沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







今帰仁のお祭り




 ササ(運玉森ヌル)たちが乙羽山(うっぱやま)で『マジムン(悪霊)退治』をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに珍しい客がサハチ(中山王世子、島添大里按司)を訪ねて来た。瀬長按司(しながあじ)だった。

 わざわざ訪ねて来るなんて、瀬長按司の娘のマカジと苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)の長男のサジルーの婚約に何か問題でも起きたのだろうかと思いながら、サハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで迎えに出た。

 瀬長按司はサハチの顔を見ると手を上げて、

「ここに来たのは二十年振りじゃ」と笑った。

「二十年というと、汪英紫(おーえーじ)殿がいた頃ですか」とサハチは聞いた。

「そうじゃ。汪英紫殿は姉(トゥイ)の義父だったので、よく出入りしていたんじゃよ。あの二階建ての屋敷ができた時のお祝いの(うたげ)にも参加した。汪英紫殿が山南王(さんなんおう)になって、倅のヤフスがここの按司になってからは来なくなったのう。あの頃とあまり変わっていないようじゃな」

「石垣の修繕をしたくらいです。汪英紫殿が改築したこのグスクは完璧です。直す所はありませんよ」

「汪英紫殿はグスク造りの名人じゃった。瀬長グスクを築く時も汪英紫殿の意見を参考にしたと親父(察度)が言っていた」

「そうだったのですか」

 汪英紫のグスク造りの才能はシタルー(汪応祖)が継いで、豊見(とぅゆみ)グスク、首里(すい)グスクを築いている。サハチにしろ思紹(ししょう)(中山王)にしろ、汪英紫父子が築いたグスクで暮らしているのだった。

 サハチは瀬長按司を一の曲輪(くるわ)の屋敷の一階の会所(かいしょ)に案内して話を聞いた。瀬長按司は息子の縁談について相談に来たという。

「姉に相談したら、そなたに相談しろって言われてな。本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)が持って来た縁談なんじゃが、何と山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘をわしの三男の嫁に迎えろと言うんじゃよ」

「山北王の娘を?」とサハチは驚いた顔をして瀬長按司を見た。

 嫁入りが決まっていない十七の娘がいるとウニタキ(三星大親)から聞いたのをサハチは思い出した。その娘を南部に嫁入りさせるなんて思ってもいなかった。

「わしが思うに、嫁入りにかこつけて、瀬長島に山北王の兵を送り込もうと考えているに違いない。わしの一存では決められないので、相談に来たというわけじゃ」

「婚礼の予定は言っていましたか」

「九月頃の予定じゃと言っておったな」

 九月に瀬長島に娘を嫁入りさせて兵を送り、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを制圧して、世子(せいし)のミン(攀安知の長男)を山南王にするつもりだろうとサハチは思った。

「よく知らせてくれました。九月までに何とか対処します。テーラーには喜んで、山北王の娘を嫁に迎えると返事をして下さい」

「そんな事を言って大丈夫なのか」

「もし、断った場合、テーラーグスクにいる兵と水軍を送り込んで、武力で瀬長島を奪い取るかもしれません。そんな事になれば多くの犠牲者が出ます」

 瀬長按司はサハチの顔を見つめてから、「九月までに何とかするんじゃな?」と念を押した。

「任せておいて下さい」とサハチは自信を持って答えた。

 瀬長按司はうなづいて、帰って行った。後ろ姿を見送りながら、サハチはもう少し待ってくれと心の中で言っていた。

 ササたちがヤンバル(琉球北部)から帰って来たのは、二日後の夕方だった。安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と一緒にサハチの部屋に来たササ、シンシン(杏杏)、ナナは、『シジマの志慶真(しじま)ヌル就任』と、『屋嘉比(やはび)のお婆の死』と、『マジムン退治』の事を報告した。

 皆、驚くべき事だったが、サハチが一番驚いたのは屋嘉比のお婆の死だった。名護(なぐ)羽地(はにじ)国頭(くんじゃん)の按司たちが寝返りを決めたのは、屋嘉比のお婆の一言だった。そのお婆が亡くなってしまって、三人の按司たちの意思が揺らぐのを心配した。

「お婆の跡を継いだヌルはいるのか」とサハチは聞いた。

「お婆の孫の『屋嘉比ヌル』がいるから大丈夫よ」とササが言った。

「お婆の陰になって目立たなかったけど、お婆のすべてを受け継いでいるわ。『アキシノ様』の子孫だし、屋嘉比ヌルと志慶真ヌルがいれば大丈夫よ。シジマは志慶真ヌルを継いだのと同時に、『クボーヌムイヌル』も継いだのよ」

「ヌルの修行をしていないのに、クボーヌムイヌルまで継いで大丈夫なのか」

「アキシノ様が見守っているから大丈夫よ」

「そうだな」とサハチはうなづいて、マジムン退治の事を聞いた。

 ササは『スムチナムイ』の『コモキナ様』という神様がアマミキヨ様の夫だった事を説明して、幼い千代松(ちゅーまち)を追い出して今帰仁按司(なきじんあじ)になった本部大主(むとぅぶうふぬし)の娘の今帰仁ヌルに取り憑いていたマジムンを退治したと言った。

「初めてマジムン退治をやったんだけど、うまく行ったわ。きっと、『瀬織津姫(せおりつひめ)様のガーラダマ(勾玉)』のお陰よ。今帰仁グスクを攻め落としたあとも、今帰仁グスクで『マジムン退治』をしなければならないわ。今帰仁グスクは昔、シネリキヨの一族たちのウタキ(御嶽)だった所に造ったの。グスク内にあるウタキにはシネリキヨの神様が祀られているわ。シネリキヨのヌルであるタマ(東松田の若ヌル)を連れて行かなければならないわ」

「タマもマジムン退治をやったのか」

「あたしとシンシンとナナとタマの四人でやったのよ」

「ほう。あの若ヌルも大したもんだな」

「タマは先に起こる事がわかるのよ。今帰仁攻めの時、按司様(あじぬめー)のそばに置いておくべきよ」

 サハチは十年前、(よろい)を着てサハチに従っていた馬天(ばてぃん)ヌル、マチルギ、安須森ヌル、フカマヌルを思い出した。駄目だと言っても付いて来るに違いない。

「ヌルを連れて行ってもいいが、戦には参加させないぞ」

「それはわかっているわ。あたしたちが相手にするのはマジムンたちよ」とササは言った。

 お茶を持って来たナツがササを見て、

「ねえ、ササ、お腹が大きくなってきたんじゃないの?」と言った。

「えっ?」と驚いた顔をしてササはナツを見た。

「ヤンバルで食べ過ぎたかしら」とササはとぼけたが、ナツに気づかれてしまったと慌てた。

「お前、もしかして?」とサハチはササのお腹を見た。

 ナツの言う通り、少し大きくなっているように思えた。

「大丈夫よ」とササは恥ずかしそうな顔をして、逃げるように出て行った。

 シンシンとナナがあとを追って行った。

「やっぱり、おめでたなのね?」と安須森ヌルが言った。

「ササの跡継ぎができたか」とサハチは笑って、

「相手は勿論、愛洲(あいす)ジルーだな?」と安須森ヌルに聞いた。

「ササのマレビト神はジルーよ。南の島で結ばれたのよ」

 サハチは満足そうにうなづいた。

「子供が生まれれば、ジルーも毎年、来てくれるな。よかった。しかし、あの体じゃ、戦に行かせるわけにはいかんな」

「言う事を聞いてくれればいいんだけど」と安須森ヌルは溜め息をついた。

 ササはサハチを避けるように若ヌルたちを引き連れて、中グスクのお祭り(うまちー)の準備の手伝いに出掛けた。

 その頃、首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)で思紹、苗代大親(なーしるうふや)、ヒューガ(日向大親)、ファイチ(懐機)の四人が今帰仁攻めの作戦を練っていた。サハチも参加したいが、ヤンバルの長老たちがミーグスクに滞在しているので、やたらと首里に行くのは避けていた。

 ヒューガはキラマ(慶良間)の島から五百人の若者たちを運び終わって、若者たちは人足(にんそく)となって庭園造りに励んでいた。今帰仁グスクを攻め落としたあと、今帰仁グスクの侍女や女子(いなぐ)サムレーになる娘たち五十人も来ていて、炊き出しをやっていた。

 三月十九日のクマヌ(先代中グスク按司)の命日に、中グスクのお祭りが行なわれた。三の曲輪(後の西の曲輪)と二の曲輪まで開放されて、城下に住む人たちや近在の村の人たちが大勢集まって来ていた。三の曲輪には屋台が並び、舞台は二の曲輪にあった。

 クマヌが亡くなって一年目に旅芸人たちを呼んで、クマヌを偲ぶお祭りをやったが、それは城下の広場で行なわれた。クマヌの奥さんは島添大里の武将の妻だった頃、島添大里グスクを攻められて、幼い娘を連れて必死に逃げた恐ろしい記憶を忘れる事ができず、グスクを開放して、お祭りをする事ができなかった。養子のムタ(中グスク按司)は義母の気持ちを察して、お祭りをする事はなく、クマヌの命日は身内だけで静かに偲んでいた。去年の冊封使(さっぷーし)が来て忙しかった頃、奥さんは亡くなった。亡くなる時、クマヌの命日に賑やかなお祭りをやってくれと遺言した。ムタはうなづいて、今年からグスクを開放して、お祭りをする事に決めたのだった。

 舞台では中グスクヌルの進行で、地元の娘たちの歌や踊りが披露され、女子サムレーたちの剣舞、シンシンとナナの武当拳(ウーダンけん)も披露された。

 お芝居は女子サムレーたちによる『瓜太郎(ういたるー)』と旅芸人たちの『千代松(ちゅーまち)』だった。旅芸人たちの『千代松』は首里グスクで初演された『千代松』とは少し違っていた。子供たちにわかりやすくするために、難しい事は省いて、より面白くなっていた。子供を産んで踊り子を引退した先代のフクが、旅をしながら演じてきた経験を生かして、台本を大衆向けに直したのだった。

 その日、人混みに紛れて、東行法師(とうぎょうほうし)に扮した思紹もやって来た。サハチも安須森ヌルと一緒に来た。浦添按司(うらしいあじ)越来按司(ぐいくあじ)北谷按司(ちゃたんあじ)勝連按司(かちりんあじ)安慶名按司(あぎなーあじ)伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司もお忍びでやって来た。勝連按司のサムは山伏の格好をして現れて、皆を驚かせた。

「一度、義父(おやじ)の格好がしてみたかったんだ」とサムは笑った。

 按司たちは一の曲輪の屋敷の二階の眺めのいい部屋に集まって、クマヌを偲ぶと称して、戦評定(いくさひょうじょう)が行なわれた。

 按司たちは思紹の書状を見ただけなので、詳しい事情がわからなかった。サハチが今までの経緯(いきさつ)を説明して、思紹が絵図を示しながら、実際の作戦を説明した。

「出陣は四月一日で、梅雨に入る前に決着を付けたい。半月の予定で兵糧(ひょうろう)を用意してくれ。戦に勝利した暁には消費した兵糧は保証するし、戦で活躍した者にはそれなりの報償が出る。今回が最後の大戦(うふいくさ)だと思って、皆、気を張って戦に挑んでくれ」

 思紹の言葉に按司たちは厳しい顔付きでうなづいて、勝利を祈願して祝杯を挙げた。

 翌日、旅芸人たちは今帰仁のお祭りに参加するために今帰仁に向かった。そして、その翌日、首里で丸太引きのお祭りが行なわれた。ササたちは裏方に回って守護神として出る事はなく、若い者たちに任せた。

 首里の守護神は女子サムレーのミリーだった。ミリーは伊是名島(いぢぃなじま)仲田大主(なかだうふぬし)の娘で、十五歳の時に伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)を頼って首里に来て、首里グスクの剣術の稽古に通っていた。マチルギの勧めで、キラマの島で修行してから首里の女子サムレーになった。去年、守護神を務めたクニの指導で丸太乗りの稽古に励んでいた。

 浦添(うらしい)もカナ(浦添ヌル)に代わって、女子サムレーのシチが守護神を務め、若狭町(わかさまち)はシズに代わって、『よろずや』の売り子のカラが守護神を務めた。カラはシズと同じように父親はヤマトゥンチュ(日本人)だった。島添大里はサスカサ(島添大里ヌル)、佐敷は佐敷ヌル、久米村(くみむら)はファイリン(懐玲)だった。

 守護神たちは皆、うまく丸太を乗りこなした。首里の大通りに入って、佐敷と島添大里がいい勝負をして、勝ったのは佐敷だった。丸太を引いている男たちの中にルクルジルー(早田六郎次郎)たちもいて優勝を喜んでいた。八年前の最初の丸太引きで、当時、佐敷ヌルだった安須森ヌルが守護神を務めて優勝して以来の快挙だった。

 その日はサハチも首里に来ていて、龍天閣で思紹と一緒に今帰仁攻めの作戦を練った。絵図を眺めながら、

「南部にいる山北王の兵はどう抑えるのです?」とサハチは思紹に聞いた。

「『三星党(みちぶしとう)』のアカーが調べた所、伊敷(いしき)グスクにいる兵は羽地と名護の兵だという。大将は羽地按司の弟の古我知大主(ふがちうふぬし)じゃ。羽地と名護が寝返った事を知れば動く事はあるまい」

「うまい具合にミーグスクの兵たちも羽地の兵で、大将は我部祖河(がぶしか)の長老の息子でした。ミーグスクも動かないでしょう」

 思紹はうなづいて、「問題は保栄茂(ぶいむ)グスクじゃ」と言った。

「大将は小浜大主(くばまうふぬし)で、守っているのは今帰仁の兵じゃ。小浜大主というのは鬼界島(ききゃじま)(喜界島)で戦死した備瀬大主(びしうふぬし)の弟で、テーラーの配下だったらしい。もう一人兄がいて、備瀬大主の名を継いで、今帰仁のサムレー大将を務めているようじゃ。小浜大主がわしらの出陣に気づく前に、保栄茂按司夫婦を脱出させなくてはならない」

「島尻大里の城下に住んでいる仲尾大主(なこーうふぬし)の家族も危ない」とサハチは言った。

他魯毎(たるむい)(山南王)に頼んで、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入れてもらうしかない」

「保栄茂按司夫婦が脱出したあと、保栄茂グスクとテーラーグスク(平良グスク)を包囲するのですね」

 思紹はうなづいて、「それも他魯毎に頼むしかないな」と言った。

東方(あがりかた)の按司たちは守りを固めて、様子を見守っているだけですか」

「そうじゃ。もしも、今帰仁の戦で、わしらが負けた場合、他魯毎は山北王と手を結んで、東方を攻めるじゃろう。最悪の事態も考えて、東方の按司たちには守りを固めて見守っていてもらう。そして、今回の戦じゃが、今帰仁攻めの総大将はお前じゃ」

「えっ、親父は行かないのですか」

「わしはここにいて、南部に睨みを効かせている。『琉球の統一』を言い始めたのはお前じゃ。お前がけりをつけるんじゃ」

 サハチは思紹を見つめた。総大将は思紹だと思い込んでいた。まさか、自分が総大将を務めるなんて考えてもいなかった。しかし、自分がやらなければならないという使命感がふつふつと湧いてきていた。

「わかりました。総大将を勤めます」

 思紹は満足そうにうなづいた。

「琉球を統一して、平和な世の中にするための戦じゃ。難しいじゃろうが、なるべく戦死者は出すなよ。味方は勿論じゃが、敵も降参して来た者たちは殺すな。山北王と湧川大主(わくがーうふぬし)以外はな」

 サハチは決心を固めて、思紹にうなづいた。



 三月二十四日、何事もなく、無事に今帰仁のお祭りを迎える事ができた。

 山北王がお祭りの時に武芸試合をして、強い者はサムレーに取り立てると公表したので、羽地、名護、国頭の腕自慢の若者たちもサムレーになりたいと言って参加する者が数多くいた。お祭りが終わるまで中山王の今帰仁攻めを城下の者たちに言えない按司たちは、夢を語っている若者たちを止める事はできなかった。また、娘たちはお芝居の前に歌や踊りを披露するので、倅や娘の晴れ舞台を見に行こうと親たちもお祭りに出掛けて、例年以上に今帰仁に人々が集まっていた。城下の宿屋はどこも一杯で、前夜からお祭り騒ぎが始まっていた。

 山北王の攀安知(はんあんち)はクーイの若ヌルを城下の屋敷に呼んで、お忍びで若ヌルと会っていた。湧川大主も側室のメイとハビー、子供たちを連れて、側室のマチがいる屋敷に来ていた。国頭の側室のクルキはクミ(国頭按司の三女)と一緒に志慶真大主(しじまうふぬし)のお世話になっていた。志慶真大主はクミの叔父で、クルキとクミは娘を連れ、さらに国頭の娘たちも連れて来ていた。

 クルキとクミは、女子サムレーとして国頭に来たシジマが志慶真ヌルになっているのに驚いた。屋嘉比のお婆の葬儀の時もシジマは来ていたのだが、あの時はヌルの格好をしていたので気づかなかった。島添大里の女子サムレーだったシジマは数多くのお芝居に出ていたので、クミたちはシジマからお芝居の事を色々と聞いた。若ヌルだったミクはずっと好きだったサムレーのジューと一緒になれると喜んでいた。

 天気にも恵まれ、太鼓の音が響き渡って大御門(うふうじょう)が開かれると、待っていた人たちがどっと外曲輪(ふかくるわ)になだれ込んだ。広い外曲輪内に屋台がいくつもできていて酒や餅が配られ、料理を出す屋台もあり、唐人(とーんちゅ)の料理やヤマトゥ(日本)の料理を出す屋台まであった。舞台は左側にあって、武芸試合する場所は右側にあった。

 舞台の進行役は油屋のユラで、ヤマトゥの着物を着て着飾っていた。山北王の側室、クン、ウク、ミサの華麗な踊りで舞台は始まった。クンは自分の一言によって奥間(うくま)が攻められたので責任を感じて、山北王と会うのも気まずくなり、それを忘れるために踊りの稽古に熱中した。三人の側室たちは奥間炎上後、御内原(うーちばる)に行く事はなく、芝居小屋でユラと一緒に寝泊まりしていた。

 舞台の前には大勢の人たちが集まって、側室たちの踊りに拍手を送った。側室たちが引っ込むと、次に登場したのは城下の娘たちだった。山北王の娘のママキ、湧川大主の娘のチルー、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の娘のアニー、喜如嘉(きざは)の長老の孫娘のサラもいた。十人の娘たちは古くから今帰仁に伝わる祈りの歌を歌って、それに合わせて優雅に舞った。その後、各村を代表する娘たちが次々に登場して、それぞれの村に伝わる歌と踊りを披露した。見物人たちは自分の村の娘たちが出ると指笛を鳴らして囃し立てた。

 武芸試合も始まっていた。試合は四か所で同時に行なわれた。三百人余りの若者たちが集まって武芸を競い合った。刀を持っている庶民はいないので、ほとんどの者が棒を持って戦った。中には小舟(さぶに)を漕ぐウェーク(櫂)で戦う者や素手で戦う大男もいた。山北王は百人の若者をサムレーとして取り立てると言ったので、皆、張り切っていた。勝抜戦で、最後まで勝ち残った四人にはヤマトゥの刀が贈られ、優勝した者には馬も贈られた。本部のテーラーも検分役を務めていた。見物人たちは男が多く、ヤマトゥのサムレーたちも酒を飲みながら見物していた。

 『まるずや』も屋台を出していて、テーラーの姿を見たウニタキは、テーラーも今帰仁グスクに籠もりそうだと思った。

 舞台では娘たちの歌と踊りが終わって、今帰仁若ヌルと勢理客(じっちゃく)若ヌルが武当拳を披露して、いよいよ、お芝居が始まった。舞台の近くに油屋が確保した席があって、そこに庶民に扮した攀安知とクーイの若ヌルの姿があった。少し離れた所には側室と子供たちを連れた湧川大主もいたが、誰も気づいてはいなかった。

 ウトゥタルを演じたのは、やはりサラだった。女子サムレーのような格好をしたウトゥタルの山賊退治から物語は始まり、強いウトゥタルに子供たちが喜んだ。

 美人で強いというウトゥタルの噂が今帰仁按司の耳に入って、ウトゥタルはグスクに上がって按司と会う。側室になれという申し出に驚くウトゥタルは、ヌルの格好になってウタキに入って神様に問う。神様のお告げを聞いて、側室になるウトゥタル。側室になったウトゥタルは侍女たちに剣術を教え、馬鹿にしたサムレーを簡単に倒してしまう。按司の正妻のマナビーが男の子を産んで、やっと跡継ぎができたと喜ぶ按司。男の子は千代松と名付けられ、ウトゥタルも千代松を可愛がる。

 千代松が六歳になった時、按司が亡くなり、マナビーの弟の本部大主が反乱を起こして、千代松は殺されそうになる。ウトゥタルは千代松を助けて戦い、グスクから脱出する。千代松の母は足手まといになると言って、川に身を投げて亡くなってしまう。ウトゥタルは千代松を潮平大主(すんじゃうふぬし)に託して志慶真村に帰る。村人たちはウトゥタルの無事を喜ぶ。ウトゥタルは今帰仁按司になった本部大主に呼ばれて側室になれと言われるがきっぱりと断って、その代わりに按司の娘のマカミーをヌルにするために預かる。

 二十年の月日が流れ、立派に成長した千代松が兵を率いて攻めて来る。ウトゥタルは千代松の味方をして本部大主を倒し、千代松が今帰仁按司になった所でお芝居は終わった。

 成長した千代松を演じたのはママキで、憎らしい本部大主を演じたのはアニー、本部大主の娘のマカミーはチルーが演じていた。ウトゥタルの活躍にみんなが大喜びして、ユラが初めて作ったお芝居『志慶真のウトゥタル』は大成功に終わった。

 半時(はんとき)(一時間)ほどの休憩を挟んで、旅芸人たちのお芝居『千代松』が演じられた。題材は同じでも、千代松が主役で、ウトゥタルの代わりに今帰仁ヌルのカユが大活躍していて、子供たちが大喜びした。今帰仁の英雄、千代松の物語も大いに受けて、大喝采を浴びた。

 お芝居のあと、ユラに頼まれて、ウニタキが三弦(サンシェン)と歌を披露して、旅芸人たちと一緒に来ていた辰阿弥(しんあみ)による『念仏踊り』をみんなで踊って、舞台での演目は終わった。

 武芸試合では勝ち残った四人による試合が始まっていて、大勢の見物人が固唾(かたず)を飲んで試合を見守っていた。勝ち残った四人は仲宗根(なかずに)のサジ、国頭のウシャ、羽地のアカトゥ、並里(なんじゃとぅ)のサブルで、サジとウシャはウシャが勝ち、アカトゥとサブルはサブルが勝った。決勝戦は小柄で身の軽いウシャと力持ちで大男のサブルの戦いで、ウシャが二本の短い棒を巧みに操って、太い棍棒を振り回すサブルを倒した。小柄なウシャが見事に大男のサブルを倒したので、見ている者たちは感激して、指笛が飛び交った。

 お祭りが終わって、外曲輪の大御門が閉じられても、城下では人々がお祭りの話をしながら、お祭りの余韻を楽しんでいた。




島添大里グスク



中グスク



今帰仁グスク




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system