酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




浦上美作守則宗の略歴





1429年 備前の国、三石城にて、浦上宗安の次男に生まれる。 1歳
1441年 6月 嘉吉の変、起こる。 13歳
9月 城山城、落城。父宗安と兄則永、死す。
1453年 嫡男、則景生まれる。 25歳
1455年 赤松政則、生まれる。 27歳
4月 赤松則尚の挙兵に従うが、逃げ延びる。。
赤松政則に仕える。
1456年 12月 赤松の遺臣、偽って南朝に仕える。 28歳
1458年 9月 赤松家、再興される。 30歳
1459年 赤松家、加賀半国を宛がわれる。 31歳
1462年 9月 浦上美作守、京都の土一揆を討ち取る。 34歳
この頃、播磨では赤松牢人が主家復活を目指す。
1465年 赤松政則(11)、元服する。 37歳
美作守、政則を助け、洛中で名声を得る。
1467年 1月 応仁の乱、始まる。赤松政則、東軍となる。 39歳
5月 政則、播磨に下向する。
宇野下野守政秀、21日までに播磨の国を平定する。
9月 浦上一族が備前の国を、中村五郎左衛門尉と広岡民部少輔が美作の国を平定する。
1468年 1月 政則、侍所所司に、浦上美作守は所司代に任命される。 40歳
1469年 7月 赤松勢、兵庫に出陣する。 41歳
宇野下野守、宇野備前守、小寺藤兵衛尉、明石道祖鶴丸らが参加。間島河内守戦死。
11月 政則、播磨、備前、美作の守護職と兵部少輔に任じられる。
12月 政則、姫路城から置塩城に移る。
1470年 2月 天王寺合戦。浦上美作守、小寺藤兵衛尉、宇野備前守、大勝する。 42歳
1471年 4月 政則の父、申恩院(義祐)の十三回忌を建仁寺で行う。 43歳
12月 美作守、阿修羅坊に政則の姉を捜せと命じる。
1473年 山名宗全、細川勝元、死す。 45歳
1474年 7月 政則の姉が美作守の屋敷に来る。 46歳




京都、浦上屋敷の図



京都、浦上屋敷の図




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