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桜咲く
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風眼坊とお雪の家の庭に、こぶしの花が咲いていた。 縁側に座って、風眼坊とお雪と蓮如の三人がお茶を飲みながら小さな庭を眺めていた。 蓮如は忍びの旅の時のように職人姿だった。蓮如は時々、例の抜け穴から抜け出して、ここに遊びに来ていた。今日も蓮如は、蓮崇から石川郡での戦の話を聞くと、じっとしていられなくなって、ここに来たのだった。ここに来たからといって蓮如は風眼坊に何かを相談するわけではなかったが、たとえ、一時であっても、ここでは法主という自分の立場を忘れる事ができた。風眼坊とお雪も、蓮如のそんな気持ちをよく理解して、蓮如から余計な事は一切、聞かなかった。風眼坊もお雪も、今日、蓮如がここに来たのは、例の一揆の事を気にしているに違いないと気づいていたが、その事については一言も口に出さなかった。 「そろそろ、本泉寺の庭を完成せんとならんのう」と蓮如はポツリと言った。 「上人様、そろそろ、旅に出ますか」とお雪は笑いながら聞いた。 「もう、雪も溶けたじゃろうしのう」 「石を運ばなくてはなりませんね」と風眼坊は言った。 「そうじゃ。いい石を見つけんとのう。風眼坊殿に山の中に連れて行って貰わんとならんのう」 「山にはまだ雪が残ってますよ」 「そうか、まだ早すぎるか‥‥‥」 「来月になってからの方がいいでしょうね」 「そうか‥‥‥山はまだ雪か‥‥‥湯涌谷の辺りにも、まだ雪が残っておるのかのう」 「湯涌谷ですか‥‥‥多分、残っておるでしょう」 「そうか‥‥‥」 「湯涌谷には温泉があるんでしょう。一度、行ってみたいわね」とお雪が楽しそうに言った。 「そうじゃな、たまには温泉でのんびりするのもいいのう。あそこには蓮崇殿の屋敷があると言うし、今度、行ってみるか」 「あら、噂をすれば蓮崇様だわ」とお雪が言った。 「なに、蓮崇? わしは帰るぞ」 蓮如は素早かった。さっさと裏の方に消えた。 風眼坊がお雪に合図をすると、お雪は頷いて蓮如の後を追って行った。 蓮如と入れ違いのように蓮崇が入って来た。 「お客さんがいたようじゃったが‥‥‥」と蓮崇は言った。 「なに、近所の庭師じゃ。それより、蓮崇殿、戦のけりが着いたとみえるのう」と風眼坊は言った。 「まだ、詳しい情報が入らんので何とも言えんが、ほぼ、着いたらしいわ」 蓮崇はそう言いながら、さっさと縁側から部屋の中に入って行った。 「富樫次郎の命も、残りわずかという所か」と言いながら風眼坊も部屋に入った。 蓮崇は部屋の中央に絵地図を広げた。 「ほう。加賀の地図か‥‥‥色々と書き込んであるのう」 「負け戦だったそうじゃ」と蓮崇は言った。 「なに」風眼坊は絵地図から顔を上げると、蓮崇の顔を見つめた。 「門徒勢が守護勢に負けたんです」 「門徒が負けた?」 「はい、そうです」と言いながら蓮崇は庭の方に目をやった。 「負けたか‥‥‥門徒が負けたか‥‥‥」風眼坊はまた、地図に目を落とした。 風眼坊には、どうして門徒が負けたのか信じられなかった。 「負けたんじゃ。敵を甘く身過ぎておった‥‥‥」と蓮崇は庭の方を見たまま言った。 風眼坊は蓮崇の横顔を見ながら、蓮崇の悔しい気持ちがよく分かった。自分が現場にいたなら、こんな事にはならなかったはずだ、と蓮崇は思っているに違いなかった。 「どんなふうだったんじゃ」と風眼坊はしばらくしてから聞いた。 蓮崇は絵地図を見ながら、自分が知っている限りの状況を説明した。 風眼坊は黙って聞いていた。 「慶覚坊の奴は何しておるんじゃ」と蓮崇の話が終わると風眼坊は聞いた。 「分かりません。湯涌谷に行った事は確かなんじゃが、その先の事が皆目、分からんのです」 「奴の事だから死ぬ事などないとは思うが‥‥‥」 「どうも納得が行かんのです。なぜ、湯涌谷衆が動かなかったのか、どうしても分からん」 「野々市の兵はどれ位おったんじゃ」 「三千人程だそうです」 「三千か‥‥‥その三千と木目谷、山川城の四千で七千か‥‥‥その七千の敵に門徒五千が挟む討ちにされるのを見て、勝ち目はないと思ったんじゃないかのう」 「そうかもしれんが‥‥‥」 「それよりも野々市の動きをつかむ事はできなかったのか。それが分かっておれば、みすみす挟み討ちなど、ならなかったじゃろう」 「その事もよく分からんのです。善福寺におった物見が言うには、敵は突然、出て来て、門徒の軍勢を挟み討ちにしたと言うんです。わしが思うには、すでに、敵は野々市の守護所を出て、どこかで待機していたように思うんじゃが、敵がどう動いたのか、まったく分からん‥‥‥この吉崎の地と野々市は遠すぎるわ。このままじゃと敵の思う 「裏の組織を作らにゃならんのう」と風眼坊は言った。 「裏の組織?」と蓮崇は風眼坊の顔を見た。 「表の組織は蓮如殿が作った。その組織を利用して、兵を集めて戦をした。今度は裏の組織を作って門徒たちを一つにまとめなければならん」 「一体、どういう事です」 「前回の戦では、敵の数倍の兵力を持って敵を攻め立てて勝利を得た。それ程、敵の情報を集めなくても勝つ事ができた。今回、戦に負けたのは門徒たちが敵を見くびっていた事もあるかもしれんが、敵の動きをよく調べなかった。確かに、蓮崇殿は野々市に見張りを入れて敵の動きを知ろうとしておる。しかし、野々市と吉崎をつなぐだけでは駄目じゃ。蓮如殿の書いた 「ええ、確かに速い」 「それを逆に行くんじゃ。各道場で何かがあった場合、次々に情報網を通って吉崎に知らせが、すぐに届くようにするんじゃ。それには、まず、情報集めを専門にする者たちを数多く使わなければならん。今回の場合だったら、敵の動きを探るために野々市や木目谷、 「成程‥‥‥」 「ただ、この事は飽くまでも裏の組織じゃ。まあ、陰の組織と言ってもいいのう。蓮如殿には絶対に気づかれてはならんがの」 「うーむ。確かに、情報を集める事は必要じゃが、それを組織するとなると難しいのう」 「確かに難しいが、蓮崇殿ならその位、できるとは思うがの」 「そう、おだてんで下さい。陰の組織か‥‥‥風眼坊殿、しかし、よく、そんな事を知ってますね」 「近江の甲賀に飯道山という山があってのう。そこでは若い者たちに武術を教えておるんじゃがのう。その山にわしの弟子がおって、陰の術というのを編み出して教えておるんじゃ。その陰の術というのが、敵地に忍び込んで敵の情報を盗み取る術なんじゃ。結構、人気があってのう。毎年、その術を習うために若い者たちが続々、登って来るんじゃよ」 「へえ。陰の術ですか‥‥‥」 「そう言えば、慶覚坊の伜が、今、飯道山で修行しておるはずじゃ」 「えっ、あの十郎が、その山に?」 「ああ。山の修行は一年間じゃから、今年の末には、十郎の奴も陰の術を身に付けて帰って来るはずじゃ。十郎を師範として、若い者たちに陰の術を教えれば、その陰の組織も作れるかもしれんぞ」 「そうですね‥‥‥」 「蓮崇殿の伜殿は幾つじゃったかのう」 「十三です」 「十三か、まだ早いのう。後、五年したら飯道山に送るがいい。ただ、あの山の修行は厳しいからのう。今のうちから腕を鍛えさせておいた方がいいのう」 「伜に武術ですか」 「そうじゃ。伜殿もやがて一軍の大将になるんじゃからのう」 「そうじゃのう。わしはからっきし武術は駄目じゃが、伜には強くなってもらわんとのう」 「慶覚坊の所で修行させればいい。奴の腕は一流じゃからの」 「そうですね。慶覚坊殿が戻って来たら頼んでみましょう」そう言ってから、蓮崇は風眼坊を見た。「ちょっと待って下さい。風眼坊殿も武術の腕は一流でしょう」 「一流という程でもないがのう」 「風眼坊殿。風眼坊殿がわしの伜に武術を教えてはくれませんか」 「わしがか?」 「はい。お願いします」 「わしが教えてもいいが、ここは蓮如殿の膝元じゃぞ。おぬしの伜殿はすでに出家しとるんじゃろう。まずくはないのか」 「大丈夫でしょう。現に慶聞坊だって武術の達人です。この先、上人様を守るために、武術を習わせると言えば文句は言わないでしょう」 「もっとも、蓮如殿も棒術の達人じゃしな、文句は言えんか」 「はっ、上人様が棒術の達人?」 「しまった。つい口をすべらしてしまったわ。蓮崇殿、今の事は聞かなかった事にしてくれ」 「それは構いませんが、上人様が棒術の達人だというのは本当の事ですか」 「この事は絶対に内緒じゃぞ。戦に反対しておる上人様が、棒術の達人だったなどという噂でも立てば、門徒たちを煽り立てる結果とも成りかねんからのう」 「ええ、分かっております」 「わしものう、実際に見たわけではないので、どれ位の腕なのかは知らんが、わしが見たところでは、かなりのもんじゃよ。ただ、蓮如殿はその棒術を使って誰かを倒したという事は一度もあるまい。しかし、蓮如殿が自分の足で歩き、これだけ教えを広める事ができたのも、その棒術のお陰かもしれんと言っておった。自分の身を守る 「‥‥‥知らなかった。わしは上人様がそれ程までの事をして、門徒たちを増やしておったとは全然、知らなかったわ」 蓮崇は今まで、自ら門徒を増やすために、新しい土地に行って教えを説いた事はなかった。十五歳で本泉寺に来て、如乗の側に使え、時折、如乗に付いて各地の道場を巡った事はあったが、それらの土地には、すでに門徒たちがいた。道場があるのだから門徒がいるのは当然な事だが、今、思えば、道場があって門徒がいるのではなく、門徒がいるから道場ができ、その門徒を作ったのは如乗に違いなかった。 蓮崇が本泉寺に来て、二年か三年経った頃、蓮如が 蓮崇は今、ようやく、その事に気づいたのだった。 「内緒じゃ」と風眼坊は繰り返し言った。 蓮崇は頷いた。 「それで、これから、どうするつもりじゃ」 「慶覚坊殿が戻って来てから考えます」 「うむ、それしかないのう。向こうの状況が分からん事にはどうにもならんからのう」 「ただ、守護側が今回の戦に勝った事によって、勢いを得て、他の門徒の所を不意に襲いはしないか、という事が心配です」 「うむ。それはあり得るのう。おぬしが守護の立場だったら、どこを襲う」 「ここです」と蓮崇は絵地図の上を指した。 「やはりのう。わしも、そこじゃと思うわ」 蓮崇が指した所は手取川だった。 手取川には、安吉源左衛門率いる河原衆と、笠間 戦続きのお陰で、皮革はいくらあっても足らず、生産の方が間に合わない有り様だったが、本願寺の門徒になったため、門徒たちの死んだ牛馬の処理も扱うようになり、笠間氏は、益々、勢力を広げて行った。前回の戦で死んだ馬の処理の一斉を任されていたのも彼らだった。 笠間氏自身は安吉氏と同様に河原者ではない。れっきとした武士であった。遠い先祖は白山本宮の神主で、本宮を守るために武士となった者が手取川の河口にある小河の白山社に移り、その辺りに土着して勢力を広げて行った。笠間の地に土着した者が笠間を姓として名乗ったのが笠間氏の始まりだった。笠間氏は手取川流域の土地を開拓する一方で、神職である地位を利用して河原者たちも支配した。同じ様に河原者を支配しようとしている安吉氏とは何度も争い事を繰り返していたが、お互いに門徒となる事によって、初めて、腹を割って話し合い、お互いの縄張りをはっきりと決めた。そして、安吉氏の十四歳になる長男と笠間氏の十二歳になる長女との婚約がなり、堅く同盟を結んでいた。 「そこに違いないとは思うが、そこを攻める事は難しい」と蓮崇は言った。 「うむ。確かにのう。山の中とは違って広い河原ではごまかしが効かんからのう。お互いに正面から戦えば、勝ったにしろ損害はひどいじゃろう。ただでさえ、兵力のない守護側がそんな事はするまい」 「それだけではありません。安吉殿にしろ、笠間殿にしろ、ただの国人ではない。安吉殿が戦を始めれば手取川の運送は止まる。手取川の運送が止まって一番困るのは白山寺です。守護は白山までも敵に回す事になる。それに、笠間殿は革座を握っております。笠間殿を敵に回したら革は手に入らない。戦に必要な革が入らなくなったのでは、守護としても困るでしょう」 「と言う事は実力行使ではなく、何とかして守護側に抱き込むつもりじゃな」 「多分。安吉殿の奥方は、南加賀の守護代の山川三河守の妹なんです。多分、その線で、抱き込みに掛かると思うんですが」 「あの男の奥方が守護代の妹か‥‥‥そいつはまずいのう」 「風眼坊殿は安吉殿を御存じでしたか」 「ああ。蓮如殿と一緒に世話になった事がある。なかなかの男のように見えたがのう」 「はい。確かに、したたかな男です。あの二人に寝返られると、本願寺としても大変な事となります」 「大丈夫じゃよ。頭が寝返りたくても、すでに、門徒となっておる河原者たちは寝返りはせん」 「ええ、そうだといいんですけど‥‥‥」 「その二人を攻めないとなると、ここが危ないのう」と風眼坊は倉月庄を指した。 「倉月庄ですか‥‥‥ここの動きは微妙です」 「今回の戦に、疋田の奴は参加したのか」 「いえ、来ません。疋田は来ませんでしたが、浅野殿、諸江殿、大場殿の三人が兵を引き連れて来たそうです」 「そうか、倉月庄も参加したんじゃな‥‥‥野々市から近いからのう、危険じゃな」 お雪がようやく、戻って来た。蓮崇の顔を見ると、とぼけて、「蓮崇様、いらっしゃいませ」と笑った。 「奥さん、お邪魔しております」と蓮崇は軽く頭を下げた。 「蓮崇様、たまには、ゆっくりして行って下さいな。お酒でも付けますか」 「いえいえ、まだ、仕事がありますので‥‥‥」 蓮崇は絵地図をたたむと、「また、来ます」と言って座を立った。 「あっ、そうそう。風眼坊殿、伜の事を頼みます」 「おう、そうじゃったのう。明日にでも、よこしてくれ。わしが、びっしり鍛えてやるわ」 「お願いします」 蓮崇は、お雪にもう一度、頭を下げると帰って行った。 「御山まで送って行ったのか」と風眼坊はお雪に聞いた。 「ええ。久し振りにあの抜け穴を通ってね。子供さんたちと遊んでいたの。どうせ、また、蓮崇様と難しいお話をしてたんでしょ。あたしがいない方がいいと思ってね。戻って来るのが早すぎたかしら」 「いや、丁度、よかったよ」 「そう。蓮崇様の伜さんの事って何?」 「ああ、わしが蓮崇殿の伜に武術を教える事になってしまったんじゃ」 「へえ、あの滝の所で孫三郎さんに教えてたみたいに?」 「まあ、そういう事だ」 「ここで?」 「いや、ここじゃ狭いのう。北潟湖の湖畔辺りで教えるさ」 「あたしも習おうかしら」 「お前はいい。これ以上強くなったら、わしがたまらん」 「何ですって」とお雪はふざけて飛び付いて来た。 「これだから、たまらん」と風眼坊はお雪を抱きながら笑った。 石川郡では戦に敗れて、数多くの門徒たちが死んで行ったが、そんな事には関係なく、風眼坊とお雪の二人は幸せの真っ只中にいた。
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戦に負け、越中の国に逃げた本願寺門徒たちは、松寺(才川七)の永福寺や井波の瑞泉寺を頼って加賀の状況を見守っていた。 砂子坂道場に逃げていた善福寺 瑞泉寺では国を追い出された門徒たちの気持ちも知らず、桜の花が満開に咲き誇っていた。その桜の木の下には、武装したまま疲れ切った顔の門徒たちの顔が並んでいた。 瑞泉寺は明徳四年(一三九三年)、蓮如の曾祖父、 蓮乗は去年の戦の時は越中の門徒の中心になって国境を封鎖していた。蓮如の次男として、しっかりと門徒たちを束ねていた。結局、越中から幸千代を救うべく兵が動かなかったため、戦にはならず、加賀に比べれば越中のこの辺りはまだ平和だった。 その平和な瑞泉寺に、突然、加賀からの門徒たちが武装したまま逃げ込んで来た。蓮乗は何事かと驚いたが、てきぱきと門徒たちに指図をして、逃げて来た者たちを収容した。 蓮乗は幼い頃より蓮如の叔父夫婦、如乗と勝如尼に育てられた。二人から本願寺の教えを厳しくたたき込まれ、また、如乗からは武術も教わった。如乗は坊主でありながら武術の達人でもあった。蓮如に棒術を教えたように、本願寺の教えを広めるには、まず、自分が強くなければならない主張していた。強くなって荒くれ者の中に平気で入って行けなくてはならんと常に言っていた。そして、実際に蓮乗を連れて山中に住む荒くれ者たちに教えを広めて行った。何度も恐ろしい目に会いながらも、蓮乗はくじけずに如乗の後をついて行った。ところが、蓮乗が十五歳の時、如乗は突然、亡くなってしまい、蓮乗は如乗の跡を継ぐ事になった。十五歳の蓮乗にとって、それは責任が重すぎた。しかし、亡くなった如乗のためにも自分がしっかりしなければならないと強く決心を固めた蓮乗は、さらに武術の修行に励み、また、蓮如から贈られた本願寺に関する書物を読み、如乗のやり方を真似して勝如尼と共に教えを広めて行った。やがて、如乗と勝如尼の娘、如秀を嫁に貰って瑞泉寺の裏方を任せ、勝如尼のいる本泉寺と二つの寺の住寺職を立派にこなしていた。 瑞泉寺の境内は二千人近くの兵で埋まっていた。兵たちが避難しているのはここだけではなく、三里程離れた松寺の永福寺にも一千人余りの兵が避難していた。 戦に負け、越中に逃げて来た三月十四日から三日後の昼過ぎ、瑞泉寺の書院に武将たちが集められた。善福寺順慶、浄徳寺慶恵、和田長光坊の三人の坊主を中心に、今後の対策を練っていた。顔触れは湯涌谷衆の石黒孫左衛門、湯涌次郎左衛門、柴原助右衛門、横谷 辰巳右衛門佐は田上の本陣から出撃して挟み討ちに合ったが、何とか無事に逃げ出す事ができた。傷付いた兵と共に本拠地の辰巳に帰ったが、すでに、辰巳の地は山川城の敵兵に占領されていた。帰る事もできず、山の中に隠れながら湯涌谷に向かった。山の上から湯涌谷の様子を窺い、ここも敵に占領されている事に気づき、そのまま国境を越えて、越中まで逃げて来て皆と合流した。 田上五郎兵衛も辰巳と同じく、帰る所がなくなって越中まで逃げて来ていた。 それに、蓮乗、高坂四郎左衛門、 善福寺、浄徳寺、長光坊の三人は主戦派だった。越中の門徒たちも集め、今すぐにでも湯涌谷に攻め登って一気に敵を倒し、そのまま野々市まで攻め込もうと主張した。 それに対して、慶覚坊はもう少し様子を見た方がいいと主張した。湯涌谷を占領している山之内衆はそう長くは滞陣しないだろう。やがて、山之内に帰るはずだ。敵が引き上げたら湯涌谷を取り戻し、改めて、加賀の門徒たちに集合を掛けた方がいいと言った。 慶覚坊の意見に賛成したのは湯涌次郎左衛門、田上五郎左衛門、辰巳右衛門佐の三人だった。三人共、今回の戦で多数の犠牲者を出していた。これ以上、犠牲者を出したくはなかった。 次郎左衛門は湯涌谷において、丁度、山之内衆が攻めて来た山のすぐ側に陣を敷いていたため、後方からの不意打ちをもろに受け、二百人いた部下の半数近くをやられていた。 五郎左衛門と右衛門佐も半数以上の犠牲者を出していた。 今回の戦で犠牲となって死んで行った者は、門徒たちが一千人余り、守護側では三百人余りだった。死んで行った一千人もの門徒たちは、ただの犬死に同然だった。去年の戦の犠牲者たちは、本願寺のために勇敢に戦って死んで行った者たちとして扱われ、皆、極楽に往生して行った。しかし、今回の戦では本願寺の名は出さなかった。出さなかったと言うより出せなかった。彼らは荘園を横領した国人たちの一味として守護に退治された、という形で死んで行った。このまま戦を続ければ犠牲者の数はもっと増えるだろう。蓮如が戦を命じない限り、それらは皆、犬死ににしかならなかった。また、蓮如が命じない限り、守護を倒す事も不可能と言えた。 「上人様に仲裁を頼んで、加賀に戻れるようにして貰おう」と湯涌次郎左衛門が言った。 「そんな弱きじゃいかん」と浄徳寺が大声を出した。 浄徳寺慶恵はこの中で一番の年配だった。越前超勝寺 「一度の負戦で脅えるな」と長光坊は言った。「戦はまだまだ、これからじゃ」 「しかし、越中の門徒たちをどうやって動かします」と高坂四郎左衛門が言って、チラッと蓮乗を見た。「蓮乗殿には失礼だが、勝如尼殿の了解を得ない限り、越中の門徒を動かす事はできないでしょう」 「残念ながら、わたしだけの力では動かないでしょう」と蓮乗は言った。 「勝如尼殿は、わしは苦手じゃ」と善福寺は首を振った。 「尼一人位、何とかできんでどうする」と浄徳寺が弟に言った。 「兄上は、勝如尼殿がどんな人か御存じないんじゃ」 「なに、知っておる。荒川の大叔父(興行寺周覚、蓮如の祖父の巧如の弟)の娘じゃろう。小さい頃、会った事がある。なかなか可愛いい 「兄上、何年前の事を言っておるんじゃ」 「そうさのう、三十年以上も前かのう」 「女子は三十年も経てば変わるもんじゃ。一度、会ってみればいい」 「ああ。勿論じゃ。会って来るとも、会って尼殿を納得させてみせる」 「浄徳寺殿、さっそく、明日にでも、わたしと一緒に本泉寺まで参りましょう」と蓮乗が言った。 「蓮乗殿、それはまずい」と慶覚坊が止めた。 なぜです、という顔をして蓮乗が慶覚坊を見た。 「今回の一揆は本願寺は一切、関係のない国人一揆なのです」と慶覚坊は言った。「敵はわしらがここに逃げて来た事を知っています。蓮乗殿がどう動くか見張っているかもしれません。逃げて来た門徒をかくまう位では、敵も何もしないとは思いますが、もし、蓮乗殿が少しでも変な動きをしたら、この一揆に関係していると見て、敵は本願寺も同類とみなし、あちこちの道場を襲撃して来る可能性があるのです。わしらがこんな武士の格好をしているのも、本願寺は関係ないと思わせるためなのです」 「そうだったのですか」と蓮乗は納得した。「しかし、そうなると本泉寺に行くのもまずいんじゃありませんか」 「いや、大丈夫じゃ」と善福寺が言った。「わしらは今度は普通の門徒に化けて行く。普通の門徒が本泉寺に出入りしても怪しむまい」 「それなら大丈夫じゃ」と長光坊が手を打った。 「わしも一緒に行きましょう」と高坂が言った。「どうせ、本泉寺に兵糧米を取りに行くつもりでしたから」 「なに、兵糧米があるのか」 「前回の戦の時の余りが、かなりあるはずです。何かがあった時のために使おうと、蓮崇殿が蔵にしまっておいたのです」 「蓮崇か‥‥‥なかなか、やりおるわい。で、その兵糧米はどれ位あるんじゃ」 「詳しくは分かりませんが、三千の兵と二千の女子供が十日間は食べられる位はあると思いますが‥‥‥」 「十日分か‥‥‥五千人ともなると食うからのう。まあ、十日もここにいる事もなかろう。十日分もあれば充分じゃ」 次の日、浄徳寺、善福寺、長光坊の主戦派の三人が高坂と共に本泉寺に向かうと、改めて、慶覚坊を中心に 「さて、一門衆が消えたところで、改めて、今後の事を話したいが、わしも湯涌殿の意見に賛成じゃ。ここの所は上人様に仲裁してもらって、何とか、加賀に戻れるようにして貰おうと思う」と慶覚坊は言った。 「うまく、行くかのう」と高橋新左衛門が言った。 「今回、わしらは何も悪い事をしてはおらん。上人様も分かってくれるはずじゃ」 「いや、わしが言うのは、上人様ではなくて守護の富樫が兵を引くかと言う事じゃ」 「それは分からん。奴らが戦を仕掛けて来た本当の理由というのは、わしが思うには、本願寺の解体じゃと思う。前回、幸千代がやられるのを見て、今度は自分の番だと恐れておるんじゃ。そこで、不意討ちを掛けて来た。奴らが狙っておるのは、前回、戦の指揮をしていた、わしらじゃと思う。だとすれば、わしらの首を要求するかもしれん」 「なに、首か」 「ただ、敵が今回の戦に掲げている大義名分は『荘園の横領』じゃ。荘園を本所に返すという事を誓えば、敵も首を取る事はできまい」 「わしらは荘園など横領しておらん。横領しておるのは守護の方じゃろうが」と辰巳右衛門佐は言った。 「高橋殿はどうです」 「わしも横領した覚えはない。ただ、荘園を横領されないように、荘官が門徒になってしまっておる。わしは奴らを保護するつもりでおるが、横領するつもりはないわ」 「それじゃあ、上人様に仲裁を頼むという事でいいですね」 「それしかあるまいのう」と石黒は言った。「越中の門徒たちが、上人様の命令なしに、わしらのために立ち上がるとは思えん。それに、三千人余りもの兵をいつまでも越中に置いておくわけにも行くまい。何もしなくても飯だけは食うからのう」 「飯を食うのは兵だけではない。女子供を入れたら五千を越えるじゃろう。女子供だけでも加賀に戻さん事にはのう」と高橋は言った。 話は決まり、さっそく、慶覚坊は湯涌次郎左衛門を連れて山の中を通り、吉崎へと向かった。
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井波瑞泉寺