酔雲庵

侠客国定忠次一代記

井野酔雲

創作ノート





木崎宿の左三郎の略歴



1800 吉十郎、山田郡武井村に生まれる。 1歳
1815 木崎宿に出て来て、孝兵衛親分(38、道案内)の三下奴になる。 16歳
1817 孝兵衛親分の子分になる。 18歳
1825 嫁(もよ、1807−.19)を貰い、木崎宿に団子屋を開き、川橋屋を称す。 26歳
1826 孝兵衛の代貸となる。 27歳
1827 1月 幕府、関東取締出役10人の担当地域を決める。 28歳
上州担当は吉田左五郎、河野啓助、太田平助、脇谷武左衛門(すぐに小池三助と交替)。
関東取締出役吉田左五郎の道案内となる。
1828 4月 幕府、関東諸村に若者組などの取締りを命じる。 29歳
1829 12月 三国街道金古宿で飯盛女の不正事件が発覚し、木崎宿も取り締まると称し賄賂を取る。 30歳
1830 9月 忠次郎、百々村の紋次の跡目を継ぐ。 31歳
1831 4月18日 幕府、百姓町人の身分不相応の葬式及び戒名、石碑を禁止する。 32歳
1832 ◆天保の飢饉始まる。 33歳
1834 1月27日 幕府、関東諸国に囲米を禁じ、江戸への廻米を命じる。 35歳
2月 関東取締出役、寄場組合村に富裕な者の貯穀や江戸積み出し穀物を調査させる。
7月2日 忠次郎、伊三郎を殺す。問屋場の軍蔵と共に現場に行く。
・伊三郎がいなくなったので、縄張りを拡張する。
1835 吉田左五郎の息子、亀吉(1834−.2)を養子に迎え、名を左三郎と改める。 36歳
馬太郎(1806−.30)、関東取締出役河野啓助の道案内になる。
1836 11 大間々を中心に米騒動が起こる。 37歳
1837 3月 忠次郎、田部井村の浚渫を行う。 38歳
9月 将軍が代わり、巡検使が見回るため、村方や宿場の取締が厳重になる。
1838 2月19日 幕府、巡検使を派遣する。 39歳
3月26日 世良田村の道案内茂吉(45)の差し金で三ツ木の文蔵、八寸の才市が世良田で捕まる。

忠次郎の子分、神崎の友五郎、茂吉を殺して国越えするが紀州で捕まる。

この年、関東取締出役、農村の諸営業調査を行う。
1841 孝兵衛親分(59)、死す。左三郎が跡目を継ぐ。 42歳
5月 関東取締出役に臨時取締出役26人が加えられる。
1842 1月 忠次郎、玉村の主馬を殺す。 43歳
3月 幕府、問屋の名称使用禁止を再令し、産地での商品の買溜め、囲置きを禁止する。
8月19日 関東取締出役吉田左五郎と共に田部井村の又八の家を包囲するが忠次郎に逃げられる。
9月8日 9月8日
忠次郎、子分浅次郎に三室の勘助父子を殺させる。
9月20日 関東取締出役石井多七郎、桧山近平、忠次郎一味を大手配する。
1111 関東取締出役中山誠一郎、富田錠之助、忠次郎一味を大手配する。
1119 日光の円蔵を捕らえれ、伊勢崎に来る。
忠次郎の子分、大勢捕らえられる。
1843 2月9日 関東に大地震起こる。 44歳
4月 12代将軍、家慶、日光社参する。
1845 5月 木島村の助右衛門、千代松を捕まえる。 46歳
1846 豪邸が完成、各地に招待状と進物を配布し、新築祝いを盛大に行う。 47歳
しめて370両の祝い金を受け取る。
1847 9月 関東取締出役、豊年手踊りなどを禁止する。 48歳
1849 関東取締出役が増員され、3地域分担制が拡大される。 50歳
上州担当は中山誠一郎、関畝四郎、安原トウ作、松田健蔵。
1850 7月21日 忠次郎、お町の家で倒れる。 51歳
半ば 忠次郎の子分、次郎右衛門、世良田村の名主幸助に10両を渡す。
世良田村の幸助、左三郎と馬太郎に3両づつ渡し、太田宿の苫吉に3両渡すように頼む。
左三郎、苫吉の3両のうち2両を使い込み、苫吉に1両だけ渡す。
苫吉、腹を立て、忠次郎の居場所を関東取締出役松田健蔵に訴える。
8月24 関東取締出役中山誠一郎、廻村中、木崎宿に立ち寄る。角万屋佐重郎、挨拶に訪れる。
忠次郎、田部井村名主宇右衛門宅で捕まる。

忠次郎の一件で馬太郎(只右衛門店子)と共に捕まる。

1221 忠次郎、大戸で処刑される。
1226 上州から追放される(軽追放田畑欠所)。
185? 左三郎、妻子に会うため木崎宿に帰り、捕まる。江戸の人足寄場に送られる。






木島の助次郎の略歴



1791 木島村の大谷助右衛門の長男に生まれる。 1歳
1820 百々村の紋次の子分になる。 30歳
1827 12月26日 父親の助右衛門(60)、伊勢崎藩の御領内取締役になる。 37歳
1829 10月 紋次を裏切り、島村の伊三郎の代貸になる。 39歳
1832 9月 伊勢崎の半兵衛、武士村の惣次郎を殺し国越えする。半兵衛の縄張りを狙う。 42歳
1833 6月 代貸の矢島の周吉が、半兵衛の代貸の二之宮の重太郎に殺される。 43歳
重太郎が国越えしたため、半兵衛の縄張りを手に入れる。
1834 7月2日 忠次郎、伊三郎を殺す。 44歳
伊三郎の死後、島村一家に内部抗争が始まり、後ろ盾を失った助右衛門は半兵衛の子分に伊勢崎から追い出され木島村に帰る。
1835 8月 柴の啓蔵、忠次郎の子分になる。 45歳
9月 父親(68)死す。助次郎、跡を継いで助右衛門を名乗る。
1836 2月 平塚の助八、世良田の茂吉、忠次郎の子分になる。 46歳
8月16日 忠次郎、玉村八幡宮に各地の親分衆を招待し男を上げる。
10

忠次郎、貧しい者たちを救い、民衆の人気を得る。

1837 2月 忠次郎、田部井村の沼を浚い、民衆の人気を得る。 47歳
1838 3月 三ツ木の文蔵、捕まる。取り返す事に失敗し、忠次郎、国越えする。 48歳
7月 忠次郎、関所破りで大手配となる。
1842 2月 伊与久村の名主、大谷益左衛門より、娘に近づく源太郎を追い払ってくれと頼まれる。 52歳
3月11日 百々村の紋次親分、死す。忠次郎、経蔵寺にて盛大な葬式を行う。
5月8日 雷電宮の淵名通りにおいて、忠次郎の子分伊与久村の源太郎を殺害し押し込めとなる。
押し込めの後、忠次郎を恐れて逃げる。
8月18日 木崎宿にいた関東取締出役の吉田左五郎に忠次郎の居場所を知らせ、隠れる。
8月19 田部井村の又八の賭場が襲撃され、忠次郎ら赤城山に逃げる。
8月23 伊与久村の名主の娘、お貞、家出する。
9月9日 忠次郎、三室の勘助を殺し、旅に出る。
9月11 忠次郎がいなくなったので木崎村に帰る。

伊与久村の名主より娘を捜してくれと頼まれる。

1845 6月 忠次郎、帰って来るとの噂に、隠れる。 55歳
1848 2月 お徳の家に家宅捜査に入り、お徳に怒られる。 58歳
6月 境町角屋吉兵衛方にて煩い出し、二夜ばかり煩い死去する。






三室の勘助の略歴



1800 三室村の名主であり、領主旗本久永代官所の手付役人中島勘蔵(25)の長男に生まれる。 1歳
1803 勘助の祖父、代官であった勘右衛門(士分格)死す。 4歳
1804 弟、生まれる。 5歳
1812 市場村の本間道場に通う。 13歳
1815 家を飛び出し、久宮の丈八(1782−1817,34)の三下になる。 16歳
1817 7月12日 久宮の丈八(36)、大前田栄五郎(25)らに殺される。 18歳
久宮一家は甥の豊吉(17)が跡目を継ぐが落ち目となる。
勘助は久宮一家を去り、大前田要吉(37)一家の三下になる。
1819 勘助、大前田一家の子分となる。 20歳
1821 要吉、栄五郎の母きよ(58)死す。栄五郎、帰郷するがすぐに旅立つ。 22歳
1823 百々村の紋次(31)の弟分になる。 24歳
1824 栄五郎が江戸で捕まり、江戸まで見舞いに行く。 25歳
1825 栄五郎、佐渡を抜島し、大前田に帰るが要吉に怒られ、川越に行く。 26歳
1826 勘助、三室村に帰り、一家を張ろうとするが親に反対される。 27歳
1827 勘助、嫁(1809−,19)を貰い、堅気になり、代官所に務める。 28歳
1828 勘助の長男、生まれる。 29歳
1829 弟、嫁を貰い分家する。 30歳
1830 勘助の次男、生まれる。 31歳
9月 国定村の忠次郎(21)、百々村の紋次の跡目を継ぐ。
1831 12月6日 勘助の母(1781−,51)死す。 32歳
1832 勘助の次女、生まれる。 33歳
1834 7月 国定村の忠次郎(25)、島村の伊三郎を殺し、手配される。 35歳
1835 勘助の妻(27)、三男を産んだ後、死す。 36歳
1836 2月 国定村の忠次郎、大戸の関所を破り、手配される。 37歳
上尾在足立郡内野本郷村の名主神山家の娘、玉(180863,29)、ふさ(182885,)を連れて、勘助のもとに嫁ぐ。
1837 1月11日 勘助の三男(3)、病死す。『法恵童子』 38歳
2月2日 勘助の次女(6)、病死す。『影月童女』

勘助の長男小三郎(10)、病死す。

6月 国定村の忠次郎、田部井村の磯沼を浚う。
8月20日 勘助の次男(8)、病死す。『宗園童子』
4人の子供を失い、世の中を恨み、荒れる。
1838 勘助、お清(26)を八寸村小斉(おざい)村に囲う。 39歳
3月26日 三ツ木の文蔵、捕まる。
1839 3月6日 父勘蔵(1776−,64)死す。 40歳
お清、太郎吉を産む。勘助、家に寄り付かなくなる。
1840 無宿者となり三室村を追放され隣村渡辺領の八寸村小斉のお清の家に移る。 41歳
渡辺領代官木村磯治郎の推挙で関東取締出役の道案内になり、一家を張る。
磯治郎は勘助と同郷の幼なじみで木村家に養子に入った。
玉(33)とふさ(13)は木村磯治郎の世話で別に暮らす。
1841 勘助、十手をちらつかせて、下植木村の浅次郎(26)、八寸村の七兵衛(51)を揺する。 42歳
1842 1月 国定村の忠次郎、玉村の主馬を殺す。 43歳
勘助、十手を持って、忠次郎のもとに挨拶に行き、金を揺する。
8月19日 勘助、関東取締出役に知らせ、忠次郎のいる田部井村の賭場を囲む。
9月8日 勘助と太郎吉()、浅次郎(27)らに殺される。清(30)は一緒にいたが傷を負いながらも逃げる。
1852 ふさ(25)、代官木村牧太(1817−66,36)の後妻となる。





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