酔雲庵


戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

井野酔雲






草津







 京都で修行中の三郎のもとに、小野屋からの使いが来たのは菊の花があちこちに飾られていた九月十日の朝だった。

 小野屋は下京の四条通りに出店があり、時々、草津からの便りを持って来てくれた。また、母親が心配して、便りをよこしたのだろうと会ってみると、京都の店では見た事もない行商人だった。

「琴音様が今、草津に向かっております」と行商人は三郎の耳元で囁いた。

 三郎は耳を疑い、もう一度、聞き直した。

「琴音様は祝言を挙げる前に、どうしても、草津に行きたいと幻庵様に申され、幻庵様もお許しになられました。わたくしどもの女将に連れられて、本日、小田原を発つ予定でございます」

「琴音殿が草津に‥‥‥」

 思ってもいない事だった。三郎は一瞬、ぼうっとなっていた。

「三郎様に会いに参るのでございます」と行商人は言った。

「本当ですか」と三郎は行商人の顔を見つめながら聞いた。梅干しのような顔をした行商人が草津温泉の守り本尊、薬師如来様の化身のように思えて来た。

「本当です。すぐに行かれますか」

「はい。お師匠様にお許しを得て、すぐに」

「お供いたします」と行商人は当然の事のように言った。

「えっ、一緒に草津まで?」と三郎は聞いた。

「はい。三郎様にもしもの事がございますれば、わたしとしても責任を取らなければなりません」

「責任を取るって‥‥‥もしかしたら、そなたは風摩ですか」

 行商人は笑っているだけで答えなかった。しかし、ただの行商人ではない事は確実だった。三郎は浮かれている自分を戒めた。もし、行商人が風摩だったら、自分の命を奪いに来たのかもしれない。そんな事はあり得ないとは思うが、今の世の中、何が起こるかわからなかった。

「そなたを信じないわけではないが、小野屋の女将さんの使いだという証拠を見せていただけませんか」と三郎は行商人に言った。

 行商人は笑った。そして、懐から袱紗(ふくさ)のような物を出して三郎に渡した。三郎は受け取ると袱紗を開いて見た。中には櫛が入っていた。秋の草花に赤とんぼが飛んでいる図柄は見覚えがあった。一昨年、初めて京都に来た時、琴音のために買った櫛で、去年の正月、琴音に贈った物だった。琴音も気に入ってくれて、大事にすると言ってくれた。北条三郎に嫁いだ後も大事に持っていてくれたのかと三郎はジーンと胸が熱くなって来ていた。

「琴音様は十六日には草津に着く予定でございます。急がなければなりません」

「わかりました」

 三郎は琴音の櫛を大切にしまうと上泉伊勢守の許しを得て、行商人と共に直ちに草津へと向かった。

 梅吉と名乗った行商人は足が速かった。三郎は負けるものかと必死になって後を追った。

 もう二度と会えないものと思っていた琴音が草津に来る‥‥‥信じられなかった。まるで、夢を見ているようだった。

 三郎は雲の上を歩いているかのような軽い足取りで草津へと走った。

 草津に着いたのは、十六日の昼頃だった。三郎自身、草津に来るのは久し振りだった。故郷に帰って来るのはいつも年末で、草津は雪に埋もれていた。久し振りに嗅ぐ温泉の臭いは強烈で、懐かしさを感じた。

 村の中心にある湯池(湯畑)を懐かしそうに眺めながら、湯池の脇にある善太夫の湯宿の門をくぐると古くからいる番頭が、「いらっしゃいませ」と声を掛けて来た。

「やあ、ただいま」と三郎が笑うと、

「あれ、若様ではございませんか」と驚いた。

 琴音はまだ着いていなかった。三郎が湯宿を守っている祖母と話をしているうちに、梅吉はどこに行ったのか消えてしまった。

 善太夫の湯宿は草津で一番格式の高い宿屋で、利用客のほとんどは武田家の武将たちだった。湯本一族の本家が経営し、主人は代々、善太夫を名乗っている。草津の領主である善太夫はこの湯宿の主人だった。ところが、父親、兄と相次いで戦で亡くし、善太夫が湯本本家を継ぐ事になった。しかし、戦続きで湯宿を継ぐ者もなく、善太夫が領主と湯宿の主人を兼ねなくてはならなかった。善太夫だけでなく、どこの湯宿も継ぐ者がおらず、武士と湯宿の主人を兼ねていた。

 善太夫は三郎の弟、小五郎に湯宿を継がせるため養子に迎えた。湯宿の主人になるには御師(おし)の資格が必要なので小五郎は今、白根明神で修行をしている。小五郎が一人前になるまで、善太夫の母と側室の小茶様が湯宿を守っていた。

 湯池のある広小路に面した一等地に善太夫の湯宿はあり、その後ろの小高い丘の上に領主のお屋形が建っている。今、善太夫は上杉と北条に備え、岩櫃城に詰めていて留守だった。

 三郎は琴音のための部屋の用意をした。うまい具合に一番いい部屋は空いていた。床の間の掛物を選び、花を飾り、夜になると冷え込むので火鉢も用意した。準備が整うと、久し振りに温泉に浸かって汗を流し、着替えを済ますと首を長くして琴音を待った。

 じっとしていられず、草津の入り口にある白根明神の鳥居まで迎えに出掛けた。

 当時、白根神社は運動茶屋公園から草津小学校にかけての一帯にあり、広い境内には、いくつもの宿坊が建ち並び、大勢の山伏たちが修行を積んでいた。山伏だけでなく、侍たちの子弟も武術の修行に励んでいる。三郎も三年間、ここで武術を習っていた。

 琴音がやって来たのは、半時(一時間)程してからだった。琴音は革袴をはいて馬に跨がり、左右に同じく馬に跨がった侍女を従えていた。その後ろに荷物を積んだ荷車と一緒に小野屋の女将がいた。女将の後ろには、三郎と共に京都から来た梅吉の姿もあった。

 三郎は琴音の側まで走って行った。琴音は三郎に気づくと馬から飛び降りた。思わず、抱き締めたい衝動に駆られたが、三郎はぐっと堪えて、琴音を見つめた。

 琴音は少し恥ずかしそうに俯いていた。でも、顔を上げると嬉しそうに笑って、「とうとう、草津に参りました」と言った。

「ようこそ、ずっと、お待ちしておりました」と三郎は答えた。

「ずっと?」

「ええ、ずっと」

 三郎は琴音に櫛を返した。琴音は笑った。

「わたしの宝物なの」と言って琴音は大事そうに懐にしまった。

 二人の姿を小野屋の女将は微笑みながら見守っていた。

 善太夫の湯宿に案内すると、「へえ、随分、立派になったわねえ」と女将は感心しながら部屋の中を見回した。

「新しいお宿ができたら、来るって約束したんだけど、結局、来られなかったの。琴音ちゃんのお陰で、来られてよかったわ」

 三年前の四月、山開きを待っていたかのように湯治客が続々と草津に殺到した。宿屋に入りきれない者たちは空き地に掘っ建て小屋を立てて部屋が空くのを待ち、湯小屋はいつも客が一杯で、のんびりと温泉にも浸かれない有り様だった。四月の末、客たちの不満が爆発して打ち壊しが始まり、広小路の東側はほとんどが焼け落ち、西側もほとんど破壊されてしまった。武田のお屋形様にお願いして、六月一日から九月一日まで草津の湯治を停止してもらい、総出で村の再建に取り組んだ。

「あの時は大変でしたよ」と三郎は当時の事を思い出しながら言った。

 その時、三郎は師匠の東光坊に連れられて白根山中で修行していて、夕方、白根明神に戻って来てから、その事を知った。慌てて薬師堂に行き、石段の上から村を見下ろすと目を覆いたくなるような悲惨な状況になっていた。まるで、草津で大戦が行なわれたかのような信じられない光景だった。善太夫の宿屋も焼け落ち、三郎が生まれた生須湯本家の宿屋は焼けてはいなかったが、無残に破壊されていた。幸いだったのは、高台の上に建つお屋形が無事だったのと、思っていた程の怪我人がでなかった事だった。三郎も湯本家の者たちや白根明神の山伏、村人たちと共に、三ケ月間、必死になって村の再建に従事した。

「よかったわね。見事に立ち直って」

「女将さんのお陰だって、父上は言っておりました」

 女将が村の再建のために莫大な銭を持って来てくれたのを三郎は知っていた。

「いいのよ。そんな事」と女将は手を振った。

「でも、敵地なのに、よく来られましたね」と三郎は小声で聞いた。

「武田のお屋形様は物わかりのいいお方だから大丈夫よ。箕輪の内藤様にも恩を売ってあるしね。でも、北条家の名は出さないでね。伊勢から来た商人の一行という事にしておいて」

「はい。伊勢屋さんですね」

「そういう事」

「さっき、小野屋さんの前を通ったら、看板が『伊勢屋』に変わっているんで、びっくりしました。店の者に聞いてみると、小野屋が潰れたので、伊勢屋が買い取ったって言っていました。店の者たちも皆、関西訛りがあったので、一瞬、本気にしましたよ」

「善太夫様の立場がありますからね。箕輪のお店も、甲府のお店も『伊勢屋』に変えました」

「真田にも伊勢屋さんがありましたけど、あれもそうなのですか」

「ええ、そうよ」

「成程、さすがですね」

「武士と商人というのは、そう簡単には切り離せないのよ。お互いに相手を利用している所があるから、敵の商人だから追い出せっていうわけには行かないの。武田家が今、一番欲しがってるのは鉄砲なの。鉄砲を手に入れるには、商人の手を借りなければならないでしょ。小野屋がその鉄砲を扱ってるから追い出すわけにはいかないのよ」

「武田家に鉄砲を売っているのですか」

 女将はうなづいた。

「あなた、織田弾正様を知ってるでしょ。弾正様は将軍様から勧められた管領職を断って、その代わりに堺港に代官を置く事を許して貰ったの。目当ては鉄砲よ。弾正様は将軍様の家来になるより、数多くの鉄砲を手に入れる事を選んだのよ。堺が弾正様の支配下に入ってしまったので、鉄砲は今まで以上に手に入りにくくなってしまったの。でも、小野屋が堺に進出したのは、もう百年も前の事だから、商人同士のつながりは強いの。そこで、何とか鉄砲を手に入れる事ができるのよ。北条家としても鉄砲はいくらあっても欲しいんだけどね、商人としても付き合いがあるでしょ。時には敵にも流すのよ」

 三郎は女将の言った事に驚いた。織田弾正が鉄砲を手に入れるために堺港を支配したとは、考えてもみない事だった。堺には海外貿易をしている裕福な商人が大勢いた。彼らから役銭を取って、それを軍資金にするのだろうと思っていた。堺の商人たちが鉄砲を扱っているのは知っていたが、まさか、鉄砲を集めるためだったとは考えもつかなかった。織田弾正という男はやはり、今までの武将とはまったく違った考えを持っているに違いない。堀久太郎が自慢気に話していた通りの大物なのかもしれなかった。

「そのうち、鉄砲の力で織田弾正様は近畿一帯を支配下に置くでしょうね」

「ええ、そうですね」と三郎はうなづいた。「織田弾正殿はやる事が大きい。岐阜の城下を見て驚きました」

「そうね。素晴らしいお城を建てたわね‥‥‥あら、難しい話ばかりしてるから、琴音ちゃんが退屈そうよ。わたしたちはお邪魔のようだから退散しようかしら」

 女将は二人の侍女を連れて部屋から出て行った。二人きりになった三郎と琴音は、お互いに話したい事はいくらでもあるのに黙り込んでしまった。

「夢みたい」と、しばらくしてから琴音が言った。

 何から話したらいいか考えながら庭を見ていた三郎は琴音の顔を見た。二年近く、会わないうちに琴音は随分と大人っぽくなっていた。まだ十六歳なのに、辛い目に会って、それを乗り越え、強くなったようだった。そして、以前に増して美しくなっていた。

「草津に来たなんて、今でも信じられない」

「疲れませんでしたか」と三郎は聞いた。言ってから、つまらない事を聞いてしまったと後悔した。

 琴音は首を振った。

「楽しかった。わたし、旅なんてした事なかったから、ほんとに楽しかったんです。全然、疲れませんでした」

「馬に乗って来るなんて驚きました」

「馬に乗るのは好きなんです」と琴音は笑った。さわやかな笑顔だった。

「お屋敷の庭でお稽古しました。兄と一緒に遠乗りもしましたけど、こんなに遠くまで来たのは初めてです。ほんとに楽しかった。あっ、そうだ、お土産があるんです」

 琴音は荷物の中から細長い物を出して三郎に渡した。刀だろうと思ったが、重さが違った。三郎は土産物を両手で捧げながら、「何です」と聞いた。

 フフフと笑いながら、「開けてみて」と琴音は言う。

 高級そうな布でできた袋の紐を解き、中から出て来たのは尺八だった。

「父が作った物です。父が持って行けって」

 尺八を手にするのは初めての三郎だったが、見事な尺八だという事はすぐにわかった。特に竹の切り口は見事だった。その切り口を見ただけで、幻庵が一流の武芸者だという事がわかった。今の三郎の腕では、とてもかないそうもなかった。

「『幻庵の一節切(ひとよぎり)』って呼ばれて、結構、人気があるんですよ。北条家の武将たちも競って欲しがります。袋の方はわたしが作りました」

「琴音殿が‥‥‥」と改めて、三郎は袋を見た。綺麗に仕上がっていて、お姫様育ちの琴音が作ったとは思えなかった。これだけの物が作れれば、立派な奥方様になれるだろうと思った。「ありがとうございます。大切にいたします」

「でも、大切にしまって置かないで下さいね。一節切は吹かないと価値がありません」

「尺八なんて吹いた事ないし‥‥‥」三郎が持ち方もわからないでいると、琴音はクスクスと笑った。

「わたしが基本を教えてあげます。後はお稽古次第です」

「お願いします」と三郎は頭を下げた。

 旅装を解いて小袖姿に着替えた琴音を連れて、三郎は草津の村を案内した。村の中央にある広小路は、各地からやって来た湯治客で賑わっていた。

 四年前に箕輪城が落ち、西上野が武田領になって以来、領内での合戦はなくなり、湯治客も増えていた。しかし、武田と北条の同盟が壊れてから、武蔵方面からの客はいなくなり、もっぱら、武田家の領内から来る客ばかりだった。

 広小路には御座の湯、綿の湯、脚気の湯、滝の湯と四つの湯小屋があり、少し離れた所に地蔵の湯と鷲の湯があった。ほとんど、回りから丸見えで、勿論、混浴だった。皆、草津に来た解放感からか、何の抵抗もなく裸になっている。

 滝の湯を眺めながら、琴音は目を丸くして驚いていた。裸の男女を見るのは初めてなのだろう。恥ずかしそうに笑いながら、楽しそうに湯に入っている人たちを眺めていた。

「これが硫黄の臭いなのね」と琴音は言った。

「うん、臭いだろう。でも、すぐに慣れるよ」

「あれにも慣れちゃうのかしら」と琴音は裸の人々を見た。

「慣れるさ」と三郎は笑った。

 広小路には様々な芸人たちも集まっていた。

「お祭りみたい」と琴音は楽しそうに見て回った。

 広小路を一回りして、御座の湯の先にある石段を登り、山門をくぐって薬師堂に参拝した。薬師堂の南隣にある光泉寺にも参拝して、光泉寺の門前に並ぶ土産物屋を眺めた。知らない間に、二人の後ろに琴音の侍女が二人、ついて来ていた。

 三郎が気づくと軽く頭を下げたが近づいて来ようとはせず、一定の距離をおいて琴音を守っていた。何となく、ただの侍女ではないようだった。

「あの二人は琴音殿の侍女なのですか」と聞くと、琴音は振り返って侍女を見て、首を振った。

「女将さんが付けてくれたのです。きっと、風摩の人たちでしょう」と琴音は当たり前の事のように言った。

「やはり」と三郎は言って、風摩の事が気になったが、気にしないようにした。今は、琴音との時間を大切にしたかった。

 三郎は琴音を連れて、市場の立つ立町の通りを横切って地蔵の湯へと向かった。地蔵の湯の周辺は草津の盛り場だった。飲み屋や遊女屋が建ち並び、日暮れ間近になれば化粧した女たちが通りに出て来て手招きをするが、まだ日は高い。盛り場はひっそりとしていた。

 盛り場を抜けると常楽院という修験の寺があり、その境内に地蔵の湯はあった。木曽義仲の守り本尊だったというお地蔵様を祀る地蔵堂や不動堂もあり、茶店や見世物小屋も並んでいる。地蔵の湯からあふれ出した湯が川になって流れ、賽の河原と呼ばれる河原には、あちこちに石を積んだ五輪の塔ができていた。現在、土産物屋が並ぶ泉水通りの奥にある西の河原は、この当時は鬼ケ泉水と呼ばれる不気味な場所で湯治客が近づく事はなかった。

 地蔵堂、不動堂をお参りして、地蔵の湯を覗いてから、三郎は琴音を地蔵の湯を見下ろす高台の上に建つお屋形に案内した。

「あそこが三郎様のお屋敷なの?」と琴音が坂道からお屋形を見上げながら聞いた。

「そうなんだけど、まだ、あそこに住んではいないんだ」

「どうして」琴音は振り返って、不思議そうな顔をした。

「今まで、ずっと旅をしていただろう。帰って来るのはいつも年末だから、冬住みの小雨村のお屋形の方で暮らしてるんだよ」

「冬住みって?」

「草津は冬の間は雪が深くて住めないんだ。冬の間は山を下りて、冬住みの村で暮らすんだよ」

「へえ、面白いんですね」

「草津、独特の習慣だな」

 お屋形の門の前を通ると門番が一瞬、あれ、といったような顔をして三郎たちを見た。三郎は気づかれないように琴音の手を引いて、さっさと広小路へと戻った。

「あそこに入りたい」と琴音は滝の湯を指さした。

「えっ」と三郎は驚いた。

 当時、宿屋には内湯はなく、温泉に浸かるには湯小屋を利用するしかなかった。しかし、琴音がまだ明るいうちから、入りたいと言い出すとは思ってもいなかった。

「わたし、ここにいる間はやりたい事は何でもやろうと決めて来たの。小田原に帰ったら、やりたい事なんてもう、できなくなっちゃうもの」

 三郎はうなづき、祖母から手拭いを貰って来ると、琴音と一緒に滝の湯に入った。裸になるのをためらうかと思ったが、琴音は大胆に、さっさと着物を脱ぐと裸の人々の中に入って行った。

 キャーキャー言いながら、楽しそうに滝を浴びている琴音の裸を三郎は眩しそうに眺めていた。ふと、あの侍女たちが見ているのではと回りを見回してみたが、どこにもいなかった。

 お互いに裸になって温泉に浸かってから、何となく、わだかまりのあった二人の溝はなくなり、素直な気持ちで、お互いを見るようになって行った。

 その夜、二人は当然の事のように結ばれた。

 琴音は五日間、草津に滞在した。二人は新婚の夫婦のように同じ時を共に過ごした。馬に乗って山の紅葉を見に行ったり、冬住みの小雨村や三郎が育った生須村に行ったり、琴音の横笛に合わせて、下手な一節切を吹いたり、夜遅くまで酒を飲みながら語り合ったりもした。琴音は北条三郎と一緒になって、別れさせられた時の気持ちなど、包み隠さず素直に話した。三郎も琴音が祝言を挙げたと聞いた時の気持ちを素直に話した。

「あたし、来月、四郎様に嫁ぎます」と琴音は顔を赤くしながら言った。

「もう決めたのか」と聞くと、琴音は唇を噛み締めて、うなづいた。

「このまま、ずっと、草津にいないか」と三郎は思い切って言ってみた。

 琴音は嬉しそうに三郎を見つめると、「いたい。このまま、ずっと、ここにいたい」と言った。

 天にも昇る心地だった。しかし、琴音は俯き、空になった酒盃を見つめながら、寂しそうな顔をして首を振った。

「でも、駄目なのよ。あたしは北条幻庵の娘だもの。ここに来られただけで充分に幸せ。ここに来る事を許してくれた父上のためにも、あたしは四郎様に嫁ぎます」

「そうか‥‥‥」

 三郎は琴音をじっと見つめていた。小田原に帰したくはなかった。このまま、ずっと一緒にいられたら、お屋形様の跡継ぎという地位も、何もかもいらないと思っていた。でも、琴音の目には強い決心が現れていた。涙で目を潤ませながらも、一度、決めた事は決してひるがえさないという意志の強さが感じられた。琴音は目をそむけると涙を拭いて、穏やかな微笑を見せようとした。

「でも、今はあなたのお嫁さんよ」と甘えるような声で言った。

「そうだな」と三郎はうなづいた。

「ねえ、滝の湯に入りましょう」

「大丈夫か。酔っ払ってないか」

「大丈夫、平気よ」と琴音は立ち上がったが、足取りはフラフラしていた。

「駄目だ」と三郎は琴音を抱き上げた。

「危ないから、もう、寝よう」

 琴音は三郎の首につかまりながら、可愛く、うなづいた。

 小野屋の女将はどこに行ったのか、帰る時まで顔を見せなかった。侍女の二人は常に側にいたが、琴音が何をしても何も言わなかった。琴音は伸び伸びとやりたい事をやって、小田原へと帰って行った。

 別れる時、琴音は三郎をじっと見つめ、何も言わずに微笑した。三郎も何も言わず、微笑を返した。途中まで送って行きたい気持ちをぐっと押さえて、三郎は琴音の後ろ姿を見送った。琴音は一度も振り返らなかった。琴音の震える細い肩を見送りながら、幸せになってくれるようにと願っていた。







 琴音と別れてから一年余りが過ぎた。

 元亀三年(一五七二年)正月、三郎は小雨村のお屋形から長野原城へと向かった。四年間の旅も終わり、いよいよ、今年から善太夫のもとでお屋形様になるための修行を積まなければならなかった。

 今、謙信と名を改めた上杉輝虎が越後から廐橋城に出陣しているため、善太夫は家臣を引き連れて岩櫃城に詰めていた。謙信は毎年、冬になると上野にやって来た。お陰で、善太夫を初めとした吾妻郡の武将たちは地元で家族と共に正月を祝えなかった。今年の正月も留守を守る女子供年寄りだけの正月だった。

 琴音と別れた後、三郎はすぐに京都へと向かった。例の小野屋の行商人が女将に頼まれたと言って付いて来てくれた。琴音との楽しかった日々を胸の奥に仕舞って、三郎は京都で厳しい修行を積んだ。その年の暮れには故郷にも帰らず、一年余り、武術修行に熱中した。以前は剣術ばかりをやっていたが、去年は棒術、槍術、弓術の修行にも励み、戦の戦法も学んだ。後は実戦だった。実際に戦を経験して、今までの修行の成果を生かさなければならなかった。

 琴音から貰った尺八の稽古にも励んだ。貴重な尺八を貰ったのだから使いこなせなければ勿体ない。琴音と会う事はもう二度とないだろうが、幻庵とはまた会えるかもしれない。会った時、吹いてみろと言われて恥をかきたくなかった。

 三郎が道場の片隅で下手な尺八を吹いていると、

「それはもしや、幻庵殿の一節切か」と上泉伊勢守が通りがかって聞いて来た。

 そうですと答えると伊勢守はうなづき、

「わしもいただいた」と言って、吹き方を教えてくれた。

「大事にするがいい。この一節切は京都のお公家さんたちも欲しがっている。幻庵殿の手作りじゃから、そう数がある物ではないのでな」

「えっ」と三郎は驚き、「京都でも幻庵殿の一節切は有名なのですか」と聞いた。

「有名じゃよ。音がいいからのう。そんな音を出していたら幻庵殿に申し訳ないぞ」

 若い頃、幻庵が僧侶として京都で修行していたと聞き、三郎は驚いた。京都での修行の後、幻庵は箱根権現の別当職に就き、多くの僧兵や山伏を抱えていた箱根権現を北条家の支配下に組み入れる事に成功した。幻庵が別当職を勤めたのは十年余りで、在職中も辞めた後も京都には何度も来ていて知人は多かった。その交際範囲は広く、有名な高僧、位の高い公家衆、幕府の重臣、連歌師、茶の湯者、果ては遊女から四条河原の芸人たちまで親しく付き合っていた。武芸は勿論の事、鞍作りと尺八作りの名人だという事は三郎も知っていたが、その他に、(つづみ)打ちや幸若舞(こうわかまい)にも堪能で、古典に詳しく、和歌や連歌はお公家さんたちが教えを請う程の技量を持っている。お茶道具の目利きは完璧、お茶を点てれば、うっとり見とれてしまう程の腕前で、絵を描けば狩野派の絵師が唸り、庭園を造れば幕府お抱えの庭師が目を見張り、何をやらせても見事にこなしてしまう芸達者だという。

「すごいお人じゃ」と伊勢守はとてもかなわないという顔をした。

 三郎もすごい人だと思った。改めて、幻庵の偉大さを知り、そんな人と知り合えた事を天に感謝した。

 忙しいにもかかわらず、伊勢守は暇を見つけては三郎に尺八の吹き方を教えてくれた。尺八を吹いている三郎を見て、習いたいという者も現れ、武術の稽古が終わった後、みんなで尺八の稽古に励んだ。お陰で腕も上がり、人前で吹いても恥ずかしくない程の腕になった。尺八を吹いていると心が落ち着き、武術修行にもいい影響を及ぼした。

 長野原城には家老の湯本弥左衛門が留守を守っていた。ほとんどの者は善太夫と一緒に岩櫃城に行っている。三郎も行きたかったが、善太夫より、正式に家臣たちに披露するまで長野原城にいてくれと言われていた。

 三郎は義母のお初様と六歳になる義妹、おハルに挨拶すると弥左衛門の案内で山の上にある詰めの城に登った。城へと続く細い山道は雪かきがしてあるが、その回りはかなりの雪が積もっていて、日陰の岩陰には大きな氷柱がぶら下がっていた。

 当時の城は山裾にある屋形と山の上にある詰めの城が一組になっているのが普通だった。武田信玄の躑躅ケ崎の屋形と要害山城、上杉謙信も春日山城の裾野に屋形を持っている。織田信長の岐阜城も金華山の上と裾に天主と呼ばれる屋形を作っている。

 三郎は山の上の城の見張り(やぐら)に登って回りを眺めた。風もなく、いい天気だった。青空の下に雪を被った白根山が見えた。反対側に目を移すと富士山のように形のいい真っ白な浅間山が薄煙りを上げている。どこを見ても山また山だった。

「若様、お屋形様が武田のお屋形様より、このお城を賜ったのは、早いもので、もう八年も前の事になります」と弥左衛門が説明した。「それまでの湯本家は草津の入り口を海野殿に押さえられ、何事も海野殿には逆らえなかったのでございます。今、岩櫃城の城代を務めておられる長門守(ながとのかみ)殿がここにいたのでございます。長い間、関東を治めておられた管領(かんれい)殿が小田原の北条殿に攻められ、越後に逃げて以来、上野の国には北条殿、甲斐の武田殿、越後の上杉殿が攻め寄せて参りました。東上野は早いうちに北条家に従いました。西上野には箕輪に長野信濃守殿がおりまして、信濃守殿は上野の地を一つにまとめようと頑張っておられました。吾妻の衆も信濃守に従っておりました。ところが、信濃守殿がお亡くなりになると、武田殿の兵が攻めて参りました。吾妻にも武田殿の先鋒として真田一徳斎(幸隆)殿が攻めて参りました。長野信濃守殿亡き後、岩櫃城におられた斎藤越前守殿が上杉殿と結び、西上野を支配しようとしておりました。長野原の海野長門守殿は越前守殿の重臣でした。越前守殿に敵対すれば、草津の入り口は完全に塞がれてしまいます」

「長野原口も暮坂峠からの道も塞がれてしまうのだな」と三郎は弥左衛門を振り返った。

 弥左衛門は目を細めて三郎を見上げながら、うなづいた。子供の頃、馬のような顔をした怖いおじさんだと思っていたが、今は背丈も三郎の方が高く、顔はしわだらけで、随分と年を取ってしまったなと思った。

「そうです。誰も草津に来られなくなってしまうのです。しかし、それを覚悟でお屋形様は真田一徳斎殿に懸けたのでございます。一徳斎殿が越前守殿に敗れれば、草津の地を失い、一族は殺されるかもしれません。お屋形様は領地を広げるために一大決心をしたのでございます。一徳斎殿は岩櫃城を見事に落としました。越前守殿は滅び去り、吾妻の衆は武田殿に従うようになったのでございます」

「長門守殿はどうして滅びなかったのだ」

「寝返ったのでございます。お屋形様や鎌原宮内少輔(かんばらくないしょうゆう)殿のお働きで、かなりの者たちが寝返りました。お陰で、あの岩山の中にある難攻不落といわれた岩櫃城も落城したのでございます」

「長門守殿も寝返ったお陰で、長野原から岩櫃城に移って行ったのか」

「いいえ、すぐに移ったわけではございません。所領を没収されて、しばらくは信濃におりました。岩櫃城が落城してから、三年後に戻って来たのでございます。長門守殿と弟の能登守殿が戻って来るまで、うちのお屋形様が城代として岩櫃城を守っておられたのです」

「そうだったのか‥‥‥」

「お屋形様より、若様に今の状況を詳しく教えてくれと頼まれました。お屋形の方に絵地図が用意してございますので参りましょう」

「大方の事はわかってるつもりだが、教えてもらおう」

 三郎は弥左衛門から、今の状況を聞いた。北条と上杉が同盟してから、上杉謙信は上野の国を我が物にしようと冬になるとやっては来るが、今の所、吾妻には攻め込んでは来ない。今の謙信は関東よりも越中方面を平定するのに忙しいようだった。北条氏も武田氏と駿河方面で戦っているので、大軍を率いて上野を攻める事はなかった。

「倉内城(沼田市)、白井城(子持村)、そして、廐橋城(前橋市)、この三つの城が上杉殿の拠点になっております」と弥左衛門は絵地図で城の位置を示した。

 上野の国は利根川によって東西に分けられ、三つの城はいずれも利根川に沿って建てられてあった。一番北に倉内城、利根川と吾妻川の分岐点に白井城、そして、石倉城と向かい合う形で廐橋城があった。

「倉内城を守っているのは越後から派遣された松本石見守、河田伯耆守、上野中務少輔の三人の武将です。白井城を守っているのは長尾一井斎で、廐橋城を守っているのは北条(きたじょう)丹後守(高広)です。白井の長尾氏は平井(藤岡市)におられた管領(上杉憲政)殿の古くからの重臣で、管領をお継ぎになられた謙信殿に忠実でございます。北条丹後守は謙信殿の重臣で廐橋の城主となりましたが、一度、謙信殿を裏切って北条に寝返っております。しかし、上杉と北条が同盟したので、謙信殿に許された模様でございます。武田のお屋形様としては、その三つの城を何とか奪い取りたいと思っておられるのですが難しいようでございます」

「沼田を押さえてしまえば、上杉は上野に来られないのだな」と三郎は絵地図を見ながら弥左衛門に聞いた。

「いえ、そうとも言えません。猿ケ京が残っております。猿ケ京から大道峠を抜けて岩櫃に攻め込むかもしれません」

 上野と越後の国境、三国峠の近くに猿ケ京はあった。そこから南下すれば吾妻郡はすぐだった。

「猿ケ京は誰が守っているんだ」と三郎は聞いた。

尻高(しったか)氏でございます。尻高氏と中山氏は岩櫃にいた斎藤越前守と同族でして、未だに上杉方として武田家に逆らっております。去年、武田のお屋形様が直々に岩櫃城に参られまして、尻高城と中山城(共に高山村)を攻められました。どちらも人質を出して降伏いたしましたが、武田のお屋形様が引き上げ、上杉殿が越後からやって参りますとすぐにまた寝返ってしまいました」

 尻高城と中山城は共に吾妻郡内にあり、岩櫃城から沼田へと出る道の途中にあった。倉内城を攻めるに当たって両方とも邪魔な城だった。

「寝返った後、人質は殺されたのか」

「いいえ、今回はまだ、殺されてはいないようでございます。今の状況では、人質を殺せば、尻高氏も中山氏も余計に反抗して参ります。人質を殺さなければ、次の機会にまた、すぐに寝返りましょう」

「でも、そんな事をしていたら、いつまで経っても吾妻一帯を支配できないではないか」

「はい。どうしても倉内城を落とさなくてはなりません。倉内城が落ちれば、尻高も中山も武田方になびくでしょう。そして、猿ケ京を手に入れ、上杉軍を三国越えさせないようにするのです」

「しかし、尻高、中山を落とさなければ、倉内を攻められないのではないのか」

「武田の大軍が攻めれば、尻高も中山も籠城したまま、手向かう事はございません」

「成程」と三郎は納得した。

 弥左衛門はなぜか、嬉しそうな顔をして三郎を見ていた。三郎は絵地図に視線を戻し、上野の国の南にある武蔵の国を眺め、相模の国との国境近くにある小机城をじっと見つめた。小机の城下には一度だけ行った事があった。小さな城下だったという事のほか、あまりよく覚えていない。琴音は今頃、どうしているのだろうかと思いを馳せたが、慌てて首を振った。

「どうかなさいましたか」と弥左衛門が怪訝な顔をした。

「いや、何でもない。北条の方はどうするんだ」

「北条はいつも、廐橋を拠点に攻めてまいります。廐橋を落とす事です」

「今、廐橋には上杉謙信がいるんだな」

「はい。大軍を引き連れて廐橋におられます。正月そうそうに武田方の石倉城を攻め、一旦は引き上げましたが、今度は箕輪城、あるいは岩櫃城を攻めるかもしれません。お屋形様は一徳斎殿と岩櫃城に詰めておられます。やがて、甲府から武田のお屋形様がやって来るとの事です。利根川を挟んで大戦(おおいくさ)が始まるかもしれません」

「大戦か‥‥‥」

「はい。川中島での合戦のような」と弥左衛門は川中島の位置を示したが、三郎は見ようともせず、大戦が起こるであろう廐橋城と箕輪城の間を見つめていた。

「俺も参加したい」

「お気持ちはわかりますが、今回はお控え下さい。戦はこの先、何度もございます」

「上杉軍はいつまで、いるんだ」

「その年によって変わりますが、越後で余程の事が起こらない限り、三国峠の雪が解ける四月頃まではおりましょう」

「父上は四月まで帰って来ないのか‥‥‥」

 三郎は絵地図から目を上げ、腕を組むと庭を眺めた。雪で埋もれた庭園は日差しを浴びて眩しかった。そういえば、雪のない、この庭を見た事はなかった。旅から帰って来た時はいつも、雪に埋もれていた。

「そういう事になりましょう」と弥左衛門は言っていた。

 三郎は弥左衛門を見ると、「俺はここで何をしていればいいんだ」と聞いた。

「留守を守るのも立派な仕事でございます」

「そうには違いないが‥‥‥ここに敵が攻めて来る事もないだろう」

「そうとは言いきれません。油断をしていたら何が起こるかわかりません。もし、上杉の大軍が吾妻に攻めて来て、岩櫃が落ちたら、大軍がここに攻めて参ります。そうなったら、大軍を相手に戦わなければなりません」

「大軍を相手に戦うのか」

「そうです。討ち死にを覚悟で戦うのが留守を守る者の務めです」

「討ち死に覚悟でこの城を守るのか‥‥‥」

「そうです。その位の覚悟がないと留守将は勤まりません」

 絵地図を見ながら、それぞれの城に誰がいるのかを話した後、九年前の岩櫃城攻め、七年前の岳山(たけやま)城攻め、六年前の箕輪城攻めの時の様子を弥左衛門は話してくれた。敵味方の兵力、守備位置や攻撃方法、誰がどんな活躍をしたのかを詳しく教えてくれた。三郎は興味深く、話を聞いていた。

 長野原の留守兵の中に、白根明神で共に修行をした黒岩忠三郎がいた。三郎より一つ年上で、父親は箕輪の合戦で戦死していた。三郎の父が率いていた中にいて、鉄砲奉行を務め、鉄砲隊を指揮していた。遠侍(とおざむらい)(侍の詰め所)で鉄砲の手入れをしていた忠三郎は、三郎を見ると懐かしそうに笑った。

「いよいよ帰って来たな。噂はよく聞いていたぞ」

「お久し振りです。あの頃の仲間は皆、戦で活躍しているのですか」

 三郎は腰の刀をはずして忠三郎の側に座り込んだ。

「活躍してるのもいるようだな」と忠三郎は手を止めて、チラッと三郎を見たが、すぐにまた鉄砲を磨き始めた。

「そうですか。忠三郎殿も活躍したのですか」

「いや、小田原攻めの時は出陣したが、活躍する場はなかった」

「小田原攻めに行ったのですか‥‥‥あの時、武田軍は相当な大軍だったんでしょう」

「ああ、二万はいただろう。すごい数だった。あの合戦で敵の(かぶと)首を取ろうと張り切っていたんだが、俺たちは小荷駄隊に回されてな、戦には参加できなかった。もっとも、武田家にはそうそうたる武将が大勢いるからな。湯本家の出る幕なんかなかった」

「そうでしょうねえ」

「俺はあの戦の後、親父の跡をついで鉄砲奉行になろうと思ってな、鉄砲の稽古を始めたんだ」

「今は誰が鉄砲奉行なんです」

「山本小三郎殿だ。箕輪の合戦で鉄砲隊が全滅した後、お屋形様も困ったらしい。鉄砲はすべて奪われちまうし、鉄砲の名人だった親父は死んじまったし。でも、一徳斎殿のお陰で、鉄砲十五挺が武田のお屋形様から送られて来て、親父から鉄砲を習った事があった小三郎殿が奉行に選ばれたんだ」

「父上は鉄砲隊を二つ作るつもりなんですか」

「父上?」と言って、忠三郎は手を止めた。「あっ、そうか。おぬしはお屋形様の跡継ぎになったんだったな。これは失礼いたした」

 忠三郎は鉄砲を置くと、座り直して頭を下げようとした。三郎は慌てて、やめさせようとした。

「いえ、そんな、いいですよ。以前のように付き合って下さい」

「そうも行くまい。そなたは若殿様だ。まあ、今は二人しかいないからいいか」

 忠三郎は辺りを見回して笑うと、足を崩して、再び鉄砲を手に取った。

「今は十五挺しかないからな、二つも鉄砲隊はできんが、そのうち、二つにするとお屋形様は言っておられた」

「そうですか。あの、俺にも鉄砲の撃ち方を教えて下さい」

「お屋形様には鉄砲は無用だ」

「いえ、鉄砲の使い方もわからないようでは鉄砲隊をうまく使いこなせません」

「ほう、おぬしも言うのう。そういえば、お屋形様も親父と一緒に鉄砲の稽古に励んだと聞いている。いいだろう、教えてやろう」

 長野原城の留守を守りながら、忠三郎から鉄砲を習うという三郎の毎日が続いた。

 一月の半ば、武田と北条が再び、同盟を結んだという情報が岩櫃城より届けられた。去年の十月、北条万松軒(氏康)が病死した。死ぬ前に、跡を継ぐ相模守(氏政)に、上杉と断ち、武田と結べと遺言したという。武田が駿河を攻めたため、万松軒は上杉と同盟を結んだが、謙信は越中方面ばかりに行っていて、出撃を頼んでも上野や信濃に進撃しては来なかった。謙信と同盟を結んでいても何の得にもならないと万松軒は死の床で見切りをつけたのだった。

 武田と北条の同盟が復活したと聞いて、三郎は琴音の事を思い出した。いつでも小田原に行けるようになったが、琴音はもういない。小机城の奥で大勢の侍女に囲まれて暮らしているに違いなかった。三郎は琴音の事は忘れようと雪山の中で鉄砲を撃ち続けた。

 (うるう)一月、武田信玄が大軍を率いて、上野にやって来た。利根川を挟んで、上杉軍と武田軍の睨み合いが続いた。各地で小競り合いはあったが、大戦にはならず、三月になって上杉軍が越後に引き上げると武田軍も引き上げた。引き上げる時、信玄は真田一徳斎を箕輪城の城代として入れ、前の城代だった内藤修理亮を甲府に連れて帰った。駿河の国を手に入れた信玄は水軍を編成し、北条と同盟して東を固め、いよいよ、上洛して織田弾正と対決しようとしていた。そのため、上野の事は一徳斎に任せ、修理亮には上洛のために一働きしてもらう必要があったのだった。

 三月の末、善太夫は家臣を引き連れ、長野原に帰って来た。烏帽子(えぼし)をかぶり直垂(ひたたれ)姿となった三郎は大広間にて善太夫と共に上座に座り、家臣たちに紹介された。自分を見つめて座っている家臣たちを眺めながら、三郎は緊張していた。本当に自分がこんな席に座っていいのだろうかと不安になった。

 家老の弥左衛門が三郎を見ながら、力強くうなづいた。三郎は前もって用意していた挨拶をした。うまく行ったとは言えなかったが、家臣たちは三郎の挨拶を黙って聞いていた。そして、挨拶が終わると拍手が沸き起こった。

「わしの跡継ぎじゃ。色々と教えてやってくれ。頼むぞ」

 善太夫がそう言うと家臣たちは三郎に喝采を送った。三郎はこの日、正式に跡取りとして認められた。







 四月八日、三郎は善太夫と一緒に草津の山開きの儀式を行なった。草津は雪に埋もれていたが、白根明神の山伏たちによって主要道は雪かきがしてあった。正装した三郎は善太夫に従って白根明神に参拝し、光泉寺の薬師堂での儀式に立ち会った。春の日差しを浴びて、境内にある山桜が満開に咲き誇っていた。

 儀式が終わると祝い酒が振る舞われ、湯宿の者たちは、「今年は去年より、ずっと忙しくなるぞ」と言い合いながら石段を駈け降り、それぞれの宿屋へと散って行った。

 武田と北条が再び同盟を結んだので、東上野や武蔵の国からも湯治客は集まって来るに違いなかった。

 薬師堂から雪景色の中、湯煙りを上げている湯池を眺めながら、三郎は琴音と過ごした楽しかった日々を思い出していた。また、小野屋の女将と一緒に来てくれないかと願ったが、それがかなわぬ夢だと充分にわかっていた。

 三郎は善太夫と一緒に一通り村を回って、湯小屋の無事を確認してから、お屋形へ入った。お屋形の屋根の雪は綺麗に落とされ、庭の雪も片付けてあった。蔵を明けて、所帯道具を出し、大掃除が始まった。三郎も部屋を与えられ、小雨村から運んで来た武具や衣類、書物などを片付けた。

 お屋形の片付けが済むと善太夫は長野原城に帰り、三郎の従兄にあたる湯本小次郎が草津を守るためにお屋形に入った。

 小次郎は沼尾湯本家の当主で、三郎より九つも年上だった。母親は善太夫の姉で、父親は九年前の岩櫃城攻めの時に戦死していた。妻は岩櫃城代の海野能登守の娘で、子供は二人いた。三郎は小次郎から草津を守るに当たっての様々な注意を聞かされた。

 各地から様々な湯治客がやって来るので色々な問題が起こり、苦労が絶えないという。特に武田家の武将がからんでいると厄介で、簡単に裁く事はできない。善太夫がいればいいが、出陣中の場合は留守を守る者たちで解決しなければならない。時には命懸けで事に当たらなければならない。また、浪人者も要注意で、騒ぎを起こす前に何とかしなければならないという。

 三郎はしばらく草津にいて、町奉行の湯本弥五右衛門と一緒に湯宿の見回りをしながら、ならず者たちを追い出したりしていた。上泉伊勢守に鍛えられた新陰流で、三郎はならず者たちを簡単にひねり倒した。刀を抜く事もなく、柄の悪い大男を倒してしまう三郎の強さは草津中の評判となり、さすが、跡継ぎ様だと褒められた。

 五月の初め、甲府から武藤喜兵衛(昌幸)がやって来た。喜兵衛は真田一徳斎の三男で、幼い頃、人質として甲府に行き、信玄の近習として仕え、今では足軽大将として活躍している。信玄の信任が厚く、甲斐の旧家、武藤家を継ぎ、一年に一度、吾妻郡の様子を見るために岩櫃城に派遣されていた。五年前に草津が焼けた後の復興を確かめるために草津に来て以来、喜兵衛は岩櫃城に行く前に必ず、草津に寄っていた。三郎は善太夫より接待役を命じられ、喜兵衛を善太夫の湯宿に案内した。

「おぬしの噂はよく聞いておるぞ」と喜兵衛は意味あり気に笑った。

 三郎は首を傾げた。自分の事が甲府にまで噂になっているとは思えなかった。

「京都で剣術の修行をしていたそうじゃな。真田ではおぬしはえらい人気者じゃ。特に、お松はおぬしにぞっこんのようじゃ。草津に嫁に行くと言っておるぞ」

「えっ」と三郎は驚いた。

「親父としてもおぬしがお松の婿になってくれれば嬉しいじゃろう。お松はまだ十三だが、あと二、三年もすれば立派な娘じゃ。俺が言うのも何だが、まあ、考えてやってくれ」

「はい‥‥‥」

 考えてくれと言われ、三郎は戸惑った。去年の暮れ、京都からの帰りに真田に寄って、久し振りにお松と再会した。お松は嬉しそうに三郎を迎えてくれた。初めて会った時に比べたら女らしくなったとは言えるが、まだ子供だった。嫁に貰う事など本気になって考えられなかった。

 喜兵衛は三郎の顔を見ながらニヤニヤと笑い、「さて、まずは温泉を浴びるか」と三郎の肩をたたいた。

 喜兵衛と共に滝の湯に入り、三郎は甲府の事や武田信玄の事などを聞いた。

 三郎も一昨年に二度、甲府に行った事があった。一度目は東光坊と、二度目は琴音と草津で会った後、小野屋の行商人の梅吉と一緒だった。喜兵衛の話を聞きながら、その時の事を思い出していた。

 甲斐の国は上野と同じく海がない。今川家と手を切り、塩止めを食らって困った事もあったが、今ではその心配もなくなった。駿河の海を手に入れてからは海産物も市場に溢れ、城下の者たちは大喜びしている。草津でも塩の需要は多いだろうから、駿河からどんどん塩を運ばせると喜兵衛は言った。

 その夜、喜兵衛は酒を飲みながら、人質時代の事を話してくれた。七歳の時、両親と別れて甲府に行った時は心細かったが、父親が活躍してくれたお陰で、信玄の側近くに仕える事となって、信玄からは様々な事を教わった。戦の仕方はもちろんの事、国の治め方や人の扱い方も教わった。信玄が家格にこだわらず、家臣一人一人の才能を見極め、適材適所に配置するやり方は見事と言ってもいい程だった。喜兵衛は信玄を心から尊敬していた。

「人質と言っても、どこかに閉じ込められているわけではないのですね」と三郎は不思議に思って聞いた。

「中には閉じ込められている者もいる。人質を出した相手が裏切れば、見せしめのために殺される事もある。だが、そんなのはごく稀だ。相手が忠誠を見せれば、人質の待遇も変わるんだよ。人質が男の子なら然るべき武将に仕える事になるし、女の子ならば武将のもとへ嫁ぐ事もある。母親だったら屋敷を与えられ、それ相当な扶持も与えられる。武田家と北条家の同盟が復活して、北条から人質が来たが、立派な屋敷を与えられ、侍大将として戦にも参加している」

「北条家から人質が来たのですか」

「万松軒殿の末っ子で、北条家の長老、幻庵殿の婿だそうだ。あばた面の男で、俺の見た所、大した器じゃないな」

 いやな予感がした。三郎は酒を飲み干すと恐る恐る聞いてみた。

「もしかしたら、その人質というのは四郎殿ではありませんか」

「おう、そうじゃ。おぬし、知っているのか」喜兵衛は意外そうな顔をした。

 三郎は心の動揺を悟られまいとして、「いえ、旅をしている時、噂に聞きました」と何でもない事のように言って、喜兵衛の酒盃に酒を注いだ。

「ほう、どんな噂だ」と喜兵衛は興味深そうに聞いて、三郎の酒盃に酒を注いでくれた。

 三郎は軽く頭を下げた。「あばた面の四郎殿が幻庵殿のお姫様の婿になったと」

「そうか‥‥‥俺も詳しい事は知らんが、その姫様と一緒になって一年程で別れなければならなくなったらしいな。どんな姫様だか知らんが可哀想な事じゃ。いつ帰れるともわからん夫をずっと待っていなくてはならんとはのう」

 三郎は喜兵衛の話を聞いて愕然となった。琴音は二度も、夫と無理やり引き離されていた。今頃、一人で悲しんでいると思うと、すぐにでも小田原に飛んで行きたかった。

 喜兵衛と別れると三郎は馬に乗って夜道を長野原へと急いだ。東光坊に会って、琴音の事を話すと東光坊はすでに知っていた。

「どうして黙っていたんです」三郎は興奮して東光坊に詰め寄った。

「話してもどうにもならん事だからじゃ」と東光坊は静かな声で言ったが、気迫が籠もっていた。三郎は東光坊の気迫に負けて、うなだれた。

「俺は今から小田原に行きます」

「小田原に行ってどうする。琴音殿をさらって来るのか」

「草津に連れて来ます」

「馬鹿な事を言ってるんじゃない。四郎殿が人質として甲府に行ったとしても、琴音殿は四郎殿の妻には変わりはない。北条一族の妻をさらって、北条家と戦をするつもりなのか」

「そんな事、言ったって、琴音殿が可哀想すぎます」三郎はいつしか涙声になっていた。

「仕方ないんじゃ。四郎殿の妻となってしまった今、わしらにはどうする事もできんのじゃ。わしも心配になって小田原に行って小野屋の女将に会って来た。女将の話によると、琴音殿は小机城にいて、四郎殿の留守を立派に守っているという。幻庵殿に恥をかかせないように、夫の留守を立派に守っていると言った。琴音殿はもう北条四郎の妻に成り切っているんじゃ。お前の事は胸の奥にそっとしまって、辛いが頑張っているんじゃよ。お前が辛い以上に琴音殿はもっとずっと辛いんじゃ。それでも頑張っている。わかるな、お前もその辛さに耐えなければならん」

 三郎は琴音が一人で頑張っている姿を思い描き、会いたい気持ちをぐっと堪えて草津に帰った。いつの日か、琴音に再会した時、恥じないように立派なお屋形様になるしかないと思いながら。

 七月になって、武田信玄が領内に動員令を発令した。いよいよ上洛して、将軍様をないがしろにして好き勝手な事をしている織田弾正を倒すという。

 三郎は織田弾正が将軍様を連れて入京するのを見ている。その後の活躍も知っている。京都の人々にとって織田弾正は評判のいい武将だった。将軍様のために立派な御殿を作って驚かせ、各地の関所を撤廃して旅人を喜ばせた。盗賊や悪さをする浪人者もいなくなり、京都は住みよい都になった。三郎は織田弾正を立派な武将だと思っていた。しかし、去年の九月、織田弾正は比叡山の焼き打ちを行なった。敵対している越前の朝倉、近江の浅井を助けたと言って、比叡山に攻め入り、根本中堂を初めとして山内に建つ寺院僧坊をすべて焼き払い、逃げ惑う者たちを片っ端から殺してしまった。三郎はその噂を聞いた時、信じられなかった。確かに比叡山は武力を持っていた。敵対した僧兵を殺したというのならわかるが、偉い僧侶や修行中の子供までも見境なく首をはねたという。三郎は背筋が寒くなる程の恐ろしさを感じた。以前、上泉伊勢守が話してくれた、将軍様を殺したという松永弾正と同じではないかと思った。この先、織田弾正が勢力を伸ばして行ったら、何をするかわからないという不安を感じていた。

 三郎は武田のお屋形様、信玄を直接には知らない。でも、矢沢薩摩守や武藤喜兵衛の話によると戦上手なだけでなく、領民思いの立派な武将だという。信玄なら織田弾正を倒せるかもしれない。織田弾正を倒し、将軍様をもり立て、新しい世の中を作る事ができるかもしれないと思った。

 上野からも甲府に呼ばれた者が数多くいたが、吾妻衆のほとんどは真田一徳斎と共に上野に残った。三郎は善太夫と一緒に、一徳斎の次男、兵部丞(昌輝)が入った岩櫃城に配置された。

 三郎の初陣(ういじん)だった。草津のならず者退治で三郎の腕は認められた。だが、陰に隠れて、喧嘩の役に立っても戦で役に立たなければ何にもならないと言っている者たちもいた。そういう者たちを見直させるためにも、実戦で活躍しなければならなかった。三郎は小野屋の女将から贈られた立派すぎる甲冑を身に着け、さっそうと馬にまたがり、草津の人たちに見送られて岩櫃城へと向かった。

 八月の初め、越後の上杉謙信が越中に進攻したとの情報が入ると、兵部丞は上杉方の白井城(子持村)を攻略するために出陣命令を下した。兵を二手に分け、吾妻川の両岸に沿って東へと進撃した。

 湯本家は海野能登守に従い、吾妻川の南側を進んだ。上杉方の前線基地である柏原城(吾妻郡東村)を攻め落とし、岩井堂城(小野上村)を落とした兵部丞の隊と合流して、上杉方の拠点をことごとく焼き払い、白井城へと向かった。柏原城攻めでは三郎の活躍の場はなかった。(から)め手から攻めた佐藤軍兵衛らの活躍で城は焼け落ち、敵は降伏した。

 白井城の北にある双林寺において激しい合戦が行なわれた。鉄砲、弓矢の撃ち合いの後、三郎も槍を手に取って敵陣に突撃した。最初の一突きで敵を倒し、返り血を浴びると後はもう無我夢中だった。群がる敵を片っ端から倒して行った。善太夫が自分を呼ぶ声で、はっと気が付くと敵は逃げ、血に染まった太刀を振り上げていた。いつ、馬から降りたのか、いつ、槍から太刀に持ち替えたのか、まったく覚えていなかった。

「若様、お見事、兜首でございますぞ」と三郎に付き従っていた家老の弥左衛門が敵将の生首を捧げた。

「あっぱれな初陣じゃ。よくやったな」善太夫が嬉しそうに笑いながら、うなづいた。

 三郎もうなづき、太刀に付いた血を払った。まだ興奮していて、何と返事をしたらいいかわからなかった。

「お前が敵陣に突っ込んで行った時はどうなる事かと心配したわ。大将たる者、そう軽はずみな行動をしちゃいかん。以後、謹めよ」

「はい‥‥‥」

 箕輪から一徳斎率いる援軍も合流し、城内に忍び込んだ円覚坊らの活躍もあり、白井城は落城した。城主の長尾一井斎(憲景)は利根川を渡り、八崎(はっさき)城(北橘村)へと逃げて行った。一徳斎は甲府から来ていた甘利郷左衛門と金丸筑前守を白井の城代とし、上杉に対する守りを固めた。

 初陣で兜首を捕った事によって、陰口を言っていた者たちもようやく、三郎の強さを認めた。陰ながら三郎に反発していた小次郎も三郎を跡継ぎとして認めるようになった。

 小次郎は三郎と同じく、善太夫の甥だった。三郎より九歳年上で、戦死した父親の跡を継いで、戦でも活躍していた。善太夫が十四歳の三郎を跡継ぎに決めた時、どうして、自分ではなく三郎なんだと善太夫を恨んでいた。三郎が旅を終えて帰って来てからも、顔には出さないが三郎の事を認めてはいなかった。今回、三郎の活躍を見て、小次郎は生前、父親が言った言葉を思い出していた。

 小次郎の父親、次郎右衛門も善太夫とお屋形様の地位を巡って争った事があった。宿屋の主人がどうして、お屋形様になるんだと反発した。しかし、善太夫の活躍を見て、考えを変えた。湯本家を一つにまとめなければ、今の世は生きては行けないと善太夫を補佐する役に自ら徹して生きて来た。

「何事が起ころうとも、お屋形様を助けて、湯本家を盛り上げて行くんだぞ。それが、分家であるわしらの宿命なんじゃ。決して、お屋形様になろうなどとは思うなよ」

 いつか、酔っ払った時、父親はそんな事を言っていた。何を言ってるんだとその時は気にも止めなかったが、今になって、改めて、その言葉がよみがえって来た。小次郎は湯本家のために三郎を助けて行く事に決めた。そして、善太夫より父親の名を継いで次郎右衛門を名乗るように言われていたが、お屋形様の跡継ぎが三郎右衛門なのに、次郎右衛門を名乗っては家臣たちに示しがつかないと祖父が名乗っていた左京進を名乗る事にした。

 白井攻めと同時に、信玄は大軍を率いて上洛するはずだった。ところが、信玄が突然、病に倒れてしまい大幅に遅れていた。十月になって、ようやく信玄の病は回復し、遠江に出陣した。天竜川の断崖上に建つ、徳川方の二俣城(天竜市)を二ケ月近くで落とし、十二月の末には徳川の本拠地、浜松城に迫った。簡単に落とせる城ではないと判断した信玄は三河守(家康)を誘い出すために三方ケ原に陣を敷いた。信玄の思惑通り、三河守は城を出て来た。三河守の兵力は一万余り、信玄の兵力は二万五千余り、半分以下の兵力で野戦を挑むのは無謀だった。結果は信玄の圧勝に終わり、三河守は浜松城に敗走した。

 十一月に上杉謙信が三国峠を越えて、沼田の倉内城に入った。三郎らは岩櫃城を守っていた。謙信は白井城を攻め、金山(かなやま)城(太田市)を攻めた。廐橋城に入ったので、このまま、春まで腰を落ち着けるつもりかと思ったが、さっさと越後に引き上げてしまった。岩櫃城を守っていた吾妻衆はほっと胸を撫で下ろし、今年の正月は家族と一緒に祝えそうだと喜び合った。





草津の湯




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