パティローマ
トンド王国に滞在した四か月はあっという間に過ぎて行った。 都見物を楽しんだあと、ササたちはアンアンたちと一緒に川の上流にある大きな湖に行った。湖には王様の離宮があって、そこに滞在して舟遊びをして楽しんだ。 トンド湾(マニラ湾)の沖にあるルバング島にも離宮があって、その島にも行って半月ほど滞在した。二月だというのに夏の日差しで、ササたちは海に潜って魚や貝を捕って遊んだ。 ルバング島よりもっと遠くにあるパラワン島にも、佐伯新十郎の船に乗って行った。パラワン島に行く途中、大小様々な島がいくつもあった。島々を行き来している小舟も多く、小舟を操るのが生活の一部になっているようだった。 パラワン島には砂金を採っている日本人がいた。円通坊という彦山(英彦山)の山伏で、新十郎の親戚だった。新十郎と一緒にトンドに来て、島々を巡った時、パラワン島で彦山権現のお告げを聞いて、パラワン島に金がある事を確信したという。 ササたちは円通坊に教わって砂金採りに熱中した。一日掛かりでも、ほんの少しの砂金しか採れず、根気のいる仕事だった。パラワン島の周辺には定住しないウミンチュ(海洋民族)たちが多くいて、砂金を採ってくれるのはいいが、食料と交換すると、どこかに行ってしまうと円通坊はぼやいていた。 パラワン島だけでなく、砂金が採れる島はいくつもあって、トンドのあるルソン島でも金が採れた。ルソン島には金塊が採れる山もあって、そこは王様が管理していて、誰も近づけないという。 アンアンたちも一緒に行って、身分を隠していたので、円通坊とアンアンがいい雰囲気になっていた。二人は現地語で話をしていた。円通坊はパラワン島に来て三年余りが経つので現地語がわかり、アンアンは山の砦にいた頃から現地語を話していた。山の砦で鍛えていた若者たちは現地人が多かった。 ササたちはアンアンと円通坊がうまく行けばいいと願ったが、アンアンの正体を知ったら、円通坊がどういう態度に出るかはわからなかった。 ササたちがパラワン島にいた時、ユンヌ姫たちが戻って来た。ヤマトゥに行った交易船が無事に帰って来た事と、マグルーとマウミ、ウニタルとマチルーの婚礼の事をササたちに知らせた。 若ヌルのマサキが姉の婚礼を喜んでいたので、「あなた、ユンヌ姫様の声が聞こえるの?」とササが聞いた。 「えっ?」とササを見たマサキは、「聞こえたわ」と言って、チチ、ウミ、ミミ、マユを見た。 四人の若ヌルたちも、聞こえたと言った。 ササは若ヌルたちを見て、「みんな、神人になったのね」と喜んだ。 若ヌルたちはポカンとした顔をしてお互いの顔を見ていたが、嬉しそうに笑うと飛び上がって喜んだ。シンシンとナナ、安須森ヌルと玻名グスクヌルも、よかったわねと喜んでいた。 「豊玉姫様は瀬織津姫様の事を知っていたの?」とササはユンヌ姫に聞いた。 「お祖母様は知っていたわ。ヤマトゥに行って気づかなかったのに、南の島に行って、瀬織津姫様の事を知るなんて信じられないって驚いていたわ」 「瀬織津姫様は琉球の人だったの?」 「そうなのよ。やっぱり、わたしたちの御先祖様だったのよ」 ササと安須森ヌルは手を打ち合って喜んだ。 「瀬織津姫様は垣花のお姫様だったのよ。今の垣花じゃなくて、昔、都だった垣花よ。瀬織津姫様は石器を作る堅い石を求めて、貝殻を持ってヤマトゥに行ったのよ。当時はまだヤマトゥの国はなくて、倭人と呼ばれていた人たちがヤマトゥのあちこちで暮らしていたみたい。瀬織津姫様は貝殻の交易で成功して、倭人たちに尊敬されて、倭人の神様になったのよ」 「瀬織津姫様は貝殻の交易をしていたんだ」とササは納得したような顔をして、 「それで、瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)は琉球にあるの?」と聞いた。 「お祖母様はその事を教えてくれなかったわ。ササが帰って来たら、詳しい事を教えるって言っていたわよ」 「きっと、あるわよ」と安須森ヌルは言った。 「そうね」とササはうなづいた。 パラワン島から帰ったササたちは帰りの準備を始めた。ヤマトゥの刀と大量の砂金を交換して船に積み込んだ。砂金は思っていたよりもかなり重かった。 お世話になった人たちにお別れを告げて、ササたちは四月の半ば、ミャーク(宮古島)の船と一緒にパティローマ島(波照間島)に向かった。アンアンも琉球に行ってみたいと言って、王様の許しを得て、一緒に付いて来た。 ミャークの船を先頭に、ササたちの船、アンアンの船と三隻の船が南風を受けて、ルソン島を北上して行った。崖に囲まれた島まではターカウ(台湾の高雄)から来た航路を戻って、そこから黒潮を超えてパティローマ島を目指した。黒潮を超えたあと、アンアンの船がはぐれてしまったが、ユンヌ姫たちが見つけて、無事に合流する事ができた。 四日間、海しか見えない広い海原を進んで、トンドを出てから十二日目、ようやく、パティローマ島に到着した。ミャークの船は慣れていて、先導してくれたので、ジルーたちも助かっていた。何度もトンドに行っているクマラパとムカラーも、黒潮に流されると方向を見失ってしまうので恐ろしいと言っていた。パティローマ島が見えるとホッとして、いつも神様に感謝しているという。 「ただ、パティローマ島に向かっている海流もあって、うまくそれに乗ると信じられない速さでパティローマ島に着くとアコーダティ勢頭は言っていた。わしは経験がないがのう」とクマラパは言った。 「マシュク按司ってどんな人ですか」とササはクマラパに聞いた。 「トンドに来ていた倅のプルキが親父によく似ているよ。わしがアコーダティ勢頭と初めてパティローマ島に行った時、マシュク按司も若かった。二度目にトンドに行った時、マシュク按司も一緒に行ったんじゃよ。トンドの都を見て、腰を抜かすほどに驚いておった。その後も何度もトンドに行っている。パティローマ島はトンドに行ったマシュク按司たちによって発展してきたんじゃよ」 「マシュク按司は琉球にも行っているんでしょう?」とナーシルがクマラパに聞いた。 「一番最初の時に行ったんじゃ。ナーシルのお母さんと一緒に行ったんじゃよ。そのあと、ブドゥマイ(大泊)按司とペミシュク按司も行っている。最後の年にはマシュクのブーパーが行った。ブーパーというのはミャークでいうウプンマの事じゃ。ヌルじゃよ。プルキの姉でな、琉球から帰って来て娘を産んでいる。娘の父親は琉球人だそうじゃ」 「えっ!」とナーシルが驚いて、「パティローマ島にも琉球の娘がいるのですか」と言った。 「父親は誰なんですか」とササが聞いた。 「浮島で出会った頭のいい酔っ払いだと言っていた」 「浮島の酔っ払い?」 「唐人の言葉がしゃべれるそうだから通事じゃないのか」 ササは安心した。もしかしたら、サハチではないかと疑ったのだった。 「パティローマ島は佐田大人にやられたんじゃよ。西側にあった村は奴らに襲われて全滅したんじゃ。幸い、一晩で去って行ったが、それでも百人余りは殺されたじゃろう。連れ去られた娘たちもいたようじゃ」 しばらく忘れていた佐田大人の名を聞いて、ササはパティローマ島で鎮魂の曲を吹かなければならないと思った。 パティローマ島の南側に白い砂浜が見えたが、そこから上陸する事はなく、船は島の東側を回って行った。東側は高い崖が続いていた。島の北側に回ると崖の上にグスクの石垣が見えた。 「あれがマシュク按司のグスクじゃ」とクマラパが言った。 「佐田大人が攻めて来る前はあんな石垣はなかったんじゃが、佐田大人に攻められたあと、村を守るために築いたんじゃよ」 マシュクのグスクの先にもう一つグスクがあった。そのグスクの下に砂浜があって、小舟がいくつも泊まっていた。砂浜には武装した兵たちの姿もあった。 ミャークの船から小舟が砂浜に向かって行った。マフニとプルキとブドゥマイの若按司が乗っていた。しばらくして、武装した兵たちは引き上げて、何艘もの小舟がササたちの船に向かってやって来た。ササたちは上陸した。 浜辺にマシュク按司とブドゥマイ按司がいて、ササたちを歓迎してくれた。ドゥナン島(与那国島)のドゥナンバラ村のラッパと娘のフー、ダティグ村のアックと娘のユナパの姿もあって、ササたちは再会を喜んだ。ナーシルは一緒に琉球に行ってくれるのねとフーとユナパの手を取って喜んでいた。ユンヌ姫が琉球から帰って来た時、ユウナ姫に琉球に行きたい人はパティローマ島まで来るようにと告げたので、それを聞いてラッパたちはやって来たのだった。 マフニはラッパとフーと三年振りの再会を喜んでいた。アンアンたちも上陸してきた。 「琉球の王様の娘とトンドの王様の娘が一緒に来るなんて、なんて光栄な事じゃろう。島をあげて歓迎いたします」とマシュク按司が言ったが、ササたちには言葉がわからなかった。 一緒にいたブドゥマイのブーパーが訳してくれた。ブーパーは琉球の言葉がしゃべれた。琉球に行ったのですかと聞いたら首を振って、神様から教わったと言った。 パティローマ島にも『宮古館』があるので、船から降りた人たちは、ブドゥマイ若按司とプルキの案内で『宮古館』に向かった。 ササたちはパティローマ姫に挨拶するために古いウタキ(御嶽)に向かった。パティローマ島ではウタキの事を『ワー』と言い、パティローマ姫のワーはブドゥマイのグスクの中にあるという。 ブドゥマイのブーパーの案内で、ササたちはグスクに入った。タキドゥン島(竹富島)のグスクと同じだった。屋敷の周りを石垣で囲んであるので、屋敷の庭をいくつも通り抜けて行かなければならなかった。見慣れぬ女たちがぞろぞろと庭を通って行くので、住人たちは驚いていた。ブーパーの話を聞いて、さらに驚いているようだった。 パティローマ姫のワーは一番奥の高台の上にあった。ササたちはお祈りを捧げた。 「スサノオ様を連れて来てくれて、ありがとう」とパティローマ姫はお礼を言った。 「この島にもスサノオ様はいらしたのですね?」とササが聞いた。 「三度もいらしてくれたわ。二度目は豊玉姫様をお連れになって、三度目はホアカリ様をお連れになったのよ」 「ホアカリ様を御存じでしたか」 「わたしも若い頃にヤマトゥに行った事があるのよ。すでに豊姫様も亡くなっておられ、息子さんが大王様になっていたわ。大王様もかなりの年齢だったけどお元気で、御先祖様のお話をして下さったの。ホアカリ様は三代目の大王様なのよ。ホアカリ様が亡くなったあと、ホアカリ様の息子さんでは多くの国をまとめられないので、玉依姫様が四代目の大王様になったわ。玉依姫様が亡くなったあと、ホアカリ様のお孫さんが五代目の大王様になったんだけど、五代目の大王様に嫁いだのが豊姫様なの。豊姫様は五代目が亡くなったあと、六代目として女王様になるのよ。そして、豊姫様の息子さんが七代目の大王様になったの」 「玉依姫様が四代目の大王様だったのですか」 「そうよ。玉依姫様はヤマトゥの国の筑紫の島(九州)の女王様だったの。でも、元々は筑紫の島の王様は玉依姫様の弟のミケヒコ様なの。日巫女という名前の通り、玉依姫様は巫女として弟の王様を助けていたのよ。弟が亡くなったあとに、玉依姫様が筑紫の女王様になったの。ヤマトゥの国はいくつもの国をまとめてできた国なのよ。それぞれの国に王様がいて、王様たちをまとめていたのが大王様なの。初代の大王様はスサノオ様で、二代目はサルヒコ様なの。サルヒコ様が亡くなったあと、ヤマトゥの国は分裂してしまうわ。当時、出雲におられたホアカリ様は筑紫の島に来て、母親の玉依姫様と一緒に筑紫の島を平定するの。そのあと東へと向かって各地を平定して、奈良という所にあるサルヒコ様の都に入って、三代目の大王を継いだのよ。そして、ホアカリ様が亡くなったあと、四代目の大王になったのが玉依姫様だったのよ。玉依姫様は跡継ぎに、ミケヒコ様の曽孫の豊姫様を選んで、ホアカリ様の跡を継いだ孫のアシナカヒコ様の妻として、奈良に送り出したのよ。豊姫様は玉依姫様に負けないくらい、シジ(霊力)が高かったようだわ。豊姫様が女王様になって、ようやく、ヤマトゥの国は一つにまとまったのよ」 「凄いですね」と安須森ヌルは感心していた。 「豊姫様の息子さんの大王様から聞いたお話なのですね?」 「そうなんだけど、本当はよく理解できなかったの。スサノオ様からお話を聞いて、やっと理解できたのよ」とパティローマ姫は笑った。 「瀬織津姫様の事は御存じないですよね?」とササが聞いた。 「スサノオ様から聞いたわ。あなたたちが調べているってね。残念ながら、わたしは知らないわ」 「パティローマ姫様がこの島にいらした時、この島はどんな様子だったのですか。南の国から来た人たちが住んでいたのですか」と安須森ヌルが聞いた。 「わたしはイリウムトゥ姫の娘だからクン島(西表島)から来たんだけど、この島にもクルマタの人たちが住んでいたのよ。クルマタの言葉は学んできたので、島の人たちとすぐに仲良くなれたわ。わたしはクルマタの若者と結ばれて子孫を増やしたのよ。でも、わたしが亡くなったあと、大きな津波がやって来て、島の人たちのほとんどが流されてしまったの。わたしの娘も流されてしまったわ。幸いに孫娘は助かって島を再建したのよ」 「その津波というのはミャークを襲った津波ですか」 「多分、違うと思うわ。クン島もそれ程の被害はなかったの。この島だけが大きな被害に遭ったのよ。わたしの娘は島の中央に新しい村を作ったんだけど、その村はなくなってしまったわ。熊野権現様の近くに娘のワーがあるから寄ってみてね」 「この島にも熊野権現があるのですか」とササたちは驚いた。 「ターカウの熊野権現の山伏が来て、島の中央にある丘の上に祠を建てたの。スサノオ様たちがいらした時、そこで歓迎の宴を開いたのよ。今ではあの辺りは畑になっているけど、娘が村を造った頃は密林が続いていたわ。娘は木を切り開いて村を造ったのよ。でも、あそこは水の確保が難しくてね、村は再建されなかったわ」 「佐田大人が攻めて来た時に全滅した村があったと聞きましたが、どこの村なのですか」とササが聞いた。 「西側の村よ。佐田大人はニシハマ(北浜)から上陸したの。近くにあったミシュク村は全滅したのよ。ひどかったわ。上陸した佐田大人は大勢の兵で村を囲んで、食料を出させて、娘たちに乱暴したのよ。異変に気づいたカンチ村とユナチ村のブリャが助けに向かったけどやられてしまったわ」 「ブリャって何ですか」 「ブリャは村長の事よ。按司って呼ばれる前はブリャって呼ばれていたの。カンチ村とユナチ村のブリャにやられた佐田大人の兵もいて、佐田大人は怒って、隣り村のヤグ村を攻めたわ。でも、ヤグ村のブリャが村人たちを逃がしたので、殺される人はいなかったけど、村は焼かれてしまったわ。ミシュク村の北にあるトンドから来た人たちが住んでいたイナサイ村も全滅してしまったのよ。島の人たちは一晩中、恐怖に震えながら守りを固めていたの。幸いに、佐田大人は翌朝に去って行ったわ。皆、ホッとしたけど、ミシュク村とイナサイ村は悲惨だった。焼け焦げた死体がゴロゴロと転がっていたわ。百人近くも殺されたのよ」 「連れ去られた娘たちはミャークに行ったのですか」 「そうよ。目黒盛によって佐田大人が滅ぼされたあと、何人かが島に戻って来て、村を再建したけど、佐田大人の兵たちの子供を産んだ娘たちも多くいて、恥ずかしくて島に戻れないと言って帰って来なかったのよ。でも、ミャークに残った娘たちも子供を立派に育てて、今では孫たちもいるわ。船乗りになってこの島に来た息子もいるのよ」 「佐田大人はムーダンの女を連れていませんでしたか」と安須森ヌルが聞いた。 「連れていたわ。残虐な女よ。ミシュク村のブーパーはその女に殺されたわ。ブーパーが殺されて怒った村人たちが戦ったけど、ヤマトゥの武器には勝てなかった。刃向かった者たちは皆、殺されてしまったの。そして、村を去る時、子供や年寄りも殺して、村に火を付けたのよ。あれから三十年が経って村も再建されたわ。二度とあのような悲劇が起こらないように、どこの村も石垣で囲んで、ヤマトゥの刀や弓矢も手に入れたのよ」 パティローマ姫と別れて、ブドゥマイのグスクを出て、ササたちは宮古館に向かった。宮古館はブドゥマイ村とマシュク村の中程にあって、それ程高くない石垣に囲まれていた。庭は広くて、小屋がいくつも建っていた。船から降りた人たちは思い思いの所に座って休み、島の女たちは忙しそうに歓迎の宴の準備をしていた。 ササたちはブドゥマイのブーパーに案内された小屋の中で休んだ。ササと安須森ヌルはブドゥマイのブーパーと一緒にマシュクのブーパーに会いに行った。 慣れた手つきで大きな魚をさばいていたマシュクのブーパーは安須森ヌルと同年配に見え、二十歳くらいの娘がいた。 「イシャナギ島(石垣島)のマッサビ様と一緒に琉球に行ったのですか」と安須森ヌルが聞いたら、 「そうなんです」とマシュクのブーパーは楽しそうに笑った。 「琉球に行ったわたしは驚いてばかりいて、マッサビ様とリーミガ様のあとを付いてばかりいました。浮島に行った時、浜辺でお酒を飲んでいたあの人と出会ったのです。この娘の父親ですよ。会った途端、この人だわと思ったの。マッサビ様とリーミガ様に相談したら、運命の人に違いないと言ってくれたの。わたしは帰るまで、その人と一緒に暮らしたわ。その人は久米村の安宿で暮らしていたのよ。その人は毎日、お酒ばかり飲んでいたけど、わたしはとても幸せだったわ」 「その人は通事だったの?」 「よくわからないけど、唐人の言葉はしゃべれたわ。二年余り、明国に行っていて、帰って来たら父親が亡くなっていたらしいの。知らないうちに弟が跡を継いでしまって、自分が帰る場所はないって悔しがっていたわ。それで、毎日、お酒を飲んでいたみたい。でも、わたしと一緒にいるうちに、お酒の量も減ってきて、悲しみから立ち直れたみたいだったわ。もう一度、明国に行って色々と学んでくると言っていたわ」 「ちょっと待って」と安須森ヌルが言った。 「その人の名前はサングルミーじゃないの?」 「そうです。知っているのですか」 安須森ヌルは驚いてササを見た。ササも驚いていた。 「サングルミー様は中山王の使者として何度も明国に行っているわ」 「えっ、あの人が中山王の使者になったのですか」 「そうですよ。使者の中でも一番優秀な人なのよ。以前、わたし、聞いた事があるの。独身のままなので、どうして、お嫁さんをもらわないのかって。そしたら、若い頃、好きになった人がいて、その人の事が忘れられないって言っていたわ。わたしはその人は亡くなってしまったのか、誰かに嫁いでしまったのだと思って、それ以上は聞かなかったけど、その人の名前を教えてくれたの。思い出そうとしているんだけど、思い出せないのよ。ただ、星の名前だったような気がするわ」 「ペプチ」とマシュクのブーパーは言った。 「そう、それよ。ペプチだったわ」と安須森ヌルは思い出した。 「ペプチはわたしの名前です。南の星という意味です」 「サングルミー様は今でもペプチさんの事を想っていますよ」とササが言うと、ペプチは目を潤ませて、「会いたいわ」と言った。 歓迎の宴で、久し振りにおいしい料理を食べて、お酒も飲んで、船旅の疲れを取った。 次の日はペプチの娘、サンクルの案内で熊野権現に行った。この島で一番高い所だというが、ちょっとした丘で、津波に襲われたというのもうなづけた。ササと安須森ヌルは鎮魂の曲を吹いた。 熊野権現より東側は密林が続いていて、村はなかった。西側にある森の中に二代目パティローマ姫のワーがあった。お祈りを捧げると二代目パティローマ姫の声が聞こえた。 「すばらしい曲をありがとう。亡くなった人たちが皆、感動していたわ。わたしのせいで大勢の村人たちを死なせてしまって、わたしなんかが神様になる資格なんてないんだけど、島の人たちはわたしを祀ってくれたのよ。亡くなった人たちのためにも、わたしはこの島の人たちを守らなければならなくなったわ。そして、わたしは精一杯守ってきたつもりよ」 「佐田大人の時はどうだったのですか」とササは二代目パティローマ姫に聞いた。 安須森ヌルもその事を聞きたかったが、神様が怒ると思って聞けなかった。さすが、怖い物知らずのササだわと感心していた。 「やはり、その事を聞いてきたわね」と二代目パティローマ姫は軽く笑った。 「あの時はわたしも驚いたわ。あんな凶暴な人間がいるとは思わなかったわ。ミシュク村の人たちを助けられなかったのは、わたしの失策だったけど、佐田大人を追い出す事には成功したのよ。この事は初めて言うんだけど、佐田大人はムーダンの女の言いなりだったわ。ムーダンの女はネズミ嫌いだってわかったので、眠っている所にネズミたちに行ってもらったのよ。女は大騒ぎして、さっさとこの島から出て行くって決めたのよ」 「ムーダンの女はネズミ嫌いだったのですか」とササは笑ってから、 「ミャークの人たちにも教えてあげればよかったのにね」と言った。 「ウパルズ様に伝えたわよ。でも、台風でお船がやられて、ミャークから出て行く事ができなくなって、ムーダンの女は高台にある高腰(たかうす)グスクに逃げたのよ」 「そうだったのですか」 ササはウパルズ様がネズミの事を言っていたのを思い出した。その時、少し気になったけど、驚く事が多すぎてネズミの事は忘れてしまった。ウパルズ様はネズミの事をクマラパに言ったに違いない。でも、クマラパは佐田大人を利用するために追い出さなかったのだった。 これからも、この島の人たちをお守り下さいとお願いして、ササたちは二代目パティローマ姫と別れた。 二代目パティローマ姫のワーから西に行くと、石垣に囲まれたユナチ村とカンチ村があって、その西にヤグ村があった。佐田大人に焼かれたヤグ村も石垣に囲まれていて、村は再建されていた。ヤグ村の南にペミシュク村があって、ヤグ村の西、海の近くにミシュク村があった。ミシュク村も石垣に囲まれていた。 ミシュク村を再建したのは戦死したブリャの孫、アガポだった。当時、十一歳だったアガポは若ブリャだった父親に言われて、敵兵に包囲されていた村から抜け出してユナチ村のブリャに助けを求めた。ユナチ村のブリャは島一番の勇者だった。ユナチ村のブリャはカンチ村のブリャと一緒に、腕自慢の若者たちを引き連れて、ミシュク村を助けに行ったが戦死してしまう。 家族を失ったアガポはユナチ村で育って、嫁を迎えるとミシュク村に戻って村の再建を始めた。やがて、アガポを手伝う若者たちが集まって来て、若者たちによって、新しいミシュク村ができた。アガポは村長として按司を名乗った。当時の若者たちも四十歳を過ぎて、何人かの孫も生まれていた。 ササたちはミシュク村に寄って按司から再建の苦労話を聞いて、佐田大人が上陸したニシハマに行った。 白い砂浜が続くニシハマは、そんな恐ろしい事が起こったなんて信じられないほど静かで美しい浜だった。若ヌルたちはキャーキャー騒ぎながら綺麗な海に入って行った。 |
パティローマ島(波照間島)
ブドゥマイ(大泊)村