クブラ村の南遊斎
ヤンバル(琉球北部)の旅に出たトゥイ様(先代山南王妃)が、三日間滞在した今帰仁をあとにして本部に向かっていた頃、ドゥナン島(与那国島)にいるササ(運玉森ヌル)たちは、ダンヌ村からクブラ村に向かっていた。 ダンヌ村のツカサの話を聞いて、六歳の時に、マッサビやブナシルたちに会っていた事を思い出したとササが言ったら、安須森ヌル(先代佐敷ヌル)は驚いた。 あの頃、佐敷グスクにいた安須森ヌルは、南の島の人たちが馬天浜に来た事をまったく覚えていない。馬天ヌルから話を聞いたかも知れないが記憶にはなかった。父が突然、隠居してしまって、按司になった兄を守らなければならないと必死だったのかもしれない。ササがマッサビたちと会った年は、馬天ヌルがウタキ(御嶽)巡りの旅に出てしまって、余計に必死になっていた。遠い南の島から来た人たちの事を考える余裕なんてなかったのだろう。 ダンヌ村からクブラ村に向かう道から『クブラダギ(久部良岳)』が正面に見えた。山頂の手前に奇妙な岩があった。何となく、古いウタキのような気がして、ササはナーシルに聞いた。 「あそこが『クブラ姫様』のウタキよ」とナーシルは言った。 「ターカウ(台湾の高雄)から来たクブラ村の御先祖様が、あの岩を神様として祀って、その裾野にクブラ村を造ったようです。村の再建に貢献したクブラ姫様はあそこに葬られて、神様になってクブラ村を守っているの。『ミミシウガン』と呼ばれているわ」 「クブラ姫様よりも古い神様もいらっしゃるの?」 「いらっしゃるようだけど、言葉がわからないってクブラ村のツカサ様は言っていたわ」 「きっと、ターカウから来た神様ね」と安須森ヌルが言った。 「ナーシルはターカウに行ったのでしょう。ターカウにはどんな神様がいらっしゃるの?」 「ターカウは倭寇の町です。『熊野権現様』を祀っている大きな神社があって、その中に『八幡様』と『阿蘇津姫様』を祀った神社がありました。それと、唐人が住む町があって、そこには航海の神様の『天妃様(媽祖)』を祀っているお宮があります。ヤマトゥンチュ(日本人)の町も唐人の町も高い土塁に囲まれています」 「えっ、土塁に囲まれているの?」とササが驚いた顔をして聞いた。 「トンド(マニラ)から来た唐人たちが土塁に囲まれた町を造ったようです。それを真似して、ヤマトゥンチュの町も土塁で囲んだようです。唐人の町にはトンドの人だけでなく、明国の海賊たちも滞在しています」 まるで、浮島(那覇)にある久米村のようだとササは思った。浮島にあるヤマトゥンチュの若狭町は土塁で囲まれてはいないが、ターカウは浮島のような所かもしれなかった。 「それと、古くから住んでいる島人たちの村もあって、そこにはウタキがあります。言葉が通じないので詳しい事はわからないけど、御先祖様を祀っているようです。ヤマトゥンチュの町の中に、ミャーク(宮古島)の人たちが滞在するお屋敷もあるんですよ。わたしたちはそのお屋敷に滞在しました。そのお屋敷の庭には、池間島の『ウパルズ様』のウタキがあります。ミャークの人たちは航海の無事をウパルズ様に感謝していました。皆さんもターカウに行ったら、ミャークのお屋敷に滞在すると思います」 「ねえ、熊野権現様の神社にある阿蘇津姫様ってどんな神様なの?」 「キクチ殿の故郷に阿蘇山というお山があって、そこの女神様のようです」 「阿蘇山‥‥‥」とササが言うと、 「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の故郷じゃないの?」と安須森ヌルが言った。 「阿蘇津姫様って、豊玉姫様よりも古い神様かしら?」 「キクチ殿に聞けばわかるんじゃないの?」 「そうね」と安須森ヌルにうなづいたササはナーシルを見ると、 「ねえ、あたしたちと一緒にターカウに行かない?」と言った。 「もう一度、行ってみたいわ。前回、行ったのは五年前だったもの。母と相談してみるわ」 「きっと、許してくれるわよ」 ナーシルは、そうねと言うようにうなづいた。 『クブラ村』には半時(一時間)もしないうちに着いた。広場を中心に家々が建ち並んでいるのは他の村と同じだったが、『キクチ村』と呼ばれるヤマトゥンチュの住む一画があった。 五年前にキクチ殿の重臣だった赤星南遊斎が隠居して、この島にやって来て暮らし初め、その後、隠居した人たちが住み始めて、ヤマトゥンチュの村が出来たという。そのキクチ村に、ターカウに行くという平久保按司の若按司の太郎がいた。 ササたちが平久保に行った時、会わなかったので、その時からこの島にいたのですかとササは聞いた。 「あなたたちの事は親父から聞きました。愛洲隼人殿の孫を連れて来たそうですね。親父が喜んでいました。わしはあの時、船越にいたのです。船越の港に船があって、ターカウに行く準備をしていたのです。この島に来たのは五日前です。あなたたちがターカウに行くと聞いたので、一緒に行こうと思って待っていました」 「そうだったのですか。ターカウには毎年、行っているのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「いいえ、一年おきです。牛の肉の塩漬けと牛の革を持って行くのです」 「ターカウにはいつ行くのですか」とササが聞いた。 「風次第です。多分、今月の半ば過ぎになると思います。黒潮を一気に越えなければならないので、いい風が吹かないと行けません。それまでは、この島でゆっくりしていて下さい」 「ターカウへは何日で着きますか」 「それも風次第ですが、速ければ十日、遅くとも二十日もあれば着きますよ」 「十日から二十日ですか」とササたちは顔を見合わせた。 ターカウは思っていたよりも遠いようだった。 太郎と別れて、ナーシルの案内で、クブラ村のツカサと会った。平久保按司と結ばれたツカサは色っぽい顔付きをしていたが、話し振りは威勢がよかった。 「あら、やっと来たのね。待ちくたびれたわよ。平久保の太郎から聞いたわ。孫四郎の命の恩人の孫を連れて来たって言うじゃない。わたしも大歓迎するわ」 孫四郎というのは平久保按司の名前らしい。ダティグ村のツカサが、クブラ村のツカサは強敵だと言っていたが、アコーダティ勢頭は色っぽさには惑わされずに、ダティグ村のツカサを選んだようだ。そして、その後、平久保按司が来て、ツカサの色気に吸い寄せられて結ばれたのだろう。 ササたちはツカサに連れられて、クブラダギのミミシウガンに向かった。ミミシウガンとクブラダギは別の山だった。男たちはクブラダギに登って、女たちはミミシウガンに登った。 『ミミシウガン』は三つの大きな岩の裏側にあった。巨大な岩を見上げて、若ヌルたちは、「凄いわねえ」と騒いでいた。 岩と岩の隙間を抜けるとクバの木に囲まれた窪地に出た。霊気がみなぎっていた。若ヌルたちも霊気を感じたのか、急に黙り込んだ。 大きなガジュマルの木の下に神々しい岩があって、ササたちはお祈りを捧げた。 ユウナ姫の娘の『クブラ姫』が歓迎してくれた。 「クブラ村はターカウから来たタオの一族とクン島(西表島)から来たわたしたちの混血の村なの。昔はこの村は他の村とちょっと違っていたのよ。混血のせいか、美人が多いって評判になって、よその村から男たちが続々やって来たのよ。今はどの村も混血になってしまったわ。ダンヌ村には明国の血とミャークの血が入って、サンアイ村にはヤマトゥ(日本)と明国と琉球の血が入って、ナウンニ村には明国とミャーク、ダティグ村にはミャーク、ドゥナンバラ村にも明国とミャークの血が入っているわ。クブラ村にもヤマトゥの血が入ってきているわね。血が混ざると美人が生まれるからいい事なんだけど、何となく嫌な予感がするわ。何となく悪い方向に向かっているような気がするのよ」 「どういう事ですか」とササは聞いた。 「この島はクン島からもターカウからも離れていて、昔はこの島に来るよそ者は滅多にいなかったのよ。六十年前に明国からスーファン(ウプラタス按司)が来てから変わったわ。四十年前にはナック(アコーダティ勢頭)が丸木舟でやって来て、やがて、ミャークとターカウの交易が始まって、この島は通り道になったわ。今は通り過ぎて行くだけで済んでいるけど、いつの日か、この島を奪い取って、交易の中継拠点にしようと考える者が現れるような気がするの。そうなったら、この島は終わりだわ。みんなが平等で平和な島はなくなってしまうのよ」 あり得ない事ではなかった。琉球では山北王(攀安知)が奄美の島々を支配下に入れようとしている。ミャークの目黒盛豊見親が今以上に力を持ったら、八重山の島々を支配しようと考えるかもしれなかった。 クブラ姫は急に笑って、「あなたたちにそんな事を言っても仕方ないわね」と言った。 「でも、そうなった時はスサノオ様に守ってもらうわ。叔母様(メイヤ姫)からスサノオ様のイシャナギ島(石垣島)での活躍を聞いたわ。スサノオ様ならきっと守ってくださるでしょう」 「この島は絶対に守らなければなりません」と安須森ヌルが強い口調で言った。 「スサノオの神様は絶対に守ってくれると思います」 「ありがとう。よく来てくれたわね。サンアイ村でナーシルが生まれた時、この子が島を守ってくれるに違いないと思ったわ。きっと、ナーシルがあなたたちを呼んでくれたのね。そして、スサノオ様もいらしてくれたのよ」 クブラ姫と別れて、ササたちはクブラダギに登った。男たちは眺めのいい場所に座り込んで、ツカサが用意してくれた料理を広げて御馳走になっていた。若ヌルたちはキャーキャー言いながら景色を楽しんでいたが、料理が目に入ると、「おいしそう」と言って飛びついていった。 ササたちも御馳走になった。当然の事のようにガンジュー(願成坊)の隣りに座っているミッチェを見て笑ったササは、愛洲ジルーの隣りに割り込んだ。ナナとシンシンは顔を見合わせて笑いながらも、ナナはサタルーを想い、シンシンはシラーを想っていた。 山を下りて港に行くと二隻のヤマトゥ船が泊まっていた。一隻は平久保按司の船で、もう一隻はキクチ殿の船だった。キクチ殿の船は六月にサムレーたちを連れて来たという。南遊斎がこの島に住み着いてから、ターカウから毎年、船が来るようになって、戦で活躍した武将たちが御褒美として、この島で休養するらしい。 「俺たちの船もここに来た方がいいな」とジルーが言った。 「そうね。明日、一旦、サンアイ村に帰りましょう」とササは言った。 その晩、広場で歓迎の宴が行なわれた。キクチ村のヤマトゥンチュたちも参加していて、サムレーたちが剣術の試合を披露した。勿論、この村の人たちも武当拳は身に付けていた。ヤマトゥのサムレーの弓矢と村の若者の槍投げの試合が行なわれ、見事に村の若者が勝った。正月のお祝いの宴の時、負けたので必死になって稽古に励んだという。 宴が終わるとササと安須森ヌルはツカサに呼ばれた。ツカサの屋敷に行くと、南遊斎がいた。二人の様子から、ツカサは平久保按司から南遊斎に乗り換えたようだとササと安須森ヌルは悟った。 「わたしは琉球に行かなかったから、あなたたちに話す事はないのよ。それで、南遊斎を呼んだのよ。南遊斎はキクチ殿の右腕として活躍していた重臣なの。ターカウの事なら何でも知っているわ。ターカウに行く前に色々と知っておいた方がいいだろうと思って呼んだのよ」 南遊斎は頭を綺麗に剃っていて、白い髭を伸ばした体格のいい老人だった。 「わしらが初めてターカウに行ったのは、わしらがターカウに落ち着く三年前の事じゃった」と南遊斎は言って、ツカサが出してくれたお茶を一口飲んだ。 「その頃、ターカウには明国の海賊がいたんじゃよ。お互いに警戒したが、わしらが倭寇だと知ると歓迎してくれた。その海賊たちは明国を造った洪武帝を恨んでいて、明国を荒らしてくれる倭寇は大歓迎じゃと言ったんじゃよ。お互いに洪武帝を倒そうと約束して別れたんじゃ。その時は、キクチ殿もターカウに来ようとは思ってもいなかったじゃろう。二年後、キクチ殿の父上(菊池武光)が突然、亡くなってしまった。兄上(菊池武政)が跡を継いだんじゃが、兄上は戦の傷が悪化して、半年後に亡くなってしまったんじゃよ。キクチ殿はいよいよ自分が跡を継ぐべきだと思っていたんじゃが、まだ十二歳だった兄上の長男(菊池武朝)が跡を継ぐ事に決まったんじゃ。もう自分の居場所はないと悟ったキクチ殿はターカウに行こうと決めたんじゃよ。ターカウに行ったら、明国の海賊たちはいなかった。何があったのかわからなかったが、わしらは海賊たちが残して行った屋敷で暮らし始めて、ターカウの町を造って行ったんじゃよ。あとになったわかったんじゃが、明国の海賊たちはチャンパ(ベトナム中部)まで攻めて行って、そこで戦死したようじゃった。その海賊はヂャンルーホー(張汝厚)という名前で、二十数年経った頃、ヂャンルーホーの姪がターカウにやって来たんじゃ。その時は驚いた。若いが肝の据わった女海賊じゃったよ」 「その女海賊の名前は覚えていますか」と安須森ヌルが身を乗り出して聞いた。 「何度もターカウに来ていたし、美人だったからよく覚えておるよ。名前はヤンメイユー(楊美玉)じゃ」 「やっぱり、メイユーだったのね」と安須森ヌルが納得したようにうなづいて、 「えっ、あのメイユーさんなの?」とササは驚いていた。 「メイユーを知っているのかね?」 「メイユーの父親はリンジェンフォン(林剣峰)の企みで捕まって、殺されてしまいました。メイユーは父の敵を討つために夫と別れて、姉と妹と一緒に父の跡を継いで、琉球にやって来て交易を始めました。子供を産んだので、今年は来ませんでしたが、毎年、旧港(パレンバン)の商品を持って琉球にやって来ました」 「そうじゃったのか。やはり、ヂャンルーチェン(張汝謙)の死に、リンジェンフォンが絡んでいたんじゃな。ヂャンルーチェンが亡くなったあと、メイユーの夫のヤンシュ(楊樹)は一人でやって来て、妻は逃げたと笑っていたが、わしらは皆、逃げられたんじゃろうと思っていたんじゃよ。ヤンシュの父親のヤンシャオウェイ(楊暁威)は大した海賊じゃった。暴れ者のチェンズーイー(陳祖義)を広州から追い出したのもヤンシャオウェイじゃった。チェンズーイーは南蛮(東南アジア)に行って暴れていたんじゃが、鄭和に捕まって処刑されたんじゃよ。チェンズーイーの息子が生き延びて、ヤンシュを頼ったんじゃ。どうして、親父を追い出した奴の倅を頼ったのかは知らんが、チェンズーイーの倅はヤンシュの右腕として働いたようじゃ。ヤンシュはメイユーと別れたあと、リンジェンフォンの娘を妻に迎えて、威勢がよくなった。リンジェンフォンの傘の下で、広州をまとめたようじゃ。しかし、リンジェンフォンが急死すると、チェンズーイーの倅は裏切って、ヤンシュを追い出したそうじゃ。今はどこにいるのか行方知れずじゃという。チェンズーイーの倅は親父を真似して、広州で暴れ回っているようじゃ」 「リンジェンフォンの倅のリンジョンシェン(林正賢)が戦死したのを御存じですか」とササが聞くと南遊斎は驚いた顔をして、「それは本当かね?」と聞いた。 「永楽帝が送った宦官にやられたようです」 「そうか。リンジョンシェンが亡くなったか‥‥‥親父とは比べ物にはならない小物だったが勢力は持っていた。あとはチェンズーイーの倅がいなくなれば、明国の海も静かになりそうじゃな」 「ターカウは大丈夫なのですか。永楽帝に睨まれてはいないのですか」と安須森ヌルが心配した。 南遊斎は笑って、「ターカウの島には『首狩り族』がいるんじゃよ」と言った。 「大陸から近いのに、唐人たちがあの島に近づかないのは、首狩り族を恐れているからなんじゃ。ターカウの島は大きい。多分、九州と同じ位はあるじゃろう」 「えっ、そんな大きな島なのですか」とササも安須森ヌルも驚いた。 九州の南にある坊津から北にある博多までかなり遠かった。ターカウがそんなにも大きな島だったなんて知らなかった。 「そんな大きな島じゃから、あちこちに色んな部族が住んでいる。山の中に住んでいる奴らは凶暴じゃ。出会ったら襲われて首を斬られるじゃろう」 「出会っただけで、首を斬られるのですか」 「そうじゃ。奴らは神様に捧げるために首を狩るんじゃ。相手は誰でもかまわんのじゃよ。男は首狩りができんと一人前には扱ってもらえんのじゃよ。嫁をもらう事もできんのじゃ。いくつ首を取ったかで、村での地位が上がるんじゃよ。しかし、いつでも首狩りをしていいというものではない。村でよくない事が起こった時、神様のお告げによって、首狩りが行なわれるんじゃ。数人で出掛ける時もあるし、数十人で出掛ける時もある。奴らは後ろから忍び寄って弓矢で倒して、首を斬り取って素早く逃げて行くそうじゃ。腕自慢の者が鼻で笑って、首狩り族を退治しに行くと何人も山に入って行ったが、帰って来た者はおらん。恐ろしい奴らじゃよ。ターカウは島の南部にあって、そこに住んでいる部族も首狩りをやる。しかし、キクチ殿はその部族の首長の娘を妻に迎えて、日本人の首は取らないと約束させたんじゃよ。そなたたちは琉球人じゃ。日本人ではないので、充分に気を付けた方がいい」 南遊斎が愛洲ジルーに会いたいと言ったので、ササたちはツカサと別れて、南遊斎を連れて帰った。いつものように、男たちの家にみんなが集まっていて賑やかだった。 ササは南遊斎にみんなを紹介して、酒盛りの続きを始めた。 南遊斎はジルーの顔を見ると、「面影がある」と言って嬉しそうに笑った。 「愛洲隼人殿には感謝しておる。キクチ殿に代わってお礼を言う。キクチ殿が生きておられたら、大喜びして、そなたを迎えたじゃろう。あの時の負け戦の時、キクチ殿も仲間を助けに行くと言ったんじゃよ。しかし、わしは引き留めた。あの時の総大将だった赤松殿は戦死して、副大将はキクチ殿と愛洲殿じゃった。愛洲殿が仲間を助けに出掛けてしまい、キクチ殿までも行ってしまったら、生き残った者たちはどこに行ったらいいのかわからなくなってしまう。大将旗を掲げてじっと待っていれば、生き残った者たちが集まって来る。生き残った者たちを無事に連れて帰るのが大将の役目じゃと言ったんじゃよ。キクチ殿は仲間の救出を愛洲殿に任せて、じっと待っていたんじゃ。あの時の負け戦を経験して、キクチ殿は大将の立場というものを知ったのじゃろう。兄上が亡くなって、甥が跡を継いだ時、キクチ殿は甥を助けて、共に戦うつもりじゃった。しかし、重臣たちが二つに分かれてしまった。もしキクチ殿が活躍すれば、キクチ殿をお屋形様にしようと考える重臣たちが現れるに違いないと思ったんじゃ。今川了俊と戦っている重要な時期に、身内同士で争っている場合ではないと思って身を引いたんじゃよ。キクチ殿はターカウに来てからも甥のために物資を送っていたんじゃ。しかし、甥は今川了俊に敗れて、本拠地の菊池城も奪われてしまった。南北朝の戦が終わって、甥は何とか菊池城に戻れたようじゃ。その甥もキクチ殿よりも先に亡くなってしまい、今では肥後(熊本県)の菊池家とは完全に縁が切れた状況になっているんじゃ。わしも肥後には帰らず、ここに骨を埋めるつもりじゃよ」 「対馬の早田氏はターカウに行きませんでしたか」とナナが聞いた。 「早田殿とは九州にいた頃、共に戦っていた。早田殿は高麗を攻めていたんじゃよ。そなたは早田殿の娘なのか」 「わたしの父は早田次郎左衛門です。次郎左衛門はお屋形様(三郎左衛門)の長男でした。でも、朝鮮で戦死してしまって、弟の左衛門太郎が跡を継いだのです」 「そうじゃったのか。今は琉球にいるのかね」 ナナはうなづいた。 「早田殿は琉球と鮫皮の取り引きをしていると言っておった。一度だけじゃが、三郎左衛門殿は息子の左衛門太郎を連れてターカウに来たんじゃよ。広州を攻めた帰りに寄ったんじゃ。確か、対馬が高麗の水軍に攻められたと言っておったのう。李成桂は許せんと憤慨しておった。高麗を攻めたいんじゃが、今は警戒しているので広州までやって来たと言っていた。早田殿から琉球の話を聞いて、わしも行ってみたくなったんじゃ。翌年、わしは日本に行ったんじゃが、松浦党の船と一緒に琉球に行ったんじゃよ」 「えっ、琉球に行ったのですか」と皆が驚いた。 「浮島の賑わいに驚いた。日本人の町まであった。わしらが滞在している時、丘の上に首里天閣が完成して、わしらは中山王(察度)に招待されて、首里天閣に登ったんじゃ。いい眺めじゃった。わしらが帰ろうとした時、ミャークから船がやって来た。その船にハリマが乗っていたんじゃよ。わしらの総大将だった赤松殿の倅で、わしらと一緒にターカウに行ったんじゃ。ハリマはターカウで多良間島の娘と出会って、娘を追って多良間島に行ったんじゃよ。二人の娘が生まれて幸せに暮らしていると言っておった。わしは日本に戻るのはやめて、ミャークに行く事にしたんじゃ」 「琉球にいた時、馬天浜には行かなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「馬天浜の名は早田殿から聞いていた。早田殿が馬天浜に来たら行ってみようと思ったんじゃが、その年は来なかったんじゃよ。浦添には行ったが、ほとんど、浮島の若狭町にいたんじゃ。『松風楼』という遊女屋にいい女子がいたんじゃよ」 南遊斎が楽しそうに笑うと、 「わしがいた頃も浮島に遊女屋はあったが、倭寇によって連れ去られて来た高麗の女子ばかりじゃった」とクマラパが言った。 「そういう遊女屋もあったが、『松風楼』には琉球の女子もいた。わしのお気に入りの娘は戦で両親を亡くしたと言っておった。『松風楼』は今でもあるのかね」 そんな事を聞かれてもササたちは知らなかった。 「ありますよ」と言ったのはマグジ(河合孫次郎)だった。 「若狭町で一番高級な遊女屋です。綺麗所が揃っていますよ」 「あなたも行ったの?」とアヤーがマグジに聞いた。 「琉球に行ったばかりの頃だよ。マグサ(孫三郎)さんに連れて行かれたんだ」 「ジルーも行ったのね」とササがジルーを睨んだ。 「マグサさんが歓迎の宴をやるって言ったんだ。まさか、遊女屋に行くなんて思ってもいなかったんだよ」 「でも、いい思いをしてきたんでしょ」 「夫婦喧嘩はあとでして」と安須森ヌルが二人を遮った。 「マシュー姉、あたしたちはまだ夫婦じゃないわ」 「いいから。南遊斎様のお話を聞きましょう。琉球からミャークに行ったんですよね?」 「そうじゃ。ミャークに行って、クマラパ殿のお世話になったんじゃよ。クマラパ殿に案内されて、佐田大人がやった非道な仕打ちを目の当たりにしたんじゃ。奴がターカウにやって来た時、あんな残虐な男だとは思ってもいなかった。奴は佐田又五郎という名で、親父は高麗で戦死したんじゃ。早田殿と一緒に何度も高麗を攻めている。わしらがターカウに来た頃、奴は早田殿と一緒に済州島を攻めていた。その時、娘を助けたんじゃが、その娘がムーダンじゃった」 「ムーダン?」と安須森ヌルは聞いた。 「そなたたちと同じ、ツカサの事じゃよ。琉球ではヌルと言うらしいな」 ジルーを睨んでブツブツ言っていたササも、ムーダンに興味を持ったらしく耳を澄ませた。 「神様と話ができるらしい。美しい娘だったんで、又五郎もその娘の虜になってしまったようじゃ。その後の又五郎はその娘の言いなりだったようじゃ。その娘が皆殺しにしろと告げて、高麗の者たちを皆殺しにして来たのかもしれんのう」 「ターカウに行ったのも、その娘のお告げだったのですか」とササが聞いた。 「ターカウに来た時、そう言っていた。将軍宮様(懐良親王)も亡くなってしまい、南朝はもう終わりだ。いつまでも付き合っていたら馬鹿を見る。南の島に拠点を造って倭寇働きに励もうと言っていた。ターカウの南に新しい村を造ると張り切っていたんだが、結局は神様のお告げがあったとか言って、ターカウからミャークに向かったんじゃよ」 「その娘はどんな風でした?」と安須森ヌルは聞いた。 「見た目はおとなしそうな女じゃった。しかし、神懸りすると別人のようになって、恐ろしい女じゃと、又五郎の家臣たちは皆、恐れていたようじゃ」 「その女もミャークで戦死したのですか」とササはクマラパに聞いた。 「その女は高腰グスクにいたらしい。上比屋のムマニャーズが高腰グスクを攻めたんじゃ。殺すつもりはなかったが、物凄い形相で掛かって来たので、斬り捨てたと言っていた」 「佐田大人はその女に踊らされていたのかしら?」と安須森ヌルが言った。 「そうかもしれんが、戦が奴を変えてしまったのかもしれん。南朝のためという大義名分のもとに、よその国に行って、何の恨みもない人々を殺して、略奪を繰り返していたんじゃからな。それに、ムーダンの女もそうじゃ。済州島も悲惨な目に遭っている。元の国に占領されて、高麗にも攻められて、倭寇たちも拠点とした。その度に大勢の島の人たちが殺されたんじゃ。ムーダンの女は又五郎を利用して、復讐をしていたのかもしれん」 そう言って南遊斎は酒を一口飲んだ。 「ミャークからはミャークの船と一緒にターカウに帰って来たのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「いや。ミャークは琉球と交易するようになってからはターカウには行かなくなったんじゃよ。ヤマトゥの商品は琉球で手に入るので、ターカウには行かないで、トンドに行っていたようじゃ。わしは琉球に行った八重山の者たちを乗せて多良間島に向かったんじゃよ。多良間島でハリマの奥さんになったボウに歓迎された。ボウはクマラパ殿と一緒に何度もターカウに来ていたんじゃ。多良間島からイシャナギ島に行って平久保按司と会った。琉球まで行って来たと言ったら、平久保按司は驚いておった。わしは平久保按司と一緒に、初めてこの島に来たんじゃ。平久保按司の子供がいたので驚いた。その子供の母親がツカサだと聞いて、さらに驚いたんじゃ。今も色っぽいが、当時のツカサは美しい女子だったんじゃよ。わしはツカサに紹介されて、従妹のタリーと会ったんじゃ。タリーもいい女子じゃった。タリーには三人の子供がいたんだが、この島には夫婦という決まりはないと聞いたので罪悪感はなかった。タリーは翌年、わしの娘を産んだ。娘に会いたかったが会いに来る事はできなかったんじゃ。キクチ殿が亡くなって、わしは倅に跡を継がせて、隠居してこの島に来た。娘のフシは母親に似て綺麗な娘になっていた。今では三歳の孫娘もいるんじゃよ」 南遊斎は幸せそうに目を細めた。 |
クブラ村