酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




松阿弥の略歴




1433年 赤松一族の上原家の年寄衆、中島兵庫助の三男に生まれる。 1歳
1441年 6月 嘉吉の変が起こる。 9歳
9月 城山城落城。赤松満祐自害。赤松家滅びる。
上原家の四男、弥五郎と共に鎌倉に落ち延びて、禅僧になる。
1445年 弥五郎と共に、念流の使い手、上原慈幻の弟子になる。 13歳
1451年 時宗の僧となり、松阿弥を名乗る。 19歳
1455年 5月 赤松彦五郎の合戦に参加する。上原慈幻、戦死する。 23歳
松阿弥、重傷を負い、尼僧妙泉尼(宗全の娘、19)に助けられる。
宗全を殺すために山名家の食客となり、宗全に近付くために戦で活躍する。
やがて、認められ、山名家剣術指南役に就く。
1458年 9月 赤松家、再興される。 26歳
1459年 1月 因幡守護山名勝豊(宗全の三男)死す。 27歳
1467年 1月 応仁の乱、始まる。宗全の身辺警護の役に就き、京都に行く。 35歳
5月 赤松家、播磨を平定する。
9月 但馬播磨守護、山名教豊(宗全嫡男、46)死す。
1468年 2月 初めて、血を吐く。 36歳
6月 東軍の京極勝秀(持清の嫡男)、陣中で死す。
10月 東軍の細川持賢(勝元の叔父)、死す。
11月 足利義視、西軍の陣に迎えられる。
1470年 8月 侍所所司の京極持清(64)、死す。 38歳
1471年 3月 東軍の伊勢守護、北畠教具(49)、死す。 39歳
6月 東軍の若狭守護、武田信賢(52)、死す。
1472年 1月 宗全、勝元に和平を申し入れるが失敗する。 40歳
8月 宗全、家督を孫の政豊(32)に譲る。
11月 太平の世を願いながら妙泉尼(36)死す。
1473年 1月 伯耆備前守護職の山名相模守教之、死す。 41歳
3月 山名宗全(70)病死。
5月 細川勝元(44)を暗殺する。
11月 山名家を出て、浦上美作守の食客になる。労咳の症状が悪化する。
1474年 4月 山名政豊と細川政元(19)が和解する。 42歳
8月 置塩城下で太郎坊と戦い敗れる。
1477年 但馬の国で、子供たちに囲まれて死す。 45歳







念流



念阿弥慈恩(1351-1448)本名 相馬四郎義元 奥州相馬に生まれる。

1351年 相馬四郎左衛門忠重の子として生まれる。
1357年 藤沢の遊行上人に預けられ、念阿弥と呼ばれる。
1360年 10歳の時、鞍馬寺において、異人より剣法を教わる。
1366年 16歳の時、鎌倉寿福寺において、禅僧より、秘伝を受ける。
1368年 18歳の時、筑紫の安楽寺において、奥義を会得する。
この後、父の仇を討ち、服喪3年の後、禅門に入り、名を慈恩と改め、諸国を巡って奥義を伝えた。
一説には、諸国を巡り武を磨き、日向の鵜戸の石窟に籠って悟りを開き、一派を立て、念流と称し、のち、鎌倉寿福寺に入って、慈音と称したとも言う。
1408年 58歳の時、信州浪合村(長野県下伊那郡)の長福寺の開山となり、念大和尚と称した。長福寺の本尊は摩利支天。
高弟 赤松三首座、猿神前、畠山古泉入道、沼田法印、塀北豊前守、甲斐豊前守、中条判官、土岐近江守、京極民部少輔、四宮弾正左衛門、潮肥後守、堤宝山、畠山駿河守、樋口太郎兼重。




樋口太郎兼重 ―― 樋口次郎兼定 ―― 樋口新左衛門高重 ―― 樋口太伝次定兼
(1382-) (1404-) (1425-1513) (1463-)
堤山城守宝山
中條兵庫助 ―― 甲斐豊前守 ―― 大橋勘解由左衛門高能 ―― 富田九郎右衛門長家
(1359-1424) (1392?-) (1435?-) (1468?-)
二階堂右馬助 ‥‥ 松山主水
(1390?-)
赤松三首座禅師慈三 ―― 小笠原東泉坊甲明 ―― 小笠原新次朗氏綱
(1380-1458) (1421−1492) (1448−1522)
赤松満祐の弟




五典 ‥‥‥ 《妙剣》《絶妙剣》《真剣》《金翅鳥王剣》《独妙剣》
腕、手首を打つ技、首を打つ技、胸及び腹を突く技、位詰めの技、押し詰めの技。
馬庭念流 表 5本 上略、中略、下略、無搆、合掌
裏 3本 附切送 上段切、三段切
長刀5本
槍 5本
組 10本 その一 打込乱勝、逆入、屏風反、太刀捌、合掌崩
その二 獅子峯下、中墨、中央大詰、澄入、獅子奮迅




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