1147年 |
|
モンゴル支配下の遼東(遼寧省)に生まれる。字は君宝、幼名は全一。 |
1歳 |
1251年 |
|
目の病気に罹り、なかなか治らず失明寸前になる。 |
5歳 |
|
|
碧落宮の張雲庵(白山上人)に目の治療してもらう。 |
|
1252年 |
|
張雲庵の弟子になり、碧落宮で道教の経典と武術を修行する。 |
6歳 |
1259年 |
|
張雲庵と別れ、河南省の嵩山少林寺で修行する。 |
13歳 |
|
|
宋攻撃中にモンケが崩御。モンゴル軍は引き上げてクビライとアリクブケの継承争いとなる。 |
|
1264年 |
|
クビライが正式に皇位を継ぐ。 |
18歳 |
1266年 |
|
両親が亡くなり、修道の道を求める旅に出る。 |
20歳 |
|
|
各地の名山を遍歴する。 |
|
1271年 |
|
クビライが元を建国。 |
25歳 |
1274年 |
|
クビライが倭国を攻める(元寇)。 |
28歳 |
1275年 |
|
全真の道士汪真常が6人の弟子を連れて武当山に入り武当派開山として宗旨を伝える。 |
29歳 |
|
|
紫霄宮と五龍宮が再建される。 |
|
1276年 |
|
首都臨安(杭州)が無血開城し、南宋が滅びる。 |
30歳 |
|
|
陝西省の宝鶏山中に隠居。その山の三つの峰がつながっていたので、「三峰居士」という号を名乗るが、後に「三豊」に変える。 |
|
|
|
クビライが正一道の第36代天師張宗演を江南道場の首領にする。 |
|
1279年 |
|
クビライが南宋の残党を崖山の戦いで滅ぼし、中国統一を果たす。 |
33歳 |
|
|
この頃、汪真常によって武当山南岩の天乙真慶宮が建てられる。 |
|
1281年 |
|
クビライが再び、倭国を攻める(元寇)。 |
35歳 |
1284年 |
|
張守清が武当山にて修行を積む。 |
38歳 |
1285年 |
|
張守清の師、魯洞雲 (汪真常の弟子)が亡くなる。 |
39歳 |
1294年 |
|
クビライ、死す。孫のテムルが跡を継ぐ。 |
48歳 |
1300年 |
|
海賊の船に乗ってヤマトゥの博多に行く。 |
54歳 |
1304年 |
|
元朝が倭寇を警戒して海禁令を発布する。 |
58歳 |
1307年 |
|
テムル、死す。 |
61歳 |
1310年 |
|
この頃、張守清によって武当山の南岩宮が造営される。 |
64歳 |
1311年 |
|
海賊の船に乗って元に帰る。 |
65歳 |
1313年 |
|
陝西省の終南山で火竜真人と出会い、金丹大道の修煉法(不老長寿の術)を教えてもらう。 |
67歳 |
1314年 |
|
張守清が皇帝より「体玄妙位太和真人」の名を授かる。 |
68歳 |
1317年 |
|
火竜真人から「辰砂点化法」の秘訣を伝授されて山から降り、俗世間に戻って修煉する。 |
71歳 |
|
|
各地を遍歴し、名山の古刹を行き来して、様々な人物と交遊し、拳法や煉丹法を伝授する。 |
|
1323年 |
|
武当山の麓の玉虚宮で武当剣、武当拳の研究に没頭する。 |
77歳 |
|
|
この頃、武当山に紫霄宮、南岩宮、天乙真慶宮、五龍宮、玉虚宮があった。 |
|
|
|
9年間密かに修煉し、成就して仙人の道を得ることが出来る。 |
|
|
|
胡旭(フーシュ)を弟子にする。 |
|
1325年 |
|
正一道の第39代天師張嗣成が全国の道教事務を総括する権限を与えられる。 |
79歳 |
1332年 |
|
胡旭を残して武当山を下りる。 |
86歳 |
1338年 |
|
白蓮教が反乱を起こすが鎮圧される。 |
92歳 |
1348年 |
|
方国珍が浙江、福建で海賊を行ない、元の輸送船を襲い始める。 |
102歳 |
1351年 |
|
白蓮教の教祖韓山童が北宋徽宗の末裔を名乗り、河南で黄河の土木工事に従事していた人夫たちを扇動して反乱を企てたが、挙兵直前に発覚して韓山童は処刑される。 |
105歳 |
|
|
湖北で僧侶彭榮玉に祭り上げられた徐寿輝が皇帝を名乗り、国号を天完、年号を治平とする。 |
|
1353年 |
|
張士誠が挙兵し、泰州を落として参政の趙璉を殺害し、更に興化、高郵など江北の要地を占領する。 |
107歳 |
|
|
孤児となった徐鳴軍(シュミンジュン)を拾って武当山に行く。 |
|
1354年 |
|
張士誠が誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定める。 |
108歳 |
1355年 |
|
韓山童の息子韓林児が小明王を名乗り、国号を宋、年号を龍鳳とする。 |
109歳 |
1356年 |
|
張士誠が江南の経済と文化の中心地である平江路(現在の江蘇省蘇州)を占領し、隆平府と改めて国都に定める。 |
110歳 |
|
|
朱元璋が集慶路(現在の南京)を占領して応天府と改める。 |
|
1357年 |
|
張士誠は水軍を用いて朱元璋、楊完者を攻撃したが、成果を得られず。 |
111歳 |
1359年 |
|
徐寿輝は部下の陳友諒に殺害され、陳友諒が皇帝を名乗る。大漢皇帝を称した陳友諒は湖北から江西にかけての一帯を勢力に収める。 |
113歳 |
|
|
この頃、武当山が破壊される。
武当山に戻り、弟子たちに逃げるように説得する。
弟子の飛馬(フェイマー)がヤマトゥに行く。 |
|
1360年 |
|
陳友諒が朱元璋側の拠点である太平を攻め落とし応天府に迫る。しかし敵将康茂才の偽りの降伏を信じて応天府の攻撃を急ぐあまり、朱元璋軍の反撃を受けて敗北する。 |
114歳 |
1363年 |
|
陳友諒は数百隻の大船団を率いて鄱陽湖で朱元璋軍と決戦したが(鄱陽湖の戦い)、火攻めをうけて水軍は壊滅し、陳友諒自身も矢を受けて、弟の陳友仁と共に敗死する。 |
117歳 |
1366年 |
|
朱元璋の軍勢が張士誠の本拠地である隆平府を包囲する。 |
120歳 |
1367年 |
|
張士誠が朱元璋に敗れる。 |
121歳 |
1368年 |
|
朱元璋が明を建国する。 |
122歳 |
|
|
元朝が滅び明朝になってから、蜀(四川)の太和山の玉虚庵に移って、山の麓の藁小屋で修行を続ける。 |
|
|
|
洪武帝が龍虎山(正一道)の第42代天師張正常に全国の道教を管理させる。 |
|
1370年 |
|
武当山に戻り、山麓に庵を建てて住む。
この時、武当山は破壊されて無残な姿をさらしている。
ヤマトゥから帰って来た飛馬(フェイマー)から鞍馬山の小僧(慈恩)の事を聞く。 |
124歳 |
1371年 |
|
全真道の伝法者丘元清(雲谷)が武当山に来て張三豊の弟子となり五龍宮に住持する。 |
125歳 |
|
|
孫碧雲が張三豊の弟子になる。 |
|
1376年 |
|
一度息を引き取るが、埋葬される段階でまた生き返る。 |
130歳 |
1378年 |
|
胡旭が武当山に帰ってくる。 |
132歳 |
1380年 |
|
胡旭、武当山で亡くなる。 |
134歳 |
1383年 |
|
明の洪武帝(朱元璋)から招聘されるが辞退する。 |
137歳 |
|
|
武当山を去り、旅に出る。旅の途中で孤児の梁威を拾う。 |
|
1386年 |
|
応天府に行き、懐機(12)と出会い、師となる。 |
140歳 |
1390年 |
|
孫碧雲が朝天宮を再建する。 |
144歳 |
1391年 |
|
懐機(17)を連れて武当山と龍虎山に行く。 |
145歳 |
1393年 |
|
弟子の丘元清が亡くなる。盧秋雲が跡を継いで五龍宮を守る。 |
147歳 |
1394年 |
|
弟子の孫碧雲が洪武帝と会う。孫碧雲は朝天宮の住持となる。 |
148歳 |
1395年 |
|
洪武帝は全国の僧侶、道士に試験を行い、不合格者は資格を剥奪する。 |
149歳 |
|
|
懐機の妹懐虹が弟子の梁威に嫁ぐ。 |
|
1398年 |
6月 |
洪武帝が亡くなり、物騒な世になってきたので懐虹夫婦を連れて武当山に戻る。 |
152歳 |
1399年 |
|
孤児のシンシン(10)を助けて、懐虹夫婦に預ける。 |
153歳 |
1402年 |
|
シンシンを弟子にする。 |
156歳 |
|
8月 |
永楽帝が即位する。 |
|
1407年 |
2月 |
永楽帝の配下が張三豊を探しに来たので、皆に内緒で山を下りる。 |
161歳 |
|
4月 |
南陽で懐機と再会し、サハチとウニタキと出会う。
武当山に行き、サハチたちに一か月の修行をさせる。 |
|
|
7月 |
三姉妹の船に乗って琉球に行く。 |
|
|
8月 |
シンシン、ジクー禅師、サグルー、ササを連れて琉球一周の旅に出る。 |
|
1408年 |
3月 |
思紹のお輿に乗って久高島参詣に行く。襲撃を受け、敵を倒す。 |
162歳 |
|
5月 |
サハチと一緒にハーリーを見に行き、ンマムイと出会う。 |
|
|
|
マチルギたちと一緒にヤマトゥ旅に出る。 |
|
|
8月 |
対馬の山の中で一か月の修行。
ヒューガ、修理亮、馬天ヌル、ササ、シンシン、シズ、イスケが参加。 |
|
1409年 |
1月 |
ヤマトゥ旅から帰る。 |
163歳 |
|
|
阿波根のガマで一か月の修行。
ンマムイ、修理亮、阿波根の武芸者たちが参加。 |
|
|
3月 |
久高島参詣に行く。 |
|
|
閏3月 |
サグルーとヤールーが一か月の修行。 |
|
|
4月 |
サハチたちと一緒に京都と朝鮮の旅に出る。 |
|
|
6月 |
鞍馬山で高橋殿の3日間の修行。 |
|
|
11月 |
博多で弟子のシュミンジュンと再会。 |
|
|
12月 |
ヤマトゥ朝鮮旅から帰る。 |
|
|
|
与那原グスク内の運玉森ヌルの屋敷で暮らす。 |
|
1410年 |
2月 |
久米村からヤンジン(楊進)が訪ねて来て弟子になる。 |
164歳 |
|
3月 |
久高島参詣に行く。 |
|
|
|
進貢船に乗って思紹と一緒に明国に行く。 |
|
|
4月 |
杭州西湖に着き、メイファンとメイリンと会う。 |
|
|
5月 |
西湖を離れて、海賊の島に行く。 |
|
|
6月 |
武当山に登り、思紹に一か月の修行。 |
|
|
7月 |
武当山に登ると弟子たちが大勢集まっていて、弟子たちに挨拶をする。 |
|
|
8月 |
華山に登る。 |
|
|
10月 |
明国から帰国する。 |
|
|
11月 |
新グスクのガマで一か月の修行。
テーラー、ンマムイ、サスカサ、シビー、チヌムイ、八重瀬若ヌル、糸数按司の三女カヤー、玉グスクのウミタル、マウミ、武芸者たちが参加。 |
|
|
12月 |
旅芸人たちが一か月の修行。 |
|
|
|
飯篠修理亮が慈恩禅師と二階堂右馬助を琉球に連れて来る。 |
|
1411年 |
3月 |
久高島参詣に行く。 |
165歳 |
|
|
与那原で一か月の修行。慈恩禅師、右馬助が参加。 |
|
|
4月 |
与那原で一か月の修行。佐敷ヌル、ユリ、シビー、右馬助が参加。 |
|
|
6月 |
ナーサとマユミ、小渡ヌルが一か月の修行。 |
|
|
7月 |
三姉妹が来る。リュウジャジンとジォンダオウェンを指導する。 |
|
|
8月 |
メイユー、リェンリー、ユンロン、スーヨン、一か月の修行。 |
|
|
12月 |
交易船がジャワの船を連れて来る。「会同館」で歓迎の宴。 |
|
1412年 |
1月 |
スヒター、シャーニ、ラーマ、ナナ、一か月の修行。 |
166歳 |
|
3月 |
久高島参詣に行く。 |
|
|
4月 |
イハチ、チミー、チューマチ、マナビーと侍女たち、マグルー、一か月の修行。 |
|
|
5月 |
馬天ヌルと一緒にヤンバルの旅に出る。 |
|
|
|
湧川大主と勢理客ヌルが10日間の修行。 |
|
|
6月 |
ヤンバルの旅から帰る。 |
|
|
|
奥間ヌル、麦屋ヌル、浦添ヌル、東松田の若ヌル、カミー、一か月の修行。 |
|
|
7月 |
三姉妹がソンウェイを連れて来る。ソンウェイが弟子になる。 |
|
|
|
台風で与那原が被害に遭う。 |
|
|
8月 |
島添大里グスクで十五夜の宴。 |
|
|
|
ソンウェイが一か月の修行。 |
|
|
12月 |
交易船がパレンバンの船を連れて帰国。会同館で歓迎の宴。 |
|
|
|
永楽帝はこれより12年間、毎日30万人を動員して武当山の道観を大修復する。 |
|
1413年 |
2月 |
「宇久真」でパレンバンの使者たちの送別の宴。 |
167歳 |
|
|
サタルーとシングルーが一か月の修行。 |
|
|
7月 |
ヌルたちの安須森参詣に従う。右馬助も行く。 |
|
|
|
三姉妹の船とパレンバンの船が来る。 |
|
|
|
シーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュンが一か月の修行。 |
|
|
8月 |
ジャワの船が来る。那覇館で歓迎の宴。 |
|
|
|
首里グスクで十五夜の宴。 |
|
|
10月 |
山南王シタルーがチヌムイに殺される。 |
|
|
11月 |
与那原大親のマタルーが八重瀬按司になり、八重瀬グスクに引っ越しする。
サグルーが与那原大親になり、与那原グスクに入る。 |
|
|
12月 |
サハチが玻名グスクを攻める。 |
|
1414年 |
2月 |
ササたちと一緒にヤンバルの旅に出る。右馬助も行く。 |
168歳 |
|
3月 |
ヤンバルの旅から帰る。
愛洲次郎たち、ルクルジルーたちが与那原で修行する。 |
|
|
|
島尻大里グスクが落城。他魯毎が山南王になる。 |
|
|
|
シングルー、ファイリン、マチルー、ミヨン、ウニタルが一か月の修行。 |
|
|
|
山グスクが落城。 |
|
|
4月 |
久高島参詣。 |
|
|
|
ササの四人の弟子とマユが一か月の修行を終える。
運玉森ヌルを連れて山グスクに移る。
運玉森ヌルは、ササに運玉森ヌルを譲り、山グスクヌルを名のる。 |
|
|
5月 |
慈恩寺が完成。 |
|
|
7月 |
ヌルたちの安須森参詣に従う。 |
|
|
|
玻名グスクヌルが一か月の修行を始める。 |
|
|
|
三姉妹の船が旧港とジャワの船を連れて来る。 |
|
|
|
山グスクに来たリューインと会う。 |
|
|
8月 |
与那原グスクのお祭りで「武当山の仙人」が上演される。 |
|
|
|
首里グスクで十五夜の宴。 |
|
|
|
右馬助は島添大里の十五夜の宴に行き、大里ヌルと出会う。
右馬助は大里ヌルと久高島に行く。 |
|
|
9月 |
ササたちが南の島を探しに旅立つ。 |
|
|
|
平田のお祭りに行き、サハチに琉球を去る事を告げる。 |
|
|
|
山グスクに来た慈恩禅師から、すべてを教えてくれと頼まれる。 |
|
|
|
山グスクヌルを連れて、慈恩寺に移る。 |
|
|
10月 |
馬天浜のお祭りに弟子たちが集まり、師匠との別れを惜しむ。 |
|
|
|
三姉妹の船に乗って明国に帰り、ムラカ(マラッカ)に行く。 |
|