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クーイの若ヌル
今帰仁のお祭りをクーイの若ヌルのマナビダルと楽しんだ山北王の攀安知は、『武芸試合』もうまく行って、強い若者たちを集められた事に満足した。さらに鍛えて、中山王(思紹)を攻めるために『瀬長島』に送ろうと考えていた。 翌日もマナビダルと一緒に城下の屋敷で、のんびりと過ごしていた攀安知は、『中山王が攻めて来る』との噂を聞いた。しかも、羽地、名護、国頭の按司たちが裏切って、中山王と一緒に攻めて来るという。 そんな事があるはずはない。 でまかせを流しているのは誰だ? もしかしたら、『奥間』の奴らか‥‥‥ 直ちに真相を確かめなければならないと、攀安知はマナビダルを連れてグスクに戻った。 『中山王の今帰仁攻め』が真実だと知った攀安知は慌てた。中山王が攻めて来る前に、裏切った按司たちを征伐しなければならないと思った。重臣たちを集めて意見を聞くが、まともに答えられる者はいなかった。 テーラー(瀬底大主)が三人の按司なんか放っておいて、戦の準備をするべきだと言った。中山王が攻めて来ても今帰仁グスクが攻め落とされるはずはない。梅雨になれば引き上げて行くだろう。裏切り者を懲らしめるのは、そのあとでいいとテーラーは言った。 テーラーの言葉によって冷静さを取り戻した攀安知は、中山王を痛い目に遭わせるために、あちこちに『罠』を仕掛けて待ち構えようと考えた。 その夜、城下が『大火事』となって全焼した。『奥間』の者たちの仕業だと噂が流れて、『奥間』の奴らを皆殺しにしてやると頭に来たが、それも中山王を追い返したあとだと考え直した。どうせ、中山王の大軍が来れば、戦に邪魔な屋敷は壊される。そして、重臣たちの屋敷は兵たちの宿舎として使われるだろう。何もなくなってしまえば、兵たちは野営をするしかない。梅雨になったら間違いなく引き上げて行くに違いない。戦のためには城下が全焼してよかったのだと前向きに考える事にした。 謹慎していた湧川大主(攀安知の弟)が久し振りに顔を出した。弟の顔を見て、そろそろ許してやってもいいだろうと思った。奇抜な作戦を考える弟がいれば、中山王に一泡も二泡も吹かせてやれるだろう。攀安知は武装船の『鉄炮(大砲)』をはずして、グスクに運び入れるように弟に命じた。 『奥間』にいた諸喜田大主も帰って来た。湧川大主とテーラーと諸喜田大主の三人がいれば、今回の苦難も必ず乗り越えられると自信も湧いてきた。 戦が始まるから『沖の郡島(古宇利島)』に帰れとマナビダルに言ったが、マナビダルは帰らなかった。島から連れて来た侍女の『カフィ』と『イリー』を連れて、グスク内をうろうろしていた。誰もが戦の準備で忙しかったが、攀安知に寵愛されているマナビダルに文句を言う者はいなかった。 『御内原』の侍女から側室の『クン』が国頭に帰ったと聞いたマナビダルは、『クン』は国頭按司が裏切った事を知っていたのだろうかと疑った。中山王から贈られた側室の『フミ』は仲間はずれにされていた。フミはマナビダルと同い年で、攀安知がマナビダルと出会う前、寵愛を受けていたとみえて、二人の息子がいた。フミはクンと仲がよく、クンと一緒にマナビダルはいじめられた事があった。クンがいないので、仲間はずれにされて、いい気味だと思った。 『奥間』から贈られた側室の『ウク』と『ミサ』は、『奥間』が焼かれてから『御内原』に戻って来ないで、『外曲輪』にいると聞いたので行ってみた。 外曲輪の西側にある屋敷の周りには、焼け出された避難民たちがいっぱいいて、ウクとミサは城女たちと一緒に『炊き出し』をしていた。ウクとミサの二人は以前からマナビダルを毛嫌いしていなかったので、マナビダルも『炊き出し』を手伝った。 『炊き出し』をやっている広場の脇では、避難民たちの仮小屋を建てていて、広場の南側には今帰仁ヌル(攀安知の姉)の屋敷があった。今帰仁ヌルの屋敷には焼け出された勢理客ヌル(攀安知の叔母)と勢理客若ヌル(湧川大主の長女)と今帰仁若ヌル(攀安知の三女)、愛宕之子(攀安知の義弟)の妻と子供、シチルー(攀安知の弟)の妻と子供がいるという。 「物置には『志慶真ヌル様』が閉じ込められているわ」とウクの娘の『ママキ』が言った。 「どうして、『志慶真ヌル』が閉じ込められているの?」とマナビダルは聞いた。 「中山王の回し者の疑いがあるって、勢理客ヌル様と今帰仁ヌル様が捕まえたのよ。でも、志慶真ヌル様は『ウトゥタル様』の子孫なのよ。若ヌルの命を救ったし、わたしは凄いヌル様だと思うわ」 『志慶真ヌル』が南部にいた時は『女子サムレー』だったとママキから聞いて、マナビダルは会いたくなった。『志慶真のウトゥタル』のお芝居を観てから、マナビダルは強い『ウトゥタル』に憧れて、武芸を身に付けたいと思っていた。 マナビダルは今帰仁ヌルに会いに行って、『志慶真ヌル』に会わせてくれと頼んだが、会わせてもらえなかった。攀安知に頼んでも、ヌルの事はヌルに任せてあるから、俺は口を出さないと言われた。 次の日も外曲輪の『炊き出し』に行ったら、『志慶真ヌル』が抜け出したと聞いて驚いた。今帰仁ヌルが再び捕まえに行ったが、『志慶真ヌル』が『神様』になったと言って、捕まえる事はできなかったという。 「『神様』になったって、どういう事?」とマナビダルは聞いた。 「わからないわ。それで、『炊き出し』が終わったら、『志慶真ヌル様』に会いに行こうと思っていたのよ」とミサが言った。 マナビダルは『炊き出し』を手伝って、終わったあとにウクとママキ、ミサと一緒に志慶真村に行った。 志慶真村でも戦の準備をしていた。兵たちは大きな石や太い丸太を『志慶真曲輪』に運び入れていた。 村の人たちは志慶真曲輪に避難できるが、敵の弓矢は飛んで来るし、敵の夜襲を恐れて夜も眠れない。戦が長引けば疲労は溜まるし、精神的にも参ってしまう。頼れる者がいる人たちは荷物をまとめて村から出て行こうとしていた。 『志慶真ヌル』は女子サムレーの格好で、村から出て行く人たちの荷物をまとめる手伝いをしていた。マナビダルたちはそんな『志慶真ヌル』を見て、どこが『神様』なんだろうと首を傾げた。 神様でなくてもいい。『志慶真ヌル』から武芸を習おうと思って、マナビダルは志慶真ヌルに声を掛けた。 志慶真ヌルはマナビダルたちを見たが誰だかわからなかった。一緒にいたタキが教えてくれた。山北王の側室たちが訪ねて来たので、志慶真ヌルは驚いた。ヌルたちに捕まえられないので、今度は側室を送って来たのかと思った。 「わたしに何か御用ですか」 「武芸が習いたいのです」とマナビダルは言った。 「えっ?」意外な事を言われて志慶真ヌルは戸惑った。 マナビダルは強いヌルになりたいと言った。 捕まえに来たのではなさそうだと志慶真ヌルは安心した。 「あなたが『クーイの若ヌル』なのね。噂は聞いているわ」 「どんな噂ですか」とマナビダルは聞いた。 「南部にいた頃、山北王が若いヌルに惚れたっていう噂が流れたのよ。あなたがそうだったのね。今は忙しいから、朝のお祈りのあとでよかったら教えるわよ。明日、夜が明ける頃にまた来て」 「えっ、夜が明ける頃ですか」とマナビダルは驚いた。 「あなたはグスクの中にいるんでしょ。志慶真曲輪に下りてくればいいのよ」 「わかりました」とマナビダルはうなづいた。 翌日から『朝のお祈り』と『剣術の稽古』が始まった。マナビダルが朝早くから剣術の稽古を始めると言ったので攀安知は驚いた。 攀安知は毎朝、弓矢の稽古をするのが日課で、弓矢の稽古を終えて帰って来ても、まだ眠っていたマナビダルが、攀安知よりも早く起きて、娘のマナビーが着ていた袴を着けて、木剣を持って志慶真曲輪に下りて行った。侍女のカフィとイリーも木剣を持ってマナビダルに従った。 その日、『湧川大主が武装船に乗って逃げた』という噂が流れて、攀安知はカッとなった。その後、湧川大主の配下が今帰仁に来て、武装船からはずした六つの『鉄炮』を今帰仁に運ぶ途中に何者かに奪われたと知らされた。 「敵に『鉄炮』を奪われたというのか」 「『鉄炮』を奪われて、王様に顔向けができないと言って、湧川大主殿は逃げて行きました」 攀安知は怒りを抑える事ができず、湧川大主の配下を斬り捨てた。 湧川大主が逃げたという噂を聞いて、『逃亡兵』が相次いだ。攀安知は水軍の兵たちも全員、グスクを守るように命じた。勢理客ヌルの進言を聞いて、志慶真大主の兵を『外曲輪』の守備に回して、諸喜田大主と謝名大主の兵に『志慶真曲輪』を守らせる事にした。 志慶真ヌルに師事して二日目の朝、マナビダルたちが志慶真ヌルの屋敷に行くと志慶真ヌルはいなかった。タキに聞いたら、諸喜田大主が捕まえに来たので、『クボーヌムイ(クボー御嶽)』に籠もっているという。マナビダルたちは『クボーヌムイ』に行って、志慶真ヌルと一緒にお祈りをして、剣術を習った。 三日目の朝、諸喜田大主から、志慶真ヌルをウタキ(御嶽)から出してくれと頼まれたが、マナビダルは断った。 四日目の朝、剣術の稽古を終えて志慶真曲輪に戻ると攀安知が待っていた。 「どうしたのですか」とマナビダルは聞いた。 「今朝はいい気分だ。お前と散歩がしたくなったんだよ」 マナビダルは嬉しそうに笑った。 いやな事ばかりが起こって、ずっと機嫌が悪かった攀安知も、今朝は機嫌がいいようだった。 「志慶真ヌルは本当に強いのか」と攀安知は二の曲輪に向かう坂道を歩きながら、マナビダルに聞いた。 「強いだけではないわ。ヌルとしても凄い人です」とマナビダルは真面目な顔をして言った。 「わたしはヌルの娘として、ヌルになるのは当然だと思っていたの。島にいた頃のわたしはヌルというのは母と天底ヌルしか知らなかったわ。今帰仁に来て、勢理客ヌル様と今帰仁ヌル様と会ったけど、母と大して違わないと思ったわ。でも、『志慶真ヌル様』はまったく違うのよ。本物のヌルだわ。『神様』とお話ができるのよ。『クボーヌムイ』でお祈りをしている時の姿は本当に『神様』のようだわ。わたしは初めて、お師匠と呼べる人と出会ったのよ」 「なに、お前は志慶真ヌルの弟子になったのか」 「志慶真ヌル様は弟子は取らないって言ったけど、わたしはお師匠と呼んでいるわ」 「そうか。お前のお師匠なら、一度、会わなければならんな」 「お師匠はウタキから出て来ないわ」 攀安知は笑った。 「戦が終われば出て来るだろう」 「戦は勝てるの?」 「勝てるとは言えんが、敵を追い返す事はできるだろう」 「敵はいつ攻めて来るの?」 「今日、首里を出発するそうだ。早ければ明後日には敵が現れるだろう。だが、すぐには攻めて来られない。城下は焼け跡のままだからな。焼け落ちた残骸を片付けなければ『陣地』を作る事もできない。戦が始まるのは五日頃だろう。そして、十五日頃には梅雨に入る。十日間の辛抱だ。十日間で敵を痛い目に遭わせて追い返す」 「十日、我慢すればいいのね」 「そうだ。早く、梅雨になるように『神様』に祈ってくれ」 「明日からお祈りするわ」 二の曲輪に入ったマナビダルと攀安知は、『御内原』の向こうにある眺めのいい場所に行って海を眺めた。伊是名島と伊平屋島が見えた。カフィとイリーと攀安知の従者のサムレーが少し離れて、二人を見守った。 『御内原』を守っているのはテーラーだった。テーラーの兵は南部にいるので、攀安知の直属の兵五十人を率いていた。攀安知の直属の兵は百人いて、残りの五十人は『一の曲輪』を守っていた。 石垣の近くには大きな石がいくつも積んであった。石垣を登って来た敵に、その石を落とすという。 マナビダルは石垣から下を覗いてみた。凄い絶壁で、こんな所を登って来られるのだろうかと信じられなかった。 「二十五年前の戦の時、敵はここから侵入して、屋敷に火を放って、祖父(帕尼芝)を倒したんだ。あの時よりも守りを強化しているが、油断は禁物だ」 三の曲輪もよく見えた。大勢の兵たちが戦の準備をしていた。 「敵は『鉄炮』を持っている。島に帰るなら今のうちだぞ」と攀安知は言った。 「『鉄炮』って何?」とマナビダルは聞いた。 「雷のような大きな音がして、『鉄の玉』が飛んで来るんだ。人に当たれば勿論死ぬし、屋敷に当たれば屋根に大きな穴が開くだろう」 「敵はどうして、そんな恐ろしい武器を持っているの?」 「明国(中国)の海賊から手に入れた武装船に積んであったんだ。湧川大主が『鉄炮』をはずして今帰仁に運ばせたんだが、敵に奪われたんだよ」 「えっ、敵に奪われたの? 敵はもう今帰仁にいるの?」 「城下に『まるずや』があっただろう。あそこにいたのは、みんな敵だよ」 マナビダルは『まるずや』のお得意様だった。今帰仁に来た時には必ず『まるずや』に行って買い物をしていた。沖の郡島の『御殿』にある調度品も、ほとんどが『まるずや』から仕入れた物だった。『まるずや』が敵だったなんて知らなかった。 「どうして、敵が商売をしているのを放っておいたの?」 「『同盟』を結んでいたからさ。首里にも『油屋』と『材木屋』がある。お互い様だよ。そう言えば、志慶真ヌルは島添大里グスクにいたと聞いているが、『島添大里按司』の事を何か聞いていないか」 「島添大里按司の事は何も聞いていないけど、按司の妹の安須森ヌル(先代佐敷ヌル)は武芸の名人だって聞いたわ。娘のサスカサ(島添大里ヌル)も強いらしいわ」 サスカサが強いのは娘のカリン(今帰仁若ヌル)から聞いて攀安知も知っていた。 「カリンはサスカサから『武当拳』を習ったが、お前も志慶真ヌルから『武当拳』を習っているのか」 「まだよ。今は剣術の基本を習っているの。でも、『武当拳』も教えてくれるって言っていたわ」 翌朝もマナビダルは『クボーヌムイ』に行って、お祈りをしてから剣術の稽古に励んだ。 剣術の稽古を始めて七日目の正午頃、いよいよ、中山王の兵が今帰仁に来た。 攀安知は外曲輪にいるウクとママキとミサに『御内原』に戻れと言ったが、三人は聞かなかった。今帰仁ヌルの屋敷は外曲輪の『本陣』として使用するので、ヌルたちは『御内原』に移って、愛宕之子の妻と子供、シチルーの妻と子供は『中曲輪の上の客殿』に移った。 中山王の先発隊は焼け跡の残骸を片付けて、『陣地作り』に励んでいて攻めては来なかった。 四月六日、九日目の稽古が最後となった。 「中山王が攻めて来たから、明日の朝は来なくていい」と志慶真ヌルは言って、マナビダルに『武当拳の呼吸法と套路(形の稽古)』を教えてくれた。呼吸法は覚えられたが、套路は覚えられなかった。 「グスク内に『テーラー』がいるでしょ。テーラーが知っているわ。テーラーから教わりなさい」 「えっ、テーラーがどうして『武当拳』を身に付けているのですか」 「武当拳は『ヂャンサンフォン(張三豊)様』という明国の道士が編み出した武芸なの。今はもう琉球にいないけど、テーラーも南部にいた時に『ヂャンサンフォン様』から武当拳を習っているのよ」 「そうだったのですか」 稽古が終わったあと、当分、会えなくなるからと言って、志慶真ヌルはマナビダルの祖母の話をしてくれた。祖母が『今帰仁の若ヌル』だったと聞いてマナビダルは驚いた。 「どうして、お師匠はわたしの祖母の事を知っているのですか」 「『神様』から聞いたのよ。あなたのお祖母さんは『千代松様』の孫娘なの。『千代松様』が亡くなると、お祖母さんのお父さんが今帰仁按司を継ぐんだけど、『帕尼芝』に滅ぼされてしまったの。若ヌルだったお祖母さんは『沖の郡島』に流されてしまったのよ。島の長老の息子と結ばれて、お母さんが生まれて、お母さんは『クーイヌル』を継いだのよ」 「『帕尼芝』というのは今の山北王の祖父ですよね?」 「そうよ。あなたは知らないうちに、敵の孫を好きになってしまったのよ。山北王もこの事は知らないわ」 「そんなの嘘です。母からそんな話は聞いた事がありません」 「あなたのお母さんも知らない事なのよ。お祖母さんはお母さんに何も語らずに亡くなってしまったの。お母さんやあなたに『敵討ち』をさせたくなかったのでしょう」 「そんな‥‥‥」 マナビダルは呆然となっていた。 「わたしもあなたに『敵討ち』をさせるために真実を告げたわけではないのよ。あなたがこの先、『ヌル』として生きて行くには真実を知らなければならないと思ったから教えたの。真実を受け入れて、あなたはあなたらしく生きれば、それでいいのよ」 グスクに帰っても、マナビダルは『攀安知』の顔をまともに見る事はできなかった。敵だと知っていたら、決して近づいたりしなかったのにと思った。でも、出会った時の胸の高鳴りは本物だったし、今でも攀安知が好きだった。 「戦が始まるので、気分が悪くなったのか」と攀安知は心配した。 マナビダルは首を振った。 攀安知の祖父とマナビダルの祖母は敵同士でも、攀安知とマナビダルには関係ない。祖母の敵の『帕尼芝』は二十五年前の戦で戦死している。先代の中山王(武寧)が祖母の敵を討ってくれたんだとマナビダルは思い込もうとしていた。しかし、心の奥で、『敵を討ちなさい』という声も聞いていた。 四月七日の夜明け頃、戦が始まった。雷が落ちたかという大きな音でマナビダルは目を覚ました。隣りにいるはずの攀安知はいなかった。 また大きな音が鳴り響いて、『鉄炮』に違いないと思った。カフィとイリーが怯えた顔をしてマナビダルのそばに来た。 「こんな時こそ、落ち着くのよ」とマナビダルは言って、三人で『武当拳の呼吸法』をした。 『鉄炮』の音は続けて鳴っていた。 外を見ると明るくなりかかっていた。薄暗い空に『火の玉』のような物が飛んで来て、二の曲輪に落ちた。女たちの悲鳴が響き渡った。 『鉄炮』の音がやんで静かになった。 すっかり明るくなった頃、攀安知が戻って来た。 「この前の大雨で『油』が流れちまって、作戦は失敗だった」と言ったが、大して気にはしていないようだった。 『クボーヌムイ』に行けないので、マナビダルは庭に出てカフィとイリーを相手に剣術の稽古に励んだ。 その日の正午前、『鉄炮』の音がまた鳴り響いた。『鉄炮』の音はやむ事がなく、続けざまに鳴り響いた。 一の曲輪の『御殿』にも『鉄炮の玉』が落ちてきた。『鉄炮の玉』は瓦屋根を破って、天井に穴を開け、床にも穴を開けて一階へと落ちて行った。破壊された木の破片があちこちに飛び散った。どこに落ちて来るのかわからないので、逃げる事もできない。運を天に任せるしかなかった。マナビダルはカフィとイリーと一緒に『神様』に無事を祈った。 『鉄炮』の音が鳴り響いて、『鉄炮の玉』が屋敷を破壊する音が聞こえ、あちこちから悲鳴も聞こえてきた。生きた心地がしない恐ろしい時が永遠に続くと思われた。恐ろしさのあまり、いつしか、マナビダルは気を失った。 目を覚ましたマナビダルは記憶を失っていた。目の前にいる攀安知が誰だかわからず、破壊された部屋の中を見ても、ここがどこなのかわからなかった。 「恐怖のあまり、おかしくなってしまったのか」と攀安知はマナビダルを見ながら目を潤ませていた。 攀安知はマナビダルを抱きしめて、「すまなかった」と謝った。 「戦が始まる前に、お前を島に帰すべきだった」 島というのが『沖の郡島』の事だとわかったが、自分が今、どこで何をしているのかわからなかった。 その頃、『クボーヌムイ』の山頂近くで、志慶真ヌルがシンシン(杏杏)、ナナ、タマ(東松田若ヌル)と一緒に『マジムン(悪霊)退治』をしていた。大きな力を持った『マジムン』ではないので、すぐに退治ができた。 『マジムン』は『マナビダルの祖母』だった。祖母は帕尼芝に対する恨みを娘に伝える事なく、一人で抱えたまま亡くなった。亡くなったあとも、その怨念が消える事はなく、『マジムン』になってしまい、孫のマナビダルに取り憑いた。 志慶真ヌルはマナビダルに『マジムン』が取り憑いている事を知り、素直で可愛い娘なので、『マジムン』を取り払ってやろうと思っていた。ササと一緒に『スムチナムイのマジムン』を退治したシンシン、ナナ、タマの三人が来たので、一緒に『マジムン退治』をしたのだった。 マナビダルはカフィとイリーから話を聞いて、自分が山北王の側室として今帰仁グスクにいると聞いて驚いた。カフィとイリーは島の娘なので記憶にあったが、山北王と出会った記憶はなかった。 『自分らしく生きなさい』という声が心の奥で聞こえたが、誰の声なのかわからなかった。毎朝、『クボーヌムイ』に通って、剣術の稽古をしていたというが覚えていない。ただ、木剣を握ると体は剣術の稽古をしていた事を覚えていた。
マナビダルが気を失った時の総攻撃で、中山王は百発以上の『鉄炮の玉』を今帰仁グスクに撃ち込んだ。 一の曲輪の『御殿』に当たった玉は九発で、屋根には穴が開き、部屋の中は砕けた瓦や木の破片が飛び散っていてメチャメチャになっていた。二人の侍女が亡くなって、六人の兵が戦死した。 『二の曲輪』でも三人の役人、二人の侍女、三人の城女が亡くなり、『御内原』では侍女一人が亡くなって、側室の『パク』が大怪我を負った。『鉄炮の玉』が落ちる中、ウタキでお祈りを続けていた『今帰仁ヌル』が、鉄炮の玉で砕けた『岩の破片』が刺さって亡くなった。 二つの客殿がある『中曲輪』では、上の客殿に避難していた重臣の家族が二人亡くなって、負傷兵の治療をするために下の客殿で待機していた侍女が一人亡くなった。守備兵も二人戦死した。 『三の曲輪』と『外曲輪』では十人の兵が戦死して、二十人以上が負傷していた。 『三の曲輪』で指揮を執っていた攀安知は、『今帰仁ヌル』の死を聞いて、慌てて『御内原』に行った。大きな岩の破片が腹に刺さっていて、無残な死だった。 「お姉!」と叫びながら攀安知は岩の破片を抜き取った。暖かい血が噴き出してきて攀安知の鎧を真っ赤に染めた。 攀安知はぐったりしている姉を抱きしめながら大声で泣いた。 本部の海辺で遊んでいた幼い頃が思い出された。しっかり者の姉はいつも、弟や妹の面倒を見ていた。ヌルにならなければ、どこかに嫁いで、子供を育てて幸せに暮らしていただろう。何年か前に、わたしも子供が欲しかったわと言った時の寂しそうな顔が思い出されて、余計に切なくなっていた。 姉の死に茫然自失となった攀安知が一の曲輪の『御殿』に行くと、マナビダルが気を失っていて、気がついたマナビダルは攀安知の事を忘れていた。
午後になって、また『鉄炮』の音が鳴り響いて、恐怖の時が流れた。 どうして自分が戦の真っただ中にいるのか理解できず、夢なら早く覚めてくれとマナビダルは祈った。 祈りのお陰か、『鉄炮』の音がやんだ。一の曲輪の『御殿』に落ちたのは二発だけだった。それでも、一人の侍女が亡くなっていた。 『鉄炮』がやんだのは、下間大主と具志堅大主が馬に乗って外曲輪から外に攻めて行ったからだった。その後、二十人の騎馬武者が外に出て暴れ回った。勝連按司と越来按司が『罠』にはまって、外曲輪に入って来た。勝連按司と越来按司は倒したが、敵兵の侵入を許してしまい、乱戦の末に『外曲輪』を奪われてしまう。 外曲輪が落ちるのは想定済み、外曲輪が奪われたとしても、今帰仁グスクが攻め落とされる事はないと攀安知は強気で兵たちを鼓舞したが、たった一日で『外曲輪』を奪われるなんて思ってもいなかった。やはり、敵に奪われた『鉄炮』の威力は大きかった。戦が終わったら『湧川大主』を捕まえて、戦死した者たちのためにも、みんなが見ている前で殺して、『さらし首』にしてやると心に誓った。 『外曲輪』を奪い取った敵は、戦死した兵たちを片付けて『陣地作り』をしているので、当分は攻めて来ないだろうと攀安知は一の曲輪に戻った。 マナビダルは侍女たちと一緒に部屋の中を片付けていた。天井には穴が開き、床にも穴が開いて惨めなものだった。攀安知に気づいたマナビダルはニコッと笑った。 「マナビダル、俺の事を思い出したんだな」と言って、攀安知はマナビダルに近づいた。 マナビダルは首を振った。 「思い出せませんが、わたしが王様に大切にされている事はわかりました」 「そうか。焦る事はない。少しづつ思い出していけばいい」 攀安知は翌朝までマナビダルと一緒にいた。亡くなった姉との思い出話やマナビダルと出会ってからの事も順を追って話してくれた。思い出す事はできなかったが、二年前に攀安知と出会ってから、その後の自分が幸せだった事は充分にわかった。『沖の郡島』にあるという立派な『御殿』を早く見てみたいと思った。 戦の指揮で疲れていたのか、攀安知は熟睡した。攀安知の寝顔を見ながら、マナビダルは今のこの状況を受け入れようと思っていた。 夜明け前に目を覚ますと攀安知はいなかった。『鉄炮』の音は聞こえないが、外は騒がしく、どこかで戦が始まっているようだった。 夜が明けた頃、攀安知が来て、『志慶真曲輪』を敵に奪われたと悔しそうに言って、また、どこかに行った。 しばらくして、『鉄炮』の音が鳴り響いた。一の曲輪の御殿にも『鉄炮の玉』がいくつも落ちてきた。マナビダルはカフィとイリーと抱き合って、『鉄炮』がやむのをじっと待っているしかなかった。三人のすぐ近くに『鉄炮の玉』が落ちてきて、天井から瓦も落ちてきた。 「ギャー!」とイリーが悲鳴を上げた。 飾ってあった綺麗な壺に『鉄炮の玉』が当たって、壺が壊れて、その破片がイリーの背中に刺さっていた。 「イリー!」とマナビダルは叫んだ。 イリーは何かを言おうとしたが、言葉にはならず、口から血を流して、ガクッとなった。 マナビダルとカフィは、イリーの名を呼びながら泣いていた。 いつの間にか『鉄炮』の音は聞こえなくなっていた。『鉄炮』によって屋敷が破壊されて、亡くなる人もいるが、自分だけは大丈夫だと思っていたマナビダルも、イリーの死によって、自分の死を自覚しないわけにはいかなくなった。この状況が続けば、自分が死ぬのも時間の問題だと思った。 『自分らしく生きなさい』という声がまた聞こえた。その声が『志慶真ヌル』の声だとカフィとイリーから知らされたが、『志慶真ヌル』も思い出せなかった。ところが、志慶真ヌルから聞いた『祖母の話』が急に思い出された。 正午頃、攀安知がやって来て、亡くなったイリーの遺体を兵たちが運んでいった。 「壺なんか置いておくんじゃなかった」と攀安知がポツリと言った。 部屋の中は破壊された残骸が散らばっていたが片付ける気力もなかった。 「敵の『鉄炮の玉』はなくなったはずだ。もう大丈夫だよ」 「『鉄炮の玉』はもう飛んで来ないのですね」とマナビダルは言って、天井を見上げた。 大きな穴が開いていて、雨が降ってきたら大変だろうと思った。 マナビダルは志慶真ヌルから聞いた『祖母の話』を攀安知に話した。 「なに、お前の祖母は『今帰仁若ヌル』だったのか」と攀安知は驚いた。 「志慶真ヌル様からその話を聞いたのは最後のお稽古の日で、わたしも初めて知って驚きました」 「俺の祖父はお前の祖母にとって『敵』だったんだな」と攀安知は苦笑した。 「敵同士の俺とお前は結ばれた。皮肉なもんだな」 「わたしが嫌いになりましたか」 攀安知は笑った。 「お前が誰だろうと関係ないよ。俺はお前に惚れたんだ。悔いはない」 「まだ記憶は戻らないけど、わたしも王様が好きです」 攀安知はマナビダルを抱きしめた。 次の日、四月九日は『鉄炮』の音はしなかった。戦は続いているが、一の曲輪まで及ぶ事はなく、マナビダルはカフィと一緒に部屋の片付けをしていた。 「『志慶真の兵たち』が裏切った」と攀安知は悔しそうにマナビダルに言った。 「『リュウイン(劉瑛)』の弟子たちが活躍してくれたから大丈夫だ」とも言って、マナビダルを安心させた。 翌日の朝、また『鉄炮』の音が鳴り響いた。『鉄炮の玉』がまだあった事に驚き、また恐怖に包まれたが、『一の曲輪』に飛んで来る事はなかった。 その日、『三の曲輪』が敵に奪われた。激戦の末、多くの兵が戦死した。敵は『抜け穴』から侵入して来たという。どうして、中山王が『抜け穴』の事を知っているのか攀安知には理解できなかった。 攀安知が『抜け穴』の事を志慶真の長老から聞いて、それを調べたのは十年近くも前だった。内密に探させたが見つからず、祖父が埋めてしまったのだろうと思って、その後、『抜け穴』の事など口に出した事もない。『抜け穴』の事を知っているのは湧川大主だけだった。 湧川大主も中山王に寝返ったのか‥‥‥ いや、長老から『抜け穴』の事を聞いた時、『クン』も一緒にいた。もしかしたら、『クン』が裏切って国頭按司に『抜け穴』の事を教えたのか‥‥‥今となってはあとの祭りだった。 攀安知は無理に強がって、あと五日の我慢だとマナビダルに言った。あと五日持ち堪えれば、梅雨が来て、敵は逃げて行く。 四月十一日、辰の刻(午前八時)頃から『鉄炮』の音が鳴り響いた。『一の曲輪』にも飛んで来た。マナビダルはカフィと抱き合って、恐怖の時が過ぎるのを待った。 何かが崩れる大きな音がして、天井から太い柱が落ちてきた。太い柱はマナビダルとカフィを押しつぶした。 マナビダルは血だらけになった顔で微笑みながら、「王様、ありがとう」と言って息を引き取った。 |
今帰仁グスク
クボーヌムイ