沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







凱旋




   

 山北王(さんほくおう)を倒した六日後の四月十七日、サハチ(尚巴志)は中山(ちゅうざん)軍を率いて首里(すい)凱旋(がいせん)した。

 今帰仁(なきじん)を発ったのは十四日で、その日は名護(なぐ)まで行き、二日目は恩納(うんな)まで、三日目は喜名(きなー)に泊まって、四日目に首里に到着した。

 首里に近づくに連れて沿道に集まる人々の数が増え、首里の大通りに入ると小旗を振った人々が溢れていた。

 先頭を行くのは苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)で、苗代之子が率いる兵の後ろに、総大将のサハチと軍師のファイチ(懐機)がいて、フカマヌルと久高(くだか)ヌル、玉グスクヌルと知念(ちにん)ヌル、愛洲(あいす)ジルーとゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)が従っていた。

 愛洲ジルーは船を親泊(うやどぅまい)に置いたまま、妊娠しているササの事を心配してサハチと一緒に戻ってきていた。

 サハチが率いる兵の後ろに、山北王妃のマアサと山北王の側室(そくしつ)のクン、ミサ、クリ、フミがお輿(こし)に乗り、お輿の脇には侍女たちが従っていた。

 マアサは娘のマナビーに会うために娘のウトゥタルを連れて首里に来た。マアサが浦添(うらしい)から今帰仁に嫁いだのは二十二年も前だった。その頃の首里は祖父の察度(さとぅ)が暮らしていた首里天閣(すいてぃんかく)があるだけで、あとは深い森が続いていた。マアサの記憶にある浦添の城下のように中山王の都となっている首里の賑わいを見て驚き、今帰仁グスクのような高い石垣に囲まれた首里グスクを見て驚き、まるで夢でも見ているようだと感じていた。

 クンは娘のマサキと息子のミンに会うために来た。マサキは山南王(さんなんおう)との同盟のために嫁いだので仕方がないが、若按司のミンが南部に行ってしまうなんて思ってもいなかった。ミンを山南王にして、中山王を倒すためだと山北王は言ったが、逆に中山王に倒されてしまった。(いくさ)が始まる前に国頭(くんじゃん)に帰っていたので、中山王の兵に捕まらずに済んだが、中山王のサムレー大将が迎えに来たので驚いた。捕まるのかと心配したら、マサキとミンに会わせるために南部に連れて行くと言った。父も会って来いというので今帰仁に行ったら、山北王妃、ミサ、クリ、フミも一緒に行くという。クンはみんなの無事にホッとして、首里に向かったのだった。

 ミサは父親の思紹(ししょう)に会うために、クリは故郷の糸満(いちまん)に帰るために娘のマタキを連れ、フミは故郷の佐敷に帰るためにウムチルとウムトゥクの二人の息子を連れていた。

 山北王の側室たちの後ろに小荷駄隊(こにだたい)外間親方(ふかまうやかた)の兵が続き、波平大主(はんじゃうふぬし)が率いる山南王の兵、殿(しんがり)与那原大親(ゆなばるうふや)が率いる兵だった。

 出陣する時は一千人余りもいたが、今帰仁の再建のために苗代大親(なーしるうふや)久高親方(くだかうやかた)慶良間之子(きらまぬしぃ)(かに)グスク按司(ンマムイ)が率いる兵たちが今帰仁に残り、サグルー、ジルムイ、マウシ、シラー、タクが率いる兵たちは奄美の島々を平定するために今帰仁で待機していた。

 アキシノ様を助けるために今帰仁に行ったマチルギは今帰仁再建の総責任者として今帰仁に残り、補佐役として安須森(あしむい)ヌルも残っていた。

 ウニタキは逃亡した山北王の次男のフニムイ、平敷大主(ぴしーちうふぬし)愛宕之子(あたぐぬしぃ)の行方を追っていた。

 城下の人たちの歓声を聞きながら首里グスクに入ったサハチは、山北王妃と側室たちを馬天(ばてぃん)ヌルに預けると、ファイチを連れて龍天閣(りゅうてぃんかく)に向かった。

 龍天閣の二階で早田(そうだ)五郎左衛門が木屑の中で彫り物に熱中していて、思紹が三階で待っていると教えてくれた。

 中山王(ちゅうざんおう)の思紹は三階の回廊から大通りの方を眺めていた。サハチとファイチの顔を見ると、「御苦労じゃった」と言ったが、その顔は笑ってはいなかった。

(いくさ)には勝ちましたが、大勢の兵が戦死してしまいました」とサハチは言った。

 思紹は厳しい顔付きのまま、うなづいた。

「戦には犠牲は付き物じゃ。今帰仁グスクを攻め落とすのは容易な事ではないとわかってはいたが、あまりにも多くの兵を戦死させてしまった。戦死した者たちのためにも、二度と戦のない平和な世の中を作らなければならんのじゃ」

 女子(いなぐ)サムレーがお茶を持って来たので、サハチたちは部屋の中に入った。女子サムレーが去ると、

「ウニタキの配下が持って来たお前の書状を読んで、戦の経緯はよくわかった。勝連按司(かちりんあじ)越来按司(ぐいくあじ)が戦死してしまうとはのう。思ってもいない事じゃった」と思紹は言った。

「敵の(わな)にはまってしまったのです。リュウイン(劉瑛)の弟子が十人いました。リュウインが作らせたと思われる投石機もありました。リュウインが明国(みんこく)に行った後、弟子たちを山北王から切り離しておくべきでした」

「そうか。リュウインの弟子がいたか。その弟子たちはどうした?」

「皆、壮絶な討ち死にをしましたが、味方の被害もかなり出ました」

「そうか‥‥‥マチルギがササの代わりに今帰仁に行ったとは驚いたな。戦の後の事まで考えていなかったが、千代松(ちゅーまち)(七代目今帰仁按司)の曽孫(ひまご)のマチルギが今帰仁を再建するのが一番いいかもしれんな。ヤンバル(琉球北部)の按司たちもマチルギに従うじゃろう」

「チューマチ夫婦はいつ送ります?」

「グスクもボロボロなのに早く行っても仕方がない。按司の屋敷が再建されてからでいいじゃろう」

「チューマチの補佐役はマサンルー(佐敷大親)ですか」

「その予定じゃったが、勝連按司と越来按司が戦死してしまったので、考え直さんとならんな。勝連も越来も若按司が幼すぎる。後見役を付けなくてはなるまい」

「越来は按司も若按司も美里之子(んざとぅぬしぃ)も戦死しました」とファイチが言った。

 思紹はうなづいて、「若按司の倅が五歳なんじゃよ」と言った。

「美里之子の武術道場は誰かを探さなくてはならん。わしらが修行したあの道場をつぶすわけにはいかんからな」

「勝連はジルムイ夫婦に任せたらどうですか」とサハチは思紹に聞いた。

 思紹は驚いた顔してサハチを見て首を振った。

「ジルムイはサム(勝連按司)の娘婿じゃが、それだけで勝連按司を継ぐ事はできんのじゃよ。サムが勝連按司になれたのは、サムが勝連の者たちから信用されたのと、亡くなった若按司の嫁にマーシを迎えたからじゃ。マーシが産んだ今の若按司のサムには勝連の血が流れている。勝連の者たちはサムが按司になる事を願っているんじゃ。サムが成長するまで、誰かに後見させるしかあるまいな」

 サハチは成程と納得した。後見役となると勝連の者たちに疑いが生まれぬように、サムと関係ない者の方がいいかもしれないと思った。

「奄美平定が終わった後も、ジルムイはサグルーと一緒に今帰仁に置いておくのがいいじゃろう。明日、四つのお寺(うてぃら)で戦死した者たちの供養(くよう)が行なわれる。その後、みんなで集まって今後の事を相談しよう」

 サハチとファイチが引き上げようとした時、馬天ヌルがミサを連れてきた。

奥間(うくま)のミサです」とサハチが思紹に言った。

「なに、ミサか」と思紹はミサをじっと見つめて、「母親によく似ておる」と言ってから、「母親は元気か」と聞いた。

 ミサは首を振った。

「二年前に亡くなりました」

「そうじゃったのか」

「母は亡くなる時も、父は旅のお坊さんだと言って、本当の事は教えてくれませんでした。戦が終わった後、奥間ヌル様から本当の事を聞いて驚きました。わたしの父が中山王だったなんて信じられませんでした。わたしが中山王の娘だと知りながら、奥間ヌル様は山北王の側室にわたしを送り込んだのです。中山王と山北王が争いを始めた時、わたしを利用しようと思ったそうですが、結局、わたしは何も命じられませんでした」

「今まで奥間のために働いてくれて御苦労じゃった。わしの娘として歓迎する」

 ミサは父親を見つめてうなづいた。目の前にいる父親はミサが想像していた姿とはまったく違っていた。坊主頭で職人のような格好をしていて、どう見ても中山王には見えなかった。父親に会ったらすぐに奥間に帰ろうと思っていたミサは、もう少しここにいてみようと考えを変えていた。

「兄のサハチだ。よろしく」とサハチはミサに言った。

「初めて会った時、妹だとわかっていたんだが、奥間ヌルが知らせていないのに教えるわけにはいかなかったんだ」

「えっ、知っていたのですか。もしかして、奥間ヌル様から聞いたのですか」

「そうじゃない。亡くなってしまったが先代の中グスク按司はクマヌという山伏だったんだ。山伏の頃、奥間によく行っていて、俺を奥間に連れて行ってくれたのもクマヌなんだ。クマヌは按司を引退した後、久し振りに奥間に行って聞いてきたんだよ」

「そうだったのですか。今年の一月、油屋のユラが今帰仁に来て、南部の噂を教えてくれました。奥間ヌル様の娘の父親が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)様だと言っておりましたが、あれは本当だったのですか」

「本当じゃよ」と思紹が笑いながら答えた。

「怒ったマチルギが刀を振り回してサハチを追いかけたと首里まで噂が流れてきたんじゃ」

「奥間ヌル様のマレビト神様は島添大里按司様だったのですね」

「その噂は山北王の耳にも入ったのか」とサハチが聞いた。

「その話を聞いていたクン様が山北王に話したら急に機嫌が悪くなったと言っていました」

「そうか。油屋のユラだったのか」

 今になって思えば、油屋のユラのお陰で、山北王を滅ぼす事ができたと言えた。ユラは安須森ヌルを慕って島添大里グスクに来て、しばらく滞在して、ハルとシビーと一緒にヤンバルにも行っている。女子サムレーたちから当時の様子を聞いたのかもしれない。ユラが島添大里グスクに来なかったら、首里の油屋でその噂を聞いていたとしても聞き流してしまって、今帰仁に行った時に話さなかったかもしれなかった。

「歓迎の(うたげ)を開かなくてはならんのう」と思紹が言って、「山北王妃も来たのか」とサハチに聞いた。

「マナビーに会うためにやって来ました」

「山北王妃はンマムイの妹だったな。島添大里に行けば、マウミもいるし、心の傷も癒えるじゃろう」

「あの、マウミちゃんは島添大里にいるのですか」とミサが聞いた。

「マウミは俺の倅と一緒になったんだよ」とサハチが言った。

「そうだったのですか」

 その夜、御内原(うーちばる)で、ミサ、山北王妃、クン、クリ、フミの歓迎の宴が催された。

 山北王妃も側室たちも、和気藹々(わきあいあい)とした御内原の雰囲気に驚いていた。中山王妃も側室たちも侍女たちと一緒に針仕事をしていて、側室といっても着飾っているわけではないので、侍女との区別もつかなかった。夕方になるとみんなで一緒に武芸の稽古に励み、稽古に参加しない王妃は城女(ぐすくんちゅ)たちと一緒に食事の用意をしていた。子供はマカトゥダルという娘がいるだけで、みんなから可愛がられていた。

 敵の王妃と側室だというのに歓迎されて、マアサとクンは戸惑い、ミサは思紹の側室になっていたユイとの再会を喜んだ。



 翌日、首里の大聖寺(だいしょうじ)報恩寺(ほうおんじ)慈恩寺(じおんじ)、大禅寺で戦死した兵たちの供養が行なわれ、夜には会同館で戦勝祝いの宴が開かれた。供養の最中、雨が降り始めて、梅雨に入ったようだった。

 その翌日、思紹と馬天ヌル、ファイチと三人の大役(うふやく)、サハチとその兄弟たちが百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)に集まって、今後の事を相談した。ササ(運玉森ヌル)は呼ばなかったのに愛洲ジルーと一緒に、大きなお腹で馬に乗ってやって来た。

「無理をするな」とみんなから言われて、「まだ大丈夫よ」とササは笑った。

 龍天閣でやる予定だったが階段が危険なので、百浦添御殿の一階の広間に変更された。愛洲ジルーは五郎左衛門と一緒に龍天閣で待ってもらった。

 集まった者たちの顔を見回して思紹が口を開いた。

「山北王を倒して、長年の夢だった琉球統一は実現した。ようやく、戦のない平和な世の中がやって来たわけじゃ。まず、やらなければならない事は今帰仁の再建じゃ。わしも行ってみるつもりじゃが、マチルギに任せようと思っている。初代今帰仁ヌルのアキシノ様を救ったマチルギは、ヤンバルのヌルたちに尊敬されているはずじゃ。ヌルたちがマチルギに従えば、按司たちも従うじゃろう。みんなで力を合わせれば一年で再建されるじゃろう。グスクの方は城下の再建が終わってから、最低限の建物を建てればいい。次に、勝連と越来の後見役と今帰仁の補佐役を決めなければならん。戦の前、チューマチの補佐役をマサンルーにやってもらおうと思って、本人にも伝えてあったんじゃが、マサンルーはどう思っているんじゃ」

「妻の生まれが奥間なので、今帰仁に行くのもいいだろうと思っていたのですが」と佐敷大親は言って、少し間をおいてから意を決したように、

「戦が終わって事情が変わりました。母の実家を守るために越来の後見役を務めたいと思います」と言った。

「お前が越来の後見役か」と思紹が言って、皆の顔を見回した。

「マサンルーが越来に行けば、ハマ(越来ヌル)も力強いでしょう」と馬天ヌルが言った。

「ハマのためにもそれがいいわ」とササも言った。

 思紹がうなづいて、「マサンルーが越来に行くとなると今帰仁には誰を送ったらいい」と聞いた。

「兄貴が越来に行くなら、俺が行くしかないですね」と平田大親(ヤグルー)が言った。

「お前が行ってくれるか」と思紹が聞くと、平田大親はうなづいた。

「ヤグルーなら大丈夫よ」と馬天ヌルが言って、ササもうなづいた。

「次は勝連だが、勝連は朝鮮(チョソン)との交易があるからちょっと大変じゃ。誰を送ったらいい?」

 誰も何も言わなかった。

「今、今帰仁には苗代大親殿がいます」とファイチが言った。

「勝連按司後見役を苗代大親殿に頼んで、苗代大親殿が今帰仁から帰って来るまで、平田大親殿に代行させたらどうでしょう」

「苗代大親が勝連按司後見役か」と思紹は言って考えた。

「首里のサムレー総大将はどうなるの?」とササが聞いた。

「そろそろ世代交代じゃ。苗代大親は今帰仁の戦が終わったらサムレー総大将を引退して山グスク按司になる予定だったんじゃよ。山グスクに引退するのはもう少し待ってもらって勝連に行ってもらおう。若按司はまだ四歳だから十年余り勤めなければならんが、先の事は何とかなるじゃろう。後見役が決まった所で、ヤマトゥに行く交易船だが、今年もクルーに頼む事になるがやってくれるか」

「妻や子のために一度くらいは休もうと思っていたのですが、兄貴たちが後見役を務める事になったので、今年も行って来ますよ。妻には内緒ですが、実は船に乗るのが楽しいのです。梅雨が明けると、船に乗ってヤマトゥ旅に出るのが習慣になってしまったようです」と手登根大親(クルー)は笑った。

「すまんな。頼むぞ。そこでじゃ、今回のヤマトゥ旅にわしも行こうと思っているんじゃよ」

「親父、何を言ってるんです」とサハチが言って、皆が驚いた顔をして思紹を見ていた。

「五郎左衛門殿に誘われたんじゃよ。五郎左衛門殿は七十に近い。もう二度と会えなくなるかもしれんのじゃ」

「今帰仁の再建がこれからだと言うのに、親父が年末まで留守にするなんて無理ですよ」

「わしがいたからって今帰仁の再建が早くなるというわけでもあるまい。安謝大親(あじゃうふや)から聞いたんじゃが、察度は今帰仁合戦の後、浦添按司(うらしいあじ)武寧(ぶねい)に譲って隠居して首里天閣に移ったという。わしも首里按司(すいあじ)をお前に譲って隠居する事にする」

「首里按司?」

「わしも意識した事はなかったが、中山王は首里按司を兼ねていたんじゃよ。お前がここに来て首里按司を継げ」

「親父はどこに行くんです?」

「山グスクにでも行くかのう」

「王妃と側室たちを連れて、あんな辺鄙(へんぴ)な所にいくのですか」

「側室たちはいらん。シタルー(先代山南王)も山北王もいなくなったんじゃ。側室たちは返してもいいんじゃないのか」

「返してもいいかもしれないけど‥‥‥それはマチルギが帰って来たら相談して下さい。首里按司を隠居するのも、今帰仁の再建が終わってからです」

「そうじゃな」と思紹は渋々うなづいた。

「山北王の若按司のミンはどうするの?」とササが聞いた。

「ミンは他魯毎(たるむい)(山南王)の妹婿じゃからな。他魯毎に任せるしかあるまい。こっちが口を出せる事じゃない」

保栄茂(ぶいむ)グスクもテーラーグスクも他魯毎に任せるの?」

「他魯毎には李仲按司(りーぢょんあじ)照屋大親(てぃらうふや)が付いている。トゥイ様(先代山南王妃)もいるし、うまくやってくれるじゃろう」

「マチルギを助けるために女子サムレーや城女たちを今帰仁に送りますか」と馬天ヌルが思紹に聞いた。

「そうじゃな。炊き出しもあるし、向こうに残してきた重傷兵たちの面倒も見なければならん。手の空いている者たちを送ろう」

一徹平郎(いってつへいろう)たちも送りますか」とサハチが聞いた。

「そうじゃな。グスク内の屋敷は一徹平郎たちに任せるか」

 評定(ひょうじょう)が終わるとサハチはササと愛洲ジルーと一緒に、山北王妃、ミサ、フミを連れて島添大里グスクに帰った。山北王妃をミーグスクのマナビーのもとに送り、ミサとフミは女子サムレーたちに預けた。ミサは首里グスクを守っていた女子サムレーたちを見て驚き、島添大里グスクにも大勢の女子サムレーがいる事に驚いていた。

 フミは佐敷生まれだが幼い頃に両親を亡くして、東行法師(とうぎょうほうし)のタムンに連れられてキラマ(慶良間)の島に行っていた。一緒に修行を積んだ女子サムレーが島添大里グスクにもいて再会を喜んでいた。



 翌日、小雨の降る中、サハチは平田大親と一緒に勝連に向かった。瀬織津姫(せおりつひめ)のガーラダマ(勾玉)なら勝連の呪いも退治できると言ってササが若ヌルたちと玻名(はな)グスクヌルと愛洲ジルーを連れて付いて来た。駄目だと言っても無駄なので、サハチはササのためにゆっくりと行く事にした。

 越来に寄って、ササはハマを慰めた。家臣たちの手前、悲しみをじっと堪えていたハマは、ササの顔を見ると急に泣き崩れた。サハチは重臣たちと会い、佐敷大親が後見役として越来に来る事を知らせ、戦死した按司と若按司の死を無駄にしないように、幼い若按司の息子を立派な按司に育ててくれと言った。船に乗せて北谷に送った按司と若按司、美里之子、戦死した兵たちの遺体はすでに届き、ハマによって葬儀も無事に済んでいた。慈恩禅師(じおんぜんじ)とギリムイヌル(先代越来ヌル)が来て、ハマを手伝っていたという、

 越来から勝連に向かう頃には雨もやんで日が差してい来た。

「勝連の呪いはまだ解けていないのか」と馬に揺られながら、サハチはササに聞いた。

「按司が戦死してしまうなんて、そうとしか考えられないわ」

「越来はどうなんだ? 呪いはないのか」

「えっ?」とササはサハチを見て、「越来もあるかもね。調べた方がいいわね」と言った。

「先代の越来按司は南風原(ふぇーばる)で戦死しているし、先々代は望月党(もちづきとう)に殺されているわ。先々代は察度の息子で、久高ヌル(小渡ヌル)の父親よ。その前の按司は察度の武将で、その前は察度に滅ぼされたわ。その前は浦添按司の玉城(たまぐすく)の弟で、察度に攻められて極楽寺(ごくらくじ)で戦死しているわ」

「ほう。お前、随分と詳しいな」

「古いウタキ(御嶽)を探す旅に出た時、越来にも行ってウタキを巡って神様から色々とお話を聞いたのよ。多分、極楽寺で戦死した英慈(英祖の孫)の息子が初代の越来按司だと思うわ。法要に出ていて突然の襲撃に遭って殺され、マジムン(悪霊)になったのかしら。それと望月党に殺された按司もマジムンになったのかもしれないわね」

「越来グスクを攻め落とした時、馬天ヌルがお清めはしたけどマジムン退治はしていない。やった方がいいんじゃないのか」

「そうね。按司と若按司、美里之子まで亡くなっているものね。佐敷大親まで亡くなったら大変だわ。シンシンとナナが帰って来たらハマと一緒にマジムン退治をやるわ」

「頼むよ」

 勝連グスクに着いて、四の曲輪(くるわ)にあるヌルの屋敷に行くと若ヌルは寝込んでいた。若ヌルはササたちと一緒に島添大里グスクにいたが、父親の戦死の知らせを聞いて今帰仁に行くマチルギたちに送られて帰っていた。若ヌルの事はササたちに任せて、サハチと平田大親は勝連ヌルと一緒に評定所(ひょうじょうしょ)に行き、重臣の平安名大親(へんなうふや)を訪ねた。サハチは一の曲輪を見上げながら、サムがもうここにいないなんて、未だに信じられなかった。

 会所(かいしょ)に通され平安名大親と会い、若按司の後見役として苗代大親に決まったが、苗代大親は今帰仁再建のために今帰仁にいるので、それまで平田大親に代行させると言ったら、平安名大親は喜んでくれた。四歳の若按司では無理だと言って、誰かが按司として来るのではないかと重臣たちは皆、心配していたという。

「中山王の弟で、首里のサムレー総大将を勤めていた苗代大親殿が若按司の後見役として来てくれれば大歓迎じゃ。よろしくお願い致します」

「叔父と比べたら頼りないかもしれませんが、わたしの弟が代行しますのでよろしくお願いします」とサハチは言った。

 平安名大親は平田大親を見て笑うと、「平田大親殿は明国にもヤマトゥにも行っておられると聞いている。勝連の者たちに色々と教えてくだされ」と言った。

 その夜、ささやかな歓迎の宴が二の曲輪の屋敷で開かれ、平田大親は勝連の重臣たちと酒を酌み交わして親交を深めた。

 ササは勝連ヌルと一緒にグスク内のウタキを巡り、グスクの周辺もくまなく調べ、若ヌルたちが何枚もの霊符(れいふ)を見つけた。六年前に若按司が病死した時に見つけた霊符と同じ物だった。

 あの時は知らなかったが、あの後、ウニタキが調べて、奄美大島にいる望月党の長老が明月道士(めいげつどうし)だという事がわかっていた。明月道士は二代目党首の弟で、若い頃に明国に渡り、四十年間も道士としての厳しい修行を積んできたという。明月道士が時々、琉球に来ている事もわかっているが、どこに隠れているのかは不明だった。

 ササは霊符を見つめながら、「必ず、明月道士を探し出すわ」とつぶやいた。

 四月二十一日、佐敷グスクのお祭りが行なわれ、マサンルーの兄弟たちが集まって、越来に行くマサンルー夫婦の送別の宴が催された。勝連から帰ったサハチと平田大親、ササたちも参加した。

 マサンルーの長男、シングルーが佐敷大親を継いで佐敷グスクを守り、次男のヤキチは強くなって美里之子を継ぐと張り切っていた。マサンルーは美里大親を名乗って、越来按司後見役を務める事になった。





首里グスク



島添大里グスク



越来グスク



勝連グスク



佐敷グスク




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