山北王の進貢
島添大里グスクで島尻大里ヌルと出会って、どこかに行ってしまったマガーチ(苗代之子)が、首里の自宅に帰って来たのは三日後の事だった。浮島にはヤマトゥの商人たちが続々とやって来ていて、サハチも何かと忙しくて首里にいた。 サハチはマガーチを呼んで、西曲輪の物見櫓に誘って話を聞いた。 「島尻大里ヌルと出会って、その目を見た途端に頭の中は真っ白になってしまいました。何が何だかわからなくなって、気がついたら久米村の中の宿屋で、島尻大里ヌルと一緒にいました」 「なに、久米村にいたのか」とサハチは首を傾げてマガーチを見た。 「島尻大里ヌルの名前はマナビーというのですが、マナビーは幼い頃、両親と一緒に久米村に行ったそうです。なぜか、その時の事が思い出されて、行きたくなったと言っていました」 「マナビーはシタルーとトゥイ様と一緒に久米村に行ったのか‥‥‥何かうまい物でも御馳走になったのだろう」 「そのようです。明国の料理を嬉しそうに食べていました」 「そうか。マナビーのマレビト神がマガーチだったとは驚いた」 「俺も驚きましたよ。サンダー(慶良間之子)からマナビーの美しさは聞いていました。でも、マナビーは山南王の娘ですからね。雲の上の人だと思っていましたよ」 「お前だって中山王の甥だ。庶民たちから見れば雲の上の人だぞ」 「俺が?」と言ってマガーチは笑った。 「奥さんにはばれなかったのか」 「浮島で積み荷の検査をしていたと言って誤魔化しました」 「そうか。人の事は言えんが、奥さんを悲しませるなよ」 「わかっています。親父の事も聞きましたよ。親父が南の島から来たヌルと親しくなったと聞いて驚きましたが、まさか、俺も親父と同じ事をやるなんて、夢にも思っていませんでした。親父から話を聞いた次の日ですよ、マナビーと出会ったのは」 「マナビーと出会う運命だったのだろう。それにしても、よく三日で別れられたな」 「別れは辛かったですよ。島尻大里グスクまで送って行ったんですけど、別れられず、またどこかに行こうと誘ったんです。マナビーもうなづきましたが、考え直して別れました。これ以上、隠れていたら騒ぎになってしまいますからね」 「お互いに大人だったという事だな」 「按司様もヌルに惚れた事があるのですか」とマガーチが聞いた。 「そいつは内緒だ」と言って、サハチは笑った。 三日後、島添大里グスクに帰ったサハチは、サスカサにヤマトゥに行った者たちの無事を祈ってくれと頼んだ。いつもなら、もう帰って来ているはずなのに、今年は遅かった。京都で戦が起こって、それに巻き込まれてしまったのだろうかと心配だった。サスカサはうなづいて、ウタキの中に入って行った。 サハチは自分の部屋に行くと、サタルーから話を聞いて、イーカチが描いた今帰仁グスクの絵図を広げて眺めた。サハチが今帰仁に行った頃はなかった外曲輪は思っていた以上に広かった。城下の人たち全員が避難できる広さがあった。まず、その外曲輪を突破しなければ、以前のグスクを攻める事はできなかった。グスクの東側に志慶真川が流れていて、志慶真川から険しい絶壁をよじ登って、かつて山田按司がグスク内に潜入した。それを真似するために、今、サグルーたちが山グスクで岩登りの訓練をしている。グスク内に潜入できれば、落とす事はできそうだが、外から攻めるだけでは落とせない。敵の兵糧が尽きるのを待つ長期戦になりそうだった。戦が始まる前に、グスク内の兵糧を減らした方がいいなと思って、サハチがうまい方法はないものかと考えていたら、サスカサがやって来た。 「ギリムイ姫様がヤマトゥに行って、様子を見てくるって出掛けて行ったわ」とサスカサは言った。 「ギリムイ姫様っていうのはギリムイグスクの神様か」 「そうじゃないわ。ここが大里って呼ばれる前、ここはギリムイと呼ばれる聖なるお山だったのよ。スサノオの神様が琉球にいらして、ヤマトゥとの交易が始まると、このお山にグスクを築いたの。それがギリムイグスクなのよ。やがて、ギリムイグスクの城下に人々が大勢移り住んできて、大里と呼ばれるようになったわ。ギリムイグスクはこちらに移って、大里グスクって呼ばれるようになるの。島尻にも大里グスクができると、区別するために島添大里グスクって呼ばれるようになったのよ」 「へえ、昔はギリムイって呼ばれていたのか」 「ギリムイ姫様はアマン姫様の娘さんで、ユンヌ姫様のお姉さんなの。ユンヌ姫様がササ姉と一緒にヤマトゥに行ったり、南の島に行ったりしているから、自分も行ってみたくなったって言っていたわ」 「ほう。そこのウタキにユンヌ姫様のお姉さんがいたとは知らなかった。ギリムイ姫様はヤマトゥに行った事があるのか」 「一度、行った事があるらしいわ。お祖母様の豊玉姫様がヤマトゥで亡くなってから何年か経った頃に行ったみたい」 「そうか。行った事があるなら大丈夫だろう。帰って来られなくなったら大変だからな」 「大丈夫よ。年が明ける前に戻って来るって言っていたわ」 「あと三日で年が明けるぞ。そんなに速くに戻って来られるのか」 サスカサは首を傾げた。 サスカサが帰ると入れ違いのように、ウニタキが顔を出した。 「おっ、今帰仁グスクの絵図か。イーカチが描いた奴だな」 「内部の様子が大分わかってきたが、今帰仁グスクを攻め落とすのは難しい。長期戦になりそうだと考えていた所だ」 「長期戦か。シタルーがいなくなったから長期戦になっても大丈夫だろう」 「それはそうだが、長期戦になったら兵糧が足らなくなってしまうかもしれん」 「兵糧なら羽地按司に出させればいい」 「そいつはいい考えだ。羽地按司は寝返りそうか」 「まだ一年あるからな、何としてでも寝返らせる。羽地按司だけでなく、名護按司、国頭按司もな」 「そうだ。そこまでしないと山北王は倒せん。兵糧の事なんだが、羽地按司から買い取った兵糧を貯蓄しておく蔵をヤンバル(琉球北部)に作れないか。向こうに置いておいた方が運ぶ手間が省けるぞ」 「そうか。それもそうだな。首里まで運んで、また運ぶのは二度手間だ。山北王の目の届かない場所を見つけて保管して置こう」 「頼んだぞ」 ウニタキはうなづいてから、 「倅の事で迷っているんだ」と言った。 「来年、お前の娘をお嫁にもらってから、ウニタルをどうしようかと迷っているんだよ」 「何を迷っているんだ?」 「普通なら重臣の倅として、ここか首里のサムレーになる。それもいいと思っている」 「『三星党』の事か」 「そうだ。山北王を倒せば『三星党』はもういらないだろうと思っていたんだが、敵はいなくなっても、各地の情報を集める事は必要だと考え直したんだ。そうなると、俺の跡を継ぐ者が必要になる」 「ウニタルに継がせればいいだろう」 ウニタキはうなづいたが、 「お前の娘が危険な目に遭うかもしれないぞ」と言った。 「お前の倅に嫁がせると決めた時から、覚悟はしているよ」 「マチルーは俺の正体を知っているのか」 「『三星党』の事は知らない。でも、地図作りのおじさんで、『まるずや』の主人でもあり、各地の情報を集めている事は知っている。マチルーはウニタルと一緒になったら、二人で各地にある『まるずや』を巡ってみたいと言っているよ。剣術の修行も幼い頃からしているので、身を守る術も心得ている。ウニタルがお前の跡を継いでも、ウニタルを助けて、うまくやって行くだろう」 「そうか。『まるずや』巡りか‥‥‥今、ウニタルは山グスクにいる。サグルーに預けてきた。マチルーの言う通り、二人に『まるずや』巡りをさせてみるか。そして、ウニタルが跡を継ぎたいと言ったら、跡を継がせる事にするよ」 「それがいい」とサハチは笑って、 「ウニタルなら跡を継ぐと言うだろう」とうなづいた。 大晦日の日、ギリムイ姫は帰って来た。サハチはサスカサに呼ばれてついて行った。ウタキに入るのかと思ったら東曲輪に行って物見櫓に上がった。 「どうして、ここに登るんだ?」とサハチはサスカサに聞いた。 「きっと、お父様が内緒話をする時に、ここに登るって知っているのよ」 サハチは苦笑して空を見上げた。 「サハチですね。噂はユンヌ姫から聞いています。ヤマトゥの様子を知らせるわ」とギリムイ姫の声が聞こえた。 「みんな、無事なのですね?」とサハチは聞いた。 「無事です。今、博多にいるわ」 「なに、まだ博多にいるのですか」とサハチは驚いた。 「伊勢の方で戦が起こる気配があって、戦の準備で将軍様も忙しかったようだわ。各地から大勢の兵が京都に集まって来て、琉球の人たちは等持寺から身動きができなかったみたい。結局、戦は起こらず、十一月の末になって、ようやく、将軍様から返書をいただいて帰る事ができたの。十二月の半ば過ぎに博多に着いたら、朝鮮に行っていた勝連のお船が待っていて、すぐに帰ろうとしたんだけど、琉球に着く前に年が明けちゃうから、博多で新年を迎えてから帰った方がいいって渋川道鎮に言われたの。それで、年が明けてから帰るようにしたみたいよ」 「十一月の末まで京都にいたとは大変だったな。京都にいる兵たちは引き上げたのですか」 「引き上げたけど、年が明けたら戦が始まるかもしれないって高橋殿は言っていたわ」 「高橋殿って、ギリムイ姫様は京都まで行ったのですか」 「行ってきたわよ。タミーが京都に残っているのよ」 「何だって? どうして、タミーが残っているんです?」 「高橋殿に頼まれたみたい。伊勢の北畠という武将が反乱を企てたんだけど、タミーのお陰でその事を知る事ができて、将軍様は早い対応ができたのよ。北畠の方はまだ戦の準備が整っていなくて、息子を人質として将軍様に送って頭を下げたみたい。でも、北畠は時間稼ぎのために頭を下げただけだって、高橋殿は言っていたわ。年が明けたら反乱を起こすだろうから、その時のために、タミーの力が必要らしいわ」 「ほう。タミーが高橋殿に頼られるとは大したヌルになったもんだな」 「タミーと一緒にクルーが残っているわ」 「そうか。クルーが一緒なら安心だ。ありがとう。これで心置きなく新年が迎えられます」 「お客様を連れて来たわ」とギリムイ姫は言って、従兄のホアカリを紹介したが、サハチには誰だかわからなかった。ホアカリをお祖母様に会わせてくると言って、ギリムイ姫はセーファウタキに向かった。 「タミーも高橋殿に気に入られたみたいね」とサスカサは楽しそうに笑った。 「ササの代わりを立派に務めたようだな」とサハチも笑って、 「ホアカリ様って知っているか」とサスカサに聞いた。 「ササ姉から聞いた事あるわ。伊勢の神宮にいる神様で、玉依姫様の息子さんらしいわ」 「玉依姫様はヤマトゥの女王様だから、その息子ならヤマトゥの王様だった人かな?」 「京都の近くに南都と呼ばれる奈良という所があって、そこは今でも大和の国って呼ばれているわ。ホアカリ様は九州から東に攻めて行って、そこにヤマトゥの国を造ったんじゃないかしらってササ姉は言っていたわ」 「大和の国が今でもあるのか‥‥‥また、ヤマトゥに行ってみたくなってきた」 そう言ってサハチは北の方に視線を移した。 「ササ姉は今、どこにいるのかしら?」とサスカサが言った。 「きっと、ドゥナン島(与那国島)で従妹のナーシルと会っているんだろう」 「あたしも行ってみたいわ」 「ササが南の島の人たちの船を連れて来るだろう。そうすれば南の島との交易が始まる。南の島から毎年は無理でも一年おきに船がやって来るようになる。誰でも気軽に南の島に行けるようになるよ」 「でも、二年も留守にできないわ」 「そうだな。来年は冊封使が来るから忙しい。再来年は今帰仁攻めだ。それが終わったら琉球から南の島に行く船を出してもいい」 「ほんと? 楽しみにしているわ」 「それより、明日は頼むぞ」 「わかっているわ。ハルとシビーを連れて行ってくるわ」 サハチはうなづいて、物見櫓から降りた。
年が明けて永楽三年(一四一五年)になった。 例年のごとく、首里の新年の儀式に参加したあと、サハチは島添大里グスクに帰って新年の儀式を行なった。サスカサは儀式が済むと馬にまたがり、ハルとシビーを連れて山グスクに向かった。 安須森ヌルとササがいないので、与那原の新年の儀式は麦屋ヌルがカミーと一緒に執り行なって、八重瀬の儀式は喜屋武ヌルに頼み、玻名グスクの儀式は隠居したフカマヌルに頼み、手登根グスクの儀式は佐敷ヌルに任せた。 二日にはサハチの兄弟たちが首里グスクに集まったので、サハチも首里に行った。ヤマトゥに行った末の弟のクルー(手登根大親)がまだ帰って来ないので、皆が心配していた。サスカサが神様に頼んでヤマトゥの様子を見に行ってもらい、無事に博多にいる事がわかったというと皆、安心した。ミチ(サスカサ)も立派なヌルになったなと皆が感心した。 マタルーは上の兄たちを差し置いて、自分が按司になった事を恐縮していた。 「そんな事を気にする事はない」とマサンルー(佐敷大親)もヤグルー(平田大親)も言った。 「タブチ殿があんな事になってしまった。タブチ殿のためにも立派な按司になってくれ」 マタルーは兄たちを見て、うなづいた。 二日はグスクを守っている大親たちが思紹に挨拶に来る日で、按司になったマタルーは三日に来ればよかったのだが、いつも通りに二日に来て兄たちと会っていたのだった。与那原大親になったマウーと上間大親も来ていた。サハチは上間大親に長嶺按司の動きに注意を払ってくれと頼んだ。 翌日、按司たちが新年の挨拶にやって来て、首里は賑わった。知念按司は隠居して、サハチの義弟の若按司が按司になっていた。マタルーの義弟の新グスク大親が新グスク按司となって、サハチの三男のイハチが具志頭按司になり、奥間大親が玻名グスク按司になり、若按司だったマルクが米須按司になって、今年、初めて、按司として挨拶に来ていた。勿論、昨日から来ていたマタルーも按司として父の思紹に挨拶をした。 挨拶が終わったあとの祝いの宴に集まった顔ぶれを見ると、世代が入れ替わった者も多く、越来按司、伊波按司、山田按司、玻名グスク按司の四人だけが五十代だった。サハチよりも若い者たちが多いが、去年の戦を経験したせいか、皆、頼もしくなっているように見えた。 山グスク攻めで跡継ぎを失った勝連按司のサムは、悲しみを乗り越えたとみえて機嫌がよかった。ただ、朝鮮に行った者たちがまだ帰って来ないと心配していた。サハチはサスカサの話をして安心させた。 それから二日後、サハチが島添大里グスクに帰っていると、トゥイ様が島尻大里ヌルと一緒に挨拶に来た。隠居したとはいえ、前山南王妃が訪ねて来るなんて信じられなかった。サハチは大御門(正門)まで出迎えに出た。 「新年の御挨拶に参りました」とトゥイは笑った。 旅から帰って来たトゥイ様は何だか若返ったように思えた。マガーチと出会えた島尻大里ヌルも以前よりも輝いていた。護衛として女子サムレーが一緒にいた。 女子サムレーには二の曲輪で待っていてもらって、サハチはトゥイ様と島尻大里ヌルを一の曲輪の屋敷に案内した。 「ここに来たのは何年振りの事でしょう」とグスク内を見回しながらトゥイが言った。 「義父(汪英紫)がここにいらした時は、毎年、シタルーと一緒に新年の御挨拶に参りました。義父が山南王になってからは来なくなりました。もう二十年も前の事ですわね」 屋敷の廊下に飾ってある絵や置物をトゥイは懐かしそうに眺めて、 「あの頃とあまり変わっていないようですわね」と言った。 「わたしにはこういう物はよくわかりませんが、先々代の山南王が集めた物は皆、素晴らしい物ばかりなので、そのまま飾っております」とサハチは言った。 「義父は鋭い目を持っておりました」とトゥイは言った。 「本物か偽物かをすぐに見分けられる目です。絵や壺などに限った事ではありません。人を見る目もありました。義父があなたを潰さなかったのは、あなたを認めていたのかもしれませんね」 「まさか?」とサハチは笑った。 サハチは二階の会所に案内して、ナツにお茶を頼んだ。 トゥイは飾ってある水墨画を見てから、サハチに目を移すと、「去年の暮れの事です」と言った。 「この娘が三日間、行方知れずになりました。座波ヌルの話だと、このグスクでマレビト神と出会って、どこかに行ったけど心配はいらないと言いました。帰って来た娘は幸せ一杯の顔をしていて、わたしは怒る事も忘れて、祝福してやる事にしました。相手は誰なのかと聞いたら、マガーチという名前を知っているだけで、何をしている人なのかも知らないと言うのです。まったく、呆れてしまいました。それで、按司様がマガーチという人を御存じなのかを聞きに参ったのでございます」 サハチは島尻大里ヌルを見て笑った。しっかりしているように見えるが、抜けている所もあるらしい。 「マガーチはわたしの従弟です。首里のサムレーの総大将、苗代大親の息子です」 そう言ったら、トゥイも島尻大里ヌルも驚いたあとに安心したような顔になった。 「苗代大親様の名前は存じております。中山王の弟さんですよね。そうでしたか。苗代大親様の息子さんと聞いて安心いたしました」とトゥイが言った。 「進貢船のサムレー大将として明国に行って帰って来たばかりです。以前はここのサムレー大将でした。あの日は、ここのサムレー大将をしている弟に会いに来ていたのです」 「そういえば思い出しました」と島尻大里ヌルが言った。 「マガーチ様は明国のお話を色々と聞かせてくれました」 「この娘ったら、マガーチ様と一緒にいるのが嬉しくて、どこで何をしていたのかも覚えていないのですよ」とトゥイが娘を見ながら言って、 「すると、今は首里にいるのですか」と聞いた。 「そうです。苗代之子と名乗って首里でサムレー大将を務めています」 「そうでしたか。勿論、奥さんはいるのでしょう?」 「ええ、妻も子供もいます」 トゥイはうなづいて、島尻大里ヌルを見た。 その話はそれで打ち切って、トゥイは去年の旅の話をした。 「宇座の叔父(泰期)が亡くなる前、わたしはお見舞いに参りました。その時、馬天浜の若夫婦が時々、遊びに来ると叔父は楽しそうに言っておりました。その時はウミンチュの夫婦が遊びに来ていたのかと思って気にも止めませんでした。今回の旅で、宇座に寄って、馬天浜の若夫婦が按司様とマチルギ様だと知って、わたしは驚きましたよ。佐敷の按司だったあなたがどうして、叔父と親しく付き合っていたのですか」 「佐敷にクマヌという山伏がいたのを御存じではありませんか」 「存じております。中グスク按司になられたお方でしょう」 「クマヌは各地を旅していて、宇座の御隠居様を知っていました。わたしが初めて、クマヌと一緒に旅をした時、クマヌが連れて行ってくれたのです。その後、マチルギと一緒に旅をした時も何度かお世話になっています」 「そうだったの‥‥‥叔父の息子のクグルーも引き取ったそうですね」 「御隠居様が亡くなったあと、ナミーさんがクグルーを連れて佐敷に来ました。クグルーがサムレーになりたいと言うので、恩返しのつもりで預かる事にしました」 「ナミーは、息子はウミンチュにするって言って出て行ったと聞いております」 「そのつもりでいたようですが、クグルーがサムレーになりたいと言ったようです」 「でも、どうして佐敷に行ったのでしょう?」 「御隠居様が、もし、クグルーがサムレーになりたいと言ったら佐敷に行けと言ったようです」 「そう‥‥‥浦添や小禄じゃなくて、佐敷を選んだのね。クグルーは今、どうしているの?」 「毎年のように明国に行っています。今に立派な使者になるでしょう」 「そうだったの。あのクグルーが使者に‥‥‥父親の血を立派に引いているのね‥‥‥叔父に代わってお礼を言うわ。ありがとう」 「クグルーは今、ここの城下にいるはずです。呼びましょうか」 トゥイは首を振って笑うと娘を促して立ち上がった。サハチが送って行こうとしたら、「そのままで結構です」と手で押さえる仕草をした。 サハチは控えている侍女に送るように命じた。 伊波に行っていたウニタキが帰って来たのは、それから半月後だった。サハチはナツと一緒に、来月半ばに行なわれるマグルーとウニタルの婚礼の準備で忙しかった。安須森ヌルはいないし、ユリたちは首里のお祭りの準備で首里に行っている。ユリたちが帰って来るまでに、やるべき事が色々とあった。 安須森ヌルの屋敷で、女子サムレーたちと一緒に作業していたサハチは、一休みしようと言って一の曲輪の屋敷に戻った。二階の会所で、ウニタキはナツと話をしていた。 「伊波の『まるずや』は大盛況だったんですって」とナツが言って、「お茶の用意をするわ」と出て行った。 「うまく行ったようだな」と言って、サハチは座った。 「これからは山田まで行かなくて済むって、みんなが喜んでくれたよ。マチルギの実家があるのに、店を出すのが遅れてしまった」 「マチルギに言われたのか」 「そうじゃない。去年の暮れ、ウニタルとマチルーに『まるずや』巡りをさせればいいって言っただろう。それで、改めて『まるずや』の事を調べたんだ。そしたら、伊波にない事に気づいたんだよ。敵地の金武や恩納にあるのに、伊波にないのはうまくないと思って、年が明けたら早速、準備に行ったというわけだ。うまい具合に丁度いい空き家も見つかって、思っていたより早くに開店できたんだ」 「そうか。マチルギも喜ぶだろう」 「伊波にいた時、金武まで行って来たんだ。金武按司が困っていたんで助けてやったよ」 「何があったんだ?」 「金武按司の奥さんは国頭按司の娘なんだ。国頭から杣人や炭焼きを連れてきて、恩納岳の木を伐ったり、炭を焼いたりしていたようだ」 「材木や炭は今帰仁に持って行くのか」 「いや、金武から今帰仁まで行くのは大変だ。辺戸岬を超えて行かなければならない。そこで、金武按司は勝連按司と取り引きを始めたようだ」 「なに、勝連と取り引きをしていたのか」 「勝連でも材木は必要だったんだ。今まではヤンバルまで木を伐りに行っていたようだ」 「勝連には山北王の『材木屋』はいないのか」 「いなかった。ところが、最近になって山北王は宜野座に『材木屋』の拠点を造ったらしい」 「宜野座とはどこだ?」 「東側を通って今帰仁に向かう時、途中から山道に入って名護に向かうだろう。山道に入る手前の辺りだ。そこで木を伐り出して、勝連に運んだようだ。金武の材木よりも質がいいので、勝連は『材木屋』と取り引きをしてしまい、金武の材木はいらないと言ったようだ。材木の処理に困った金武按司は『まるずや』に泣きついて来たというわけだ」 「山北王も考えたものだな」 「今まで一手に材木の取り引きをしていたのが、『まるずや』が加わって、材木の仕入れ値も上がった。それに、国頭按司も独自に材木の取り引きを始めた。それで、中山王だけでなく、東側の按司とも取り引きをしようと考えたのだろう。やがては、中グスクや佐敷とも取り引きをしようと考えているに違いない」 「金武按司の取り引きを奪うなんて、山北王は自分で自分の首を絞めているようだな」 「お陰で、金武按司は山北王を恨んで、中山王に近づこうとするだろう」 「うまく切り離してくれよ」 「買い取った材木の代価を弾んでやるさ」とウニタキは楽しそうに笑った。 その日の夕方、ファイチから連絡があって、今帰仁からリュウインが来たので、久米村に来てくれと言ってきた。 サハチはウニタキと一緒に久米村に向かった。メイファンの屋敷で、ファイチとリュウインが待っていて、サハチたちは新しくできたという遊女屋に向かった。 『慶春楼』という遊女屋は豪華な造りだった。立派な庭園には大きな池まであった。 「応天府(南京)の富楽院を思い出すな」とウニタキが言った。 「富楽院か‥‥‥懐かしい」とリュウインは言った。 「リュウイン殿も行きましたか」とファイチが笑った。 明国風の着物を着た女に案内された洒落た部屋で待っていると、遊女というよりも妓女と呼ぶのにふさわしい娘たちが現れた。明国の娘たちかと驚いたが、琉球の言葉をしゃべったので安心した。話を聞くと皆、琉球の娘たちだった。 「旧港(パレンバン)から来た商人が、この遊女屋を始めたのです」とファイチが言った。 「若狭町には遊女屋がいくつもありますが、言葉が通じません。琉球は益々栄えて行くだろうと考えて、その商人は久米村に高級な遊女屋を造ったのです。久米村としても土地を提供して、その商人を助けました。今年、やって来る冊封使たちも、これを見たら驚くでしょう」 「芸も一流なのですか」とリュウインが聞いた。 「旧港にある一流の妓楼から引退した妓女を呼んで仕込んだようです。勿論、明国の言葉もしゃべれます」 リュウインが明国の言葉で何事か言うと、妓女は見事に答えていた。 「得意な芸を聞いたら、二胡と舞、絵も嗜むそうです」とリュウインは言った。 妓女たちが奏でる明国風の音楽を聴きながら、 「明国に帰るのは十五年振りになります」とリュウインは言った。 「山北王が進貢船を出すのも十年振りです。どうして、十年も来なかったのかと聞かれるでしょう。うまく説明して、海船を賜わらなくてはなりません」 「礼部のヂュヤンジン(朱洋敬)に会って下さい。何とかしてくれるでしょう」とファイチは言った。 「今年も順天府(北京)まで行く事になると思います。長い旅ですが気をつけて行って来てください」 リュウインはうなづいて、 「順天府は永楽帝の本拠地ですからね。うるさい重臣たちに応天府を任せて、新しい都を造りたいのでしょう」と言った。 「永楽帝に会った事はあるのですか」とサハチはリュウインに聞いた。 「会った事はあります。わたしが仕えていた湘王と、当時、燕王と呼ばれていた永楽帝は仲がよかったのです。燕王は戦の報告をしに応天府に帰って来ると必ず、湘王を呼んで戦の話をしていました。一度、富楽院で一緒に飲んだ事もあります」 「『酔夢楼』ですか」とウニタキが言った。 リュウインが驚いた顔をしてウニタキを見た。 「確かに『酔夢楼』です。行った事があるのですか」 「そこで、お忍びの永楽帝と会いました」 ウニタキがそう言うと、リュウインはサハチとファイチを見て、ニヤニヤと笑った。 「何という人たちだ。永楽帝に会ったなんて信じられん。ファイチ殿は永楽帝にとっても大切な人だったようですな」 「永楽帝はリュウイン殿の事も覚えているかもしれませんよ」とサハチが言うと、リュウインは首を振った。 「わたしは湘王の従者として会っていただけです。それに、わたしの兄は永楽帝に殺されました。わたしの正体がわかれば、わたしも殺されるかもしれません。まあ、直接、永楽帝と話をする機会なんて、ないとは思いますがね」 五日後、リュウインは山北王の正使として、中山王の進貢船に乗って明国に旅立った。中山王の正使は南風原大親で、南風原大親は前回の時も順天府まで行っていた。サムレー大将は久高親方で、中グスクのサムレーたちも乗っていた。山北王のサムレー大将は十年振りに明国に行く本部のテーラーだった。 |
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