1406年 |
1月 |
サハチが中山王武寧を倒し、首里グスクを奪い取る。 |
32歳 |
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久米村を支配していたアランポーの一族を抹殺し、王茂を中心に新しい久米村を作る。 |
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中山王になるサハチの父サグルーの名前を考えて「思紹」と決める。 |
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永楽帝が順天府に紫禁城の改築を始める。 |
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5月 |
中山王の進貢船が帰国。サハチが兵を率いて待ち構え、使者の新垣大親とサムレー大将の宜野湾親方を説得する。 |
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サハチから慶良間の島に行こうと誘われるが忙しいので断る。 |
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6月 |
中山王武寧がシャム(タイ)に送った船が帰国。サハチが兵を率いて待ち構える。 |
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7月 |
中山王と山南王の合同進貢船が帰国。正使のサングルミーが思紹に仕える。 |
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12月 |
島添大里城下から首里の屋敷に移る。 |
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1407年 |
1月 |
久米村の唐人たちを連れて首里に行き、思紹に新年の挨拶をする。 |
33歳 |
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山南王の進貢船が船出する。 |
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サハチ、ウニタキと一緒に進貢船に乗って明国に行く。 ・海賊の娘メイファンと会って鉄炮と火薬を手に入れなければならない。
・朱洋敬と会って、できれば永楽帝と会いたい。 |
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明国の泉州に着き、来遠駅に入る。 |
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2月 |
メイファンの手下スンリーと一緒に福州に行き、メイファンと再会する。 |
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メイファン姉妹の敵討ちを助ける。 |
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メイファン姉妹と海賊の隠れ家に行き、鉄炮(大砲)を見る。 |
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3月 |
メイファン姉妹と一緒に杭州に行く。 |
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三姉妹と別れて応天府に行く。 |
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富楽院の妓楼で、蓮華と再会し、朱洋敬とも再会する。 |
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朱洋敬の屋敷にお世話になる。 |
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富楽院の妓楼でお忍びの永楽帝と会う。 |
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朱洋敬の屋敷で、サハチとウニタキに永楽帝の活躍を話して聞かせる。 |
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師匠の張三豊を探しに武当山を目指す。 |
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旅の途中でシンシンを助ける。 |
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4月 |
南陽で張三豊と再会する。 |
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張三豊と弟子のシンシンと一緒に武当山に行く。 |
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武当山の裾野で、妹の懐虹と再会する。 |
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シンシンの案内で武当山に登る。
武当山の山頂で真武神を拝む。 |
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武当山の山中で武当拳の修行に励む。 |
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5月 |
張三豊とシンシンと一緒に龍虎山に行く。 |
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龍虎山で妻の両親と再会し、殺された両親の墓参りをする。 |
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張三豊とシンシンと一緒に杭州に向かう。 |
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6月 |
杭州でメイファン姉妹と再会し、西湖のほとりの屋敷に行く。 |
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杭州に来ていたサングルミーとタブチと会う。 |
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7月 |
無事に琉球に帰国する。 |
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三姉妹の船に乗って、張三豊とシンシンが琉球に来る。 |
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8月 |
張三豊がシンシンと旅に出る。ジクー禅師とサグルーとササが一緒に行く。 |
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11月 |
三姉妹が明国に帰る。張三豊とシンシンは琉球に残る。 |
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1408年 |
1月 |
家族が首里から島添大里城下の屋敷に戻る。 |
34歳 |
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杭州でメイファンが懐機の息子を産み、チョンチと名付ける。 |
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山南王の進貢船が船出する。 |
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中山王思紹が進貢船を送る。サハチの弟、マサンルーとマタルーが明国に行く。 |
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6月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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山南王の進貢船が帰国。 |
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三姉妹の船が浮島に来る。メイファンは来ない。 |
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10月 |
三姉妹の船に乗って妻と子供たちが明国に行く。 |
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1409年 |
1月 |
中山王思紹、進貢船を送る。正使はサングルミー。 |
35歳 |
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2月 |
山南王が進貢船を送る。李仲按司の息子の李傑、再び国子監に入る。 |
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4月 |
サハチ、ウニタキと一緒に交易船に乗ってヤマトゥと朝鮮に向かう。 |
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5月 |
薩摩の坊津に着く。 |
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博多に着き、呑碧楼に登る。 |
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一文字屋の船に乗って京都に向かう。 |
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6月 |
上関で村上水軍の又太郎とあやの兄妹と会う。 |
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児島の下の津で塩飽水軍の塩飽三郎入道と会う。 |
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京都に着き、北山第の七重の塔に驚き、祇園祭りを見物する。 |
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サハチ、ウニタキと一緒に高橋殿の招待を受けて、高橋殿の屋敷に行く。
高橋殿と酒盛りをして酔い潰れる。 |
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高橋殿の案内で七重の塔に登り、お忍びの将軍義持と会う。 |
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高橋殿と一緒に鞍馬山に行く。
鞍馬山にササたちが来る。
張三豊が鞍馬山で高橋殿に武当拳の指導をする。
鞍馬山で修行していた慈恩禅師の師匠が張三豊の弟子だった事がわかる。 |
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高橋殿の屋敷で増阿弥の田楽を観る。 |
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ササ、シンシン、シズが将軍様の御所に呼ばれて御台所様(日野栄子)と会う。 |
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7月 |
明国の使者たちが京都に来る。 |
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京都を去る。 |
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三姉妹の船二隻が琉球に来て、家族が帰国する。 |
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対馬の船越に着く。
サハチがイトと再会し、娘のユキと孫娘のミナミと会う。 |
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8月 |
イトの船に乗って朝鮮の富山浦(釜山)に行き、早田五郎左衛門と会う。 |
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倭館に行き、渋川道鎮と宗讃岐守と会う。 |
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浦瀬小次郎と一緒に漢城府(ソウル)に向かう。 |
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漢城府に着き、「津島屋」のハナの案内で都見物。
「津島屋」のナナの案内で、サダン(芸人)たちと会う。 |
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ナナの案内で開京に行き、妓楼で早田左衛門太郎と会う。 |
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9月 |
琉球の使者たちが漢城府に着く。 |
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10月 |
朝鮮を去り対馬に戻る。 |
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11月 |
博多に行き、パレンバンから来たシュミンジュンとシーハイイェンと会う。 |
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12月 |
博多を去り、琉球に向かう。パレンバンの船も一緒に行く。 |
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首里グスクの高楼が完成する。 |
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琉球に無事帰国。ナナもササたちと一緒に琉球に来る。
浮島の天使館でパレンバンの人たちの歓迎の宴。
首里の会同館で帰国祝いの宴。 |
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1410年 |
1月 |
中山王の進貢船がパレンバンの船を連れて明国に行く。 |
36歳 |
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3月 |
中山王の進貢船が船出。思紹が張三豊とクルーを連れて明国に行く。 |
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6月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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7月 |
三姉妹の船が浮島に来る。メイユーがサハチの側室になる。 |
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国子監に送る官生が、懐機の長男ファイテと浦添按司の三男ジルークに決まる。 |
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9月 |
長男ファイテがウニタキの娘ミヨンを妻に迎える。 |
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10月 |
三姉妹が帰る。 |
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中山王の進貢船が船出する。正使はサングルー、副使は八重瀬按司のタブチ。
ファイテとジルークが留学のために明国に行く。 |
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山南王と山北王が同盟する。 |
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中山王の進貢船が帰国。思紹と張三豊が無事に帰る。 |
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1411年 |
1月 |
中山王の進貢船が船出。程復が正使を務めて故郷に帰る。 |
37歳 |
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2月 |
ウニタキが与論島に行く。 |
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3月 |
進貢船が帰国。副使のタブチが獅子舞を持って帰る。 |
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4月 |
今年2度目の進貢船が船出する。 |
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5月 |
山北王の伊是名島攻めが中止され、中山王と山北王の同盟が決まる。
山南王と中山王の同盟も決まり、三王同盟になる。 |
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6月 |
ウニタキが与論島から帰る。 |
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中山王の進貢船が帰国。王茂が国相になる。 |
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7月 |
三姉妹の船が鉄炮と火薬を持ってくる。 |
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8月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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9月 |
今年3度目の進貢船が船出する。正使はサングルミー。 |
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10月 |
三姉妹が帰る。 |
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11月 |
今年4度目の進貢船が船出する。正使はタブチ。 |
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12月 |
ヤマトゥに行った交易船がジャワの船を連れて帰る。 |
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閏12月 |
山南王の進貢船が船出する。 |
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1412年 |
1月 |
中山王の進貢船が帰国。サングルミーが新しい永楽銭を持ってくる。 |
38歳 |
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早田左衛門太郎がイトとユキとミナミを連れて琉球に来る。 |
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2月 |
サハチの四男のチューマチが攀安知の次女、マナビーを妻に迎える。 |
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中山王の進貢船が船出。 |
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クマヌが隠居して、養子のムタが中グスク按司になる。 |
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3月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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クマヌが亡くなる。 |
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4月 |
佐敷ヌルがササたちを連れて安須森に行き、安須森の封印を解く。 |
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5月 |
早田左衛門太郎、イトたち、馬天浜から対馬に帰る。 |
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山南王の進貢船が海船を賜って帰国する。 |
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7月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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三姉妹の船が来て、リンジェンフォンの配下だったソンウェイが一緒に来る。 |
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リンジョンシェンが運天泊に来て、鉄炮付きの武装船を山北王に贈る。 |
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8月 |
島添大里グスクでサスカサを中心に十五夜の宴が行なわれる。 |
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10月 |
三姉妹が帰る。 |
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中山王の進貢船が船出。正使は島尻大親。 |
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11月 |
中山王の進貢船が船出。正使はタブチ。3人の官生を国子監に送る。 |
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12月 |
ヤマトゥに行った交易船がパレンバンの船二隻を琉球に連れて来る。 |
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1413年 |
1月 |
山南王の進貢船が船出。 |
39歳 |
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2月 |
中山王の進貢船が船出。パレンバンの船を明国まで連れて行く。 |
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4月 |
娘のファイリンが佐敷大親の長男シングルーに嫁ぐ。 |
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山南王の進貢船が船出。正使は李仲按司。 |
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去年の10月と11月に送った中山王の進貢船が一緒に帰国。 |
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7月 |
ヌルたちの安須森参詣が行なわれる。 |
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三姉妹の船とパレンバンの船が一緒に来る。
メイユーは6月に女の子ロンジェン(龍剣)を産み、琉球には来ない。 |
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8月 |
ジャワの船が来る。 |
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首里と島添大里でお月見の宴。 |
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9月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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山南王の進貢船が帰国。 |
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中山王の進貢船が船出。 |
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久米村に新しい遊女屋ができる。 |
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10月 |
三姉妹、帰る。パレンバンの船もジャワの船も一緒に帰る。 |
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タブチの四男チヌムイが姉の若ヌルと一緒に山南王を殺して母の敵を討つ。
豊見グスク按司のタルムイと八重瀬按司のタブチの家督争いが始まる。 |
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ウニタキが今帰仁から帰り、小渡ヌルから託された山北王の書状を見せる。 |
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11月 |
明国から帰国した山南王の進貢船は照屋大親の裏切りで他魯毎が手に入れる。 |
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タブチが山南王になる事を諦めて島尻大里グスクから出て、山南王妃の兄の摩文仁大主が山南王になる。 |
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タブチが山南王の座から下りたと聞いて、思紹が幹部会議を開き、反乱を起こした東方の按司たちを東方の按司たちが退治するという形にして、八重瀬グスク、具志頭グスク、玻名グスク、米須グスク、山グスク、ナーグスクを攻め取ろうと決める。 |
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東方の按司たちが八重瀬グスクを攻める。
降参するはずだった八重瀬按司は、父親とチヌムイを助けるために自分が犠牲となり、屋敷に火を付けて戦死する。 |
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思紹はタブチの娘婿のマタルーを八重瀬按司にして、サグルーを与那原大親に任命する。 |
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サハチが具志頭グスクに攻め寄せ、長老の許しが出て、イハチが具志頭按司になる事に決まる。 |
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12月 |
テーラーは李仲按司と相談して、豊見グスクと保栄茂グスクの中程にある山の上にグスクを築き始める。 |
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イシムイは摩文仁と相談して、賀数グスクの東にある當銘蔵森と呼ばれている山にグスクを築き始める。 |
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今帰仁から帰ってきたウニタキが、湧川大主が鬼界島を攻め取った事と山北王が正月の半ば頃に南部に兵を送るようだと話す。 |
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1414年 |
1月 |
佐敷ヌルが安須森ヌルに就任する。 |
40歳 |
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思紹が手登根グスクに行き、前山南王妃のトゥイと会い、中山王の介入の許可を得る。 |
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首里グスクに按司たちが集まり、米須グスク、山グスク、喜屋武グスク、波平グスクを攻め取るために出陣する。 |
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軍師として思紹と一緒に八重瀬グスクを本陣にして指揮を執る。 |
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山北王の兵300人が糸満の港から上陸して、保栄茂グスクの北西にある座安森と呼ばれる山の上に本陣を敷く。 |
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山北王の兵が島尻大里グスク攻めに加わる。 |
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イシムイが賀数グスクから出撃して西の方に逃げて行く。 |
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真栄里按司、新垣按司が他魯毎に降伏する。 |
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2月 |
サハチが東方の按司たちと玻名グスクを攻め落とす。
思紹が奥間大親を玻名グスク按司に任命する。 |
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無謀にも出撃して来た米須按司が戦死して、若按司はグスクを開城する。 |
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3月 |
他魯毎と山北王の兵に攻められて島尻大里グスクが落城し、摩文仁が戦死する。
島尻大里グスクで与座按司、真壁按司、摩文仁按司、伊敷按司、新垣大親、真栄里大親、真壁之子、新垣之子の八人が処刑される。
島尻大里グスクで他魯毎の山南王就任の儀式が行なわれる。 |
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山グスクの上のグスクも落城するが、勝連の若按司が戦死する。 |
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4月 |
張三豊が運玉森ヌルを連れて山グスクに行く。 |
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5月 |
中山王の進貢船が帰国。 |
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首里に慈恩寺が完成する。住職は慈恩禅師。 |
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6月 |
中山王の進貢船が船出。正使はサングルミー。 |
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サハチとウニタキ、安須森ヌルとササたちと一緒に久米島に行く。 |
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新垣ヌルと仲良くなる。 |
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堂村でタブチと再会する。 |
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サハチとウニタキと一緒に馬を借りて、チヌムイの案内で島内を巡る。 |
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7月 |
ヌルたちの安須森参詣が行なわれる。 |
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三姉妹の船が、パレンバンの船とジャワの船と一緒に来る。
ソンウェイが鉄炮付きの武装船を慶良間の島に持ってくる。
メイファンから運天泊に来ていた海賊リンジョンシェンが戦死した事を聞く。 |
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慶良間の島に行って、武装船に乗って鉄炮の試し撃ちをする。 |
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ウニタキがリュウインを首里に連れて来る。
サハチとウニタキがリュウインを山グスクに連れて行き、張三豊と会わせる。
リュウインは浮島に行って久米村の役人たちと進貢船の相談をして、中山王から借りた明国の商品を山積みにした油屋の船に乗って帰る。 |
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8月 |
久高島の大里ヌルが島添大里グスクに来て、十五夜の儀式を執り行なう。 |
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9月 |
ササたちを乗せた愛洲次郎の船がミャーク(宮古島)を目指して浮島を船出する。 |
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10月 |
馬天浜のお祭りに張三豊の弟子たちが集まり、盛大な張三豊の送別の宴が催される。 |
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張三豊が山グスクヌルと二階堂右馬助を連れて、三姉妹の船に乗って琉球を去る。
パレンバンの船とジャワの船も一緒に帰る。 |
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12月 |
他魯毎の進貢船が、先代山南王の死を伝えるために船出する。 |
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中山王の進貢船、帰国。 |
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久米村に豪華な遊女屋「慶春楼」ができる。 |
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1415年 |
1月 |
今帰仁からリュウインが来て、山北王の正使として中山王の進貢船に乗って行く。
本部のテーラーも山北王のサムレー大将としてリュウインと一緒に10年振りに明国に行く。 |
41歳 |
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2月 |
サハチの次女マチルーがウニタキの長男ウニタルに嫁ぎ、ンマムイの長女マウミがサハチの五男マグルーに嫁ぐ。 |
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ウニタル夫婦、マグルー夫婦、シングルー夫婦、「まるずや」巡りの旅に出る。
若夫婦たち、玻名グスクの残党に襲撃されて、ウニタキに助けられ、ウニタキから「三星党」の事を聞いて驚く。 |
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若夫婦たち、旅から帰り、マグルー夫婦が山北王に会ってきたと言って、山北王の書状をサハチに渡す。 |
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3月 |
丸太引きのお祭りでシンシンの代わりを務めたファイリンが優勝する。 |
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4月 |
サハチの明国名を考えて、「尚巴志」に決める。 |
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5月 |
サハチが世子尚巴志の名前で送る進貢船が船出する。 |
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ササたちがミャークの船とトンドの船を連れて帰国する。 |
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6月 |
愛洲ジルーの船に乗ってササたちが瀬織津姫に会うためにヤマトゥに行く。 |
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山南王の進貢船が帰国し、冊封使が7月の半ば頃に来るだろうと中山王に伝える。 |
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7月 |
サハチと一緒に李仲按司と会い、冊封使の接待について中山王と山南王の分担を決める。 |
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冊封使の船が2隻、浮島に来て、山南王の重臣たちと久米村の役人たちに迎えられて天使館に入る。 |
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島添大里グスクに永楽帝の娘のリーポー姫が来て、サハチと会う。
サハチが開いた歓迎の宴に呼ばれ、リーポー姫と一緒に来た張三豊の弟子のチウヨンフォン、宦官のチャイシャン、通事のツイイーから話を聞く。 |
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8月 |
島尻大里グスクで他魯毎の冊封の儀式と冊封の宴が行なわれる。 |
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首里グスクで冊封使を迎えて中秋の宴が催され、島添大里グスクでは十五夜の宴が催される。 |
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9月 |
首里グスクで冊封使を招待して重陽の宴が行なわれる。 |
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リーポー姫たち、シーハイイェンたち、スヒターたち、アンアンたち、山北王に会うためにヒューガの船に乗って名護に向かう。 |
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リュウインを乗せて行った進貢船が帰国し、リュウインが永楽帝に仕える事になった事を知る。 |
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10月 |
王女たちが油屋の船に乗って、無事に浮島に帰ってくる。 |
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島尻大里グスクで、冊封使たちを招待して餞別の宴が行なわれる。 |
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馬天浜で張三豊を偲ぶお祭りが行なわれ、パレンバン、ジャワ、トンドの人たちの送別の宴も兼ね、大勢の人たちが浜辺に集まって酒盛りを楽しむ。 |
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パレンバン、ジャワ、トンドの船が帰る。 |
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冊封使の船に乗ってリーポー姫たちが帰る。
冊封使の船と一緒に、サングルミーを正使とした中山王の進貢船も船出する。 |
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|
首里の城下の入り口に完成したジクー寺で、中山王の幹部たちが集まり、来年の今帰仁攻めの相談をする。
マチルギは今帰仁を攻めたらマナビーとマウミが悲しむと言い、懐機は大義名分が必要だと言う。琉球を統一するためには山北王は倒さなければならないと思紹は言い、4月の予定で準備をしておこうと言う。 |
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12月 |
中山王の進貢船が帰国し、国子監に留学していたファイテとジルークが帰る。
会同館の帰国祝いの宴でファイテから話を聞く。 |
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1416年 |
1月 |
新年の儀式も無事に済んだ3日の夕方、首里グスクの龍天閣で身内だけのお祝いの宴が開かれ、集まった幹部たちは今帰仁攻めの作戦を練る。 |
42歳 |
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ファイテとミヨン、ジルークとミカが琉球を知るためにウニタルとマチルーを連れて旅に出る。 |
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|
山北王が奥間を焼き払い、「まるずや」の裏の屋敷で幹部会議を開く。 |
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|
ヤマトゥに行った交易船が、李芸が乗っている朝鮮船とササたちが乗っている愛洲次郎の船を連れて浮島に帰る。 浮島の那覇館でマチルギたちと一緒に歓迎の宴の準備をする。
サハチが来て、サハチと一緒に李芸と早田五郎左衛門に再会する。
サハチと一緒に那覇館の別館にいる奥間の避難民たちを見舞い、奥間大親から奥間の様子を聞く。 |
|
|
|
首里の「まるずや」の裏の屋敷で4度目の幹部会議が開かれ、ササとサタルーも加わる。
奥間が焼かれて、国頭按司、羽地按司、名護按司も怒っているとウニタキが知らせる。
奥間のためにも早い内に今帰仁を攻めたいと思紹は言うが、安須森ヌルはユラのために今帰仁のお祭りはやらせてあげたいと言い、ヒューガも3月ではまだ船が出せないかもしれないと言うので、出陣は4月1日に決まる。 |
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冊封使のお礼のため、山南王と中山王の進貢船が船出する。 |
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2月 |
旅から帰って来たファイテとジルークは首里の城下の入り口に琉球らしい立派な御門を造らなければならないと言って一徹平郎と相談する。 |
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首里グスクのお祭り。百浦添御殿で5度目の幹部会議が開かれ、真喜屋之子の活躍によって国頭按司、羽地按司、名護按司の山北王からの離反が決まり、名護の松堂、国頭の喜如嘉の長老、羽地の我部祖河の長老が夫婦連れで、各按司の書状を持って、「まるずや」の船に乗って来るとウニタキが言う。
山北王を倒したあとの今帰仁按司は、名護按司と国頭按司は千代松の血を引いている者になってほしいと言い、羽地按司は、帕尼芝の血を引いた者も按司代として置いてほしいと言っているという。チューマチ夫婦を今帰仁に送るのが一番いいと言い、皆が賛成する。 |
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ヤンバルの長老たちがウニタキに連れられて島添大里グスクに行き、サハチが歓迎する。 |
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首里の龍天閣で6度目の幹部会議が開かれ、大まかな作戦が練られる。 |
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ウニタキと奥間大親が中山王の書状を持ってヤンバルに行く。 |
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3月 |
中山王の書状が内密に、浦添按司、北谷按司、中グスク按司、越来按司、勝連按司、安慶名按司、伊波按司、山田按司に届けられ、密かに戦の準備を始める。 |
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サハチが思紹から、今帰仁攻めの総大将を務めろと言われて引き受ける。 |
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今帰仁のお祭りの翌日、中山王が山南王と東方の按司たちに今帰仁攻めを伝える。 |
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サタルーが「赤丸党」を率いて、今帰仁の城下の空き家に火を付けると、強風が吹いてきて、城下は全焼する。 |
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鉄炮をウニタキに奪われた湧川大主が武装船に側室と子供たちを乗せて琉球から去る。 |
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中山王は正式に各按司たちに出陣命令を出す。 |
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4月 |
首里グスクで出陣の儀式を行ない、総大将サハチの軍師として出陣する。 |
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先発隊として焼け跡の今帰仁に行き、陣地作りをする。 |
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外曲輪を攻め取るが、勝連按司と越来按司が戦死する。 |
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サグルーたちが志慶真曲輪を攻め落とす。 |
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ウニタキが見つけた抜け穴を使って苗代之子と安慶名按司が三の曲輪に突入し、総攻撃をして三の曲輪を攻め落とす。 |
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大雨の降る中、総攻撃をして今帰仁グスクを攻め落とす。 |
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