須久名森
首里から呼んだサムレー大将の田名親方と楽隊に先導されて、李芸と早田五郎左衛門は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。マチルギが連れて来た女子サムレーたちが、沿道の家々に朝鮮から使者が来たと触れ回ったので、小旗を振った人たちが李芸たちを歓迎した。 朝鮮の使者たちの後ろに愛洲ジルーの船に乗っていたササたちが続いて、最後尾にサハチとマチルギと安須森ヌルが従った。サハチとマチルギが並んで馬に乗っているのを見た沿道の人たちはキャーキャー騒いでいた。 「お兄さんとお姉さんが一緒にいるのが珍しいので、みんなが喜んでいるわ」と安須森ヌルが笑った。 「まったく恥ずかしいわ」とマチルギが苦笑しながらも、騒いでいる人たちに手を振った。 「ファイチの奴め!」と言いながらサハチも笑って手を振った。 派手な行列にするには、サハチとマチルギも一緒に行った方がいいとファイチが言って、二人はしぶしぶ承諾したのだった。朝鮮の使者を見るより、サハチとマチルギを見るために人々がどんどん集まってきた。首里に着くと、大通りは人々で埋まっていて、サムレーたちが見物人たちを抑えていた。 首里グスクに入って、サハチとマチルギは顔を見合わせて、ホッと溜め息をついた。 「凄かったわね」と安須森ヌルが言った。 馬から下りたら、ササたちがやって来て、 「按司様と奥方様は凄い人気者だったのね」と囃し立てた。 「あたしたちだけじゃないでしょ」とマチルギは言った。 「ササやシンシン、ナナも安須森ヌルもキャーキャー言われていたじゃない」 「お二人には負けるわ」とササが笑いながら言った。 サハチは李芸と五郎左衛門を連れて龍天閣に行き、思紹と会わせた。 去年、彫っていた弁才天像は完成して、今は役行者像を彫っていた。役行者像も弁才天像と一緒にビンダキ(弁ヶ岳)に祀るらしい。彫り物に熱中している思紹を見て、李芸も五郎左衛門も驚いていた。 サハチが声を掛けると思紹は顔を上げて、五郎左衛門をじっと見つめた。 「もしかして、五郎左衛門殿ではありませんか」と思紹は聞いた。 五郎左衛門は笑って、 「サグルーよ。会いたかったぞ」と言った。 思紹は立ち上がって木屑を払うと、 「よく来て下さった」と嬉しそうに迎えた。 三階に行って、お茶を飲みながら、サハチは李芸が琉球に来た目的を思紹に説明した。 「倭寇に連れ去られた朝鮮人か。昔は親父の所にも高麗から来た人たちが働いておったが、今は見かけんな。あの時の人たちはどうしたんじゃろう」 「帰りたいと言った者たちは、朝鮮に行っていた中山王の船に乗せて返したようですよ」とサハチは言った。 「そういえば、親父は宇座の御隠居様(泰期)と仲がよかったようじゃから頼んだのかもしれんのう」 思紹は李芸に朝鮮人を探して連れ帰る事を許可して、サハチの義弟のカンスケを朝鮮担当奉行に任命した。カンスケは対馬大親を名乗って、首里に屋敷も与えられ、李芸の朝鮮人捜しを手伝う事になった。 李芸たちはカンスケに連れられて首里見物を楽しんだ。今晩は会同館で再び歓迎の宴が催される事になった。五郎左衛門は龍天閣に残って、思紹と積もる話を語り合った。 李芸たちを思紹に預けると、サハチは御内原に行って安須森ヌルを探した。一緒に馬天浜に行こうと思ったのに、ササたちと一緒に平田グスクに行ったという。タミーの事を調べに行ったようだ。 「ヤタルー師匠と喜屋武ヌルは慈恩寺に帰ったわ」とマチルギは言った。 「修理亮とカナも浦添に帰って、愛洲ジルーたちはササと一緒に行ったわよ」 「ンマムイも一緒に行ったのか」 「帰ったわ。娘の事は師匠に任せるって。マサキの成長振りを見て驚いていたわよ。ササは凄いヌルだって感心していたわ」 「確かに凄いよ。あんなにも弟子を連れてヤマトゥまで行って来て、弟子たちは皆、立派に育っている。ミワに会えなかったのは残念だったけどな」 「ウニチルからミワの事を聞いたわ。あの二人は南の島に行かなかったから、ほかの若ヌルたちと違って、神様の声が聞こえなかったらしいの。二人は悔しがって、必死に修行を積んだみたいね。瀬戸内海にある大三島という島で、二人もようやく神様の声が聞こえるようになって、神様の姿も見えるようになったって喜んでいたわ」 「そうか、ミワとウニチルも苦労したんだな。しかし、あの若ヌルたちがヌルになったら凄い事になりそうだな」 「凄いヌルたちに守られて、中山王は安泰よ」 サハチはマチルギにうなづくと、シンゴたちに会いに馬天浜に向かった。
その頃、平田グスクに着いたササたちは一休みすると、須久名森に登った。タミーの指示に従って、ジルーたちが平田大親から借りた山刀で、道を切り開きながら登って行った。 タミーは須久名森ヌルだった伯母の声に従っているようだが、ササたちには聞こえなかった。 鬱蒼とした木々の中を抜けて山頂に着いたが、山頂も木が生い茂っていて眺めはよくなかった。東側が崖になっていて、この下にウタキがあるとタミーは言った。 足下に気を付けながらタミーの指示通りに進んで行くと崖の下に出た。そこは少し広くなっていた。 「ここに来た事あるの?」とササがタミーに聞いた。 タミーは首を振った。 「この山に入ったのも初めてです」 ササはうなづいて、 「まずは邪魔な草を刈り取りましょう」と言った。 山刀を持っている者たちが伸び放題の草を刈った。 崖に小さなガマ(洞窟)が現れて、ガマの中に石が積んであった。ガマの前に祭壇らしい大きな岩も現れた。かなり古いウタキのようだった。 愛洲ジルーたちはその場から離れて見守り、ヌルたちは祭壇の前に座り込んでお祈りを始めた。 「よく来てくれたわね」と神様の声が聞こえた。 「母からあなたの事は聞いたわ。そのガーラダマ(勾玉)を身に付けられる娘が現れたってね。母はとても驚いていたわ」 「神様は知念姫様の娘さんなのですか」とササは聞いた。 「三女のスクニヤ姫よ。この山は今、須久名森って呼ばれているけど、昔はスクニヤムイだったの。山の東方の浜はスクニヤ浜と呼ばれていて、ヤマトゥに行くお舟が出ていた所なのよ」 「えっ、馬天浜ではなくて、こっちに港があったのですか」 「当時は今よりも海が奥の方まで入り込んでいて、馬天浜の辺りは湿地帯だったの。スサノオが来る頃には砂浜になっていて、以後は馬天浜の方が栄えるようになったのよ。今は寂れてしまったけど、スクニヤ浜には貝殻の集積場があって、とても栄えていたのよ。筑紫の島(九州)に行った伯母から貝殻の工房を作れって言われて、各地に工房を造ったの。工房で加工された貝殻がスクニヤ浜に集められて、ヤマトゥに運ばれて行ったのよ。わたしが生まれた時、母は集積場の責任者だったわ。わたしが七歳の時に伯母は筑紫の島から帰って来たの。伯母は垣花の都のヌルトゥチカサ(首長)の跡継ぎだったけど、母に跡を継ぎなさいって言ったわ。母は驚いたけど、伯母の決心を聞いて、跡を継ぐ事に決めたの。伯母が筑紫の島に帰ったあと、祖母が引退して、母がヌルトゥチカサになったのよ。その時、わたしたちは新しい村を造るために知念にいたんだけど、垣花の都に移って立派な御殿で暮らす事になったわ。伯母は十一歳の時にも帰って来たけど、その後、帰っては来なかった。わたしは垣花の都でヌルになるための修行を積んで、二十歳の時、スクニヤ浜に戻って来て、スクニヤ姫って呼ばれるようになったのよ」 「スクニヤ姫様は初代の須久名森ヌルなのですね?」 「そうよ。わたしからずっと続いていたんだけど、二十六年前に絶えてしまったわ。でも、タミーが跡を継いでくれる事になって、本当によかったわ」 「わたしは二十六年前に亡くなった伯母の案内でここまで来ました」とタミーが言った。 「伯母はわたしが二歳の時に亡くなって、十歳の時に母も亡くなったので、わたしは伯母の事をまったく知りません。わたしが首里のヌルになった時、大叔父から伯母がヌルだった事を初めて聞きました。伯母はどうして亡くなってしまったのですか」 「それは伯母さんに直接、聞いたらいいわ」とスクニヤ姫が言って、タミーの伯母の声が聞こえた。さっきまでは聞こえなかったのに、なぜか、ササたちにも聞こえた。 「大きな台風が来たのよ。海辺の近くにあった家はみんな流されてしまったわ。わたしは子供を助けようとして、一緒に流されてしまって、それで亡くなったの。まだ二十四歳で、跡継ぎを残す事もできなかったわ。あの時、二歳だったタミーに跡を継いでもらいたくて、ずっと見守ってきたのよ。あなたが佐敷ヌルに憧れて、女子サムレーになってから首里のヌルになったので嬉しかったわ。必ず、須久名森に戻って来ると思っていたわ。戻って来てくれてありがとう」 ササが生まれる前、大きな台風があって、サミガー大主の作業場の屋根が吹き飛んで、馬天ヌルの屋敷も潰れたと、いつか聞いたのをササは思い出していた。母が久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっていた時だった。 「伯母様はスクナヒコ様を御存じですか」とタミーが聞いた。 「古い神様でしょう。知っているわ。スサノオ様の時代にヤマトゥに行って、ヤマトゥの国造りに貢献した人だって聞いているわ」 「スサノオ様の息子さんにサルヒコ様という方がいらして、その人を助けて各地を平定したようです。伯母様が身に付けていたこのガーラダマは、スクナヒコ様が琉球に帰る時、サルヒコ様が贈った物だそうです。サルヒコ様からスクナヒコ様の活躍を聞きました。サルヒコ様はスクナヒコ様が琉球で忘れ去られてしまった事を悲しんでおられました。どうして、忘れ去られてしまったのですか」 「それはスクナヒコがヤマトゥの事をあまり話さなかったからなのよ」とスクニヤ姫が答えた。 「子孫たちにもヤマトゥには行くなと言って、武器を持つ事も禁止して、ウミンチュ(漁師)として育てたの。だから、須久名森には按司が生まれる事もなく、だんだんと忘れ去られてしまったの。ただ、須久名森ヌルだけがスクナヒコ様をお祀りして来たのよ。この先をしばらく行くと、とんがった山があるわ。そこにスクナヒコは祀られているのよ」 ササたちは再び草を刈りながらタミーの伯母の案内で、スクナヒコのウタキに行った。とんがった岩山そのものがウタキのようだった。岩山の近くに祭壇があって、ササたちはお祈りを捧げた。 神様の声は聞こえなかった。留守なのかしらと思っていたら、 「まだ、わしの事を覚えている者がおったか」とスクナヒコの声が聞こえた。 「スクナヒコ様は決して忘れてはならない英雄だとサルヒコ様はおっしゃいました。どうして、ヤマトゥでの活躍をみんなに話さなかったのですか」とササが聞いた。 「わしは英雄なんかではない。大勢の人たちを殺してきた罪深い男なんじゃよ」 「ヤマトゥの国を平定するには敵対する者たちを倒さなければなりません。戦に犠牲者は付き物のはずです」 「武力を持って強引に平定しても、長続きはせんのじゃよ。わしは戦にうんざりして琉球に帰って来たんじゃ。戦の話などしたくはなかったんじゃよ」 「それでも、サルヒコ様がヤマトゥの国をまとめるにはスクナヒコ様の力が必要だったのでしょう?」 「あの頃は、わしもいい気になっていたんじゃ。わしはヤマトゥと琉球を行き来していた船乗りじゃった。スサノオ様が馬天浜に来たのはわしが二歳の時じゃ。毎年、冬になると豊玉彦様に率いられて何艘もの船が、ヤマトゥの品々を積んで馬天浜にやって来た。馬天浜はお祭りのように賑やかじゃった。あの頃のわしら子供にとって、ヤマトゥに行く船乗りになるのが夢だったんじゃよ。わしの母親は須久名森ヌルじゃった。ヤマトゥに行く船の航海の無事を須久名森で祈っていた。わしが生まれたのは山の東側だったが、馬天浜が新しい港になったので、山の西側に屋敷を移して、わしはそこで育った。多分、母が豊玉彦様に頼んでくれたのじゃろう。わしは十六歳の夏、船乗りとして初めてヤマトゥに行ったんじゃ。琉球とヤマトゥとの間にいくつもの島があったのには驚いた。そして、ヤマトゥは思っていたよりもずっと遠かったんじゃ。わしらは豊の国(福岡県東部と大分県)の宇原の港に着いて、冬まで豊の国の都で過ごした。都には立派な御殿があって、スサノオ様と豊玉姫様が暮らしておった。わしらが都に滞在していた時、豊玉姫様がアマン姫様をお産みになって、お祭りのように賑やかじゃった。それから毎年、わしは琉球と豊の国を行ったり来たりしていたんじゃよ。十九歳の時、わしは嫁をもらったが、その年も、わしはヤマトゥに行った。そして、冬に帰って来る時、豊玉姫様と子供たちを琉球に連れて来たんじゃ。十五歳になった玉依姫様は美しいお姫様じゃった。玉依姫様はセーファウタキ(斎場御嶽)で儀式をして一人前のヌルになった。玉グスクヌル様、知念ヌル様、垣花ヌル様、そして、わしの母も立ち会ったようじゃ。豊玉姫様は次女のアマン姫様が十五歳になった時も琉球に来て、セーファウタキで儀式をした。アマン姫様は玉グスクヌルを継ぐ事になって、そのまま琉球に残ったんじゃ。その時、わしはもう船乗りではなく、サルヒコ様の軍師として働いていた。わしがサルヒコ様と出会ったのは筑紫の島の南にあるアイラ(鹿屋市)の都じゃった。スサノオ様はサルヒコ様と一緒に九州を平定して、アイラに都を造ったんじゃ。わしらは豊の国の都まで行かずに、アイラの港まで行けばよくなったので、随分と楽になったんじゃよ。わしらが初めてアイラの港に着いて、御殿に挨拶に行ったらサルヒコ様がおられたんじゃ。わしより一つ年上で、立派な大将という貫禄があった。一緒に酒を飲んで、九州を平定した時の話を聞いていたんじゃが、わしも酔っ払って余計な事を言ったらしい。次の日、御殿に呼ばれて行ったら、サルヒコ様の軍師を務めろとスサノオ様から言われたんじゃよ」 「余計な事って、戦の事を話したのですか」とササが聞いた。 「戦の事などわしが知っているはずがなかろう。十年以上、船乗りをしていて、色々と工夫した事を自慢げにしゃべったようじゃ。わしの工夫が戦にも使えるとスサノオ様は思ったらしい。わしもヤマトゥの国造りの役に立てるのならと引き受けたんじゃよ。突然の事で、子供たちに会えなくなるのは辛かったが、四、五年の我慢だと自分に言い聞かせて、サルヒコ様と一緒に四国に渡ったんじゃよ。わしの作戦がうまくいって、戦死者もそれほど出す事もなく、四国の平定は三年で終わったんじゃ」 「どんな作戦を立てたのですか」 「それは時によって違うが、肝心な事は相手の事をよく調べる事なんじゃ。突然、攻めて行ったら敵も味方も多大な戦死者が出る。相手の事をよく調べて、相手が納得するような形で、ヤマトゥの国に組み込んでいったんじゃよ。女の首長がいる国もいくつかあった。そんな国を攻める時には玉依姫様に頼んだ事もある。わしには神様の事はわからんが、玉依姫様が出て行くと大抵の国は抵抗する事なく、従ってくれたんじゃよ」 その頃の四国は阿波津姫様の子孫がいたに違いない。瀬織津姫様の子孫のスサノオ様と知念姫様の子孫の豊玉姫様が結ばれて生まれた玉依姫様が現れれば、阿波津姫様の子孫たちは従うに違いないとササは思った。 「サルヒコ様とわしが四国を平定した頃、スサノオ様は木の国(和歌山県)を平定して、わしらは奈良に都を造ったんじゃ。三輪山の近くに御殿を建てて、スサノオ様はヤマトゥの国の大物主になられたんじゃ。わしは琉球に帰ろうとしたんじゃが、帰れなかった。まだ、越の国(福井県から新潟県)が残っていると言うんじゃ。この越の国との戦が悲惨だったんじゃよ」 「越の国にはヌナカワ姫様がいらっしゃったのではありませんか」 「ああ、ヌナカワ姫様の国とは古くから交易をしていたから問題はなかったんじゃが、そこに行くまでの間に小さな国がいくつもあって、四国で使った作戦はうまくいかなかった。中には言葉がまったく通じない国もあったんじゃよ。あんな悲惨な戦は思い出したくもない」 戦の話はしたくないようなので、ササは話題を変えた。 「京都の天使の宮に行きました。スクナヒコ様は航海の神様と医術の神様として祀られていました。航海の神様はわかりますが、医術も得意だったのですか」 「わしは半年近くを豊の国の都で過ごしていた。都には各地から色々な人たちが集まって来ていたんじゃ。中には医術が得意な人もいて、わしは指導を受けたんじゃよ。琉球からの長旅は必ず具合の悪くなる者や怪我をする者が出るからのう。四国を平定していた時、サルヒコ様が重い病に罹った事があったんじゃ。わしの力だけではないが、サルヒコ様の病は治った。その事が大げさに伝えられて、医術の神様になってしまったんじゃろう」 「天使の宮は奈良から京都に都が移る時に、空海様が奈良にあった天使の宮を京都に移したと伝わっていますが、スクナヒコ様は天使と呼ばれていたのですか」 スクナヒコは笑った。 「生きているうちに呼ばれた事はない。わしが亡くなってから、誰かが付けたのじゃろう。わしは知らんよ」 「ヤマトゥの国を平定する時に軍師として働いたのに、平定が終わると権力の座に座る事もなく琉球に帰ってしまったスクナヒコは、サルヒコにとって天から降りて来て、助けてくれた神様のように思えたのでしょう。きっと、サルヒコがスクナヒコを天使として祀ったのだと思うわ」とスクニヤ姫が言った。 いつの間にか、日が暮れてきていたので、ササたちはスクナヒコとスクニヤ姫と別れて、須久名森を下りて平田グスクに帰った。 翌日、ササたちはセーファウタキに行って、豊玉姫に帰国の挨拶をした。 「ササ、ありがとう。瀬織津姫様と会えたのね。スサノオが連れて来てくれたのよ」 「えっ、瀬織津姫様は今、琉球にいらっしゃるのですか」とササたちは驚いた。 「スサノオがあっちこっちに連れて行っているわ。サラスワティ様も一緒だったわよ」 「そうでしたか。瀬織津姫様がいらっしゃいましたか。琉球の古い神様たちが喜んで迎えていたのですね」 「わたしが知らない古い神様たちが大勢、集まっていらして、ここは神様だらけになったのよ」 「凄かったでしょうね。見てみたかったわ」とササは笑って、ヤマトゥでスクナヒコの事を知って、須久名森のウタキでスクナヒコとスクニヤ姫に会った事を話した。 「あら、スクナヒコに気づいたのね」と豊玉姫は笑った。 「スクナヒコはスサノオのヤマトゥの国の建国に欠かせない人だったのよ。スクナヒコがいなかったらヤマトゥの国はできなかったかもしれないと言ってもいいわね」 「京都では広い敷地をもった天使の宮に祀られているのに、琉球ではずっと忘れられていたなんて、あまりにも哀れすぎます」 「時の流れによって忘れられるのは仕方のない事なのよ。わたしだって、あなたがヤマトゥに行って、色々と調べなかったら、忘れ去られていたかもしれないのよ」 「スクナヒコ様は越の国を平定する時に悲惨な戦が起こったと言っていましたが、何があったのか、豊玉姫様は御存じではありませんか」 「その頃、わたしは九州にいたから噂しか聞いていないけど、大勢の人が戦死したらしいわね。スクナヒコは自分の責任だと苦しんでいたわ。何があったのか、わたしにも話してはくれなかったわ。スクナヒコはわたしと一緒に琉球に帰って来たの。子供たちにもヤマトゥでの活躍は話さなかったようだわ。ウミンチュになって、子供たちと一緒に海に出ていたわ。琉球に帰って来てから三年後、スサノオが亡くなって、あちこちで戦が始まったの。わたしはヤマトゥに戻る決心をしたわ。スクナヒコに話してはいなかったんだけど、噂を聞いたのね。スクナヒコはわたしと一緒にヤマトゥに行ってくれたわ。そして、わたしの軍師として九州平定を助けてくれたのよ。わたしが亡くなるまでスクナヒコは仕えてくれたわ。わたしが亡くなったあと、わたしの遺品を持って琉球に帰って、何事もなかったかのようにウミンチュに戻って、そして、亡くなったの。アマン姫がスクナヒコを須久名森の山頂に祀ったのよ」 タミーはイリヌムイ(寄満)で儀式を行なって、豊玉姫によって須久名森ヌルに就任した。 セーファウタキから知念の城下に行き、知念ヌルと波田真ヌルに旅の話をして、知念グスク内のウタキで知念姫にお礼を言った。 「お礼を言うのはわれの方じゃ。姉に会って来いとは言ったが、広いヤマトゥの国で、姉に会えるとは思ってもいなかったんじゃ。姉がスサノオと一緒にやって来て、わしは腰を抜かさんばかりに驚いたぞ。姉に会えたなんて、夢でも見ているような気分じゃった。ありがとう。ササの事は決して忘れんぞ」 お祈りを終えたササは、借りていたガーラダマを知念ヌルに返した。 一仕事を終えたので、神人になった女子サムレーのシジマに会いに島添大里グスクに行こうとしたら、 「玉グスクに来て」という声が聞こえた。 ササは驚いて安須森ヌルを見た。 安須森ヌルはうなづいて、「瀬織津姫様の声じゃないの?」と言った。 「瀬織津姫様よ」とシンシンとナナも言った。 ササたちは玉グスクに向かった。城下で玉グスクヌルと会って、一緒に玉グスクのウタキに登った。 アマツヅウタキでお祈りをすると、 「あなたのお陰で、久し振りに琉球に帰って来たわ」と言う瀬織津姫様の声が聞こえた。 「懐かしい人たちに会って、とても楽しい日々を過ごせたわ。お礼として、あなたにわたしが身に付けていた勾玉を贈るわ」 地響きのような音がして、ウタキが盛り上がって岩盤の蓋が開いたかと思ったら、大きな勾玉が飛び出して来て、ササの首にぶら下がり、ウタキは一瞬のうちに元に戻った。 ササの首にぶらさがった勾玉は三寸(約九センチ)近くもある大きな翡翠の勾玉だった。 安須森ヌルもシンシンもナナも、タミーとハマも、玻名グスクヌルと若ヌルたちも、その見事な勾玉に驚いて、口をポカンと開けていた。 「瀬織津姫様、こんな凄いガーラダマ(勾玉)をいただいて嬉しいのですが、アマツヅウタキのガーラダマがなくなってしまったら大変な事になるのではありませんか」 「大丈夫よ。ちゃんと代わりの勾玉を入れておいたわ。それには劣るけど、ヌナカワ姫様からいただいた勾玉よ」 ササは瀬織津姫様にお礼を言って、首から下がっているガーラダマを見た。虹のような不思議な色をしたガーラダマだった。瀬織津姫様から、こんな立派なガーラダマをいただいてしまって、これからどうしたらいいのか、ササにはわからなくなっていた。 「ササに頼みがあるのよ。須久名森でササの笛を聞かせて」と瀬織津姫様は言った。 「スクナヒコ様は傷ついたままだわ」と安須森ヌルが言った。 ササは安須森ヌルにうなづいて、 「須久名森に戻って、笛を吹きます」と瀬織津姫様に答えた。 玉グスクから平田に戻ったササたちは、再び須久名森に登った。スクナヒコのウタキの前で、ササと安須森ヌルが鎮魂の曲を吹いた。途中からサラスワティのヴィーナが加わって、スクナヒコの深い心の傷を癒やしていた。 |
首里グスク
須久名森
セーファウタキ
玉グスク