酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







大河内庄







 空は晴れ渡っているが、風が冷たかった。

 すでに、山の頂き辺りはうっすらと雪化粧している。紅葉の季節も終わり、樹木は冬支度に入っていた。

 播磨の国と但馬の国の国境辺りの山の中を黙々と歩く山伏の一行があった。山伏は全部で五人。一人の山伏は四十年配だったが、他の四人は皆、若かった。道のない山の中を何のためらいもなく、先頭を歩いているのは太郎坊だった。その後ろに四十年配の男が息を切らせながら続き、その後ろを太郎坊の三人の弟子たちが続いていた。

 この道は播磨の国から鬼山一族の住む村への一番の近道だった。

 太郎が鬼山一族の村に行くのは今回が三度目で、初めて行ったのは銀山を捜しに行った八月の半ば、二度目は一月後の九月の半ば、そして、今回は、もう十一月の三日となっていた。

 二度目に行った時、太郎は自分の身分を明かした。お屋形様の義理の兄で、赤松日向守と名乗り、銀山奉行として播磨の国、大河内庄(おおこうちしょう)を本拠にして銀山の開発を行なうと告げ、これからも赤松家のために力を貸して欲しいと頼んだ。そして、鬼山一族のこれからの事をどうするか決めてほしいと言った。

 銀山開発が始まれば、この村には大勢の人足(にんそく)が入って来る事となり、今までのようには住めなくなる。新しくできる大河内庄の城下に移りたい者は移っても構わない。長老の左京大夫は太郎の家臣として銀山奉行に任命する。他の者たちは左京大夫のもとで山師として働いてくれるなら、それに越した事はないが、武士になりたい者は家来に取り立てる。ただ、銀を作る技術だけは一族の者の力を借りなければならない。その技術を日本人に教えたくなければ教えなくてもいい。その場合は、ある程度、一族の者はこの山に残ってほしい。それに、できれば以前のように女のもとに男が通うという習慣を改め、夫婦になれるのなら、これからは夫婦として暮らしてほしい。以上のような事を考えておいてくれと言って、二度目の時は彼らと別れた。

 今回は、その返事を聞くためと、銀山を開発する事に正式に決まった大河内庄の『小野屋』の主人、藤兵衛も一緒だった。

 藤兵衛は伊勢の国、安濃津(あのうつ)(津市)の『小野屋』の番頭だったが、今回の銀山開発の責任者に抜擢され、松恵尼と共に播磨の国にやって来たのだった。元々は武士だったそうで、物腰が何となく商人という感じがしなかった。武士を捨て、好きでこの道に入ったのに、未だに、客の接待は苦手だと言う。安濃津にいた時も、表に出て客の応対をするよりも、ほとんどが船に乗って関東の方と取り引きをしていた。商人同士の駆け引きは得意でも、どうも、お得意さんたちに頭を下げるのは苦手だと言った。今回、この仕事に抜擢されて、山が相手なら、わしに丁度いいと喜んでいた。

 鬼山一族の村に着くと五人は長老の小屋で待たされた。しばらくして、村の男たち全員が集まった。

「どうです、皆の意見はまとまりましたか」と太郎は長老に聞いた。

 長老は頷き、「何とか、決まりました」と答えた。

「そうですか。それで、どのように決まりました」

「まず、仰せつかった銀山奉行の件ですが、わしではなく、小五郎にお願いしたいのです。わしは、もうすぐ八十です。あと何年生きられるやら分かりません。それに、長い間、山の中で暮らしておりました。今更、山を下りる気はございません。あと何年生きられるか分からんが、その短い間に若い者たちに技術を教えようと思っております」

「そうですか。長老殿がそうおっしゃるのでしたら、わたしの方はそれでも構いません。それでは、小五郎殿、よろしくお願いいたします」

「はい。畏まりました」と小五郎は頭を下げた。

「それと、小次郎の事じゃが」と長老は言った。「あいつは目が不自由なので、お城下の方に連れて行って欲しいんじゃ。小次郎はくりと夫婦になり、子供も一緒にお願いします」

「はい、分かりました。他に城下の方に移られる者はおりませんか」

「銀太と小太郎の二人が、どうしても、武士になりたいと言います。わしが見たところ、この二人は山師をやるより武士の方が向いておるように思います。できれば、殿の家来にでもして下され」

「はい」と言って、太郎は銀太と小太郎を見た。この二人なら、立派な武士になるだろうと思った。

「銀太はろくと夫婦になり、小太郎はすなと夫婦になるという事になっております。それと、申し上げにくいのじゃが、きさときくの二人もお城下に行きたいと言っておるんです。どうか、二人とその子供たちの面倒も見て欲しいのですが」

「おきさ殿とおきく殿の二人は誰かと夫婦にはならないのですか」

「ええ。子供だけを連れて、お城下に移りたいと言っております」

「そうですか、分かりました。すると、あとの者たちはこの山に残るというわけですか」

「はい。とりあえずはこの山に残り、銀を作ります。丁度、六組の夫婦が残る事となります。この六組に銀を作る技術を教え、その子孫たちに伝えて行きます。今は六組ですが、すぐに子孫たちは増えます。できれば、技術だけは、これらの子孫だけに残したいのです」

 太郎は、助太郎、助四郎、助五郎、小三郎、助六郎、助七郎の六人の顔を見渡した。

「わしら一族に取って、銀を作る技術は命と言ってもいい程、大切なものです。その技術のお陰で、わしらはこの異国の地で生きて行く事ができました。できれば、一族以外の者には教えたくはないのです。お分かり下さい」

「分かりました」と太郎は頷いた。「城下の方ですが、今、急いで造っておりますが、まだ、まともに人が住める状態ではありません。申し訳ありませんが、もう一冬、ここを守っていて貰いたいのです。春になって雪がなくなれば、わたし共は但馬に進攻して生野を占領するつもりでおります。そうすれば、生野にも新しい城下ができる事でしょう。皆、冬になれば、生野に下りて暮らせる事になると思います」

「生野を占領しますか‥‥‥」長老は少し驚いたような顔をして太郎を見た。

「そのつもりです」

「生野の周辺は、ほとんどが鷲原寺(わしはらじ)の荘園です。あそこを攻めれば鷲原寺の山伏や僧兵を相手にする事となります。鷲原寺にはかなりの僧兵がおります。生野を占領すのは難しい事と思いますが‥‥‥」

「と言う事は、この辺りは山名氏の勢力範囲ではないのですか」

「一応は、鷲原寺も山名氏の支配下に入ってはおりますが、山名氏の荘園侵略には腹を立てております。もしかしたら、赤松家が朝来郡まで勢力を広げるとすれば、鷲原寺は寝返るかもしれません」

「成程、そういう事だったのか。生野の山の上の砦を見たが、どうも兵が少ないと思った」

「はい。山名氏は生野の山の上や国境近くに砦を設けてはおりますが、それは、ただの見張りに過ぎません」

「そうか、いい事を聞いた。とにかく、その鷲原寺というのを調べてみよう」

 相談が終わると、小五郎の案内で小野屋藤兵衛は山の中を見て回った。

 太郎がこの村に来て以来、長老の小屋は太郎たちが使う事となり、長老はおちいと一緒に、おせんの小屋に移っていた。そして、太郎たちの世話は、おきさとおきくとおこんとおとみの四人が当たっていた。この四人の娘は、初めて太郎たちがこの山に来た時、交渉のあった四人だった。おきさとおきくの二人は大河内庄の城下に移る事となったが、おこんとおとみの二人は違った。おこんは助四郎と夫婦になり、おとみは助五郎と夫婦になり、ここに残ると言う。しかし、それぞれが正式に夫婦となる来年の春までは、太郎たちの接待を任されていた。

 藤兵衛は山の中を一通り見て回ると、小五郎の小屋に入って、小五郎と二人で長い間、銀山開発について今後の相談をしていた。

 その晩、太郎たちはいつものように御馳走になり、宴が終わると、それぞれの小屋に入って行った。藤兵衛は男まさりの女、おとくと気が合い、おとくの小屋へと行ったらしかった。村の男たちには悪いが、太郎たちが来ると相変わらず、女の小屋へは出入り禁止になっていた。いつも通りに、風光坊はおこんの小屋に、八郎坊はおとみの小屋に、探真坊はおきくの小屋に、そして、太郎はおきさの小屋へと収まった。他の女の所に行こうと思えば行けるのだが、皆、馴染みの女の所に収まっていた。

 他の女の事は知らないが、おきさの場合は、もう太郎を離さなかった。絶対に、他の女の所に行かないようにと太郎を見張っていた。おきさにしてみれば、このまま、太郎の子供を生めば、その子は大河内城主の子供となり、おきさは正式の妻になれないとしても側室となる。当然、おきさの三人の子供は、おきさの願っていた通り、武士になれる。しかも、ただの武士ではない。赤松一族の武士となるのだった。

 おきさは初めて太郎と会った時、太郎をただの山伏だと思った。何の欲もなく、ただ、太郎という男が好きになっただけだった。それが、今は状況が変わった。太郎はただの山伏でなく、赤松のお屋形様の義理の兄だと言う。何としてでも、太郎の側室になりたかった。それに、太郎の子供を宿しているという兆候もあった。おきさは他の女に太郎を取られないように、ずっと太郎から離れなかった。

 おきさの小屋に行くと、太郎は眠っている、おきさの三人の男の子を覗き込み、「皆、立派な武士になりそうだな」と言った。

「夢のようよ。でも、もう一人、増えそう」とおきさは笑った。

「へえ。おなかの中に赤ちゃんができたのか」

「多分ね。あなたの子よ」

「まさか」と太郎は驚いて、おきさを見た。

「ほんとよ」とおきさは嬉しそうな顔をして笑った。「あの晩にできたの」

「まさか。たった一度で、子供ができたのか」

 おきさは頷いた。「だって、今年になって、あれしたの、あなただけだもの。太郎様が帰った後にも先にも、誰も、この小屋に入れてないわ」

「信じられんな」と太郎は首を振った。

「ほんとなのよ。この村では、男の人が好きな女のもとに通うようになってるけど、皆、誰とでも寝るわけじゃないのよ。あたしが今まで寝たのは四人だけよ。助次郎さんと小太郎さんと小三郎さんと、そして、あなただけ。小三郎さんとはたった一回だけよ。あたしが十八になって小屋を持った時、あたしの部屋に通える男の人は、助太郎さんと助次郎さんと小太郎さんと小次郎さんの四人だったの。あたしはずっと助次郎さんが好きだったから、最初の男は助次郎さんだったわ。助太郎さんは嫌いだったから、通って来ても断ったわ。小太郎さんはそれ程、嫌いじゃなかったから何度か、通って来たわ。小次郎さんは目が不自由だから通っては来なかった。小次郎さんは目は不自由だけど、いい男だから、結構、女の方から誘っていたみたいだけど、あたしはそんな事はしなかった。とにかく、あの頃、あたしは助次郎さんに夢中だったの。助次郎さんもあたしの事、好きだったみたいだけど、やっぱり、よその女の所にも通っていたわ。助次郎さんがよその女の所に行っている時、小太郎さんが訪ねて来ると、あたしも腹いせに小太郎さんに抱かれたの。でも、次の年から、助次郎さんもあまり出歩かなくなったし、あたしも他の男の人が来ても入れなかったわ。それなのに、助次郎さんは京の都で戦が始まると、あたしの兄さんの銀次と一緒に山から出て行ってしまったの。あたしはずっと助次郎さんが帰って来るのを待ってたわ。でも帰って来なかった。あたしは助次郎さんが出て行ってから一年間は、誰もこの小屋に入れなかった。それは、おとくさんも同じだった。おとくさんも銀次兄さんが出て行ってから誰も入れなかったわ。一年待ってみてね、あたし、もう、助次郎さんの事は諦めようと思って、また、小太郎さんに抱かれたわ。でも、その頃になると、もう、みんな落ち着いて来ていたの。正式に夫婦じゃないけど、自然に夫婦みたいになっていたわ。小太郎さんの奥さんはおすなさんなの。小太郎さんはおすなさんの目を盗んでは時々、あたしの小屋に来ていたけど、おすなさんの小屋とあたしの小屋って隣同士でしょ。すぐに見つかって、おすなさんに怒られていたわ。それでも、この子とこの子は小太郎さんの子なのよ」

 おきさは三歳の子と六歳の子を指差した。

「そして、この子は助次郎さんの子よ」と一番上の子の頭を撫でた。

「ふうん、そうか。皆、自然に夫婦のようになっていたのか」

「長年、付き合って行くと、自然と、自分に一番合う相手が見つかるのよ」

「長老や小五郎さんは娘たちの所には、通わなかったのかい」

「通えないのよ。どれが、自分の娘だか分からないから通えないの。長老様が失敗じゃったって言ってたわ。あたしたちの母さんたちと、ちゃんと決めて、夫婦になっていたら、若い女子を抱けたのになあって」

「成程ね。そんな先の事まで考えなかったんだな。みんな、夫婦のようになってるって言ったけど、おきささんの旦那さんは誰なんだ」

「だから、あたしにはいないのよ。今、相手がいないのは、あたしと、おとくさんと、おきくちゃんね。あとはみんな、一応、いるわ」

「おきくちゃんも相手がいないのか」

「ええ。おきくちゃんは丁度、釣り合いの取れる男の人がいないのよ。助次郎さんと銀次兄さんが出て行っちゃたから、助太郎さんと銀太兄さんしかいないの。あとはみんな、年下になっちゃうの。一つ年下に助四郎さんがいるけど、助四郎さんはおこんさんが離さないし、その下の助五郎さんは、おとみちゃんと仲がいいし、時々、助太郎さんが通っては来るけど、助太郎さんにはおりんさんがいるし、おきくちゃん、あなたの家来の五郎(探真坊)さんが気に入ってるみたいよ」

「それで、城下に来たいって言ってたんだな。あいつも、なかなか、うまくやってるようだな」

「おとくさんも銀次兄さんが出て行ってから相手がいなかったけど、どうやら、あなたが連れて来た藤兵衛さんとうまくやってるみたいよ。おとくさんが、あんなに女らしいの、久し振りに見たわ」

「と言う事は、今、八郎と一緒にいるおとみちゃんには助五郎さんがいて、光一郎と一緒にいるおこんさんには助四郎さんがいるというわけだな」

「そうね、一応は。でも、おこんさんの所は出入りが激しいわ。来る者は拒まずっていう感じで、誰とでもやってるわ。おこんさんにしてみれば誰でもいいんじゃない。ただ、助四郎さんの方がおこんさんに参ってるのよ」

「うちの光一郎も参ってるというわけか」

「光一郎さんはいい男だけど、ちょっと若すぎるわね。おこんさんを城下に連れて行ってみても、うまく行かないと思うわ」

「だろうな」

「ね、分かったでしょ。だから、あたしのおなかの中にいるのは、あなたの子供なの。信じてくれる」

 太郎は頷いた。「ああ。信じるよ」

「よかった」と、おきさはニッコリ笑った。

「ねえ、今度はあなたの番、あなたの事、話して」

「うん」

 太郎はおきさに、故郷、五ケ所浦の事や甲賀の事など話して聞かせた。

 この山から出た事のないおきさは当然、海というものを知らなかった。太郎は海を知らないおきさに海の事を説明した。おきさは不思議そうな顔をして、太郎の話を聞いていた。

 次の日、太郎たち一行は山を下りた。

 一行の中に銀太と小太郎の姿があった。彼らがこれから住む事となる城下を一応、見てもらおうと思い、連れて来たのだった。







 城下造りが着々と進んでいた。

 大河内城は市川の上流、小田原川との合流地点の山の上に建てる事となった。市川に沿って姫路から但馬の国に抜ける街道が走り、小田原川に沿っては播磨の国一の宮、伊和(いわ)神社へと続く街道が走り、伊和神社からは因幡(いなば)街道につながっていた。北から侵入して来る山名氏を押えるのに、丁度いい場所と言えた。

 山の上から回りを見渡すと、東に笠形山(かさがたやま)、西に雪彦山(せっぴこさん)が見え、市川の周辺を除き、辺り一面は山また山だった。城下町は東側を市川、南側を小田原川に挟まれ、北と西に山が囲む地に造られつつあった。

 大勢の職人や人足たちが普請(ふしん)奉行の太田典膳、作事(さくじ)奉行の菅原主殿助(とのものすけ)、材木奉行の堀次郎の指示のもと、忙しそうに働いていた。太田と菅原は置塩のお屋形様が付けてくれた土木建築の専門家で、堀次郎は浦上美作守に命じられ、偽の太郎を京から播磨に連れて来る途中、山賊に襲われた、あの頼りない男だった。堀次郎はそのまま太郎の家臣となり、材木奉行となっていた。荒々しい戦の方は苦手でも銭勘定の方は得意らしく、うまくやっているようだった。

 人足たちは置塩城下の河原者の頭、片目の銀左衛門と、この辺りの河原者の頭、権左衛門の力によって集められた。権左衛門も銀左と同じく、雪彦山金剛寺に所属している河原者で、市川による運送業の元締だった。

 人足たちは集まったが、番匠(ばんしょう)(大工)や鍛冶師(かじし)鋳物師(いもじ)壁塗師(かべぬりし)などの職人を集めるのが大変だった。今、置塩城下を初め、各地で城下造りをしているため、なかなか集まらなかった。仕方なく、小野屋の力を借りて、伊勢や奈良から腕のいい職人たちが集められた。

 以前、代官所と五、六軒の農家、僅かばかりの水田があっただけで、あとは草茫々の草原だった地に、一千人以上の人々が朝から晩まで忙しく働いていた。

 新しく城下ができると聞き付けて、人々は続々とこの地にやって来た。大通りに面したいい場所を手に入れるため、商人たちはもとより、城下造りに関係のない職人たちや人足相手の立君(たちぎみ)、武士を対象とした遊女、芸人たちから乞食まで、まだ城下もできていないのに集まって来ていた。

 城下の町割りは以前からあった稲荷(いなり)神社を中心に行われた。稲荷神社の隣に、大徳寺の禅僧で、一休禅師の弟子だという磨羅宗湛(まらそうたん)を住持職とした雲雨山磨羅寺(うんうさんまらじ)を造り、その参道を盛り場として、この界隈を町人や職人たちの町とした。稲荷神社の西側を武家町として、山の上の城へと続く道の近くの山側に赤松日向守(太郎)の屋形を造り、その回りに重臣たちの屋敷を並べた。城下造りの資金をほとんど負担している『小野屋』は、大通りに面した町の中程に広い土地を与えられていた。

 城下造りが始まって一月半が経ち、山の上は邪魔な木を切り倒して平らにならし、簡単な砦ができていた。城下の方では大通りができ、太郎の屋形と磨羅寺を集中的に作っていた。商人たちは与えられた土地に各自で屋敷や蔵を建てていたが、まだ、どこも完成してはいなかった。新たに太郎の家来になった者たちも皆、城下造りに参加して、朝から晩まで汗を流していた。

 太郎たち一行は大河内城下に帰って来ると代官所へと入って行った。

 屋形ができるまでは、ここが太郎の仮の宿所だった。以前、この地の代官だった平野四郎左衛門は、そのまま太郎の家臣となり、家族と共に近くの空き屋敷に移っていた。太郎と数人の重臣たちが、この代官所で暮らし、その他の家臣たちは人足たちと共に掘立て小屋で寝起きしていた。

 相談役として付いて来ていた上原性祐(しょうゆう)入道と喜多野性守(しょうしゅ)入道の年寄り二人は、披露式典の前に置塩城下に帰ったまま向こうにいた。もうすぐ冬じゃ、住む所もないのに、あんな所にいたら体に悪い、春になったら、また行くと言って戻って来なかった。

 太郎たちが帰って来た時、代官所には夢庵肖柏(むあんしょうはく)が一人、昼寝していただけだった。

 夢庵は披露式典の時、太郎と一緒に置塩城下に行き、礼装に着替えて、忙しそうに活躍していた。公家の出だけあって、その姿はなかなか様になっていた。式典も無事に終わり、用も済んだので摂津(せっつ)の国に帰るのかと思っていたら、また、太郎と一緒にここに戻って来た。初めのうちは、但馬の国にでも遊びに行くかな、と言っていたが、結局、どこにも行かず、かといって城下造りを手伝うわけでもなく、毎日、ブラブラしていた。皆が忙しそうに働いているのに、平気でブラブラしているのも変わっているが、そんな夢庵を見て、誰も何も言わないのもおかしな事だった。もっとも、夢庵が汗を流して働いている姿など想像もできないが、誰一人として夢庵に文句を言わないのは、やはり、夢庵が一種の人徳というものを持っているからかもしれなかった。

 太郎は城下の景色のいい所に夢庵のために屋敷を作るつもりでいた。今回、夢庵には、どうお礼をしても足らない程の恩を受けていた。夢庵自身はそんな事、一向に気にしていないが、太郎は夢庵をここに引き留めて置きたかった。引き留めて置くのは無理だと分かっているが、屋敷があれば、時折、戻って来てくれるだろうと思っていた。太郎も赤松家の武将になったからには、夢庵から茶の湯や連歌を初め、色々な事を学びたかった。今まで剣一筋に生きて来たため、そっちの方面はまったく知らなかった。この先、置塩のお屋形様のお茶会や連歌会に招待される事もあるだろう。そんな時、恥はかきたくなかった。太郎の恥は、太郎だけではなく楓や太郎の家臣たちの恥でもあった。太郎も早く一人前の武将になりたかった。

 太郎は一休みすると、銀太と小太郎を連れて城下の方に出掛けた。藤兵衛は小野屋に帰り、太郎の三人の弟子たちは武術道場の作事場に道場造りの手伝いに出掛けた。

 代官所は市川に沿った但馬街道に面していた。新しくできる城下町の一番東側に位置している。この代官所の横から、大通りが一の宮へと続く街道と平行して東西に走っている。この大通りが城下の中心となる通りだった。

 太郎は銀太と小太郎を連れて大通りを歩いていた。

「この辺りは商人たちの町です」と太郎は歩きながら説明した。

 大通りの両側に、大きな蔵や屋敷が作られつつあった。ほとんどが置塩城下から出店を出している商人たちである。かなり作業が進んでいる所もあれば、敷地内を縄で囲むだけで、まだ草も刈ってない所もあった。

 しばらく進むと右側に大通りがあり、突き当たりの山の裾野に大きな寺院を建てていた。臨済宗大徳寺の末寺(まつじ)である雲雨山磨羅寺だった。磨羅寺の参道の両側には茶屋や旅籠屋、遊女屋などが並ぶ事になるが、まだ建物は何もなく、草が生い茂っているだけだった。

 さらに進むと左側に小野屋の広い敷地がある。整地はしてあるが作事作業は始まってはいない。隅の方に藤兵衛たちが寝起きしている小屋があり、大量の材木が積んであった。小野屋は丁度、四つ角に面した所にあり、北に行けば稲荷神社にぶつかり、南に行けば一の宮街道に出た。

 三人はさらに大通りを西に向かった。

「ここから先に武家屋敷が並びます」と太郎は二人に説明した。

 銀太と小太郎は珍しそうに新しい町造りの様子を眺めていた。

 武家屋敷が並ぶという土地は整地されて区切られていたが、やはり、まだ、ここにも建物は何も建っていなかった。ただ、太郎の屋形だけが屋根も上がり、大勢の人たちが作業に励んでいた。

 三人は次の四つ角を北に曲がった。それは太郎の屋形の正面に続く大通りだった。

「この辺りに重臣たちの屋敷がずらっと並びます。まだ、誰がどこに屋敷を建てるか、はっきりと決まっておりませんが、銀太殿と小太郎殿の屋敷もこの辺りに建てる事となるでしょう」

「さすが、殿の屋敷は大きなものですね」と銀太が正面に見える建築途中の屋形を見ながら言った。

「わたしら家族だけが住むのでしたら、こんな大きな屋敷はいらないのですけど、置塩のお屋形様が下向して来られた時、この屋敷に泊まる事になるので、やはり、これ位の大きさが必要なんですよ」

「凄いもんじゃのう」と小太郎が唸った。「出来上がったら、まるで御殿のようじゃろうのう。わしら山の中で育った者には、とても想像すらできません」

 作業中の屋形の中を覗き、三人は屋形の横を通って山の方へと向かった。

 屋形の斜め後ろ辺りに武術道場を造っていた。太郎の三人の弟子たちが人足たちと一緒に草を刈っていた。その中にチラッと夢庵の姿が見えたので、太郎は立ち止まった。

 確かに、それは夢庵だった。いつの間にこんな所にいるのだろうと思って、太郎は声を掛けた。

「夢庵殿、何をしてるのです」

 夢庵は顔を上げると、「見た通りじゃ」と笑った。「そなたの弟子たちに剣術でも習おうと思って来たんじゃが、この有り様じゃ」

「夢庵殿は剣術をされるんですか」

「少しはのう」

「そうですか、今度、お手合わせ願います」

「いや。そなたと立ち会える程の腕はない。遠慮するわ」

 太郎は夢庵と別れ、二人を連れて山の中に入った。

「この山の上に城を建てます」と太郎は言って細い山道を登って行った。

 銀太と小太郎は太郎の後に従った。

 山の頂上の砦には次郎吉がいた。次郎吉は名を伊藤大和守(やまとのかみ)と改め、太郎の家老の一人となっていた。

「どうかしたんですか」と太郎は次郎吉に聞いた。

「いや、なに、わしには、どうも普請とか作事とか似合わんのでな。かといって代官所で夢庵殿と一緒にゴロゴロしているわけにもいかん。そこで、ここに来て昼寝しておったんじゃ」

「次郎吉殿、そろそろ街が恋しくなったのですね」と太郎は笑いながら言った。

「まあな」と次郎吉も笑った。

「そうだ。次郎吉殿、この二人、新しく俺の家臣になったんですけど、置塩城下まで連れて行ってくれませんか」

「なに、置塩城下までか」と次郎吉の目の色が変わった。

「はい。この二人はずっと山の中にいたので、まだ、置塩城下を知らないのです。一度はお屋形様の城下を見ておかなくてはならんでしょう」

「おお、勿論じゃ」

「それじゃあ、明日にでも二人を連れて行って下さい。都の楽しさを充分、二人に味あわせてやって下さい」

「充分にか‥‥‥分かった。いや、畏まりました、殿」

 次郎吉と別れると太郎は二人を連れて、今、造っている城下を見渡せる見晴らしのいい場所に行って腰を下ろした。

「上から見ると城下も広いのう」と銀太は言った。

「出来上がったら、ここも都になるのう」と小太郎は言った。

「ここに、あなた方も住む事になるのです。多分、二人には何かの奉行をやってもらう事となるでしょう」

「わしらが奉行に‥‥‥そんな偉い武士になれるのですか」

「当然です。あの銀山を守り通して来たのですから」

「夢のようじゃ」と銀太が言った。「わしの弟に銀次というのがおって、助次郎というのと一緒に山を下りて行った。立派な武士になるんじゃと言ってのう、もう七年も前の事だが未だに何の音沙汰もない。奴らも、もう少し我慢しておったら立派な武士になれたものを‥‥‥」

「おきささんから聞きましたよ」と言ってから、太郎は少し間を置いて銀太に聞いた。「話は変わりますが、おきささんが、わたしの子供を(はら)んだと言っておりましたが本当でしょうか」

「おきさが孕んだ?」と二人は驚いたように同時に太郎を見た。

「もし、それが本当だとしたら、まさしく、それは殿のお子です」と銀太が言い、小太郎も頷いた。

「別におきささんの言う事を信じないわけではないんですけど、あの村では、特に決まった夫婦関係はなく、男が女のもとに通っておるのでしょう」

「おきさは殿と一緒になって以来、誰も自分の小屋には入れておりません」と銀太は言った。「殿と一緒になる前も、ずっと子供の面倒を見るだけで、男は誰一人入れておらんでしょう。おきさは村を出て行った助次郎の事をずっと思っておるのです」

「それは聞きました。しかし、小太郎さんの子供も二人います」

「確かに」と小太郎は頷いた。「しかし、わしがおきさを抱いたのは、ほんの数える程です。紀四郎、三番目の子供ですけど、その子が生まれてから、わしは一度もおきさを抱いてはおりません、わしだけでなく、おきさは誰とも一緒に寝なかったでしょう」

「おきさはわしの妹だから庇うわけではないが、母親に似て身持ちの固い女です。おきさはほんとに好きになった男としか寝ません。わしらの母親がそうだったそうです。わしらの母親は小五郎様としか寝なかったそうです。長老様や内蔵助(くらのすけ)様が訪ねて行っても、絶対に寝なかったそうです。無理にでも抱こうとすると匕首(あいくち)(短剣)を取り出して、自分の首に当てたそうです。だから、わしらの兄弟だけは父親がはっきりしております。おきさはその母親の血を強く引いたため、他の女たちのように誰とでも寝るという事ができなかったのです。自分の子供の父親がはっきり分かるのはおきさだけでしょう。もし、おなかの中に子供ができたとすれば、それは間違いなく、殿のお子です」

「そうだったのか‥‥‥おきさは小五郎殿の娘か‥‥‥」

「殿、どうか、おきさの事、お願い致します」と銀太は言った。

「わしが言うのもおかしいが、おきさは本当にいい女子(おなご)です」と小太郎も言った。

「分かった」と太郎は言った。

 分かった、とは言ったが、実際、大変な事になってしまったものだった。おきさが子供を産んでしまえば、楓に隠す事はできない。どうしよう、面倒な事になってしまった、と思った。







 冷たい風の吹く、夕暮れ時だった。

 一日の作業も終わり、人足たちが各小屋へと向かっていた。

 掘立て小屋の立ち並ぶ一画では、あちこちから飯を炊く煙が上がっていた。

 そんな頃、代官所の客殿(きゃくでん)の一室に赤松日向守(太郎)の重臣たちが集まっていた。

 まず、太郎の三人の弟子。彼らは本名に戻り、太郎の側近衆になっていた。風光坊は風間光一郎に、八郎坊は宮田八郎に、探真坊は山崎五郎を名乗っていた。

 次に家老として、阿修羅坊、金比羅坊、弥平次、伊助の四人がいた。阿修羅坊は大沢播磨守を名乗り、金比羅坊は岩瀬讃岐守(さぬきのかみ)、弥平次は小川弾正忠(だんじょうちゅう)、伊助は青木近江守を名乗っている。皆、偉そうな名前を名乗り、それぞれが家来を持つ身分となって武士の姿も板につき、武将としての貫禄も備わって来ていた。

 その他、祐筆(ゆうひつ)の別所造酒祐(みきのすけ)、勘定奉行となった松井山城守(吉次)、(うまや)奉行となった川上伊勢守(藤吉)、射場(いば)奉行の朝田河内守らが顔を揃えていた。ただ、次郎吉こと伊藤大和守も家老の一人だったが、鬼山(きのやま)銀太と鬼山小太郎を連れて置塩城下に行っているため、この場にはいなかった。

 金勝座の一行も二日前に、この地に来ており、金勝座全員が太郎の家臣となっていた。家臣になったといっても武士になったわけではなく、今まで通りに各地で諜報(ちょうほう)活動をするというものだった。また、今まで通りに松恵尼の手下でもあった。金勝座の頭、助五郎は金勝雅楽頭(うたのかみ)を名乗り、披露(ひろう)奉行という肩書を持って、この場に来ていた。

 以上十三人が太郎を中心に頭を並べていた。

「皆に集まって貰ったのは銀山の件です」と太郎は言った。「銀山を開発するに当たって、但馬に進攻しようと思っております」

 太郎は皆の顔を見回した。

「やはり、但馬を攻めるのか」と岩瀬讃岐守(金比羅坊)が言った。

 太郎は頷いた。「生野まで行かなくても播磨から銀山に入る事はできます。しかし、大々的に開発するとなると、やはり、生野の地は占領した方がいいと思います」

「そうじゃのう」と大沢播磨守(阿修羅坊)が言った。「銀を作るとなると煙が昇るからのう。山名方に気づかれんようにするには、生野を占領した方がいいかもしれんのう」

「はい。山名方にばれないようにやらなければならないという事が、一番、難しい事なのです」

「うむ、難しいのう」と讃岐守は唸った。

「生野か‥‥‥あそこは鷲原寺(わしはらじ)の勢力が強いんじゃないかのう」と播磨守は言った。

「鬼山の長老もそう言っていました。阿修羅坊殿、いや、播磨守殿、その鷲原寺に行った事はありますか」

「ああ、何度かある。鷲原寺は朝来郡(あさごぐん)一帯の炭の座を支配しておってのう。鉄を産する瑠璃寺(るりじ)と取り引きをしておる。わしもその関係で何度か行った事はある」

「かなりの僧兵や山伏がおるのですか」

「うむ。かなりの勢力を持っておるのう。朝来郡の南半分は鷲原寺の勢力範囲と言ってもいいじゃろう」

「北半分は山名か」と讃岐守が聞いた。

「ああ、そうじゃ。山名の重臣、太田垣(おおたがき)氏じゃ。太田垣氏は安井城(後の竹田城)を本拠に丹波と播磨からの侵入を防いでおるんじゃ」

「その安井城というのは、生野からどの位、離れていますか」と太郎は播磨守に聞いた。

「そうじゃのう、四里というところかのう」

「四里ですか‥‥‥太田垣氏というのはどんな武将です」

「山名の四天王と言われる程の重臣じゃ」

「四天王‥‥‥」

「そうじゃ。今のわしらの兵力では、とても相手にはなるまい。ただ、城主の太田垣土佐守は今、京におるはずじゃ。留守を守っている三河守というのは土佐守の次男じゃが、この男がなかなかの猛将だとの噂じゃ」

「そうですか‥‥‥山名にとって生野の辺りというのは、それ程、重要な地ではないのでしょうか」

「そうじゃのう。赤松氏にとっての、この大河内庄と同じようなもんじゃないかのう。赤松氏にとって、この地は但馬への入り口に当たる重要な地じゃが、わざわざ、城を建ててまで守りを固めようとは思わん。見張りだけは置いておくが、敵が攻めて来たら置塩城から攻めればいいと思っておる。敵も多分そうじゃろう。もし、国境を越えて来たら安井城から攻めて来るんじゃろう」

「やはり、攻めて来ますか」

「そりゃそうじゃ。しかも、国境を越えて攻めて行けば、もはや、殿と太田垣との戦いでは済まなくなる。赤松対山名という事になるじゃろう」

「そうか‥‥‥それはまずいな」

「ただ、宗全入道が亡くなってから、どうも、山名氏は元気がないようじゃ。宗全の跡を継いだ左衛門佐(さえもんのすけ)(政豊)は国をまとめる事より幕府の機嫌を取る方に忙しいようじゃ。細川九郎(政元)と和議してから、山城の守護に任命され、京から離れる事は難しいじゃろう。もしかしたら、生野辺りを占領したとしても山名は動かんかもしれんのう」

「とにかく、生野を攻めるとしても来年の春になるでしょう。それまでに色々な情報を集めなければなりません」

「よし、鷲原寺の事はわしに任せろ」と播磨守は言った。

「山伏の事は播磨守殿に任せる事にして、わたしは太田垣氏を調べましょう」と青木近江守(伊助)が言った。

「わたしらも但馬に入りましょう」と金勝雅楽頭(助五郎)が言った。

「それじゃあ、わしは、みんなの連絡を取りますか」と川上伊勢守(藤吉)が言った。

「皆さん、お願いします」と太郎は頭を下げた。

「ところで、殿、その銀山なんじゃが、一体、どれ位の銀が取れるんじゃ」と播磨守が聞いた。

「播磨守殿には、まだ言ってませんでしたね。掘ってみない事には詳しくは分かりませんが、一千貫はあるそうです」

「一千貫?‥‥‥」

「銭にして、十二万貫文だそうです」

「十二万貫文‥‥‥とてつもないものじゃのう」

「はい。あの山を守っていた鬼山一族は(みん)の国から来た人たちです。我々の知らない特殊な技術を持っているそうです」

「ほう、明の人か‥‥‥しかし、十二万貫文とは大したものじゃのう。こいつは絶対に敵には渡せんのう」

「絶対に銀山を守らなければなりません」

「うむ」

 その後、城下における、それぞれの屋敷を建てる場所を決め、評定はお開きとなった。

 いつの間にか、外では初雪が散らついていた。







 夕べ、初雪が降ったが積もる程ではなく、翌日はいい天気だった。

 代官所の離れの間で、太郎は久し振りに助六と会っていた。金勝座が飯道山の祭りに帰って以来、二人だけで会って話すのは初めてだった。披露式典が終わって、すぐ、太郎たちはこの地に戻って来たが、金勝座はすぐに来る事はできなかった。お屋形の政則に気に入られたお陰で、披露式典に集まって来た武将たちの間で、金勝座の舞台は引張り凧のように忙しかった。十一月になって招待された客たちも帰り、置塩城下も落ち着いて、ようやく金勝座も解放されたのだった。太郎たちが鬼山一族の村に行っている時、金勝座は大河内庄にやって来た。

「代官所なんて初めて入ったけど豪勢なのね」と助六が部屋の中を見回しながら言った。

「ここはお屋形様とか、赤松家の重臣の方々が下向して来た時に使う客殿なんだよ」

「へえ、凄いものね。こんな広い所に誰もいないの」

「ああ、今はね。夕べ、雪が降ったから、皆、忙しいのさ。雪が積もったら仕事ができなくなるからね。それまでにやれる所までやらなければならない」

「そうか、ここは飯道山よりずっと雪が多いのね。大変ね‥‥‥それにしても立派ね。こんな田舎の代官所がこんなに立派なら、置塩のお屋形なんて凄いんでしょうね」

「ああ、凄かったよ。まるで御殿だな」

「そう言えば、あたしは見てないから知らないけど、太郎様と楓様の披露式典をした会場は物凄く豪華だったんですって」

 太郎は頷いた。「物凄かったよ。俺たちを披露するためだけに、あれだけの物を作るんだから大したもんだよ。赤松家というものの恐ろしさを改めて知ったよ」

「ほんと、凄かったわね。偉そうなお侍さんたちがあんなにも集まるなんて、さすがよね」

「お屋形様の話だと、有力な播磨の国人はすべて揃ったそうだ。備前と美作の国人が半分程、来なかったんだそうだ」

「へえ。まだ、赤松家に敵対する国人たちがいるんだ」

「まだ、いるらしい。しかし、あの式典で、はっきり敵対する者が分かったから、後は何とかなるだろう、と言っていた」

「ふうん。お屋形様もまだまだ、大変ね」

「春になったら、また、美作に行くと言っていた」

「そう。お殿様なんて、立派な屋敷で、毎日、贅沢な暮らしをしてると思ってたけど、実際は、お殿様も色々と大変なのね」

「特に今の世の中は、うかうかしてられないらしい。国人たちが以前より力を持って来ているので、守護だからといって、昔の様に京にいて、のんびりしてはいられないんだそうだ」

「それじゃあ、太郎様もこれから何かと忙しくなるのね」

「多分な」

 床の間の掛け物を眺めていた助六は太郎を見ると笑って、「ところで、太郎様は冬の間、ずっと、ここにいるの」と聞いた。

 太郎は頷いた。「ただ、もう少ししたら飯道山に行かなければならない」

「陰の術ね」

「うん。陰の術も相変わらず進歩なしだ。一昨年(おととし)から全然、進歩していない」

「そう言えば、飯道山で、あなたのお師匠さんに会ったわ」

「松恵尼殿から聞いて驚いたよ。俺はすっかり師匠に騙されてたんだ。俺は師匠に会いに大峯山に行ったんだ。そしたら、師匠は山奥に籠もって千日行をしていると聞いた。俺は山の中を捜し回ったが結局、見つからなかった。見つかるわけないよな。その時、すでに師匠は山を下りて加賀に行ってたんだもんな」

「へえ、そうだったの。お師匠さんに会いに大峯山に行ってたんだ」

「そうさ。その間に楓が消えちまったというわけさ」

「あなたのお師匠さんて松恵尼様のいい人なの」

「さあ、そこまでは知らんけど、古くからの知り合いだろうな」

「あたしの感だけど、あの二人はできてるわよ」

「かもしれないな‥‥‥飯道山は賑やかだったかい」

「ええ。凄かった。世の中が物騒になったから、みんな、嫌な事を忘れて祭りで浮かれたいのよ。喧嘩騒ぎも多かったみたいよ」

「そうか‥‥‥」

「ねえ。楓様はいつ、こっちに来るの」

「春、いや、夏になるかもしれない」

「楓様って面白い人ね。あたしたち仲良しになっちゃったのよ」

「えっ?」と太郎は驚いて助六を見た。「楓に会ってたのか」

「ええ」と助六は笑って頷いた。「楓様、尼さんに化けて、よく、『浦浪』に遊びに来たのよ」

「あいつめ、お屋形様の屋敷から抜け出して遊んでるのか」

「踊りが習いたいって言うので教えてあげたの。なかなかうまいものよ。素質あるみたい」

「あいつが踊りを?」

「そうよ。今度、舞台で踊りたいって言ってたわ」

「何を考えてるんだよ。まったく」

「いいじゃない。お殿様の奥方様が舞台で踊るっていうのも面白いわ」

「かもしれんが、それどころじゃないだろう。どうやら、楓のおなかには赤ん坊がいるらしいんだ。赤ん坊を産むまではそんな事はできん」

「へえ、楓様のおなかの中に赤ん坊がいるの‥‥‥百太郎様の弟か妹がいるんだ‥‥‥」

「松恵尼様から聞いたけど、奈々さん(助六)にも子供がいるんだって?」

「えっ、そんな事、松恵尼様、言ったの」

「びっくりしたよ。まさか、奈々さんに子供がいたなんて、でも、奈々さんは楓と同い年だもんな。子供がいたって、おかしくないよな。今、いくつなんだい」

「四つ。もうすぐ五つになるわ」

「女の子だって?」

「ええ。みい、って言うの」

「奈々さんの娘じゃ可愛いい子だろうな。こっちに家ができたら、娘も旦那さんも呼ぶがいい」

「旦那なんて、いないのよ。行方不明。多分、戦で死んじゃったのよ。あたしが子供を産んだ事も知らずに‥‥‥」

「そうだったのか‥‥‥子供は今、どこにいるんだ」

「伊勢よ。両親が見ているわ」

「最近、会ってないんだな」

「そうね‥‥‥」

「両親も子供も、みんな、こっちに呼べばいい」

「はい‥‥‥」

「子供の事を思い出させちゃったみたいだな」

「大丈夫よ‥‥‥」とは言ったが、助六は何となく、しんみりとしていた。しかし、すぐに笑って話題を変えた。「お頭から聞いたけど、今度、但馬の国に行くんですって」

「うん。来年の春、生野を占領するつもりなんだ。それで、みんなに色々と情報を集めてもらいたいんだよ。置塩城下で忙しかっただろうから、ゆっくり休んでからでいいんだけど、ここじゃ、ゆっくりも休めないか」

「大丈夫よ。みんな、河原で寝るのは慣れてるから、結構、のんびりやってるわ」

「そうか‥‥‥みんなが河原にいるのに、俺がこんな所でのんびりしてるのは悪いような気がするな」

「なに言ってるのよ。あなたはここの城下のお殿様でしょ。お殿様が河原なんかで寝てたら、いい笑い者になるわよ」

「そうなんだよな。俺一人なら別に笑い者になっても構わんが、俺だけでは済まなくなるからな。置塩のお屋形様も笑い者になってしまう」

「そうか‥‥‥前のように自由には動けなくなるのね」

「いや。ただ、名前が一つ増えただけさ。殿様として赤松日向守、山伏として太郎坊移香、仏師として三好日向。俺は今まで通り、山伏や仏師に化けて自由にやるさ」

「今は、何なの」

「今は赤松日向守かな‥‥‥」

「それじゃあ、仏師になって河原に行きません?」

「河原?」

「河原に何かあるのか」

「みんな、あなたに会いたがってるのよ。あなたがお殿様になってから、なかなか会えなくなったから、以前のあなたに会いたがってるのよ」

「そうか、そう言えば、みんなには色々とお世話になったのに、ろくにお礼も言ってなかった」

「お礼なんかどうでもいいのよ。ただ、みんな、あなたがお殿様になっても変わっていないという事を確かめたいのよ」

「俺は変わってないさ」

「分かってるわ。行きましょ」

 職人姿に着替えて三好日向に戻った太郎は、助六と一緒に市川の河原へと向かった。

 四日後、金勝座は但馬の国に潜入した。





大河内庄




目次に戻る      次の章に進む



inserted by FC2 system