沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







満月




 八月十五日、首里(すい)グスクで『冊封使(さっぷーし)』を迎えて『中秋(ちゅうしゅう)(うたげ)』が催され、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでは『十五夜(じゅうぐや)の宴』が催された。『中秋の宴』は馬天(ばてぃん)ヌルと安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が中心になって行ない、『十五夜の宴』はサスカサ(島添大里ヌル)と久高島(くだかじま)大里(うふざとぅ)ヌルが中心になって行なった。

 スオナ(チャルメラ)を吹く楽隊を先頭に、馬に乗った護衛の兵たちに守られて、お輿(こし)に乗った『冊封使』たちが浮島(那覇)から首里まで行進した。大勢の見物人たちは小旗を振りながら、初めて聞く明国(みんこく)(中国)の音楽に驚いて、奇妙な着物を着た唐人(とーんちゅ)たちを物珍しそうに眺めていた。

 首里グスクに入った『冊封使』たちは『北の御殿(にしぬうどぅん)』の宴席に納まって、従者たちの席は北の御殿の前の御庭(うなー)に用意された。『百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)』の前に中山王(ちゅうざんおう)思紹(ししょう)と王妃、世子(せいし)(跡継ぎ)のサハチ(尚巴志)と世子妃のマチルギが正装して座り、その両側に重臣たちが並び、『南の御殿(ふぇーぬうどぅん)』の前に按司たちが並んでいた。

 日暮れと同時に『キーヌウチ(後の京の内)』でヌルたちの儀式が始まって、安須森ヌルが吹く笛の音が流れた。

 百浦添御殿、北の御殿、南の御殿の軒下にいくつもの『灯籠(ドンロン)』が下げられて、御庭は昼間のように明るかった。祝杯を重ねながら儀式が終わるのを待って、やがて、百浦添御殿の屋根の上に『満月』が顔を出すと、儀式を終えたヌルたちが『御庭』に入って来て華麗に舞い始めた。

 薄衣(うすぎぬ)をなびかせて舞うヌルたちは妖艶で、幻想的な曲に合わせて舞う姿はこの世のものとは思えないほど美しく、『冊封使』たちも感激して見入っていた。

 ヌルたちの舞が終わると『宇久真(うくま)』の遊女(じゅり)たちが現れて、『冊封使』たちにお酌をした。皆、明国の言葉がしゃべれる遊女たちだった。

 『御庭』にはサングルミー(与座大親)が現れて『二胡(アフー)』の演奏が始まった。サングルミーの登場を一番喜んだのは思紹だった。いつも、この時期に明国に行っているので、『満月』を見ながらサングルミーの『二胡』を聞くのは久し振りだった。サハチもサングルミーの演奏を久し振りに聴いて感動していた。

 哀愁を帯びた『二胡』の調べは『満月』とよく似合って、皆、シーンとして聴き入っていた。

 その頃、島添大里グスクではファイチ(懐機)が『ヘグム(奚琴)』を弾き、娘のファイリン(懐玲)が『三弦(サンシェン)』を弾いて合奏をしていた。南の島の人たちも招待して、賑やかな『十五夜の宴』となっていた。

 安須森ヌルは首里に行っていて、ササ(運玉森ヌル)たちもいないが、南の島のヌルたちが参加していたので、ヌルたちによる舞は例年以上に華やかだった。シーハイイェン(パレンバンの王女)たち、スヒター(ジャワの王女)たち、アンアン(トンドの王女)たち、リーポー姫(永楽帝の娘)たちも自国の歌と踊りを披露した。ハルの『かぐや姫』とシビーの『チャンオー(嫦娥)』の共演もあった。シビーが演じるのは初めてだったが、なかなかうまいものだった。ウニタキ(三星大親)はミヨンを連れて首里に行き、『冊封使』たちに歌と三弦を披露する事になっていた。

 『宇久真』では安謝大親(あじゃうふや)旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)とトンド(マニラ)の使者たちを招待して、『十五夜の宴』を開いていた。女将のナーサがいないのでマユミは大忙しだったが、立派に女将の代理を務めていた。



 その頃、ヤマトゥ(日本)に行ったササは精進湖(しょうじこ)のほとりで、『富士山』の上に昇っている『満月』をじっと見つめていた。

 六月十二日に浮島を出帆した愛洲(あいす)ジルーの船は二十八日に薩摩の『坊津(ぼうのつ)』に着いた。

 『一文字屋』の主人の孫三郎は京都に行っていて留守だった。若主人の弥三郎の話によると、二月に始まった『伊勢の(いくさ)』はまだ終わっていなくて、多分、琉球(沖縄本島)の『交易船』はまだ博多にいるだろうとの事だった。孫三郎はクレー(シビーの兄)とサジルー(苗代之子の長男)とマサンルー(ウニタキの次男)と越来(ぐいく)ヌルのハマ、トゥイ(先代山南王妃)たちとナーサを連れて京都に向かったが、京都に着いたかどうかはわからないと言った。

 ササたちは坊津に二泊して、船旅の疲れを取ってから北上した。『八代(やつしろ)』に着いたのは七月三日で、『阿蘇弥太郎(ヤタルー師匠)』のお陰で、ササたちは八代城主の『名和伯耆守(なわほうきのかみ)』に歓迎された。

 『名和伯耆守』は南北朝の戦の時に『阿蘇弥太郎』と一緒に戦っていて、『阿蘇弥太郎』は戦死したものと思っていた。二十四年振りの再会を喜んで、お互いに昔の事を懐かしそうに語り合っていた。

 『阿蘇弥太郎』は『阿蘇神社の大宮司(だいぐうじ)』の息子だった。『阿蘇神社』は広大な社領を持ち、武力も持っていて、『大宮司』は神主(かんぬし)でもあり、武将でもあった。

 弥太郎が生まれた時、南北朝の戦は始まっていて、『阿蘇神社』も北朝(ほくちょう)方と南朝(なんちょう)方に分かれて対立していた。分家だったが大宮司の娘婿となった弥太郎の祖父(阿蘇惟澄)は、南朝方として活躍して『大宮司』になった。祖父の長男(惟村)は北朝方として戦い、次男(惟武)は父と共に南朝方として戦っていた。祖父は亡くなる前に、兄弟で争うのはやめるように諭して、長男に大宮司職を譲った。しかし、南朝の『征西府(せいせいふ)』はそれを許さず、次男を大宮司と認めた。北朝は長男を大宮司と認めたので、『阿蘇神社』は二人の大宮司がいる事になって、完全に分裂してしまった。弥太郎は南朝の大宮司の息子だった。

 弥太郎は元服(げんぶく)すると父に従って戦に参加した。十九歳の時、父が戦死してしまい、兄が大宮司職を継いだ。二十一歳の時、阿蘇に来た『慈恩禅師(じおんぜんじ)』と出会って弟子になり、二年間、各地を一緒に旅をして武芸の修行に励んだ。阿蘇に帰ると武芸の腕を認められて、懐良親王(かねよししんのう)の跡を継いだ『良成親王(よしなりしんのう)』に仕える事になった。

 当時、北朝の『今川了俊(いまがわりょうしゅん)』の活躍で、南朝の拠点は次々に落とされて、『征西府』は金峰山(きんぼうざん)の山中にあった。弥太郎は『左衛門佐(さえもんのすけ)』を名乗って良成親王に近侍した。

 三年後には『征西府』を宇土(うと)に移して、南朝方の盛り返しを狙うが、今川了俊の総攻撃に遭って、『名和氏』を頼って八代に移った。八代に移って一年後には、そこも攻められて、良成親王は矢部(やべ)の山中に逃げた。その時の戦で重傷を負った弥太郎は『天草(あまくさ)氏』に助けられた。天草で傷を治して、良成親王を探し出すつもりでいたが、南北朝の戦が終わった事を知らされる。『名和氏』も北朝に降参して、本領を安堵されたという。

 弥太郎は急に気が抜けてしまう。南北朝の戦が終わっても、兄と伯父は争いを続けていた。阿蘇に帰って、その争いに巻き込まれたくはなかった。どこか遠くに行きたいと思った。そんな時、天草氏が『琉球』に船を出すと聞いて、弥太郎は『琉球』に行ったのだった。

 翌日、名和伯耆守の息子の『弾正(だんじょう)』の案内で、ササたちは『阿蘇山』に向かった。二十人余りの一行は馬に乗って進んだ。城下の人たちはサムレーの格好をして馬に乗っている娘たちを珍しそうに眺めていた。

 弾正はササたちが八代に来た事を喜んでいた。ササたちは弾正を知らないが、弾正は『丸太引きのお祭り』を毎年、見ていて、ササたちの事はよく知っていた。ヤマトゥンチュ(日本人)たちは誰が勝つのか賭けをやっていて、ササに賭けて、たっぷりと儲けさせてもらった事もあると弾正は楽しそうに笑った。

 馬に乗って山道を進み、着いた所は阿蘇山の南にある矢部の『浜の(やかた)』だった。堀と石垣に囲まれた大きな屋敷で、弥太郎の兄の『大宮司』がいて、弥太郎の出現に幽霊でも見ているような顔をしていた。

「兄上」と弥太郎が言うと、

「本当に弥太郎なのか」と兄は疑いの目で見ていたが、弥太郎が昔の事を話すと、「生きていたのか」と目に涙を溜めて喜んだ。

 ササたちは歓迎されて、その夜はお酒を飲みながら琉球の話をして喜ばれた。ササは大宮司から『阿蘇津姫(あそつひめ)』の事を聞いた。

「阿蘇山の神様で、『火の神様』であり、『水の神様』でもあるし、『戦の神様』でもあるんじゃよ。そして、わしらの『御先祖様』じゃ」

 『ターカウ(台湾の高雄)』にいる『五峰尼(ごほうに)』の事を聞いたら、大宮司と弥太郎の叔母だという事がわかった。『五峰尼』が弥太郎の事を知らなかったと言うと、弥太郎は笑って、弥太郎を名乗ったのは元服したあとなので、叔母は知らないのだろうと言った。弥太郎が五歳の時に『五峰尼』は菊池三郎に嫁いで、弥太郎が元服した年に『ターカウ』に行ってしまったという。

 大宮司の話も『五峰尼』が言った事と同じで、それ以上の事はわからなかった。

 『阿蘇津姫』と結ばれた『アマテル』の事も聞いたが、大宮司は知らなかった。

「『阿蘇津姫様』と結ばれたのは『阿蘇津彦様』じゃよ。『タケイワタツノミコト様』ともいう神様じゃ」と大宮司は言った。

 翌日、先達山伏(せんだつやまぶし)の案内で『阿蘇山』に向かった。途中で馬から下りて細い山道を進んで、一日掛かりで、ようやく山頂にある『阿蘇神社の奥の宮』に着いた。

 阿蘇山は思っていたよりもずっと大きな山で、山頂には大昔に噴火したという大きな火口があった。そこからの眺めは雄大で、琉球では考えられないほど広々としていた。

 ササたちは『奥の宮』でお祈りをしたが、『阿蘇津姫』の声は聞こえなかった。ササが首から下げている『瀬織津姫(せおりつひめ)のガーラダマ(勾玉)』も目覚める事はなかった。

「どうして、『瀬織津姫様』の声が聞こえないの?」とシンシン(杏杏)がササに聞いた。

「『瀬織津姫様』はここにはいらっしゃらないという事よ」

「でも、古い神様がその『ガーラダマ』の事を知っているんじゃないの?」

「このガーラダマは『瀬織津姫様』が琉球からここに来たばかりの時に身に付けていた物よ。もし、『瀬織津姫様』の娘さんが『阿蘇津姫』を継いだとしても、娘さんはこの『ガーラダマ』は知らないでしょうね」

「そうか。『玉グスクのウタキ(御嶽)』に埋められた『ガーラダマ』じゃないとだめなのね」

「『瀬織津姫様』の声は聞こえなかったけど、『瀬織津姫様』が遙か昔に、ここにいた事は確かだと思うわ」とササが言うと、シンシンとナナとカナ(浦添ヌル)は素晴らしい景色を眺めながらうなづいた。

 若ヌルたちはキャーキャー騒ぎながら景色を楽しんでいた。

 『奥の宮』から、来た道とは別の道を降りて行くと、『西巌殿寺(さいがんでんじ)』という大きなお寺があった。僧坊がいくつも建ち並んでいて、大勢の山伏たちがいた。ササたちはその中の宿坊(しゅくぼう)のお世話になって、翌日、阿蘇山を下りた。

 七月八日、『五島(ごとう)の福江島』に着いて、早田左衛門三郎(そうださえもんさぶろう)(シンゴの兄)と再会して、七月十一日、『壱岐島(いきのしま)』で志佐壱岐守(しさいきのかみ)と再会した。壱岐守は八人の若ヌルたちを見て、ササの弟子だと知ると目を丸くして驚いていた。

玻名(はな)グスクヌルと喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)の弟子たちよ。あたしはちっとも面倒を見ていないわ」とササは笑った。

 七月十三日、博多の手前の『可也山(かやさん)』の西に船を泊めて、小舟(さぶに)で上陸してササたちは『豊玉姫(とよたまひめ)のお墓』に行った。

 お祈りをすると『玉依姫(たまよりひめ)』の声が聞こえた。

「『ユンヌ姫』から聞いたわよ。南の島に行って、『アマミキヨ様』の事を色々と調べて来たんですってね。新しい発見もあったらしいじゃない。お父様(スサノオ)を呼んで、ヤキー(マラリア)退治をさせるなんて、あなたは大したものだわ。そして、今度は『瀬織津姫様』の事を調べているのね」

「そうなのです。玉依姫様は『瀬織津姫様』の事を御存じですか」

「勿論、『瀬織津姫様』の事は知っているわよ。お父様から御先祖様だって聞いているわ。でも、『瀬織津姫様』が琉球のお姫様だっていう事はお母様(豊玉姫)から聞いて、初めて知ったのよ。驚いたわ。お母様がヤマトゥに来るよりずっと前に、『瀬織津姫様』が琉球から来ていたなんて。それでね、わたしなりに『瀬織津姫様』の事を調べてみたのよ」

「えっ、玉依姫様が『瀬織津姫様』の事を調べたのですか」

「そうよ。まさか、あなたがそんな古い神様の事を調べるなんて思ってもいなかったわ。お母様が琉球の事を調べたので、わたしはヤマトゥの事を調べたのよ。お父様から『瀬織津姫様』は伊勢で亡くなったのだろうって聞いていたので、伊勢の神宮の古い神様たちに聞いて回ったの。『瀬織津姫様』の事を知っている神様はいなかったけど、『伊勢津姫様』を知っている神様はいたわ。『伊勢津姫様』は伊勢で亡くなったらしいわ。伊勢の神様として祀られていたんだけど、わたしが『アマテラス』として伊勢の神宮に祀られる事になって、『伊勢津姫様』は『封印』されてしまったらしいのよ。『内宮(ないくう)の正殿』の床下に『心御柱(しんのみはしら)』というのがあるわ。それによって『封印』されているの。『心御柱』が腐ってしまうと『封印』が解けてしまうので、伊勢の神宮は心御柱が腐る前に建て直しをしなければならないの。二十年以内には必ず新しい『心御柱』に替えて、『伊勢津姫様』が蘇らないようにしているのよ」

「伊勢の神宮は今までずっと、二十年毎に建て替えをしていたのですか」

「二十年とは決まっていないけど、もう五百年以上も前から、『心御柱』が腐る前に必ず、建て替えをしているわ」

「もし、『心御柱』が腐ってしまうと、どうなるのですか」

「『封印』されていた『伊勢津姫様』が蘇って大変な事が起こるでしょう。戦乱の世が続いて大勢の人たちが犠牲になるかもしれないわね」

「『伊勢津姫様』がそんな恐ろしい事をするのですか」

「『伊勢津姫様』は誰からも尊敬されていた神様だったわ。それなのに、突然、『封印』されてしまった。怒りは物凄いのかもしれないわね」

「誰が『封印』したのですか」

「きっと、『陰陽師(おんようじ)』よ。でもね、『伊勢津姫様』は伊勢で亡くならないで、駿河(するが)の『富士山』まで行ったと言う神様もいたのよ。わたしは『富士山』まで行って調べたわ。『富士山』には『浅間大神(あさまのおおかみ)様』という神様が祀られていたけど、声を聞く事はできなかったの。わたしの勘なんだけど、『浅間大神様』は『瀬織津姫様』のような気がするわ」

「『富士山』ですか‥‥‥玉依姫様は『瀬織津姫様』の声を聞いた事があるのですか」

「あるわよ。危機に瀕した時、何度か助けていただいたのよ。でも、どこにいらっしゃるのかわからなくて、わたしから声を掛けてもお返事を聞いた事はないの。まだ、お礼も言ってないわ」

「『瀬織津姫様』はどこにいらっしゃると思いますか」

「あなた、『瀬織津姫様の勾玉(まがたま)』を見つけたのよね。『瀬織津姫様』が気づけば、必ず声を掛けて来るはずよ。『武庫山(むこやま)(六甲山)』か、『那智の滝』か、『伊勢の神宮』か、『天川(てんかわ)弁才天社(べんざいてんしゃ)』か、『富士山』にいらっしゃると思うわ」

「『天川の弁才天社』にいるかもしれないのですか」

「『瀬織津姫様』があそこにいた事はないんだけど、のちの世に『役行者(えんのぎょうじゃ)』が『瀬織津姫様』をお祀りしたから、そこにいるかもしれないわ。山の中で居心地がよさそうだしね。『武庫山』は戦で荒らされてしまったし、『伊勢の神宮』は伊勢津姫様が封印されているから居心地はよくないでしょう」

「『武庫山』は戦で荒らされたのですか」

「そうよ。平清盛(たいらのきよもり)は福原に都を造る時に『武庫山』の木を大量に伐り出したし、源氏が平家を攻めた時は『武庫山』で戦も行なわれたわ。南北朝の戦の時も、赤松円心が山の上に城を築いたので、山中で戦が行なわれたのよ。『武庫山』では大勢の山伏たちが修行していて、神社やお寺がいくつもあったんだけど、戦で焼けてしまったものも多いのよ。今、思い出したけど、武庫山の中に『神呪寺(かんのうじ)』というお寺があるんだけど、そこに『如意尼(にょいに)』という面白い人がいたわ。五百年以上も前の人だから神様になって『神呪寺』にいるわよ。生まれは丹後の国(京都府北部)で、『ホアカリ(玉依姫の息子)』の子孫なのよ。幼い頃から『霊力』が強くて、十歳の時に京都に行って、六角堂の『如意輪観音(にょいりんかんのん)様』に仕える巫女(みこ)になったの。そこで『空海(くうかい)』と出会ったのよ」

「『空海』って誰ですか」とササは聞いた。

「お坊さんよ。若い頃は山の中を走り回っていて、唐の国に渡って仏教を学んで、帰って来てから熊野の近くの『高野山(こうやさん)』にお寺を造ったのよ。『空海』は『霊力』が強かったから『瀬織津姫様』の声が聞こえたのね。六角堂の『如意輪観音』が『瀬織津姫様』の事だって、『如意尼』に教えたの。『瀬織津姫様』の事を知った『如意尼』は生涯、『瀬織津姫様』にお仕えしようと決めたんだけど、あまりにも美しすぎたために天皇に見初められて、御所に迎えられるの。天皇の(きさき)となって『真名井御前(まないごぜん)』と呼ばれて、五年間を過ごすんだけど、『瀬織津姫様』の事が忘れられなくて、『空海』の助けを借りて、御所を抜け出して『武庫山』に行くのよ。『真名井御前』は武庫山で『空海』の弟子になって、山々を歩き回って厳しい修行を積んだわ。そして、『空海』が師と仰いでいた『役行者』を慕って『大峯山(おおみねさん)』に行くの。『大峯山』は『女人禁制(にょにんきんぜい)』の山なんだけど、『真名井御前』はそんな事はお構いなしに『大峯山』に登って、二十一日間の修行を成し遂げたのよ」

「えっ、『女人禁制』のお山に登ったのですか」

「そうなのよ。『天皇の妃』で、しかも、『空海の弟子』だから、『大峯山の大先達(だいせんだつ)』たちも手が出せなかったのよ。『真名井御前』の気迫に負けたのに違いないわ。『大峯山』では『真名井御前』の事は隠してしまったけど、痛快だったわ。武庫山に帰った『真名井御前』は、『空海が彫った如意輪観音像』を本尊として『神呪寺』を建てたのよ。その時、正式に出家して『如意尼』と名乗ったの。会えばあなたと気が合うと思うわ」

「あたしが会う事ができるのですか」

「あなたが『瀬織津姫様』の事を話せば、きっと話に乗ってくると思うわ」

「わかりました。『武庫山』に行ったら会ってみます」

 ササたちは玉依姫と別れて、愛洲ジルーの船に戻ると『赤間関(あかまがせき)』に向かった。『北畠(きたばたけ)氏』の味方をした『愛洲氏』が『博多』に行くのは危険だというので、『博多』には寄らなかった。

 七月十七日に『上関(かみのせき)』に着いて、村上水軍の『あや』と再会した。『あや』は突然のササの出現に驚き、大喜びをしてササたちを迎えた。村上水軍も南朝方として活躍していたので、愛洲ジルーたちも歓迎された。

 上関に二日間滞在して、『あや』の船に先導されて、(とも)の浦、牛窓(うしまど)、室津と行った。『武庫山』に行きたかったけど、『兵庫津』に入るのは危険だと『あや』に言われて諦めて、淡路島に沿って南下して『田辺』に向かった。『あや』も熊野水軍に挨拶に行くと言って付いて来た。『田辺』まで来れば熊野水軍の領域だった。愛洲水軍も熊野水軍に属しているので安全だった。

 田辺から『那智』に行き、『那智の滝』にお参りした。残念ながら『瀬織津姫』の声は聞こえなかった。しかし、『那智の滝』を見上げていると、遙か昔に『瀬織津姫』がここにいらしたという事は感じられた。

 『如意輪堂』の前で偶然、愛洲ジルーたちは知り合いの山伏と出会った。『覚林坊(かくりんぼう)』という山伏は驚いた顔をしてジルーたちを見て、「無事に帰って来たのか」と聞いた。

「予定よりも帰るのが遅れてしまいました。戦があったようですが、皆、無事でしょうか」とジルーは覚林坊に聞いた。

「愛洲殿の兵も『多気(たげ)(美杉町)』まで出陣したんじゃが、敵も『多気』までは攻めて来なかった。詳しい事はわからんが、『北畠殿の戦』に同調して関東でも騒ぎが起きたようじゃ。幕府としても早々にけりを付けたいらしく、仲介役を送って来たようじゃな。まもなく、『幕府軍』も引き上げる事じゃろう」

 ジルーたちは安心して、ササたちを『覚林坊』に紹介した。若い娘たちを連れて琉球からやって来たと聞いて覚林坊は驚いていた。

 ササが『天川の弁才天社』に行きたいと言うと、また驚いて、険しい山道を歩いて三日は掛かると言った。どうして、『天川の弁才天社』に行きたいのかと聞いたので、ササは『瀬織津姫様』に会いに行くと言った。

「琉球の娘が『瀬織津姫様』を知っているとは驚いた。確かに、『天川の弁才天様』は『役行者殿』が祀った『瀬織津姫様』だが、わざわざ、会いに行くとはのう。かなりきつい道のりだぞ。若い娘たちが行けるような所ではない」

「でも、どうしても会わなければならないのです。わたしたちを『天川の弁才天社』に連れて行って下さい」

 ジルーが詳しい説明をすると、「そなたは『スサノオの神様』と話ができるのか」と驚いた顔をして聞いた。

 ササはうなづいて、「『瀬織津姫様』は『スサノオ様』の御先祖様だと聞いております」と言った。

 覚林坊はササをじっと見つめた。

「わしの師匠は『役行者殿』の事を調べていて、わしは師匠と一緒に『役行者殿』にゆかりのある地を巡ったんじゃよ。『葛城山(かつらぎさん)』、『箕面山(みのおさん)』、『笠置山(かさぎやま)』、『飯道山(はんどうさん)』、『愛宕山(あたごやま)』に登って、四国の『剣山(つるぎさん)』と『石鎚山(いしづちやま)』と九州の『彦山(ひこさん)(英彦山)』、駿河の『富士山』にも登った。そして、『役行者殿』が『瀬織津姫様』を各地に祀っていた事を知ったんじゃよ。信じがたいが、『瀬織津姫様』が琉球のお姫様だったとは面白い。いいじゃろう。『天川の弁才天社』に案内しよう」

 宿坊に泊まったササたちは翌朝、『覚林坊』に従って、大雲取りを越えて熊野の『本宮(ほんぐう)』を目指した。本宮から熊野川に沿って北上して、険しい山道を歩き通し、三日目の夕方、ようやく、『天川の弁才天社』に到着した。

 若ヌルたちはお互いに励まし合って歯を食いしばって歩いた。一番辛そうだったのは『喜屋武ヌル』だった。阿蘇弥太郎に励まされて、何とか皆のあとを付いて来た。各地を旅していた『飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)』も『辰阿弥(しんあみ)』も、『天川の弁才天社』に来たのは初めてで、凄い所だと感激していた。

 山奥なのに『妙音院』というお寺があって、僧坊がいくつも建ち並び、山伏たちも大勢いた。若い娘たちがぞろぞろとやって来たので、山伏たちは奇異な目をしてササたち一行を見ていた。

 覚林坊に従って、両側に僧坊が建ち並ぶ参道を通って岩山の上に建つ『本殿』に登った。本殿には『役行者』が彫った『弁才天』が鎮座していた。その『弁才天』はイシャナギ島(石垣島)のウムトゥダギ(於茂登岳)で会った『サラスワティ』にそっくりだった。『サラスワティ』がここに来たのは本当だったのだとササたちは感激した。

 五十鈴(いすず)を鳴らして、ササたちは『弁才天』にお祈りを捧げた。苦労してやって来たのに、『瀬織津姫』の声は聞こえなかった。

 ササはどっと疲れが出て来たが、疲れた顔を見せたら若ヌルたちが気落ちしてしまうので、「ここは『瀬織津姫様』が住むのに最高の場所だわ。でも、どこかにお出掛けみたい」と言って笑った。

 本殿から降りて、覚林坊はササたちを『行者堂(ぎょうじゃどう)』に連れて行った。お堂の中には錫杖(しゃくじょう)を持った『役行者』の像があった。

「わしら山伏にとっての神様じゃ」と覚林坊は言った。

 ササたちは無事にここまで来られたお礼を込めてお祈りをした。

「そなたは誰じゃ?」という声が聞こえたので、ササは驚いた。

「今の声、聞こえた?」とササは振り返って聞いた。

 シンシン、ナナ、カナ、玻名グスクヌル、喜屋武ヌルが驚いた顔をしてうなづいた。

「右から二番目にいる若い娘じゃ」と声は言った。

 ササは振り返って若ヌルたちを見た。右から二番目にいたのは『マサキ(兼グスク若ヌル)』だった。

「わたしの弟子の『マサキ』といいます。あの娘がどうかしたのですか」

「そなたたちはどこから来たんじゃ?」

「琉球です」

「やはり、『琉球』から来たのか。何年か前に将軍の御台所(みだいどころ)(将軍義持の妻、日野栄子)と一緒に琉球の姫が『熊野』に来たと話題になったが、そなたたちだったんじゃな」

「そうです。源氏の事や平家の事を調べるために『熊野』に参りました。あなたは『役行者様』ですね?」

「そうじゃ。『マサキ』が付けている『勾玉』はわしが琉球に行った時に、『真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)』にいた『沢岻(たくし)ヌル』に贈った物なんじゃよ。マサキは『沢岻ヌル』の子孫なのか」

 ササは母の馬天ヌルから聞いた話を思い出した。ヤマトゥから来た『役行者』が『ビンダキ(弁ヶ岳)』に『弁才天』を祀ったと言っていた。その時に『真玉添』に行ったに違いなかった。

「それは違うと思います。『真玉添』は滅ぼされてしまいました。滅ぼされる前にヌルたちは『勾玉』を集めて山に埋めました。数年前に地震があって、埋められてあった『勾玉』が蘇ったのです。その中の一つが『マサキの勾玉』です。その『勾玉』を選んだ『マサキ』は『役行者様』に縁があったのだと思います」

「そうじゃったのか。わしは『瀬織津姫様』から『琉球』の事を聞いて、行ってみたくなったんじゃ。当時、『勾玉』は廃れていたが、『琉球』では喜ばれると聞いて持って行ったんじゃよ。まさか、その『勾玉』が戻って来るとは夢でも見ているようじゃ」

「どこに行ったら『瀬織津姫様』に会えますか」とササは聞いた。

「そいつは難しい問題じゃな。わしが初めて『瀬織津姫様』の声を聞いたのは『武庫山』じゃった。そして、この地に『瀬織津姫様』をお祀りした。その時、『瀬織津姫様』からお礼を言われて、『琉球』の事を聞いたんじゃよ。そして、最後に声を聞いたのは『富士山』に登った時じゃった。『富士山』から下りて、北麓の『()の海』のほとりにあった『浅間大神(あさまのおおかみ)神社』にお参りした時、『瀬織津姫様』の声を聞いたんじゃ。『浅間大神』というのは『瀬織津姫様』の事で、『富士山の神様』として祀られていたんじゃよ」

「ここと『武庫山』と『富士山』なのですね?」

「わしが『瀬織津姫様』の声を聞いたのはその三か所だが、そこに『瀬織津姫様』がいらっしゃるかどうかはわからん。しかも、富士山の『浅間大神神社』は今はもうない。わしが行った時から百五十年くらい経った頃、富士山が『大噴火』して、『剗の海』も『浅間大神神社』も埋まってしまった。今では『樹海』になっている」

「埋まってしまったのですか‥‥‥」

 ササたちはお礼を言って役行者様と別れた。

 覚林坊は驚いた顔をして、「『役行者殿』と話をしていたのか」とササに聞いた。

 ササはうなづいた。

「山伏も『大先達』になると『神様の声』が聞こえるようになると聞いた事があるが、実際に目にしたのは初めてじゃ。そなたたちは凄いのう」

 覚林坊は役行者との会話の内容を聞いて、ササたちを『富士山』まで連れて行ってやると約束してくれた。

 ササたちは将軍様の御台所様と一緒に『熊野参詣』をした琉球の姫様たちだと、覚林坊が弁才天社を守っている先達山伏に言ったため、ササたちは大歓迎された。その夜は歓迎の宴が開かれ、お酒と料理を御馳走になった。帰りは舟に乗って『(てん)ノ川』を下り、熊野川を下って『新宮(しんぐう)』まで行った。

 若ヌルたちはキャーキャー騒ぎながら、川下りを楽しんでいた。ジルーたちも『天川の弁才天社』に行ったのは初めてで、行けてよかったと喜んでいた。『あや』もこんな山奥に来るなんて思ってもいなかったと楽しそうに笑った。

 『新宮』では新宮孫十に歓迎されて、『天川の弁才天社』に行ってきたと言ったら驚いていた。ジルーの船とあやの船は新宮の港で待っていて、次の日の八月五日、あやの船は上関に帰り、ジルーの船は故郷の『五ヶ所浦』に着いた。

 ササたちはジルーの父、『愛洲隼人(あいすはやと)』に大歓迎された。隼人は水軍を率いて伊勢湾まで出陣したが、尾張(おわり)(愛知県西部)の兵が海を渡って伊勢に行く事はなく、七月の半ばには五ヶ所浦に戻って来たという。

 『五ヶ所浦』は『伊勢』と『熊野』を結ぶ拠点として栄えていた。伊勢の神宮を参詣して、熊野に行く参詣客は五ヶ所浦から船に乗って新宮に向かった。逆に熊野参詣のあと、伊勢の神宮に行く人たちもいた。ただ、『北畠氏』が戦を始めたために参詣客も極端に減っていて、早く戦が終わる事を願っていた。

 ササはジルーの妻と子供たちに会った。ジルーを心配していた妻はジルーの無事の帰国に涙を流して喜んでいた。子供たちも泣いていた。その姿を見て、悪い事をしてしまったと後ろめたい思いに駆られていた。ミーカナとアヤーもゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)の妻や子供と会い、後ろめたい気持ちになっていた。

 ササたちはジルーの案内で、五ヶ所浦から剣峠(つるぎとうげ)を越えて『伊勢の神宮』に向かった。ゲンザとマグジは荷物を下ろす指示をするために五ヶ所浦に残った。ミーカナとアヤーは若ヌルたちを守るために一緒に来た。

 『伊勢の神宮』は思っていたよりも近かった。正午(ひる)過ぎには『内宮(ないくう)』に着いた。『伊勢津姫』と呼ばれた『瀬織津姫』がいた所だった。正殿の下に『心御柱(しんのみはしら)』があって、『伊勢津姫』が『封印』されていると『玉依姫』は言っていた。『伊勢津姫』は怒りのために『龍神』になったのだろうか。

 お祈りをしたが『伊勢津姫』の声は聞こえなかった。『瀬織津姫』を祀っているという『荒祭宮(あらまつりのみや)』でお祈りしても『瀬織津姫』の声は聞こえなかった。『封印』された『伊勢津姫』が『瀬織津姫』だったら、『封印』を解かなければ声を聞く事はできない。ここに『封印』されているのが『瀬織津姫』でない事をササは願った。

 『外宮(げくう)』に行って『ホアカリ』に挨拶をして、『月読(つきよみ)神社』にも挨拶をした。何となく、『月読』という神様は『瀬織津姫』の事ではないのかとササは感じた。『小俣(おまた)神社』に行って『トヨウケ姫』に挨拶をして、ジルーの知り合いの御師(おんし)の宿屋のお世話になった。

 五ヶ所浦に戻って、ジルーの船に乗って『富士山』に向かった。二日目に『沼津』に着いて、駿河の水軍、『大森伊豆守(いずのかみ)』に迎えられて上陸した。大森伊豆守は駿河や伊豆の参詣客を五ヶ所浦に連れて行っていて、愛洲氏とは古くからの付き合いがあった。

 雄大で形のいい『富士山』は美しく、船の上からササたちはうっとりしながら眺めていた。『瀬織津姫』がここまでやって来たわけがよくわかったような気がした。

 覚林坊の案内で、『富士山』の北側に回って『浅間大神神社』があった辺りに向かった。山中湖を過ぎ、河口湖を過ぎて、西湖(さいこ)に来た。西湖は埋まらずに残った『剗の海』の一部だという。その先は『青木ヶ原』と呼ばれる『樹海』が広がっていた。

「『樹海』の中に入ったら出て来られなくなると聞いている」と覚林坊が言った。

「こんな所にいないわよ」とシンシンが言った。

「きっと、お山の上よ」とナナが『富士山』を見た。

「でも、女子(いなぐ)は『富士山』に登れないんでしょ」とカナが言った。

 『富士山』は山伏たちによって『女人禁制』の山になっていた。

 『富士山』を見上げながら、『大峯山』に登った『真名井御前』を見倣って登ってしまおうかとササが考えていると、突然、『ガーラダマ』がしゃべった。

「『樹海』の中よ」と『ガーラダマ』は言った。

 ササは『ガーラダマ』を握って、「わかったわ」と言って振り返ると、みんなに、「行くわよ」と言って『樹海』の中に入って行った。

「ササ、『ガーラダマ』が蘇ったの?」とシンシンが聞いた。

「そうみたい。『ガーラダマ』に案内してもらうしかないわ」

「出られなくなったらどうするの?」とカナが心配した。

 若ヌルたちも心配顔でササを見ていた。

「大丈夫よ」とササは若ヌルたちに笑うと先に進んで行った。

 『ガーラダマ』の案内で、半時(はんとき)(一時間)ほど原生林の中を進んで行くと、「ここよ」と『ガーラダマ』が言った。

 ササは立ち止まって辺りを見回したが、樹木(きぎ)が生い茂っているだけで、今まで歩いて来た所と同じ景色しか見えなかった。

「この下に『パーリ』が造った都が埋まっているのよ」と『ガーラダマ』は言った。

「パーリ?」とササは聞いた。

「あなたが探している人よ。パーリは『垣花姫(かきぬはなひめ)』という名前で、筑紫(つくし)の島(九州)にやって来たのよ」

「『瀬織津姫様』の童名(わらびなー)は『パーリ』だったのですね?」

 『ガーラダマ』の返事はなかった。ササたちはその場に(ひざまづ)いて、お祈りを捧げた。

「とうとう、ここまでやって来たわね」と『神様の声』が聞こえた。

 ササは感激して叫びたい心境だったが、気持ちを抑えて、「『瀬織津姫様』ですね?」と聞いた。

「『瀬織津姫』という名前は、わたしが『那智』にいた時の名前で、娘に譲ったのよ。ここでは『浅間大神』と呼ばれているわ。『役小角(えんのおづぬ)(役行者)』が『弁才天』と『瀬織津姫』を習合したお陰で、『瀬織津姫』の名前が有名になってしまったのよ」

「何とお呼びしたらよろしいのでしょうか」

「『瀬織津姫』で構わないわ。あなたがここに来る事は娘の『阿蘇津姫』から聞いていたのよ。琉球から来た娘がわたしを探しているってね。あなたは一体、誰なの? どうして、わたしが身に付けていた『ガーラダマ』を身に付けているの?」

 ササは瀬織津姫の妹の『知念姫(ちにんひめ)』から借りてきた事を告げた。

「琉球にわたしの子孫がいたなんて驚いたわね」

「わたしも驚きました。そして、『瀬織津姫様』に会いたいと思ってヤマトゥにやって来たのです。『豊玉姫様』よりもずっと昔に琉球からヤマトゥに行って、『偉大な神様』になられた『瀬織津姫様』にどうしても会いたかったのです」

「偉大な神様だなんて‥‥‥わたしは偉大でも何でもないわ」

「『阿蘇津姫様』は『瀬織津姫様』の娘さんだったのですか」

「わたしには六人の娘がいるのよ。長女が『阿蘇津姫』を継いで、次女は『日向津姫(ひむかつひめ)』、三女は『武庫津姫』を継いで、四女は『阿波津姫(あわつひめ)』、五女は『瀬織津姫』を継いで、六女は『浅間大神』を継いだのよ。五女は那智から伊勢に移って、『伊勢津姫』になったわ」

「伊勢の神宮に封じ込められている『伊勢津姫様』も娘さんだったのですか」

「そうなのよ。あそこには『伊勢津姫』が祀られていたのに、『伊勢津姫』は封じ込められて、神宮が建てられたのよ。それでも、『伊勢津姫』の祟りを恐れて、今、外宮が建っている地に『月読の宮』を建てて、『伊勢津姫』を祀ったのよ」

「『月読』の神様は『伊勢津姫様』だったのですか」

「『月読』っていうのは後に付けられた名前で、以前は『アマテラス』と呼ばれていたのよ」

「えっ、『伊勢津姫様』が『アマテラス』だったのですか」

「そうよ。『伊勢津姫』が『月の神様のアマテラス』だったのよ」

「えっ? 『アマテラス』は『月の神様』なのですか」

「そうなのよ。大昔の人たちにとって、『月』は最も尊い存在だったの。夜空を照らしてくれて、満ちては欠けて新生する。長い航海をする人たちにとって、『星』と共に重要な存在よ。『潮』の満ち引きにも関係しているしね。『月』よりも『太陽』が尊ばれるようになったのは、『稲作』が広まってからなの。『月の神様のアマテラス』に対して、『太陽の神様』として『アマテル』という男の神様が生まれるのよ。でも、『アマテラス』が『太陽の神様』に変えられてしまったので、『アマテル』は消えてしまったわ」

「『アマテル様』は『瀬織津姫様』の夫だった人ですよね?」

「そうよ。筑紫の島で出会って、わたしたちは結ばれたのよ。『阿蘇』にいた頃は『日向津彦(ひむかつひこ)』って呼ばれていたけど、亡くなってから『太陽の神様』として祀られたのよ」

「誰が『アマテラス』を『太陽の神様』に変えたのですか」

「『ウノノサララ姫(持統天皇)』という女の天皇よ。当時は強い者が天皇になれた時代だったので、『サララ姫』は伊勢の神宮に『皇祖神(こうそしん)』として『玉依姫』を祀ったの。『サララ姫』は『玉依姫』の子孫だったのよ。『玉依姫』の子孫でなければ『天皇』にはなれないという事を世に知らしめるために『神宮』を建てたのよ」

「『玉依姫様』の子孫なら、『伊勢津姫様』の子孫でもあるんでしょう。どうして、『伊勢津姫様』を封じ込めたのですか」

「『サララ姫』が『伊勢津姫』の子孫かどうかはわからないけど、『伊勢津姫』の事は知らなかったのよ。『霊力』がかなり強い者でなければ、古い神様の事はわからないわ。『伊勢津姫』は恐ろしい『龍神』と間違えられて封じられたのよ。大昔に自然と一体化して暮らしていた人たちは『神様の声』を聞く事ができたけど、定住して暮らすようになってから、その能力は失われてしまったの。『霊力』の強い人だけが聞こえるようになって、その人たちは指導者になって人々を導くのよ。『日巫女(ひみこ)』と呼ばれた『玉依姫』のようにね。やがて、巫女たちも形だけ神様に仕えるようになって、『神様の声』が聞こえる者はいなくなってしまう。その後の時代で、わたしの存在を知ったのは、『役小角』と『空海』だけだわ。『役小角』は『伊勢津姫』が封じ込められる事を知って反対したんだけど、伊豆に流されてしまったのよ。母親を人質に取られていたので、『役小角』も止める事はできなかったわ」

「この下には琉球の『垣花』のような都があったのですか」

「そうなのよ。私の子孫たちが平和に暮らしていた都があったの。わたしには助ける事ができなかったわ。あんな『大きな噴火』が起きるなんて予想もできなかった。未だに悔やんでいるのよ。わざわざ会いに来てくれてありがとう。でも、これ以上はもう話せないわ」

 その後、何を聞いても『瀬織津姫』の返事はなかった。ササたちはお祈りを終えて、『ガーラダマ』の案内で『樹海』から出た。

 入った所の反対側で、目の前に精進湖があって、『富士山』の上に『満月』が出ていた。

 『満月』を見つめながら、『瀬織津姫様』は『月の神様』だったんだなとササはしみじみと思っていた。





阿蘇山



豊玉姫のお墓



那智の滝



天川の弁才天社



五ヶ所浦



精進湖




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