沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







国頭御殿




 山北王(さんほくおう)(攀安知)と会って、今帰仁(なきじん)の城下を見物したあと、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは山北王が用意した船に乗って国頭(くんじゃん)グスクに行った。案内してくれたのは山北王の側室のクンだった。

 クンは二人の子供を産んだが、長女のマサキも長男のミンも南部に行ってしまって、山北王はクーイの若ヌルに夢中になっているので、最近は故郷に帰る事も多くなっていた。叔父の鬼界按司(ききゃあじ)が亡くなって、父より若かった叔父の名護按司(なぐあじ)も亡くなってから、父は急に老け込んでしまい、クンは心配していた。

 娘のクンから異国の王女たちを連れて帰ると知らせを受けた国頭按司は驚いた。今帰仁では『天使館』に滞在していたというが、ここにはそんな施設はない。クンの指示通りに、しばらく使っていない『国頭御殿(くんじゃんうどぅん)』を急いで掃除させ、ウミンチュ(漁師)たちにザン(ジュゴン)を捕らせ、奥間(うくま)のヤマンチュ(猟師)たちに(やましし)を頼んで、何とか準備が間に合って、一行が来るのを待っていたのだった。

 屋嘉比川(やはびがー)(田嘉里川)の河口にある港から上陸した王女たち一行は、山の上にある国頭グスク(根謝銘グスク)に行って按司に挨拶をした。按司と国頭ヌルが待っていて、一行を歓迎してくれた。王女たちはそれぞれの国の事を話したあと、国頭ヌルの案内で、港を見下ろす高台の上にある『国頭御殿』に向かった。体格のいい老人と若按司に迎えられて、一行は国頭御殿に入った。大広間にはすでに料理の載ったお膳が並んでいた。

 皆がお膳の前に座ると『喜如嘉(きざは)の長老』と呼ばれる老人が挨拶をした。名護の長老と違って明国(みんこく)の言葉ではなかった。ファイリン(懐玲)が通訳をした。

 こんな田舎に各国の王女様を迎えるなんて、まるで、夢を見ているようじゃと長老は言って、王女たちを笑わせた。

 挨拶が終わったあと、ンマムイ(兼グスク按司)は長老の所に行ってお礼を言った。前回、ここに来た時、ンマムイは長老に会っていなかった。

「マハニ様の婿(むこ)(かに)グスク按司殿ですな」と長老はンマムイを知っていた。

「婚礼の時、マハニ様を牧港(まちなとぅ)まで連れて行ったのは、わしだったんじゃよ。同盟のためとはいえ、あんな可愛い娘をお前のような男に嫁がせるのは可愛そうじゃと思っておった。しかし、武寧(ぶねい)(先代中山王)が滅ぼされたのに、そなたが無事に生きている所を見ると、マハニ様は幸せだったのかもしれんのう」

「もしかして、水軍の大将だったのですか」

 長老はうなづいた。

「ところで、この御殿は国頭按司が築いたのですか」

「この御殿は隠居屋敷として、今帰仁の按司が建てたんじゃよ。もう六十年も前の事じゃ。そなたは知らんじゃろうが、昔、英祖(えいそ)という浦添按司(うらしいあじ)がいた。英祖の次男に『湧川按司(わくがーあじ)』というのがいて、今帰仁按司を滅ぼしたんじゃよ。湧川按司の息子の『千代松(ちゅーまち)殿』が今帰仁按司になって、晩年に建てたのがこの御殿じゃ。当時、千代松殿の娘が、わしの兄貴の若按司に嫁いだばかりでな、千代松殿はその娘を大層可愛がっていたんじゃよ。それで、ここに隠居屋敷を建てたんじゃ。千代松殿は今や伝説となっている今帰仁按司なんじゃよ。六歳の時に湧川按司が亡くなってしまい、娘婿だった『本部大主(むとぅぶうふぬし)』が反乱を起こして今帰仁グスクを奪い取って、今帰仁按司になったんじゃ。千代松殿は家臣に連れられて無事に逃げたんじゃが、どこに行ったのか消息不明になったんじゃ。そして、二十二年後、大軍を率いてやって来て、今帰仁グスクを取り戻して按司になったんじゃよ。当時の今帰仁グスクは、石垣はあったが一の曲輪(くるわ)と二の曲輪だけじゃった。千代松殿が今のようにグスクを拡張して、高い石垣も作ったんじゃ。外曲輪(ふかくるわ)は今帰仁合戦のあとに先代の山北王(珉)が作ったんじゃが、それ以前の今帰仁グスクは千代松殿が造ったんじゃよ。娘も何人もいたから各地に嫁がせて、勢力を広げたんじゃ。北部は勿論の事、南部に嫁いだ娘もいる。この御殿が完成した時、各地の按司たちを招待したんじゃよ。あの時は凄かった。今はもうないが、この御殿の周りにいくつも宿舎があったんじゃ。按司たちを迎えた千代松殿はまるで、琉球の王様(うしゅがなしめー)のようじゃった」

「俺の祖父(じい)さんの察度(さとぅ)(先々代中山王)も来たのですか」

「来たとも。察度が浦添按司(うらしいあじ)になった時、千代松殿も協力したんじゃよ。察度の妻は勝連按司(かちりんあじ)の妹でな、勝連按司は千代松殿の娘婿なんじゃ。勝連按司から助けてくれと頼まれたようじゃ。それに、察度の親父は奥間の出身で、奥間からも助けてやってくれと言われていたようじゃな」

「祖父さんがここに来ていたなんて知らなかった」

「察度も若かった。あの時は三十の半ばくらいじゃったろう。若いが貫禄のある男じゃった」

「南部からは他に誰が来たのですか」

「娘婿の勝連按司と北谷按司(ちゃたんあじ)は来ていた。ほかにも来ていたが覚えておらんよ。当時、わしは十五だったからのう、南部の事はよく知らなかったんじゃ。わしが水軍のサムレーになった時、千代松殿を牧港まで連れて行った事があった。千代松殿は察度に歓迎されて、浦添で過ごしたんじゃ。察度と一緒にあちこちに行ったと思うがわしは知らん。わしは毎日、船に乗って航海の稽古に励んでいたんじゃよ。そして、夏になって千代松殿を連れて帰って来たんじゃ。それから一年もしないうちに千代松殿は亡くなってしまった。千代松殿が亡くなったあとは、新年の儀式のあと、皆が集まる時に使うくらいじゃったが、この御殿があったお陰で、王女様たちを招待する事ができたんじゃよ」

「入り口に達筆で『国頭御殿』とかいてありましたが、あの字は千代松殿が書いたのですか」

「あれは浮島(那覇)にある護国寺(ぐくくじ)のヤマトゥ(日本)の和尚さんが書いたんじゃよ。千代松殿が浦添に行った時、護国寺に行って頼んだようじゃ。昔は『国の上』と書いていたようじゃが、その和尚さんが『国の頭』と書いたんで、以後、『国の頭』と書くようになったんじゃよ」

「当時は今帰仁と浦添は仲がよかったんですね」とンマムイが言うと、長老は笑って、

「仲が悪くなったのは、千代松殿が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕尼芝)が今帰仁按司になってからじゃよ」と言った。

「三王同盟のあとは、ここと中山王(ちゅうざんおう)(思紹)もうまく行っているのではありませんか」

「そうじゃな。中山王は材木だけでなく、赤木や黒木(くるき)も買ってくれるから助かっておるよ」

「赤木や黒木?」

「赤木は巻物の軸に使われて、黒木は仏壇や仏具に使われるんじゃ。ヤマトゥに持って行くと喜ばれたんじゃよ」

「長老はヤマトゥに行った事があるのですか」

「何回か博多まで行った事がある。将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王)が太宰府(だざいふ)におられた頃じゃ。博多は賑やかじゃった」

「今はもう行かないのですか」

「先々代の山北王(帕尼芝)が明国との進貢(しんくん)を始めてから、親泊(うやどぅまい)にも倭寇(わこう)たちがやって来るようになって、わざわざ、ヤマトゥまで行く必要もなくなったんじゃ。わしらも従者を明国に送って、ヤマトゥの商品と明国の商品を交換して稼いでいたんじゃよ。しかし、今の山北王(攀安知)が進貢船(しんくんしん)を送るのをやめてしまってからは、わしらは材木を売るしかなくなってしまった。首里(すい)グスクの普請(ふしん)が始まってからは、材木屋になってしまったようなものじゃ」

「当時、浦添に『材木屋』がありましたけど、あれは国頭按司の店だったのですか」

「違う。あれは山北王が家臣を材木奉行に任命して材木の取り引きを任せたんじゃよ。山北王が進貢を始めても、当時は進貢船を持っていなくて、毎年、使者たちを浮島まで運ばなくてはならなかったんじゃ。その時、ついでに材木も運んでいたんじゃよ。行くのはいいが、夏になるまで帰っては来られない。わしは山北王の義弟だったので断る事もできずに、三年間、半年を南部で過ごしたんじゃ。お陰で、南部の事も色々とわかったがな」

「それはいつの事なんですか」

「山北王が進貢を始めてから三回目までじゃよ。三回目の冬に(うふ)グスクで(いくさ)があって、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)が大グスクを奪い取っていたのう」

 大グスクの戦はンマムイが八歳の時で、浦添グスクの御内原(うーちばる)で遊んでいた頃だった。

「三回目の時、山北王は材木の取り引きを本気で考えて、材木奉行を浦添に置いたんじゃ。当時、南部の按司たちは材木が欲しい時はヤンバル(琉球北部)に行って木を伐っていた。夏に行って冬に帰って来る仕事じゃ。大勢の人足も必要だし、手間が掛かった。材木屋に頼めば、冬には持って来てくれるというので、按司たちが頼んできて、材木屋は成功したんじゃよ。材木奉行に頼まれて、わしらは木を伐り出していたんじゃ。運ぶのは材木屋がやってくれたから、わしらも助かった。材木のお陰で国頭は潤ったんじゃよ。グスク内の屋敷も改築できたし、何艘もの船を手に入れる事もできたんじゃ。そういえば、『まるずや』ができたのは本当に助かっている。(しま)の者たちの生活がすっかり変わった。今まで、今帰仁まで行かなければ手に入らなかった物がすぐに手に入る。頼めば、何でも持って来てくれるんじゃ。『まるずや』は材木も買ってくれて、『まるずや』のお陰で、材木の値も上がったんじゃよ。ただ、『まるずや』との取り引きでは、材木を浮島まで運ばなくてはならんがのう。それは奥間の者たちがやってくれるので助かっている」

「奥間の者たちとの付き合いは古いのですか」

「奥間は今帰仁よりも古いんじゃよ。美女の産地で、按司が代替わりする度に側室を贈ってくれる。側室を受け取るという事は、奥間には干渉しないという暗黙の了解なんじゃよ。そのため、代々の今帰仁按司も奥間を侵略したりはしなかった。先々代の山北王(帕尼芝)は、奥間が中山王(察度)と強いつながりがある事を知って、奥間を攻めようとした。その事を知った中山王は今帰仁を攻めたんじゃよ。先々代の山北王は戦死して、奥間攻めはなくなったんじゃ」

「祖父さんが今帰仁を攻めたのは、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)を奪われたからだと聞いていますが」

「それもあるが、鳥島を奪い返すのに今帰仁を攻める必要はあるまい。水軍を送って、攻め取ればいい」

 確かにそうだった。南部の按司たちを動員してまで今帰仁を攻めたのは、奥間を助けるためだったのか。奥間には察度の娘も、泰期(たち)(宇座の御隠居)の娘もいたとナーサから聞いていた。祖父は奥間の人たちを大切にしていたが、父(武寧)は奥間の事なんて興味も示さなかった。父が若い頃、奥間に行っていれば滅ぼされなかったのかもしれないとンマムイはふと思った。

 王女たちを見ると楽しそうに笑っていた。ヤンバルはジャワ(インドネシア)に似ているとスヒター(ジャワの王女)は言っていた。スヒターやシーハイイェン(パレンバンの王女)の話を聞いて、ンマムイの旅心がうずいていた。南蛮(なんばん)(東南アジア)に行ってみたいと思った。なぜか、ウリー(サハチの六男)がリーポー姫の隣りで、一緒に笑っているのが不思議だった。



 その頃、国頭の『まるずや』の裏にある屋敷で、真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)はサンルータの妻だったクミと会っていた。

 今日の昼、王女たちを迎える準備のために『まるずや』にやって来たクミに、『まるずや』の主人のダキが声を掛けて、真喜屋之子に会う気はないかと聞いた。クミは驚いた。夫を殺した真喜屋之子がヤマトゥに逃げて行ったと聞いてから、その後、何の音沙汰もなかった。あれから九年が経っている。もし、生きているとしても琉球に帰って来る事はないと思っていた。今頃、現れるなんて信じられなかった。

 クミはダキを見つめたまま、返事をしなかった。ダキは会う勇気が出たなら、今晩、店にいらっしゃい。あなたが来なければ、真喜屋之子は諦めて帰るでしょうと言った。クミは悩んだ末、娘を近所に預けて、『まるずや』にやって来た。九年の長い月日が経ったが、あの時の心の傷はまだ癒えてはいなかった。

 ダキが出してくれたお茶にも手を付けず、真喜屋之子とクミは俯いたまま黙っていた。

 風の音に驚いて、二人が同時に外を見たあと、

「ジルーお兄さん、生きていたのですね?」とクミが言った。

 真喜屋之子はクミを見て、うなづいた。

「サンルータがマナビーを見る目が普通ではない事に気づいていたんだ。一緒になってから毎年、明国に出掛けて行って、半年は留守にしていた。四回目は行くべきではなかった。七月に帰って来たばかりで、また十月に行くべきではなかったんだ」

「あの時の進貢船が最後で、山北王は進貢船を送るのをやめてしまいました」とクミは言った。

「えっ?」と真喜屋之子は驚いた。

「どうしてやめてしまったんだ?」

「明国の海賊が毎年、来るようになったからだと思います」

「海賊か‥‥‥」

「お兄さんがサンルータを殺して逃げた時、お兄さんと一緒に唐旅(とーたび)に行ったサムレーたちが、お兄さんを許すようにと訴え出たんですよ。サンルータはマナビーさんだけでなく、何人もの奥さんと関係を持っていたのです。交易担当だったサンルータは明国に行った人たちの名簿を持っていて、目を付けた奥さんを訪ねて、困った事があったら相談に乗ると優しく言って、口説いていたようです。サンルータは山北王の弟ですから、皆、泣き寝入りをしていたのです」

「クミはサンルータがしていた事を知っていたのか」

 クミは首を振った。

「そんな事をする人には見えませんでした。わたしはすっかり騙されていたのです。お兄さんが四度目の唐旅に出た正月の事でした。知らない女の人が来て、マナビーさんが会いたがっているのでお屋敷まで来てくれと言われました。そして、わたしは見てしまったのです。サンルータとマナビーさんが‥‥‥」

「クミに教えた女は何者なんだ?」

 クミは首を振った。

「知らない人です」

「あの日、俺は帰国祝いの(うたげ)で、仲居(なかい)から書き付けをもらったんだ。知らない人から頼まれたと言っていた。その書き付けに、サンルータとマナビーの事が書いてあったんだ。俺は急いで帰宅して、あんな事になってしまった」

「同じ人だったのでしょうか」

 真喜屋之子は答えず、外に目をやった。あの時の光景は未だに忘れられない。サンルータを一刀のもとに斬ったあと、許してと言うような目で自分を見つめていたマナビーを、言い訳も聞かずに斬ってしまったのだった。

 真喜屋之子はクミを見ると、「俺を許そうとした訴えはどうなったんだ?」と聞いた。

湧川大主(わくがーうふぬし)様がもみ消したようです」

 真喜屋之子は苦笑した。

「サンルータを殺してくれてよかったと皆、言っていました。あの時の船には、今帰仁だけでなく、羽地、名護、国頭のサムレーも乗っていました。羽地、名護、国頭のサムレーの奥さんも被害に遭っていたようです」

「なに、奴はわざわざ、そんな所まで出向いて行ったのか」

「他人の奥さんを口説くのが、自分の仕事だと思っていたようです」

「何という奴だ‥‥‥ところで、クミは俺の事をずっと恨んでいたのだな?」

 クミは真喜屋之子を見つめて、首を振った。

「あの人の本当の姿を知ってからは、わたしはあの人に裏切られたと思っています。サンルータが斬られるのは当然の事です。でも、マナビーさんの事を思うと‥‥‥マナビーさんもサンルータに騙された犠牲者なんです。あの人の仕事はわたしが嫁ぐ前から始まっていたようです。唐旅に出た人たちと城下で出会った時、わたしを見る目が変だったのです。でも、その頃のわたしは何も気づきませんでした。もし、あの時、サンルータが亡くならなかったら、わたしはサンルータを殺していたかもしれません」

 クミを見ていた真喜屋之子は視線をそらして、目に入ったお茶をつかむと口に運んだ。

「ずっと、ヤマトゥにいたのですか」とクミが聞いた。

「七年前に帰って来たんだよ。状況が変わっていればいいと願っていたけど、だめだった。ヤマトゥンチュ(日本人)に扮して南部に隠れていたんだよ」

「お兄さんのお父様が南部に行きましたけど御存じでしたか」

「驚いたよ。未だに、俺のせいで、親父が左遷(させん)されたと思った」

「左遷ではありませんよ。そのあと、山北王の若按司も南部に行っています。若按司を南部に送る準備のために行ったのだと思います。今は山南王(さんなんおう)(他魯毎)の重臣になっています」

 真喜屋之子はうなづいて、「俺の事はまだ内緒にしておいてくれ」と言った。

「生きている事がわかれば、湧川大主が追って来るからな」

「ここで会ったという事は、お兄さんは中山王と関係があるのですか」

「そうじゃないよ。俺は今、首里の『慈恩寺(じおんじ)』というお寺で、武芸の師範を務めているんだ。そこで、昔、お世話になった人と偶然に出会ってしまって、俺の正体がばれてしまったんだよ。その人は『まるずや』の主人と知り合いで、ヤンバルに行くけど、一緒に行くかと言われたんだ。クミの事はずっと気になっていたんで、勇気を出して会ってみる事にしたんだ。会えてよかったよ」

「また首里に帰るのですか」

「今の俺には武芸しかないからな」

「お兄さんが今帰仁に行くのは危険だけど、以前、お兄さんたちが住んでいた屋敷の跡地に『マナビー塚』と呼ばれているウタキ(御嶽)のようなものがあります。近所の人たちがマナビーさんの突然の死を悲しんで造ったようです。いつも綺麗な花が飾られています」

「そうか‥‥‥マナビーは近所の子供たちに読み書きを教えて、竹細工やクバ細工も教えていたからな。近所の人たちは俺に斬られた事を知らないのか」

「お兄さんが明国で病死してしまって、その悲しみで亡くなってしまったという事になっています」

「サンルータも病死か」

「そうです。サンルータの悪行(あくぎょう)を隠すために、皆、病死で済ませたのです」

 クミは会えてよかったと言って帰って行った。

 クミが帰るとウニタキ(三星大親)とダキが現れた。

「話はすべて聞いた」とウニタキが言った。

「えっ?」と真喜屋之子は驚いた。

「隠し部屋があるんだよ」とウニタキは笑った。

「クミはお前の事をお兄さんと呼んでいたが、親しかったのか」

従妹(いとこ)なんですよ」と真喜屋之子が言ったので、ウニタキとダキは驚いた。

「俺の母は国頭按司の妹なんです。子供の頃、母に連れられて、ここに来て、クミと会っていたのです。クミがサンルータの妻として嫁いで来た時には驚きましたよ。でも、クミなら、わがままなサンルータともうまくやっていけるだろうと思いました」

「従兄妹同士だったのなら、クミももう少し早くにお前に知らせてやればよかったのにな」

 ウニタキがそう言うと、

「クミの言う事は腑に落ちないわ」とダキが言った。

「夫の留守中にサンルータと寝たとしても、その女は夫には絶対内緒にするはずですよ。気づけば泣き寝入りするだろうけど、きっと気づいていないと思うわ」

「クミが嘘をついたと言うのですか」と真喜屋之子がダキに聞いた。

 ダキはそれには答えず、ウニタキを見た。

「お前が見た所、クミはどんな女だ?」とウニタキはダキに聞いた。

「サンルータに嫁ぐ前は、上の兄と一緒に山の中を走り回っていたようです」

「上の兄は今、何をしているんだ?」

与論按司(ゆんぬあじ)ですよ。弓矢の腕を見込まれて、湧川大主の配下になって、今は与論按司に出世しました」

「クミの兄貴が与論按司だったのか」

 ウニタキは与論島(ゆんぬじま)で見た新しい按司の顔を思い出した。按司としては若いが、湧川大主に鍛えられたとみえて、しっかりした男のようだった。奴なら湧川大主の命令に背く事はないだろうと安心したのを覚えていた。

「すると、クミも弓矢が得意なのか」

「十一歳の娘がいるんですが、娘に弓矢を教えています」

「そうか。弓矢を持って獲物を追っていたとなると、それなりの勘は持っているな。サンルータの女遊びにも気づいたのかもしれん」

「知らない女に言われて、真喜屋之子の屋敷に行ったと言ったけど、こっそりあとを付けて行ったのかもしれません」

 ウニタキはうなづいて、「ありえるな」と言った。

「すると、俺に二人の事を知らせたのは、クミだったのですか」

「きっと、そうですよ」とダキは言った。

「自分を差し置いて、よその奥さんたちと楽しんでいるサンルータが許せなかったのよ。でも、クミはあなたに罪を負わせてしまった事をずっと悔やんでいたんだと思うわ」

「クミは四回目の唐旅の時、羽地、名護、国頭のサムレーも行ったと言っていたが本当なのか」とウニタキが聞いた。

「あの時は年に二回、進貢船を出したのです。二月に船出して七月に帰って来て、十月にまた船出したのです。永楽帝(えいらくてい)がタージー(アラビア)という遠い国に使者を送るので、その宴に参加しろと言われたようで、山北王だけでなく、中山王も山南王も使者を送っています。泉州に新しく『来遠駅(らいえんえき)』という宿所もできていました」

鄭和(ジェンフォ)の船団が船出したのだな」とウニタキが言った。

「そうです。鄭和です。大きな船を見て驚きましたよ。七月に帰って来たばかりで、十月にまた行くのは無理です。護衛のサムレーたちにも家族がいますからね。それで、羽地、名護、国頭のサムレーたちを募ったのです。いつも、今帰仁のサムレーばかりが明国に行っていたので、みんな喜んで唐旅に出ました。俺も無理をするなとサムレー大将の瀬底之子(しーくぬしぃ)殿(本部のテーラー)に言われたのですが、調べたい事があったので、俺は行ったのです。あれが失敗でした。マナビーの事を思って残るべきでした」

「今頃、悔やんでも始まらない。これからどう生きるかだ」とウニタキは真喜屋之子に言ってから、

「真喜屋之子が生きている事を知ったクミがどう出るかだな」とダキに言った。

「父親に言うか、今帰仁まで行って山北王に言うか‥‥‥姉のクンに言うかもしれないですね」

「イブキが調べた所によると、サンルータは山北王の側室に手を出して、御内原(うーちばる)から追い出されたようだ。城下の屋敷に移ったんだが、母親も一緒だったようだ」

「母親は側室だったのですか」

「いや、正妻だよ。名護按司の娘で、山北王も湧川大主もマハニも産んでいる。サンルータは末っ子だったので心配だったのだろう。サンルータの下にも妹と弟がいるが、母親は奥間の側室だ。その頃、密貿易船が盛んに来ていて、サンルータは湧川大主を手伝って、海賊たちの相手をしていたらしい。唐人(とーんちゅ)町にある『天使館』も遊女屋(じゅりぬやー)も、その頃にできたようだ。兄の仕事を手伝いながら、遊女(じゅり)たちと遊んでいたのだろう。そして、十七の時に明国に行った。サンルータの護衛役に選ばれたのがお前だったな?」

 真喜屋之子はうなづいた。

「一緒に明国を旅して、奴は女の事を話さなかったか」

「話す事は女の事ばかりでしたよ。若いし、それに育ったのが御内原ですからね、美人(ちゅらー)たちに囲まれて育ったのだから仕方がないと思いました」

「城下の娘の話はしなかったか」

「奴はわざわざ重臣たちの屋敷に挨拶に行って、娘たちの品定めをしていたようです」

「特に仲良くなった娘はいなかったのか」

「俺があまり話に乗ってこないので、奴は一緒に行った羽地之子(はにじぬしぃ)と親しくしていました。羽地之子に色々と話していたようですよ」

「羽地之子とは誰の事だ?」

「羽地按司の次男です。今は羽地に帰ってサムレー大将を務めていて、饒平名大主(ゆぴなうふぬし)を名乗っていますが、あの頃は今帰仁のサムレーでした」

「奴か。奴なら口が軽そうだな」とウニタキはニヤッと笑った。

「サンルータの女を調べるつもりなのですか」とダキがウニタキに聞いた。

「クミに知らせた女がいたとしたら、その女はサンルータと関係を持った女たちを知っているかもしれない。その夫は当時は若くても、今はそれなりの地位に就いているだろう。そいつらの弱みを握る事ができるんだよ」

「わかりました。クミの様子を見ながら、クミからも聞いてみます」

「焦る必要はないからな」

「わかっています」とダキはうなづいた。



 首里の会同館では帰国祝いの宴が賑やかに行なわれていた。一月に送った中山王と山北王の使者を乗せた進貢船が無事に帰って来ていた。

 山北王は海船を賜わる事に成功した。明国の商品をたっぷりと積んだ海船は、この時期に浮島に入ると帰るのに大変なので、久米島(くみじま)から一気に親泊(うやどぅまい)(今泊)に向かった。ただ、海船を賜わった代わりに、『リュウイン(劉瑛)』が明国に残っているという。

 中山王にお礼を言うために、久米島で中山王の船に移って、中山王の使者たちと一緒に会同館に来たテーラー(瀬底大主)に詳しい事情を聞くと、永楽帝はリュウインの事を覚えていて、リュウインは直接、永楽帝と会ったらしい。

 永楽帝はリュウインに戻って来てくれと頼み、リュウインは山北王の海船を頼んだ。海船をすぐに用意する代わりに、リュウインは永楽帝に仕える事になってしまった。リュウインが琉球に残した家族の事を心配すると、今、琉球に冊封使(さっぷーし)が行っているから、その船に乗ってくればいいと言って、永楽帝は冊封使宛ての書状まで書いたという。

「リュウイン殿を永楽帝に取られたか‥‥‥」

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は残念そうな顔をしたが、心の中では喜んでいた。軍師としてのリュウインが今帰仁にいなければ、確実に攻め易くなったと言えた。

「リュウイン殿は永楽帝の弟の軍師だったそうです。弟が戦死した時、リュウイン殿も戦死したと永楽帝は思っていたようです。生きていたのかと大層喜んだそうです」

「そうか‥‥‥」

「それにしても、順天府(じゅんてんふ)(北京)は遠かったですよ」とテーラーはしみじみと言った。

「前回行った時は応天府(おうてんふ)(南京)でしたからね、まさか、あんな遠くまで行くとは思ってもいなかった。今、宮殿を造っているのですが、その桁外れな大きさには驚きました。琉球とは規模がまったく違います。まさに、雲の上の人である皇帝の住む宮殿だと思いましたよ」

 サハチは旅の話を聞いたあと、湧川大主が鬼界島(ききゃじま)攻めに行った事をテーラーに教えた。

「援軍を頼むなんて、湧川大主は苦戦をしているのかな」とテーラーは言った。

「苦戦していたとしても、二百の援軍が加われば、今年こそは落とすだろう」とサハチは言って、

「もし、鬼界島を攻め落としたとして、次の狙いはどこなんだ?」と聞いた。

「さあ?」とテーラーは首を傾げた。

「鬼界島攻めは備瀬大主(びしうふぬし)敵討(かたきう)ちだからな、その後の事は聞いていない。トカラの島々を攻めるのかな」

「備瀬大主というのは誰だ?」

「俺たちの幼馴染みですよ。最初の鬼界島攻めの時、サムレー大将として前与論按司と一緒に行って戦死してしまったんです。幼い頃、山北王は溺れ死ぬ所を備瀬大主に助けられているんです。恩返しをする前に亡くなってしまったと悔しがっていましたよ」

「鬼界島攻めは(とむら)い合戦だったのか」

「弔い合戦が終われば、山北王もしばらくは戦はやめるんじゃないですか。海船も手に入ったし、進貢を再会するでしょう」

「それはどうかな。新しい海賊が来たようだからな」

「えっ?」とテーラーは驚いた。

「冊封使が来る事を知っていて、四月に来て六月には帰って行ったようだ。湧川大主はいないし、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)にいた山北王が慌てて帰って来たようだ」

「新しい海賊が来たのか‥‥‥海船が必要ないのなら、リュウイン殿が明国に残る必要もなかったのに」

 テーラーは溜め息をついた。

「リュウイン殿から聞いたんですけど、永楽帝の娘が今、琉球に来ているのですか。永楽帝はサハチに預けたと言っていたそうですが、サハチというのは師兄(シージォン)の事ですよね?」

「突然、現れたので驚いたよ。今、旧港(ジゥガン)(パレンバン)やジャワの王女様たちと一緒に今帰仁に行っている」

「えっ、今帰仁に行ったのですか」

「山北王に会いたいと言い出したんだ。わがままな王女様で、止める事は誰にもできない。まだ十五歳の可愛い娘だよ。ンマムイが一緒に行っている」

「師兄は永楽帝と知り合いだったのですか」

「一度、会っただけだよ」

 テーラーは参ったと言った顔で、サハチを見ながら首を振っていた。

「それより、仲尾大主(なこーうふぬし)の倅が『材木屋』の主人だと聞いたが本当なのか」

 テーラーは軽く笑ってうなづいた。

「重臣の倅がどうして、材木屋になったんだ?」

「奴は今帰仁のサムレーだったんですよ。サムレー大将になるのも確実だったんだ。しかし、弟のお陰で材木屋に回されて、それでも、奴は賢いから材木屋を任される事になったんですよ」

「弟のお陰でって、弟が何かしたのか」

 テーラーは酒を一口飲むとサハチを見て、

「師兄にはかないませんよ」と言った。

「もう昔の事だから、話しても大丈夫でしょう。材木屋の親方は『ナコータルー』と言うんですが、奴の弟が、山北王の弟を殺して逃げたんですよ」

「山北王の弟?」

「湧川大主の下にサンルータというどうしようもない弟がいたんですよ」

「初耳だな」

「あの事件以来、サンルータの事は隠されました。酔っ払ってサンルータの事をあれこれと言った重臣の倅が見せしめとして、材木屋に回されたんです」

「なに、そいつも材木屋か」

「当時、中山王が首里の城下造りをしていて、材木はいくらでも必要だったんですよ」

「そいつは今も材木屋にいるのか」

「事故に遭って亡くなったようです。公表されていませんが、材木を伐る現場では事故に遭って亡くなった者がかなりいるようです」

「そうか。浮島に来た材木にはそんな犠牲者がいたのか」

「山北王は木を伐って運ぶだけだと簡単に言いますが、大木を伐って運ぶにはそれなりの技術が必要なんです。ナコータルーは奥間の腕のいい杣人(やまんちゅ)を雇って現場を任せて成功したのです」

「そうか。奥間の杣人を使っているのか。それで、ナコータルーの弟は捕まったのか」

「倭寇の船に乗ってヤマトゥに逃げたようです。真喜屋之子といって、武芸の腕を認められてサムレーになって、俺の配下になったのです。奴と一緒に何度も明国まで行きましたよ。いい奴だった。明国の言葉もすぐに覚えて、暇さえあれば、現地の人たちと何やら話していましたよ。ヤマトゥに行っても言葉をすぐに覚えて、きっと、活躍しているだろう」

「真喜屋之子とサンルータが決闘でもして、サンルータが敗れたのか」

 テーラーは笑った。

「そんな立派なものじゃないですよ。サンルータが真喜屋之子の妻に手を出して、その現場を見て、かっとなった真喜屋之子がサンルータと妻を斬って逃げたのです。真喜屋之子の妻は美人で有名でした。永良部按司(いらぶあじ)の娘なんです。母親は察度の娘で、やはり美人だった。母親は今、今帰仁にいますが、娘が殺された事は知りません。病死したと思っています」

「そんな事があったのか」

「サンルータが殺されてから、俺の配下の者たちが、自分の妻もサンルータと関係を持ったようだと悩みを打ち明けましたよ。相手がサンルータではどうする事もできなかったと言っていた。サンルータの女遊びは有名でした。妻を迎える前は、城下の娘たちは喜んでサンルータを迎えていたようです。サンルータの心をつかめば、玉の輿(こし)に乗れますからね。奴が国頭按司の娘を妻に迎えた時は、城下の娘たちが皆、泣いたそうです」

「城下の娘でサンルータの子を(はら)んだ娘はいなかったのか」

「そんな娘もいただろうが、湧川大主が口封じしたようです。娘の親を出世させたり、銭で解決したのだろう。どうしようもない弟だが、湧川大主は可愛がっていましたよ」

「山北王はどう思っていたんだ?」

「恥さらしめと言っていました。どこかの島に流してしまえと本気で考えていたようですが、湧川大主が庇ったようです」

「すると、山北王はサンルータの死をそれほど怒ってはいなかったのか」

「サンルータより真喜屋之子が逃げて行った事を怒っていましたよ。山北王は進貢船を送るのをやめて、海賊との取り引きを本格的にやろうと考えていて、明国の言葉に堪能な真喜屋之子を使おうと思っていたのです。永良部按司から娘の縁談を頼まれて、真喜屋之子を選んだのも将来を買っていたからなんですよ。もし、奴が逃げなかったら、妻の不貞を罰するのは当然の事として許したかもしれません。ただ、湧川大主は許さないだろうから、どうなっていたかはわかりませんがね」

「そうか。そんな奴がいたのか」

「材木屋がどうかしたのですか」

「いや、首里の城下を造っている時、会った事はあるんだが、その後は会ってはいないんだ。材木屋の親方が変わって、仲尾大主の倅だって聞いたものだから、ちょっと気になって聞いてみたんだよ。これからも材木屋のお世話になるからな」

「まだ、お寺を建てるんですか」

「明国に行っているなら知っているだろう。向こうの都にはお寺がいくつもある。少なくとも十は建てるつもりだ」

「そんなに建てたら、僧も育てなければならないじゃないですか」

「そうなんだ。ヤマトゥから偉い僧侶を連れて来なければならん。まだまだやる事がいっぱいあるんだよ」

 テーラーはサハチの顔を見ながら、永楽帝が可愛い娘をサハチに託したわけが何となくわかるような気がしていた。





国頭グスク




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