沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







須久名森




 首里(すい)から呼んだサムレー大将の田名親方(だなうやかた)と楽隊に先導されて、『李芸(イイエ)』と『早田(そうだ)五郎左衛門』は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。マチルギが連れて来た女子(いなぐ)サムレーたちが、沿道の家々に『朝鮮(チョソン)』から使者が来たと触れ回ったので、小旗を振った人たちが李芸たちを歓迎した。

 朝鮮の使者たちの後ろに『愛洲(あいす)ジルー』の船に乗っていたササ(運玉森ヌル)たちが続いて、最後尾にサハチ(中山王世子、島添大里按司)とマチルギ(中山王世子妃)と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が従った。サハチとマチルギが並んで馬に乗っているのを見た沿道の人たちはキャーキャー騒いでいた。

「お兄さんとお姉さんが一緒にいるのが珍しいので、みんなが喜んでいるわ」と安須森ヌルが笑った。

「まったく恥ずかしいわ」とマチルギが苦笑しながらも、騒いでいる人たちに手を振った。

「ファイチの奴め!」と言いながらサハチも笑って手を振った。

 派手な行列にするには、サハチとマチルギも一緒に行った方がいいとファイチ(懐機)が言って、二人はしぶしぶ承諾したのだった。朝鮮の使者を見るより、サハチとマチルギを見るために人々がどんどん集まってきた。首里に着くと、大通りは人々で埋まっていて、サムレーたちが見物人たちを抑えていた。

 首里グスクに入って、サハチとマチルギは顔を見合わせて、ホッと溜め息をついた。

「凄かったわね」と安須森ヌルが言った。

 馬から下りたら、ササたちがやって来て、

按司様(あじぬめー)奥方様(うなぢゃら)は凄い人気者だったのね」と囃し立てた。

「あたしたちだけじゃないでしょ」とマチルギは言った。

「ササやシンシン(杏杏)、ナナも安須森ヌルもキャーキャー言われていたじゃない」

「お二人には負けるわ」とササが笑いながら言った。

 サハチは李芸と五郎左衛門を連れて『龍天閣(りゅうてぃんかく)』に行き、思紹(ししょう)(中山王)と会わせた。

 去年、彫っていた『弁才天(べんざいてん)像』は完成して、今は『役行者(えんのぎょうじゃ)像』を彫っていた。役行者像も弁才天像と一緒に『ビンダキ(弁ヶ岳)』に祀るらしい。彫り物に熱中している思紹を見て、李芸も五郎左衛門も驚いていた。

 サハチが声を掛けると思紹は顔を上げて、『五郎左衛門』をじっと見つめた。

「もしかして、五郎左衛門殿ではありませんか」と思紹は聞いた。

 五郎左衛門は笑って、「サグルーよ。会いたかったぞ」と言った。

 思紹は立ち上がって木屑を払うと、「よく来て下さった」と嬉しそうに迎えた。

 三階に行って、お茶を飲みながら、サハチは『李芸』が琉球(沖縄本島)に来た目的を思紹に説明した。

倭寇(わこう)に連れ去られた朝鮮人(こーれーんちゅ)か。昔は親父(サミガー大主)の所にも高麗(こーれー)(朝鮮の前の王朝)から来た人たちが働いておったが、今は見かけんな。あの時の人たちはどうしたんじゃろう」

「帰りたいと言った者たちは、朝鮮に行っていた先代(武寧)と先々代(察度)の中山王(ちゅうざんおう)の船に乗せて返したようですよ」とサハチは言った。

「そういえば、親父は『宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)』と仲がよかったようじゃから頼んだのかもしれんのう」

 思紹は『李芸』に朝鮮人を探して連れ帰る事を許可して、サハチの義弟のカンスケを『朝鮮担当奉行』に任命した。カンスケは『対馬大親(つしまうふや)』を名乗って、首里に屋敷も与えられ、李芸の朝鮮人捜しを手伝う事になった。

 李芸たちはカンスケに連れられて首里見物を楽しんだ。今晩は『会同館』で再び『歓迎の(うたげ)』が催される事になった。五郎左衛門は『龍天閣』に残って、思紹と積もる話を語り合った。

 李芸たちを思紹に預けると、サハチは『御内原(うーちばる)』に行って安須森ヌルを探した。一緒に馬天浜(ばてぃんはま)に行こうと思ったのに、ササたちと一緒に平田グスクに行ったという。『タミー(慶良間の島ヌル)』の事を調べに行ったようだ。

「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)は『慈恩寺(じおんじ)』に帰ったわ」とマチルギは言った。

修理亮(しゅりのすけ)とカナ(浦添ヌル)も『浦添(うらしい)』に帰って、愛洲ジルーたちはササと一緒に行ったわよ」

「ンマムイ(兼グスク按司)も一緒に行ったのか」

「帰ったわ。娘の事は師匠に任せるって。『マサキ(兼グスク若ヌル)』の成長振りを見て驚いていたわよ。ササは『凄いヌル』だって感心していたわ」

「確かに凄いよ。あんなにも弟子を連れてヤマトゥ(日本)まで行って来て、弟子たちは皆、立派に育っている。『ミワ(奥間若ヌル)』に会えなかったのは残念だったけどな」

「ウニチル(フカマ若ヌル)からミワの事を聞いたわ。あの二人は『南の島(ふぇーぬしま)』に行かなかったから、ほかの若ヌルたちと違って、『神様の声』が聞こえなかったらしいの。二人は悔しがって、必死に修行を積んだみたいね。瀬戸内海にある『大三島(おおみしま)』という島で、二人もようやく『神様の声』が聞こえるようになって、『神様の姿』も見えるようになったって喜んでいたわ」

「そうか、ミワとウニチルも苦労したんだな。しかし、あの若ヌルたちがヌルになったら凄い事になりそうだな」

「凄いヌルたちに守られて、中山王は安泰よ」

 サハチはマチルギにうなづくと、シンゴ(早田新五郎)たちに会いに馬天浜に向かった。



 その頃、平田グスクに着いたササたちは一休みすると、『須久名森(すくなむい)(須久名山)』に登った。タミーの指示に従って、愛洲ジルーたちが平田大親(ひらたうふや)から借りた山刀(やまなじ)で、道を切り開きながら登って行った。

 タミーは『須久名森ヌル』だった伯母の声に従っているようだが、ササたちには聞こえなかった。

 鬱蒼(うっそう)とした木々の中を抜けて山頂に着いた。山頂も木が生い茂っていて眺めはよくなかった。東側が崖になっていて、この下に『ウタキ(御嶽)』があるとタミーは言った。

 足下(あしもと)に気を付けながらタミーの指示通りに進んで行くと崖の下に出た。そこは少し広くなっていた。

「ここに来た事あるの?」とササがタミーに聞いた。

 タミーは首を振った。

「このお山に入ったのも初めてです」

 ササはうなづいて、「まずは邪魔な草を刈り取りましょう」と言った。

 山刀を持っている者たちが伸び放題の草を刈った。

 崖に小さな『ガマ(洞窟)』が現れて、ガマの中に石が積んであった。ガマの前に祭壇らしい大きな岩も現れた。かなり古いウタキのようだった。

 愛洲ジルーたちはその場から離れて見守り、ヌルたちは祭壇の前に座り込んでお祈りを始めた。

「よく来てくれたわね」と『神様の声』が聞こえた。

「母からあなたの事は聞いたわ。その『ガーラダマ(勾玉)』を身に付けられる娘が現れたってね。母はとても驚いていたわ」

「神様は『知念姫(ちにんひめ)様』の娘さんなのですか」とササは聞いた。

「三女の『スクニヤ姫』よ。このお山は今、『須久名森』って呼ばれているけど、昔は『スクニヤムイ』だったの。お山の東方(あがりかた)の浜は『スクニヤ浜』と呼ばれていて、ヤマトゥに行くお舟が出ていた所なのよ」

「えっ、『馬天浜(ばてぃんはま)』ではなくて、こっちに港があったのですか」

「当時は今よりも海が奥の方まで入り込んでいて、『馬天浜』の辺りは湿地帯だったの。『スサノオ』が来る頃には砂浜になっていて、以後は『馬天浜』の方が栄えるようになったのよ。今は寂れてしまったけど、『スクニヤ浜』には貝殻の集積場があって、とても栄えていたのよ。『筑紫(つくし)の島(九州)』に行った伯母(瀬織津姫)から『貝殻の工房』を作れって言われて、各地に工房を造ったの。工房で加工された貝殻が『スクニヤ浜』に集められて、ヤマトゥに運ばれて行ったのよ。わたしが生まれた時、母は集積場の責任者だったわ。わたしが七歳の時に伯母は『筑紫の島』から帰って来たの。伯母は垣花(かきぬはな)の都の『ヌルトゥチカサ(祝詞司、首長)』の跡継ぎだったけど、母に跡を継ぎなさいって言ったわ。母は驚いたけど、伯母の決心を聞いて、跡を継ぐ事に決めたの。伯母が『筑紫の島』に帰ったあと、祖母が引退して、母が『ヌルトゥチカサ』になったのよ。その時、わたしたちは新しい村を造るために『知念』にいたんだけど、垣花の都に移って立派な御殿(うどぅん)で暮らす事になったわ。伯母は十一歳の時にも帰って来たけど、その後、帰っては来なかった。わたしは垣花の都でヌルになるための修行を積んで、二十歳の時、『スクニヤ浜』に戻って来て、『スクニヤ姫』って呼ばれるようになったのよ」

「スクニヤ姫様は初代の『須久名森ヌル』なのですね?」

「そうよ。わたしからずっと続いていたんだけど、二十六年前に絶えてしまったわ。でも、『タミー』が跡を継いでくれる事になって、本当によかったわ」

「わたしは二十六年前に亡くなった伯母の案内でここまで来ました」とタミーが言った。

「伯母はわたしが二歳の時に亡くなって、十歳の時に母も亡くなったので、わたしは伯母の事をまったく知りません。わたしが首里のヌルになった時、大叔父から伯母がヌルだった事を初めて聞きました。伯母はどうして亡くなってしまったのですか」

「それは伯母さんに直接、聞いたらいいわ」とスクニヤ姫が言って、『タミーの伯母』の声が聞こえた。さっきまでは聞こえなかったのに、なぜか、ササたちにも聞こえた。

「大きな台風が来たのよ。海辺の近くにあった家はみんな流されてしまったわ。わたしは子供を助けようとして、一緒に流されてしまって、それで亡くなったの。まだ二十四歳で、跡継ぎを残す事もできなかったわ。あの時、二歳だった『タミー』に跡を継いでもらいたくて、ずっと見守ってきたのよ。あなたが佐敷ヌル(安須森ヌル)に憧れて、女子サムレーになってから首里のヌルになったので嬉しかったわ。必ず、『須久名森』に戻って来ると信じていたわ。戻って来てくれてありがとう」

 ササが生まれる前、大きな台風があって、サミガー大主(うふぬし)の作業場の屋根が吹き飛んで、馬天ヌルの屋敷も潰れたと、いつか聞いたのをササは思い出していた。母が久高島(くだかじま)の『フボーヌムイ(フボー御嶽)』に籠もっていた時だった。

「伯母様は『スクナヒコ様』を御存じですか」とタミーが聞いた。

「古い神様でしょう。知っているわ。『スサノオ様』の時代にヤマトゥに行って、『ヤマトゥの国造り』に貢献した人だって聞いているわ」

「『スサノオ様』の息子さんに『サルヒコ様』という方がいらして、その人を助けて各地を平定したようです。伯母様が身に付けていたこの『ガーラダマ』は、『スクナヒコ様』が琉球に帰る時、『サルヒコ様』が贈った物だそうです。サルヒコ様からスクナヒコ様の活躍を聞きました。『サルヒコ様』は『スクナヒコ様』が琉球で忘れ去られてしまった事を悲しんでおられました。どうして、忘れ去られてしまったのですか」

「それは『スクナヒコ』がヤマトゥの事をあまり話さなかったからなのよ」とスクニヤ姫が答えた。

「子孫たちにもヤマトゥには行くなと言って、武器を持つ事も禁止して、ウミンチュ(漁師)として育てたの。だから、『須久名森』には按司が生まれる事もなく、だんだんと忘れ去られてしまったの。ただ、『須久名森ヌル』だけが『スクナヒコ』をお祀りして来たのよ。この先をしばらく行くと、とんがったお山があるわ。そこに『スクナヒコ』は祀られているのよ」

 ササたちは再び草を刈りながらタミーの伯母の案内で、『スクナヒコのウタキ』に行った。とんがった岩山そのものがウタキのようだった。岩山の近くに祭壇があって、ササたちはお祈りを捧げた。

 『神様の声』は聞こえなかった。留守なのかしらと思っていたら、

「まだ、わしの事を覚えている者がおったか」と『スクナヒコ』の声が聞こえた。

「『スクナヒコ様』は決して忘れてはならない英雄だと『サルヒコ様』はおっしゃいました。どうして、ヤマトゥでの活躍をみんなに話さなかったのですか」とササが聞いた。

「わしは英雄なんかではない。大勢の人たちを殺してきた罪深い男なんじゃよ」

「ヤマトゥの国を平定するには敵対する者たちを倒さなければなりません。(いくさ)に犠牲者は付き物のはずです」

「武力を持って強引に平定しても、長続きはせんのじゃよ。わしは戦にうんざりして琉球に帰って来たんじゃ。戦の話などしたくはなかったんじゃよ」

「それでも、『サルヒコ様』がヤマトゥの国をまとめるには『スクナヒコ様』の力が必要だったのでしょう?」

「あの頃は、わしもいい気になっていたんじゃ。わしはヤマトゥと琉球を行き来していた船乗りじゃった。『スサノオ様』が馬天浜に来たのはわしが二歳の時じゃ。毎年、冬になると『豊玉彦(とよたまひこ)様(豊玉姫の弟)』に率いられて何艘もの船が、ヤマトゥの品々を積んで馬天浜にやって来た。馬天浜はお祭りのように賑やかじゃった。あの頃のわしら子供にとって、ヤマトゥに行く船乗りになるのが夢だったんじゃよ。わしの母親は『須久名森ヌル』じゃった。ヤマトゥに行く船の航海の無事を『須久名森』で祈っていた。わしが生まれたのはお山の東方だったが、馬天浜が新しい港になったので、お山の西方(いりかた)に屋敷を移して、わしはそこで育った。多分、母が『豊玉彦様』に頼んでくれたのじゃろう。わしは十六歳の夏、船乗りとして初めてヤマトゥに行ったんじゃ。琉球とヤマトゥとの間にいくつもの島があったのには驚いた。そして、ヤマトゥは思っていたよりもずっと遠かったんじゃ。わしらは『(とよ)の国(福岡県東部と大分県)』の宇原(うばる)の港に着いて、冬まで豊の国の都で過ごした。都には立派な御殿があって、『スサノオ様』と『豊玉姫様』が暮らしておった。わしらが都に滞在していた時、豊玉姫様が『アマン姫様』をお産みになって、お祭りのように賑やかじゃった。それから毎年、わしは琉球と豊の国を行ったり来たりしていたんじゃよ。十九歳の時、わしは嫁をもらったが、その年も、わしはヤマトゥに行った。そして、冬に帰って来る時、『豊玉姫様と子供たち』を琉球に連れて来たんじゃ。十五歳になった『玉依姫(たまよりひめ)様』は美しいお姫様じゃった。玉依姫様は『セーファウタキ(斎場御嶽)』で儀式をして一人前のヌルになった。玉グスクヌル様、知念ヌル様、垣花ヌル様、そして、わしの母も立ち会ったようじゃ。豊玉姫様は次女の『アマン姫様』が十五歳になった時も琉球に来て、『セーファウタキ』で儀式をした。『アマン姫様』は玉グスクヌルを継ぐ事になって、そのまま琉球に残ったんじゃ。その時、わしはもう船乗りではなく、『サルヒコ様の軍師』として働いていた。わしが『サルヒコ様』と出会ったのは筑紫の島の南にある『アイラ(鹿屋市)の都』じゃった。スサノオ様はサルヒコ様と一緒に筑紫の島を平定して、『アイラ』に都を造ったんじゃ。わしらは豊の国の港まで行かずに、アイラの港まで行けばよくなったので、随分と楽になったんじゃよ。わしらが初めてアイラの港に着いて、御殿に挨拶に行ったら『スサノオ様』と一緒に『サルヒコ様』がおられたんじゃ。サルヒコ様はわしより一つ年上で、立派な大将という貫禄があった。一緒に酒を飲んで、筑紫の島を平定した時の話を聞いていたんじゃが、わしも酔っ払って余計な事を言ったらしい。次の日、御殿に呼ばれて行ったら、『サルヒコ様の軍師』を務めろとスサノオ様から言われたんじゃよ」

「余計な事って、戦の事を話したのですか」とササが聞いた。

「戦の事などわしが知っているはずがなかろう。十年以上、船乗りをしていて、色々と工夫した事を自慢げにしゃべったようじゃ。わしの工夫が戦にも使えるとスサノオ様は思ったらしい。わしも『ヤマトゥの国造り』の役に立てるのならと引き受けたんじゃよ。突然の事で、子供たちに会えなくなるのは辛かったが、四、五年の我慢だと自分に言い聞かせて、サルヒコ様と一緒に『(あわ)の島』に渡ったんじゃ」

「『粟の島』ってどこですか」とササは聞いた。

「『阿波津姫(あわつひめ)』が行った島よ」とスクニヤ姫が教えてくれた。

「四国の事ですね」とササは納得した。

「わしの作戦がうまくいって、戦死者もそれほど出す事もなく、『粟の島』の平定は三年で終わったんじゃよ」

「どんな作戦を立てたのですか」

「それは時によって違うが、肝心な事は相手の事をよく調べる事なんじゃ。突然、攻めて行ったら敵も味方も多大な戦死者が出る。相手の事をよく調べて、相手が納得するような形で、ヤマトゥの国に組み込んでいったんじゃよ。女の首長がいる国もいくつかあった。そんな国を攻める時には『玉依姫様』に頼んだ事もある。わしには神様の事はわからんが、『玉依姫様』が出て行くと大抵の国は抵抗する事なく、従ってくれたんじゃよ」

 その頃の四国は『阿波津姫様』の子孫がいたに違いない。『瀬織津姫(せおりつひめ)様の子孫のスサノオ様』と『知念姫様の子孫の豊玉姫様』が結ばれて生まれた『玉依姫様』が現れれば、『阿波津姫様』の子孫たちは従うに違いないとササは思った。

「サルヒコ様とわしが『粟の島』を平定した頃、スサノオ様は『木の国(和歌山県)』を平定して、わしらは『三輪山(みわやま)』の近くに都を造ったんじゃ。豪華で立派な御殿を建てて、スサノオ様はヤマトゥの国の『大物主(おおものぬし)』になられたんじゃ。わしは琉球に帰ろうとしたんじゃが、帰れなかった。まだ、『古志(こし)の国(福井県から新潟県)』が残っていると言うんじゃ。この『古志の国』との戦が悲惨だったんじゃよ」

「『古志の国』には『ヌナカワ姫様』がいらっしゃったのではありませんか」

「ああ、『ヌナカワ姫様の国』とは古くから交易をしていたから問題はなかったんじゃが、そこに行くまでの間に小さな国がいくつもあって、『粟の島』で使った作戦はうまくいかなかった。中には言葉がまったく通じない国もあったんじゃよ。あんな悲惨な戦は思い出したくもない」

 戦の話はしたくないようなので、ササは話題を変えた。

「京都の『天使の宮(五條天神宮)』に行きました。スクナヒコ様は『航海の神様』と『医術の神様』として祀られていました。航海の神様はわかりますが、医術も得意だったのですか」

「わしは半年近くを豊の国の都で過ごしていた。都には各地から色々な人たちが集まって来ていたんじゃ。中には医術が得意な人もいて、わしは指導を受けたんじゃよ。琉球からの長旅は必ず具合の悪くなる者や怪我をする者が出るからのう。『粟の島』を平定していた時、サルヒコ様が重い病に罹った事があったんじゃ。わしの力だけではないが、サルヒコ様の病は治った。その事が大げさに伝えられて、『医術の神様』になってしまったんじゃろう」

「『天使の宮』は奈良から京都に都が移る時に、『空海(くうかい)様』が奈良にあった『天使の宮』を京都に移したと伝わっていますが、スクナヒコ様は『天使』と呼ばれていたのですか」

 スクナヒコは笑った。

「生きているうちに呼ばれた事はない。わしが亡くなってから、誰かが付けたのじゃろう。わしは知らんよ」

「ヤマトゥの国を平定する時に『軍師』として働いたのに、平定が終わると権力の座に座る事もなく琉球に帰ってしまった『スクナヒコ』は、サルヒコにとって天から降りて来て、助けてくれた『神様』のように思えたのでしょう。きっと、サルヒコがスクナヒコを『天使』として祀ったのだと思うわ」とスクニヤ姫が言った。

 いつの間にか、日が暮れてきていたので、ササたちはスクナヒコとスクニヤ姫と別れて、『須久名森』を下りて平田グスクに帰った。

 翌日、ササたちは『セーファウタキ』に行って、『豊玉姫』に帰国の挨拶をした。

「ササ、ありがとう。『瀬織津姫様』と会えたのね。スサノオが連れて来てくれたのよ」

「えっ、『瀬織津姫様』は今、琉球にいらっしゃるのですか」とササたちは驚いた。

「スサノオがあっちこっちに連れて行っているわ。『サラスワティ様』も一緒だったわよ」

「そうでしたか。『瀬織津姫様』がいらっしゃいましたか。琉球の古い神様たちが喜んで迎えていたのですね」

「わたしが知らない古い神様たちが大勢、集まっていらして、ここは神様だらけになったのよ」

「凄かったでしょうね。見てみたかったわ」とササは笑って、ヤマトゥで『スクナヒコ』の事を知って、須久名森のウタキで『スクナヒコ』と『スクニヤ姫』に会った事を話した。

「あら、『スクナヒコ』に気づいたのね」と豊玉姫は笑った。

「『スクナヒコ』はスサノオのヤマトゥの国の建国に欠かせない人だったのよ。『スクナヒコ』がいなかったらヤマトゥの国はできなかったかもしれないと言ってもいいわね」

「京都では広い敷地をもった『天使の宮』に祀られているのに、琉球ではずっと忘れられていたなんて、あまりにも哀れすぎます」

「時の流れによって忘れられるのは仕方のない事なのよ。わたしだって、あなたがヤマトゥに行って、色々と調べなかったら、忘れ去られていたかもしれないのよ」

「スクナヒコ様は『古志の国』を平定する時に悲惨な戦が起こったと言っていましたが、何があったのか、豊玉姫様は御存じではありませんか」

「その頃、わたしは九州にいたから噂しか聞いていないけど、大勢の人が戦死したらしいわね。スクナヒコは自分の責任だと苦しんでいたわ。何があったのか、わたしにも話してはくれなかったわ。スクナヒコはわたしと一緒に琉球に帰って来たの。子供たちにもヤマトゥでの活躍は話さなかったようだわ。ウミンチュになって、子供たちと一緒に海に出ていたわ。琉球に帰って来てから三年後、『スサノオ』が亡くなって、あちこちで戦が始まったの。わたしはヤマトゥに戻る決心をしたわ。スクナヒコに話してはいなかったんだけど、噂を聞いたのね。スクナヒコはわたしと一緒にヤマトゥに行ってくれたわ。そして、わたしの軍師として『九州平定』を助けてくれたのよ。わたしが亡くなるまでスクナヒコは仕えてくれたわ。わたしが亡くなったあと、わたしの遺品を持って琉球に帰って、何事もなかったかのようにウミンチュに戻って、そして、亡くなったの。『アマン姫』がスクナヒコを『須久名森の山頂』に祀ったのよ」

 タミーは『イリヌムイ(寄満(ゆいんち))』で儀式を行なって、豊玉姫によって『須久名森ヌル』に就任した。

 セーファウタキから知念の城下に行き、知念ヌルと波田真(はたま)ヌルに旅の話をして、知念グスク内のウタキで『知念姫』にお礼を言った。

「お礼を言うのはわれの方じゃ。姉に会って来いとは言ったが、広いヤマトゥの国で、姉に会えるとは思ってもいなかったんじゃ。姉がスサノオと一緒にやって来て、わしは腰を抜かさんばかりに驚いたぞ。姉に会えたなんて、夢でも見ているような気分じゃった。ありがとう。ササの事は決して忘れんぞ」

 お祈りを終えたササは、借りていた『ガーラダマ』を知念ヌルに返した。

 一仕事を終えたので、『神人(かみんちゅ)』になった女子サムレーの『シジマ』に会いに島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行こうとしたら、

「玉グスクに来て」という声が聞こえた。

 ササは驚いて安須森ヌルを見た。

 安須森ヌルはうなづいて、「『瀬織津姫様』の声じゃないの?」と言った。

「『瀬織津姫様』よ」とシンシンとナナも言った。

 ササたちは玉グスクに向かった。城下で玉グスクヌルと会って、一緒に玉グスクのウタキに登った。

 『アマツヅウタキ』でお祈りをすると、

「あなたのお陰で、久し振りに琉球に帰って来たわ」と言う『瀬織津姫』の声が聞こえた。

「懐かしい人たちに会って、とても楽しい日々を過ごせたわ。お礼として、あなたにわたしが身に付けていた『勾玉(まがたま)』を贈るわ」

 地響きのような音がして、『ウタキ』が盛り上がって岩盤の(ふた)が開いたかと思ったら、『大きな勾玉』が飛び出して来て、ササの首にぶら下がり、『ウタキ』は一瞬のうちに元に戻った。

 ササの首にぶらさがった『勾玉』は三寸(約九センチ)近くもある『翡翠(ひすい)の勾玉』だった。

 安須森ヌルもシンシンもナナも、タミーとハマ(越来ヌル)も、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたちも、瀬織津姫の声が聞こえない玉グスクヌルも、その『見事な勾玉』に驚いて、口をポカンと開けていた。

「瀬織津姫様、こんな『凄いガーラダマ(勾玉)』をいただいて嬉しいのですが、『アマツヅウタキのガーラダマ』がなくなってしまったら大変な事になるのではありませんか」

「大丈夫よ。ちゃんと代わりの『ガーラダマ』を入れておいたわ。それには劣るけど、『ヌナカワ姫様からいただいたガーラダマ』よ」

 ササは瀬織津姫様にお礼を言って、首から下がっている『ガーラダマ』を見た。虹のような不思議な色をしたガーラダマだった。『瀬織津姫様』から、こんな『立派なガーラダマ』をいただいてしまって、これからどうしたらいいのか、ササにはわからなくなっていた。

「ササに頼みがあるのよ。『須久名森』でササの笛を聞かせて」と瀬織津姫様は言った。

「『スクナヒコ様』は傷ついたままだわ」と安須森ヌルが言った。

 ササは安須森ヌルにうなづいて、

「『須久名森』に戻って、笛を吹きます」と瀬織津姫様に答えた。

 玉グスクから平田に戻ったササたちは、再び『須久名森』に登った。『スクナヒコのウタキ』の前で、ササと安須森ヌルが『鎮魂の曲』を吹いた。途中から『サラスワティ』のヴィーナが加わって、『スクナヒコ』の深い心の傷を癒やしていた。





首里グスク



須久名森



セーファウタキ



玉グスク




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