1376年 |
|
近江猿楽比叡座の大夫、犬王(道阿弥)の娘として生まれる。名は龍。 |
1歳 |
1381年 |
|
将軍足利義満の新しい御所(花の御所)が完成する。 |
6歳 |
1382年 |
|
北野天満宮で、父が猿楽を演じて大盛況となる。 |
7歳 |
1384年 |
|
観阿弥が駿河で亡くなる。 |
9歳 |
1389年 |
3月 |
父が将軍義満と一緒に安芸の厳島参詣に行く。 |
13歳 |
1392年 |
|
叔母が経営する東洞院の傾城屋で舞を披露していて義満と出会い、側室に迎えられる。 |
17歳 |
|
|
花の御所の隣りに相国寺が創建される。 |
|
1393年 |
5月 |
義満と若狭小浜に行く。諸大名も従う。 |
18歳 |
|
9月 |
義満と伊勢参詣に行く。伊勢国司、北畠顕泰の招待を受ける。 |
|
1394年 |
3月 |
義満と南都(興福寺)の常楽会に行く。
興福寺一乗院で世阿弥を観る。 |
19歳 |
|
9月 |
相国寺が炎上する。 |
|
|
11月 |
義満が相国寺の再建を始める。 |
|
|
12月 |
義満が9歳の義持に将軍職を譲る。義満は太政大臣になる。 |
|
1395年 |
2月 |
義満と伊勢参詣に行く。 |
20歳 |
|
5月 |
義満と若狭、丹後に行く。 |
|
|
6月 |
義満が出家して、鹿苑院道義と号す。 |
|
|
8月 |
今川了俊が上京し、九州探題を罷免される。
九州探題に任命されたのは斯波義将の娘婿の渋川満頼。 |
|
|
9月 |
義満と若狭小浜に行く。諸大名も従う。 |
|
1396年 |
4月 |
義満と猿楽を見物する。 |
21歳 |
|
|
父、犬王が義満の勘気を被り出家する。
父の失錯によって御所を出て、北野高橋の屋敷に移る。 |
|
|
9月 |
初めて熊野詣でをする。先達は住心院深基。
熊野の山伏と水軍、熊野比丘尼を味方にするために行く。 |
|
1397年 |
4月 |
義満が北山第の普請を始める。 |
22歳 |
|
9月 |
熊野詣でに行く。先達は住心院深基。 |
|
1398年 |
9月 |
熊野詣でに行く。先達は住心院深基。 |
23歳 |
|
|
父の勘気が解け、北山第の西御所に迎えられ、「西御所殿」と呼ばれる。 |
|
1399年 |
3月 |
義満と伊勢参詣に行く。 |
24歳 |
|
4月 |
義満と猿楽を見物する。 |
|
|
5月 |
義持の母、北向殿が亡くなる。 |
|
|
6月 |
義満と祇園御霊会を見物する。 |
|
|
9月 |
相国寺の七重塔が完成する。 |
|
|
12月 |
大内義弘の謀叛。応永の乱。 |
|
1400年 |
10月 |
義満と伊勢参詣に行く。 |
25歳 |
1401年 |
5月 |
義満が明国に使者を送る。 |
26歳 |
|
9月 |
熊野詣でに行く。先達は住心院深基。 |
|
1402年 |
7月 |
高橋の屋敷で、角田近江次郎が何者かに殺害される。 |
27歳 |
|
9月 |
義満が北山第で明国の使者と会い、日本国王に封じられる。 |
|
|
10月 |
義満が長谷寺に参詣する。その後しばしば参詣する。 |
|
1403年 |
|
北野天満宮を参詣した義持を高橋の屋敷に招待する。 |
28歳 |
|
4月 |
義満の娘と吉野に参詣する。 |
|
|
5月 |
義満が多武峯に参詣し、翌日は長谷寺にも参詣する。 |
|
|
6月 |
相国寺の七重塔に雷が落ちて焼け落ちる。 |
|
|
9月 |
熊野詣でに行く。先達は住心院深基。 |
|
1404年 |
4月 |
義満と若狭小浜に行く。諸大名も従う。 |
29歳 |
|
|
義満が北山第に七重の塔を建て始める。 |
|
|
5月 |
義満が北山第で明国の使者と会う。 |
|
|
|
義持が日野栄子を妻に迎える。 |
|
1405年 |
3月 |
義満が義持を連れて南都参詣に行く。 |
30歳 |
|
5月 |
義満が北山第で明国の使者と会う。 |
|
|
|
義満が醍醐寺で猿楽を観る。 |
|
|
7月 |
義満の正妻、日野業子が亡くなる。 |
|
|
9月 |
熊野詣でに行く。先達は住心院深基。 |
|
1406年 |
6月 |
義満が北山第で明国の使者と会う。 |
31歳 |
1407年 |
5月 |
義満と若狭小浜に行く。諸大名も従う。 |
32歳 |
|
7月 |
義持の長男、義量が生まれる。 |
|
|
|
北山第の七重の塔が完成する。 |
|
1408年 |
2月 |
義満が義嗣(四男)を還俗させて北山第に呼ぶ。 |
33歳 |
|
|
義満に命じられ、義持を見守る。 |
|
|
3月 |
後小松天皇が北山第に行幸し、父の道阿弥が天覧能を勤める。 |
|
|
4月 |
宮中において義嗣の元服を親王に准じた形式で行なう。 |
|
|
|
義満が病に倒れる。 |
|
|
5月 |
義満(51)、死す。
北山第を出て、高橋の屋敷で暮らし、「高橋殿」と呼ばれる。 |
|
|
6月 |
マチルギたちが博多に着き、マチルギたちの噂が広がる。 |
|
|
|
博多にいる配下の者がマチルギたちの事を高橋殿に知らせる。 |
|
|
|
パレンバンの船が若狭の国の小浜に来る。 |
|
|
|
等持院にて義満の49日法会をする。 |
|
|
7月 |
マチルギたちが対馬に行った事を知る。 |
|
|
8月 |
パレンバンの使者が京都に来て将軍義持と会い、珍品を献上する。 |
|
|
10月 |
配下の山伏に琉球に行ってサハチの事を調べろと命じる。 |
|
|
11月 |
パレンバンの船が台風により破損して帰れなくなり、義持が援助して新しい船を造る。 |
|
1409年 |
1月 |
マチルギたちが対馬を発ち琉球に帰る。
配下の山伏が早田氏の船に乗って琉球に行く。 |
34歳 |
|
5月 |
義満の一周忌。 |
|
|
|
早田氏の船が博多に着き、配下の山伏が琉球から戻る。 |
|
|
|
サハチたちが博多を発ち京都に向かう。 |
|
|
6月 |
サハチが博多に来た事を知る。山伏から琉球の様子を聞く。 ・サハチは中山王の世子で、島添大里按司。
・サハチは小さな城主だったが、中山王を倒して、父を中山王とする。
・二年前にウニタキとファイチを連れて明国に行っている。
・ファイチは明人で、交易を担当している。
・ウニタキはサハチの重臣だが、地図を作るために年中旅をしている。
・今回、博多に来たのは朝鮮との交易のためだが、日本とも交易をしたいらしい。 |
|
|
|
サハチたちが京都に着く。 |
|
|
|
サハチたちが京都に来た事を斯波義将に知らせる。 |
|
|
|
義持と一緒に伊勢参りに行く。サハチたちの動きを見張らせる。
義持に琉球の様子を話す。興味を持つ義持。 |
|
|
|
伊勢から帰り、サハチ、ウニタキ、ファイチの三人を屋敷に招待する。
屋敷の庭で一節切を吹いていたサハチの曲に合わせて華麗に舞う。
サハチたちと一緒に酒を飲み、サハチたちを酔い潰させる。 |
|
|
|
サハチたちを連れて七重の塔に登ると、お忍びの将軍義持が来て取り引きの相談をする。 |
|
|
|
サハチたちと一緒に鞍馬山に登り、ササたちと出会い、張三豊から武当拳の指導を受ける。 |
|
|
|
御台所様(日野栄子)の話し相手にササたちを将軍義持の御所に送る。 |
|
|
|
鎌倉公方に不穏な動きがあり、鎌倉に行く。 |
|
|
7月 |
鎌倉公方足利満兼が亡くなる。 |
|
|
11月 |
パレンバンの船が小浜を船出して博多に着く。 |
|
|
12月 |
琉球の船がパレンバンの船を連れて行く。 |
|
1410年 |
4月 |
義持の高野山参詣に従う。 |
35歳 |
|
5月 |
足利義満の三回忌。 |
|
|
|
斯波義将(61)、死す。 |
|
|
6月 |
琉球の使者が京都に着き等持寺に入る。 |
|
|
|
等持寺にササたちを迎えに行き、将軍様の御所に連れて行って御台所様と会わせる。 |
|
|
|
将軍義持の伊勢参詣にササたちを連れて従う。 |
|
|
8月 |
京都に大きな台風が来て、ササたちが避難民たちを助ける。 |
|
|
9月 |
ササを訪ねて来た村上あやと会う。 |
|
|
|
鞍馬山に行ったササたちが慈恩禅師を連れて来る。 |
|
|
10月 |
ササたちが慈恩禅師を連れて、村上あやの船に乗って博多に向かう。 |
|
1411年 |
6月 |
博多にササたちが来たと中条奈美が知らせる。 |
36歳 |
|
|
ササたちがサハチの娘のサスカサを連れて来る。 |
|
|
|
ササが熊野に行きたいと言ったので久し振りに熊野詣でに行く事に決める。 |
|
|
7月 |
ササたちと一緒に住心院の御精進屋で心身を清め、御台所様を連れて熊野詣でに行く。 |
|
|
8月 |
将軍様の御所で月見の宴。 |
|
|
9月 |
義持が明国の冊封使を兵庫で上陸を許さずに追い払う。 |
|
|
|
ジャワの使者が京都に来て、ササたちと一緒に王女のスヒターと会う。 |
|
|
10月 |
ササたちが京都を去る。 |
|
1412年 |
6月 |
ササたちがサハチの妹の佐敷ヌルを連れて来る。
佐敷ヌルが女たちを使って芝居をやっている事に刺激され、本気で女田楽を作ろうと決意する。 |
37歳 |
|
7月 |
ササたちと一緒に大原の寂光院に行き、ササと安須森ヌルが吹く笛に合わせて、平維盛と一緒に華麗に舞う。 |
|
|
|
パレンバンの使者たちが京都に来て、ササたちと一緒にシーハイイェンたちと再会する。 |
|
|
|
ササたちと一緒にシーハイイェンたちも将軍様の御所に連れて行く。 |
|
|
|
義持の伊勢参詣にササたちを連れて従う。 |
|
|
|
ササたちと一緒に御台所様を連れて熊野詣でに行く。 |
|
|
8月 |
ササたちと一緒に尾張の国の瀬戸に行く。 |
|
|
|
将軍様の御所で月見の宴。 |
|
|
|
シーハイイェンたちが京都を去る。 |
|
|
9月 |
ササたちか京都を去る。 |
|
1413年 |
5月 |
父、道阿弥が亡くなり近江に行く。 |
38歳 |
|
6月 |
ササたちが京都に着き、将軍様の御所に入る。 |
|
|
7月 |
京都に戻り、琉球の使者たちを七重の塔に連れて行く。 |
|
|
|
京都に大きな台風が来て、ササたちが避難民たちを助ける。 |
|
|
9月 |
ササたちが無精庵を連れて京都を去る。 |
|
|
10月 |
御台所様が次女を産む。 |
|
1414年 |
5月 |
足利義満の七回忌。 |
39歳 |
|
7月 |
琉球の使者たちが京都に来るが、ササたちは来ない。 |
|
|
8月 |
船岡山に通っているタミーとハマを等持寺から屋敷に移す。 |
|
|
|
タミーとハマを御台所様に会わせる。 |
|
|
|
タミーが、戦が起こると予言する。 |
|
|
9月 |
義持の伊勢参詣にタミーとハマを連れて従う。 |
|
|
|
伊勢の国司、北畠満雅が反乱を企てる。 |
|
|
10月 |
京都に各地から兵が集まってくる。 |
|
|
11月 |
北畠満雅が息子を人質に出し、謝罪して、京都の兵が撤収する。 |
|
|
|
義持が琉球の使者に国書を渡す。 |
|
|
12月 |
琉球の使者たちが京都を去るが、タミーは高橋殿の屋敷に残る。 |
|
1415年 |
2月 |
北畠軍が足利義持の奉公衆の城を奪う。 |
40歳 |
|
3月 |
北畠軍が幕府方についた木造城を攻め落とす。 |
|
|
4月 |
幕府軍5万余の兵が伊勢に出陣する。 |
|
|
5月 |
幕府軍が阿坂城を落とす。 |
|
|
6月 |
幕府軍が北畠の乱を平定する。 |
|
|
7月 |
一文字屋の船に乗って琉球の人たちが京都に来るがササたちは来ない。 |
|
|
8月 |
伊勢に出陣していた幕府軍が京都に撤収する。 |
|
|
|
ササたちが訪ねて来たので驚き、御台所様に知らせるとお忍びでやって来る。 |
|
|
|
御台所様を連れてササたちと一緒に広田神社に行き、阿波、奈良へと旅をする。 |
|
|
9月 |
京都に帰ると、ようやく琉球の使者たちが京都に来る。 |
|
|
|
ササたちが将軍様の御所に移る。 |
|
|
|
鎌倉に不穏な動きがあり関東へ行く。 |
|
|
10月 |
ササたちが京都を去る。 |
|
1416年 |
1月 |
三度の落雷で七重の塔が焼失する。 |
41歳 |
|
10月 |
関東で上杉禅秀の乱が起こる。 |
|