王女たちの旅の空
ヒューガ(日向大親)の船に乗ったリーポー姫(永楽帝の娘)たち一行は、夕方には無事に名護に到着した。 リーポー姫(麗宝公主)はチウヨンフォン(丘永鋒)、チャイシャン(柴山)、ツイイー(崔毅)、リーシュン(李迅)、ヂュディ(朱笛)の六人。シーハイイェン(施海燕)はツァイシーヤオ(蔡希瑶)とシュミンジュン(徐鳴軍)の三人。スヒターはシャニーとラーマの三人。アンアン(安安)はスンユーチー(孫羽琦)、ウーシャオユン(呉小芸)、シュヨンカ(徐永可)の四人。ンマムイ(兼グスク按司)、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)、ウリー(サハチの六男)、通訳としてファイリン(懐玲)も一緒に行った。護衛のサムレーはマガーチ(苗代之子)が率いる精鋭二十人だった。 陸路で先に来ていたウニタキ(三星大親)は『まるずや』の女主人、モーサに頼んで名護按司に王女たちが来る事を知らせた。名護按司は若按司の頃からヤマトゥ(日本)の刀を集めていて、『まるずや』によく出入りしているお得意さんだった。按司になった時には備前物の名刀を贈ったので大喜びしていた。 浜辺に按司の弟の安和大主と妹のクチャが待機していて、ヒューガの船が近づいて来ると、ウミンチュ(漁師)たちに命じて小舟を出させた。 小舟に乗って上陸した王女たちは、ずっと続いている白く綺麗な砂浜を見て、キャーキャー騒いでいた。 初めて名護に来たウリーは呆然とした顔で砂浜を見ていて、リーポー姫に何かを言われると、逃げて行くリーポー姫を追いかけた。二人は仲がよかった。ンマムイはそんな二人を見ながら、サハチ師兄はリーポー姫を嫁に迎えるつもりなのかと首を傾げた。 王女たちを見ているクチャに近づくと、ンマムイは馴れ馴れしく挨拶をした。 「マナビー様はお元気ですか」とクチャはンマムイに聞いた。 「可愛い女の子を産んだけど、相変わらず武芸の稽古に励んでいるよ」 ンマムイはクチャの馬乗り袴姿を見て、「お前も相変わらずのようだな」と笑った。 「王女様たちは皆、武芸の達人だ。お前と気が合うだろう」 「やっぱり、そうだったのね。皆、身のこなしがいいわ。あたし、弟子になろうかしら」 クチャは楽しそうに笑うと一緒にいた娘を連れて王女たちの所に行った。 「知り合いですか」とマガーチがンマムイに聞いた。 「名護按司の妹だよ。チューマチ(ミーグスク大親)に嫁いだマナビー(攀安知の次女)の侍女として今帰仁にいたんだけど、マナビーが嫁いだので名護に帰って来たんだよ」 「ほう。名護にも女子サムレーがいたのか」とマガーチは笑った。 全員が上陸するとサムレーたちは用意された馬に乗り、王女たちはお輿に乗って、連れて来た楽隊が音楽を奏でながら、名護グスクまで行進した。聞き慣れない音楽を聴いて、何事かと人々が沿道に集まって来た。ウニタキの配下の者たちが噂を流して、異国の王女たちが名護にやって来た事はすぐに知れ渡った。皆が競って、明国のリーポー姫様、旧港のシーハイイェン姫様、ジャワのスヒター姫様、トンドのアンアン姫様と名前を覚えていた。 一行は名護按司に歓迎されて、名護グスクの下にある客殿に案内された。その客殿は、先代の名護按司の妻が初代山北王の帕尼芝の娘だったので、帕尼芝を招待するために建てたものだった。海が見える眺めのいい所にあり、帕尼芝は一度、名護にやって来たが、その後、二代目の珉も今の攀安知も来た事はなく、久し振りにお客様を迎えていた。 名護按司は取れたての魚介類と猪の肉の煮込み料理でもてなしてくれた。 長老と呼ばれている名護按司の大叔父が出て来て、明国の言葉を流暢に話した。ンマムイとマガーチは驚き、王女たちも驚いていた。 ンマムイがクチャに聞くと、大叔父の『松堂』は進貢船の正使として何度も明国に行っていると自慢そうに言った。 「山北王が初めて明国に送った使者を務めたのが長老だったのよ」 「そうだったのか」とンマムイは改めて長老を見た。 ンマムイが二度目に明国に行った時、中山王の進貢船に山北王の使者も乗っていたが、長老ではなかった。見た所、六十の半ばはいってそうなので、もっと昔の話なのかもしれない。 何を話しているのかわからないが、王女たちは楽しそうに笑っていた。長老の話が終わると、ンマムイは長老に挨拶に行った。 「アランポー(亜蘭匏)を御存じですか」とンマムイに聞かれて、松堂は驚いた顔をしてンマムイを見た。 「懐かしい名前じゃのう。そなたはアランポー殿を知っているのかね?」 「俺は二度、明国に行きましたが、あの頃、中山王の使者を務めていたのがアランポーでした」 「ほう。そなたは中山王の使者じゃったのか」 ウニタキは笑って、「使者じゃありませんよ。俺はただ遊びに行っただけです」と言った。 「なに?」と松堂は細い目を見開いてンマムイを見た。 「俺は先代の中山王だった武寧の倅なんです。見聞を広めるために、明国や朝鮮、ヤマトゥにも行っていたのです」 「なに、武寧の倅が、今の中山王に仕えているのか。今の中山王は武寧を殺したのではないのか」 「まあ、そうなんですけど、色々とありまして‥‥‥中山王の世子の島添大里按司(サハチ)と出会ってしまったのです。強い男でね、なぜか惹かれて、今では兄貴と慕っております」 「ほう」と言ってから、松堂は思い出したかのように、「そなたはマハニの婿の兼グスク按司ではないのか」と聞いた。 「マハニを御存じでしたか」 「先代の山北王に嫁いだ姪のサキの娘じゃからな、勿論、知っておるよ。本部にいた頃は兄貴たちと一緒に馬に乗って、よく名護まで遊びに来ていたんじゃよ。何年か前に、夫婦揃ってここに来たじゃろう。その頃、わしはすでに隠居していて、『轟の滝』の近くで暮らしていたんじゃよ」 「轟の滝?」 松堂はうなづいて、「名護岳の南方の数久田川を遡った所にある滝じゃ。いい所じゃよ。遊びに来るがいい」と言って笑った。 酒を飲みながら松堂は懐かしそうに昔の話をしてくれた。 松堂は先々々代の名護按司の四男だった。母親は奥間から来た側室で、グスク内には住まず、浜辺の近くに屋敷を建てて暮らしていた。母親は様々な芸を身に付けていて、松堂は母から読み書きは勿論の事、剣術と笛も教わった。 十四歳の時、母と一緒に羽地に行って、羽地按司の妹、シヅに一目惚れをした。シヅの母親も奥間から来た側室で、城下で暮らしていた。松堂はシヅに会うために羽地通いを続けた。シヅを通して、羽地の若按司とも親しくなって、三人で運天泊に行った。 運天泊は賑やかだった。当時、今帰仁按司(帕尼芝)は元の国と交易をしていて、異国の商人たちが大勢いた。松堂は異国に興味を持って、シヅの屋敷に滞在しながら運天泊に通った。シヅの屋敷の近くに叔母が嫁いでいた振慶名大主の屋敷があったので、両親も許してくれた。 母親譲りの記憶力で松堂は異国の言葉をすぐに覚えて、船乗りたちから異国の事を色々と聞いた。 やがて、元の国が滅んで明の国ができると異国の商人たちの数も減ってきた。明国の皇帝は商人たちが国外に出る事を禁止してしまい、法を犯す覚悟を決めた密貿易船だけがやって来た。 松堂が明国の言葉がしゃべれる事を知った今帰仁按司は、シヅとの婚礼を認めて、松堂を通事(通訳)に任命した。松堂は知らなかったが、今帰仁按司はシヅの長兄だった。 運天泊に屋敷を与えられて、松堂はシヅと暮らしながら、密貿易船が入って来ると通事として、取り引きに携わった。三十歳になった年、今帰仁按司が明国に進貢船を送る事に決まって、松堂は正使に任命された。浮島(那覇)の久米村まで行って、唐人たちから様々な約束事を聞いて、中山王の進貢船に乗って明国に渡ったのだった。 今帰仁按司は山北王に冊封されて、以後、松堂は六回、正使として明国に渡った。まだ山北王の進貢船はなく、いつも中山王の進貢船に便乗して行き、中山王の正使を務めていたのはアランポーだった。 いつまで経っても進貢船が下賜されない事に腹を立てた山北王は、鳥島(硫黄鳥島)を奪い取ってしまい、それが原因で今帰仁合戦が起こり、初代山北王は戦死してしまう。 二代目山北王の珉は中山王の察度と同盟を結んで、明国への進貢を再開する。松堂が育てた甥の伊差川大主が正使を務め、その後、長男の兼久大主も正使を務めている。 明国の海賊が毎年やって来るようになって、三代目山北王の攀安知は進貢をやめてしまう。伊差川大主と兼久大主は海賊の通事として残ったが、松堂は名護に帰って隠居したのだった。 「わしらが明国に行っていた頃、名護にもヤマトゥの船がやって来ていたんじゃよ。浜辺にはヤマトゥンチュ(日本人)の宿舎もあって賑やかじゃった。山北王が進貢船を送るのをやめてしまって、名護は寂れてしまったんじゃ。何度も明国に行っていた伊差川大主は去年の暮れ、若按司(ミン)の重臣として南部に行ってしまった。南部で活躍してくれる事を願っておるよ」 ンマムイはふと、李仲按司を思い出した。李仲按司は今帰仁にいた事があって、山北王の使者を務めたと言っていた。 「南部に行った李仲按司を御存じですか」とンマムイは聞いた。 「李仲按司?」と言って松堂は首を傾げた。 「明国の人です。今は南部で按司になっていますが、山北王の使者として明国に行っているはずです」 松堂は思い出したように、「リーヂョン」と言った。 「アランポーと喧嘩をしたと言って家族を連れてやって来たんじゃ。リーヂョンが来た時、わしは山北王に呼ばれて通事をして、その後の世話もしたんじゃよ。翌年、正使として明国に行ったが、今帰仁合戦のあと、進貢船のない山北王は進貢できないと言って今帰仁を去って行ったんじゃ。それから何年かして、伊差川大主が応天府(南京)で山南王の使者になったリーヂョンと会っているが、その後の事は知らない。明国に帰ってしまったのじゃろうと思っていたんじゃが、按司になっていたとは驚いた」 「前回の南部の戦では他魯毎(山南王)の軍師として活躍しました。息子の李傑は『国子監』で勉学に励んでいるようです」 「そうじゃったのか。南部に行った伊差川大主はリーヂョンと会っているかもしれんのう」 「きっと、会っているでしょう。李仲按司は他魯毎の重臣ですからね。ところで、松堂殿の母上は奥間出身だったのですか」 「美人じゃったよ。妻のシヅも美人じゃった。なぜか、わしの娘たちは美人といえる娘はいなかったが、孫のスミはシヅによく似ておるよ」 スミというのはクチャと一緒にいた娘だった。 「嫁入りの話はいくらでもあるのに、本人はまったく興味がないようじゃ。クチャの影響で、女子のサムレーになると言っているんじゃ。困ったもんじゃよ。噂では首里には女子のサムレーがいると聞いているが本当なのかね」 「本当です。女子サムレーを作ったのが島添大里按司の奥方様です。首里だけでなく、各地のグスクにもいます。総勢二百は超えるでしょう。その総大将が島添大里按司の奥方様なのです」 「ほう。女子のサムレーが二百もいるのか。島添大里按司の奥方というのは相当強いようじゃな」 「並のサムレーではとてもかないません」 「島添大里按司よりも強いのか」 「武芸の実力は按司の方が上かもしれませんが、按司も奥方様には頭が上がらないようです」 松堂は楽しそうに笑った。 「島添大里按司と一緒に朝鮮やヤマトゥを旅しましたが、本当に楽しい旅でした」 「なに、島添大里按司はヤマトゥや朝鮮にも行っているのか」 「明国にも行っていますよ。武当山に行って、ヂャンサンフォン(張三豊)殿と出会って、琉球に連れて来たのです」 「ヂャンサンフォン殿の事はリュウイン(劉瑛)から聞いている。まさか、まだ生きていて、琉球にいたとは驚いた」 「ヂャンサンフォン殿を御存じでしたか」 「わしらが明国に行った頃、泉州の『来遠駅』はまだなかったんじゃよ。大きなお寺に宿泊してな、ヂャンサンフォン殿の噂は、道士たちからよく聞いていたんじゃよ。洪武帝が武当山に使者を送って、ヂャンサンフォン殿に会いたいと言ったらしいが断られたと噂されておったよ」 「今回も冊封使が来るので、ムラカ(マラッカ)に逃げて行ったのです。ヂャン師匠は権力者が嫌いなんですよ。今回一緒に来たリーポー姫様、シーハイイェン姫様はヂャン師匠の孫弟子ですよ」 「そなたも弟子なのか」 「はい、そうです。ヂャン師匠は琉球に七年間もいましたからね、弟子は多いですよ。中山王も弟子なのです」 「なに、中山王もか」 「中山王はヂャン師匠と一緒に武当山にも行っています」 「なに、中山王が武当山? そいつはいつの事なんじゃ?」 「あれは確か‥‥‥俺が妻と子供たちを連れてヤンバル(琉球北部)に来た年ですよ。中山王は三月に進貢船に乗って船出して、十月に帰って来たのです」 「なんと、中山王が半年余りも留守にしていたとは知らなかった」 「島添大里按司夫婦がいるから安心して中山王も旅を楽しんできたのです」 「島添大里按司か‥‥‥会ってみたいもんじゃな」 「松堂殿は隠居の身です。首里に遊びに来て下さい。島添大里按司も歓迎するでしょう」 「そうじゃのう。妻のシヅも元気だし、今のうちに首里の都見物でも楽しもうかのう」 ウニタキは笑って、「俺たちが帰る時に一緒に行きましょう」と誘った。 翌朝、王女たちとンマムイ、マガーチは松堂、クチャ、スミの案内で『轟の滝』まで行った。水量も多く、見事な滝だった。王女たちは来てよかったと喜んでいた。滝の近くに『松堂』と呼ばれる隠居屋敷があって、朝食を御馳走になった。松堂の妻のシヅは元気のいいお婆で、松堂が首里の都見物に行くかと聞くと驚いたが、嬉しそうな顔をして、冥土のお土産に行ってみたいものだと言って笑った。 松堂夫婦と別れて、名護グスクに戻り、隊列を組んで羽地へと向かった。名護按司が護衛の兵を付けてくれたので、百人近くの一行になり、安和大主が先導した。クチャとスミの二人も腰に刀を差して、弓矢を背負って一緒に来た。 音楽を奏でながらの行進なので、沿道には見物人たちが大勢現れて、名護の兵たちが先行して道を開きながら進んで行った。一時(二時間)近く掛かって羽地の城下に着くと、羽地按司の弟の饒平名大主と妹の若ヌルが出迎えた。 饒平名大主は湧川大主の亡くなった妻の弟で、奄美按司に任命されたが、奄美大島の攻略に失敗して按司の座を剥奪された。汚名を返上しようと伊平屋島を攻めて、ヤマトゥから帰って来る中山王の交易船を奪い取ろうとしたが失敗して、惨めな姿で今帰仁に帰った。山北王と湧川大主に怒鳴られ、二度と顔を見せるなと言われた。羽地に帰ってサムレー大将を務めているが、あれ以来、今帰仁には近づいていない。山北王と湧川大主が恐ろしい事もあるが、自分の失敗を棚に上げて、二人を恨んでいた。 一行が案内されたのは羽地グスクではなく、仲尾泊にある大きな屋敷だった。南部に行った仲尾大主の息子で、材木屋になったナコータルーが建てた屋敷だという。 今の羽地按司の祖父は帕尼芝の弟の仲尾大主だった。羽地按司だった帕尼芝が今帰仁按司になった時、仲尾大主だった祖父は羽地按司になって羽地グスクに移った。仲尾大主の屋敷は仲尾泊にやって来たヤマトゥの商人たちの宿舎として使われた。やがて、ヤマトゥの商人たちも来なくなって倉庫になったが、台風で潰れて、そのままになっていた。去年、それを片付けて、ナコータルーが立派な屋敷を建てて、羽地按司に自由に使ってくれと言って贈ったのだった。羽地按司は喜んで、米を買いに来る『まるずや』の船乗りたちの宿舎として使っていた。 王女たち一行が二十一人、楽隊が九人、マガーチの兵が二十人、荷物運びとお輿を担ぐ人足が二十五人、それに安和大主、クチャとスミ、名護の兵二十人の昼食を用意するのは大変な事だが、羽地ヌルと羽地按司の母親が女たちを指図して、テキパキと働いていた。 おいしい雑炊と魚の味噌汁を御馳走になって、一行は今帰仁を目指して出発した。羽地按司が付けてくれた護衛の兵も加わって、さらに大所帯になっていた。仲宗根泊で一休みして、今帰仁の城下に着いたのは日暮れ少し前になっていた。 城下の入り口で、勢理客ヌルと屋我大主が出迎えて、天使館に案内した。屋我大主は前与論按司で、昔の名前に戻っていた。 大勢の見物人たちに囲まれて、一行は『天使館』に入った。天使館は唐人町の中にあって、見物人たちが明国の言葉を話しているので、王女たちは驚いた。あちこちからリーポー姫の名前が聞こえた。 今帰仁の天使館は浮島の天使館を真似したものだが、実際に天使(皇帝の使者)が利用する事はなく、明国の海賊たちの宿舎として使われていた。浮島の天使館には及ばないが、広い庭もあって、二階建ての立派な屋敷が建っていた。 一階の大広間には円卓がいくつも並び、すでに料理も用意されていた。料理の中には明国の料理もあって、王女たちは喜んだ。舞台もあって、山北王の側室のウクとミサが司会をして、城下の娘たちが歌や踊りを披露した。 翌日、勢理客ヌルの案内で、四人の王女と使者のンマムイ、通事のツイイー、護衛のチウヨンフォンとシュミンジュンが今帰仁グスクに向かった。王女たちは女子サムレーの格好から、それぞれの国の王女様の格好に着替えて、お輿に乗っていた。 グスクの大御門の前で、お輿から降りた王女たちは首里グスクよりも立派な高い石垣を見上げて驚いた。マガーチが率いて来た護衛の兵たちは大御門の前で待機して、王女たちは大御門の中に入って行った。 そこは外曲輪で広々としていた。立派な中御門があって、そこを抜けると中曲輪の坂道が続いた。二の曲輪に入ると御庭があって、正面の石垣の上に立派な御殿が建っていた。首里グスクに似ていると王女たちは感じていた。 二の曲輪内の屋敷に案内されて、出されたお茶を飲んでいると、山北王の攀安知が現れた。 攀安知はンマムイを見るとニヤッと笑って、上座に腰を下ろした。突然の出現に王女たちは驚いて姿勢を正した。ンマムイは攀安知に王女たちを紹介した。攀安知は王女たちを一人一人見たが何も言わなかった。 攀安知はンマムイを見ると、「目的は何じゃ?」と聞いた。 ンマムイは懐から中山王の書状を出して攀安知に渡した。攀安知は書状を読んだ。王女たちが山北王と誼を通じたいと言っているので、よろしくお願いしたいと書いてあるだけだった。 攀安知は軽く笑ってから、「マハニは元気か」とンマムイに聞いた。 「今回、マハニも一緒に来たいと言ったのですが、去年、娘が生まれたので来られませんでした」 「なに、マハニが娘を産んだのか」 攀安知は驚いて、ンマムイを見て笑うと、「仲のいい事だな」と言った。 「ところで、永楽帝の娘は冊封使と一緒に来たのか」 「そうです。旅が好きで、武芸も好きなようです」 「マナビーと会ったのか」 「はい。弓矢の試合をして、マナビー様に負けて悔しがったそうです」 「そうか。マナビーが勝ったか」 攀安知は嬉しそうな顔をしてから、「旧港(パレンバン)とジャワは知っているが、トンド(マニラ)とはどこの国だ?」と聞いた。 「明国の近くに小琉球(台湾)という島があって、その南方にあるようです」 「その三つの国は毎年、浮島に来ているのか」 「トンドは初めてです。中山王の姪にササというヌルがいるんですが、ササが南の島に行って連れて来たのです」 「南の島?」 「ミャーク(宮古島)という島です。その近くには島がいっぱいあるようです」 「ミャークか。先代の中山王(武寧)から聞いた事がある。だが、貝殻くらいしか持って来ないそうじゃないのか」 「その貝殻が貴重なのです。ミャークではブラ(法螺貝)が大量に捕れるのです。ブラはヤマトゥの商人たちが欲しがっています。戦で使われるし、山伏たちも使います。ヤマトゥには大勢の山伏がいますから、いい商品ですよ。それにシビグァー(タカラガイ)は明国の取り引きで使えます。未だにシビグァーを銭代わりに使っている所があるようで、永楽帝も欲しがっているようです」 「ほう、そうだったのか」 明国の海賊たちは貝殻など欲しがらないが、貝殻にも使い道があるようだと攀安知は感心した。 「ジャワに旧港、トンドは南蛮の品々をたっぷりと持って来てくれます。南蛮の商品は明国でもヤマトゥでも喜ばれます」 攀安知は侍女を呼んで、絵地図を持って来させて、それぞれの国の位置を確認した。ツイイーを通して、王女たちからそれぞれの国の事を聞いた。半時(一時間)ほど話を聞いて、城下を案内させると言って去って行った。 攀安知がいなくなると王女たちはあれこれ話し始めた。何を言っているのかわからないが、シーハイイェンが言うには、山北王が思っていたよりも若くて、いい男だった事に驚いているようだった。 山北王の側室で唐人のタンタンの案内で、王女たちは城下を散策した。明国の娘が山北王の側室になっていた事に王女たちは驚いた。マガーチだけが残って、兵たちは帰し、山北王の側近の兼次大主が兵を率いて護衛についた。 一の曲輪の屋敷に戻った攀安知は琉球の絵地図を見つめながら、そろそろ、首里を攻め取る時期が来たのかもしれないと思っていた。 南蛮の国々から船が来て、お寺も三つ建って、首里は都として完成しつつある。今年の冬は無理だが、来年の冬、ヤマトゥの商人たちが来る前に、武装船の鉄炮で浮島を占領して、首里に攻め込もう。南部にはテーラー(瀬底大主)が築いた平良グスクがある。そこに密かに兵を送って、東の与那原からも上陸して、三方から首里を攻める。 平良グスクと首里グスクの間にある長嶺グスクは何としてでも味方に付けなければならない。長嶺按司は山南王の妹婿だが、武寧の側室を奪って朝鮮に逃げた山南王の弟だと聞いている。山南王にしてやると言えば寝返るかもしれない。テーラーがうまくやってくれるだろう。 攀安知は首里攻めの作戦を練るのに熱中した。 「そうだ。来年の十月にミンとママチーの婚礼を挙げさせよう。山南王の世子であり、山北王の若按司でもあるミンの婚礼を盛大に執り行なおう。それを口実に兵を南部に送って、浮島を攻め取ろう」 攀安知はニヤニヤしながら自分の考えに酔っていた。 その日の夕方、突然、黒い雲がやって来たと思ったら大雨が降ってきた。風も強くなってきて、台風が来たようだった。ンマムイたちは王女たちを守って、天使館に逃げ込んだ。 |
名護グスク
羽地グスク
今帰仁グスク