酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




別所加賀守則治の略歴




1440年 播磨の国、河内城にて別所肥前守則忠の子に生まれる。 1歳
1441年 6月 嘉吉の変が起こる。 2歳
9月 城山城、落城。祖父則安、父則忠、戦死する。
1455年 赤松政則、生まれる。 16歳
4月 赤松則尚が挙兵。
1456年 12月 赤松遺臣が偽って、南朝に仕える。 17歳
1458年 9月 赤松家、再興される。 19歳
則治、政則の家臣となる。
1459年 赤松家、加賀半国を宛がわれる。 20歳
則治、加賀に出陣する。
1462年 9月 浦上美作守、京都の土一揆を討ち取る。則治も従う。 23歳
この頃、播磨では、赤松牢人たちが主家復活を目指して、山名勢と戦う。
1465年 赤松政則(11)、元服。 26歳
長女、小笹、生まれる。
浦上美作守、政則を助けて洛中で名声を得る。
1467年 1月 応仁の乱、始まる。赤松政則、東軍となる。 28歳
5月 政則、播磨に下向。宇野下野守政秀、21日までに播磨の国を平定する。
則治も従い、その後、東播磨守護代として両国経営のために播磨に残る。
9月 浦上一族が備前の国を、中村五郎左衛門尉と広岡民部少輔が美作の国を平定する。
1468年 1月 政則、侍所所司に、浦上美作守は所司代に任命される。 29歳
則治、河内城主となる。
1469年 7月 赤松勢、兵庫に出陣。 30歳
11月 政則、播磨美作備前の守護職と兵部少輔に任じられる。
12月 政則、姫路城から置塩城に移る。
1470年 2月 天王寺合戦。浦上美作守、小寺藤兵衛、宇野下野守、大勝する。 31歳
1471年 4月 政則の父、申恩院(義祐)の十三回忌を建仁寺で行う。 32歳
1472年 嫡男、小三郎、生まれる。 33歳
1473年 山名宗全、細川勝元、死す。 34歳
1474年 7月 政則の姉、置塩城下に来る。 35歳





置塩城下、別所屋敷の図


置塩城下、別所屋敷の図




創作ノートの目次に戻る



inserted by FC2 system