酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







小野屋







 風眼坊は姿勢を改めて、奈美に武器の事を話した。

 奈美は風眼坊の話を黙って最後まで聞いていた。そして、しばらく黙ったまま考えていた。

「何とか、ならんかのう」と風眼坊は奈美の顔を覗き込むように聞いた。

「多分、何とかなるでしょう」と奈美は軽く言った。

「えっ! 何とかなるか」

「ええ」と奈美は笑った。「それで、いつまでに揃えればいいの」

「早ければ早い方がいいが」

「一月は掛かるわね」

「まあ、一月は掛かるじゃろうのう。しかし、奈美殿、本当に一月で揃えられるのか」

「何とかやってみましょう。相手が本願寺なら、やり甲斐があります」

「やはり、奈美殿は武器を扱っておったんじゃな」

「この御時勢ですからね。一応、始めましたが、なかなか大変です。見る目を持っていないと、とんでもない物をつかまされますからね」

「それは言えるのう」

「明日、うちの者がここに集まります。その時、改めて、その事は相談しましょう」

「奈美殿の店の者が、明日、ここに来るのか」

「ええ、信楽(しがらき)の市を見に来ます」

「おお、そうか。ここの祭りと一緒に信楽で市があったのう。信楽焼きは結構、儲かるのか」

 奈美は頷いた。「茶の湯が流行っているお陰で、信楽焼きの人気はどんどん上がって来ています」

「茶の湯か‥‥‥流行っておるらしいのう。わしにはよく分からんが‥‥‥明日、来るというのは焼物を扱っておる者たちじゃろう。武器も扱っておるのか」

「今回の戦で、地方の武士たちが京に集まったお陰で、茶の湯が京や奈良だけでなく、地方の武士たちの間にまで広まりました。それに、京のお公家さんたちが戦乱を避けて、地方に行った事も茶の湯の流行を助けました。今、武士との取り引きに、茶の湯は欠かせない物となって来ています。武器の取り引きと茶の湯とは、つながりがあるという訳なんですよ」

「ほう、そういうものかのう‥‥‥」

 義助が戻って来た。

 豊次郎は『たぬき』という飲み屋にいたが、今は『花屋敷』という遊女屋にいると言う。多分、朝まで、そこにいるだろうとの事だった。

「義助、悪いけど、お風呂を沸かしておくれな」と奈美は言った。「風眼坊殿は長い旅でお疲れだからね」

「へい。畏まりました」

「風呂か、旅の垢でも落とすか」

「さっぱりして、お酒を飲みましょう。そのお髭も綺麗に剃って下さいな」

「この髭か」と風眼坊は口髭を撫でた。「少し、伸ばしてみようと思っておるんじゃ」

「えっ、伸ばすの」

「ああ。今、医者をやっておるんでな、ちょっと気分転換のつもりでな」

 松恵尼は笑いながら、「医者として貫禄が付くかもしれないわね」と言った。

「そうかのう。ところで、さっきの話じゃが、明日、播磨の店の者も来るのか」

「いいえ、播磨からは来ないわ。堺と奈良と伊賀上野から来ます」

「ほう。わしはまだ堺には行った事ないが、大層、賑わっておるそうじゃのう」

「今度、堺から遣明船(けんみんせん)を出すとの話も出ています。これから益々、堺は賑わって行くでしょう」

「遣明船を堺からか」

「ええ。戦で兵庫津が使えなくなりましたからね」

「堺か‥‥‥」

「仕事の話はこれでおしまいね」

「そうじゃな。小野屋の御主人、何卒、お願い致します」と風眼坊は頭を下げた。

「こちらこそ、これからもずっと、お付き合い願いますよ」と奈美も頭を下げた。

「喜んで」と風眼坊は笑った。

 奈美も笑った。

「ところで、奈美殿、どうして、奈美殿が赤松家の遺児を預かっておったんじゃ」

 奈美の顔から笑みが消えて、俯いた。

「話したくなければ、無理には聞かん」

「いいえ‥‥‥話すわ。ある日、山伏が来て、赤ん坊を置いて行ったのよ。その山伏は伊勢の世義寺(せぎでら)の山伏だった。赤ん坊は多気(たげ)の御所様に頼まれたって言って置いて行ったの。赤ん坊には何の罪もないものね、わたしは育てる事に決めたの」

「北畠家と赤松家はつながりがあるのか」

「両方とも村上源氏なのよ」

「同族だったのか‥‥‥同族だったので助けたのか‥‥‥」

「そうね‥‥‥」

「奈美殿と北畠殿との関係は?」

「わたしは、その頃、北畠殿のために情報を集めていたのよ」

「‥‥‥成程のう」

「今は、もう、北畠殿との縁も切れたわ。他に聞きたい事は」

「そうじゃのう‥‥‥この細工は、誰が作ったんじゃ」と風眼坊は天井を指差した。

「細工?」

 風眼坊は、今度は階段のある隠し部屋の壁を指差した。

「さては、あそこに行ったのね」と奈美も天井を指差した。

「なかなか、いい部屋じゃった」

「参ったわね。絶対に気づかれないと思ってたんだけど、あなたには、かなわないわ」

「よく出来ておるんで感心したよ」

「そうでしょう。元、宮大工で、今は金勝座の舞台や小道具を作ったりしている甚助っていう人が作ったのよ」

「へえ、大したもんだ。あの部屋を使って密談なんかするのか」

「いいえ。一度も使った事ないわ」

「だろうな。こんなたんぼの中の一軒屋じゃ、わざわざ、あんな所に隠れる必要もないわな。どうして、また、あんな部屋を作ったんじゃ」

「まだ、金勝座の座員が揃う前、その甚助さんが毎日、ここで、ごろごろしてたのよ。丁度、冬の寒い最中でね。天井を張れば、少しは、うちの中が暖かくなるから、天井を張ろうって言い出してね。わしに任せてくれって、さっさと仕事を始めちゃったのよ。わたしも甚助さんの腕が確かな事は知ってたので、好きにさせといたら、こんなのが出来上がったっていうわけ。ここでは、こんな隠し部屋なんか必要ないけど、これを見本にしてね、新しいお店を作る時には、必ず、隠し部屋を作る事にしてるのよ」

「ほう。と言う事は播磨や堺の店には、こんなのがあるのか」

「そういう事」

「なかなか考えるもんじゃのう」

「ねえ、せっかくだから、今晩、上の部屋を使おうか」

「この上で飲むのか」

「飲んだ後よ」

「そいつは楽しみじゃのう」

 風眼坊は義助の沸かしてくれた風呂に入って、さっぱりすると、お膳の用意してある客間の方に移動した。

 囲炉裏には火が入っていた。

 奈美は風眼坊の隣に座り、風眼坊の顔を見て笑うと、とっくりを持って酌をした。

 風眼坊は酒を一息に飲み干すと、うまいのう、と言って、酒盃を奈美に渡して酌をした。

 奈美も一息に飲み干すと、おいしい、と言って笑った。

「何となく、あなたが、そんな格好でいると変ね」

「そうかのう。わしはわりと気に入っておるんじゃがのう」

「あなた、自分のお弟子さんの真似をしてるみたい」

「なに、太郎の奴も、こんな町人の格好しておったのか」

「ええ。太郎坊の名前があまりにも有名になり過ぎて、太郎坊を名乗って、このお山にいられなくなったの。そして、山にいる時は火山坊を名乗って、山から下りて来ると、三好日向という彫り物師でいたわ。職人の格好をしてね」

「ほう。奴が彫り物師か‥‥‥まあ、手先は器用じゃったからのう」

「その職人さんも、どうやら、武士に戻ったようね」

「らしいのう」

「ところで、火乱坊殿が加賀にいるんですって」

「おう。あっちで、門徒たちを引き連れて戦をしておるわ。奴も変わったわ」

「そう。相変わらず、薙刀を振り回しているのね」

「ああ、どえらい事を考えておるわ」

「どえらい事?」

「ああ。加賀の国を本願寺で乗っ取る気でおる」

「えっ! そんな事ができるの」

「やるかもしれん。あの本願寺の門徒たちは底知れない力を持っておる。いつの日か、武士たちを追い出してしまうかもしれんのう」

「へえ、本願寺って、そんなに力を持ってるの」

「今までの叡山や、興福寺などとは違う新しい力じゃ。その新しい力が古くなった力を倒そうとしておるんじゃよ」

「へえ‥‥‥それで、あなたも、その本願寺に付いて行くつもりなの」

「いや。成り行きで、今は本願寺に付いておるが、わしは門徒になるつもりはない。これからどうするか、まだ、決めてはおらんがのう。北陸の地には、わしのいる場所はないわ」

「ねえ。いっその事、わたしと組んで商売でもやらない?」

「商売か‥‥‥」そう言って風眼坊は少し考えたが、首を振った。「商売も、どうも、わしには合わんのう」

「合うか、合わないか、やってみなければ分からないわよ」

「それはそうじゃがのう」

「わたしね、今度、船を持って、琉球や朝鮮と取引きしようと思っているの。それを、あなたがやってくれたらなと、ちょっと思ったんだけど、駄目か‥‥‥」

「わしが船に乗るのか。船だったら、太郎じゃろ」

「今回の事がなければ、あの二人に、その話をしようと思ってたんだけど、もう、遅いわ」

「そうじゃのう‥‥‥もしかしたら、奴は赤松家の水軍になるかも知れんのう」

「その可能性は充分にあるわね。でも、今は銀山の開発をしなければならないでしょうから、水軍になるのはまだまだ、先になるわ」

「そうじゃった。奴は銀山を見つけたんじゃったのう。その銀山の開発も奈美殿の店がやるのか」

「いえ、まだ、正式に決まってないけど、多分、そうなると思うわ」

「銀山開発か‥‥‥儲かりそうじゃのう」

「お陰様で。あなたのお弟子さんが、えらいお宝を見つけてくれましたので、これから、忙しくなりそうですわ」

「まったく、大した事をやってくれたもんじゃのう」

「ほんと。わたしは、はっきり言って殺されてしまう事を覚悟してましたよ」

「そうじゃろうのう。なんせ、相手が赤松家じゃあな。殺されても当然じゃ。それが、殺されるどころか、堂々と殿様におさまってしまうとはのう。奴も悪運が強いというか、しぶといというか、なかなか、やるもんじゃのう」

「師匠も頑張らないと、お弟子さんに追い越されるわよ」

「そうじゃのう。太郎に追い越されるのう。いや、もう、追い越されたかもしれんのう」

「どうしたの、そんな弱気になって」

「別に弱気になったわけじゃないが、最近、改めて、自分の事を考えるようになってのう」

「へえ、あなたがねえ。いつも、行き当たりばったりだった、あなたが、自分の事を考えるようになったの」

「そうじゃ。年になったせいかのう」

 奈美は風眼坊の顔を見ながら笑った。そして、思い出したかのように、「そういえば、この前、駿河から手紙が来てたわ」と言った。

「駿河? 新九郎か」

「そう。今は早雲というお坊さんよ」

「早雲? 奴は坊主になったのか」

「武士は、もう、やめたって言って、頭を丸めて駿河に旅立って行ったわ」

「ほう、あいつが坊主にね。四年も山に籠もっておると色々な事が起こるもんじゃのう」

「そうよ。昔と違って、今は時が流れるのが速いのよ。ぼうっとしてたら回りはすっかり変わってしまうわ」

「そうじゃのう。それで、新九郎の手紙には何と書いてあったんじゃ」

「小太郎に会ったら、駿河に来るように言ってくれ、と書いてあったわ」

「駿河か‥‥‥奴は今、駿河で何をしておるんじゃ」

「さあ。毎日、ブラブラしてるんじゃないの。なんせ、妹さんが駿河のお屋形様の奥方なんですからね」

「ふうん。駿河で世捨人(よすてびと)をやっておるわけか」

「らしいわね」

「栄意坊の奴は何しておるか、知らんか」

「さあ」と奈美は首を振った。「去年は百地(ももち)殿の所にいたんだけど、また、どこかに旅に出たらしいわ」

「そうか、奴は旅に出たか‥‥‥弥五郎の所では何をしておったんじゃ」

「百地殿の所でも若い者たちに武術を教えていてね。その師範をやっていたらしいわ」

「ふうん‥‥‥高林坊の奴は、このお山に落ち着いたらしいし、今、命懸けで何かをやっておるというのは火乱坊だけじゃな」

「そうかしら。それぞれ、みんな、命懸けで生きてるんじゃないのかしら」

「そうかのう。わしには命を懸けるものなどないわ」

「そうなの。わたしに命を懸けてみたら」

「奈美殿にか」風眼坊は改めて、奈美を見つめると頷いた。「それもいいかも知れんのう」

 奈美も笑って、「ねえ、一期一会(いちごいちえ)って知ってる?」と聞いた。

「一期一会? 何じゃ、それは」

「茶の湯で、よく使うんだけどね。今、この時は、一生のうちでたった一度しかないから、真剣な気持ちになって、お茶を飲めって言うの」

「お茶を飲むのにも覚悟がいるのか」

「そうよ。お茶だけじゃないわ。何をするにも、その瞬間瞬間を命懸けの気持ちで過ごせって言うのよ」

「一期一会か‥‥‥それじゃあ、今晩は、奈美殿に命を懸けて、真剣に酒を飲むかのう」

「お酒だけじゃなくて、命懸けで、わたしに惚れるのよ」

「命懸けで、惚れるのか‥‥‥この年になって、女に命懸けで惚れろと言うのか」

「年は関係ないでしょ。男はいくつになっても男だし、女はいくつになっても女よ」

「確かにのう。わしが、もし、若い頃、命懸けで奈美殿に惚れておったら、今頃、どうなっておったかのう」

「‥‥‥多分、お互いに苦しんだと思うわ」

「今、こうやって会う事はなかったかのう」

「多分ね。あなたはここに戻って来ても、わたしには会いに来なかったでしょう」

「そうかのう‥‥‥」

「昔の話はよしましょ」

「ああ‥‥‥そういえば義助はどこに行ったんじゃ。いつも、聞こうと思っておったんじゃが、義助の奴は、わしがここに来ると、いつも消えるが、どこに行くんじゃ」

「気を利かしているのよ。義助には息子がいるの。きっと、息子の所に行くんでしょ」

「息子の所か‥‥‥」

「ねえ。十月の十五日に楓と太郎殿の披露式典があるのよ。一緒に行かない?」

「十月十五日といったら後一月後じゃないか。ちょっと無理じゃのう。奈美殿は行くのか」

「勿論よ。楓の母親ですもの」

「おお、そうじゃったのう。太郎の両親たちも行くのかのう」

「多分、まだ、両親たちには教えてないんじゃないかしら」

「のんきなもんじゃな」

「それだけ、大物なのよ」

「大物か‥‥‥かもしれんのう」

 二人の話は尽きなかった。

 夜になって冷え込んで来たが、囲炉裏を囲み、ほろ酔い気分で話に熱中している二人には全然、気にならなかった。







 次の日の昼過ぎ、奈美の手下たちが甲賀にやって来た。

 堺の『小野屋』の主人、伝兵衛と手代(てだい)の平蔵。

 伊賀上野の『小野屋』の主人、善兵衛と手代の忠助。

 元、奈良の『小野屋』の主人で、今は隠居している長兵衛と手代の新八。

 そして、茶人の村田珠光(じゅこう)と弟子の倫勧坊澄胤(りんかんぼうちょういん)の一行だった。

 風眼坊は二階の隠し部屋で、のんびり寝ていた。久し振りに奈美と出会い、何となく、ほっとしていた。故郷に帰って来たというような感じになり、安心して眠っていた。

 奈美も、今朝は少し寝過ごしてしまっていた。夕べは久し振りに女に戻り、風眼坊にずっと甘えていた。奈美は今日、松恵尼に戻って花養院には行かなかった。風眼坊がここにいる間は、奈美でいようと思っていた。奈美は起きるとすぐに、張り切って風眼坊の食事の用意をしたが、風眼坊はなかなか起きて来なかった。

 豊次郎は豊次郎で、加賀の戦から離れ、物見遊山(ものみゆさん)に来たような気分で遊んでいた。遊女屋『花屋敷』の牡丹という娘が気に入り、牡丹を抱きながら、一晩中、酒を飲み続け、夜が明ける頃に酔い潰れ、牡丹を抱いたまま昼近くまで寝ていて、起きると、また、酒を飲み始めていた。

 義助は朝、豊次郎を迎えに行ったが、まだ、寝ていると言うので、そのままにしてきて、昼頃、もう一度、行った。今度は、起きていたが、「わしはここが気に入った。ここにいる。先生がどこかに行くようなら呼びに来てくれ」と言って、帰ろうとしなかった。

 義助は『花屋敷』の女将に銭を渡し、豊次郎の事を頼むと言って帰って来た。

 昼過ぎになって、下がやけに賑やかなので、風眼坊はようやく目を覚ました。

 風眼坊が下に降りようとしたら、奈美が上がって来た。

「着いたようじゃな」と風眼坊は言った。

「やっと起きたのね。せっかく、御飯まで用意して待っていたのに」と奈美は睨んだ。

「そいつは悪かった。どうも、奈美殿の所にいると、つい安心してのう。ゆっくりと眠ってしまったわ」風眼坊はあくびをしてから、「ところで例の事は話してくれたのか」と聞いた。

「まだよ。あの人たち、ここに泊まるはずになっているから、今晩、その話をするといいわ」

「今晩は宴会と言うわけじゃな」

「そうね」

「宴会もここでやるのか」

「そうよ。どこも、一杯なのよ」

「そうか、明日から祭りじゃからな」

「そう言う事」

「わしはどうする。降りて行って挨拶した方がいいか」

「これから、お山に登って、それから湯屋(ゆや)に寄って来るっていうから、もう少し、ここに隠れていて」

「そうか、分かった」

 奈美は降りて行った。

 やがて、客たちは出て行った。

 風眼坊は下に降りると井戸で顔を洗い、「豊次郎の奴は、まだ、帰って来んのか」と奈美に聞いた。

「まだ、お楽しみのようね」

「そうか、困った奴じゃのう」

 風眼坊は奈美の用意した飯を食べると、祭りの準備に忙しい町へと出た。

 たんぼの中の一軒屋の奈美の家から町に向かうと橋を渡って、すぐの所に奈美の経営する旅籠屋『伊勢屋』があった。その伊勢屋の北側が居酒屋などの並ぶ盛り場だった。豊次郎が最初に飲んでいた『たぬき』という店は伊勢屋のすぐ前だった。

 伊勢屋の前を通って真っすぐ行くと寺院と大きな旅籠屋の間を通り、大通りへと出る。この大通りが飯道山への参道だった。正面に大鳥居があり、なだらかな坂を登って行くと二の鳥居があり、そこから、急な登り坂が飯道寺まで続いていた。

 風眼坊は参道を横切り、料亭『湊屋』と寺院の間を通り抜けて行った。湊屋は毎年、年末に飯道山の武術師範たちが集まって宴会をする料亭だった。その湊屋の裏にも盛り場があった。

 こちらの盛り場は、伊勢屋の所より、ちょっと高級な遊女屋が並んでいた。こちらの盛り場は側に観音院があるため観音町と呼ばれ、伊勢屋の方の盛り場は側に不動院があるため不動町と呼ばれていた。豊次郎がいる『花屋敷』という遊女屋は、この観音町にあった。

 風眼坊は花屋敷の門をくぐった。

 懐かしかった。

 風眼坊も若い頃は、この門を何度もくぐっていた。あの頃、『四天王』と持て囃されていた風眼坊たち四人は、武術だけでなく、遊びの方でも『四天王』と呼ばれる程、毎晩、派手に遊んでいたものだった。あの頃、風眼坊たちが遊んでいた店は、ほとんど無くなっていたが、ここ花屋敷は昔のまま残っていた。

 花屋敷の女将は風眼坊の事を覚えていた。昔話に花を咲かせた後、豊次郎のいる部屋に案内された。

 豊次郎は独りで酒を飲んでいた。

女子(おなご)はどうした」と風眼坊は聞いた。

「逃げられた」

「情けないのう」

「逃げられたっていうのは嘘です。お稽古事があるんだそうです。それが終わったら、また、戻って来ます」

「そうか、いい女子か」

「まあね」

「先生、もう、出掛けるんですか」

「いや、まだじゃ。今晩、商人と会う手筈になっておる。話がうまくまとまれば、明日、帰る事となろう。まあ、今晩は、ここにいろ。ただ、余り飲み過ぎるなよ。話がまとまるにしろ、まとまらないにしろ、明日はここを出るからな」

「分かりました。先生は今、どこにおるんです、あの寺ですか」

「あそこは尼寺じゃ。男は泊まれん。わしも女子の所じゃ」

「何じゃ、先生も女子の所か。お楽しみってところですか」

「まあな。それじゃあ、明日、迎えに来るからな」

「話がうまく行くといいですね」

「ああ、そうじゃな」

 風眼坊は花屋敷から出ると、さて、これからどこに行こうか、と考えた。

 奈美の所に戻っても、奈美は今晩の準備のため、伊勢屋の方に行っていていないし、太郎も息子もいない山に登ってもしょうがないし、花養院にでも行って子供たちと遊ぶか、と花養院の方に向かっていた。不動町の盛り場の横を通った時、ちらっと『とんぼ』の親爺が見えたので、風眼坊は懐かしくなって『とんぼ』の方に足が向いた。

 居酒屋『とんぼ』は開いていた。風眼坊は暖簾をくぐった。

「親爺、懐かしいのう」と風眼坊は声を掛けた。

「風眼坊か‥‥‥」と無口な親爺は言った。「懐かしいのう。一体、どうしたんじゃ」

「ちょっと、用があってのう」

「そうか‥‥‥懐かしいのう」

「いつも、こんな早くから、店をやってるのか」

「いや、今日は特別じゃ。今晩、忙しくなると思っての、ちょっと、仕込みをしておったんじゃよ」

「そうか、祭りの前の晩じゃからのう。昔、親爺にお世話になった者たちが、みんな、集まって来るというわけじゃな」

「まあ、そういう事じゃ。まだ、日は高いが、久し振りじゃ、まあ、一杯飲んで行け」

 親爺は風眼坊に(ます)に入れた酒を出した。無口な親爺に似合わず、よく喋っていた。

「ここに最後に来たのは、いつだったかのう」風眼坊は懐かしそうに店の中を見回しながら聞いた。

「あれは、おぬしが弟子の太郎坊をこの山に連れて来た時じゃよ」

「おお、そうか。確か、栄意坊に高林坊も一緒だったのう」

「そうじゃよ。おぬしの弟子の太郎坊というのは大した男になったものよのう。さすが、おぬしじゃ。見る目が高いわ」

「ああ、わしも実際、驚いておるわ」

「わしは、ここに長い事おるが、おぬしたちの『四天王』とおぬしの弟子の『天狗太郎』は後々までも語り草になろうのう」

「太郎坊は、そんな有名になったのか」

「有名なんてもんじゃない。毎年、この山に来る若い者たちは、皆、太郎坊の『陰の術』を習いに来るんじゃよ。太郎坊が余りにも有名になりすぎての、おぬしの弟子は太郎坊を名乗れなくなって、火山坊と名乗っておったわ」

「ほう。火山坊か‥‥‥奴は、ここにもよく来たのか」

「一時は、毎日のように来ておったのう」

「毎日、来ておったのか」

「ああ。何があったのか知らんが、去年の今頃かのう。毎日、酔っ払っておったのう」

「奴が酔っ払っておった?」

「ああ。太郎坊でありながら、太郎坊を名乗れなかったのが、くやしかったのかのう。理由は知らんが毎日、酔っ払っておった。火山坊の評判もあまり、よくなかったのう。毎日、酒臭くて、あれでよく、剣術なんか教えていられるな、と陰口をたたかれておったわ」

「そんなひどかったのか」

「ああ、ひどかった。しかし、さすがに、十二月になって太郎坊に戻って、皆に陰の術を教えておる間は素面(しらふ)じゃった。陰の術が終わるとまた、酔っ払いに戻ったがのう」

「奴が酔っ払いじゃったとは信じられんのう」

「世の中、信じられん事が起こるもんじゃよ。その酔っ払いも大峯山に修行に行ったきり、まだ、帰って来んらしいのう」

「奴が大峯に行った?」

「ああ、大方、おぬしに会いに行ったんじゃなかったのか」

「奴が大峯に行ったのはいつの事じゃ」

「六月じゃったかのう」

「入れ違いじゃ。わしは五月に山を下りてしまった」

「そうじゃったのか。もしかしたら、まだ、おぬしの事を捜しておるのかも知れんのう」

「ああ、そうかも知れん。わしは一千日間、山の中に籠もると言って山を下りて来たからのう」

「可哀想な事じゃ。きっと、太郎坊は師匠のおぬしに相談したい事があったに違いない」

「そうかも知れんのう。奴が大峯まで来たとは知らんかったわ」

「あいつが何かを悩んでおった事は確かじゃよ」

「そうか‥‥‥悩んでおったか‥‥‥」

「大丈夫じゃ」と親爺は言った。「太郎坊は独りでも立ち直るよ」

「うむ。分かっておる」と風眼坊は頷いた。

「師匠が師匠じゃからのう。弟子も立派じゃ」

「親爺、ありがとうよ」

「何も礼を言われる筋はない」

「いや、太郎坊の事を見守ってくれた」

「わしは何もしとらん。太郎坊とも、ろくに口を聞いた事もないしな」

「いいんじゃ。親爺はただ見守ってくれておるだけでな。わしらが飲み歩いておる頃も親爺はあまり喋らなかった。しかし、親爺は何でも知っておった。それで、いいんじゃ‥‥‥太郎坊が酔っ払いじゃったか‥‥‥」

 風眼坊は急に笑い出した。

「どうしたんじゃ」

「いや、何となく楽しくなってのう。わしも奴の噂はよく耳にしておった。しかし、悪い噂はなかった。人間、真面目だけでは大物にはなれん。どこか弱い所が無ければ駄目じゃ。奴が毎日、酔っ払っておったと聞いて、わしは嬉しいんじゃよ。奴はまだまだ伸びる。悩みながら、どんどん大きくなって行く。わしも負けてはおれん。奴に追い越されんようにせんとな」

「いいお弟子さんを持ったもんじゃのう。風眼坊は幸せ者じゃ」

「親爺にだけ言うがのう。太郎坊は今、播磨で、赤松家の武将になったよ」

「なに、赤松家の武将になった?」

「ああ。奴の嫁さんを知っとるか」

「いや、知らんが‥‥‥太郎坊には嫁さんがおったのか」

「いた。花養院にいた楓という娘じゃ」

「その娘なら知っておる。どこか、遠くの方に嫁に行き、また、戻って来たというのは聞いておったが、その娘の亭主が太郎坊だったのか」

「そうじゃ。その楓という娘が、なんと、赤松家のお屋形様の姉君でな、太郎と一緒に播磨に行って、今は、一城の主だと言うわ」

「ほう、そいつは、たまげたものよのう。あの娘が播磨の赤松家の娘だったとはのう‥‥」

「まったくじゃ」

「この事は親爺の胸だけにしまって置いてくれ」

「分かっておるわ。しかし、今年も、十二月には陰の術があるんじゃろう。太郎坊は来るのかのう」

「来る。太郎坊はきっと来るよ」

「うむ。わしも、その事は分かっておるつもりじゃ」

 風眼坊は『とんぼ』の親爺と別れた。

 太郎の別の面が分かってよかったと思った。あの太郎が、今の豊次郎のように酔っ払いだったとは驚きだった。風眼坊自身が、若い頃、酔っ払いだったので、酔っ払いの気持ちはよく分かっていた。

 風眼坊は花養院には寄らずに奈美の家に帰った。

 もう、日が暮れ掛かっていた。







 客間の床の間に山水の掛軸が掛かっていた。

 その前に、秋の花が綺麗に生けられてあり、香まで焚かれてあった。

 村田珠光が弟子の倫勧坊と一緒に、お茶会の準備をしていた。

 珠光は頭を丸め、一見した所、禅僧のように見えるが、着ている着物は俗人と同じだった。奈美の話によると、以前は、一休禅師の弟子で、休心珠光という禅僧だったが、茶の湯の道に生きる覚悟を決めて、還俗(げんぞく)したのだと言う。

 居間の方では、風眼坊と奈美、三人の小野屋の主人とで商談が始まっていた。

 風眼坊の話を聞き終わると、三人の小野屋の主人は奈美の方を見て、小さく頷いた。

 風眼坊が奈美の方を見ると、奈美は、ただ、笑っているだけだった。

「何とか、致しましょう」と堺から来た小野屋伝兵衛が言った。

「本当ですか」と風眼坊は聞いた。

「はい。ただし、少々、時間が掛かりますが」

「どの位ですか」

「そうですね。一月近くは掛かると思います」

「一月位なら結構です。お願い致します。もしかしたら、今、堺に在庫があるのですか」

「はい。刀が二千本、それと、槍が三千本程ございます。ただ、刀身だけです。これに(こしら)えをしなければなりませんので、少々、時間が掛かるというわけです」

「あと五千本は集まりますか」

「長兵衛殿の所には、どれ程ありますか」と奈美は聞いた。

「まあ、刀が五百本、槍が一千本、薙刀(なぎなた)が二百本というところでしょうか」と奈良の小野屋の主人は言った。

「善兵衛殿の所は?」

「はい。わたしの所は、それ程ありません。刀が二百本と言うところでしょうか。ただ、刀の(つか)に巻く組紐は充分にあります」と伊賀上野の小野屋の主人は言った。

「あとは、堺中の納屋(なや)(倉庫)を捜せば、何とかなるでしょう。それでも足りなければ、播磨から取り寄せます」と伝兵衛は言った。

「弓矢の矢の方はどうです」と風眼坊は聞いた。

「それは、長兵衛殿が何とかするでしょう」と伝兵衛は言った。

「はい。三万本程でいかがですかな」と長兵衛は言った。

「三万本ですか‥‥‥三万本もあれば何とかなるでしょう。しかし、そんなにも集められるのですか」

「いえ、今、蔵の中で眠っておりますよ」

「えっ、蔵の中に? という事は、手元にあると言う事ですか」

「はい。ございます」

「凄いもんじゃのう。いつも、そんなに武器の在庫があるのですか」

「いえ、これは、女将の命によって集めたものです」

「奈美殿の命令で?」

「一戦をしようと思ってね」と奈美は笑った。

「女将は、楓殿のために小野屋の全財産を賭けて、戦をする覚悟だったのです」と長兵衛は言った。

「赤松家を相手に戦か‥‥‥」と風眼坊は奈美の顔をまじまじと見た。

「もしもの時はね」と言って、奈美は笑った。

「成程、それで武器を蓄えておったという事か‥‥‥それにしても、三万本もの矢をよく集めましたね」

「皆、興福寺から流れて来るんですよ。珠光殿のお弟子さんの倫勧坊殿も何本か、協力してくれました」

 倫勧坊は今、隣の部屋で、珠光の手伝いをしていた。丁度、太郎と同じ位の年の奈良興福寺の衆徒で、勇ましい僧兵だった。

「しかし、三万本とは凄いものですね」と風眼坊は感心した。「一体、どうやって、そんなにも集めたのですか」

「矢で銭を貸したわけです。今回の戦で、興福寺も数多くの荘園を横領されました。内情はかなり苦しいようです。上の者たちは、それでも、結構、贅沢しておりますが、下っ端の神人(じにん)あたりは食うのもやっとの有り様です。その下級神人たちが作っておるのが弓矢の矢です。わたしは彼らのために、その矢を質として銭を貸したわけです。初めのうちは皆、ほんの数本を持って来て、銭に替えて行きましたが、そのうちに、だんだんと数が増えて行き、終いには、車に山積みにした矢を持って来る者まで現れましたよ。それで、今では三万本もの矢が蔵の中で眠っておるというわけです」

「成程のう。溜まるもんじゃのう」

「風眼坊殿、よかったですね」と奈美は言った。

「ああ、まさか、こんなにもうまい具合に事が運ぶとは思ってもおらんかったわ」

「風眼坊殿、こちらこそ、お礼を言わなければなりませんよ」と長兵衛は言った。「矢の事なんですがね。三万本もの矢をどうしようかと考えておった所なんですよ。女将に言われて集めましたが、楓殿も無事、赤松家に迎えられましたし、処分しなければならなかったんですが、興福寺で作った矢を興福寺に無断で売りさばくわけにもいかず、困っておったところなんですよ」

「加賀辺りなら大丈夫というわけですか」

「加賀というより本願寺だから安心なのです」

「どういう事です」

「興福寺は今回の戦で、東軍にも西軍にも属さず中立でおります。そして、矢をどちらの軍にも売っておるわけです。早い話が、どこの陣にも興福寺から矢を売りに来ている者がおると言う事です。そんな所に、わしらが興福寺の矢を売りに行けば、すぐに、興福寺にばれてしまいます。興福寺は座を組織して、矢の製造販売をしております。座に入っておらん者が、その取り引きをやれば、たちまちに興福寺の衆徒に襲われる事になります。その点、本願寺はまだ、興福寺と取り引きはしておらんでしょう。興福寺に見つかる心配はないと言うわけです」

「成程のう。商売というのも、なかなか難しいもんじゃのう」

「お陰様で、蔵が空き、他の物を仕入れる事ができます」

「皆さん、仕事の話はこれでお終いね。そろそろ、お茶会の方の準備もできる頃でしょう」

 一汁三菜の会席料理が並び、お茶会が始まった。

 お茶会の席では、宗教や政治、愚痴や人の悪口、仕事に関する事など俗世間の事を話すのは禁じられていた。小野屋の主人たちは、明日から始まる信楽の市の事を話し、珠光から陶器の事を聞いていた。風眼坊はみんなの話にはついて行けなかった。陶器など、まったく興味がなく、話を聞いていても何の事を言っているのか全然、分からなかった。そんな風眼坊を見ながら、奈美は時々、笑っていた。

 食事が終わると皆、席を立ち、隣の部屋へと移った。

 囲炉裏には炭が入り、湯が沸いていた。それぞれが席に着くと、珠光の弟子、倫勧坊によって茶菓子が配られ、珠光によってお茶が点てられた。

 風眼坊は珠光の細かい動作を注目していた。珠光の動きには一分の隙もなかった。まるで、能を演じているかのように、お茶を点てる動きに無駄がなかった。座敷の中に、ある種の緊張感が漂っていた。皆、珠光の動きに注目していた。

 やがて、珠光の点てたお茶が倫勧坊によって、各自に配られた。

 風眼坊も一期一会の覚悟で、珠光の点てたお茶に挑んだ。

 風眼坊にしても、お茶会に出るのは初めてではなかったが、お茶会に出て、これ程、緊張した事はなかった。そして、目の前で、お茶を点てているのを見るのも初めてだった。普通、お茶は別の部屋で点てられて運ばれて来るものだった。しかし、客の見守る中、鮮やかな手捌(てさば)きで、珠光はお茶を点てていた。

 珠光が点てたお茶を飲むのは、これが最初で最後の事に違いないと風眼坊は真剣な気持ちになって、お茶を飲んでいた。

 村田珠光は将軍義政の茶の湯の師匠だった。当時、珠光の始めた『()び茶』を心得ている者は、京や奈良に住む上流の武士や裕福な商人たちに限られていたが、茶の湯を嗜む誰もが、珠光の名を知っており、彼らにとって珠光は神様ともいえる程の存在であった。風眼坊も珠光の名は噂によって耳にしていた。

 珠光以前の茶の湯は、多分に娯楽と賭博(とばく)の要素を含んでいた。『闘茶(とうちゃ)』と呼ばれ、何種類かのお茶を飲み、そのお茶を飲み比べて勝ち負けを決める遊びの一種だった。その闘茶は一般庶民の間にまで広まり、庶民たちもささやかな物を賭けて盛んに行なわれていた。その闘茶から娯楽と賭博の要素を抜き、様式的にまとめたのが将軍義政の同朋衆(どうぼうしゅう)の一人、能阿弥(のうあみ)だった。

 闘茶には座敷飾りというのが、まず基本だった。それは庶民たちによるお茶会においても、ささやかながら押板(おしいた)(現在の床の間の原形)の上に花を飾り、壁には掛軸を飾っていた。その座敷飾りを細かく検討して様式化したのが能阿弥だった。能阿弥は将軍家が代々蒐集して来た唐物(からもの)の絵画や陶器などを評価し、それぞれの持っている価値を決め、『君台観左右帳記(くんたいかんそうちょうき)』を著した。日本で初めての鑑定書だった。この鑑定書を基準として、後に名物と呼ばれる数々の茶道具が生まれる事となった。

 能阿弥から目利き(鑑定)と立花(りっか)(生け花)を学び、能阿弥による華やかな書院の茶の湯に、禅による精神を取り入れ、四畳半の座敷による『佗び茶』と呼ばれる茶の湯を完成させたのが、珠光であった。

 能阿弥の書院の茶の湯は、床飾りや茶道具を目利きし、座敷飾りの様式を完成させた。しかし、お茶は別室で点てられ、客たちの待つ座敷に運ばれていた。珠光は飾り付けのされた、その座敷内で、客の見ている前でお茶を点てる事を始めた。ここに現代の茶道における、亭主が客を持て成す接待の基本というものが出来上がった。

 お茶会を開く亭主は、客を綺麗に飾り立てた座敷に案内し、客の心を和らげ、茶菓子を出して、客の見ている前で、少しの無駄のない鮮やかな手捌きでお茶を点てる。客は、床の間の飾り付けや生け花などに亭主の気配りを感じ、亭主の点てたお茶を静かに飲む。

 能の世界と同様に、為手(して)(演ずる者)と見手(観客)が一体感となる世界が、座敷を舞台として演じられ、そこに、日常とは違う緊張感が生まれた。その緊張感を高めるため、珠光は広い書院より四畳半の狭い部屋がいいと強調し、また、飾り付けも所持している物をごてごてと並べて飾るのではなく、禅に通じる『佗び』を主張した。

 将軍義政は珠光より、客の見ている前でお茶を点てるという、まったく新しいやり方を教わって熱中した。将軍でありながら、何もかもが自分の思うようにならない事に嫌気が差していた義政に取って、自らが皆の前でお茶を点てて、大名たちに、そのお茶を飲ませるという事は、少なくとも、その場を自分が仕切っているという気分が味わえた。

 義政の場合は客を持て成すというよりも、将軍様がじきじきに点てたお茶を飲ませてやる、有り難いと思って飲め、という気分が多分に含まれていたが、義政によって、珠光の考えた茶の湯は大名たちの間に、あっと言う間に流行って行った。

 大名たちにとって、将軍様に招待されて、将軍様が自ら点てたお茶を飲むというのは名誉ある有り難い事だった。大名たちは自分がそう感じたのだから、部下の武将たちに、お茶を点てて飲ませてやれば、部下たちも感激して、益々、忠誠を尽くすに違いないと誰もが思った。武士たちの間に茶の湯は流行って行った。武士たちの間に流行れば、茶の湯に必要な茶道具を提供する側の商人たちに流行らないはずはなかった。応仁の乱という、京の都がほとんど焼けてしまった戦の最中でも、上流の武士たちの間では暇さえあれば、お茶会が行なわれていた。

 ただ、当時はまだ、たとえ、お茶会とはいえ、武士の世界において、将軍と大名たちが同座するという事は考えられなかった。将軍は、たとえ、お茶会の席でも上段の間にいなければならない。お茶会の場が広い書院から四畳半に移ったとしても、畳一枚分は上段の間として、将軍が座り、そこでお茶を点てていた。その形が、そのまま、町人たちの間にも伝わり、茶室における床の間となって行った。

 当時、武家屋敷の書院の上段の間には床の間、違棚(ちがいだな)、付書院などが付き、茶室の原型はあったが、書院の中にある床の間は、後の茶室の床の間のように畳一枚分の広さはなかった。幅はその書院の作りによって様々だったが、せいぜい二尺位で板の間だった。それは押板から発達した床の間だったため、飾り物が置ければよく、畳程の幅は必要なかった。その書院作りが町人に伝わる事によって、押板風の床の間と上段の間が一緒になり、畳一枚分の床の間に変化して行った。町人たちは、その畳一枚の上段に高価な唐物の陶器や磁器を飾った。その唐物は、町人たちに取っては将軍様と同じように権威の象徴だった。

 やがて、町人たちによって、茶の湯は益々、発達して行き、茶室が日常とはまったく違った、俗界と切り放された特殊な世界という観念が出来上がって来ると、その座敷内では身分というものは無くなり、ただの亭主と客という間柄だけとなった。武士の世界においても、茶室から上段の間は消え、畳一枚分の床の間が残る事となった。後の千利休の時代になると、茶室が三畳、二畳と小さくなって行き、床の間も小さくなって行くが、畳一枚分の広さの床の間は、後の世まで座敷飾りの基本として残って行った。

 珠光は応仁の乱が始まって、しばらくすると戦乱を避けて奈良に帰った。奈良において、武士や興福寺の僧や商人たちに茶の湯の指導をしたり、堺にも出掛けて行って、正当な茶の湯を広めていた。今回、小野屋の主人たちと一緒にこの地に来たのは、やはり、信楽の陶器市を見るためだった。茶の湯といえば唐物中心だった中に、珠光が信楽の陶器を高く評価したため、信楽焼きの人気は年々高くなって行った。

 奈美の屋敷で行なわれたお茶会も、珠光の考え出した『佗び茶』と呼ばれるものだった。

 濃茶の後に薄茶が配られると、張り詰めていた雰囲気から和やかな雰囲気へと変わって行った。小野屋の主人たちは陶器の話から掛物の話へと移っていた。風眼坊は、みんなの話をただ黙って聞いていた。

 薄茶を飲み終わり、話も一段落すると、「そろそろ、宴会の用意を致しますから、すみませんけど、お庭の方にでも出ていて下さいな」と奈美は言った。

 客たちは皆、部屋から追い出されて庭へと下りた。

 珠光が風眼坊に近づいて来て、声を掛けて来た。

「風眼坊殿は、お医者様だそうですね」

「はい、一応は」

「ところで、風眼坊殿、蓮如上人殿はお元気ですか」

「はい。もう、元気なんてもんじゃないですよ。戦をやっておるというのに、じっとしておられなくて、あっちに行ったり、こっちに行ったり、忙しく動き回っておられます。今は本泉寺の庭園を造ると言って、張り切って土いじりをしておりますよ。珠光殿は蓮如殿を御存じでしたか」

「いえ、会った事はありませんが、上人殿の噂はよく耳にします。わたしの禅の師匠は一休禅師ですが、よく、上人殿の事をお話になります。一休禅師が認めておる程の人ですから、一度、会いたいと思っておりますが、越前はちょっと遠いですからね」

「そうですか。珠光殿は一休禅師殿のお弟子さんでしたか、わたしも蓮如殿から、一休殿の噂はよく聞いております」

「そうですか、上人殿も噂しておりましたか。お互いに、会ったのはたった一度だけだったそうですけど、一度だけの出会いでも、お互いに分かり合えると言う事もあるのですね」

「一度しか、会ってなかったのですか」

「ええ、らしいです」

「そうだったのですか、蓮如殿が一休殿の話をする時は、いつも楽しそうです」

「一休殿もそうですよ」

「不思議なものですな‥‥‥ところで、珠光殿は越前の曾我蛇足(じゃそく)という絵師を御存じでしょうか」

「蛇足殿、知っておりますとも、共に一休殿のもとで禅を組んだ仲です」

「やはり、そうでしたか」

「風眼坊殿は蛇足殿を御存じですか」

「はい。一度、一緒に飲んだだけですが、なかなかの人物だと思いました」

「蛇足殿の絵は一流です。わたしも公方様のもとで、名画と呼ばれる絵を何枚も見ましたが、蛇足殿の絵は、それらの名画に勝るとも劣る事はないでしょう」

「絵の方は、まだ見た事はないので何とも言えませんが、あの人なら、それ位の絵は描きそうですね」

「それにしても、こんな所で、蛇足殿を知っておる御仁に会えるとは思ってもおらなかったわ。奇遇ですな」

 珠光と風眼坊は話に弾んでいた。

 やがて、奈美が用意ができたと呼んだ。

 皆は宴会の用意の整った客間に上がった。

 昨日も御馳走だったが、今日の御馳走は物凄かった。珍味といわれる品々が並び、新鮮な海の幸が並んでいた。風眼坊は商人としての奈美の実力をまざまざと見せつけられたような気がした。

 全員が席に着くと、隣の部屋から音楽が流れ始め、金勝座の舞姫たちが現れた。

 客たちは拍手で迎え、舞姫たちは華麗に舞った。

 曲舞(くせまい)が終わると、一座によって『楓御料人物語』が上演された。皆、酒を飲むのも忘れて金勝座の演じる狂言芝居に熱中していた。風眼坊も例外ではなかった。まさか、太郎と楓の話を芝居にして演じるとは思ってもいない事だった。

 金勝座は一通り、演じ終わると宴会に加わった。

 賑やかな宴会は夜更けまで続いた。





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