リーポー姫
安須森参詣から帰って来た安須森ヌルは、「ヤンバル(琉球北部)のヌルたちもみんな参加してくれたのよ」と嬉しそうにサハチに言った。 「金武ヌルも来てくれたわ」 「金武ヌル?」 「馬天ヌルの叔母さんも心配していたの。腰が痛いって言って、今まで参加しなかったのよ。金武から山田まで出て行くのが大変だったみたい。今年は若ヌルを連れて参加したわ。若ヌルは金武按司の娘さんよ。しっかりした娘だったわ」 「そうか。恩納の若ヌルも恩納按司の娘なのか」 「そうよ。恩納按司が恩納ヌルと結ばれて生まれたのが若ヌルよ。でも、恩納ヌルの娘はまだ六歳らしいわ」 「今帰仁ヌルも参加したのか」 「今帰仁ヌルは去年も参加したわよ。今年は若ヌルを連れて来たわ。山北王の娘で、マナビーの妹よ。お姉さんに似て武芸が好きみたい。サスカサが武当拳を教えたら喜んでいたわ」 「サスカサが山北王の娘と仲良くなったのか」 「湧川大主の娘にも教えていたわよ。湧川大主の娘は勢理客ヌルが指導していたわ」 「勢理客ヌルというのは山北王の叔母さんだな?」 「そう。先代の今帰仁ヌルで、今帰仁ヌルを山北王の姉に譲って、勢理客ヌルを継いだの。ヤンバルで一番力を持っているヌルだわ。叔母さんととても仲がいいのよ」 サハチはうなづいて、「沖の郡島(古宇利島)の若ヌルは来たのか」と聞いた。 「来たわ。山北王が夢中になっている若ヌルでしょ。可愛い娘だけど、みんなから仲間はずれにされていたわ。でも、マチとサチと仲良くなったみたい」 「なに、佐敷ヌルと平田ヌルが、クーイの若ヌルと仲良くなったのか」 「独りぼっちでいたクーイの若ヌルに、二人が声を掛けたのかもしれないわね。それより、奥間ヌルよ。あたしが、お姉さんて呼んだら驚いていたわ」 「ばれた事を話したのか」 「話したわ。マチルギ姉さんに謝りに行かなければならないって言っていたわよ。いつまでも隠してはおけないし、ミワの今後の事を考えたら、ばれてよかったのかもしれないって言っていたわ」 「そうか」 「そして、若ヌルたちと一緒にヤマトゥ旅をすれば、みんなと仲良くなって、大きな視野に立って物事を考えられるようになるだろうって言っていたわ」 「大きな視野か‥‥‥」 一緒に行った若ヌルは、ヤグルー(平田大親)の娘のウミ、マタルー(八重瀬按司)の娘のチチー、クルー(手登根大親)の娘のミミ、ンマムイ(兼グスク按司)の娘のマサキ、安須森ヌルの娘のマユ、アフリ若ヌルのカミー、フカマ若ヌルのウニチルだった。ミワがその仲間に入ったのは、確かに今後のためになるだろうとサハチも思った。 次の日、ユリと娘のマキク、ハルとシビーは、お祭りの準備のために与那原グスクに行った。島添大里グスクの事はマグルーとサスカサ、ナツに任せて、サハチは安須森ヌルと一緒に首里に行った。そろそろ冊封使がやって来るので、準備をしながら首里で待機するつもりだった。冊封使一行の中にヂャンサンフォン(張三豊)を探しに来た宦官がいるかもしれないので、そいつらの様子を探るためにウニタキにも首里にいてもらう事にした。 七月の二十日、冊封使よりも先に旧港(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の船が来た。冊封使と重ならなくてよかったとサハチはホッとした。シーハイイェンたちとスヒターたちが上陸して来て、ササたちがヤマトゥに行ったと言ったらがっかりしたが、アンアンたちの顔を見て驚き、再会を喜んでいた。 ヂャンサンフォンの事を聞いたら、三姉妹たちと一緒にムラカ(マラッカ)に行ったと言った。シーハイイェンたちとスヒターたちも杭州に寄って引っ越しを手伝って、一緒に旧港まで行ったらしい。旧港で一休みしてから、三姉妹の船はムラカに向かったという。 「メイユーさんの娘のロンジェンは可愛かったわ。来年はロンジェンを連れて琉球に行くって言っていました」とシーハイイェンが言った。 「早く会いたいよ」とサハチはまだ見ぬ娘の姿を想像した。 その夜、『那覇館』で歓迎の宴が催され、南の島の人たちも参加して、楽しい夜を過ごした。トンド(マニラ)から来ていたシュヨンカ(徐永可)は祖父のシュミンジュン(徐鳴軍)との再会を喜んでいた。 次の日、安須森ヌルの先導で、旧港とジャワの使者たち、シーハイイェンたち、スヒターたちが首里に上った。沿道には人々が集まって、小旗を振って歓迎した。首里グスクの百浦添御殿(正殿)で思紹に挨拶をした使者たちは、北の御殿の大広間での歓迎の宴に参加してから那覇館に引き上げた。シーハイイェンたちとスヒターたちはアンアンたちを連れて与那原グスクに行った。お祭りの準備を手伝うのも琉球に来る楽しみの一つになっていた。 二日後、久米島から冊封使の船が着いたとの知らせが届いた。ファイチ(懐機)に呼ばれて、サハチはウニタキと一緒に久米村に行ってメイファンの屋敷に顔を出した。ファイチと一緒に李仲按司がいた。 サハチとウニタキの顔を見ると、「いよいよ、来ましたね」と言って、ファイチは笑った。 「よろしくお願いします」と李仲按司はサハチに頭を下げた。 「こちらこそ、よろしくお願いします」とサハチも頭を下げて、円卓を囲んだ椅子に腰を下ろした。 「李仲按司殿は前回、冊封使が来た時、山南王(シタルー)の重臣として接待したのでしたね?」 李仲按司はうなづいた。 「あの時はアランポー(亜蘭匏)がいましたからね、奴が何でも決めていて、わしらは従うしかありませんでした。それでも、山南王はアランポーをやり込めていましたよ。先代の中山王(察度)が亡くなったのは九年も前の事で、アランポーはその事をずっと隠していましたからね。冊封使にばらすぞと言って脅して、山南王としての意見を通していました。アランポーの下にサングルミーがいて、サングルミーも筋が通らない事は認めなかったので、アランポーも好き勝手な事はできなかったようです。あの時は四月に来て十一月までいましたからね。長かったですよ。早く帰ってくれと誰もが願っていました」 ファイチは予定表を見せてくれた。 「冊封使の都合もありますから多少の変更はあると思いますが、こんな流れです」 冊封使の一行には、冊封使の他に諭祭使と頒賜使がいて、諭祭使は先代王の廟所の前で先代王の業績を讃える儀式を行ない、頒賜使は冊封の儀式のあとに永楽帝から賜わった王冠と王様の着物を新しい王様に与える儀式をする。諭祭の儀式は冊封使が来てから五日後、冊封の儀式はその十日後の予定になっていた。 「今回の冊封使は山南王のために来ます」と李仲按司が言った。 「冊封の儀式のあとの冊封の宴までは、山南王に任せてほしいのですが、いかがでしょう?」 「えっ!」と驚いて、サハチはファイチを見た。 「それでいいと思います」とファイチは言った。 「冊封使が着いた時の歓迎の宴はどうするのですか」とサハチは聞いた。 「歓迎の宴はやりません」とファイチが言った。 「前回もやってはいません。重臣たちが出迎えて、天使館に送ったあと、食料を届けますが、冊封使が連れて来た料理人たちが料理を作ります」 「その届ける食料も山南王が負担すると言うのですか」 李仲按司はうなづいた。 「必要な物は前回の進貢船で集めましたので大丈夫です」 「豚も集めたのですか」 「一応、生きた豚を連れて来ましたが、多分、豚は冊封使も連れて来ると思います。琉球に豚がいない事を知っていますから、前回、来た時は豚を連れて来ていました」 「そうですか。わかりました。冊封の宴までは山南王に任せる事にします。足らない物があった時は知らせて下さい。用意させます」 「ありがとうございます。中山王には中秋の宴と重陽の宴をお任せします。そして、餞別の宴は山南王に任せて下さい」 中秋の宴は八月十五日、重陽の宴は九月九日だった。二つの宴だけでは物足りないような気もするが、今回は山南王に花を持たせようと思い、サハチはうなづいた。 「ヂャン師匠を探しに宦官が来ると思いますか」とウニタキが李仲按司に聞いた。 「永楽帝は今、順天府(北京)に新しい宮殿を造っていますが、その一画に宦官たちの秘密の組織があるらしいとの噂が流れていたそうです」 「ヂャン師匠を探すために秘密の組織を作ったのですか」とサハチは驚いて聞いた。 「そうではありません。応天府(南京)にいる重臣たちを見張るためですよ。永楽帝には三人の息子がいて、長男は病弱で、次男は武勇に優れているようです。それで、跡継ぎに次男を押す重臣たちが多いので、そいつらの動きを探っているようです」 「永楽帝は長男に跡を継がせようと思っているのですか」 「そのようです。長男の息子が利発らしい。永楽帝はその孫を可愛がっていて、戦にも一緒に連れて行っているようです」 「永楽帝には息子が三人しかいないのですか」とサハチは不思議に思って聞いた。 「四男もいたようですが幼い頃に亡くなったらしい。側室は大勢いるのですが、皇帝になってからは子に恵まれてはいません。噂では、甥(建文帝)を殺した祟りで不能になってしまったに違いないと言われているようです」 以前、ヂャンサンフォンから永楽帝が不能になって、それを治すためにヂャンサンフォンを探していると聞いたが、本当だったようだとサハチとウニタキは顔を見合わせた。 「そんなよからぬ噂をしている奴らも秘密組織の宦官に捕まっているようです。今回、奴らが琉球に来るかどうかはわかりませんが、言葉が通じないと思って、永楽帝の悪口など言ったら捕まるかもしれないので気を付けた方がいいでしょう」 「永楽帝はヂャン師匠が琉球にいた事を知っているのか」とウニタキがファイチに聞いた。 「知らないと思いますよ」とファイチは言った。 「ヂュヤンジン(朱洋敬)は知っているだろう。永楽帝に話さないのか」 「ヂュヤンジンもヂャン師匠の孫弟子です。師匠の不利になる事は、たとえ永楽帝でも話さないはずです。師匠を裏切る事になりますからね。永楽帝がヂャン師匠を探している事は一部の宦官しか知りません。それに、ヂャン師匠が生きている事を知っているのは、明国でもほんのわずかの人だけです。名前を知っている人がいても、過去の仙人だと思っています」 「確かにな。百六十年も生きているなんて、信じろと言っても無理だろう」 サハチもウニタキも納得した。 次の日、明国の官服を着た山南王の重臣たちが浮島に来て、冊封使たちが来るのを待ち構えていたが、久米島から使者が来て、冊封使の一行は久米島に滞在しているので、明日、浮島に着くだろうと知らせた。 久米島でヂャン師匠を探しているに違いないとサハチもウニタキも思い、宦官たちの動きを見張らなければならないと警戒を強めた。 翌日の正午近く、冊封使の船が二隻、浮島にやって来た。進貢船よりも大きな船だった。 山南王の重臣たちと久米村の役人たちが出迎えて、一行は『天使館』に入った。見物人たちが大勢集まって、小旗を振って冊封使たちを歓迎した。 南の島の人たちは勿論の事、旧港のシーハイイェンたち、ジャワのスヒターたちも冊封使を見るのは初めてだった。トンドのアンアンたちは父親が王様になった時に冊封使を迎えていた。 ファイチは正装して、国相のワンマオ(王茂)と一緒に出迎えたが、サハチとウニタキは見物人たちの中に紛れて見ていた。 山南王の重臣たちに先導されて、冊封使と諭祭使と頒賜使は立派なお輿に乗って天使館に向かった。その尊大な態度は、永楽帝が送った使者だという威厳に満ちていた。 一行が天使館に入って、天使館が明国の兵たちによって警護されるのを見届けるとサハチは首里に戻り、ウニタキは宦官たちの動きを探るために残った。 冊封が終わるまでは山南王に任せる事に決まったので、翌日、サハチは島添大里グスクに帰った。 その日の夕方、島添大里グスクに珍客が訪れた。 娘たちの剣術の稽古が始まる頃で、東曲輪に城下の娘たちが集まって来ていた。その中に見た事もない唐人の娘が三人と男が三人いて、娘たちの剣術の稽古を眺めていた。 木剣の素振りのあと、サスカサが出て来て、武当拳の套路(形の稽古)が始まった。それを見ていた唐人たちが驚いて、その中の一番若い娘が騒ぎ出した。女子サムレーのリナーが静かにするように注意をした。男の一人は通事らしく、リナーが言った事を伝えた。若い娘は通事に何事かを言った。 「どうして、武当拳の套路をしているのかと聞いています」と通事の男がリナーに言った。 「ヂャンサンフォン様から教わったのです」とリナーは答えた。 別の男が驚いた顔をして何事か言った。 「ヂャンサンフォン様は琉球にいるのかと聞いています」と通事が言った。 「今はもういません」とリナーは答えた。 若い娘が、「サハチ、サハチ」と言った。 リナーは驚いて若い娘を見た。 「サハチ様に会いたいと言っています」 リナーはシジマにサハチを呼びに行かせた。 知らせを聞いたサハチは一体、誰だろうと不思議に思った。三姉妹と関係のある娘が冊封使と一緒に来るはずはないし、サハチの名前を知っている娘に心当たりはなかった。 東曲輪に行くと娘たちの稽古を見ている唐人たちがいた。一人は道士らしい老人、三十歳前後の男が二人、若い娘が三人だった。三人の中の一人は十代の半ばに見え、そんなに若い娘が冊封使の船に乗っていたなんて不思議に思えた。 「島添大里按司のサハチ殿ですね」と通事が言った。 サハチはうなづいた。知っている人は一人もいなかった。 「永楽帝の娘のリーポー(麗宝)姫です」と通事は一番若い娘を紹介した。 「永楽帝の娘?」とサハチは驚いて、娘を見た。 娘は何事か言ったが、サハチには意味がわからなかった。 「永楽帝からサハチ殿の事を聞いて会いに来たと言っています」 「リーポー姫様、ようこそ、いらしてくれました」とサハチはリーポー姫に言ったが、本当に永楽帝の娘なのか疑っていた。 一緒にいるのは武当山の道士のチウヨンフォン(丘永鋒)、リーポー姫の護衛役のチャイシャン(柴山)、同じく護衛役のリーシュン(李迅)とヂュディ(朱笛)、そして通事のツイイー(崔毅)だった。 「チウヨンフォン殿はヂャンサンフォン殿の弟子ですが、呼吸法を取り入れた套路を初めて見たと言って驚いています」とツイイーがサハチに言った。 「あれはヂャンサンフォン殿がヤマトゥの鞍馬山に登った時に考えついたのです」 サハチの言った事を通事がチウヨンフォンに伝えると、チウヨンフォンは納得したような顔をして笑った。 サハチはリナーに与那原にいるシーハイイェンたちを呼んでくれと頼み、リーポー姫たちを一の曲輪の屋敷に連れて行った。 ナツにお茶を頼んで、サハチはツイイーの通訳で、永楽帝のお姫様がどうして、琉球に来たのかを聞いた。 リーポー姫は永楽帝が皇帝になる前の戦の最中に北平(北京)で生まれた。母親は永楽帝に仕えていた女官だった。リーポー姫の母親との関係は皇后に内緒にしていたため、皇帝になってからも応天府に呼ぶ事ができず、永楽帝はチウヨンフォンにリーポー姫の行方を捜させた。 チウヨンフォンは北平に行って、リーポー姫を見つけ出した。リーポー姫が八歳の時、母親は亡くなってしまい、以後はチウヨンフォンに育てられた。九歳の時、永楽帝が北平に来て、初めて父親と会った。十歳の時、永楽帝と一緒に応天府に行き、宮殿で暮らすようになる。当時、皇后はすでに亡くなっていて、リーポー姫は正式に永楽帝の娘と認められるが、宮殿での堅苦しい生活を嫌って、街に出て暮らす事になる。その時、チャイシャンと二人の娘、リーシュンとヂュディがリーポー姫の護衛を命じられた。 リーポー姫は幼い頃からチウヨンフォンに武芸を仕込まれて、怖い物知らずで、好奇心旺盛だった。永楽帝が琉球に冊封使を送る事を知ると一緒に行くと言い出して、永楽帝を困らせた。永楽帝もリーポー姫のわがままを止める事はできず、サハチならリーポー姫を守ってくれるだろうと思い、サハチに会いに行けと言ったのだった。 与那原からシーハイイェンたち、スヒターたち、アンアンたちがやって来た。リーポー姫は言葉が通じる娘たちがいるので驚いた。そして、旧港、ジャワ、トンドの王女たちだと知って、さらに驚き、目を輝かせて、それぞれの国の事を聞いていた。サハチには何を言っているのかさっぱりわからず、時々、シーハイイェンが通訳してくれた。 サハチはマーミに頼んでウニタキを呼んだ。リーポー姫の事を告げて、ファイチも一緒に来るように頼んだ。忙しいからファイチは来られないだろうと思ったが、ファイチも来た。 「永楽帝の娘が来たのですか」とファイチは驚いていた。 「冊封使から聞いていないのか」とサハチは聞いた。 「聞いていますが会ってはいません。お転婆娘らしくて、天使館に落ち着かず、浮島を散策しているようだと言っていました。まさか、ここに来ていたなんて驚きましたよ」 「今、安須森ヌルの屋敷にいるよ。今晩、歓迎の宴をやる。ヂャン師匠の弟子のチウヨンフォンという道士が一緒にいる。リーポー姫の師匠だ」 「永楽帝の娘がヂャン師匠の孫弟子とは面白い」とウニタキが楽しそうに笑った。 「娘たちがここに来ている事は配下の者から聞いて知っていたが、冊封使が娘を連れて来たんだと思っていた。永楽帝の娘だったとは驚いた。調べた所、宦官が何人か来ている事は確かだ。まだ、動いてはいないがな」 「久米島に滞在したのもリーポー姫が島を見てみたいと出掛けてしまったからだと冊封使が言っていました」とファイチが言った。 「クイシヌ様と会ったかな」とサハチは言って、「ミカと気が合いそうだ」と笑った。 その夜の歓迎の宴は酒盛りというよりは、お菓子を食べながらおしゃべりを楽しむ宴だった。リーポー姫はファイチとウニタキの名前も知っていて、三人が揃ったと言って喜んでいた。 サハチたちはチウヨンフォンとチャイシャン、通事のツイイーと一緒に酒を飲み、ファイチが三人から話を聞いた。 驚いた事にチャイシャンは宦官だった。 十歳の時、洪武帝の粛清に巻き込まれて、武将だった父は斬首刑となり、チャイシャンは宮刑となって去勢され、宦官になった。後宮で雑用をやらされて、夢も希望もない日々を送っていた。十六歳の時、燕王(永楽帝)が挙兵して、応天府にいたチャイシャンは上司に命じられて、書状を持って北平に向かって燕王と会った。燕王は書状を読んで、よく知らせてくれたと喜んだ。その後は燕王に従って出陣した。燕王の陣にいたチウヨンフォンの弟子になって、武芸や兵法も学んだ。戦でも活躍して、燕王が皇帝になったあとは、永楽帝の側近くに仕え、リーポー姫が応天府に来てからは、リーポー姫の護衛役になっていた。 「痛かっただろう」とウニタキがチャイシャンに聞いた。 チャイシャンは笑って、「痛いなんてものじゃありません」と言った。 「台の上に乗せられて手足を縛られ、口の中にぼろ切れを突っ込まれて、切られた瞬間、激痛が走って気絶しました。気がついた時にはもう何もなくなっていました。その後、喉がやたらと渇きましたが水を飲む事も許されず、傷口は痛むし、腹は膨れて痛くなるし、苦しくて、殺された方が増しだったと泣いていました。傷口が悪化して死んでしまう者も多いんですよ」 ファイチの通訳で、チャイシャンの言葉を聞いたサハチとウニタキは顔をしかめた。 チウヨンフォンは武当山の五龍宮の住持だったユングーヂェンレン(雲谷真人)の甥だった。サハチたちが武当山に登った時、ユングーヂェンレンはすでに亡くなっていて、思紹が登った時、思紹はユングーヂェンレンに間違えられて、ユングーヂェンレンが戻って来たと騒ぎになり、弟子たちが大勢集まって来たのだった。 険しい山々を巡って修行を積んでいたチウヨンフォンは崆峒山にいた時、ヂャンサンフォンが武当山に帰って来たとの噂を聞いて武当山に行き、ヂャンサンフォンの弟子になった。武当山で十二年間、修行を積んだあと旅に出た。たまたま、北平にいた時、燕王が挙兵した。燕王に呼ばれて戦に参加して応天府を攻めた。燕王が皇帝になったあと、リーポー姫を探しに北平に行き、母を亡くしたリーポー姫を育てて、今に至っている。 「リーポー姫が十歳の時じゃった。武当山にヂャン師匠と叔父のユングーヂェンレン殿が現れたとの噂が流れたんじゃ。ヂャン師匠はともかく、亡くなった叔父が現れるなんて信じられなかった。真相を確かめようと当時、北平にいたわしはリーポー姫を連れて武当山まで行ったんじゃよ。ヂャン師匠には会えなかったが、昔の仲間との再会を喜んだ。叔父の事はよくわからなかった。あれは確かに叔父だったという者もいるし、叔父によく似たヂャン師匠の弟子だと言う者もいた。ヂャン師匠なら叔父を蘇らせたとしても不思議ではないとわしは思った。その時の旅が余程楽しかったらしく、リーポー姫は旅好きになってしまったんじゃよ」とチウヨンフォンは笑った。 「あの時、ヂャン師匠と一緒に武当山に登ったのは中山王です」とファイチが言ったら、チウヨンフォンは驚いた。 「中山王もヂャン師匠の弟子なのかね?」 「中山王だけではありません。琉球にはヂャン師匠の弟子は一千人以上います。東曲輪で娘たちの指導をしていた女子サムレーたちも弟子ですし、各地にいるサムレーたちも弟子です。勿論、わたしたち三人も弟子です」 「ほう、そんなにも弟子がいるとは驚いた」 「シュミンジュン殿を御存じではありませんか」とサハチが聞いて、ファイチが通訳した。 「シュミンジュン? 懐かしいのう。共に修行を積んだ師兄じゃよ。年齢はわしより二つ下なんじゃが、師兄は幼い頃から師匠の弟子だったから滅法強かった。わしはいつの日か、師兄を倒そうと必死に修行したんじゃよ。わしが武当山を下りる前年に、師兄は旅に出て行った。その後、どこに行ったのか、音沙汰なしじゃ」 「今、琉球にいます」とファイチが言ったら、チウヨンフォンは目を見開いて驚いた。 「首里の慈恩寺にいます。住持の慈恩禅師殿はヂャン師匠からすべての教えを授かっています」 「慈恩寺か。行かなければならんのう」 「フーシュ殿というウーニン殿の師匠を御存じですか」とファイチが聞いた。 「フーシュ殿もわしの師兄じゃ。ウーニンというのは知らんのう」 「ウーニン殿の弟子のクマラパ殿も慈恩寺にいます」 「フーシュ師兄はわしが武当山にいた頃、武当山に帰って来て、その二年後に亡くなってしまわれたんじゃ。師兄の孫弟子までいるとは驚いた。リーポー姫様が琉球に行くと行った時、わしは反対したんじゃよ。そんな島に行っても面白くもなんともないと思っていた。まさか、ヂャン師匠がこの島にいて、弟子たちがそんなにもいるとは思ってもいなかった。本当に来てよかったと思っている」 ツイイーは通事の子として生まれ、通事になるために国子監に入って勉学に励んだ。父親は日本語の通事で、何度も日本に行っていた。ツイイーも日本語を学んでいたが、琉球の言葉に興味を覚えて学ぶ事にした。琉球の言葉を教えていたのはサングルミーだった。琉球に帰って来ても自分の居場所がない事を知ったサングルミーは、再び明国に渡って国子監に戻った。講師に頼まれて琉球の言葉を教えながら、サングルミーは自らの勉学にも励んでいた。 通事になったツイイーは琉球の使者たちを泉州で迎えて応天府、あるいは順天府まで連れて行っていた。 「おれたちが明国に行った時、泉州の来遠駅にいたのか」とウニタキが聞いた。 ツイイーは首を傾げた。 「会ってはいないと思います。多分、山南王の使者と一緒に応天府に行ったのかもしれません」 「タブチは知っているのか」とサハチは聞いた。 「勿論、知っています。タブチ殿は毎年、来ていましたからね。何度か、御馳走になりましたよ。戦で戦死したと聞いています。惜しい人を亡くしたと残念に思いました」 もしかしたら、久米島でタブチと会ったのではないかとサハチは不安になった。 「久米島を散策したようですが、どうでした?」とファイチが聞いた。 ツイイーは苦笑して、「船酔いがひどくて寝込んでいました」と言った。 それを聞いてサハチもファイチもウニタキもほっと胸を撫で下ろした。 「琉球に行くのを楽しみにしていたのですが、船酔いには参りました。あの日一日、休んだお陰で、ようやく治ったのです。リーポー姫様に感謝しています。もし、次の日に船出していたら、今も寝込んでいたかもしれません」 翌日、リーポー姫たちはシーハイイェンたち、スヒターたち、アンアンたちと一緒に与那原に行き、チウヨンフォンはサハチと一緒に慈恩寺に行った。ファイチとウニタキは浮島に戻った。 「リーポー姫を守ってくれ」とサハチがウニタキに頼むと、 「永楽帝が俺たちに託した娘だ。明国に帰るまでは責任を持たなくてはならない」と言って、うなづいた。 |
浮島の天使館
島添大里グスク