酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







本泉寺







 風眼坊は蓮如、お雪、十郎を連れて山の中を歩いていた。

 山のあちこちに萩の花が咲き、ツクツク法師が鳴いている。

 もう、秋になっていた。

 戦のけりは、まだ着いていなかった。

 この前、一行が松岡寺(しょうこうじ)に出掛けたのは一月程前の事だった。

 風眼坊たちは戦の負傷者たちの手当に忙しく働き、八月の初めに吉崎に戻って来た。およそ、一月の間、吉崎を留守にしていたわけだったが、慶聞坊が、上人様は今、松岡寺にいると連絡してくれたので、家族たちも吉崎を守っていた近江の坊主たちも、蓮如がいない事を知っていながら、蓮如がいるという風に装っていたため、何事も起こらなかった。

 ただ、毎月恒例の二十五日の講の日は、戦に出ていない年寄りや女子供の門徒たちが吉崎に集まって来たため、今更、講を取りやめにする事もできず、上人様は戦が始まってから、ずっと、門徒たちの身を案じて、本堂に籠もり、念仏を上げておられる。上人様の邪魔をするわけにはいかんと言って、代わりに、近江から来ている赤野井の慶乗坊(きょうじょうぼう)が説教をした。

 その日、集まって来た門徒たちは皆、本堂から聞こえて来る念仏に耳を澄まし、合掌してから帰って行った。その時、本堂にいたのは勿論、蓮如ではない。吉崎を守っている門徒の中から、後ろ姿が蓮如に似ている者と声が蓮如に似ている者を選び、本堂を閉め切り、立ち入り禁止にして、後ろ姿の似ている者を座らせ、声の似ている者を内陣の中に隠して、念仏を唱えさせたのだった。

 風眼坊たちは出て行く時と同じように、抜け穴から御坊へと戻って行った。そして、小屋の中で元の姿に着替えると、何事もなかったかのように、庭園から、それぞれがここを出て行く前にいた場所へと戻って行った。

 吉崎の地にも敵は攻めて来ていた。しかし、それ程の大軍ではなかった。慶覚坊によって寺院を破壊され、追い出された高田派の坊主や門徒たちと越前の高田派門徒とが、吉崎を睨みながら陣を敷いていたが、一千人にも充たず、ただ見張っているという感じで、強いて攻撃はして来なかった。高田派門徒としては本蓮寺や松岡寺などより、この吉崎御坊を落としたいと願っているのだが、今の状況では、蓮台寺城から、ここまで出陣して来るのは不可能だった。

 敵と対峙しているとはいえ、吉崎の地は、まだ平和といえた。

 風眼坊らにとって、その比較的平和な吉崎御坊での退屈な日々が一月近く続いた。

 その退屈な日々に最初に文句を言ったのは、お雪だった。

 お雪は本蓮寺での負傷者の治療以来、風眼坊の事を先生と呼んでいた。吉崎に戻って来て、まだ十日と経たないうちに、先生、また、前線に行きましょう、と言い出した。風眼坊が、もう少し待て、と言っても、お雪は風眼坊の顔を見るたびに、早く行こう、とせきたてた。風眼坊は、上人様に言え、と言った。お雪は蓮如には言えなかったようだった。

 その上人様も御文を書いたり、念仏を唱えたり、毎日、判で押したような暮らしをしていたが、とうとう九月になると我慢できなくなったのか、風眼坊を呼んでニャッと笑うと、「そろそろ、逃げるかのう」と小声で言った。

「今度は、どこに行きますか」と風眼坊もニヤニヤしながら聞いた。

「そうじゃのう。今度は蓮乗の所でも行くかのう」

「本泉寺ですか」

「うむ」と蓮如は嬉しそうに頷いた。

「ちょっと、遠いのう」と風眼坊は少し考えた。

 蓮如は風眼坊の顔色を窺いながら、「無理かのう」と聞いた。

「いえ、山の中を通って行けば、戦場を通らずに行けるでしょう」

「そうか‥‥‥お雪殿はどうかのう、付いて来るかのう」

「来るなと言っても来るでしょう。わしの顔を見るたびに、ここから出ようと言って、うるさい位じゃ」

「おお、そうじゃったのか。お雪殿も早く、ここから出たかったのか‥‥‥そうか、そうか。十郎はどうじゃ」

「十郎だって喜んで付いて来ますよ」

 話が決まると早かった。

 蓮如が風眼坊に、ここから逃げようと言ってから、一時(二時間)も経たないうちに、一行は船に乗って大聖寺川をさかのぼっていた。

 合戦の方はというと、七月二十六日から三日間続いた決戦の後、八月五日に軽海の守護所が落城していた。北加賀の敵の要所を次々に落として来た河北郡の門徒たちが、軽海の守護所の包囲戦に加わると、大した攻撃もせずに、守護所は簡単に落ちてしまった。

 守護所を守っていた狩野伊賀入道は五千人程の兵を引き連れて蓮台寺城へと落ちて行き、一千人余りの敵兵は降伏した。降伏した者たちは武装を解かれ、とりあえず浄徳寺へと送られた。

 ほとんど破壊されずに落ちた守護所には、富樫次郎がおよそ二年振りに守護として納まり、次郎勢と越前門徒、一万人余りの兵は軽海に本陣を移し、蓮台寺城と対峙した。

 そして、八月二十一日に大きな合戦が起こった。

 幸千代方の夜明け前の奇襲で始まったが、すでに、蓮台寺城は本願寺門徒によって、完全に包囲されていた。河北郡の門徒一万人も加わり、遊撃軍だった慶覚坊や安吉源左衛門らも加わっている。各地に散っていた本願寺の兵力が、すべて、ここに集結していた。総勢六万人余り、対する蓮台寺城の兵力は三万弱、ちょっとした小細工の奇襲を掛けても、包囲する本願寺方に取っては大した効き目はなかった。

 奇襲の後、幸千代方は城から打って出た。

 先頭に立っていたのは高田派門徒たちだった。彼らは死に物狂いで攻めて来た。しかし、敵の数には勝てなかった。退路を断たれ、城に戻る事もできずに、無残にも全滅した。高田派門徒が全滅するのを見ると、幸千代方からは攻めて来なくなった。守りを固め、籠城(ろうじょう)戦に入って行った。

 籠城戦に持ち込むには充分な水と充分な兵糧米は勿論、必要だったが、一番、重要な事は、その水や兵糧米がなくなる前に援軍が来るという事だった。幸千代は、西軍である越中の守護の畠山右衛門佐義就(よしなり)、能登の守護の畠山左衛門佐義統(よしむね)を頼りにしていた。事実、越中からも、能登からも、近いうちに援軍を送る、との密書が蓮台寺城に届いていた。どちらの密書にも、近いうちに、と書いてあるだけで、詳しい日取りまでは書いてないが、両国が援軍を送ると言った事は確かだった。ただ、幸千代方は両国の事情を知らなかった。近いうちにと言うからには一月も待てば、援軍は必ず来るだろうと楽観視していた。一月位の籠城に耐えるだけの水も兵糧米も充分にあった。節約すれば、二月は持たせる事ができるだろう。能登と越中の援軍が来れば、本願寺門徒など簡単に潰す事ができるだろうと、考えていた。

 敵の籠城に対して、本願寺方ではただ包囲していただけではなかった。

 援軍が来るとすれば、能登か越中よりないと本願寺方も見ていた。越前の甲斐は動かないだろう。もし、動きがあれば吉崎から連絡が入る手筈となっている。甲斐が動けば朝倉も動く、そうなれば、加賀だけでなく、越前にまで及ぶ大乱戦へとなって行く。しかし、朝倉がいる限り、そんな馬鹿な事はさせないだろう。本願寺方としては、とりあえずは越前の事は考えず、能登と越中に絞って考える事にした。何としてでも、能登、越中から幸千代方の援軍が来ないようにしなければならない、と色々作戦を考えていた。

 能登にしろ越中にしろ、加賀に入るには陸路の場合なら河北郡、海路の場合なら梯川(かけはしがわ)河口の安宅湊(あたかみなと)か手取川の支流、湊川河口の今湊からだった。本願寺方は蓮台寺城を包囲している六万の中から、一万人を土地に詳しい英田(あがた)広済寺、鳥越弘願寺(ぐがんじ)越智伯耆守(おちほうきのかみ)に預けて河北郡に帰らせ、国境を封鎖させた。そして、能美郡の浜方衆に安宅湊を、手取川の河原衆に今湊を守らせた。それだけではなかった。能登、越中両国の本願寺門徒に戦の準備をさせ、もし、加賀に干渉するようなら門徒たちに一揆を起こさせると脅迫した。この脅迫に屈したわけではなかったが、両国から援軍の来る気配はなかった。

 風眼坊と蓮如とお雪と十郎の一行は大聖寺川をさかのぼり、菅生(すごう)石部(いそべ)神社まで舟で行ったのは前回と同じだったが、そこから、山田光教寺へは向かわず、河崎専称寺へと向かった。専称寺に着いた時は、まだ日が高かった。先に進んで、そこらで野宿している所を敵に襲われたらかなわないので、今晩は、ここの多屋に泊めてもらい、明日の朝早く、出掛ける事にした。

 戦地に入ってしまえば、襲って来るのは敵だけとは限らなかった。戦に関係していない者たちも心が(すさ)み、人の隙を見つけては物を奪ったり、人を殺したり、平気でするようになる。応仁の乱の時、京に出現した足軽のような(やから)は戦となると必ず、出て来るものだった。

 実際、慶覚坊が各地の高田派の寺院を攻め、敵を追い出し、火をかけ、立ち去ろうとすると、どこからともなく浮浪の徒の集団が現れ、本願寺を名乗って多屋に押し込み、略奪をしていた。奴らはどこの門前町にもいた。高田派の門前町に限らず、本願寺の門前町にも、白山の門前町にも、門前町だけではなく、城下町にも、とにかく、盛り場と呼ばれる所には、必ず、いる連中だった。奴らは戦が始まれは、待ってましたと強い方に味方し、弱い者いじめに専念した。慶覚坊は奴らのやるがままに任せていた。奴らの行為は正当ではないにしろ、敵の損害となり、味方を有利に導くものだった。ただ、戦に関係ない者まで巻き込む事になるが、それは仕方のない事だった。

 次の朝、専称寺を出た一行は白山三箇寺の一つ那谷寺(なたでら)の賑やかな門前を通って山道へと入って行った。険しい山を越え、大杉谷川に出ると大杉円光寺はすぐだった。

 円光寺は蓮如の異母弟の蓮照(れんしょう)が創建した寺院だった。

 蓮照は当時、応玄と名乗り、母の如円と妹の俊如と一緒に、この地で暮らしていた。蓮如と応玄は父、存如(そんにょ)が亡くなった時、本願寺八代目法主の地位を争った仲であった。父が亡くなった時、蓮如はすでに四十三歳になっており、部屋住みのままで、応玄の母、如円に邪魔物扱いされていた。如円は自分の息子を法主にするために色々と画策するが、父の弟、二俣本泉寺の如乗の支持によって、八代目の法主は蓮如に決定した。如円は半狂乱になり、本願寺の財産を持ち出し、応玄と俊如を連れて大谷の本願寺から出て行った。そして、この山の奥に籠もったのだった。母親の如円はこの地で亡くなり、妹の俊如は母親が亡くなった後、蓮如の長男、順如の妻となった。応玄は改めて蓮如の弟子となって名を蓮照と改め、円光寺の住持となり、波倉本蓮寺の蓮心の後見人となったのだった。

 風眼坊たち一行は突然の夕立に合い、びっしょりになって円光寺に駈け込んだ。こんな山奥の寺でも、円光寺は武装した門徒たちによって守られていた。行蔵坊という坊主の多屋に泊めてもらい、山菜と川魚の料理を御馳走になった。行蔵坊は戦に出ていていなかったが、話し好きのおかみさんや娘たちが持て成してくれた。

 おかみさんの話によると、この山から戦に出て行った若者が二人、戦死したと言う。重傷を負って戻って来た者も何人かいる。その怪我が元で、これから仕事ができなくなったら可哀想な事じゃ。面倒見てくれる者がおればいいが、なければ、一人では生きてはいけん。ほんに可哀想な事じゃ。そうなると、いっそ、死んだ方がよかったかもしれんのう、とおかみさんは言って念仏を唱えた。娘たちも心配そうな顔をして念仏を唱えていた。

 この辺りの門徒のほとんどの者は、(そま)(きこり)か、(いかだ)流し(川による材木運送業)に従事していた。どちらも体が元手であった。体が不自由になれば仕事はできず、生きて行くのは難しかった。

 蓮如は黙って、彼女たちの念仏を聞いていた。

 風眼坊は、彼女たちが上人様の事を悪く言いはしないかと心配した。幸い、上人様の事は口に出さなかった。彼女たちにとっては、上人様というのは雲の上の存在で、決して、あれこれ言ってはならないのかもしれなかった。

 次の日は一日中、山奥の道なき所を歩いた。何ケ所か険しい場所もあり、しかも、昼過ぎから大雨となり、風も強く、暴風雨の有り様となった。お雪は泣き言も言わずに歩き通した。元々、意志の強い女だったが、最近、さらに強くなったようだった。岩壁に張り付くようにして歩かなければならない危険な山道でも平気な顔で歩いているお雪を見ながら、大した女だと風眼坊は感心していた。

 その日はびっしょりになりながらも、蓮綱が開いた山之内庄(鳥越村)の鮎滝坊(あゆたきぼう)にたどり着いた。

 暴風雨は一晩中やまなかった。

 次の日の朝になって、ようやく小雨となり、一行は鮎滝坊を出た。その日の予定は、法敬坊(ほうきょうぼう)の開いた手取川の側にある島田道場に行くはずだったが、手取川が増水して氾濫し、島田道場の辺りは水浸しになっていた。一行は島田道場に行くのはやめて、山の中を通って越前超勝寺巧遵(ぎょうじゅん)の弟、順慶の開いた大桑の善福寺へと向かった。

 そして、五日目にようやく二俣の本泉寺に到着した。







 本泉寺も松岡寺や吉崎御坊程ではないが変わっていた。

 寺は武装した門徒に守られ、高い見張り櫓が組まれ、濠が掘られて、土塁が築かれていた。

 中でも一番、変わっていたのは勝如尼だった。女だてらに甲冑を身に着け、勇ましく坊主たちの指揮を執っていた。

 蓮崇は本坊にはいなかった。門前にある下間玄信(しもつまげんしん)の多屋にいた。

 玄信の多屋の庭に疋田豊次郎がいた。もう会う事もないだろうと思っていたが、一月半振りの再会だった。相変わらず酔っ払っていた。

 風眼坊とお雪を見つけると、「やあ、別嬪(べっぴん)のお医者様じゃないか、生憎、わしは、まだ、この通りピンピンしておるよ」と言って、笑った。

「あら、そう。よかったわね。偉そうな事、言ってたくせに、どうせ何もしないで、お酒ばかり飲んでたんでしょ」とお雪も負けてはいなかった。

「おお、そうじゃ。酒を飲んで悪いか」

「悪くはないけど、そんなに年中、酔っ払っているのはよくないわ」

「ほう、わしの事を心配しておるのか、そいつは有り難い」

「心配なんか、するもんですか」

「なあ、先生よ」と豊次郎は今度は風眼坊に声を掛けて来た。

「何じゃ」

「後で聞いて分かったんじゃが、わしらが松岡寺に行った頃、上人様は松岡寺におったらしいのう」

「それがどうした」

「わしが思うに、先生は上人様を知っておるな」

「ああ、知っておるが、それがどうしたんじゃ」

「やはりな。医者だとか何とか言っておるが、本当は本願寺のお偉方じゃな」

「いや、わしは医者じゃ。医者として上人様を知っておるんじゃ」

「成程、上人様、お抱えの医者というわけか‥‥‥」

「まあ、そんなようなもんじゃ。診るのは上人様だけじゃないがな」

「それで、上人様は今も松岡寺におるのか」

「分からんのう。しかし、上人様に何か用でもあるのか」

「わしは本願寺の門徒になった。わしだけじゃない。わしら一族の者、そして、倉月庄の者たち、みんなが門徒となった。そのお陰で、一族の者たちは助かった。まだ、決着は着いてはおらんが、多分、助かった事になるじゃろう。しかし、わしらは本願寺の上人様を知らん。誰も会った事もなければ、見た事もない。みんな、不安なんじゃよ。これからの事を考えるとな‥‥‥わしらは今まで、強い武士には従って来た。そして、土地を安堵(あんど)して貰った。皆、武士に従うのには慣れておるが、寺に従うのには慣れておらん。今回、門徒になった者たちでも本願寺方として戦うより、やはり、次郎方として戦った方がいいのではないかと言い出す者も現れて来たんじゃ。わしは上人様と一度、会って話がしたいと思っておるんじゃ」

「そう思ったのなら会いに行けばいいじゃろう。こんな所で酔っ払っておらんで」

「それはそうなんじゃが、わしが行ったとて会ってはくれんじゃろう」

「いや、上人様は誰とでもお会いなさる」

「上人様がそう思っても、部下の者はそうは思うまい。誰か有力な門徒と一緒に行かなければ会うことはできまい。ここにしろ、松岡寺にしろ、あんなに厳重に警固しておる。まして、上人様がおる所など、もっと警戒厳重なはずじゃ」

「うむ」と風眼坊は頷いた。「そりゃ、言えるのう」

「そこで、わしは蓮崇殿に頼んだ。そしたら、今はここから動けん。もう少し待ってくれと言うのみで、一向に上人様に会わせてくれん。じゃから、こうして、ここで酔っ払ってしまうというわけじゃ。そこで、先生、頼みなんじゃが、わしを上人様の所に連れて行ってくれんか」

 お雪が急に笑い出した。

「何がおかしい」

「だって‥‥‥」とお雪は風眼坊を見た。

 風眼坊はお雪にわかるように首を振って、「まあ、いい。もう少し、ここで待っていろ。会わせてやる」と豊次郎に言った。

「会わせてくれるか」

「ああ」

 風眼坊とお雪は多屋の中に入って行った。蓮崇は広間の片隅で、一人で絵地図を眺めていた。風眼坊の顔を見ると驚いて、目を丸くした。

「どうしたんです、こんな所に」

「じっとしておられなくてな」と風眼坊は言いながら絵地図を覗き込み、蓮崇の前に腰を下ろした。

「すると、上人様も一緒ですか」

「ああ、今、勝如尼殿と話し込んでおる」

「上人様にも困ったものよのう。戦の最中に、のこのこ、こんな所まで来て‥‥‥」

「それは大丈夫じゃ。上人様には悪いが下男の格好をさせたら誰も気づかん」

「上人様に下男の格好を‥‥‥」蓮崇は口を開けたまま風眼坊を見ていた。「何と言う事を‥‥‥」

「いや。本人が結構、気に入っておるんじゃ。ああいう格好をしてみて、初めて、下男の気持ちというものが分かったと言っておった」

「それにしても、何も下男に化ける事もなかろうに‥‥‥ところで、その娘さんはどなたです」

「ああ。この娘はお雪と言って、わしの弟子じゃ」

「弟子?」

「ああ、わしは今回、医者として旅をしておるんじゃが、この娘はよく働く。もう、一人前の医者と言ってもいい位じゃ」

「そんな‥‥‥」と言って、お雪は照れて俯いた。

「ほう。風眼坊殿は医者でもあったのか‥‥‥大したもんじゃのう」

「別に大した事もないが、どうじゃ、戦の方はうまく行っておるのか」

「その事なんじゃが‥‥‥そうじゃ、丁度いい」

「なに?」

「風眼坊殿に頼みがあるんです」

「何じゃ、わしに頼みとは」

「実はのう」と言いかけて、蓮崇はお雪の方を見た。

「あの、わたし、座をはずしますか」

「ああ、そうじゃのう。悪いが、ちょっと、はずしてくれ」と風眼坊は言った。

 お雪は、失礼しますと言って、広間から出て行こうとした。

「お雪、外にいる酔っ払いを上人様に会わせてやってくれんか」と風眼坊はお雪に声を掛けた。

 お雪は笑って頷いた。

「いい娘さんじゃのう」と蓮崇はお雪の後ろ姿を見送りながら言った。

「うむ、いい()じゃ」

「まさか、風眼坊殿の‥‥‥」

「何を言っておる。さっきの話の続きは何じゃ」

「ああ、そうじゃ。頼みと言うのは実は武器の事なんです」

「武器? やはり、足らんのか」

 蓮崇は頷いた。

「どれ位?」

「まあ、ざっと、一万人分」

「なに、一万人分!」

「はい。河北郡には兵力となる門徒の数は二万人はおります。しかし、武器を持っているのは半分の一万人です。敵が高田派の門徒だけなら農具の(かま)(くわ)を担いででも戦に出るが、敵はれっきとした武士たちじゃ。まともな武器がないと動こうとしないんですよ」

「そうか‥‥‥やはり、武器が足らんのか‥‥‥」

「前に風眼坊殿が言ったように、敵からも武器は頂きました。しかし、まだ、全然、足りんのです」

「敵から捕っても足りんのか」

「はい。各地の高田派の寺をやっつけている者たちから戦利品は送られて来るが、武器は余りない。その代わり、銭の方はたっぷりある。そこで、風眼坊殿に武器を仕入れて来て貰いたいんです」

「わしが、武器の仕入れか‥‥‥」

「誰かに行かせようと思っていたんじゃが、なかなか、やれそうな奴がおらんのです。わしが行けば何とかなりそうじゃが、今の所、わしは動けん。丁度いい時に、風眼坊殿が現れたというわけです。上人様の方はここにいる限りは大丈夫じゃろう。風眼坊殿が戻って来るまでは、ここからは一歩も出しません。どうです、やって、貰えませんか」

「やるしかないじゃろうのう‥‥‥しかし、一万人分の武器となると大変な事じゃのう」

「できるだけで結構です。ただ、銭の心配は入りません。どうせ、敵から巻き上げた銭ですから思う存分に使って下さい。それと、弓矢の矢をできるだけ仕入れて欲しいのですが」

「矢か‥‥‥」

「はい。戦慣れしてないもんで、無駄な矢が多すぎるんですよ。矢の届く距離まで行かないうちに矢を放ってしまうのです」

「だろうな‥‥‥それで、武器の方は何がいいんじゃ」

「槍ですね。しかも、長い槍の方がいいですね」

「分かった。槍と矢じゃな。甲冑は?」

「あれば何でも結構です。風眼坊殿にお任せします」

「やってみるか」

「心当たりでもありますか」

「いや。しかし、銭があれば何とかなるじゃろう」

 頼みますと言うように蓮崇は頷いた。「ただ、加賀の国内では無理です。越前も無理でしょう。近江、あるいは、京か、奈良まで足を運ばないと無理かもしれません」

「分かっておる」と風眼坊は頷いて、「近江か‥‥‥」とつぶやいた。

「しかし、風眼坊殿、ほんとに丁度いい時に来ましたね。明日だったら、わしは野々市(ののいち)の方に行っておって留守でしたよ」

「野々市に行くのか」

「ええ、寝返り組の連中が、あそこにおるんです。一応、会っておこうと思いまして」

「寝返りで思い出したが、外にいた疋田豊次郎は役に立ったのか」

「役に立ったなんてもんじゃない。あいつのお陰で、倉月庄の者たちは寝返って、蓮台寺城から抜け出し、今、本願寺方として戦っております。その数、何と、二千人余りじゃ」

「なに、二千人も蓮台寺城から抜け出して来たのか」

「そうです。奴が蓮台寺城まで行き、仲間を説得しなかったら、とても、そんな事はできなかったじゃろう」

「何じゃと! 奴は蓮台寺城に乗り込んで行ったのか」

「はい、二、三人引き連れただけでのう。大した奴じゃよ。今、その倉月庄の者たちを使って、どんどん寝返りを勧めているところです」

「奴が蓮台寺城に乗り込んだ‥‥‥あの酔っ払いが‥‥‥」

 風眼坊は、なぜか、おかしくなって笑い出した。

「あの酔っ払いが、やりおったわ」と蓮崇も笑っていた。







 蓮崇が出て行った後も、風眼坊は広間で一人考えていた。

 武器の調達‥‥‥しかも、一万人分も‥‥‥

 弓矢の矢‥‥‥矢作りで有名なのは京の清水坂(きよみずざか)だが、あそこは叡山(えいざん)の膝元、本願寺に武器を売るかどうか‥‥‥矢といえば甲賀の飯道山でも作ってはいるが大量にあるかどうか分からん。今の時期、どこでも武器は必要だ。たとえ、銭があっても手に入るかどうか難しい。銭で取り引きをするのは商人。商人なら銭で動く可能性はある。

 風眼坊は飯道山花養院の松恵尼を思い出した。

 松恵尼は『小野屋』という名で店を幾つも持ち、信楽焼きなどの焼物、薬、白粉、お茶、それに家庭で使う鍋や包丁なども扱っていた。刀の研師がいるというのは聞いた事があるが、刀剣類の取り引きはしていなかった。しかし、あれだけ、やり手の松恵尼が今の時勢、武器を扱っている可能性は充分にあった。武器を扱っていないにしろ、同じ商人として武器商人を知っているかもしれない。また、松恵尼としても、この先、本願寺を取り引き相手にすれば損になる事はあるまい。

 風眼坊はさっそく、明日、甲賀に向かう事に決めた。ついでに、息子、光一郎の顔も見たかったし、太郎のもとで、どれだけ腕を上げたかも知りたかった。

 本泉寺に戻ると庫裏の客間の一室で、蓮如と疋田豊次郎、そして、お雪と十郎が酒を飲んでいた。

「風眼坊殿、どこに行っておったんじゃ」と蓮如がいい機嫌で言った。

「はい、ちょっと、蓮崇殿と会っておりました」

「そうか、まあ、風眼坊殿も一緒にやろう」

「先生もひどいな。人が悪いですよ」と豊次郎が言った。「どうして、このお方が上人様だと言ってくれなかったのです」

「あの時、言っても、どうせ信じはせんじゃろう」

「そうよ。疋田様は上人様の事を目付きの悪い盗賊の親玉だって、言ったのですよ」とお雪が言って風眼坊にも酒を注いだ。

「もう、その事は忘れて下さい。失礼いたしました。しかし、本願寺の上人様ともあろうお人が、あんな格好をして、あんな所におるなんて誰も思いはしませんよ。きっと、人に話しても信じて貰えないでしょう」

「本願寺の上人様というのは、どんな人だと思っておったんじゃ」と蓮如は聞いた。

「それは、やはり、上人様と言うからには偉そうな格好をして、大きな寺の奥の方にいて、普通の人には、なかなか、お目にかかれないようなお人で、外に出る時は大勢の坊さんたちに囲まれておるようなお人かのう」

「残念でした」とお雪が言った。「上人様は普段でも、贅沢な暮らしなんてしておりません。それに、門徒さんたちが来れば、上人様は誰とでも会ってお話します。決して、偉そうな素振りなんて見せません」

「じゃろうのう」と豊次郎は頷いた。「そうでなければ、平気で、そんな格好はできんじゃろう。偉いもんじゃ。本物の上人様じゃ」

「わしは、ただ、門徒たちの身になってみたかっただけじゃ」と蓮如はとぼけた顔をして酒を一口なめた。

「わしは、ほんとにびっくりしたわ」と豊次郎は言った。「お雪殿にこの部屋に連れて来られて、このお方が上人様だと言われた時、かつがれておるのかと思った。しかし、上人様が、わしが蓮如じゃ、と言った時、間違いなく、上人様じゃと確信した。何というかのう、確かに、この方が本願寺の上人様じゃと確信したんじゃ。わしは、度偉いお人に会ってしまったと思った。何と言ったらいいのか分からんが、とにかく、わしは、このお方が上人様なら、わしは付いて行ってもいいと思ったんじゃ」

「ほう。酔っ払っておるだけじゃなく、おぬしにも人を見る目はあるようじゃな」と風眼坊は笑った。

「わしも一応は一族を背負って立つ身ですから」と言うと豊次郎は酒を飲んだ。

「ところで、おぬし、蓮台寺城に行って来たそうじゃのう。どうじゃった、あっちの様子は」

「えっ、蓮台寺城に?」と十郎が驚いた。

「おぬし、敵の本拠地に行ったのか」と蓮如も驚いた。

「行って来て、二千人余りを寝返らせたそうです」と風眼坊は言った。

「凄い!」とお雪は改めて、豊次郎を見つめた。

「いや、照れるなあ。みんなして、そんな見ないで下さいよ。ちょっと行って来ただけですよ」

「ちょっと、と言っても‥‥‥」と十郎は口ごもった。

「わしも、おぬしがそれ程の事をするとは、はっきり言って見直しておるよ。それで、どうじゃったんじゃ」

「ええ。とにかく、敵は負けるとは思っておりませんでした」

「そうか、おぬしが蓮台寺城に行ったのは、七月の決戦の前じゃったな」

「はい。わしが城に入ったのは七月十八日でした」

「どうやって城に入ったんじゃ」

「途中で高田派の門徒たちと一緒になりました。寺を破壊されて、本願寺を倒すために蓮台寺城に向かっておりました。奴らと一緒に難無く、城には入れました」

「簡単に入れたのか」

「ええ、わしらだけじゃなかったんです。その時、各地から本願寺にやられた高田派の連中が蓮台寺城に集まって来ておりました。どこの誰々だと名を言うだけで城内に入れました」

「そうか、敵としては兵力は多い程、いいからのう。それから、どうした」

「わしは一族の所に行って、奴らを説得しました。蓮台寺城の中におると、回りの状況がまったくと言っていい程、分かりません。味方が不利な情報は流しませんから余計です。わしは河北郡の今の状況を説明して説得しましたが、なかなか聞いてはくれません。河北郡では、本願寺の門徒というのはほとんどが百姓衆です。百姓が何百人集まったとて何ができる、と耳を貸しませんでした。ところが、いつの頃からか、野々市の守護所が本願寺門徒に囲まれて危ない、と言う噂が広まりました。上層部では、そんな事はないと否定しましたが、どこから入って来るのか、北加賀の状況がわりと詳しく噂になりました。そこで、ようやく、一族の者たちも自分たちの領地の事が心配になり、わしの言う事に乗って来ました。話はまとまりましたが、今度は、どうやって、城から抜け出すかが問題でした。一人や二人なら何とかなりますが、一族の者、二百人が城から出るとなると大変な事でした。しかし、城から出て地元に帰ろうとしていたのは、わしらだけではなかったのです。わしらは一族以外の者たちには内密に事を運んでおりましたが、ある日、同じ倉月庄の郷士、山本若狭守(わかさのかみ)殿に声を掛けられ、この城から抜け出そうと誘われました。若狭守殿は一族だけでなく、倉月庄の者たち、すべて、二千人を城から出そうとしておりました。若狭守殿のもとにも、地元から本願寺方に寝返るようにとの使いの者が来ておりました。他の者たちの所にも来ておったようです。話はすぐにまとまりました。そして、倉月庄の郷士、二千人余りは決戦の起きた二十六日、野々市の守護所を救うという名目で、堂々と蓮台寺城を抜け出した来たわけです」

「ふむ。しかし、よく、二千人余りもの武士たちを出したものよのう」

「丁度、その時、まだ夜が明ける前で、蓮台寺城は敵の襲撃を受けて混乱しておりましたから‥‥‥絶好の機会だと、どさくさに紛れて堂々と出て行きました。城内にあった武器をできるだけ持ち、ほとんどの者が馬に乗って出て行きました」

「馬に乗って堂々とか‥‥‥そいつは見事じゃのう」と蓮如が言った。

「すべて、山本若狭守殿が指揮を執っておりましたが、なかなかのものでした」

「山本若狭守か‥‥‥会ってみたいものじゃのう」と風眼坊が言った。

「今は野々市におると思いますが」

「敵の追撃は受けませんでしたか」と十郎が聞いた。

「いや、それどころではなかったじゃろう。戦が終わってから、わしらがいなくなったのに気づいたんじゃないかのう」

「敵の大将、幸千代の様子は分からなかったか」と風眼坊は聞いた。

「分かりません。ただ、噂では、毎日、宴を催しておるようです。わしらの仲間うちで、幸千代殿に拝謁(はいえつ)した者は一人もおりません。重臣たちの中でも、ほんの数人の者しか拝謁できないようです。幸千代殿はまだ十六歳だそうですから、ただの飾り物に過ぎないと思います」

「やはり、幸千代は飾り物か‥‥‥」

「はい。実際、敵の大将と言えるのは守護代の額熊夜叉(ぬかくまやしゃ)殿です」

「額熊夜叉?」

「はい。熊夜叉殿の親父、丹後守殿は幸千代殿や次郎殿の親父の富樫介(成春)殿の重臣でしたが、北加賀に入って来た赤松勢と戦って戦死しました。熊夜叉殿は親父の後を継ぎ、富樫介殿の重臣となり、赤松氏に抵抗を続けました。後に、富樫五郎(泰高)殿が隠居して、富樫介殿の子、次郎殿に家督を譲ると、富樫介の守護代だった本折(もとおり)越前守殿は次郎殿と共に南加賀に移りました。本折殿が抜けると熊夜叉殿は富樫介派の中心的人物となって行ったのです。次郎殿に対抗するため、弟の幸千代殿を大将として引き入れたのも熊夜叉殿です」

「ほう‥‥‥その熊夜叉とやらは、どんな男じゃ」

「武将としては、一流でしょう。ただ、持駒が弱いですね」

「そうか‥‥‥」

「おぬしらが消えたとなると、他の連中も地元に帰りたくなるんじゃないかのう」と蓮如が言った。

「多分、そうでしょう。同じ手を使って寝返り作戦が進んでおるはずです。この間の決戦の後は、寝返る者たちが続出しておる事でしょう」

「もうすぐ、戦も終わるかのう」と蓮如が誰にともなく聞いた。

「いえ、まだ、かかるでしょう」と風眼坊が答えた。「敵は籠城に入りました。籠城戦に入ると戦は長引く事になるでしょう。ところで」と風眼坊は豊次郎を見た。「城内の兵糧米はかなり、ありそうなのか」

「ありそうですね。かなり、溜め込んでおるようです」

「じゃろうな。かなり溜め込んでなければ、いつまでも、あんな所に腰を落着けてはおるまいからな。おぬしの見た所、どの位は持ちそうじゃ」

「そうですね。蓮台寺城に籠もっておるのが今の状況で二万位でしょう。一日百石は食うでしょう。一万石あるとして百日は持つ事になりますが、まあ、一万石はないでしょう。半分として、五十日と言うところですかね」

「二ケ月か‥‥‥水の方はどうじゃ」

「たっぷりあります。あの辺りは湿地帯で、蓮台寺城もそれ程、高い所にあるわけではないので、どこを掘っても水は出て来るようです」

「成程のう。二ケ月は余裕というわけじゃのう」

「後二ケ月か。二ケ月で、この戦は終わるんじゃな」と蓮如は聞いた。

後詰(ごづ)めの軍が来なければです」と風眼坊は言った。

「後詰め?」

「はい、援軍です」

「援軍が来るのか」

「分かりません。しかし、籠城というのは援軍が来るという前提のもとで行なう作戦です。援軍がどこからも来ないのに、籠城などしても自滅するだけです」

「そりゃそうじゃのう。しかし、援軍がどこから来るんじゃ」

「多分、越中か能登でしょう」

「はい、そうです」と豊次郎が言った。「蓮台寺城にいる奴らは越中から大軍が来る事を信じて戦っております」

「やはり、そうか」

「はい。北加賀に赤松氏が入って来た時、富樫介方の者たちは赤松氏に敗れ、越中に逃げました。その頃より、幸千代方は越中とは関係があるようです。しかし、越中から大軍が来ると言うのは本当ですかね」

「分からん。ただ、蓮崇殿の話によると、すでに、能登と越中の国境は封鎖してあるとの事じゃ。何か動きがあれば、すぐに対処できるじゃろう」

「国境封鎖ですか‥‥‥大したものですね。本願寺には大した軍師がおるらしいですね」

「一癖も二癖もあるような坊主が大勢おるわ」

「もし、越中から援軍が来るとなると、戦は益々大きくなるのう」蓮如は心配顔をした。

「ええ、援軍が来れば大変な事になります。加賀だけでなく、北陸の地、すべてが戦場になるかもしれません」

「ふーむ、まずいのう。援軍が来る前に、何とか蓮台寺城を落とす事はできんのか」

「その事については、蓮崇殿を初め、蓮台寺城を包囲している者たちが色々と考えて実行しておるでしょう。前線におる者たちに任せましょう」

 蓮如は何も言わなかった。

 自分が命じて始まった戦だったが、自分の意志で、この戦をやめさせる事ができないのが歯痒くてしょうがないのだろう、と風眼坊は思った。すでに、蓮如が開戦を命じてから二ケ月以上が経っていた。戦の犠牲者は数知れなかった。それは、直接的に戦による負傷者たちばかりでなく、戦という名目で、せっかく実った農作物を、すべて刈り取られた百姓たち、打ち壊しにあって財産をすべて奪われた土蔵や酒屋、戦とは全く関係ない場所での襲撃や放火に遭って逃げ惑う者たち、彼ら、すべてが犠牲者だった。

 戦が長引けば、そんな犠牲者の数は増え、各地から浮浪の徒や浪人どもが集まって来て、やりたい放題に暴れ回る事になるだろう。蓮如が早く、戦をやめたいと思うのは無理もなかった。

 蓮如は話題を変え、久し振りに、お雪の笛が聞きたくなったと言い出した。

 お雪は頷くと、皆の顔を窺った。

 豊次郎も是非、聞きたいと言い、風眼坊も十郎も同意した。

 お雪は帯に差していた笛を抜くと構え、吹き始めた。

 綺麗な調べが流れ出した。

 蓮如は目を閉じて聴いていた。

 気候が涼しくなって来たせいか、どことなく淋しく、物悲しい調べに聞こえた。







 次の日の朝早く、小雨の降る中、風眼坊は豊次郎を連れて近江の国、甲賀に向かった。

 風眼坊も豊次郎も砂金や銀貨を背負っていた。武器を買うに当たって、取り合えずの見せ金だった。

 お雪も一緒に行くと言い張ったが、今回は急ぎ旅だし、あちこち歩き回らなければならない。ここ本泉寺にも負傷者はいるはずじゃ。誰かが治療しなければならない。それができるのはお雪しかいない、それと、蓮如の事も頼むと、やっとの事で説得して置いて来たのだった。

 本泉寺は前線から離れているため負傷者はあまりいなかった。いたとしても皆、軽傷者ばかりだった。重傷を負った者は前線に収容されたまま地元に戻って来る事はできない。武器を取って戦う事はできないが、歩く事はできる軽傷者だけが帰って来ていた。

 負傷者は余りいなかったが、高田派門徒に攻められ、家を焼かれて逃げて来た本願寺門徒たちが、かなり避難していた。それと、ここ本泉寺には捕虜(ほりょ)となった敵兵と、孤児となった子供たちが収容されていた。

 捕虜は野々市の守護所から送られて来た者たち、孤児は河北郡の遊軍として、各地の高田派寺院を攻撃していた高坂(こうさか)四郎左衛門が連れて来た子供たちだった。捕虜の数は二百人余り、孤児の数は三十人余りいた。

 最初、捕虜は一千人近くいたが、ほとんどの者は寝返り、一族の迎えによって釈放された。今、収容されている二百人余りは、次郎政親対幸千代で争う以前の、五郎泰高対次郎成春で争っていた頃より成春派として戦って来た者たちが多かった。今更、寝返ってみても、次郎方が自分たちを受け入れてくれるはずはないと決め込み、寝返る位なら死んだ方がましだと思っていた。彼らは町はずれに作られた牢屋敷に収容されていた。

 一方、孤児たちは敵味方関係無く、本泉寺の近くの多屋に収容されていた。

 風眼坊が出掛けて行ってしまうと、何となく気が抜けてしまったように沈んでいたお雪だったが、子供が怪我をしたから診てくれと言われ、初めて孤児たちを見ると、それ以来、すっかり孤児たちの面倒を見るようになって行った。

 子供たちの相手など、今までした事もなかったお雪なのに、自分でも不思議に思う程、子供たちの気持ちになって世話をし、誰もが嫌がる事でも進んで行なった。

 孤児たちを世話していたのは多屋の娘たちだった。お雪はいつの間にか、その中心になっていた。年齢もお雪が一番年上だったが、年齢差だけでなく、お雪には元々、人を引き寄せ、まとめると言う才能があるのかもしれない。娘たちは、お雪さん、お雪さんと、お雪の事を頼りにし、子供たちには、先生、先生と呼ばれて好かれていた。

 お雪は朝から晩まで、子供たちの面倒を見ていた。

 お雪自身が子供たちと同じように戦による孤児だった。両親を亡くして独りぼっちになってしまった子供の気持ちは痛い程、よく分かった。お雪は、かつての自分のような生き方を子供たちにさせたくなかった。決して自分の過去の事を口にしないお雪だったが、子供たちに対する接し方にお雪の気持ちは充分に現れていた。

 お雪が毎日、孤児たちの面倒を見ていた頃、蓮如は毎日、泥だらけになって、土や石と格闘していた。本泉寺の裏手にある庭園の改築をしていた。

 蓮如は風眼坊のひらめきから庭師と呼ばれた事を自分でも気に入り、わしは、ここに上人として来たのではない、庭師として来たのじゃ、と自分でも言い、ここにいる事を門徒たちに公表する事を禁じた。

 本泉寺の庭園を直そうと思ったのは、今回、ここに来てからの思い付きではなかった。

 蓮如が庭園造りに興味を持ち出したのは、近江の国、大津に顕証寺(けんしょうじ)を建てた五年程前からだった。大谷本願寺を破壊され、落ち着く事なく、琵琶湖湖畔の道場をあちこち移動して暮らして来たため、ようやく落ち着く場所が見つかり、蓮如は初めて自分で庭造りをした。その時は、専門の庭師を頼んで、蓮如は命ずるだけだったが、完成した庭は、自分の納得するものではなかった。

 次に造った庭園は吉崎御坊の庭園だった。吉崎の庭園は蓮如自らが動き、自分の思い通りのものができ、ある程度、満足だった。しかし、時が経ってみると、だんだんと気に入らない所があちこちに出て来た。何というか、わざとらしい所がやけに目に付いて来た。

 大津の庭園は自分の思い通りにはならなかったが、そんな事はなかった。いいと思う事もなかったが悪いと思う事もなかった。特に目に付く所もなかったが鼻持ちならない所もなかった。ところが、自分の手で造った庭園は日を追う毎に、気に入らない所があちこちと出て来た。蓮如は、どうしてだろうと考え、庭園造りの難しさを身に染みて感じた。

 蓮如の庭園造りは蓮如の中の極楽浄土を表現するというものだった。蓮如は初め、浄土をこの世のものとは別な世界として表現しようとした。そして、自分の中の浄土を表現したのが吉崎の庭園だった。完成した日、これこそ、阿弥陀如来のいる極楽浄土だ、と自分で感激した。ところが日が経つにつれて、あの日の感激が嘘のように、つまらない庭園となって行った。

 蓮如は悩んだ。どうしたら浄土を表現する事ができるのか。

 布教しながら、あちこちを歩き回りながらも、庭園の事は常に心の片隅に残っていた。そして、庭園造りには調和こそが最も重要だという事を学んだ。飽きの来ない庭園を造るには調和というのが一番重要な事だった。それは、庭園だけの事ではなかった。すべての事に言える事だった。極楽浄土と言うのは調和のよく取れた世界の事だし、自然界と言うのも調和の取れた世界の事だった。

 蓮如は、その調和の取れた庭園を、いつの日にか造らなければならないと思っていた。それは蓮如の思想の表現でもあった。しかし、毎日、布教に忙しく、そんな事はすっかり忘れていた。それが、この間、風眼坊に庭師と呼ばれて、急に思い出したように庭造りがしたくなったのだった。

 最初、吉崎の庭園を直そうと思った。しかし、ここでやるのは、はばかられた。皆、戦に真剣になっているのに、庭いじりなど、とんでもない事だった。まして、この吉崎の地を守っているのは、近江から、わざわざ来てくれた門徒たちだった。それに、庭園には抜け穴があった。庭園をいじっているうちに、抜け穴が見つかってしまう恐れもあった。抜け穴が見つかってしまえば自由に出られなくなる。それが一番、困る事だった。そこで蓮如は本泉寺を思い出した。

 本泉寺の庭園は叔父の如乗が生きていた頃は、ちゃんと手入れしてあったが、如乗が亡くなってからというもの、誰も(かえり)みず、放ったままになっていた。吉崎に進出する前、何日か、本泉寺に滞在した頃、何とかしようと思ったが、結局、何もできなかった。

 今がいい機会だと言えた。戦をしている門徒たちには悪いが、どうせ、自分が指揮を執っているわけではなかった。はっきり言って、自分の知らない所で戦は進んでいた。門徒たちが、どういう作戦のもとで、どう戦っているかも詳しく知らなかった。

 蓮如は蓮如なりに自分の信仰心が正しかったという事を形として表現したかった。その形というのが庭園だった。

 誰も気づかなかったが、松岡寺から戻って一月近く、吉崎の書斎に籠もっていたのは、庭園造りの設計図のようなものを練っていたのだった。勿論、御文も何枚か書いたが、頭の中は庭園造りの事で一杯だった。そして、頭の中の庭園の形が決まると、蓮如は風眼坊に本泉寺に行こう、と声を掛けた。

 蓮如が本泉寺に行く目的は、初めから庭園造りが目的だったのだった。

 蓮如は毎日、生き生きとして庭園造りに励んでいた。手子(てこ)となって手伝ったのは十郎だった。ぶつぶつと文句を言いながらも、十郎は土にまみれて蓮如を手伝っていた。





大杉円光寺



大桑善福寺跡




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