沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







出陣




 首里(すい)グスクの石垣の上に『三つ巴』の旗がいくつも風になびいていた。

 法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いて、西曲輪(いりくるわ)に武装した一千二百人の兵が整列した。胸に『三つ巴』が描かれた揃いの(よろい)を着て、頭にも『三つ巴』が描かれた白い鉢巻きをしていた。全員がヤマトゥ(日本)の刀を腰に差して、弓矢を背負った者、投げ槍を持った者、棒を持った者たちが晴れ晴れしい顔付きで、正面に立つ中山王(ちゅうざんおう)思紹(ししょう)世子(せいし)のサハチ(尚巴志)を見ていた。

 中山王は明国(みんこく)の帝王、永楽帝(えいらくてい)から贈られた赤い皮弁服(ひべんふく)を着て王冠をかぶり、サハチは総大将らしい華麗な鎧を身に着けて、豪華な太刀を佩いていた。

 思紹とサハチの後ろには、軍師のファイチ(懐機)と大将たちが並んでいた。兵たちの黒い鎧に対して、大将たちは赤い鎧を身に着けていた。総副大将の苗代大親(なーしるうふや)を初めとして皆、緊張した面持ちで整列している兵たちを見ていた。二十代のサグルー(山グスク大親)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)、シラー(久良波之子)の四人も山グスクで厳しい修行を積んだと見えて、大将らしい面構えになっていた。

「首里に移って十年の時が流れた」と思紹が挨拶を始めた。

「当時、グスクしかなかった首里は立派な都となった。今から三十年余り前、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)が後に山南王(さんなんおう)となった汪英紫(おーえーじ)に滅ぼされた。(うふ)グスク按司に頼まれて、わしは佐敷にグスクを築いて佐敷按司になった。それから数年が経って、十六歳になった若按司のサハチは琉球を巡る旅に出た。各地を見て帰って来たサハチは、(いくさ)のない平和な世の中にするには、『琉球を統一』しなければならないと言った。小さな佐敷グスクの若按司が、何を馬鹿な事を言っているのだと当時のわしは思った。二十五年前の今帰仁合戦(なきじんかっせん)のあと、わしはサハチに佐敷按司を譲って隠居した。サハチが言った『琉球の統一』を、わしは信じる事に決めたんじゃ。それを実行するために、キラマ(慶良間)の島で若い者たちを鍛えた。そして、十年後、島添大里グスクを攻め落とす事に成功した。その四年後には、中山王の武寧(ぶねい)を倒して首里グスクを奪い取った。あれから十年が経った今、いよいよ、念願だった『琉球の統一』を果たすべき時が来た。そなたたちが今まで武芸の修行に励んできたのも、すべて、今回のためじゃ。そなたたちなら必ずできる。思う存分、戦ってきてくれ」

 兵たちが右手を突き上げて歓声を上げた。

 サハチは十年前の運玉森(うんたまむい)を思い出していた。あの時も一千人の兵たちを前に思紹が演説をして、兵たちの歓声が沸き上がった。兵たちの鎧は様々で、武器も様々だった。当時は山の中からの出陣だったが、今回は首里グスクから堂々の出陣だった。

 思い返せば、あれから十年、色々な事があった。進貢船(しんくんしん)に乗って明国に行き、メイユー(美玉)と出会い、永楽帝と出会い、ヂャンサンフォン(張三豊)と出会った。ここにいる一千二百の兵は皆、武当拳(ウーダンけん)を身に付けたヂャンサンフォンの弟子だった。ヤマトゥに行って、高橋殿と出会い、将軍様(足利義持)とも会った。ヤマトゥと朝鮮(チョソン)との交易も始まり、旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)との交易も始まった。ササ(運玉森ヌル)は南の島を探しに行って、南の島の人たちとトンド(マニラ)の王女を琉球に連れて来た。山南王のシタルーが突然亡くなって戦になったが、義弟の他魯毎(たるむい)が山南王になった。そして今、『琉球を統一』する、その時が来たのだった。

 思紹に促されて、サハチは一歩前に出ると兵たちを眺めた。

「親父が言った通り、俺は十六の時に旅をした。今は亡き中グスク按司だったクマヌ殿に連れられて、琉球に来たばかりだったヒューガ殿と一緒に旅をした。旅を通して色々な事を学んで、琉球を統一しなければならないと思った。若い頃の俺が言った言葉を信じて、親父は按司を隠居してキラマの島に行き、叔母の馬天(ばてぃん)ヌルはヌルたちをまとめるためにウタキ(御嶽)巡りの旅に出た。親父が考えた作戦は予定通りに運んで、俺は佐敷按司から島添大里按司になった。首里グスクも奪い取って、親父は中山王になった。いよいよ、総仕上げの時が来た。高い石垣に囲まれた今帰仁グスクを攻め落とすのは難しい。しかし、みんなで力を合わせれば不可能な事はない。見事に山北王(さんほくおう)を倒し、『琉球を統一』して、華々しく凱旋(がいせん)しようではないか」

 サハチが右拳(みぎこぶし)を突き上げると兵たちの歓声が轟き渡った。

 馬天ヌルに率いられたヌルたちが登場して、出陣の儀式が行なわれた。馬天ヌルと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)はヌルの格好だが、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナ、久高島(くだかじま)から来たフカマヌルと久高ヌル(前小渡ヌル)は鎧姿だった。馬天ヌルが今日のために、ヤマトゥから仕入れたお揃いの白い鎧だった。馬天ヌルは自分の分も用意したが、思紹が首里グスクに残るので、馬天ヌルも一緒に残る事になった。

 マチルギは女子(いなぐ)サムレーたちを引き連れて出陣するつもりでいたが、マナビー(山北王の娘でチューマチの妻)やマハニ(山北王の妹でンマムイの妻)の事を思って出陣を取りやめていた。各地のグスクを守っている女子サムレーたちの指揮を執らなければならないと言って首里に残る事にした。

 出陣の儀式が終わると、海路で行く四百人の兵を率いて苗代大親がヒューガ(日向大親)と一緒に浮島(那覇)に向かって行った。城下の大通りには大勢の人たちが集まって、小旗を振りながら出陣して行く兵たちを見送った。

 苗代大親の兵たちが出て行ったあと、ンマムイ(兼グスク按司)が兵を率いてやって来た。サハチも思紹も驚いた顔でンマムイを迎えた。

「有志隊です」とンマムイは馬から下りると言った。

「勇士隊?」とサハチは怪訝(けげん)な顔をした。

東方(あがりかた)の按司たちも皆、戦に参加したいのです。それで、各按司から二十名づつを集めて、二百二十人を二つの隊に分けて連れて来ました。一番隊の隊長は俺で、二番隊の隊長は玉グスク按司の弟の百名大親(ひゃくなうふや)です。俺たちの気持ちを察して出陣させて下さい」

 サハチは思紹を見た。

「来てしまったものは仕方ないのう」と思紹は苦笑した。

 ンマムイは思紹にお礼を言った。

「奥さんは許したのか」とサハチはンマムイに聞いた。

「ヤンバル(琉球北部)の按司たちに見限られた兄は、山北王の資格はないとわかってくれました。そして、今までお世話になった師兄(シージォン)に恩返しをしろと言われて、東方の按司たちを集めたのです」

「そうか。わかってくれたか」

 よかったというようにサハチはうなづいた。

 東方の兵たちと一緒に、玉グスクヌルと知念(ちにん)ヌルが一緒にいた。(かに)グスクで出陣の儀式をして、そのまま一緒に来たという。今帰仁まで行きたいと言うので、安須森ヌルに預けた。

 半時(はんとき)(一時間)ほどして、波平大主(はんじゃうふぬし)が率いる山南王の兵と、伊敷(いしき)グスクにいた羽地(はにじ)名護(なぐ)の兵を率いる古我知大主(ふがちうふぬし)が来て合流した。

 一千二百二十人の兵たちに炊き込みご飯(じゅーしー)のおにぎりと味噌汁が配られて、早めの昼食を取った。

 食後の休憩後、法螺貝が鳴り響くと兵たちは整列をして、太鼓の音が鳴り響く中、北曲輪(にしくるわ)に下り、大御門(うふうじょう)(正門)から大通りへと出た。

 先頭を行くのはサグルーが率いるキラマの兵だった。大御門が開くのと同時に外に出たサグルーは、大通りの両脇にいる大勢の人たちを見て驚いた。深呼吸して気持ちを落ち着かせると、堂々と胸を張って馬を歩ませた。サグルーの後ろには大きな『三つ巴』の旗が(ひるがえ)っていた。サグルーに続いて、キラマの兵を率いたジルムイ、山グスクの兵を率いたマウシ、キラマの兵を率いたシラーとタク(小渡之子)が続いて、総大将のサハチが軍師のファイチと馬を並べて登場した。

 ファイチもヤマトゥの鎧を身に着けて、ヤマトゥの太刀を佩いていた。二人の両脇に鎧姿の安須森ヌルとサスカサがいて、後ろにシンシン、ナナ、フカマヌル、久高ヌル、玉グスクヌル、知念ヌルがいた。玉グスクヌルと知念ヌルもお揃いの鎧を身に着けて馬に乗っていた。

 サハチが率いる兵たちの後ろに、ンマムイ、百名大親、波平大主、古我知大主、慶良間之子(きらまぬしぃ)と続いて、殿軍(しんがり)与那原大親(ゆなばるうふや)だった。

 首里から浦添(うらしい)までの道中、ずっと見物人たちがいて、小旗を振って兵たちを励ました。

 浦添グスクで一休みして、山南王と伊敷の兵は中グスクに向かった。山南王と伊敷の兵は中グスク按司の兵と合流して越来(ぐいく)グスクに行き、その日は越来泊まりだった。越来ヌルのハマが兵たちを迎える準備をしているはずだった。

 サハチが率いている大将たちは、浦添按司の兵と合流して北谷(ちゃたん)に向かい、北谷按司の兵と合流して読谷山(ゆんたんじゃ)喜名(きなー)まで行って、喜名で泊まった。

 一千二百人余りの兵が喜名に来たが、東松田(あがりまちだ)ヌルによって、夕食と宿泊の準備は整っていた。大将たちには屋敷が用意されて、兵たちは広場に造られた仮小屋に納まった。サハチは東松田ヌルの屋敷に入った。

 東松田ヌルの屋敷に入ったのはサハチだけで、ファイチも安須森ヌルたちも別の屋敷が用意してあると若ヌルのタマが言った。東松田ヌルも姿を見せず、サハチはタマが用意してくれた御馳走をつまみながら、タマと一緒に酒も飲んだ。

「わたしと初めて会った時の事を覚えていますか」とタマはサハチに聞いた。

「馬天ヌルと一緒にウタキ巡りの旅をして、首里グスクに来た時だろう。あれから四年が経って、美人(ちゅらー)になったな」

「やだぁ、美人だなんて」とタマは照れた。

「ササから聞いたが、先に起こる事が見えるらしいな」

 タマはサハチに酒を注ぎながら、うなづいた。

「突然、ある景色が見えるのです。そこがどこなのか、誰が何をしようとしているのかわからない事がよくありました。ヂャン師匠(張三豊)のもとで一か月の修行をしたあと、そこがどこなのか、誰が何をしようとしているのかがわかるようになりました。でも、自分で念じても先の事はわからないのです。すべて、神様の思し召しで、突然、ある場所で起こる事が見えるのです」

 タマは笑って、酒を口に運ぶと一息に飲み干した。

「いい飲みっぷりだな」とサハチは笑った。

「この前、ササ(ねえ)と一緒にヤンバルまで行った時に、お酒が好きになりました。ササ姉たちは毎晩、楽しそうに飲んでいました」

「ササのお酒好きにも困ったものだ。若ヌルたちがみんな、呑兵衛(のんべえ)になってしまう。最近は何か見えたのか」

「きらびやかな鎧を着た按司様(あじぬめー)駿馬(しゅんま)に乗って、あたしに会いに来る所が見えました」とタマは嬉しそうに言った。

「別にお前に会いに来たわけじゃない」と言おうとしたが、なぜか、「会いたかったぞ」という言葉が口から飛び出した。

「嬉しい」と言って、サハチを見つめているタマを見ていたら、急にタマが愛おしく思えてきた。

「首里グスクで初めて按司様とお会いした時、あたし、胸が熱くなって具合が悪くなりました。そんな事は初めてだったので驚きました。旅の疲れが出たのかもしれないと思って、早く休みました。翌日、目が覚めたら治っていたので、やっぱり疲れていたんだと思ったんです。首里から南部を旅して島添大里グスクに行きましたが、按司様は留守でした。次の日、首里グスクで按司様と再会して、あたしの胸はまた熱くなりました。そのあと、与那原に行って、ヂャン師匠のもとで一か月の修行を積みました。修行が終わって、島添大里グスクに行って按司様と会いました。その時も胸が熱くなって、やっと、その理由がわかりました。按司様はあたしの『マレビト神様』だったのです」

「何だって!」とサハチは驚いて、持っていた酒杯(さかずき)を落としそうになった。

「馬鹿な事を言うんじゃない」と言おうとしたのに、別の言葉が口から出た。

「あの時、台風が来て与那原が被害に遭った。お前たちをマチルギに預けた時、何年かあとに必ず、お前と会うような気がしていたんだ」

「先月の島添大里グスクでの再会ですね。あの時もあたしの胸は熱くなりました」

 澄んだ綺麗な目で、タマはサハチを見つめていた。サハチはその目に吸い込まれるような気がした。

 それからあとの記憶は曖昧だった。タマと一緒に山の中のウタキに行って、川のほとりにある小屋で、タマと二人きりで過ごしていたような記憶があるが、兵たちに警護されている東松田ヌルの屋敷を抜け出すなんて不可能だった。

 大雨の音で目を覚ました時、タマと一緒に寝ていて、そこは東松田ヌルの屋敷だった。サハチは喜名に着いた翌日だと思っていたが、知らないうちに二日が過ぎて、四日の朝になっていた。

 二日間、何をしていたのかまったくわからない。タマに聞いても、夢を見ていたようだと言って、何も覚えていなかった。

 サハチは安須森ヌルを呼んで、何が起こったのか聞いた。

「ササから聞いていたけど、やっぱり、お兄さんがタマのマレビト神だったのね」

 サハチはタマを見た。信じられない事だが、認めないわけにはいかなかった。奥間(うくま)ヌルの時と同じだった。奥間ヌルと一緒にウタキの中の浜辺に行ったのは覚えている。翌日、ヤキチと一緒に帰って来たと思っていたのだが、実際は三日後で、二日間の記憶は飛んでいた。二日間、何をしていたのか未だに思い出せなかった。

 タマは嬉しそうな顔をしてサハチを見つめていた。

「二日間、俺はずっと、ここにいたのか」とサハチは安須森ヌルに聞いた。

「いたわよ。本当に何も覚えていないの?」

 サハチは情けない顔をして、うなづいた。

「ここに着いたのが四月の一日よ。それは覚えているわね?」

「ここに着いて、タマと一緒に夕食を食べたのは覚えている。その後の事がわからない」

「その日は何もなかったわ。次の日、南部で騒ぎが起こるってタマが言い出して、様子を見るために出陣を延期したの。ファイチさんも敵が待ち構えているだろうから一日くらい遅らせた方がいいだろうって言ったわ。浦添と北谷、首里の半分の兵は先に行かせて、仲尾泊(なこーどぅまい)で待機しているように命じたのよ」

「俺が命じたのか」

「そうよ。サグルーたちを先に行かせたのよ。ファイチさんも陣地造りのために先に行ったわ」

「なに、ファイチも先に行ったのか」

「焼け跡を片付けなければ陣地も作れないって言っていたわ」

「それで、南部で何かが起こったのか」

「起こったわ。伊敷(いしき)ヌルが保栄茂(ぶいむ)グスクの小浜大主(くばまうふぬし)に捕まってしまったのよ。『三星党(みちぶしとう)』のアカーの配下が知らせてくれたわ」

「伊敷ヌルがどうして保栄茂グスクで捕まるんだ? 伊敷ヌルがいるナーグスク(名城)と保栄茂グスクはかなり離れているだろう」

「保栄茂ヌルが絶えてしまって、伊敷ヌルが保栄茂ヌルを兼任していたみたい。伊敷ヌルの曽祖母が保栄茂ヌルだったらしいわ。詳しい事はよくわからないけど、月に何度か、保栄茂グスクにあるウタキにお祈りをしに行っていたみたい。保栄茂グスクが山南王の兵に包囲された日に、運悪く、保栄茂グスクにいて捕まってしまったのよ」

「という事は捕まったのは先月の二十五日だな。今まで、他魯毎は何をやっていたんだ?」

「小浜大主は伊敷ヌルと他魯毎の関係を知らないから、突然、グスクを包囲されて、(しゃく)に障って伊敷ヌルを捕まえたんだと思うわ。保栄茂の城下には保栄茂按司の家臣の前原之子(めーばるぬしぃ)の妻になっている伊敷ヌルの妹がいるの。ナーグスクでも伊敷ヌルは妹の所に泊まったのだろうと思って、その日は心配しなかったの。翌日の午後になって、帰りが遅いって心配して、家臣の者が保栄茂グスクに迎えに行ったの。保栄茂グスクが包囲されているのに驚いて、他魯毎に知らせたのよ。他魯毎は驚いて、李仲按司(りーぢょんあじ)を交渉に行かせたわ。李仲按司が出て来たので、伊敷ヌルは他魯毎にとって重要なヌルに違いないって小浜大主は思って、保栄茂按司の奥方(山北王の長女)と交換するって言い出したみたい」

「他魯毎はどうして黙っていたんだ?」

「伊敷ヌルの事は個人的な事だから、中山王の出陣を遅らせるわけにはいかないって思ったんだと思うわ。小浜大主は伊敷ヌルを人質にして、包囲を解けとも言ったらしいけど、李仲按司がなだめすかしたりして、出陣の日を迎えたわ。山南王の兵が出陣して行くのを見て、小浜大主も中山王が山北王を攻めるに違いないってわかったみたい。予定通りに山北王攻めの兵が出陣して行ったので、他魯毎は力尽くで保栄茂グスクを攻めて、伊敷ヌルを助け出そうと考えたようだわ。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの侍女から伊敷ヌルの事を聞いたアカーが、配下をここに送ったのよ」

「アカーの配下と俺は会ったのか」

「会ったわ。そして、指示を出したのよ。保栄茂グスクはシタルー(先代山南王)が造ったグスクだから、必ず抜け穴があるはずだ。保栄茂按司に聞いてみろってね」

「俺がそんな事を言ったのか」

 サハチは頭を振って、「全然、覚えていない」と言った。

 タマを見たら、タマも知らないというように首を振った。

「お兄さんの作戦がうまくいって、アカーが抜け穴を利用して伊敷ヌルを無事に救出したのよ。食べ物も与えられていなかったみたいで、かなり衰弱していたらしいわ。それを助けたのがササなのよ」

「何だって? どうして、ササがそこに出て来るんだ?」

「よくわからないけど、ササは保栄茂の城下にいて、伊敷ヌルを治療したらしいわ。武当拳の『気』の力と『瀬織津姫(せおりつひめ)様のガーラダマ(勾玉)』の力によって、伊敷ヌルは意識を取り戻して元気になったみたい」

「ユンヌ姫様が知らせたのかな?」

「多分、そうでしょう。伊敷ヌルの無事救出の知らせが届いたのは昨日の午後だったわ。お兄さんは出陣命令を出そうとしたんだけど、タマが大雨が降ってくるからやめた方がいいって言って、出陣命令は出さなかったわ。そしたら、タマが言った通りに大雨になって、明け方までずっと降り続いていたのよ」

 記憶はないが、やるべき事はちゃんとやっていたようなのでサハチは安心して、出陣命令を出した。朝食を済ますと七百二十人の兵を率いて、三泊もした喜名をあとにした。タマは鎧を着て従った。サスカサはサハチとタマを見て、不機嫌そうな顔をしていたが何も言わなかった。

 大雨が降り続いたので、道がぬかるんでいて最悪の行軍だった。名護まで行くつもりだったが、泥だらけになって足取りも重いので、無理をせずに恩納(うんな)泊まりにした。恩納按司は七百人もの兵が泊まると聞いて驚いたが、崖の上に広い平地(万座毛)があると言って案内してくれた。朝鮮の綿布(めんぷ)を使って仮小屋を建てて、兵たちはそこで休んだ。炊き出しも『まるずや』が提供した食糧を使って、村人たちによって行なわれた。大将たちには屋敷が用意されて、サハチ、与那原大親、慶良間之子、ンマムイ、百名大親、浦添按司、北谷按司が一緒に入った。ヌルたちは恩納ヌルの屋敷に入った。



 その日、仲尾泊にいたファイチは苗代大親と一緒に首里の兵九百人を率いて、先発隊として今帰仁に向かっていた。

 親泊(うやどぅまい)(今泊)まで敵の攻撃はなかった。親泊は山南王と小禄按司(うるくあじ)の水軍の兵が占領していた。親泊からハンタ道を進軍すると、途中にある『ミームングスク』で敵の反撃を受けた。ちょっとした小競り合いのあと、敵は逃げて行った。久高親方(くだかうやかた)が敵を追おうとしたが、ファイチが止めた。気を付けながら敵のあとを追うと、大きな落とし穴があった。久高親方は敵の(わな)にはまる所だったとファイチにお礼を言った。あとから来る本隊が落ちないように、落とし穴を隠している草をどけて、落とし穴が丸見えになるようにした。

 その後、今帰仁の城下に着くまで、敵兵は現れなかった。今帰仁の城下は思っていた以上に悲惨だった。一面の焼け野原の向こうに今帰仁グスクの石垣が見えた。

「こいつはひどいのう」と苗代大親が顔をしかめた。

「思っていた通りだ」とファイチが言った。

「焼け跡の残骸を片付けなければ、陣を敷く事もできません」

 確かにそうだと言うように苗代大親はうなづいた。このままでは、本隊が来ても陣を敷く場所がなかった。

 グスクの大御門(うふうじょう)へと続く大通りは残骸が片付けられているが、そこを進むのは危険だった。大通りの両側に見つけた小道を残骸を片付けながら進んで行った。今朝まで降っていた雨で残骸は濡れていて、皆、(すす)で真っ黒になりながらも日が暮れるまで働き続けた。



 道普請奉行(みちぶしんぶぎょう)になった与和大親(ゆわうふや)(真喜屋之子)の活躍で、翌日はぬかるみに悩まされる事もなく、サハチが率いる兵たちは名護に着き、さらに仲尾泊まで行った。

 仲尾泊は『三つ巴』の旗がいくつも風になびいていて、兵たちで溢れていた。ナコータルー(材木屋の主人)が建てた屋敷が按司たちの宿舎になっていて、サハチが顔を出すと、按司たちが集まって来た。越来按司、浦添按司、中グスク按司、北谷按司、波平大主しかいなかった。

「南部で何かあったのですか」と越来按司が聞いた。

 越来按司はサハチの叔父だったが、総大将に対する礼儀として敬語を使っていた。

「保栄茂グスクでちょっとした騒ぎがありましたが、無事に治まりました」とサハチは答えた。

 越来按司は、そうかと言うようにうなづいた。

「昨日、苗代大親殿とファイチ殿が首里の兵を率いて今帰仁に向かいました。そして、今日、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)勝連按司(かちりんあじ)の兄弟が陣地造りのために今帰仁に向かいました」

「そうですか」とサハチはうなづいた。

 先に行って焼け跡を片付けて陣地を造っているとファイチから言われたのを、サハチは思い出していた。罠があるから気を付けろと言って、サハチは許可していた。

「ようやく、総大将のお出ましか」と言いながらヒューガが現れた。

 サハチが海戦の事を聞くと、大した海戦はなかったとヒューガは言った。

本部(むとぅぶ)伊江島(いーじま)の間を通る時、渡久地(とぅぐち)の水軍が攻めて来たが、鉄炮(てっぽう)(大砲)で脅したら驚いて逃げて行った。その後は敵が攻めて来る事もなく、親泊には一隻の船もなかった。伊江島にはヤマトゥの船がいくつも泊まっていたがのう。港に入って行っても敵の攻撃はなく、兵の姿もなかったんじゃ。敵の罠かと警戒しながら上陸したが、結局、敵兵はいなかったんじゃよ。山南王と小禄按司の水軍に親泊を任せて、運天泊(うんてぃんどぅまい)に行ったんじゃが、運天泊にも敵の船はなかった。湧川大主(わくがーうふぬし)が逃げたので、山北王の水軍は壊滅したようじゃ」

「進貢船もなかったのですか」

「進貢船の船乗りたちは唐人(とーんちゅ)たちだから、どこかに逃げたのかもしれん。運天泊に上陸しても敵の攻撃はなかった。空き家になっていた湧川大主の屋敷を本陣にして、運天泊を守っている。兵力が足らなくて、水軍の兵たちも皆、今帰仁グスクに入ったのかもしれんな」

 総大将の島添大里按司が来たと聞いて、羽地グスクにいたヤンバルの按司たちがやって来た。ヤンバルの按司たちがサハチを見るのは初めてだった。

 鎧姿のサハチは堂々としていて総大将という貫禄があった。目に見えない凄い力に守られているように見え、この総大将の下でなら、今回の戦は必ず勝てると思わせた。中山王ではなく世子の島添大里按司が来た事に不満を持っていたヤンバルの按司たちは、サハチの姿を見たら何も言えなくなっていた。風格のあるサハチの姿に、自然と頭が下がる思いがした。

 以前、中山王は飾り物にすぎない。本当の中山王は世子の島添大里按司だという噂を聞いた事があった。あれは本当だったのかもしれないとヤンバルの按司たちは思い、サハチの前に(ひざまず)いて、それぞれが自己紹介をした。

 サハチもヤンバルの按司たちを見るのは初めてだった。国頭按司は五十代半ばで、羽地按司が三十代半ば、名護按司、恩納按司、金武按司は三十前後と若かった。五人の按司たちは中山王に忠誠を誓うと宣言した。

 サハチはヤンバルの按司たちを見ながら、

「『琉球の統一』のために従ってくれて、中山王に代わってお礼を申します」と感謝した。





首里グスク



喜名



仲尾泊




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