酔雲庵


戦国草津温泉記・湯本三郎右衛門

井野酔雲






里々







 善太夫が故郷で正月を祝うのは久し振りだった。いつもはお屋形様が戦をしているのに浮かれて騒ぐわけにも行かず、自粛気味だったが、今年の正月は白井攻めに成功した事もあって、長野原の城下も小雨村も賑やかな正月になった。しかし、湯本家の者、全員が故郷に帰って来たわけではなかった。小次郎改め左京進に率いられた三十人余りの者が上杉勢に備えて、奪い取った柏原城に詰めていた。それでも、白井城が味方の手に落ちたので、敵がすぐに攻めて来る事はなく、危険な任務ではない。向こうでも故郷の事を思いながら、正月を祝っているに違いなかった。

 年が改まってすぐ、三郎は小野屋の女将から手紙を貰った。琴音が去年、無事に男の子を産み、幻庵は跡継ぎができたと大喜びしている。母親になった琴音は小机城の奥方として家臣たちともうまくやっていると書いてあった。夫となった四郎が人質として甲府に行った事は一言も書いてなかった。心配させまいとの女将の配慮だろう。三郎は琴音の出産を素直に喜び、遠い存在となってしまった琴音の事は思い出として胸の奥にしまって置く事にした。

 十日になると、雪の降る中、三郎は家臣たちを引き連れて柏原城に向かった。三郎たちは左京進たちと交替して柏原城の守備に当たった。

 柏原城は吾妻川と沼尾川の合流する断崖の上に建つ要害だった。沼尾川の西にあるので、吾妻側から攻めるよりも白井側から攻める方が困難で、余程の大軍に囲まれない限り、落とす事は不可能だと思えた。正式な城主が決まるまで、浦野下野守、植栗(うえぐり)河内守、荒巻(あらまき)宮内少輔、そして、湯本家の兵が守っていた。

 二月になって、箕輪城の真田一徳斎から出陣命令が届いた。武田のお屋形様は遠江の二俣城を落とし、三方ケ原で徳川三河守に大勝し、今、三河の国を進撃中だという。織田弾正を倒して一気に上洛する日も近い。上洛軍に負けてはいられない。こっちも一気に沼田の倉内城を落としてしまえという事となった。

 左京進が柏原城にやって来て、湯本家の兵はそのままで、三郎だけが岩櫃城にいる善太夫のもとに向かった。善太夫と共に白井城に行き、真田兵部丞と甘利郷左衛門を大将として沼田攻撃は始まった。

 沼田の倉内城は越後から来た援軍も加わって守りを固め、籠城態勢に入り、城から出ては来なかった。一徳斎は箕輪からも援軍を送ったが、籠城した敵を倒すには兵力が足らなかった。同盟した北条氏は下総方面で戦をやっていて、大軍を上野に向ける事はできそうもない。まごまごしていると越中に出陣している上杉謙信が沼田にやって来る。謙信が出て来たら勝ち目はまったくなかった。

 倉内城を囲んだまま膠着状態が続いた。四月になり、三郎は善太夫より草津に帰るように命じられた。山開きをして、そのまま草津を守れという。三郎は不満だったが仕方がなかった。今まで草津を守っていた左京進は柏原城の城将を務め、草津に帰る事はできない。三郎がやるしかなかった。

 山開きを無事に済ませた三郎はお屋形に入り、草津の家老、宮崎十郎右衛門に助けられながら草津を守った。

 四月の末、三郎は東光坊が送ってよこした慶乗坊という山伏から、驚くべき事実を聞いていた。

 東光坊の下には二十人の山伏がいた。彼らは各地に飛んで貴重な情報を善太夫に知らせるのを任務としていた。皆、武芸の達人であり、時には敵の本拠地に忍び込んだりもする。とても、北条家の風摩党とは比べられないが、湯本家の忍び集団だった。

 慶乗坊はまず、上杉謙信が越中から春日山に戻って来たので、近いうちに三国峠を越えて沼田に攻めて来るかもしれないと言った。謙信が出て来れば、倉内城の兵も城から出て来て、味方の兵は挟み撃ちを食らってしまう。勝てる見込みはなく、一徳斎殿も今回は諦めて、兵を引き上げさせるだろう。ただ、奪い取った白井城だけは何としても守らなければならない。越後の大軍を相手に白井において大きな戦が始まるかもしれないという。

 慶乗坊はそう言ってから、しばらく間を置き、うつむきながら溜め息をついた。そうなる事は三郎も善太夫から聞いていて、別に驚きもしなかった。

 顔を上げると慶乗坊は三郎に近寄り、「武田のお屋形様がお亡くなりになりました」と小声で言った。

「なに?」三郎は慶乗坊が何を言ったのか、一瞬、わからなかった。

「武田信玄殿が出陣中にお亡くなりになってしまったのです。勿論、公表はしておりません。三年間はお屋形様の死を敵には隠し通すつもりだそうです」

「武田信玄殿が‥‥‥お亡くなりになられたのか‥‥‥」

 三郎は呆然として慶乗坊の青ざめた顔を見つめていた。武田軍が上洛の途中から甲府に引き返して来たという噂は三郎も聞いていた。徳川三河守を倒し、拠点となる城も手に入れ、一応の成果を上げたので、一旦、引き上げ、改めて、上洛をするのだろうと思っていた。まさか、亡くなってしまったなんて思いもしなかった。

「どうして、お亡くなりになられたのだ。敵にやられたのか」

「詳しい事はわかりませんが、病のようでございます」

 去年、出陣する前に信玄は病に倒れていた。戦場での無理がたたって亡くなってしまったのだろうか。あまりにも突然すぎる死だった。織田弾正を倒す前に亡くなってしまった。お屋形様を失い、武田家は大丈夫なのだろうか。誰が跡を継ぐのだろうか。三郎は信玄の跡継ぎについてはまったく知らなかった。

「沼田攻めはどうなるんだ。中止になるのか」

「いいえ。急に兵を引いたら敵に怪しまれます。謙信殿が出陣して来るまでは包囲戦は続くでしょう」

「謙信殿もいつまでも騙されまい。信玄殿の死を知れば、迷わず、上野に攻め込むだろう」

「おそらく、今年の冬はこちらで年を越す事となりましょう」

「冬になる前に、沼田を落とす事はできないのか」

「敵の兵糧次第です。敵の様子を見ると充分に蓄えてあるようです」

「そうか、難しいか」

 上杉謙信の出陣は以外にも早かった。五月になると大軍を率いて沼田にやって来た。一徳斎は倉内城を包囲していた兵を白井に撤退させ、守りを固めた。謙信が来た事によって、中山氏と尻高氏は再び寝返り、上杉軍の先鋒として横尾八幡山城(中之条町)を攻め、廐橋城の北条(きたじょう)安芸守も利根川を越えて箕輪城に攻めて来た。一徳斎は兵力を各地に分散しなければならず、思い通りの攻撃を仕掛ける事ができなくなった。湯本家は二つに分かれ、善太夫に率いられた者は岩櫃城に入り、左京進に率いられた者は柏原城を守った。

 白井城は完全に敵に囲まれてしまった。助けようにも今の兵力ではどうする事もできない。甲府にも援軍を頼んではいるが、一向に来る様子はない。お屋形様を突然、失ってしまったため、甲府ではそれどころではないようだった。仕方なく、白井城を開城し、守っていた兵は箕輪城へと逃げ帰った。白井が落ちれば、柏原城、岩井堂城も落ちるのは目に見えている。無駄な戦死者を出すまいと一徳斎は、城を焼き払って撤退するように命じた。柏原城を守っていた左京進は城を焼き払い、岩櫃城に入って善太夫と合流した。

 その頃、三郎は草津で様々な問題に遭遇していた。山開きと同時に、去年の白井攻めで負傷した兵が続々とやって来た。怪我はしているが病気ではないので、酒を飲んでは暴れるといった事件が何度も起こった。大抵の事は町奉行の弥五右衛門が解決してくれるが、事件が大きくなると三郎がお屋形様の代理として解決しなければならなかった。

 ある日、箕輪城を守っていたという武田家の家臣が酔っ払って遊女と喧嘩をし、刀を振り回して暴れた。弥五右衛門が取り押さえようとしたが、強すぎてどうにもならない。相手が武田の武士なので、飛び道具を使うわけにもいかず、困っているという。

 三郎は地蔵の湯の近くにある遊女屋が建ち並ぶ一画に出掛けた。見物人たちが大勢、集まっていたので場所はすぐにわかった。大男かと思ったら、予想に反して、キツネのような顔をした小男だった。右足を怪我しているのか、白布を巻き付けている。右手に刀を持ち、左手で瓶子(へいじ)をつかんで酒を飲んでいた。

 三郎は武器も持たずに男に近づいて、「刀を渡せ」と言った。

 男は口に含んだ酒を三郎に吹き付けた。

「うるせえ、ガキの出る幕じゃねえ」

 男は三郎を見ながら馬鹿にしたように笑い、酒をがぶ飲みした。

 三郎は酒を拭うと、「俺はお屋形様の名代(みょうだい)だ」と静かな声で言った。

 男は驚いたようだった。泣きべそをかいて逃げ去るに違いないと思っていたのに、恐れる事もなく平然としている。

「ほう、おめえは善太夫の伜か」

 男はニヤニヤ笑いながら、空になった瓶子を三郎目がけて投げ捨てた。三郎は上体を右に開いて瓶子を避けた。やじ馬がキャーキャー騒ぎ、瓶子の割れる音が響いた。

「面白え、捕まえられるもんなら捕まえてみな」

 男は左膝を立てると刀を振り回した。三郎は右足を一歩、後ろに引いて、男の動きを見守った。

「これでもな、わしは戦で何度も手柄を挙げているんじゃ。この足さえ怪我しなかったら、今頃、兜首を挙げていらあ」

 男は荒い息をしながら、右手に持った刀を肩にかついだ。

「兜首が挙げられないから、遊女屋で拗ねているのか」

「何だと? てめえ、死にてえのか」男は恐ろしい顔をして三郎を睨んだ。

 身の危険を感じて、やじ馬たちがさっと身を引いた。三郎は相変わらず、平然とした顔で男を見下ろしていた。

「武田のお屋形様を知っているか」と三郎は聞いた。

「当たり前だ」とわめきながら、刀を三郎めがけて突き出した。三郎は軽くかわした。

「そのお屋形様が、そなたの姿を見たら何と言うかのう」

「うるせえ。おめえなんかに、わしの気持ちがわかってたまるか」

 男は辺りを見回してから、部屋の隅で丸くなっている遊女に向かって、「おい、酒じゃ」と怒鳴った。

 遊女は震えながら首を振っていた。

「畜生め」と男は独り言のように呟いた。「お屋形様はちゃんとわしの活躍を知っているんじゃ。ちゃんと知ってるんじゃ。それなのに、くそっ‥‥‥」

 男は急に泣き顔になった。三郎はすかさず、男から刀を奪い取った。男は反抗する事もなく、うなだれた。弥五右衛門の部下たちが男を捕らえて奉行所へと連れて行った。

「お見事」と弥五右衛門が褒めた。

 三郎は手に持っていた刀を弥五右衛門に渡すと照れ臭そうに笑った。

「あれ程、暴れていたのに、若様が武田のお屋形様の事を言った途端におとなしくなりました。どうして、お屋形様の事を言ったのです」と弥五右衛門が不思議そうに聞いた。

「あの面構えを見て、余程の武将だとわかったのです。戦で活躍をしたと自慢したので、もしかしたら信玄殿を尊敬しているのではないかと思って言ってみました」

「成程‥‥‥武田の家臣の中には信玄殿を神様のように思っている者も多いと聞きますからな。あいつもそうだったのか‥‥‥しかし、家臣たちにそれ程までに慕われる信玄殿というのは立派なお屋形様ですな。若様もそんなお屋形様になって下さいよ」

 弥五右衛門は信玄が亡くなった事は知らなかった。善太夫が帰って来て公表するまで、家臣たちにも知らせないようにと言われていた。草津には敵の間者(かんじゃ)が何人も紛れ込んでいる可能性があるからだった。

 前夜の酔っ払いは翌日になって、三郎のもとに謝りにやって来た。遊女に相手にされず、つい、かっとなってしまった。信玄殿に合わす顔がない。本当にすまなかったと頭を下げた。三郎は早く怪我を治して、戦で活躍するようにと帰した。それで事件も解決したかに見えたが、それからが三郎にとっての大事件となった。

 騒ぎのあった遊女屋から、世話になったお礼がしたいと三郎は招待を受けた。一度は断ったが、遊女屋の主人は引き下がらなかった。弥五右衛門が行って来いというので、三郎は仕方なく出掛けた。すぐに帰るつもりだったのに、喧嘩の原因となった遊女、里々(りり)と会って三郎の気持ちはぐらついた。

 草津に帰って来てから、三郎も何度か付き合いで遊女屋に行った。また、弥五右衛門と一緒に見回りをしながら遊女屋にも顔を出し、一通り、遊女たちを知っているつもりだったが、里々は知らなかった。三郎が遊女屋に顔を出せば、遊女たちは若様と言って近づいて来る。若様と近づきになれば将来が保証されると皆、三郎を誘おうとする。その事が見え見えなので、三郎はなるべく遊女との関係を持たなかった。里々は三郎に近づいて来る遊女の中にはいなかった。里々はその手の遊女ではなかった。しかし、三郎に助けられた事によって里々の気持ちは変わった。三郎も里々を見て、遊女には近づくまいという気持ちがぐらついた。里々はどことなく、小田原の遊女、浅香に似ていたのだった。

 三郎は里々と会って以来、遊女屋通いが続いた。お屋形様を初めとした家臣たちが戦をしている時に遊女屋通いなんかしていられないとは思うが無駄だった。夜になると里々の顔が頭にちらつき、知らぬ間に足は遊女屋に向かっていた。

 七月になり、上杉謙信が越後に帰ると武蔵から北条軍が攻めて来た。一徳斎は北条軍と共に廐橋城を攻めた。岩櫃城にいた兵部丞は兵を二手に分け、吾妻川を東進し、岩井堂城と柏原城を奪い返した。

 左京進は再び、柏原城に入って、焼け落ちた城の普請を始めた。

 その頃、京都では織田弾正が将軍義昭を追放して室町幕府は終わりを告げていた。幕府を倒した弾正は新しい世の中が来るようにと年号を元亀から天正に変えさせたという。三郎は京都から来た小野屋の行商人から、その事を聞き、織田弾正が益々、勢力を強めている事を知った。しかし、遠い京都のでき事は今の三郎には関係ない事で、三郎の頭の中は里々の事だけで一杯だった。

 里々に悩まされながらも、草津を守り通した三郎は十月八日、山仕舞いをして長野原城へ移った。戦も一段落し、善太夫も長野原に帰っていた。

 遊女屋も冬住みに入り、里々も長野原の城下に移った。長野原に移ると里々は三郎以外の客を取らなくなっていた。取らなくなっていたというより、取れなくなっていた。三郎と里々の関係が噂となり、遊女屋に行っても三郎に遠慮して、誰も里々を誘わなくなった。草津にいる時は三郎との関係を知らない湯治客を相手にしたが、長野原ではそうはいかない。客のほとんどは湯本家の家臣たちだった。

 三郎と里々の関係は善太夫にも知られ、三郎は善太夫に呼ばれた。

「里々という遊女、なかなか、いい女子(おなご)らしいな」と善太夫は言いながら笑った。

「はい」と三郎は善太夫の顔色を窺いながら、うなづいた。遊女屋通いを責めているようではなさそうなので一安心した。

「お前ももう二十歳か。そろそろ、嫁を貰わんとならんのう。どうじゃ、わしの娘のアキと一緒にならんか」

「えっ、おアキちゃんと?」三郎は思ってもいない事を突然、言われてまごついた。

「どうじゃ、いやか」と善太夫は三郎の目の中を覗いた。

「急にそんな事を言われても、ずっと妹だと思っていましたし‥‥‥」

 善太夫はわかっているというようにうなづいた。

「急に気持ちを変えろと言っても無理じゃろう。アキもまだ十四だからな、来年になってから祝言を挙げるという事で、考えておいてくれんか」

 とんだ事になってしまったと三郎は思ったが、顔には出さず、「はい」とうなづいた。

 善太夫の気持ちはわかっていた。お屋形様の跡継ぎの嫁として一番ふさわしいのは吾妻郡内の有力武将の娘を迎える事だった。善太夫の妻は海野長門守の娘だし、従兄の左京進の妻は海野能登守の娘で、左京進の弟、雅楽助の妻は横谷左近の娘だった。三郎にもと捜したのだが、運悪く、うまく釣り合う娘はいなかった。家臣の娘を迎えるよりは自分の娘と一緒にさせて、娘婿という関係にしたかったのだろう。

 義妹のおアキは母親の小茶様と一緒に善太夫の湯宿を手伝い、冬住みになると小雨のお屋形で暮らしていた。小茶様は去年の白井攻めで戦死した小荷駄奉行の中沢杢右衛門の妹で、十六歳の時、草津一の美人との評判を取って、子供に恵まれなかった善太夫の側室に迎えられた。今はもう三十歳を過ぎているのに、未だに美しさは衰えてはいない。三郎でさえ、時にはドキッとするほどの魅力を持っていた。その娘のおアキは当然、可愛い娘だった。性格も母親に似て控えめで、働き者だった。おアキを妻にするのも悪くないなと思いながらも、里々の事が気になった。

「あのう、里々はどうしたらいいのですか」と三郎は思い切って聞いてみた。

 嬉しそうな顔をしていた善太夫は、少し機嫌を損ねたような口ぶりで、「遊ぶなとは言わんが、程々にする事じゃ」とそっけなく言った。

 程々にしろと言われても、三郎の遊女屋通いは頻繁に続いた。三郎は里々を側室に迎えようと考えていた。しかし、里々は遠慮した。今のままでいいという。遊女なんかを側室に迎えたら三郎が笑われる。もし、子供ができたとしても遊女が産んだ子供だと馬鹿にされるだろう。わたしは今のままで充分に幸せだと言った。

 十二月に一徳斎が箕輪城で倒れた。善太夫は慌てて見舞いに行った。翌日、長野原に帰って来るとすぐに三郎を呼んだ。

「一徳斎殿はどうでしたか」と三郎は善太夫の部屋に入るとかしこまって聞いた。

 善太夫は書類の積み重なっている文机(ふづくえ)の前に座って、何かを読んでいたが、「三郎か」と言って振り返った。

「大丈夫じゃよ。ただ、疲れただけじゃろう」

 善太夫は読んでいた手紙のような物を読み終えると文机に置き、嬉しそうな顔をして、「それよりもな、お前の嫁が決まったぞ」と言った。

「えっ、おアキじゃないんですか」

「ああ、アキじゃない」

 おアキとの祝言はまだ家中に公表していなかったが、三郎もおアキもその気になっていた。あの後、何度か小雨村に行って、おアキと会い、妹ではなく一人の娘として見ようと努力して来た。おアキの方も母親から聞いているのか、今までとは違って、恥じらいを顔に現していた。おアキはまだ幼いけれど、うまくやって行けるだろうと思っていたのに取りやめになったと言う。一体、誰なんだろうと三郎は善太夫の次の言葉を待った。

「矢沢薩摩守殿の孫娘じゃ。お前ら真田で会っていたそうじゃないか。どうして黙っていたんじゃ」

「お松ちゃんですか」

「そうじゃ。お松殿じゃ」と善太夫は目を細めて、何度もうなづいた。

 なんだという感じだった。お松の事は忘れていたわけではないが、去年の五月、武藤喜兵衛から話を聞いて以来、何の音沙汰もなかった。気立てのいい娘なので、嫁の貰い手は多いに違いない。別の縁談が持ち上がったのだろうと思っていた。

「どうやら、お松殿はアキと同い年らしい。来年まで待ってくれと言っておったが、薩摩守殿の孫娘なら申し分のない花嫁御寮じゃ。わしは喜んでお引き受けした。お前もそれで構わんな」

 お松のあどけない可愛い笑顔が浮かんだ。それを打ち消すように、里々の憂いを含んだ寂しそうな顔が浮かんで来た。里々にすまないと思いながらも三郎はうなづいた。

「湯本家のためにも、それが最良だと思います」

「うむ。薩摩守殿は一徳斎殿の弟じゃ。真田家から嫁を貰うのと同じじゃ。湯本家の将来を考えたら、それ以上の花嫁はいまい。ところで、お前、例の遊女とはちゃんと手を切っておけよ」

「えっ、手を切るんですか」

「当たり前じゃ。薩摩守殿の立場に立って考えてみろ。可愛い孫娘を嫁がせる男が遊女狂いしているとわかったら、たちまち破談となってしまう。きっぱりと別れる事じゃ」

 三郎は仕方なくうなづいたが、里々と別れようとは思わなかった。それでも、年末年始はじっと我慢して里々に会いには行かなかった。正月気分も治まり、城下も静かになった十日、三郎は遊女屋に顔を出した。里々はいなかった。主人に聞いても遊女たちに聞いても、どこに行ったのか教えてくれなかった。父親の仕業に違いないと三郎は小雨村に行った善太夫の後を追った。善太夫に聞いたが、善太夫も里々の事は知らなかった。三郎は長野原に戻って東光坊と会った。

「里々はどこに行ったんです」と三郎は顔色を変えて詰め寄った。

 土間の片隅で五寸釘を平たくしたような手裏剣の刃を研いでいた東光坊は、「それは言えんな」と言いながら、研いだ手裏剣を光りにかざして眺めた。

「言える事は里々は自分から身を引いたという事じゃ。お前に迷惑がかからんようにな」

 東光坊は再び、真剣な顔付きで手裏剣を研ぎ始めた。

 三郎はため息をつくと東光坊の側にしゃが込み、東光坊の横顔を見つめながら、「本当に身を引いたのですか」と聞いた。

「本当じゃ。お前が来年、嫁を貰う事になったという噂を聞き、潔く身を引いたんじゃ」

 東光坊の顔は嘘をついている顔には見えなかった。

「身を引いたと言ったって、遊女の身でそう簡単に店から離れられるわけないでしょう」

「そうじゃ。そこで里々はわしの所に相談に来たんじゃ」

 東光坊は顔を上げると手裏剣を眺め、満足そうにうなづいた。

「どうして、里々が師匠の所に来たんですか」

 やはり、何かを隠していると三郎は疑いの目付きで東光坊を見た。東光坊は知らん顔して別の手裏剣を研ぎ始めた。

「わしだって遊女屋には行く。里々はわしがお前の師匠だった事を知っていたんじゃ。わしは里々の相談に乗った。そして、里々を身請けしたんじゃ」

「師匠が里々を身請けしたんですか」

 そんな事が信じられるわけがなかった。

「わしには遊女を身請けする程の銭はないんでな、小野屋に立て替えて貰ったんじゃ」

「それで、里々はどこにいるんです」

「それは知らん。お前を忘れるために遠くに行くと行っておった。わしは銭の事は心配するなと言った。そのうち、お前がお屋形様になったら返して貰うからいいと言ったんじゃが、義理堅い、あの女の事だ、どこかで我が身を売るかもしれんのう」

「里々は一人で旅に出たんですか」

「そうじゃ。身寄りもないと言っておったからのう。どこに行ったのかわからんが、しっかりした女だから、どこに行ってもうまくやるじゃろう」

 三郎は東光坊の言葉を最後まで聞かずに、城下にある小野屋に行った。店の者に里々の事を聞いたが、誰も知らなかった。東光坊に銭は貸したのは事実でも、何に使ったのかは知らないと言う。無駄だとわかっていても城下の外れまで走って行き、三郎は里々を捜し回った。

 雪が降って来た。この寒空に一人で旅をする里々の姿を思い浮かべ、三郎は空を見上げて泣いた。里々はいつも、三郎が嫁を貰う事になったら、自分はきっぱりと身を引くと言っていた。その言葉通り、別れも告げずに消えてしまった。もっと、里々の気持ちを大切にしてやればよかったと三郎は悔やんだ。

 湯本家のために矢沢薩摩守の孫娘を嫁に貰わなければならない。湯本家のために遊女を妻にしてはいけない。湯本家のためにというのを言い訳にして自分の気持ちをごまかしていた。誰が何を言おうとも、里々を妻に迎えるべきだったと悔やんだ。







 二月になると雪山を越えて、上杉謙信が上野に攻めて来た。善太夫は長野原の留守を三郎に頼み、岩櫃城に出陣して行った。三郎も出陣したかったが仕方がなかった。左京進が前線の柏原城を守っているため、留守を守るのは三郎しかいなかった。

 勢いに乗って白井勢がまた、柏原城を攻めるかと思われたが、攻める事はなく、謙信と共に東上野へと向かった。謙信は北条方の城を次々と攻め落とし、太田の金山(かなやま)城を包囲した。金山城を助けるため、小田原から北条相模守(氏政)が大軍を率いてやって来た。利根川を挟んで、上杉軍と北条軍は睨み合った。

 真田一徳斎は相模守に頼まれ、上杉軍の後方を撹乱するため、廐橋城、大胡城、白井城を攻めた。兵站(へいたん)基地である大胡城を攻められ、謙信は陣を引いた。謙信が大胡に向かって来るとの報を聞くと一徳斎は全軍を引かせ、それぞれの城に戻らせた。謙信が引き上げると相模守は金山城に入って情勢を見守った。

 その頃、信玄の跡を継いだ武田四郎(勝頼)は、お屋形様となって初めての戦を見事、勝ち戦で飾っていた。四郎が最初に落とした城は織田方の美濃の明智城だった。父親の意志を継いで、織田弾正(信長)を倒してやると宣戦布告をしたのだった。

 三郎は長野原城で東光坊の配下の者たちが知らせてくれる情報を聞きながら、絵地図の上で合戦を再現し、兵の動かし方を学んでいた。

 十八歳になった弟の小四郎が善太夫に従って出陣していた。信濃の飯縄山で武術の修行を積んだ小四郎は張り切って出掛けて行った。今回の戦は北条氏の依頼に答えての出陣だったため、一徳斎は無理な攻撃はさせなかった。残念ながら小四郎の活躍の場はなかったが、戦の雰囲気に慣れただけでも今後のためになるだろうと思った。

 四月八日、草津の山開きを済ますと三郎は草津に移った。去年、信玄が亡くなってしまったせいか、武田家の家臣たちの湯治は少なかった。それでも、山開きを待ちわびていたかのように湯治客は続々とやって来た。三郎はお屋形に落ち着く事なく、湯治客のために働き続けた。

 里々の行方は依然としてわからなかった。東光坊の配下の山伏は勿論の事、各地を旅している白根明神の山伏たちにも捜すように頼んだが、何の手掛かりも得られなかった。

 里々は信濃の小諸近在の貧しい農家の娘に生まれた。六歳の時、父親は徴兵されて川中島で戦死し、十一歳の時には母親が病死してしまう。里々は二人の弟と共に叔父夫婦に引き取られ、朝から晩までこき使われた。十五歳の時、叔父が大怪我をして働けなくなると口減らしのため人買いに売られ、草津にやって来たという。当然、叔父夫婦の家も捜させたが、何も知らなかった。どこに行ってしまったのか、とにかく無事でいてくれと三郎は朝晩、祈っていた。

 五月の初め、謙信がようやく越後に帰り、緊張状態は終わった。善太夫も長野原に戻り、湯本家の者たちは疲れを取るために草津の湯に浸かった。例年のごとく、武藤喜兵衛が草津に来たのも、その頃だった。これから岩櫃城に行くのかと思っていたら、箕輪城に父親、一徳斎の見舞いに行った帰りだという。

 一徳斎は四月の末に再び、倒れた。しかし、合戦中であるため、甲冑を脱ごうとはせず、医者を近づける事もなかった。謙信が引き上げた後、ようやく横になったが、かなり具合が悪いようだった。知らせを聞いて、喜兵衛は甲府から名医を連れてやって来たのだった。

「大丈夫ですか」と滝の湯に浸かりながら三郎は喜兵衛に聞いた。

「大丈夫だろう。お屋形様がお亡くなりになって、今までの疲れがどっと出て来たんじゃないかな。俺の顔を見たら、何の用じゃ。新しいお屋形様の側を離れちゃいかん。今が一番大事な時だ。お屋形様を助けて、武田家を今以上に大きくするんじゃと怒鳴られたわ」

 喜兵衛は軽く笑って、隅の方の滝に打たれている女の方をチラッと見た。年寄りの女とその娘らしい中年の女だった。他には年寄りの男が三人いるだけで、夕暮れ間近の滝の湯はすいていた。喜兵衛の供として四人が従って来たが、いつも、喜兵衛とは一緒に入らなかった。

「そうですか、大丈夫ですか。よかったです。父上も顔色を変えて、お見舞いに出掛けました。父上は領地を増やす事ができたのは一徳斎殿のお陰だといつも言っております」

「なに、善太夫殿がそれだけの活躍をしたという事だよ。やはり、草津の湯はいいな。のんびりしたいが、そうもいかん。もうすぐ、遠江に出陣しなければならんのだ」

「新しいお屋形様が上洛するのですか」

「いや、上洛はまだだ。その前に目障りな高天神城(静岡県大東町)を落とす。先代のお屋形様がお亡くなりになって、いい気になっている徳川を一度、痛い目に会わせておかなければならないからな。高天神城は先代のお屋形様でも落とせなかった城だ。新しいお屋形様が落とせるかどうかはわからんが、武田軍が健在だという事を世間に見せなくてはならん。手ごわいが何としてでも落とさなくてはならないんだ」

 三人の年寄りが湯船から上がった。板の間で体を拭きながら、楽しそうに笑い声を上げ、湯帷子(ゆかたびら)を着ると去って行った。母子らしい女たちは滝に腰を打たせていた。

「吾妻の者たちにも出陣命令が出るのですか」と三郎は喜兵衛の方を見ると聞いた。

 喜兵衛は顔の汗を拭うと、「いや」と言った。「徳川は上杉と同盟を結んでいるからな。また、上野に出て来るかもしれん。こっちを守る事になろう」

 足音が聞こえたので振り返ると三人の女が話しながら入って来た。

「あら、若様じゃない」とその中の一人が言った。

 三人とも十六、七の娘で三郎たちを見ながら笑っていた。

「なんだ、お前たち、もう商売は終わったのか」と三郎は聞いた。

「いいお客さんがいてね、みんな売れちゃったの」

「そいつはよかったな」

「ねえ、若様、あたしたちも入ってもよろしいかしら」

「なにも俺に断る事はない。こんなにすいてるんだ。入れよ」

「ありがとう」と言って、娘たちは何やら話しながら着物を脱ぐと湯船に入って来た。

「宿屋を回って漬物を売っている娘たちです」と三郎は喜兵衛に説明した。

「ほう」と言いながら、喜兵衛は目を丸くして娘たちを眺めた。娘たちは恥ずかしがるわけでもなく、平気な顔をしてキャーキャー言いながら滝に打たれていた。

「いい眺めじゃな」と喜兵衛は楽しそうに笑った。

 温泉から上がった後、三郎は喜兵衛と酒を酌み交わした。

「喜兵衛殿、新しいお屋形様はどんなお人なのですか。信玄殿がお亡くなりになった事が正式に公表されておりませんので、跡を継いだお方がどんなお人なのかよく知らないのですが」三郎はずっと気になっていた事を聞いた。

「そうか、そうだろうな」と喜兵衛は三郎を見ながら、軽くうなづいた。

「本来なら各地の武将たちを呼んで、盛大に跡目披露をしなければならんのだが、お屋形様の遺言でそれはできん。甲斐の者ならともかく、遠くにいる者たちにはわかるまい。新しいお屋形様はな、お屋形様の四男で、四郎殿というお方なんだ。四郎殿の母上は諏訪の一族で、四郎殿は諏訪四郎を名乗って諏訪氏を継いだんだ。ところが、跡を継ぐべき長男の太郎殿が、今川家の事で、お屋形様と対立してしまい、自害なされてしまった」

「えっ、信玄殿の御長男が自害?」

 そんな事は全然、知らなかった。なんで自害などしたのだろうと三郎は喜兵衛の顔をじっと見つめた。喜兵衛は酒を一口飲んでから話し続けた。

「太郎殿の奥方様は今川家の娘だったんだ。お屋形様の駿河攻めに反対なされてな、もう少しで武田家が二つに分裂してしまうかもしれない程の騒ぎになったんだよ。お屋形様は自分の父親を駿河に追放して、お屋形様になられた。それと同じ事が再び、起ころうとしていた。お屋形様はそれを事前に知り、太郎殿を捕らえて東光寺に幽閉してしまった。そして、二年後、太郎殿は自害してしまったんだよ」

 喜兵衛は眉間にしわを寄せて酒を飲み干した。

「そんな事があったのですか。知りませんでした」

 三郎は喜兵衛の酒盃に酒を注ぎ、自分のにも注いだ。

「お屋形様もさぞ辛かった事だろう。武田家のためとは言え、御長男を死なせなければならなかった‥‥‥太郎殿がお亡くなりになった翌月、四郎殿の御長男、武王丸殿がお生まれになった。お屋形様は急遽、武王丸殿を跡継ぎにお決めなさったんだ」

「四郎殿ではなくて、四郎殿の御長男を跡継ぎに決めたのですか」

「そうなんだ。お屋形様は信濃の名族である諏訪氏を滅ぼしたけど、反対勢力が強いと見て、諏訪氏の血の流れを汲む四郎殿に諏訪氏を継がせたんだ。お陰で、諏訪地方は武田になびき、武田軍は諏訪を足掛かりとして信濃の各地へと勢力を広げる事ができた。太郎殿がお亡くなりになったのは、四郎殿が諏訪氏を継いでから五年後の事で、お屋形様としては四郎殿を跡継ぎにしたかったんだが、四郎殿が武田家に戻ってしまうと諏訪氏を継ぐ者がいなくなってしまう。お屋形様としては四郎殿に次男が生まれたら諏訪氏を継がせ、四郎殿を正式な跡継ぎにするつもりだったんだが、次男がお生まれになる前にお屋形様はお亡くなりになってしまったんだよ」

 喜兵衛は亡くなったお屋形様の事を思い出しているのか、酒盃を手にしたまま、ぼうっとしていた。喜兵衛は七歳の頃より信玄の側近くに仕えていたと言っていた。喜兵衛にとって信玄はお屋形様というよりも父親のような感情を持っているのかもしれなかった。

「すると四郎殿は正式な跡継ぎではないのですか」と三郎が聞くと、喜兵衛は我に返ったように三郎の顔を見て、うなづいた。

「武王丸殿が十六歳になられるまで、四郎殿が後見という事になっているんだ。しかし、この乱世を生き抜くのに、そんな悠長な事を言ってはおれまい。お屋形様の御逝去が正式に公表される時、四郎殿が正式なお屋形様になられるだろう」

「それはいつなのですか」

「お屋形様は三年間、喪を伏せろと遺言なされた。再来年の四月だな」

 長男の太郎殿が自害してしまい、四男の四郎殿が跡を継いだというのはわかったが、次男と三男がどうなったのか気になっていた。その事を聞くと、喜兵衛は微かに笑い、「それを言うのを忘れたな」と言って、お屋形様の子供たちの事を教えてくれた。

 次郎殿は生まれつきの盲目で、海野家を継いでおり、三郎殿は幼くしてお亡くなりになってしまわれた。五男の五郎殿は信濃の仁科家を継ぎ、六男の六郎殿は駿河の葛山(かづらやま)家を継ぎ、七男の七郎殿はまだ十二歳で甲府におられる。俺たちもお屋形様を見習って、子供はなるべく多く作った方がいいと言って笑った。

 喜兵衛は一晩泊まると翌朝、早くに帰って行った。その日、珍しく、東光坊が三郎を訪ねて来た。内密の話があるというので、お屋形の庭園内に建つ茶室に案内した。

「久し振りに親父に会って来た」と言って、東光坊は錫杖を壁に立て掛け、縁側に腰を下ろすと首筋の汗を拭いた。

 今日も暑かった。四年間の旅を終えて草津に戻った時、草津の者たちが暑い暑いと言っているのを見ながら、三郎は草津の夏は涼しくていいと思っていた。京都の夏の暑さに比べたら、まるで極楽だった。しかし、今は草津の気候になれてしまったのか、皆と同じように暑いと感じるようになっていた。それでも、日が暮れれば涼しくなり、京都の夏の夜のように暑くて寝苦しいという事はなく、過ごしよかった。

「お茶でも入れますか」と三郎は青空に浮かぶ、白い雲を眺めながら聞いた。

「そうじゃのう。京仕込みの茶の湯でも拝見しようかのう」

 三郎は茶室に上がると風炉(ふろ)に炭を入れ、釜を載せて、お湯を沸かした。

「円覚坊殿は相変わらず、前線で活躍しているのですか」と三郎は縁側に座ったままの東光坊の背中に聞いた。

「しばらく姿を見せんから、もう引退したのかと思っていたんじゃが、一徳斎殿に頼まれて、忍び集団を作っていたらしい」

「忍び集団?」

 東光坊はうなづくと、茶室に上がって来て、三郎の前に腰を下ろした。

「真田家のために北条の風摩党のような組織を作っていたそうじゃ。わざわざ小田原まで行って、幻庵殿に会い、風摩の組織の事を聞いて来たらしい」

「へえ、小田原まで行ったんですか。それで、幻庵殿は教えてくれたのですか」

「勿論、詳しい事までは教えてはくれんが、おおよその事は教えてもらったそうじゃ。風摩党には五つの組織があってな、山賊衆、海賊衆、盗賊衆、馬賊衆、潜賊衆に分かれているそうじゃ。山賊衆は本物の山賊になって敵地に出没して、敵の武器や兵糧を奪い取ったりするのが役目じゃ。海賊衆は漁船を装って敵地を偵察したり、時には奇襲して、敵の水軍を倒したりもする。盗賊衆というのが、いわゆる忍びじゃ。敵地に忍び込んで貴重な情報を集めたり、時には暗殺も行なう。敵の忍びを殺すのも役目じゃ。馬賊衆というのは騎馬武者の集団で前線で戦っているんじゃが、普通の武士と違うのは、時には傭兵となって敵陣に加わる事もあるそうじゃ。勿論、忍びの術を身に付けているので敵の兵力を探ったりもするわけじゃ。戦が始まる前に敵の城下を襲って、盗賊働きや放火などをして混乱させたりもするらしい。勿論、その時は山賊衆たちも加わる。敵にしたら恐ろしい者たちじゃ。潜賊衆という聞き馴れないのは、要するに敵地に長い間、住み着いて、無理な事はせずに情報を集める者たちじゃ。この者たちが一番、多いらしい。中には親子何代にも渡って敵地に住み、敵に信頼されている者も多い。医者や僧侶、連歌師、茶の湯者として、敵の大将の側に仕えてる者もいるというのだから驚く。さらに、敵将の側室や侍女になってる女たちもかなりいるという。大した組織じゃな。それと、番外として、くノ一衆というのがいる」

「くノ一?」

「女という字をばらしたんじゃ。女だけの忍び集団で、体を武器にして敵に近づき、必要な情報をつかみ、時には寝首も掻くという恐ろしい女たちじゃ」

「女の忍びですか‥‥‥」

 三郎は琴音が草津に来た時、琴音の侍女として来た二人の女を思い出していた。あれがくノ一だったのかもしれないと思った。

「親父は真田家のためにはとりあえず、盗賊と潜賊、そしてくノ一だけでいいと考え、各地の山から武術の名人を十人集めて、見込みのある若い者たちを仕込んだそうじゃ。三年間で五十人もの若者を仕込み、各地に放ったらしい」

「五十人も‥‥‥くノ一もいるのですか」

「何人かいるらしい。ただ、くノ一は別嬪(べっぴん)でなくてはならん。適当な娘を見つけ出しても、本人を納得させるのが大変だと言っておった。時はかかるが、めぼしい孤児を拾って来て、育てるしかあるまいと言っていたわ」

「孤児ですか‥‥‥そういえば、小野屋の女将さんは孤児院もやっている」

「うむ。小田原の浅香のように孤児から育てて、くノ一や遊女にするんじゃろう。すぐにはできんが、十年もかければ何とかなる。真田家のためにやるつもりだと言っていた。お屋形様はな、その話を親父から聞いて、さっそく、湯本家のために忍び集団を作ってくれとわしに言って来たんじゃ」

「湯本家も忍び集団を作るんですか」

「これからは生き残るためには諜報活動がもっとも大事じゃ。関東だけでなく、上方の情報も集めなければならなくなるじゃろう」

「織田弾正ですね」

「そうじゃ。信玄殿がお亡くなりになったので、奴は必ず、関東に攻めて来るじゃろうと親父は言ったわ。湯本家としては真田家に従い、武田家を助け、織田と戦わなければならん。真田家に従っているとはいえ、世の中の動きは知らなければならんからのう。わしは引き受ける事にした。それで、しばらくの間、草津を留守にするからな。女子の事で問題を起こしても、自分でちゃんと解決しろよ」

 東光坊は三郎を見ながらニヤニヤ笑った。

「そんな、やめて下さいよ」

「それと、真田に行くが、お松殿に言伝はないか」

 二年以上もお松に会っていなかった。もう十五歳になっているはずだが、どうしても、嫁に迎えるという実感がわかなかった。言伝と言われても、何を言ったらいいのか思い浮かばなかった。

 東光坊は三郎を顔付きを見て、わかったというようにうなづいて、「来年、お松殿を嫁に貰うまではおとなしくしてろよ」と叱るように言った。

 東光坊は三郎が点てたお茶をうまそうに飲むと真田の忍びが修行している角間渓谷へと向かった。

 里々と別れてから三郎は遊女屋には行かなかった。遊女たちは出会う度に三郎を誘うが、うまく断っていた。自分のために身を引いた里々の事を思うと他の遊女を抱くわけにはいかなかった。相変わらず、里々の行方はわからない。たった一人でどこに行ってしまったのか、時々、里々の笑顔が夢に出て来て、捜しに行きたいという衝動に駆られるが、今の三郎には草津を守るという仕事がある。それを放り出すわけにはいかなかった。

 五月の半ば、一徳斎はようやく起き上がれるようになり、皆、一安心した。ところが、それもつかの間、十七日にまた倒れ、そのまま目覚める事なく、十九日の早朝、静かに息を引き取った。

 善太夫が草津に戻って来て、善太夫の代理として一徳斎を見送るために真田に行ってくれと三郎に言った。その夜、三郎は善太夫と酒を飲み、一徳斎との思い出を聞いた。

 善太夫が一徳斎に出会ったのはまだ十二歳の時だった。一徳斎は真田を追い出され、領地を奪い返すために上野に来ていた。その後、信玄に仕えて活躍し、真田を取り戻すと、武田の先鋒として上野に攻めて来た。善太夫は一徳斎に命を預け、一徳斎と共に戦って来た。善太夫の人生は一徳斎と共にあったと言える。一徳斎と出会わなければ、今頃は草津もどうなっていたかわからない。善太夫にとって一徳斎は掛け替えのない恩人でもあり、尊敬している武将だった。一徳斎を失った悲しみは大きすぎる衝撃だった。去年、信玄が亡くなり、そして、また、一徳斎が亡くなった。これからどうなって行くのか、善太夫だけでなく、吾妻郡の武士たちは皆、不安に駆られていた。

 三郎は次の朝、雨降る中、善太夫に代わって箕輪城に行った。箕輪には小野屋の女将が来ていた。一徳斎の死も信玄と同じように公表はせず、密かに荼毘(だび)にふされて真田へと帰る事に決まった。小野屋の女将がてきぱきと用意を整え、三郎は女将に命じられるままに手伝った。敵に怪しまれないように、一徳斎の遺骨は小野屋の手によって真田へと向かった。三郎は商人の姿になり、女将の後に従った。

「世の中の流れは早いわね」と女将は三郎を振り返った。

「ええ」と三郎は顔を上げた。

「三年前に万松軒(氏康)様がお亡くなりになって、相模守(氏政)様が北条家の跡をお継ぎになられた。去年は信玄様がお亡くなりになられて、四郎(勝頼)様が武田家をお継ぎになられた。そして、今度は一徳斎(幸隆)様がお亡くなりになって、源太左衛門(信綱)様の時代になった。世代が交代する時期なのかしら。あたしもそろそろ引退かな」

「まさか、女将さんはまだまだ大丈夫でしょう」

「そんな事はないわ。いつの間にか、四十を過ぎちゃったものね。そろそろ、跡継ぎの事を考えなくちゃ」

 三郎は笠の下の女将の顔を覗いた。四十を過ぎたと言ったが、とても、そんな年には見えなかった。

「あの、跡継ぎはやはり、女の人なのですか」と三郎は女将の横顔を見つめたまま聞いた。

「そうよ」と言って女将は三郎を見てから、雨に煙る遠くを眺めた。

「小野屋の主人はずっと女なのよ。わたしは四代目。初代の女将は近江の国の尼さんだったの。北条家の初代の早雲寺様の知り合いでね、早雲寺様が伊豆の国を手に入れた時、本拠地を関東に移したのよ。二代目の女将は愛洲移香斎様の娘さんで、初代の養女になって小野屋を継いだの。三代目の女将は幻庵様の娘さん。幻庵様の奥方様は移香斎様の娘さんだったから三代目は二代目の姪にあたるの。そして、あたしは三代目の従妹なのよ。一族の娘たちが代々、小野屋を継いで来たの。あたしはまだ跡継ぎを決めてないんだけどね、そろそろ、養女を貰わなくてはと急に考えるようになったわ」

「そうですか‥‥‥あのう、幻庵殿の奥方様は移香斎殿の娘さんだったのですか」

「そうよ。最初の奥方様がね。もうお亡くなりになられたわ。琴音ちゃんのお母様は四番目の奥方様なのよ」

「そうだったんですか‥‥‥」

 幻庵は八十歳を過ぎていた。八十まで生きていれば、奥方様が四人いても当然だろうと思った。それにしても、幻庵の最初の奥方様が移香斎の娘だったなんて知らなかった。

「琴音ちゃんの事を思い出したわね」と女将は三郎を見ながら微笑を浮かべていた。

「いえ」と三郎は首を振った。

「元気よ。鶴寿丸様も三歳になられたわ」

「四郎殿はまだ帰って来ないのですか」

「甲府にいらっしゃるわ」

「そうですか‥‥‥」

「今、武田四郎様に従って、遠江に出陣しているかもしれない」

 雨は小降りになって来たのに、榛名山の方から霧が流れて来て視界が悪くなった。

 一行が歩いている信州街道は榛名山の西麓を大戸まで行って西に曲がり、須賀尾峠を越え、浅間山麓の六里ケ原を抜けて信濃の国へと続いていた。かつては善光寺街道とも呼ばれ、講を組んだ参詣者で賑わっていたが、今、信濃の国には善光寺はなかった。五度にも及ぶ川中島の合戦で善光寺の広大な境内も門前町も壊滅し、武田信玄は甲斐の府中に、上杉謙信は越後の府中に善光寺を移していた。本尊の阿弥陀如来様は甲府の善光寺に鎮座していた。

「あのう、女将さんに聞きたかったんですけど、女将さんも北条家の一族なのですか」

「一族とは言えないでしょうね。三代目の女将は幻庵様の娘さんだから一族だけど、わたしには北条家の血は流れてないわ。わたしの伯母、父親の姉が幻庵様に嫁いだの」

「その人が移香斎殿の娘さんなのですか」違うだろうと思ったが聞いてみた。

「そういう事」と女将は言った。

 三郎は驚いて女将を見た。

 女将は照れ臭そうに笑いながら、「わたしは移香斎様の孫なのよ」と言った。「あなたのお父上も驚いていたわ。わたし、ずっと、その事は内緒にしていたの。箕輪で久し振りに会って、つい、ぽろっと口に出しちゃった」

「という事は、やはり、女将さんも風摩党と関係があるんですね」

「関係ないとは言えないけどね、小野屋は風摩党じゃないわよ。ちゃんとした商人ですよ」

 真田に帰った一徳斎の遺骨は長国寺に納められ、身内だけのささやかな法要が行なわれた。長国寺に行く事を禁じられた真田家の者たちは涙を流しながら、各自がそれぞれ、一徳斎の冥福を祈っていた。

 お松も泣いていた。お松にとって一徳斎は大伯父だった。戦にばかり行っていて、真田に帰って来る事は滅多になかったが、自分の孫のように可愛がってくれたという。

 久し振りに見るお松は見違える程、女らしくなっていた。三郎の記憶の中にあるお松は小さくて子供っぽかった。会わなかった二年半の月日は、驚く程、お松を成長させていた。背がすらっと伸び、顔付きも体付きもすっかり大人っぽくなっていた。元々、可愛い顔をしていたが、つい見とれてしまう程、綺麗な娘になっていた。三郎の嫁になる事を意識してか、話しかけても恥ずかしそうに始終、俯いてばかりいた。十五歳になったお松を見て、三郎は初めて、お松を女として意識した。可愛いし、性格もいいし、働き者のいい嫁さんになるに違いないと思った。

 初めて会った時、矢沢薩摩守が冗談で口にした事が本当になってしまった。あの頃の三郎は琴音の事で頭が一杯だった。まだ子供だったお松を嫁に貰うなんて考えもしなかった。その後、里々といい仲になり、お松の事はすっかり忘れていた。去年の末、善太夫より、お松を嫁に貰えと言われ、湯本家のためなら仕方がないと思った。そして、正月にお松との婚約が公表され、里々はどこかに行ってしまった。一時、里々が消えたのはお松のせいだと逆恨みした事もあった。ようやく、心も落ち着き、去って行った里々の気持ちもわかるようになり、里々の気持ちを無駄にしないためにも、お松を嫁に貰おうと心に決めた。

 小野屋の女将は甲府に寄ってから、小田原に帰ると言って去って行った。三郎もお松と別れて草津に帰った。

 六月の下旬、武田四郎は父、信玄でさえ落とせなかった高天神城を見事に落とし、自信を深めて凱旋した。その噂はすぐに吾妻にも届き、信玄の跡を継いだ四郎の評判は上がり、これで武田家も安泰じゃと皆、一安心した。

 一徳斎の長男、源太左衛門が戦から帰り、真田家の家督を継いだ。一徳斎は隠居したという形になっていた。源太左衛門はすでに三十八歳になり、弟の兵部丞と共に各地の戦で活躍している。武田家中では名の売れた武将だったが、関東の敵には馴染みが薄い。一徳斎が生きている事にした方が都合がよかった。

 八月、北条相模守が攻めて来た。箕輪城に再び入った内藤修理亮より出陣命令が届き、善太夫は兵を率いて岩櫃城に向かった。北条は味方だが黙って戦振りを眺めているわけにはいかない。援軍として出陣しなければならなかった。

 十月になると敵の上杉謙信もやって来た。善太夫たちは箕輪城に入って守りを固め、謙信の動きを見守った。

 三郎は合戦の様子を草津で聞きながら、八日になると草津を閉じて長野原に移った。





白井城跡




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