酔雲庵

侠客国定忠次一代記

井野酔雲

創作ノート





お鶴の略歴




1808 佐位郡今井村の旧家桐生家に生まれる。 1歳
1825 10月 佐位郡国定村の長岡忠次郎(16)のもとに嫁ぐ。忠次郎の母は34歳。 18歳
1826 10月 忠次郎(17)、無宿者を殺し、武蔵国へ逃げる。 19歳
1827 3月 忠次郎(18)、百々村の門次の子分になったと言って、こっそり現れる。 20歳
1829 忠次郎の弟、友蔵(16)、綿打村から嫁(16)を貰う。 22歳
1830 9月 忠次郎(21)、百々村の門次の跡目を継ぐ。 23歳
1831 1月 忠次郎(22)、田部井村で国定一家を張り、お町(22)を妾にする。 24歳
忠次郎は忘れた頃、時々、顔を見せる。お鶴は母親と一緒に養蚕、機織りと稼ぐ。
1832 友蔵(19)の長女りん、生まれる。 25歳
1834 6月 忠次郎(25)、無宿者となる。 27歳
7月2日 忠次郎、島村の伊三郎を殺し、旅に出る。
1835 7月 忠次郎(26)、旅から帰り、顔を見せる。 28歳
1837 6月 忠次郎(28)、田部井村で沼浚いをする。 30歳
友蔵の妻(24)、病死する。りんの面倒を見る。
1838 3月 三ツ木の文蔵が捕まり、忠次郎(29)、旅に出る。 31歳
忠次郎の弟、友蔵(25)、後妻(22)を貰う。
1839 友蔵の長男権太、生まれる。 32歳
1841 10月 大久保一角(46)、山伏右京(34)と共に、長男角太郎を捜しに来る。 34歳
1842 1月 忠次郎(33)、旅から帰り、玉村に殴り込み。 35歳
友蔵の次男波太郎、生まれる。
9月 忠次郎、三室の勘助を殺し、大久保一角と共に旅に出るが右京は残る。
右京、お鶴にひそかに惚れ、円明院泰玄(57)宅に居候する。
1843 12月 忠次郎の母の具合が悪くなり、右京に祈祷を頼む。 36歳
その後、時々、世間話をしに円明院の右京を訪れるようになる。
1845 5月14日 忠次郎の母(54)死す。 38歳
忠次郎(36)、旅から帰り顔を出し、赤城山に隠れる。
1846 友蔵の3男利喜松、生まれる。 39歳
6月 忠次郎(37)、五目牛のお徳(31)を妾にする。
1849 11月 忠次郎(40)、境川の安五郎(35)に跡目を譲る。 42歳
1850 7月21日 忠次郎(41)、お町の兄嘉藤太の家で倒れる。 43歳
忠次郎の病気が治るように円明院にいる右京(43)に頼む。
8月24日 忠次郎、西野目宇右衛門宅で捕まる。山伏右京に連れられ、行方をくらます。
1221 忠次郎、大戸で処刑される。
山伏右京の妻となり、磐城の平(福島県いわき市平)で暮らす。
1869 比丘尼姿で忠次郎の墓参りに国定村に来る。 62歳
1876 11月21日 死す。 69歳






お町の略歴




1807 兄庄八、生まれる。
1810 田部井村の尾内市太夫の娘に生まれる。 1歳
1815 母死す。同族で名主の尾内弥平次(36)の養女となる。 6歳
名主の娘として読み書き、そろばん、裁縫などを習う。
1822 兄、庄八(16)は尾内の嘉藤太と呼ばれ、三室の勘助(22)の弟分のように振る舞う。  13歳

嘉藤太は財産を博奕で失い、弥平次(43)が借金を引き受ける。

1823 国定村の忠次郎(14)と出会い、少し興味を持つ。 14歳
当時の忠次郎は兄と対立して、年中、喧嘩していた。
1825 伊与久村の深町重右衛門(北荘、1802−70,24)のもとに嫁ぐ。 16歳
1826 嘉藤太(20)は三室の勘助の一の子分になろうとするが、勘助は堅気に戻る。 17歳
10 忠次郎(17)は嘉藤太を助け、弥平次に難癖を付けた流れの無宿者を斬って逃げる。
関東取締出役が出て来るが、弥平次、本間千五郎(43養寿寺貞然(39、道案内の角万屋佐重郎(33らの活躍で忠次郎は手配を逃れる。
11 忠次郎の噂を聞いて会いたくなる。
1827 2月 深町重右衛門(26)と別れ、田部井村に戻る。 18歳
3月 忠次郎、百々村の門次の子分になる。
忠次郎の噂を聞き、会いたいが百々村まで行く事はできない。
9月 忠次郎が国定村に帰った時、道端で嘉藤太(21)と出会い、お町の事を聞く。お町、嘉藤太の手引きでと忠次郎と会い、その日に結ばれる。
忠次郎、毎晩のようにお町のもとに通う。
1828 1月 お町、嘉藤太の家に移る。 19歳
1830 9月 忠次郎(21)、百々村の門次の跡目を継ぐ。 21歳
嘉藤太(23)、忠次郎と五分の兄弟分となる。
1831 1月 忠次郎(22)、田部井村で国定一家を張り、お町は妾として同居する。 22歳
・お町御用達の仕立て屋が下植木村にあり。その正面に籠屋があり、主人の明戸団蔵は内職にサイコロを作っていた。
1834 6月 忠次郎(25)、無宿者となる。 25歳
7月2日 忠次郎、島村の伊三郎を殺し、旅に出る。
1835 7月 忠次郎(26)、旅から帰り、顔を見せる。 26歳
1836 3月 養父弥平次(57)死す。忠次郎の実家に入籍する。 27歳
1837 6月 忠次郎(28)、田部井村で沼浚いをする。 28歳
1838 3月 三ツ木の文蔵が捕まり、忠次郎(29)、旅に出る。  29歳
1842 1月 忠次郎(33)、旅から帰り、玉村に殴り込み。 33歳
1845 5月14日 忠次郎の母(54)死す。

36

忠次郎(36)、旅から帰るが、赤城山に隠れる。
1846 6月 忠次郎(37)、五目牛のお徳(31)を妾にする。 37歳
1849 11月 忠次郎(40)、境川の安五郎(35)に跡目を譲る。 40歳
1850 7月21日 忠次郎(41)、お町の兄嘉藤太の家で倒れる。 41歳
8月24日 忠次郎と共に、西野目宇右衛門宅で捕まる。
1221 忠次郎、大戸で処刑される。
1852 新田郡田中町の田中秀之進の妾となる。 43歳
尊王運動に投じて秀之進が処刑されると、東小保方村の高橋某の後妻となる。
高橋某の病死後、田部井村に帰り、裁縫の師匠として過ごす。
1870 7月20日 死す。 61歳






お徳の略歴




1816 金古宿の近く中里地内の岸家に生まれる。 1歳
1823 父が病死し、母もと(1785−,39)はお徳を連れて実家に帰る。 8歳
1824 母もと、有馬村の一倉佐平に再婚する。 9歳
義兄峰太郎(1804−,20)より剣術を習う。
1826 弟、生まれる。 11歳
1828 義兄峰太郎(25)、嫁(19)を貰う。 13歳
・焼き餅を焼き、義兄の嫁に嫌がらせをする。
1830 有馬村出身で玉村宿で旅籠屋兼小料理屋をしている知人のもとに奉公に出る。 15歳
1835 1月 弟(10)、高崎清水寺に入る。
1836 3月 五目牛村の菊地千代松(27)の家で月雇奉公人となる。 21歳
1839 義父、死す。 24歳
1840 4月 千代松(31)の妻となる。 25歳
1845 5月 千代松(36)捕まる。 30歳
1846 2月19日 千代松(37)牢死する。お徳、後家になる。 31歳
6月 忠次郎(37)の妾となる。
1848 2月 家捜しをしていた目明しの助右衛門を叱り付ける。 33歳
1849 11月 忠次郎(40)、境川の安五郎(35)に跡目を譲る。 34歳
1850 7月21日 忠次郎(41)、お町の兄嘉藤太の家で倒れる。 35歳
8月24日 忠次郎と共に、西野目宇右衛門宅で捕まる。
1221 忠次郎、大戸で処刑される。
1858 母もと(74)、死す。 43歳
1867 義兄峰太郎(64)死す。 52歳
1889 2月6日 死す。 74歳
1899 12月23日 弟、高崎清水寺住職、田村仙岳(74)死す。






お篠の略歴




1814 野沢温泉の宿屋の娘に生まれる。 1歳
1831 婿(22)を取る。 18歳
1833 婿は博奕にのめり込み、中野村の忠兵衛の子分になる。 20歳
1834 3月 忠兵衛の伜、原七(26)がお篠に惚れ、婿を殺し、お篠に付きまとう。 21歳
9月 忠次郎(25)文蔵(26)浅次郎(19)長兵衛(23)と野沢温泉に来る。
忠次郎は上州の絹商人の若旦那(国次郎)と称す。文蔵は文吉、浅次郎は浅太郎。
忠次郎、お篠に言い寄る原七を追い返す。
忠次郎ら、中野に行き賭場荒らしをして、野沢の人々を救う。
1835 7月 忠次郎(26)、長兵衛にお篠の事を頼み、上州に帰る。 22歳
1836 2月 忠次郎(27)、野沢温泉に来る。 23歳
9月 忠次郎、上州に帰る。
1841 8月 忠次郎(32)、野沢温泉に来る。 28歳
12 忠次郎、上州に帰る。
1842 8月 忠次郎の長女、お国、生まれる。 29歳
1847 4月 忠次郎(38)、野沢温泉に来る。お国(6)と対面。 34歳
1848 10月 忠次郎(39)、上州に帰る。 35歳
1850 1221 忠次郎(41)、大戸で処刑される。 37歳
1861 孫娘、つま(1861−1934)が生まれる。 48歳。






お貞の略歴




1818 畑野嘉平治(1775−1836)、伊与久村内の自邸に直心影流の道場を開く。
1822 火事により家宅が全焼する。
1823 姉、生まれる。
1825 伊与久村の名主で私塾の教授大谷益左衛門(1773−1853,53)の三女に生まれる。 1歳
伊与久村の深町重右衛門(1802−70)のもとに田部井村の尾内弥平次の養女お町が嫁ぐ。
1827 2月 お町、重右衛門と別れ、田部井村に戻る。 3歳
1226 木島村の大谷助右衛門(60)、御領分取締役を仰せ付けられる。
1830 9月 忠次郎(21)、百々村の門次の跡目を継ぐ。 6歳

吉沢一郎右衛門(180176)、伊与久村の名主になる。

この年、木島村の助次郎(40)、木島一家を張る。
斎藤武八郎(1794−1881)、伊与久村の自邸に気楽流の道場を開く。
1831 10月 高野長英(28)、境町の村上随憲を訪ねる。 7歳
1832 幼なじみの源太郎(1823−,10)、斎藤道場に入門する。 8歳
1834 7月 忠次郎(25)、島村の伊三郎を殺し、旅に出る。 10歳
1835 7月 忠次郎(26)、故郷に戻る。 11歳
木島村の高橋亘(10)、斎藤道場に入門する。
木島村の大谷助右衛門(68)死す。助次郎(45)が跡を継ぎ、助右衛門を名乗る。
1836 長雨冷害で作物できず、忠次郎(27)、窮民を救う。 12歳
7月 高野長英(33)、境町の村上随憲を訪ね、大谷家に寄る。
この年、深町重右衛門(35)と吉沢一郎右衛門(36)、日光に旅する。
1837 2月 大坂町奉行元与力大塩平八郎(45)が大坂で乱を起こす。 13歳
6月 忠次郎(28)、田部井村の磯沼の浚渫を行う。
雷電の宮の祭の時、忠次郎とお町を見かけ、憧れる。
1838 1月 源太郎忠次郎の三下になる。 14歳
4月 三ツ木の文蔵が捕まり、忠次郎(29)、旅に出る。
この年、高野長英『夢物語』を著す。
1839 源太郎(17)、取り敢えず、保泉村の久次郎(29)の子分になる。 15歳
12 高野長英、永牢となる。
1840 村上随憲より長英の『夢物語』が届く。お貞、読んで感心する。 16歳
1841 姉(19)、嫁に行く。 17歳
1842 1月 忠次郎(33)、旅から帰って来て、玉村に殴り込み。 18歳
2月 源太郎(20)忠次郎から盃を貰い子分になる。
お貞、源太郎から忠次郎の事を聞き、憧れる。
3月11日 忠次郎、百々村の門次の葬式を盛大に行う。
5月8日

道案内の大谷助右衛門(52)、忠次郎の子分、伊与久無宿源太郎(20を雷電宮の淵名通りにおいて殺害する。助右衛門は押し込めとなるが、忠次郎を恐れて逃げる。

7月20日 忠次郎、下総の笹川に出掛ける。
8月5日 忠次郎、下総から帰る。
8月19日 田部井村の賭場を襲撃され、忠次郎、赤城山に逃げる。
8月23 お貞、家を飛び出し、忠次郎に会うため赤城山に行く。
9月8日 忠次郎、浅次郎に三室の勘助を殺させる。
9月9日 忠次郎(33)と共に、大久保一角の故郷下野大久保村に行く。
忠次郎と3年近く、共に暮らす。忠次郎『夢物語』を読む。
1844 6月 高野長英、脱獄する。 20歳
7月 大久保一角の家で忠次郎(35)の長男、寅次を生む。
1845 6月 忠次郎(36)、お貞母子を一角に託して国定村に帰る。 21歳
忠次郎、赤城山にて高野長英と会う。
1846 忠次郎、浦賀に子分を派遣して世情を探る。 22歳
この頃、大館謙三郎、高橋亘(21)ら、赤城山の忠次郎を訪ねる。
1848 大谷助右衛門、お貞を捜すためお徳の家を家捜しして、お徳に怒られる。 24歳
1850 11 高野長英、江戸にて捕吏に襲われて自殺する。 26歳
1221 国定忠次郎(41)、大戸で処刑される。
1853 寅次(10)、出家し上都賀郡永野村長谷寺(曹洞宗)に入る。 29歳
1858 寅次(15)、出流山千住院、満願寺(出流町)の大宝観秀の弟子となり千乗を名乗る。 34歳
1867 12 千乗(24)、大谷刑部国次と名乗り、幕府軍に敗れ、処刑される。 43歳






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