沖縄の酔雲庵

尚巴志伝

井野酔雲







逃避行




   

 今帰仁(なきじん)(いくさ)が始まる半月ほど前の三月二十八日、武装船に乗って逃亡した湧川大主(わくがーうふぬし)与論島(ゆんぬじま)に着いた。前日の夕方、運天泊(うんてぃんどぅまい)を出帆し、奥間(うくま)沖で一泊してから与論島に向かっていた。

 武装船が与論島に近づいて来た時、与論按司(ゆんぬあじ)は驚いた。今頃、どうして湧川大主が与論島に来るのか理解できなかった。

 与論按司のヘーザは国頭按司(くんじゃんあじ)の次男で、与論按司になる前は湧川大主の配下として運天泊で活躍していた。按司になれたのは湧川大主のお陰だと感謝して、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めに行く湧川大主のために滞在する屋敷まで建てていた。

 一月の半ば、山北王(さんほくおう)が奥間を焼き払うと、父の国頭按司は怒り、山北王を攻めるから若い者たちを鍛えて戦の準備をしろと言ってきた。二月になると、怪しまれるからまだ来なくもいいと言ってきて、三日前には、中山王(ちゅうざんおう)が山北王を攻める事に決まったので、お前は二十人を率いて来いと言ってきた。国頭按司だけでなく、羽地按司(はにじあじ)名護按司(なぐあじ)恩納按司(うんなあじ)金武按司(きんあじ)も中山王と一緒に今帰仁を攻めるという。ヘーザは驚き、真相を確かめるために配下の者を今帰仁に送ったが、まだ戻って来てはいなかった。

 二十五年前の今帰仁合戦の時、山北王(帕尼芝)の娘婿だった父は兵を率いて出陣し、今帰仁グスクを守り中山王の大軍を追い返していた。今帰仁グスクは簡単に落とせるグスクではないと言っていた父が、中山王と一緒に今帰仁グスクを攻めるなんて信じられなかった。前回と同じように、中山王の大軍が攻めたとしても、攻め落とす事はできないだろう。もし、中山王が攻め落とすのを諦めて引き上げた場合、父と一緒に今帰仁グスクを攻めたら、戦が終わった後、与論按司ではいられなくなるだろう。下手をしたら裏切り者として殺されるかもしれない。ヘーザは父からの援軍要請には応えないつもりだった。

 武装船に迎えの小舟(さぶに)を出しながら、湧川大主は自分が裏切ったかどうかを見に来たのだろうか。それとも、与論島の兵を連れて行くつもりなのだろうかとヘーザは心配した。

 ヘーザが不安な面持ちで湧川大主を迎えると、

「遊びに来たぞ」と湧川大主は陽気に笑った。

 湧川大主と一緒にいるのはサムレーではなく、側室と子供たちだった。

 側室たちを避難させに来たのかとヘーザは思った。

「俺は逃げて来た。しばらく世話になるぞ」と湧川大主は言って、ヘーザを誘って砂浜を歩いた。

「お前も知っていると思うが、大戦(うふいくさ)が始まる。山北王はお前の親父、羽地按司、名護按司、恩納按司、金武按司に裏切られた。ヤンバル(琉球北部)の按司たちが中山王と一緒に今帰仁に攻めて来る。山北王は運天泊を守らずに水軍の者たちも皆、今帰仁グスクに入れと言ったんだ。戦わずに運天泊を敵に明け渡すなんてできるか。俺は馬鹿らしくなって、戦から抜ける事にしたんだ」

「冗談でしょ」とヘーザは言って笑った。

「本当の話さ。山北王と別れて、今は清々した気分だ。今帰仁や運天泊に縛られる事なく、どこにでも行けるんだ。あの船に乗ってヤマトゥ(日本)まで行って来ようと思っている」

 ヘーザは唖然とした顔で湧川大主を見ていた。山北王の弟として、兄を補佐してきた湧川大主が山北王を裏切るなんて信じられなかった。

「戦が終わるまでここにいさせてくれ。今帰仁グスクが落ちる事はないと思うが、前回の時のように山北王が戦死するかもしれん。山北王が戦死すれば俺も安全だが、生きていれば俺を執拗に追ってくるだろう。山北王の生死によって、今後の行動も変わってくるからな、その事だけは確認しなければならん」

 武装船には百人以上も乗っていた。かつての仲間だったナグマサがいて、再会を喜び、ヘーザは詳しい事情を聞いた。

「俺のせいなんだ」とナグマサは言って、武装船から外した鉄炮(てっぽう)(大砲)を今帰仁に運ぶ途中、敵に奪われた事を話した。

「何て事を‥‥‥」

 謝って済む問題ではなかった。湧川大主が弟だとしても山北王は許さないだろう。湧川大主が家族を連れて逃げて来たわけをヘーザは納得して、戦の状況を調べるために配下の者を再び、今帰仁に送った。

 翌日、国頭按司からの使者が書状を持ってきた。書状には早く来いという催促と、湧川大主が与論島に行くかもしれないから、うまく騙して捕まえろと書いてあった。ヘーザは迷わず、父の書状を湧川大主に見せた。

 湧川大主は書状を読むと笑って、「俺を捕まえるか」とヘーザに聞いた。

「恩人を売ったりしませんよ」とヘーザは言った。

「今回の戦で山北王が勝った場合、俺を捕まえて山北王のもとに連れて行けば大手柄になるぞ。こんな島にいないで、今帰仁に行って重役に就けるかもしれん」

「俺はこの島が気に入っています。ここの按司で充分です」

「そうか」と言って湧川大主は笑った。

 湧川大主がこの島に来て、まだ一日しか経っていないが、以前の湧川大主ではないという事にヘーザは気づいていた。以前はいつも難しい顔をしていたのに、笑っている事が多く、昨夜は島の人たちと一緒に酒を飲んで騒いでいた。昔の湧川大主だったら、そんな事は絶対にしなかった。

 四月になって、中山軍が攻めてきて、戦が始まったと知らせが届いた。敵は鉄炮を撃って今帰仁グスクを攻撃しているらしいが、落ちる事はないだろうと湧川大主もヘーザも思っていた。ところが、四月十一日に今帰仁グスクが攻め落とされたという知らせが二日後に届いた。大雨の降る中、グスクが攻め落とされ、その後に雪が降ってきて、辺り一面真っ白になったという。夢でも見ているのかと湧川大主もヘーザも本気にしなかった。

 その二日後、湧川大主の娘婿の志慶真(しじま)のジルーが湧川大主の長女、勢理客(じっちゃく)若ヌルを連れて与論島に来た。勢理客若ヌルから詳しい話を聞いて、山北王も本部(むとぅぶ)のテーラーもサムレー大将たちもみんな戦死した事を知った。

「兄貴が死んだか」と湧川大主は言った。

 兄貴が死んで追っ手が来ない事にホッとしたが、こんなにもあっけなく死んでしまうなんて思ってもいなかった。きっと、俺の事を恨みながら死んだに違いない。

 少し黙っていた湧川大主は顔を上げてヘーザを見ると、「戦に勝った中山王は奄美の島々を手に入れるために攻めて来るぞ」と言った。

「中山王の兵と戦って、見事に討ち死にします」とヘーザは厳しい顔付きで言った。

「馬鹿な事を言うな。お前の親父は中山王に味方した国頭按司だ。抵抗せずに降参すれば、今まで通りにこの島の按司でいられるかもしれん。もう山北王はいないんだ。山北王に忠義立てする必要はない。島の人たちのためにも戦はするなよ」

 翌日の四月十六日、湧川大主は勢理客若ヌルを乗せて与論島を去った。山北王がいなくなって状況が変わったので逃げる必要もなくなった。ほとぼりが冷めるのを待てば今帰仁や故郷にも帰れるかもしれないと、幼い子供を連れて来た家臣たちは与論島に残る事になり、子供連れの船乗りたちも下りる事になった。

 湧川大主は運天泊から持って来た財宝を彼らに分け与えて、無駄死にはするなよと別れを告げた。志慶真のジルーは中山王の兵がいつ奄美攻めに来るのか調べるために再び、今帰仁に戻った。

 永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)の与和泊(ゆわどぅまい)に着くと永良部按司が驚いた顔をして湧川大主を迎えた。

 名護(なぐ)にいる永良部按司の母親のマティルマから、今帰仁城下の全焼と中山王が今帰仁に攻めて来るという知らせが永良部島にも届いていた。戦が始まるというのに、鬼界島を攻めに行くのだろうかと永良部按司は不思議に思いながら迎えの小舟を送ったのだった。

 湧川大主から事情を聞いて永良部按司は驚き、山北王が中山王に負けて戦死したと聞いて目を見開き、中山王の兵がこの島にも攻めて来るだろうと聞いて腰を抜かした。

 永良部按司は湧川大主の一つ年下の従弟(いとこ)で、永良部島で生まれたので、初めて会ったのは二人の祖父(帕尼芝)が戦死した年の暮れだった。夏まで今帰仁に滞在して一緒に武芸の修行に励んだが、いつも、当時、若按司だった兄に怒鳴られていて、何となく頼りない奴だと湧川大主は思った。十七年後、湧川大主がテーラーと一緒に奄美大島(あまみうふしま)を攻める時に再会して、若い頃の話を肴に酒を酌み交わした。当時、永良部按司は若按司だったが、この島の事は任せられると湧川大主は認めた。その後も鬼界島攻めの行き帰りに永良部島に寄って共に酒を飲み、戦の疲れを癒やしていた。

 側室と子供たちが上陸すると、永良部按司の案内で稲戸(にゃーとう)にある玉グスクに入って湧川大主たちはくつろいだ。

 玉グスクは古いグスクで、湧川大主の祖父の帕尼芝(はにじ)が永良部島を攻めた時も按司のグスクだったという。越山(くしやま)の中腹に、奄美大島の浦上(うらがん)から来た孫八(まぐはち)が新しいグスクを築いて、今はそこが按司のグスクになっていた。

 湧川大主がヤマトゥ(日本)の絵地図を眺めながら、どこに行こうかと考えていたら孫八が血相を変えてやって来た。

「山北王が中山王にやられたって本当なのですか」

「本当だ。俺の娘は今帰仁グスクにいて、中山王の兵が攻めて来てから攻め落とされるまで、すべてを見ている」

「娘さんは無事だったのですか」

「若ヌルだったので殺されなかったようだ。俺の配下が与論島まで連れて来てくれた。娘の話だと今帰仁グスクは敵の鉄炮にやられて山北王の御殿(うどぅん)も崩れ落ちたそうだ」

「中山王は鉄炮を持っているのですか」

「俺が乗っているのと同じ武装船を中山王は持っているんだ。船から鉄炮を外してグスク攻めに使ったんだよ」

「鉄炮を持った中山王の水軍がこの島に攻めて来るのですね」

「按司にも言ったが降参した方がいいぞ。勝てる相手ではない。按司は山北王の一族なので殺されるかもしれんが、他の者たちは助かるだろう」

 孫八が永良部島に来てから五年半が過ぎていた。

 孫八は平維盛(たいらのこれもり)の弟、有盛(ありもり)の子孫で、奄美大島の浦上の領主、孫六の弟だった。永良部島に来る前年、湧川大主と本部のテーラーが奄美大島の浦上に来て、山北王に従う事に決まった。その年の暮れ、孫八は兄の代理として山北王に挨拶をするために今帰仁に行った。今帰仁グスクの高い石垣を見た孫八は驚いた。若い頃に浦添(うらしい)に行って、浦添グスクを見た時も驚き、自分もあんなグスクを造ってみたいと思った。その時、中グスクや勝連(かちりん)グスクも見た。グスクには入れなかったが、奄美大島にあんなグスクを造ったら、誰もが驚いて、皆が従うに違いないと思った。浦上に帰って兄に話すと、夢を見ているんじゃないと言われ、その後、その事は忘れた。

 今帰仁グスクを見て、若い頃の夢が蘇った。外から見るだけでなく、グスク内に入る事もでき、石垣の修復をしていた石屋からためになる話も色々と聞いた。テーラーと一緒に羽地グスク、国頭グスク、名護グスクも見て回り、グスクを築くべき地形や縄張りも学んだ。

 夏になって浦上に帰る途中、永良部島に寄った孫八は当時、若按司だった永良部按司と仲良くなった。若按司と一緒に島内を散策して、後蘭(ぐらる)と呼ばれる地にグスクを建てる許可を得た。一旦、浦上に帰り、家族を連れて永良部島に来たのが五年半前の事だった。

 後蘭にグスクを築き、そのグスクを気に入った按司が、今のグスクは古いので是非とも新しいグスクを築いてくれと言ってきた。孫八は越山の周辺を歩き回ってグスクを築く場所を決めて、グスクを築き始めた。グスクが完成する前に按司は亡くなってしまったが、按司となった若按司も新しいグスクが気に入って、孫八を重臣として迎えてくれた。戦のために築いたグスクだが、中山王の兵が攻めて来るなんて想定外の事だった。按司が戦をすると言えばしなければならないが、島の人たちを巻き込みたくはないと孫八は思った。

 永良部島に滞在中、湧川大主は永良部按司の妹で真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)に嫁いだマナビーは病死ではないと言って真相を話した。永良部按司は驚き、真喜屋之子は未だに逃げているのかと聞いた。

「縁があったらヤマトゥで奴と会えるかもしれん。会ったら、(かたき)は必ず討ってやるよ」と湧川大主は言った。

 永良部按司は中山王が攻めて来るまでこの島にいて、武装船の鉄炮で中山王の船を追い払ってくれと湧川大主に頼んだ。

「中山王は五、六百の兵で攻めて来るだろう。鉄炮で敵の船に命中させるのは難しい。一隻や二隻を沈めても、半数以上の兵は上陸する。上陸してから鉄炮でグスクを攻めるに違いない。孫八が造ったグスクは立派だが鉄炮で攻められたら二、三日で攻め落とされるだろう」と湧川大主は言ってから笑うと、「今帰仁合戦から逃げて来た俺が、ここで中山王と戦う理由はない」と言った。

 長男のミンジを連れて浜辺を散歩していた湧川大主は、五、六歳の娘を連れた女と出会った。ミンジと娘が仲良く遊び始めたので、湧川大主は女に声を掛けて話をした。女は湧川大主を知っていて、瀬利覚(じっきょ)ヌルだと名乗った。湧川大主はヌルだと聞いて驚いた。ウミンチュ(漁師)のおかみさんだと思っていた。

「祖母は永良部ヌルでしたが、あなたの祖父(帕尼芝)に夫だった按司を殺されて、瀬利覚ヌルになったのです」

 祖父が永良部島を攻め取ったのは湧川大主が生まれる前の話で、父が山北王になるまでは本部で暮らしていたので、永良部島の事なんて何も知らなかった。

「俺は(かたき)というわけか」と湧川大主は笑った。

 瀬利覚ヌルは湧川大主を見て笑うと、「お互いに孫ですからね。わたしが生まれる前の事で、今さら恨んでも仕方のない事です」と言って、海辺で遊んでいる子供たちを見た。

「あの()の父親はマレビト神様というわけか」

 瀬利覚ヌルは驚いた顔をして湧川大主を見ると、「ヌルの事をよく御存じですね」と言った。

「先代の中山王(武寧)の娘に浦添ヌルがいた。父親が戦死して今帰仁に逃げて来たんだ。今は奄美大島にいるんだが、そのヌルからヌルの事を色々と聞いたんだよ」

「どうして、奄美大島に行ったのですか」

「奄美按司の娘を奄美ヌルにするために指導しているんだ。本人も知らなかったんだが、そのヌルの御先祖様は鬼界島生まれだったらしい。鬼界島にはキキャ姫様という神様がいて、そのヌルはキキャ姫様の声が聞こえるんだよ。この島にも神様がいるのか」

大山(うふやま)にイラフ姫様がいらっしゃいます。イラフ姫様の子孫たちがこの島で暮らしていましたが、初代今帰仁按司の次男が永良部按司としてこの島に来ました。そして、初代今帰仁ヌル様の孫娘が永良部ヌルとしてこの島に来ました。初代の永良部ヌル様はとてもシジ(霊力)が高くて、この島を統治していたヌルの跡を継いで、イラフ姫様にお仕えしました。永良部ヌルは代々、母から娘へと受け継がれて、わたしが生まれて、あの娘が生まれたのです」

「ほう、凄いな。すると、そなたは初代の今帰仁ヌルの子孫というわけだな」

「そうです。わたしはイラフ姫様にお仕えしなければならないのです」

「イラフ姫様の声が聞こえるのだな」

 瀬利覚ヌルはうなづいた。

「今の永良部ヌルには聞こえないのか」

按司様(あじぬめー)の妹ですから聞こえません」

「神様の声が聞こえなくて、ヌルが務まるのか」

「今のヌルはほとんどが神様の声が聞こえないのです。按司を守るのが仕事ですから、決められた儀式を決められた通りにやればそれでいいのです」

「神様の声が聞こえるヌルは特別のヌルという事か」

「そうです。わたしはこの島から出た事がないので知りませんが、今帰仁に行った事のある永良部ヌルの話だと琉球の南部にいる馬天(ばてぃん)ヌル様はウタキ(御嶽)巡りをして様々な神様の声を聞いたようだと言っていました」

「馬天ヌルか‥‥‥」と言って湧川大主は海を見た。

 永良部島のヌルが馬天ヌルを知っているのが不思議だった。馬天ヌルはウタキ巡りと称してヤンバルを巡っていた。ヌルの事など一々気にも留めなかったが、馬天ヌルはヤンバルのヌルたちの心を奪い、ヤンバルの按司たちの裏切りに一役買っていたのかもしれないと今更ながら思った。

「御存じですか」と瀬利覚ヌルが聞いた。

 湧川大主は微かに笑って瀬利覚ヌルを見るとうなづいた。

「運天泊に来た時に会った事がある。俺の叔母の勢理客(じっちゃく)ヌルも、馬天ヌルは凄いヌルだと言っていた。馬天ヌルは最初にヤンバルに来た時は佐敷按司の妹に過ぎなかったんだが、二度目にヤンバルに来たときは中山王の妹になっていたんだ。ヌルの力を使って佐敷按司が中山王になるのを助けたのだろう」

「馬天ヌル様は中山王の妹だったのですか。世の主(ゆぬぬし)様(按司)の母親は先代の中山王の妹でした。先代の世の主様が亡くなった後、今帰仁に行きましたが御無事でしょうか」

「中山王が今帰仁を攻める前に今帰仁の城下は全焼してしまったんだ。グスク内に避難民が溢れて、グスク内の屋敷で暮らしていた永良部様(マティルマ)は越来(ぐいく)様(マアミ)と一緒に屋敷を避難民に明け渡して名護に避難したそうだ。きっと無事だろう」

「そうですか。安心しました。奥方様(うなぢゃら)には大変お世話になりました」

 湧川大主は瀬利覚ヌルと別れ、玉グスクに帰りながら奄美大島にいるマジニ(前浦添ヌル)を思い出していた。早く、マジニに会いたかった。

 四月二十日に梅雨に入り、その翌日に志慶真のジルーが永良部島に来て、中山王の兵は梅雨明けに攻めて来ると知らせた。湧川大主はジルーを乗せて永良部島を去って徳之島(とぅくぬしま)に向かった。

 徳之島に着くと徳之島按司に迎えられ、中山王の兵が梅雨明けに攻めて来る事を知らせた。

 徳之島按司は永良部按司の弟で、湧川大主の義弟だった。湧川大主の妹のマキクが徳之島按司に嫁いでいた。マキクが嫁いだ時は畦布大主(あじふうふぬし)を名乗って永良部島にいて、倭寇(わこう)の拠点だったヤマトゥグスクを守っていた。山北王(攀安知)が徳之島を攻める時に永良部島に寄った時、畦布大主を徳之島按司に任命してとマキクからせがまれて、それもいいかなと思って決めた。急遽、畦布大主も徳之島攻めに参加する事になり、戦で活躍して徳之島按司になったのだった。

 永良部按司からの知らせで、山北王が中山王に滅ぼされた事は徳之島按司は知っていた。マキクは湧川大主から詳しい話を聞いて、姉の今帰仁ヌルと兄の山北王が戦死したなんて信じられないと言って悲しんだ。

 徳之島には一泊だけして、その二日後に奄美大島の万屋(まにや)に着いた。ウミンチュたちが迎えに来て、湧川大主は上陸した。マジニの喜ぶ顔を思い浮かべながら万屋グスクに入ったが、ヌル屋敷にマジニはいなかった。

 湧川大主が来た事を知って慌ててやって来た奄美按司は驚いた顔をして、「生きていらっしゃったのですか」と言った。

「戦の事を知っているのか」

「兄(志慶真大主)から知らせが届いて、山北王が中山王に敗れたと書いてありました。山北王が戦死したと書いてあったので、湧川大主殿も戦死したものと思っておりました」

 湧川大主は逃げて来た事を簡単に説明して、マジニの事を聞いた。

「マジニ様は鬼界島に行きました」

「何だって?」

「危険だからやめなさいと止めたのですが、鬼界島は母の御先祖様の故郷だから大丈夫だと言って行ってしまいました」

「いつ、行ったんだ?」

「三月の半ば頃です。帰りが遅いので心配になってウミンチュを迎えに行かせたら、心配いらないと言って、まだ向こうにいます」

 湧川大主は万屋のウミンチュに頼んでマジニを迎えに行かせた。

 グスク内の庭で、去年、武当拳(ウーダンけん)を教えた若者たちと一緒に酒を飲んでいたら、マジニが驚いた顔をしてやって来た。

「生きていたのですね?」

「今帰仁の戦を知っているのか」と湧川大主は不思議そうな顔をした。

「浮島にいた鬼界島のお船が帰って来て、中山王の兵が凱旋(がいせん)して来た事を知らせたのです。山北王もサムレー大将たちもみんな戦死したと聞いて、湧川大主様も戦死したと思っていました。まさか、生きていて万屋に来るなんて‥‥‥」

 マジニは目に涙を溜めて湧川大主を見ていた。

「そうか。鬼界島の船が浮島にいたのか」と言って湧川大主は笑い、マジニを誘ってヌルの屋敷に入った。

 マジニはこぼれた涙を拭くと、「今帰仁グスクに入らずに、運天泊を守っていて助かったのですか」と聞いた。

 湧川大主は軽く笑うと、「戦が始まる前に逃げて来たのさ」と言った。

「えっ?」とマジニはポカンとした顔をした。

「山北王はヤンバルの按司たちに裏切られたんだ。ヤンバルの按司たちは皆、中山王と一緒に今帰仁に攻めて来た。ヤンバルの按司たちに裏切られるような奴は山北王の資格はない。俺も兄貴を見捨てて逃げて来たというわけさ」

「そうだったのですか‥‥‥」

 湧川大主が去年の夏、俺は山北王の弟をやめると言った意味がマジニにもようやくわかったような気がした。

 側室や子供たちも一緒に連れて来たと湧川大主は説明して、一緒にヤマトゥに行こうと誘った。

 中山王の兵が攻めて来るのなら鬼界島を守らなければならないと言ってマジニは断った。

「そうか」とうなづいて、湧川大主も無理に勧めなかった。三人の側室と一緒に船旅を続けたら、マジニがいやな思いをするのは目に見えていた。落ち着き場所が決まったら、改めて迎えに来ようと思い、「二人だけで会える場所がどこかにないか。ここにいると側室や娘たちがうるさいからな」と言った。

赤木名(はっきな)に行けば、按司様がお屋敷を用意してくれるでしょう」

 湧川大主は首を振った。

「奴は危険だ。俺を捕まえるかもしれん」

「まさか?」

「奴の兄貴の志慶真大主(しじまうふぬし)は中山王に降伏している。山北王が中山王に敗れた事を知らせ、俺が来たら捕まえろと言ったに違いない。奴に俺と戦う度胸はあるまいが、お前と二人だけで赤木名に行けば捕まるだろう」

「このお屋敷ができる前に使っていた小屋がアマンディー(奄美岳)にあります」

「よし、そこに行こう」

 湧川大主は配下の者たちに、奄美按司が攻めて来るかもしれないから気を付けろと注意をして、若者たちには酒盛りを続けさせ、マジニと一緒にアマンディーに行き、二人だけの時を過ごして別れを惜しんだ。

 翌日、小雨の降る中、マジニは鬼界島に帰っていき、湧川大主は万屋を去って、トカラ列島の宝島を目指した。





与論島



永良部島



徳之島



奄美大島の万屋グスク




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