沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







李芸と再会




 浮島(那覇)にヤマトゥ(日本)から帰って来た交易船、『李芸(イイエ)』を乗せた朝鮮船(チョソンぶに)、ササ(運玉森ヌル)たちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船が着いて、馬天浜(ばてぃんはま)にシンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船が着いた。

 いつもなら、交易船の事は思紹(ししょう)(中山王)とマチルギに任せて、馬天浜に行くサハチ(中山王世子、島添大里按司)も、李芸が来たので浮島に行き、馬天浜の事はサミガー大主(うふぬし)佐敷大親(さしきうふや)に任せた。『那覇館(なーふぁかん)』が忙しそうだから一緒に行くと言って、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が付いて来た。

 浮島に行く途中、首里(すい)に向かう交易船の行列と出会って、サハチと安須森ヌルは馬から下りて見送った。大勢の見物人が小旗を振って出迎えていたので、サハチたちは気づかれなかった。女子(いなぐ)サムレーたちに守られたトゥイ様(先代山南王妃)とナーサ(宇久真の女将)は馬に乗っていて、二人とも満足そうな顔をしていた。そして、二人とも若返ったように見えた。

 安里(あさとぅ)で馬を預けて、渡し船に乗って浮島に渡った。ファイテ(懐徳)とジルーク(浦添按司の三男)がここに石の橋を造ってくれれば、かなり便利になるだろうと、サハチは二人に期待した。

 ヤマトゥンチュ(日本人)たちで賑わっている若狭町(わかさまち)を横目で見て、『那覇館』に行くと、すでに首里のサムレーたちに警護されていた。御門(うじょう)にいたサムレーはサハチたちを知らず、上官を呼んで、サハチたちは中に入る事ができた。庭には朝鮮のサムレーたちがうろうろしていた。庭の外れにある井戸(かー)の所にササたちの姿が見えたので、サハチと安須森ヌルは驚いて井戸の所に行った。

「お前たち、こんな所で何をしているんだ?」とサハチは聞いた。

「歓迎の(うたげ)の準備を手伝っているのよ」とササは言った。

 シンシン(杏杏)、ナナ、カナ(浦添ヌル)、ハマ(越来ヌル)、タミー(慶良間の島ヌル)が一緒にいて食器を洗っていた。

「そんな事はいいから、お前たちも早く『会同館』に行け」

奥方様(うなぢゃら)が来て手伝っているのに、あたしたちが会同館に行けるわけないでしょ」

「なに、マチルギが来ているのか」

「あとで、話を聞かせてね」と安須森ヌルがササに言った。

 台所を覗くとファイチ(懐機)が唐人(とーんちゅ)たちを指図して料理を作っていて、マチルギが女たちを指図して、お膳の用意をしていた。首里の女子サムレーたちの姿もあった。喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)、玻名(はな)グスクヌル、若ヌルたちも手伝っていた。安須森ヌルも加わった。

 サハチに気づいて、「大丈夫よ。何とか間に合いそうだわ」とマチルギが言った。

「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と修理亮(しゅりのすけ)が李芸様の相手をしているわ。行ってあげて。それと、別館の方に愛洲ジルーたちと奥間(うくま)の避難民たちもいるわ」

「そうか。奥間の人たちも来たか。別館にはあとで顔を出す」

 サハチはファイチと一緒に李芸がいる部屋に向かった。李芸は二階の一番いい部屋にいるという。一番いい部屋にいるという事は李芸が正使という事になる。ヤマトゥ言葉がわかる李芸が正使でよかったとサハチはホッとした。

伊平屋島(いひゃじま)から知らせが来て、準備を始めたのですが間に合いませんでした。それに、奥間の避難民たちが五十人近くも乗っていました」とファイチが言った。

「具合の悪い者もいるのか」

「何人かいます。福寿坊(ふくじゅぼう)辰阿弥(しんあみ)、ササがヤマトゥから連れて来た覚林坊(かくりんぼう)という山伏が看ています。首里に使いをやって無精庵(ぶしょうあん)も呼びました。まもなく来るでしょう」

「ササがまた山伏を連れて来たのか」とサハチは笑った。

「福寿坊より修行を積んでいる山伏です」

「そうか。山伏たちのお寺(うてぃら)も建てなくてはならんな」

 部屋の中から笑い声が聞こえてきた。声を掛けて戸を開けると、円卓を囲んで、李芸、ヤタルー師匠と修理亮、そして、驚いた事に早田(そうだ)五郎左衛門がいた。

「おう、サハチ、久し振りじゃのう」と五郎左衛門が笑いながら手を上げた。

「お久し振りです。五郎左衛門殿が琉球に来てくれたなんて‥‥‥大歓迎です。李芸殿もよくいらしてくれました。歓迎いたします」

「お世話になります」と言って李芸は笑った。

 李芸も五郎左衛門も朝鮮に行った時以来なので、七年振りの再会だった。李芸はあまり変わらないが、五郎左衛門はかなり老け込んでいた。親父より五歳年上だと聞いているので、もう七十歳に近かった。

「わしはすでに隠居したんじゃが、今回は李芸に頼まれて、李芸の副官としてやって来たんじゃよ」と五郎左衛門が言った。

 サハチとファイチも円卓を囲んで再会を喜んだ。

 今回の琉球行きは急に決まった話で、準備に追われて大変だったと李芸は言った。

 琉球に行かせてくれと何度も頼んでいたが許可は下りなかった。両班(ヤンバン)たちにとって、琉球は遙か遠くの国で、何日も船に揺られて行くなんて考えただけでもおぞましい事だった。自分が使者に選ばれたら大変だと皆が反対していた。

 去年の暮れ、明国(みんこく)に行っていた使者が帰国して、永楽帝(えいらくてい)(いくさ)の事や順天府(じゅんてんふ)(北京)の様子を朝鮮王(李芳遠)に報告した。琉球に行った冊封使(さっぷーし)と一緒に永楽帝の娘のリーポー姫が帰って来て、順天府ではリーポー姫が琉球に行って来たという噂で持ちきりだったという。それを聞いた朝鮮王は驚いて、李芸を呼び出すと、琉球に行けと命じたのだった。

「自分の娘を琉球に送るほど、永楽帝は琉球を信頼している。琉球は毎年、朝鮮に来てくれているのに、朝鮮からは一度もお礼の使者を送ってはいない。これはうまくないと王様も思ったようです。それで、わたしを『琉球通信官』に任命して、琉球に行けと命じたのです」と李芸は言った。

「琉球から来た船は帰ってしまいましたが、対馬(つしま)の早田氏が毎年、正月に琉球に行く船を出している事は五郎左衛門殿から聞いていました。急いで準備をして、富山浦(プサンポ)(釜山)に行って、荷物を積み込んで対馬に向かったのです。五郎左衛門殿も一緒に行くと言ってくれたので助かりました」

「母親はまだ見つからないのですね?」とサハチは聞いた。

 李芸は首を振った。

「もう諦めていますが、わずかな望みを持って琉球に来ました」

倭寇(わこう)にさらわれた朝鮮人を探すのですね?」

「そのつもりです。わたしの配下の者たちは長年、あちこちで探し回っていますので、琉球でも何人かは探し出せるかと思います」

中山王(ちゅうざんおう)の領内にはもういないとは思いますが、山南王(さんなんおう)(他魯毎)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の領内にはまだいるかもしれません。山南王はわたしの義弟なので手伝ってくれるでしょう。山北王とは今、同盟中なので話せば協力してくれるでしょう」

「よろしくお願いします」と李芸は頭を下げた。

「サハチが来る前、若かった頃のサグルー(思紹)の話をしていたんじゃよ。王様になったサグルーに会うのが楽しみじゃ」と五郎左衛門が言った。

「親父は今、首里でヤマトゥから帰って来た者たちの帰国祝いの宴に出ています。五郎左衛門殿が来ている事を知ったら、大喜びして迎えるでしょう」

 ンマムイ(兼グスク按司)が顔を出した。会同館に行ったら、ササたちがこっちにいると聞いて、馬を走らせて来たという。

「李芸殿に五郎左衛門殿、お久し振りです」とンマムイは言って円卓に加わった。

 ンマムイが来たら急に賑やかになった。

 宴の準備ができたと知らせが来て、サハチたちは一階の大広間に移った。李芸が連れて来た朝鮮の人たちは五十人ほどで、十人は船に残っているとの事だった。通事(つうじ)として朝鮮に行っていたチョルとカンスケたちがいたので助かった。

 サハチが挨拶をして、カンスケが通訳をして、歓迎の宴は始まった。言葉は通じないし、男ばかりで殺風景だった。遊女(じゅり)を呼べばよかったと思ったが、朝鮮の言葉をしゃべれる遊女はいなかった。

 笛の調べが聞こえてきたと思ったら、琉球の着物を着た女子サムレーたちが歌と踊りを披露した。笛を吹いているのはササだった。やがて、遊女たちが現れた。若狭町の遊女たちで、ヤマトゥの着物を着ていた。言葉が通じなくても何とかなるだろうと思ったが、朝鮮の言葉をしゃべる遊女がいたので、サハチは驚いた。

「朝鮮の娘ですか」と李芸が聞いた。

「そのようですね」とサハチはうなづいた。

「隠していたようです。あんな若い娘がいるなんて知りませんでした」

 李芸は立ち上がると朝鮮の遊女の所に行って話を聞いた。

 五郎左衛門の話を聞いているヤタルー師匠と修理亮とンマムイにあとの事を任せて、サハチとファイチは宴席から離れた。

「ファイチが遊女を呼んでくれたのか」とサハチが聞くと、

「マチルギさんですよ」とファイチは言った。

「そうだったのか」

「李芸さんは琉球中を探し回るようですね」

今帰仁(なきじん)にも行きそうだな。こんな時期に来るなんて厄介(やっかい)な事だな」

「逆に李芸さんを隠れ(みの)にするのです。中山王が李芸さんに振り回されていると思えば、山北王も安心するでしょう。奥間の焼き討ちがあって、山北王は中山王が攻めて来るかもしれないと思っているかもしれません。中山王は奥間の事では動かないと安心させて、裏で準備を進めます」

「成程、李芸殿を隠れ蓑にか‥‥‥」

「明日、李芸さんは首里に行くと思いますが、派手な行列をして、朝鮮から使者が来たという事を世間に知らせた方がいいでしょう」

「そうだな」とサハチはうなづいて、「さすが、軍師だ」とファイチを見て笑った。

 別館に行くと、愛洲ジルーたちが宴をしていて、マチルギと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が喜屋武ヌルから旅の話を聞いていた。

「遊女たちを呼んでくれて、ありがとう」とサハチはマチルギにお礼を言った。

「お礼なら『松風楼(まつかぜろう)』の女将(おかみ)に言って。忙しい時期に遊女たちを集めてくれたわ」

「お前、遊女屋の女将を知っているのか」

「前に、トゥイ様を見倣って、職人たちの面倒を見なさいって言われたでしょ。遊女たちも職人なのかなと思って、面倒を見る事にしたのよ」

「なに、お前、若狭町の遊女屋の面倒まで見ているのか」

「時々、様子を見に行くだけなんだけど、『松風楼』の女将とは、なぜか気が合ってね。お茶を飲みながら世間話をするのも楽しいのよ」

「遊女たちの面倒まで見ていたなんて大したもんだ」とサハチは感心した。

「まだまだ、トゥイ様には及ばないわよ」とマチルギは謙遜した。

 サハチとファイチは二階に行って、奥間の人たちを見舞った。無精庵が来ていて、具合の悪い年寄りの面倒を見ていた。福寿坊が覚林坊を紹介したので、琉球に来てくれてありがとうとお礼を言った。キンタ(奥間大親)がいたので、空いている部屋に行って奥間の様子を聞いた。

「まったく悲惨でしたよ。家々はみんな焼け落ちていました。昔の面影なんて、どこにもありません。あれを見たら、奥間の者じゃなくても、山北王を憎みますよ」

「サタルーたちも無事なんだな?」とサハチは聞いた。

「全員、無事です。サタルーさんは今、半数以上が殺されたという噂を流しているようです。騒ぎを大きくして、奥間を助けろという声を各地に上げさせるためだそうです」

 キンタは奥間ヌルが持っていた奥間から贈られた側室たちの記録の事をサハチとファイチに話した。

羽地按司(はにじあじ)国頭按司(くんじゃんあじ)、そして、名護按司(なぐあじ)も山北王から離反するかもしれませんね」とファイチが言った。

「その三人の按司が山北王を倒してくれと中山王に言って来たら、それは大義名分(たいぎめいぶん)になるのか」とサハチはファイチに聞いた。

「その三人と、伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司の一族も山北王を倒せと言うでしょう。そうなると中山王も動かざるを得ない状況になります。ただ、民衆がどう思うかです」

「民衆は奥間を助けるための戦では納得しないか」

「難しいですね」

 サハチはキンタに奥間の人たちを玻名グスクに連れて行ってくれと頼んで、階下に降りた。

 サハチは愛洲ジルーにお礼を言ってくると言って大広間に入り、ファイチは李芸たちの所に戻った。

 女子サムレーのミーカナとアヤーと話をしていた愛洲ジルーに、

「今年も来てくれてありがとう」とサハチは言った。

「お屋形様に大層、喜ばれまして、今年も行って来いって言われたのです。八月の半ば過ぎに京都に行くササたちと別れて、十月にまた行って来いと命じられたのです。積み荷の準備をして、十一月に対馬に向かって、ササたちと再会しました。ササたちも驚いていましたよ」

 ジルーたちから富士山まで行って来たという話を聞いていたら、ササたちがぞろぞろと入って来た。安須森ヌルとンマムイも一緒にいた。

「向こうは大丈夫か」と安須森ヌルに聞いたら、

「盛り上がっているわ」と笑った。

瀬織津姫(せおりつひめ)様の話を聞かせてもらおうか」とサハチはササに言った。

「その前にお土産があるのよ」とササが振り返った。

 仲居(なかい)瓶子(へいし)を持って来た。

「奈良の銘酒『菩提泉(ぼだいせん)』よ」

「ほう、銘酒か」とサハチは嬉しそうな顔をして、ササが注いでくれた酒を飲んだ。

 サハチの満足そうな顔を見て、ササは楽しそうに笑った。

「こいつはうまい。確かに銘酒だな」

 ジルーたちも飲んで、うまいと言って幸せそうな顔をした。

「久し振りに飲みました。ヤマトゥにいても、この酒はなかなか手に入りませんよ」とジルーが言った。

「将軍様にお願いしたから毎年持って来られるわ」

「ササが御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)と一緒に旅をしたと聞いて驚きましたよ。噂では聞いていましたが、そんなにも仲がいいとは知りませんでした。俺たちも一緒に京都に行って、御台所様と一緒に旅をしたかったですよ。御台所様なんて、一生かかってもお目にかかれない雲の上のお人ですからね」

「御台所様はとても素敵な人ですよ」と言って、ササもうまそうに酒を飲んだ。

 阿蘇山(あそさん)に登ったけど阿蘇津姫(あそつひめ)様とは会えず、那智の滝に行ったけど瀬織津姫様に会えなかった。那智の滝で出会った覚林坊の案内で、山奥にある天川(てんかわ)弁才天社(べんざいてんしゃ)まで苦労して行ったけど、瀬織津姫様には会えなかった。ても、『役行者(えんのぎょうじゃ)様』と出会って、マサキのガーラダマ(勾玉)が、役行者様が真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)の沢岻(たくし)ヌルに贈った物だとわかったとササは言った。

「マサキのガーラダマが役行者様が贈った物だったのか」とサハチはンマムイと話をしているマサキを見た。

 ンマムイの次女のマサキはまだ十三歳だが、旅に出る前と比べて、随分と大人になったように見えた。

「真玉添の沢岻ヌルとマサキはつながっているのか」とサハチはササに聞いた。

「わからないけど、そのガーラダマを身に着けているって事はつながりがあるんだと思うわ。沢岻ヌルが今もいるのか調べなくちゃならないわ」

 天川の弁才天社から舟に乗って新宮(しんぐう)まで行って、新宮から愛洲氏の本拠地の五ヶ所浦に行った。五ヶ所浦から伊勢の神宮まで行ったけど、瀬織津姫様の声は聞こえなかった。五ヶ所浦に戻って、富士山に向かい、富士山の裾野にある樹海の中で、ようやく、『瀬織津姫様』に巡り会えた。

「瀬織津姫様は月の神様だったのよ」とササは言った。

 瀬織津姫は垣花(かきぬはな)の都で、首長だった垣花ヌルの長女に生まれて垣花姫と呼ばれた。二十歳の頃、百人の人たちを率いて、貝殻を満載にした舟に乗って、翡翠(ひすい)と矢の根石(黒曜石)を求めてヤマトゥに向かった。九州に着いた垣花姫は阿蘇山を拠点に、貝殻の交易を始めて『阿蘇津姫』と呼ばれた。阿蘇津姫を長女に譲った垣花姫は、交易を広げるために武庫山(むこやま)(六甲山)に行って『武庫津姫』と呼ばれた。武庫津姫を三女に譲った垣花姫は、那智の滝に行って『瀬織津姫』と呼ばれた。瀬織津姫を五女に譲った垣花姫は、富士山に行って『浅間大神(あさまのおおかみ)』と呼ばれた。瀬織津姫は富士山の裾野に都を造ったが、その都は五百年余り前に起こった富士山の大噴火で全滅してしまう。都の人たちを助けられなかった事を悔やんで、瀬織津姫は以後、沈黙してしまったという。

「でも、ササの笛を聞いて、瀬織津姫様は(よみがえ)ったのよ」とシンシンが言った。

「今は娘さんたちと会ったり、スサノオ様と一緒に南蛮(なんばん)(東南アジア)の国にも行って来たのよ」とナナが言った。

「ここまでが、旅の第一部ね」とササは言った。

「なに? 第二部もあるのか」とサハチは聞いた。

 ササはうなづいて、御台所様と高橋殿と一緒に兵庫の広田神社に行って『武庫津姫』と会い、神呪寺(かんのうじ)で『真名井御前(まないごぜん)』に会った事を話し、阿波(あわ)の国(徳島県)に行って、八倉比売(やくらひめ)神社で『アイラ姫』と会い、大粟(おおあわ)神社で『阿波津姫』と会い、祖母にも会った事を話した。奈良に行って『サルヒコ』と『豊姫』と会い、生駒山で『伊古麻津姫(いこまつひめ)』と会い、大三島(おおみしま)で瀬織津姫の孫の『伊予津姫(いよつひめ)』に会った事も話した。いつの間にか、マチルギも来ていてササの話を聞いていた。

「大三島では大発見があったのよ」とササは言った。

「伊予津姫様はお酒が大好きで、一緒にお酒を飲んだわ。伊予津姫様は酔ひ姫(えいひめ)様って呼ばれているのよ」

「それが大発見なのか」と言いながらサハチはうまい酒を飲んだ。

「そうじゃないわよ。伊予津姫様の娘に『吉備津姫(きびつひめ)様』がいるんだけど、その人もお酒好きで、大切なガーラダマ(勾玉)をなくしてしまうの。そのガーラダマを見つけたのが『アキシノ様』で、アキシノ様はそのガーラダマを身に着けて琉球に来たけど、真玉添がやられて、読谷山(ゆんたんじゃ)の山に埋められてしまうわ。それを見つけて、身に付けたのがシンシンなの。アキシノ様もシンシンも吉備津姫様の子孫だろうって伊予津姫様は言ったのよ」

「シンシンが吉備津姫様の子孫? シンシンは唐人(とーんちゅ)だぞ。そんな事があるのか」

「吉備津姫様は琉球に向かったまま行方知れずになってしまったの。嵐に遭って亡くなってしまったと伊予津姫様は思っていたんだけど、もしかしたら、吉備津姫様は大陸に流されて、大陸で娘を産んで、その子孫がシンシンに違いないって言ったのよ」

「シンシンが瀬織津姫様の子孫だったのか‥‥‥確かに驚くべき事だな」

 サハチはシンシンを見つめながら、初めて出会った時の事を思い出していた。あの時、こんな展開になるなんて思ってもいなかった。

「今年はそれを調べるために明国に行って来るわ」とササは当然の事のように言った。

「何だって?」とサハチは驚いてササを見た。

 だめだと言っても無駄な事はわかっていた。

「今年はメイユー(美玉)が来るだろう。メイユーの船に乗って行け」とサハチは言った。

「そう言うと思ったわ」とササは嬉しそうに笑った。

「俺たちも一緒に行くか」とジルーがゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)に聞いた。

「明国まで行って来たと言ったら、お屋形様は腰を抜かすぞ」とゲンザが笑った。

「たっぷりお土産を持って行けば、喜ぶに違いない」とマグジも笑った。

 安須森ヌルがササにシジマの事を話したら、ササは驚いた顔をして話を聞いていた。

「シジマが志慶真(しじま)ヌルだったなんて‥‥‥」とササは言って、何かを思い出しているようだった。

「シジマがキラマ(慶良間)の島から島添大里(しましいうふざとぅ)に来た時、あたし、シジマに会って、『あなた、ヌルなの?』って聞いたの。シジマは笑って、『違うわよ。あたしは女子サムレーよ』って言ったわ。やっぱり、ヌルだったのね」

「ササはやっぱり凄いわ。わたしはずっと一緒にいたのに、全然、気づかなかったわ」

「アキシノ様は今帰仁に帰ったのか」とサハチはササに聞いた。

「ここにいるわよ」とアキシノの声が聞こえた。

 サハチは天井を見上げた。マチルギも天井を見上げていた。

「お前にも聞こえたのか」とサハチはマチルギに聞いた。

 マチルギはうなづいた。

「アキシノ様、島添大里の女子サムレーのシジマを御存じですか」とササが聞いた。

「ここではまずいわ。庭に出て」とアキシノは言った。

 サハチとマチルギ、ササと安須森ヌル、シンシンとナナが庭に出て、空を見上げた。降るような星空だった。

「シジマはわたしの子孫です」とアキシノの声が聞こえた。

「シジマが神人(かみんちゅ)になったのなら志慶真ヌルを継ぐべきだけど、まだ時期が少し早いのです。今の志慶真ヌルは(やまい)を患っていて、あと少しの寿命なのです。時々、血を吐いているので、本人も自覚しています。今の志慶真ヌルが亡くなってから志慶真村に帰った方がいいでしょう」

「ウトゥタル様はシジマに志慶真村に近づいてはだめと言ったようだけど、何か意味があるのですか」と安須森ヌルが聞いた。

「それは、今の志慶真ヌルが身に付けているガーラダマが蘇ってしまうからです。あのガーラダマは、わたしが『クボーヌムイヌル』を継いだ時に、先代のクボーヌムイヌル様からいただいたガーラダマなのです。そのガーラダマは初代のクボーヌムイヌル様から代々受け継がれて来た大切なガーラダマです。初代のクボーヌムイヌル様は豊玉姫様の従妹(いとこ)で、豊玉姫様からいただいたようです。先代の志慶真ヌルは今の志慶真ヌルにそのガーラダマを渡す時、ガーラダマを眠りに就かせたのです。そうしなければ、今の志慶真ヌルは身に付ける事はできません。ところが、シジマが志慶真村に近づくとガーラダマが蘇って、本来の主人であるシジマのもとに行きたがり、今の志慶真ヌルは寿命が尽きる前に亡くなってしまうのです」

「志慶真ヌルが亡くなったとしても、若ヌルがいるのに、シジマは志慶真ヌルを継げるのですか」と安須森ヌルは聞いた。

「それは大丈夫です。若ヌルには好きな人がいます。親に言われて若ヌルになったけど、できればお嫁に行きたいと思っています。シジマがヌルを継いでくれれば、若ヌルは喜んでヌルをやめるでしょう」

 サハチはアキシノに聞くべきか悩んでいたが、思い切って聞く事にした。

「アキシノ様、中山王が山北王を滅ぼしても大丈夫でしょうか」

「いよいよ、その日が来たのね」とアキシノは言った。

「あれだけ栄えていた平家でさえ滅んだのだから、今帰仁按司が滅びるのも、それは仕方のない事です。わたしは琉球に来て、三人の息子と二人の娘を産みました。長男は今帰仁按司を継いだけど、四代目の時に『湧川按司(わくが-あじ)』に滅ぼされてしまいました。次男はヤマトゥから来る追っ手を見張るために永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に行って永良部按司になりました。でも、三代目の時に英祖(えいそ)の弟に滅ぼされてしまいます。三男は羽地按司になって、今の山北王まで続いているけど、先代の山北王(珉)の母親は(げん)の国の娘だし、わたしの子孫とは言えません。長女は今帰仁ヌルを継いで、志慶真ヌルと永良部ヌルの二人の娘を産みました。志慶真ヌルの子孫がシジマです。永良部ヌルは娘が英祖の弟と結ばれて跡継ぎを産み、五代目の永良部ヌルは『千代松(ちゅーまち)』の次男と結ばれて跡継ぎを産み、今は七代目が『瀬利覚(じっきょ)ヌル』を名乗って続いています」

「えっ、永良部島にアキシノ様の子孫がいるのですか」とササが驚いた。

「永良部島は琉球とヤマトゥを結ぶ重要な拠点なのです。今帰仁按司が変わる度に永良部按司も変わったけど、永良部ヌルは島を守るために、新しく来た按司を手なづけで生き延びて来たのです。話を戻しますけど、次女は勢理客(じっちゃく)ヌルになって、三人の娘を産みました。長女は勢理客ヌルを継いで、次女は羽地ヌルになって、三女は名護ヌルになりました。勢理客ヌルは途中で絶えてしまって、今の勢理客ヌルは先々代の山北王(帕尼芝)の娘だから、わたしとはつながっていません。羽地ヌルは二代目の羽地按司と結ばれて、三代目羽地按司、二代目羽地ヌル、初代国頭ヌルを産みました。羽地ヌルは途中で絶えてしまいましたが、国頭ヌルは『屋嘉比(やはび)ヌル』の流れが今も続いています。名護ヌルなんですが、四代目までは娘から娘へと続いていたんだけど、五代目は按司の娘になってしまいます。一族全体を守るにはわたしの子孫でなければならないんだけど、按司は按司を守るために、娘をヌルにしたがるのです。それで、わたしの子孫は絶えてしまうのです。四代目の名護ヌルは按司の娘を育てて五代目にしたあと、自分の娘もヌルに育てます。その娘は伊波大主(いーふぁうふぬし)と結ばれて伊波に行き、伊波ヌルになります。伊波ヌルが産んだ娘のマチルーは、今帰仁から逃げて来た今帰仁按司の次男のジルムイと結ばれます。ジルムイは伊波にグスクを築いて伊波按司になります。ジルムイとマチルーの間に生まれたのがマチルギです」

「えっ?」と言ってサハチはマチルギを見た。

 マチルギも驚いた顔をしてサハチを見ていた。

「奥方様がアキシノ様の子孫だったなんて‥‥‥」とササが言って、マチルギを見ていた。

「お姉さんがアキシノ様の‥‥‥」と安須森ヌルも驚いていた。

 確信はないが、安須森ヌルもササも、マチルギは天孫氏(てぃんすんし)だと思っていた。

「だから、マチルギの息子が今帰仁按司を継げば何の問題もないのです。そして、わたしは瀬織津姫様の子孫なので、アマミキヨ様の子孫になります。アマミキヨ様の子孫を天孫氏と呼ぶのなら、わたしもマチルギも天孫氏です」

 あまりの驚きで、誰もが声が出なかった。しばらくして、

「奥方様が子孫だという事をアキシノ様は前から知っていたのですか」とササが聞いた。

「知っていましたよ。マチルギが祖父の敵討(かたきう)ちにこだわっていたので心配だったのです。でも、サハチと出会って結ばれたので安心しました。一度、久高島(くだかじま)に行った時は少し危険な事が起こりました。久高島の神様たちがマチルギの正体がわからなくて、始末しようと考えたのです。わたしはその時、クボーヌムイヌルとしてマチルギはわたしの子孫だと言って助けました。久高島の神様たちもクボーヌムイヌルを知っていて、マチルギは助かったのです」

 マチルギは初めて久高島に行って、フカマヌルに連れられてフボーヌムイ(フボー御嶽)に行った時の事を思い出した。ヌルでもないのに、どうしてウタキ(御嶽)に入ったのかもわからず、フカマヌルに言われるままに、馬天(ばてぃん)ヌルと一緒にお祈りを捧げていた。勿論、神様の声なんて聞こえなかった。でも、しばらくして懐かしいような神様の声が聞こえるようになった。その神様の言われる通りに、着物を脱ぎ捨てて踊ったような気がする。あの時、アキシノ様に助けられたのだろうか。

「わたしの次女の『勢理客ヌル』はマチルギにそっくりなのよ。剣術が好きでね、ヌルなのに太刀(たち)()いて、女子サムレーたちを引き連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)を守っていたのよ」

「そんな昔に女子サムレーがいたのですか」とマチルギは驚いた。

「必ず、息子を今帰仁按司に任命します。ありがとうございました」とサハチがアキシノにお礼を言った。

「お前が神人(かみんちゅ)になったわけがようやくわかった」とサハチはマチルギに言った。

「わたしがアキシノ様の子孫だったなんて‥‥‥」と言ってマチルギは安須森ヌルとササを見た。

「お姉さんのお陰で、アキシノ様の許しが出たのよ。素晴らしい事だわ」と安須森ヌルは言った。

「アキシノ様の許しが得られなかったら、神様たちが争う事になって、大変に事になっていたかもしれないわ」

「お前と出会って、お前と一緒になったのは、息子に今帰仁按司を継がせるためだったのだな」とサハチがマチルギに言った。

「えっ?」と言って、マチルギはサハチを見た。

 サハチに出会う前、祖父の敵を討つために、剣術に夢中になっていた時、『あなたの息子が今帰仁按司を継ぐのよ』と言う神様の声を聞いたのをマチルギは思い出した。剣術の稽古に夢中になって気を失った時だった。気のせいだと思っていたが、あれはアキシノ様の声だったのかもしれない。サハチと出会ってからは一度も聞いていないので、すっかり忘れていた。

 マチルギは空を見上げて、感謝を込めて両手を合わせた。





浮島の那覇館




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