーと姪のマアサに会うためだと言った。湧川大主は笑って、まさか、山南の王妃様が今帰仁までやって来るとは思わなかったと言って、歓迎したようだ。奴の事だから、トゥイ様を利用しようと考えているに違いない」 「どう利用するんだ?」 「若按司の保護者にしようとたくらんだようだ。湧川大主は御内原に行って、若按司を連れてきてトゥイ様と対面させたんだ。若按司は礼儀正しい美男子だったようだ。トゥイ様は一目で気に入ったらしい。島尻大里に来たら、わたしを母親だと思って何でも聞いてちょうだいと言ったようだ。湧川大主はうまく行ったとほくそ笑んだそうだ」 「若按司はそんなにいい男なのか」 「まだ十三だ。いい男というより、綺麗な顔付きをしているんだろう。だが、トゥイ様の心をつかんだ事は確かだ。トゥイ様は本気で、若按司を世子にしようと考えるかもしれない」 「まさか? 孫のシタルーを差し置いてか」 「先の事はわからんからな。山南王の他魯毎は中山王の娘婿だ。世子を山北王の若按司にしておけば、この先、中山王と山北王が戦をして、どっちが勝ったとしても生き残れると考えるかもしれん」 「成程、トゥイ様としては、シタルーの子孫を何としても残したいと思っているのだな?」 「本当は自分の子孫を残したいのだろう。保栄茂按司はトゥイ様の息子で、山北王の娘を妻に迎えている。時期を見て、若按司は山北王に返して、保栄茂按司を山南王にするかもしれんな。仮に、山北王が勝った場合の話だけどな。中山王が勝てば、他魯毎はそのまま山南王で、山北王の若按司は、どこかの按司にしておけばいい」 「今帰仁攻めもいよいよ迫って来た。絶対に負けるわけにはいかんな」 ウニタキはうなづいて、 「俺は旅芸人を連れて、南部の状況を調べてくるよ。南部が安泰じゃないと、北には行けないからな」と言った。 「ああ、頼むぞ」 ウニタキは手を振ると物見櫓を下りて行った。 サハチは景色を眺めた。いつの間にか夕暮れになっていた。サハチはふと、シタルーと一緒にここから景色を眺めていた時の事を思い出していた。 サハチが物見櫓から下りようとしたら御門番がやって来て、「東行法師という僧が按司様に会いたいと言って来ておりますが、どうしますか」と聞いた。 親父が今頃、何の用だとサハチは思った。親父も高い所が好きなので、「ここに呼んでくれ」と御門番に言った。 二の曲輪から東曲輪に入って来た東行法師は父ではなかった。何者だとサハチは一瞬、慌てたが、今でも、子供たちを集めている東行法師がいる事を思い出した。確か、ヒューガが山賊をやっていた頃の配下で、タムンという男だった。首里グスクを奪い取った時、タムンはヒューガに会いに来て、その時に思紹と一緒に会って、お礼を言ったが、その後、一度も会ってはいなかった。 「按司様、お久し振りです」とタムンはサハチを見上げて頭を下げた。 サハチは上がって来るように言った。見かけによらず身が軽く、あっと言う間にタムンはやって来た。 「素早いな」とサハチが言うと、 「逃げ足が速いのだけが取り柄で」と笑った。 「気持ちいいですな」と言って、タムンは景色を眺めた。 「旅の途中ですか」とサハチは聞いた。 「そうです。与那原に行ったらヂャンサンフォン殿が琉球を去ったと聞いて驚きましたよ」 「ヂャンサンフォン殿を知っていたのですか」 「わしも一か月の修行を積んでいるのです。按司様の息子さんのサグルー殿と一緒でした」 サグルーから旅の禅僧と一緒に修行を積んだとは聞いていたが、タムンだとは知らなかった。 「あの時、東行法師を名乗るのはうまくないような気がして、南行法師と名乗ったのです」 「南行法師か」と言ってサハチは笑った。 「実は按司様のお耳に入れておいた方がいいと思いまして、訪ねて参ったのですが」と言ってから、「ヂャンサンフォン殿と運玉森ヌル様が我謝に孤児院を作って、身体の不自由な子供たちを預かっていたのです」と言った。 「何だって?」とサハチはタムンの顔を見た。 「ヂャンサンフォン殿から、内緒にしておいてくれと言われていたので黙っていたのですが、ヂャンサンフォン殿が去って行ってしまったからには、按司様に知らせた方がいいと思いまして」 「どうして、ヂャンサンフォン殿が孤児院なんか始めたんだ?」 「三年前の春の事です。与那原を旅していた時、村はずれにあった朽ちかけた空き家に泊まったのです。朝、目が覚めたら、目の見えない女の子がいたのです。女の子に親の事を尋ねると、泣いてばかりいて何もわかりません。わしは困って運玉森に登って、運玉森ヌル様を頼ったのです。親元に帰しても、また捨てられるじゃろうとヂャンサンフォン殿が言って、その子を我謝ヌルに預けたのです。我謝ヌルは我謝に帰って孤児院を始めました。わしは旅をして、その子と同じ境遇の子を何人も見ています。可哀想だと思いますが、そんな子をキラマ(慶良間)の島に連れて行っても使い物になりません。見て見ぬ振りをしていたのです。我謝に孤児院ができてからはそんな子は皆、我謝に連れて行きました。今では十数人の子供たちが暮らしています」 「子供たちの食い扶持はどうしているんだ?」とサハチは聞いた。 「すべて、ヂャンサンフォン殿が出していました」 ヂャンサンフォンは家臣ではないが、中山王のサムレーたちの武術指導をしていたので、思紹は毎年、礼金を贈っていた。ヂャンサンフォンはその礼金を孤児院のために使っていたに違いなかった。 サハチはタムンを引き留めて、その晩、タムンの旅の話を聞きながら一緒に酒を飲んだ。 「ヤンバルに可愛い娘がいるんです」とタムンは嬉しそうに言った。 詳しく聞くと、娘の母親は本部ヌルで、本部ヌルの兄はテーラーだった。 「テーラーに会った事はあるのですか」とサハチは聞いた。 「山北王と喧嘩をして、テーラー殿が本部に戻っていた時期がありました。その時に会って、一緒に酒を飲みました。テーラー殿は進貢船の護衛のサムレーとして何度も明国に行っていたようです。また、明国に行きたいと言っていました」 サハチは笑って、 「来年、テーラーは明国に行く事になっている」と言った。 「えっ、本当ですか」 「来年、山北王は久し振りに進貢船を出すのです。でも、船がないので、中山王の船に乗って行くんですよ」 「そうでしたか。今頃は浮き浮きしながら旅の準備をしていそうですね」 翌日、サハチはタムンと一緒に与那原の北にある我謝に行って孤児院を訪ねた。運玉森の裾野に孤児院はあった。広い庭で子供たちが遊んでいて、若い女たちが世話をしていた。 我謝ヌルは思っていたよりも若かった。二十代の半ばで、ササと同じくらいに見えた。 「お久し振りです」と我謝ヌルはタムンに挨拶をして、サハチを見ると、 「島添大里の按司様ですね」と言った。 「どこかでお会いしましたっけ」とサハチが聞くと、我謝ヌルは首を振って、 「与那原グスクのお祭りの時に何度か拝見しましたが、お話をするのは初めてです」と言った。 我謝ヌルは家に上がってくれと言ったが、サハチは遠慮して縁側に腰を下ろして話を聞いた。 「わたしは祖母の跡を継いでヌルになりました。でも、祖母はわたしが二十歳の時に亡くなってしまいました。祖母は運玉森に登って、運玉森ヌル様から教えを受けなさいと言って亡くなりました。その年に運玉森にグスクが完成して、運玉森ヌル様もいらっしゃったのです。運玉森ヌル様は運玉森のマジムンを退治なさった凄いヌルだと祖母は尊敬しておりました。わたしが子供の頃、運玉森には恐ろしいマジムンがいて、山賊もいるので近づいてはならないと言われました。運玉森ヌル様がマジムンを退治して、お山の上にグスクが出来て、ヂャンサンフォン様がやって来ると、運玉森は武芸の聖地となりました。大勢の武芸者たちが集まって来るようになって、悪い人たちも近づかなくなって、この辺りは平和になりました。ヂャンサンフォン様が運玉森ヌル様と一緒に明国に帰ってしまったのは、とても悲しい事です」 「ヂャン師匠に言われて、この孤児院を始めたのですか」とサハチは聞いた。 「祖母が亡くなったあと、わたしは運玉森に登って、運玉森ヌル様の指導を受けました。その時、運玉森ヌル様は二人の若ヌルの指導をしていました。わたしは六つ年下の若ヌルたちと一緒に指導を受けました。ヂャンサンフォン様は明国に行って、十月に帰って来ました。その年の暮れ、わたしは若ヌルたちと一緒にヂャンサンフォン様の一か月の修行を受けました。呼吸を数えて行なったり、真っ暗なガマ(洞窟)の中を歩いたりと、わけのわからない修行でしたが、一か月後、わたしは生まれ変わったかのような気分になりました。そして、なぜか、他人の心がわかるようになったのです」 「他人の心がわかるとは、何を考えているのかがわかるという意味ですか」 「そうです。でも、わたしよりもシジ(霊力)の高い人の心は読めません。山グスクに行ってしまったヂャンサンフォン様と運玉森ヌル様が子供たちに会いに来た時、お別れに来たのだとは、わたしにはわかりませんでした。東行法師様が目の見えない女の子を連れて来た時、その子が死にたいと考えている事がわかって、放っておいたら危険だと思いました。わたしは運玉森ヌル様に頼んで、この子の事は任せて下さいと言ったのです。そして、我謝に孤児院を開いて、東行法師様に可哀想な子供たちを連れて来てほしいと頼んだのです」 「集まって来た子供たちの心が読めたのですね?」とサハチが聞くと我謝ヌルはうなづいた。 「言葉がしゃべれない子供もいましたが、心を読む事ができて、その子の心を癒やしてやる事ができました」 「成程、そなたにしかできない仕事だな」と言って、サハチは庭で遊んでいる子供たちを見た。 腕がやけに短い子供がいた。頭がやけに大きい子供もいた。足の長さが違うのか、おかしな歩き方をする子供もいた。目の見えない子や、言葉がしゃべれない子は、ここから見てもわからないが、みんな、楽しそうに遊んでいた。タムンが言うように、この子たちをキラマの島に連れて行っても修行はできない。かといって放置しておくわけにはいかなかった。 「ヂャン師匠はいなくなってしまったが、心配はいらん。この孤児院は中山王が面倒を見よう。今まで通り、子供たちの世話をしてやってください」とサハチは我謝ヌルに言った。 サハチはタムンと一緒に与那原グスクに寄って、与那原大親(マウー)と会った。伊是名島から来た若者たちと娘たちが修行に励んでいた。 タムンは運玉森に登ったのは久し振りだと言って、ヒューガと出会った頃の事を懐かしそうに話してくれた。
来年の正月に送る進貢船の準備でサハチは忙しくなった。十二月になるとヤマトゥの商人たちがやって来て忙しくなるので、今のうちに進貢船の準備をしておかなければならなかった。いつもと違って、山北王の使者と従者、護衛のサムレーたちも乗せて行くので、その分、人員を削減しなければならず、山北王の荷物も積むので、荷物も減らさなければならない。増やすのと違って減らすのは、思っていた以上に大変な事だった。 サハチが頭を悩ませている時、女子サムレーの補充のためにキラマの島に行ってきたマチルギが凄い剣幕でサハチを問い詰めた。 「アミーが娘を産んだわよ。あなたの子供だって言うじゃない。一体、どうなっているのよ」 「ちょっと待て。アミーが子供を産んだだと?」とサハチは驚いた振りをして、「アミーが俺の子だと言ったのか」と聞いた。 「アミーは高貴な人の子供だから、今は名前を明かせないって言ったらしいわ。島の人たちは、あなたに違いないって誰もが思っているわよ」 「落ち着いてくれよ。今、生まれたとすれば、俺は正月か二月にキラマの島に行った事になる」 「隠れて行って来たんでしょう」とマチルギはサハチを睨んだ。 「何を言っているんだ。その頃、戦だったんだぞ。親父が中山王の介入を決めて、中山王の兵たちが南部に出陣したのが正月の半ばだ。俺は玻名グスクを攻めていて、玻名グスクが落城したのが二月の半ばだった。俺が抜け出して、キラマの島に行けるわけがないだろう」 マチルギも思い出して、サハチの言う事に納得したようだった。 「それじゃあ、アミーの相手は誰なの?」 「わからんよ。戦に関係しなかった者だろう」 「一体、誰なのかしら?」とマチルギは首を傾げた。 「久米島に行く時、アミーの様子が変だったんだ。まさか、妊娠していたとは知らなかった」とサハチはとぼけた。 重臣たちとの話し合いを重ねて、進貢船の準備が整ったのは、十一月の末になっていた。 一仕事を終えたサハチが島添大里に帰って、安須森ヌルの屋敷に顔を出すと、ハルとシビーがサスカサからヤマトゥ旅の話を聞いていた。 「今度の新作は、サスカサか」とサハチが聞くと、 「お父さん、何を言っているの。あたしがお芝居になるわけないじゃない。ササ姉の事を話していたのよ」とサスカサが言った。 「なに、今度はササが主役か」 「ササ姉がいないうちにお芝居にしちゃうのよ。いれば怒られるからね」とハルが笑った。 「ササから話を聞かなけりゃ詳しい事はわからんだろう」 「今回はサスカサさんと一緒に行ったヤマトゥ旅を中心にまとめようと思っています」とシビーが言った。 「そうか。首里のお祭りで上演するんだな。楽しみにしているよ」 「そういえば、按司様の事もまだ書いてないわ」とハルが言った。 「俺の事などいい。俺より親父の方がいいお芝居になるんじゃないのか」 「王様の話か‥‥‥」 「親父も喜んで話をしてくれるだろう」 「ササ姉の次は『王様』で行こう」とハルは手を打った。 ユリは楽譜の整理をしていた。 「凄いな。全部、お芝居の音曲か」とサハチが聞くと、ユリは笑って、 「按司様が吹いた一節切の楽譜もあります」と言った。 「なに、俺が吹いた曲も楽譜になっているのか」 「はい。とても、いい曲なので楽譜に残したのです」 「それにしても一度しか吹いていない曲をよく楽譜に残せたな」 「わたしは一度聴いた曲は覚えていて、楽譜に移す事ができるのです」 「凄いな。一度、聴いた曲を覚えているのか」 ユリはうなづいた。 「俺なんか、前に吹いた曲を吹こうと思っても思い出せない事もある。俺にもその楽譜の読み方を教えてくれないか」 ユリは首を振った。 「楽譜に頼ると感性が失われてしまいます。按司様は心に感じた通りに吹けば、それでいいのです。前に吹いた曲なんて忘れてしまってかまいません。今、感じた事を吹けば、皆が感動します」 「そうなのか‥‥‥」とサハチは首を傾げた。 「按司様の一節切、安須森ヌル様とササの横笛、皆、感性が違って、その感性に素直に吹いています。それだから、神様も感動するのです」 サハチは『見事じゃ』と言ったスサノオの神様の声を思い出した。ユリの言う通り、自分に素直に吹けばいいのかと納得した。 安須森ヌルの屋敷から出たら、ウニタキとぶつかりそうになった。 「おっと、お前、旅から帰って来たのか」とサハチが言うと、 「今、帰った所だ」とウニタキは言った。 「そうか。俺も首里から帰って来たばかりだ」 二人は物見櫓の上に登った。 「南部の様子はどうだった?」とサハチは聞いた。 「島尻大里グスクの東曲輪に山北王の若按司の屋敷を新築している。まもなく、若按司はやって来るようだな」 「山北王はわざわざ、若按司を人質として山南王に贈るのか」 「人質かもしれんが、姉は保栄茂にいるし、島添大里にもいる。叔母も兼グスクにいる。寂しくはあるまい」 「そういう問題ではないが、今の所、中山王の娘は今帰仁には行っていないな」 「山北王の次男と婚約している娘をよこせとはまだ言うまい。リンジョンシェンが戦死したあと、中山王のお世話になっているからな。進貢船にも使者を乗せて行ってやるんだ。山北王も強気には出られないだろう」 「本部のテーラーとは会ってきたのか」 「テーラーグスクの城下で、お芝居を演じてきたよ。テーラーの配下になって、今帰仁に帰らずに残った兵たちがいたんだ。そいつらが城下造りに励んで住む家もできて、家族を呼んだんだよ。油屋の船に乗って来たらしい。子供たちも多かったんで、お芝居を演じて喜ばれたんだ」 「テーラーのグスクはテーラーグスクと言うのか」 「テーラーが名付けたそうだ。テーラーは瀬底之子と呼ばれていて、テーラーという名前を知っている者は少ない。わしらの御先祖様にあやかってテーラー(平)と名付けたと言ったそうだ。テーラーもグスクの主になって、瀬底大主に昇格したようだ」 「テーラーも家族を呼んだのか」 「いや、妻と子は呼んでいない。明国に行くから呼ばなかったのだろう。留守を守るために弟を呼んでいる」 「テーラーに弟がいたのか」 「今帰仁のサムレーだったようだ。辺名地之子という名前だ。油屋の船には他魯毎に贈られた側室も乗っていたようだ」 「山北王が他魯毎に側室を贈ったのか」 「王様が変われば、側室を贈るのは当然の事だろう。中山王は贈らないのか」 「馬鹿を言うな。マチルーが困るような事はしない」 ウニタキは笑った。 「側室を贈ったのは山北王だけではないぞ。小禄按司と瀬長按司は自分の娘を側室として贈っている」 「なに、娘をか」 「最初に贈ったのは小禄按司だ。小禄按司は中山王とも山南王ともつながりがない。とりあえず、山南王とつながりを持ちたかったのだろう。小禄按司が娘を贈ったら、瀬長按司も真似したというわけだ。瀬長按司の娘は他魯毎の従妹なんだが、つながりを強化したいようだ」 「すると、他魯毎はすでに三人の側室を持っているのか」 「もう一人いる。すでに子供がいる伊敷ヌルだ。それに、まもなく、奥間からも贈られて来るだろう」 サハチは口を鳴らした。 「マチルーが可哀想だ」 「何を言っている。マチルギは可哀想じゃないのか」 サハチはポカンとした顔でウニタキを見ていたが、「アミーが娘を産んだぞ」と言った。 「えっ!」とウニタキは驚いて、「娘を産んだのか」と言った。 「配下の者から何も聞いていない。どうして、お前が知っているんだ?」 「マチルギがキラマの島に行ったんだよ。島の者たちは俺の子供だと思っていると言って、凄い剣幕で怒ったんだよ」 「それで、お前、それを認めたのか」 「馬鹿を言うな。戦の最中にキラマの島に行けるわけがないと言ったら納得してくれた。マチルギさえ納得してくれれば、島の者たちがどう思おうと俺はかまわん。ほとぼりが冷めるまで、用もないのにキラマの島に行くなよ」 「そうか‥‥‥娘が生まれたか‥‥‥名前は聞いたのか」 「マナビーだ。母親がナビーだったので、高貴な人の娘だから、『マ』を付けたと言ったそうだ」 「マナビーか‥‥‥」 ウニタキが娘に会いたいような顔をしていたので、「しばらくの間、キラマの島に行くなよ」とサハチはもう一度言った。 ウニタキはうなづいて、物見櫓から下りようとした。 「ちょっと待て。まだ、テーラーの事と他魯毎の事しか聞いていないぞ」 ウニタキは苦笑して、 「アミーの娘の事を聞いたら、すっかり忘れちまったよ。どこまで話したっけ」 「他魯毎の側室の話だ」 「おう、そうだった。他魯毎が側室を何人も持ったので、弟たちも兄貴を見倣っているようだ。豊見グスク按司になったジャナムイは、糸満ヌルと仲よくやっている。長嶺按司は、うるさい親父がいなくなったので、新垣ヌルとよりを戻したようだ。ジャナムイは来月に送る進貢船の準備を手伝うために糸満の港に行って、糸満ヌルと出会ったようだ。準備が忙しいと言って、糸満ヌルの屋敷に泊まり込む事も多いらしい。長嶺按司は兵たちの補充で、島尻大里グスクに行く事が多く、城下に屋敷はあるんだが、新垣ヌルの屋敷から通っているようだ」 「長嶺按司が若い者たちを鍛えているのか」 「そうらしい。兵たちの補充は何とかなるのだが、諸喜田大主に殺された事務を担当していた役人たちの補充は大変らしい。重臣たちが何かを命令しても、それをこなせる役人がいなくて、重臣たちが自ら動き回っているようだ。冊封使を呼ぶ重要な任務を帯びる正使は李仲按司が行くべきなんだが、李仲按司が明国に行ってしまうと、グスクが機能しなくなってしまうので、李仲按司は残って、石川大親が正使として行くらしい。副使は李仲按司の娘婿で、長嶺按司の兄貴の大里大親が行くようだ」 「準備は整ったんだな?」 「整ったようだ。来月になったら船出するだろう」 「按司たちの様子はどうだ? 他魯毎に敵対しそうな奴はいそうか」 「敵対しそうな奴らは皆、戦死したから大丈夫だ。ただ、気になるのは真壁按司だな。祖母が具志頭按司の娘だ。祖母の妹の中座大主の妻も真壁グスクにいる。その二人が若い按司に余計な事を言って、具志頭グスクを取り戻せとけしかけるかもしれん」 「玻名グスク按司に真壁の様子を探らせた方がいいな」 「それと米須按司も若いからな。摩文仁の妻だった祖母と島尻大里ヌルになった伯母が健在だ。豊見グスクで戦死した先代の具志頭按司の妻も戻ってきているし、伊敷按司の妻も戻ってきている。皆、他魯毎に恨みを持っているだろう。マルクなら大丈夫だと思うが、様子は見ておいた方がいいだろう」 「マルクも大変だな」 「サムレー大将の石原大主がいるから大丈夫だろう」 「そうだな」とサハチはうなづいて、 「新グスク按司は、マタルーが八重瀬按司になった事に不満を持ってはいないか」と聞いた。 「エーグルーは若い頃から、姉のマカミーには頭が上がらなかったようだ。姉の夫が八重瀬按司になれば親父も喜ぶだろうと言っていた。正式に按司を名乗れるようになっただけで満足だと言ったよ」 「そうか。東方の連中は大丈夫だな?」 「大丈夫だと思うが、糸数按司の動きは見守っていた方がいいだろう。糸数按司の妻はトゥイ様の妹だ。瀬長按司の妹でもある。北に出陣中、糸数按司が寝返って、東方の按司たちの動きを止めて、長嶺按司を先鋒として首里を攻めるかもしれん。糸数按司が兵力を増やして、グスクを強化するような事があれば、その危険があるぞ」 「糸数按司か‥‥‥」 サハチは南にある糸数グスクの方を見てから、東にある長嶺グスクの方を見た。島添大里グスクと長嶺グスクの中程に、ンマムイの兼グスクがあった。首里グスクと長嶺グスクの中程には上間グスクがあった。兼グスクと上間グスクを強化した方がいいなとサハチは思った。 我謝の孤児院の事を思い出したサハチは、ウニタキに話して、旅芸人たちを連れて行ってお芝居を見せてやってくれと頼んだ。 「ヂャン師匠が孤児院をやっていたのか」とウニタキは驚いて、旅芸人たちを連れて行こうと言った。 「今夜はチルーを相手に一杯やるか」とウニタキは笑って帰って行った。 |
島添大里グスク
与那原グスク