1376年 |
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本部に生まれる。 祖父は本部大主ミンの後見役の瀬底大主。父はサムレーの瀬底之子。
ミンの長男ハーンと同い年で幼い頃から一緒に育つ。 |
1歳 |
1385年 |
1月 |
ヤマトゥの山伏、アタグ(愛宕)が本部に来る。 |
10歳 |
1386年 |
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ハーンと一緒にアタグから武術を習い始める。 |
11歳 |
1390年 |
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師のアタグ、ハーンと一緒に琉球を旅する。 |
15歳 |
1391年 |
4月 |
今帰仁合戦。ハーンと共に初陣を飾る。
山北王が殺され、ハーンの父ミンが山北王になる。
家族と一緒に今帰仁に移り、父はサムレー大将になる。 |
16歳 |
1392年 |
4月 |
進貢船の使者を務めた李仲が家族を連れて今帰仁を離れる。 |
17歳 |
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10月 |
祖父(64)が亡くなり、父が瀬底大主を継ぎ、テーラーは父の名を継いで瀬底之子を名乗る。 |
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1393年 |
5月 |
ハーンとジルータと一緒にヤマトゥ旅に行く。 |
18歳 |
1394年 |
3月 |
中山王と同盟するため、ハーンの妹マハニが浦添に嫁ぐ。
ハーンが武寧の娘マアサを妻に迎える。 |
19歳 |
1395年 |
3月 |
山北王が病死し、ハーンが攀安知の名で山北王になる。 |
20歳 |
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4月 |
奥間の娘ウクが山北王の側室になる。密かに憧れる。 |
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7月 |
謝名大主の娘、シマを妻に迎える。 |
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10月 |
中山王察度が亡くなり、武寧が中山王になる。 |
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攀安知と一緒に浮島で行われた葬儀に参加する。
葬儀の後の宴席で、山南王と長男の豊見グスク按司に会う。 |
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1396年 |
5月 |
攀安知と一緒に与論島を攻め取る。 |
21歳 |
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11月 |
中山王の進貢船に便乗して、使者の護衛兵として明国に行く。 |
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1397年 |
4月 |
妻が流産する。 |
22歳 |
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5月 |
明国から帰国。 |
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1398年 |
10月 |
下賜された進貢船に乗り、使者の護衛兵として明国に行く。
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23歳 |
1399年 |
3月 |
出産に失敗して、妻が亡くなる。 |
24歳 |
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5月 |
洪武帝死後の内乱が続き、応天府まで行けずに泉州から帰国する。 |
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1402年 |
1月 |
父が隠居し、父の跡を継いでサムレー大将になる。 |
27歳 |
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12月 |
進貢船に乗って、サムレー大将として明国に行く。
攀安知の弟サンルータの護衛役として、真喜屋之子が明国に行く。 |
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1403年 |
6月 |
明国から帰国。 |
28歳 |
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真喜屋之子が配下になる。 |
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1404年 |
1月 |
進貢船に乗って、サムレー大将として明国に行く。 |
29歳 |
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6月 |
明国から帰国。 |
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1405年 |
2月 |
進貢船に乗って、サムレー大将として明国に行く。 |
30歳 |
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5月 |
本場のハーリーを見る。 |
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7月 |
明国から帰国。 |
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10月 |
進貢船に乗って、サムレー大将として明国に行く。 |
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1406年 |
2月 |
中山王の武寧が殺され、思紹が中山王になる。 |
31歳 |
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5月 |
明国から帰国。 |
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真喜屋之子が攀安知の弟サンルータを殺してヤマトゥに逃げる。 |
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6月 |
混乱に乗じて硫黄鳥島を奪い取ろうとして失敗する。 |
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1407年 |
3月 |
後妻(夫は硫黄鳥島で戦死する)を迎える。 |
32歳 |
1408年 |
5月 |
攀安知と一緒に進貢船に乗って徳之島を攻める。 |
33歳 |
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9月 |
長男、ケンケン生まれる。 |
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12月 |
徳之島を平定して帰る。 |
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1409年 |
5月 |
湧川大主(ジルータ)と一緒に奄美大島を攻める。 |
34歳 |
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加計呂麻島の諸鈍の小松殿から、初代今帰仁按司は平維盛だと聞く。 |
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12月 |
奄美大島の北半分を平定して帰る。 |
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1410年 |
4月 |
攀安知の側室ウクに手を出して謹慎となり、本部に帰る。 |
35歳 |
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5月 |
叔父の本部大主が奄美大島攻めに行く。 |
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6月 |
マハニが家族を連れて本部に来て、再会を喜ぶ。
マハニの夫のンマムイと会う。 |
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10月 |
攀安知が山南王と同盟し、山南王の三男グルムイに嫁ぐ攀安知の娘マサキを連れて島尻大里グスクに行く。
今帰仁にいたマハニと子供たちを連れて帰る。
婚礼の宴席で山南王のシタルー、李仲按司と会う。 |
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グルムイは保栄茂グスクに入り、保栄茂按司を名乗る。 |
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山南王から城下の屋敷を与えられ、南部の状況を調べるため、夏まで滞在する。 |
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マハニの家族が阿波根グスクから消えて、新グスクに移る。 |
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ンマムイと一緒に首里の会同館に行き、進貢船の帰国祝いの宴に出て、張三豊と会う。
首里の遊女屋「宇久真」で、張三豊の弟子たちと一緒に飲む。 |
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11月 |
新グスクのガマでンマムイたちと一緒に張三豊の一か月の修行を積む。
一緒に修行したのはンマムイの娘マウミ、サスカサ、シビー、タブチの息子チヌムイ、八重瀬若ヌル、玉グスクのウミタル、糸数のカヤー。 |
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本部大主が奄美平定に失敗して戦死する。 |
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攀安知が奄美大島攻め失敗の腹いせに伊平屋島を攻める。 |
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1411年 |
1月 |
知名大主が山北王の兵を率いて来て、マサキを守るために保栄茂グスクに入る。 |
36歳 |
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3月 |
長女、リンリンが本部で生まれる。 |
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4月 |
南風原にンマムイの新しいグスクが完成する。 |
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5月 |
稽古に励んだ甲斐があって、ハーリーで山北王の龍舟が優勝する。 |
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中山王に与論島を奪われる。 |
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中山王思紹と会い、山北王の書状を渡し、返事を持って今帰仁に帰る。 |
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山北王と中山王の同盟。 |
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山南王も中山王と同盟して三王同盟になる。 |
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新しい奄美按司と一緒に奄美大島攻めに向かう。 |
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6月 |
奄美大島南部の勝浦でクユー一族の女首長と会い、話をまとめる。 |
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12月 |
奄美大島を平定して帰る。 |
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1412年 |
2月 |
攀安知の次女マナビーが島添大里按司(サハチ)の四男チューマツに嫁ぐ。 マナビーの護衛役として浮島に行き、ンマムイと再会する。
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37歳 |
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首里グスクの婚礼に参加し、祝宴にも参加する。 |
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3月 |
志慶真の長老が亡くなり、ンマムイ夫婦とチューマチ夫婦を連れて今帰仁に行く。 |
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4月 |
南部に戻りハーリーの稽古を始める。 |
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5月 |
ハーリー。優勝したのは山南王の龍舟。 |
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前与論按司父子が鬼界島攻めに向かう。 |
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ウタキ巡りの旅で本部に行った馬天ヌルが妹の本部ヌルと会う。 |
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6月 |
山伏姿になって中部の情勢を調べる。
勝連でウタキ巡りの旅をしている馬天ヌルと会う。 |
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12月 |
前与論按司が鬼界島攻めに失敗して帰る。
幼なじみのサムレー大将の備瀬大主の戦死を悲しむ。 |
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1413年 |
2月 |
首里グスクのお祭りにンマムイ夫婦と一緒に行く。 |
38歳 |
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7月 |
湧川大主が諸喜田大主と武装船に乗って鬼界島を攻める。 |
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10月 |
八重瀬按司の息子チヌムイが山南王を殺し、八重瀬按司が島尻大里グスクに入り達勃期の名で山南王になる。 |
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達勃期と豊見グスク按司タルムイの家督争いが始まる。 |
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豊見グスクに逃げた山南王妃の書状を持って今帰仁に行く。 |
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保栄茂按司夫婦と一緒に豊見グスクに移る。 |
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11月 |
進貢船の正使として明国に行った李仲按司が帰って来て、タルムイの軍師になる。 |
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豊見グスク攻めに失敗した達勃期が山南王を諦めて島尻大里グスクから出て行く。 |
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前米須按司が摩文仁の名で山南王になる。 |
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島添大里按司が八重瀬グスクを攻め落とす。 |
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豊見グスクに達勃期と八重瀬按司とチヌムイの焼けただれた首が島添大里按司から送られてくる。 |
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島添大里按司が具志頭グスクを開城させる。 |
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12月 |
保栄茂按司と一緒に保栄茂グスクに戻る。 |
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李仲按司と相談して豊見グスクと保栄茂グスクの中程に、テーラーグスクを築き始める。 |
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湧川大主が鬼界島を占領して帰る。鬼界按司は国頭按司の次男。 |
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1414年 |
1月 |
鬼界島の鬼界按司が全滅する。 |
39歳 |
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諸喜田大主が山北王の兵を率いて南部に来て、保栄茂グスクの北西の座安森に本陣を敷く。 |
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2月 |
島添大里按司が玻名グスクを攻め落とす。 |
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今帰仁で父(63)が亡くなる。 |
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3月 |
山北王の総大将としてタルムイと一緒に島尻大里グスクを攻め落とす。 |
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摩文仁が戦死して、タルムイが他魯毎の名で山南王になる。
他魯毎を助けた見返りとして、山北王の若按司ミンを山南王の世子にして、島添大里のミーグスクにいる仲尾大主が山南王の重臣になる。 |
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今帰仁に帰り戦況を報告して、亡くなった父の名を継いで瀬底大主を名乗る。 |
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5月 |
湧川大主の妻が亡くなり、鬼界島攻めは来年に延期になる。 |
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10月 |
馬天浜の張三豊の送別のお祭りにンマムイと一緒に参加する。 |
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張三豊が山グスクヌルと二階堂右馬助を連れて琉球を去る。 |
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11月 |
ウニタキが旅芸人を連れてテーラーグスクの城下に来て、お芝居を演じる。 |
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12月 |
山南王の世子になるために糸満に来た若按司のミンを出迎え、島尻大里グスクまで護衛する。 |
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1415年 |
1月 |
海船を賜わるためにリュウインが使者として中山王の進貢船に便乗して進貢する。
サムレー大将としてリュウインと一緒に10年振りに明国に行く。
テーラーグスクは弟の辺名地之子が守る。 |
40歳 |
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9月 |
帰国する。海船を賜わる事はできたが、リュウインが永楽帝に仕える事になり帰って来ない。 |
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首里の会同館の帰国祝いの宴で、サハチに真喜屋之子の事を話す。 |
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今帰仁に帰って報告すると、海船を返してリュウインを連れ戻せと攀安知に怒鳴られる。 |
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冊封使の船に乗せて明国に送るためリュウインの家族を南部に連れて来る。 |
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10月 |
冊封使が帰国する。 |
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12月 |
湧川大主が多くの兵を失い、鬼界島攻めに失敗して帰り、攀安知に怒鳴られる。 |
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1416年 |
1月 |
今帰仁に新年の挨拶に行くが、攀安知に拒絶され、引き上げる。
湧川大主も拒絶される。 |
41歳 |
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攀安知が奥間を焼き払う。 |
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3月 |
攀安知に呼ばれて今帰仁に行き、娘のママキと瀬長按司の息子の縁談をまとめてくれと頼まれる。 |
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今帰仁のお祭りで武芸試合の検分役を務める。 |
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お祭りの翌日、羽地、名護、国頭の按司たちが寝返り、中山王と一緒に攻めて来るという噂を聞いて驚き、グスクに戻る。 |
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今帰仁城下が全焼する。 |
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攀安知が湧川大主を呼んで、武装船の鉄炮をはずしてグスクに持って来いと命じる。 |
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奥間にいた諸喜田大主も今帰仁に戻り、中山王を迎え撃つ準備をする。 |
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グスクに運ぶ途中、鉄炮を敵に奪われ、湧川大主が逃亡する。 |
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4月 |
中山王の大軍が今帰仁に攻めて来る。 |
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攀安知の兵を率いて二の曲輪の御内原を守る。 |
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外曲輪を奪い取られ、志慶真曲輪も奪い取られて諸喜田大主が戦死する。 |
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三の曲輪も攻め落とされ、敵の鉄炮にやられてグスク内は無残な状況となる。 |
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攀安知が正気をなくし、ウタキの前でお祈りをしていた勢理客ヌルを斬る。
気でも違ったかと駆け寄ると攀安知が斬り付けてくる。
腕を斬られてつまづいて倒れた隙に、攀安知は霊石を真っ二つに斬ってしまう。
太刀を振り上げていた攀安知に雷が落ち、攀安知は弾き飛ばされて死ぬ。
テーラーが攀安知を殺したと誤解した兼次大主に斬られて死ぬ。 |
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