沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







ナコータルー




 十一月の初め、島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)が無事に女の子を産んだ。跡継ぎができたと島尻大里ヌルは涙を流して喜んだ。三十歳を過ぎて、跡継ぎの事はもう諦めていた。それなのに突然マレビト神が現れて、娘を授かった。島尻大里ヌルは何度も何度も、御先祖様の神様に感謝した。

 その噂は南部を駆け巡って、首里(すい)にも届いた。島尻大里ヌルの美しさと人柄の良さは誰もが知っているので、皆が祝福をした。

 マガーチ(苗代之子)は妻にばれないかと心配していた。妻もその噂は聞いていて、山南王(さんなんおう)(他魯毎)の姉である島尻大里ヌルは雲の上の人だから、きっと噂通りに、相手は神様かもしれないわねと言ったので安心した。

 首里にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)も噂を聞いて、ヤマトゥ(日本)に行っているトゥイ様(先代山南王妃)が一番喜ぶだろうと思った。

 翌日、材木屋が来たとの知らせが届いて、サハチは城下にある『材木屋』に顔を出した。主人に会いたいと言うと、浮島(那覇)にいるという。サハチは浮島に向かった。

 若狭町(わかさまち)の北にある材木置き場に行くと、お昼休みだとみえて、ヤマンチュ(杣人)たちが材木の上に腰を下ろして休んでいた。場違いなサハチが顔を出したので、力自慢のヤマンチュたちがサハチを睨んだ。サハチには誰が主人なのかわからなかった。

「ナコータルーはいるか」とサハチが言うと、

親方(うやかた)に何の用だ!」と近くにいたヤマンチュがサハチに掛かってきた。

 サハチはちょっと体をかわしてよけると、軽く背中を押した。ヤマンチュは勢い余って倒れた。

「この野郎!」とヤマンチュたちがサハチを囲んだ。

「やめろ!」と誰かが叫んだ。

 材木の上に立ち上がった毛皮をまとった髭だらけの男がナコータルーのようだった。

「わしがナコータルーだ。そなたは誰だ?」

島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)だ」

 ヤマンチュたちが驚いた顔をして引き下がった。

 サハチは武当拳(ウーダンけん)を身に付けて以来、刀を腰に差してはいなかった。娘のユキからもらった短刀を差しているだけだった。時には一節切(ひとよぎり)を差している事もあるが、今日は差していない。

按司様(あじぬめー)がこんな所まで来るなんて」とナコータルーは笑って、「わしに何か用ですか」と聞いた。

 サハチはナコータルーの近くまで行って、材木に腰を下ろした。ナコータルーも座った。白い鉢巻きをして、(はかま)をはいた娘が近づいて来て、ナコータルーの隣りに座った。

「すっかり、ヤマンチュだな」とサハチは言った。

「テーラー(瀬底大主)が明国(みんこく)から帰って来て、帰国祝いの(うたげ)の時、お前の事を聞いた。仲尾大主(なこーうふぬし)の倅だと聞いて驚いたぞ」

 ナコータルーは苦笑した。

「以前、サムレー大将だったと聞いたんで、サムレーの格好をしていると思っていたんだ」

「副大将ですよ。大将になる前に、材木屋に回されたんです」

「その理由もテーラーから聞いた」

 ナコータルーはまた苦笑して、「テーラー殿も口が軽いな」と言った。

「行方不明の弟の事も知っているんですね?」

 サハチはうなづいた。

「親父とは会っているのか」

「こっちに来た時は会っていますよ。親父が島添大里のミーグスクにいた時、家族を連れて島添大里のお祭り(うまちー)にも行った事があります」

「なに、お祭りに来たのか」

「お祭りの時、遠くにいた按司様を見ました。あの時も今のような格好だったので、親父から言われなければ、按司様だとはわかりませんでしたよ」

「何だ、仲尾大主も紹介してくれればいいものを‥‥‥そうすれば、今頃になって驚かなくても済んだのに」

「丸太引きのお祭りも見ました。ヌルたちが丸太に乗って先導していた。丸太が喜んでいるように見えましたよ」

 サハチが怪訝(けげん)な顔をしてナコータルーを見ると、ナコータルーは照れくさそうに笑った。

「長年、木を伐っていると、木にも(まぶい)があるような気がするんです。百年以上も生きていた木は特にそうです。わしらは伐る前に必ず、お祈りを捧げます。その丸太がお祭りとして、多くの人たちに見守られながら、晴れ晴れしく運ばれて行くのを見て感激しましたよ」

「そうか。丸太引きのお祭りも見てくれたのか」

 そんな深い意味があって始めたわけではないが、感激してくれる人がいて、丸太引きのお祭りを続けてきてよかったとサハチは思った。

「それで、わしに何のご用で?」とナコータルーはサハチに聞いた。

「ただ、会ってみたかっただけだ。これからもお世話になるからな」

「そうですか」

 弟の真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)に会わせてやってもいいが、もう少し様子を見ようとサハチは思った。

「按司様、久し振りにマナビーに会いたいんですけど」と娘が言った。

「わしの娘のマルです。今帰仁(なきじん)にいた頃、マナビー様と仲がよかったのです」とナコータルーが言った。

 マルは父の許しを得て、サハチと一緒に島添大里に向かった。

 馬に揺られながら話を聞くと、マルが十歳の時、叔父の真喜屋之子が問題を起こして逃げ、父はサムレーから材木屋に回された。マルは母親と一緒に、親泊(うやどぅまい)(今泊)に移った祖父母の家のお世話になった。生活が一変して、小さな家だったという。

 二年後、祖父が蔵奉行(くらぶぎょう)になって、今帰仁に戻る事ができて、立派な屋敷で暮らす事ができた。その頃、マナビーと一緒に叔父のリュウイン(劉瑛)から武芸を習った。十四歳の時にマナビーが六人の侍女を迎えて、侍女たちの武芸指南役になり、その年、父が『材木屋』の主人になった。

「十四歳で武芸指南役とは凄いな」とサハチは驚いた。

「みんな同い年の娘たちで、馬に乗った事もなければ、弓矢を持った事もないんです。あたしは十歳の時からマナビーと一緒にお馬のお稽古をして、十二歳の時から弓矢のお稽古を始めました。その後、叔父のリュウイン様から剣術や棒術も習っています。もう一人、サラという娘がいて、あたしたち三人はいつも一緒だったのです。あたしたち三人で侍女たちを鍛えたのです」

「サラは今、何をしているんだ?」

「今帰仁にいます。去年のお祭りの時に、瓜太郎(ういたるー)を演じて大評判になりました」

「ほう。お芝居をやっているのか」

「マナビーが南部に嫁いだ時、サラはあたしもお嫁に行くって言っていたんだけど、お芝居に夢中になって、未だにお嫁に行っていません。あたしは父のもとへ行って、山仕事を手伝う事にしたのです」

「マルもお嫁には行かないのか」

「弟はサムレーになっちゃったし、あたしが『材木屋』を継ぐのです」

女子(いなぐ)の親方か。勇ましいな」とサハチは笑った。

 マルをミーグスクに連れて行くと、クチャとスミが弓矢の稽古をしていた。マルはクチャがいるので驚いた。クチャはマナビーが嫁ぐ前までマナビーの侍女で、マルが武芸を仕込んだ娘だった。クチャが名護(なぐ)に帰ってからは会う事もなく、久し振りの再会だった。

 マルがクチャとの再会を喜んでいると侍女たちが出て来て、マルはお師匠と呼ばれ、みんなに囲まれた。マナビーはマルに抱き付いて再会を喜んでいた。

 サハチはマルをマナビーに預けて島添大里グスクに帰った。ナツと一緒にお茶を飲んでいたら、ナコータルーが訪ねて来たと御門番(うじょうばん)から知らせが入った。

 さっき会ったばかりなのに、どうしたのだろうとサハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで行った。

「弟の事で話があります」とナコータルーは言った。

 サハチはうなづいて、ナコータルーをグスクに入れて、乗って来た馬を御門番に預けた。

「高い所は好きか」とサハチはナコータルーに聞いた。

「材木を伐る時、枝落としをするので、高い所には慣れています」

「お前の弟の事はまだ秘密の事でな、人に聞かれたくないんだ」

 サハチはナコータルーを東曲輪(あがりくるわ)に連れて行った。東曲輪ではサスカサ(島添大里ヌル)の指導で非番の女子サムレーたちが武当拳の稽古に励んでいた。

「噂には聞いていたが凄いのう」とナコータルーは女子サムレーたちの気合いの入った稽古を見ていた。

 サハチとナコータルーは物見櫓(ものみやぐら)に登った。上に着くなり、

「丸太が大分痛んでいます。そろそろ建て直した方がいいですよ」とナコータルーは言った。

 物見櫓はサハチが島添大里按司になる前からあった。少なくとも十四年は経っている。確かにナコータルーの言う通りだと思った。

「お前を連れて来てよかった。さっそく、建て替えを考えよう」

「いい眺めだ」と言いながらナコータルーは眺めを楽しんだ。

 サハチはミーグスクの方を眺めて、「あのグスクに山北王(さんほくおう)の兵が五十人いる」と言った。

「兵の中に湧川大主(わくがーうふぬし)の配下の者がいて、このグスクを見張っている。お前がここに来た事はそいつによって湧川大主に知らされるだろう」

「構いませんよ。聞かれたら、材木の事で相談に行ったと言いますよ」

「この物見櫓を改築するので、見に来たという事にすればいい」

 ナコータルーはうなづいて、「弟の事は国頭(くんじゃん)のクミから聞きました」と言った。

「なに、クミから聞いたのか」とサハチは驚いて、ナコータルーを見た。

「驚きましたよ。あいつがクミに会いに行くとは思ってもいなかった。クミの話だと首里の『慈恩寺(じおんじ)』にいるというので、会いに行こうと思っていたのです。でも、按司様がわしに会いに来た。きっと、弟の事を知っているのに違いないと思いまして、慈恩寺に行く前にここに来たのです」

「そうか。クミはお前に話したのか。クミとはよく会っていたのか」

「材木屋になって山の中で暮らすようになってから、何度か会っています」

「クミはお前の従妹(いとこ)でもあったのだな」

「弟はいつ帰って来たのです?」

「琉球に帰って来たのはかなり前だろう。ずっと南部に隠れていたようだ。慈恩寺に直接、行かなくてよかったな。お前の周りにも湧川大主の配下がいるかもしれんぞ」

「えっ、まさか?」とナコータルーは言ったが、湧川大主ならやりかねないと思った。ヤマンチュたちの素性をいちいち調べてはいない。潜り込ませるのは簡単だった。

「今晩、首里の遊女屋(じゅりぬやー)喜羅摩(きらま)』に来てくれ。弟に会わせる」とサハチは言った。

「怪しまれんように、ヤマンチュたちも連れて行った方がいいだろう」

 ナコータルーはサハチを見つめて、うなづいた。

 『喜羅摩』は、海賊だった頃のヒューガ(日向大親)の配下のサチョーが、十三年前に浦添(うらしい)の城下に店を出して、首里の城下ができた時に『宇久真(うくま)』の向かい側に移転した遊女屋だった。『宇久真』がサムレーたちが利用する高級遊女屋で、『喜羅摩』は庶民たちが利用する遊女屋だった。城下ができた頃は遊女屋はその二軒だけだったが、『喜羅摩』の裏に遊女屋が何軒も建ち、料理屋や宿屋もできて、今では歓楽街になっていた。

 浮島に帰ったナコータルーが、まだ荷下ろしの途中だが、今晩なら大広間が空いているというので、『喜羅摩』に繰り出すぞと言うとヤマンチュたちは大喜びをした。ナコータルーは喜ぶヤマンチュたちを見ながら、この中に湧川大主の配下がいるのかと疑った。

 日暮れ前に『喜羅摩』に着いたヤマンチュ一行は大広間に通されて、遊女(じゅり)たちに歓迎された。宴もたけなわの頃、ナコータルーは馴染みの遊女に連れられて席を外した。

 案内された小部屋にサハチ、ウニタキ(三星大親)、真喜屋之子が待っていた。一緒にいたのはサチョーの妻で女将(おかみ)を務めているカーラだった。

 九年振りの再会は静かだった。真喜屋之子もナコータルーも何も言わずに相手の顔を見ていた。女将がナコータルーを連れてきた遊女を連れて部屋から出て行った。

「兄貴、すまなかった」と真喜屋之子が謝った。

「ヤマトゥンチュ(日本人)に扮しているのか」とナコータルーが言った。

「七年前に帰って来てからずっと、ヤマトゥンチュに扮していました」

「七年前に帰って来た? ヤマトゥにいたのは二年だけだったのか」

「浮島の遊女屋で遊女たちの護衛をしていました」

「遊女の護衛だと?」と言って、ナコータルーは楽しそうに笑った。

「お前が逃げたあと、わしは材木屋に回された。あともう少しでサムレー大将になれる時だったんで、俺はお前を恨んだよ。何て事をしてくれたんだとな。しかし、山の中で仕事をしながら、今帰仁にいた頃にはまったく気がつかなかった色々な事を学んだんだよ。言葉ではうまく言えんが、人として大切な何かを学んだような気がする。今では材木屋になってよかったと思っている。サムレー大将になるよりも、材木屋の親方になった事に、わしは誇りを持っているんだよ。新しい生き方が見つかったのは、お前のお陰だ」

「二人だけで遠慮なく話せ」とサハチは言って、ウニタキを連れて部屋を出た。

 サハチとウニタキはサチョーの部屋に行って、久し振りにサチョーと飲んだ。

「お二人が揃って来るなんて珍しいですな」とサチョーは笑った。

「俺はともかく、サハチがこの店に顔を出すとお客たちが萎縮(いしゅく)してしまうからな、なかなか来られないんだよ」とウニタキは言った。

「材木屋の親方はよく来るのか」とサハチはサチョーに聞いた。

「毎年、今頃に来ますよ。材木屋さんとの付き合いは先代の親方の頃からなんです。浦添に店を出した時からお得意さんになってくれました。先代の親方はサムレーでした。『材木屋』といっても、『油屋』と違って商人じゃないんですよ。『材木奉行』の役人なんです。今の親方もそうですよ。山北王に仕えている役人なんです」

「材木奉行か‥‥‥親方たちは夏になるまでこっちにいるのか」

「材木屋の本拠地は塩屋湾の奥なんです。あそこで太い丸太を伐り出して冬に来るのです。夏になるまで本拠地には帰れないので、恩納(うんな)の辺りまで行って、木を伐って、また浮島に来るのです」

「冬の間も仕事をしていたのか」

「首里の城下造りをしていた頃は、それでも間に合わなくて、南部の山の木もかなり伐られたようですよ」

 首里の城下ができるのに、そんな苦労があったなんて、サハチはちっとも知らなかった。この遊女屋も向かいにある『宇久真』も、家臣たちの屋敷も皆、苦労して集められた材木を使っていたのだった。

「クミがナコータルーに話したとは意外だったな」とウニタキが言った。

「これで仲尾大主の家族は皆、南部にいるというわけだ。リューインの家族は明国に行ったしな」

「まだ、弟の家族と母親が今帰仁にいるだろう」とサハチは言った。

「弟を寝返らせるのは難しいぞ」

「ナコータルーの家族はどこにいるんだ?」

「確か、ナコータルーの奥さんはサムレー大将の娘だったはずだ。今帰仁にいるのかもしれんな」

「戦のあと、ナコータルーを味方に付けるには家族たちを助けなければならんぞ」

「弟は難しいが、家族は助けられるだろう。あとは『油屋』だな。主人のウクヌドー(奥堂)は首里にいる。今帰仁にいる家族たちを助ければ、中山王に仕えてくれるだろう。油屋は商人だから、商品を守ってやればいい」

「油か。火が付けば大火事になるぞ。油屋の蔵はどこにあるんだ?」

「親泊にあると思うが調べてみるよ」

「浮島にもあるんじゃないのか」

「あるだろうな」

「ちゃんと調べておいた方がいいな。火事になったら大変だ」

「わかった。調べさせよう。湧川大主に関わるので各地にある油屋の拠点は調べたんだが、油を保管している蔵までは調べなかった。気づいてよかったよ」

 半時(はんとき)(一時間)ほど経って、ナコータルーと真喜屋之子がいる部屋に戻ると、真喜屋之子が一人で酒を飲んでいた。

「ナコータルーはどうした?」とサハチは聞いた。

「戻りました。あまり席を外していると怪しまれると言っていました」

「そうか。急な事で悪かったな」

「いえ。クミと会った時、兄貴が現れるような気がしていたんです。会えてよかったと思っています。兄貴も随分と変わりました。あの事件を起こした時、真っ先に思ったのは兄貴の事です。兄貴が知ったら、俺は必ず、兄貴に斬られると思いました。俺はずっと兄貴から逃げていたのです。俺は斬られる覚悟をして来たのですが、兄貴は怒りませんでした。やってしまった事を悔やんでも仕方がない。お前は死ぬまでそれを背負って生きなければならない。生きてまた、こうして会えて嬉しいと言いました」

「お前も兄貴も重臣の倅として何不自由なく育ったが、あの事件のあと、お互いに苦労したようだな」と言って、ウニタキは笑った。

「こいつは勝連按司(かちりんあじ)の倅だったんだよ」とサハチが言ったら、真喜屋之子は驚いた顔をしてウニタキを見ていた。

 女将が三人の遊女を連れて来た。

「今晩はゆっくりしていって下さいね」と言って女将は去って行った。

 ウニタキは真喜屋之子を、羽之助(はねのすけ)というヤマトゥンチュで、慈恩寺の武術師範だと遊女たちに紹介した。サハチとウニタキは島添大里から慈恩寺に修行に来たサムレー大将だと言った。

「皆さん、相当、お強いんですね」と遊女たちは驚いた。

 慈恩寺の師範になる前、浮島の遊女屋で遊女たちの護衛をしていた頃の話を真喜屋之子は面白おかしく話して、皆を笑わせた。長い間、遊女屋の世話になっていたので、遊女たちの扱いもうまかった。サハチとウニタキも遊女たちを相手にたわいもない事を言って楽しい時を過ごした。

 来年の正月の下旬、山南王と一緒に進貢船(しんくんしん)を送る事に決まって、サハチは首里で、その準備に追われた。ウリー(サハチの六男)に明国に行って来いと行ったが、一緒に行ってくれる者を探すのが大変だった。クグルーとシタルーは五月に行って、まだ帰って来ない。そろそろ帰って来ると思うが、帰って来て、またすぐに行かせるのは家族たちに申し訳ない。ウリーと一緒に同い年の八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)の長男のハチグルーも行く事に決まったが、一緒に行く経験者が必要だった。

 探してみたが見つからず、サハチはヤマトゥに行っているクレーに頼もうと思った。明国には行った事がないが、若い者たちを連れて三度、ヤマトゥに行っている。帰って来てすぐに行く事になるが、クレーは独り者だった。頼めば行ってくれるだろう。しかし、クレーがどうして嫁をもらわないのか少し気になった。

 明国に行く人たちの人選が終わった日、非番の女子サムレーのグイクナビーとウフハナが島添大里に行くと言うので、一緒に行く事にした。二人は『油屋』の娘のユラを連れていた。

 ユラは毎日、城下の娘たちと一緒に剣術の稽古に通っているというが、会うのは初めてだった。

安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)様に会いたいんですって」とウフハナが言った。

 ウフハナ(大花)は名前の通り、背の高い女だった。グイクナビーとウフハナは島添大里の女子サムレー、シジマとユーと同期で、久し振りに会いに行くと言っていた。

「安須森ヌルに何か用なのか」

「今帰仁のお祭りのために書いた、お芝居の台本を見てもらいたいようですよ」

「ほう、お芝居の台本を書いたのか」とサハチは納得した。

 去年の今帰仁のお祭りの時、ユラが中心になってお芝居を演じた事をウニタキから聞いたのを思い出した。

「親が反対しても、女子サムレーになるって言っていたんだけど、今帰仁のお祭りのあとは、もうお芝居に夢中なんですよ。前からお芝居は好きだったんだけど、安須森ヌル様のように、素晴らしいお芝居の台本を書きたいって言っています」

 安須森ヌルのお陰で、油屋とのつながりができそうだとサハチはユラを見た。二十歳前後の美人で、顔付きは琉球の娘のようだった。

「母親は琉球人(りゅうきゅうんちゅ)なのか」と聞くと、ユラはうなづいた。

「父が今帰仁で出会って側室に迎えたのです。本妻は今帰仁にいて、母がこっちにいます」

 混血だから美人なのかとサハチは納得した。

「ヤマトゥには行った事があるのか」

「一度、兄と一緒に博多に行きました。賑やかな都でした。博多に琉球のお船が来たのには驚きました。首里の王様(うしゅがなしめー)が明国にお船を送っているのは知っていましたけど、ヤマトゥに送っていたなんて知りませんでした」

「そのお船に乗って、安須森ヌルもヤマトゥに行って来たんだよ」

「えっ、安須森ヌル様もヤマトゥに行っているのですか。偉いヌル様だと聞いています。会ってくれるでしょうか」

「お芝居好きなお前なら大歓迎されるだろう」

 サハチがそう言うとユラは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、若いサムレーたちが騒ぎそうだと思った。

 島添大里グスクに着いて、東曲輪に入った時、ハルとシビーが木剣で撃ち合いをしていた。

「あの二人もお芝居の台本を書いている」とサハチはユラに教えた。

「ハルさんとシビーさんですね。与那原(ゆなばる)のお祭りに行って、『女海賊(いなぐかいずく)』を観ました。よくあんなお話が書けるって感心しました」

 ハルとシビーがサハチに気づいて駆け寄って来た。

「按司様、ヤンバル(琉球北部)に行きたいの。行ってもいいかしら?」とハルが聞いた。

「ヤンバルに行くだと?」

「名護の長老様から、今帰仁按司の『千代松(ちゅーまち)様』の事を聞いたのよ。面白そうな話になるわ。国頭(くんじゃん)まで調べに行きたいのよ」

「名護の長老様がここにいるのですか」とユラが驚いた。

「マナビーのグスクにいるんだよ」とサハチは教えた。

 誰?と言った顔をして、ハルとシビーがユラを見ていた。

「ヤンバルの娘のユラだ」とサハチはハルとシビーに言った。

「ヤンバルの娘?」

「千代松様の事はあたしも調べたのよ」とユラが言った。

 ハルとシビーは驚いて、ユラを見た。

「あたし、『志慶真(しじま)のウトゥタル』の台本を書いたの。千代松様も出て来るのよ」

 三人は千代松の事を話しながら安須森ヌルの屋敷に向かった。

 ユラは安須森ヌルの屋敷で、マナビーの侍女のトゥミと再会した。二人は幼馴染みで、ユラが首里に来るまで、一緒に遊んでいた仲だった。今帰仁のお祭りの時、トゥミの家を訪ねたら、父親が鬼界島(ききゃじま)で戦死して、家族は母親の実家に帰って行ったと言われて驚いた。まさか、こんな所で再会するなんて思ってもいなかった。

「母親と妹たちもここに呼んだのよ」とトゥミは言った。二人は偶然の再会を喜んだ。

 女子サムレーのシジマが志慶真村の生まれだと聞いてユラは驚き、志慶真のウトゥタル(乙樽)の事を聞いたら、詳しく知っているのでさらに驚いた。今帰仁のお祭りの時、志慶真村を訪ねたが、物知りの長老が亡くなってしまい、古い事を知っている人はいなかった。年寄りに話を聞いても、誰もが知っている伝説しか知らなかった。

 お婆から聞いたと言って、シジマはウトゥタルの事を話してくれた。ウトゥタルが神様として祀られているのは知っているが、ウトゥタルが志慶真ヌルだったなんて知らなかった。若ヌルの時、その美しさを見初められて、今帰仁按司の側室になったという。あまりにも詳しいので、ユラは不思議に思って、お祖母(ばあ)様はヌルだったのですかと聞いた。

「お婆はヌルじゃないけど、志慶真ヌルの娘だったの。お婆のお姉さんがヌルを継いだのよ。お婆はウトゥタル様の孫だったらしいわ。お婆が生まれた時、ウトゥタル様はもう亡くなっていたけど、お婆は幼い頃から、ウトゥタル様の声を聞いていたみたい。ヌルじゃないけど、お婆は神様の声が聞こえたの。神様から聞いた色々なお話をあたしに話してくれたのよ」

 ハルとシビーも驚いて、シジマから聞いた話を書き留めていた。

「ねえ、シジマさんはウトゥタル様の声は聞こえないの?」とハルが聞いた。

「聞こえないわよ。あたしはヌルじゃないもの」

「でも、ササ(ねえ)が言っていたわ。ヌルの血筋は母親を通してつながるって。シジマさんのお母さんはお祖母様の娘なんでしょ。シジマさんもヌルの血筋なのよ。ササ姉に見てもらったら、きっとシジ(霊力)が高くなるはずよ」

「まさか?」と言ってシジマは笑ったが、武当拳の呼吸法を始めてから、自分でもシジが高くなったような気はしていた。神様の声は聞こえないが、神様の存在はわかるような気がしていた。

 ユラが書いた『志慶真のウトゥタル』を読んだ安須森ヌルは、とても面白いわと言って、ユラの才能を認めた。

 ユラは安須森ヌルからお芝居に関する様々な事を学ぶために安須森ヌルの屋敷に滞在した。父親のウクヌドーが心配して、店の者を送って来たが、お芝居の台本を必死になって写しているユラを見て、安心して帰って行ったという。





島添大里のミーグスク




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