酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







百合と千太郎







 職人や人足が忙しそうに走り回っていた。

 人足の中には、女の人足もかなり混ざって働いていた。

 活気があった。

 皆、新しい町作りに張り切って仕事に励んでいた。

 播磨の国、大河内(おおこうち)庄、赤松日向守(ひゅうがのかみ)(太郎)の城下は完成しつつあった。すでに、太郎の屋敷と磨羅寺は完成し、小野屋を初め、大通りに面して建つ大手の商人たちの蔵や屋敷も完成していた。置塩のお屋形様、赤松政則より目付として派遣されている上原性祐(しょうゆう)入道と喜多野性守(しょうしゅ)入道の屋敷ももうすぐ完成するので、二人は八月に置塩城下から下向して来ていた。

 今、評定所(ひょうじょうしょ)と太郎の重臣たちの屋敷を建設中だった。

 完成したばかりの太郎の屋敷の常御殿(つねごてん)の一室で、松恵尼と楓が楽しそうに話していた。

 松恵尼は、今年の三月に生まれた百合という名の女の子を抱いていた。四歳になった百太郎は中庭で楓の侍女の住吉と遊んでいる。

 京の浦上屋敷から連れて来た五人の侍女も皆、この屋敷に移って来ていた。さらに、政則からも五人の侍女を付けられ、楓は十人の侍女に囲まれて暮らしていた。楓にしたら侍女など必要なかったが仕方がなかった。

 楓は三月、置塩城下の政則の屋敷内に特別に建てられた産屋において百合を産んだ。そして、八月に大河内の太郎の屋敷が完成すると、十人の侍女を引き連れて移って来た。

 太郎の新しい屋敷は驚く程、大きな屋敷だった。勿論、置塩城下の政則の屋敷よりは小さかったが、最初に滞在していた別所加賀守の屋敷よりも大きいようだった。こんな大きな屋敷に住む事になるなんて夢のようだった。

 百太郎は喜んで屋敷の中を走り回っていた。

 屋敷の縄張りをしたのは夢庵肖柏(むあんしょうはく)であった。

 南に面した表門を入ると、正面に主殿と呼ばれる接客用の建物がある。主殿には、上段の間付きの大広間としての機能を持つ部屋と、客との対面する会所(かいしょ)執事(しつじ)の部屋、客間などがあり、遠侍(とおざむらい)と呼ばれる侍の溜まり場とつながっていた。

 門の右側には大きな(うまや)と侍たちの長屋があり、左側の方には大きな台所があった。その台所の奥に、太郎と楓たちの住む常御殿があった。常御殿の後ろに、この屋敷の特徴とも言える三階建ての見張り(やぐら)が建っていた。

 見張り櫓と言っても、常にここに見張りの兵がいるわけではない。この見張り櫓は太郎が月見をしたり、考え事をしたりする時に使う個人的なものだった。

 太郎は高い所が好きだった。屋根の上で昼寝をしたり、回りを眺めたりするのが好きだった。太郎は飯道山にいた頃、よく寺院の三重の塔の屋根によじ登り、一番上に座り込んで回りの景色を楽しんでいた。ここに自分の屋敷を建てる事となって、どうしても、屋敷内に三重の塔のような高い建物を建てたかった。それは太郎の夢だった。そして、その夢は実現した。太郎はこの屋敷にいる時は、毎日のように月影楼と名づけた見張り櫓に登っていた。

 月影楼を作ったのは金勝座(こんぜざ)の舞台作りの甚助だった。助六から、甚助が元、宮大工だった事を聞いていたので、太郎は甚助に相談した。甚助は太郎の話に乗って来た。久し振りに一仕事できると喜んで引き受けてくれた。太郎と夢庵と甚助の三人で相談しながら図面を引いて作った傑作だった。

 一階は東西三間(約五、四メートル)南北二(けん)半(約四、五メートル)の板の間だった。その部屋の回りに半間幅の回廊(かいろう)が付き、部屋の中央には太い柱があり、その柱は三階の床下までつながっていた。太郎はここで剣を振り、新しい技を考えていた。中央の柱に天狗の面が掛けられ、太郎はここを『天狗の間』と名づけた。西の端に階段があって、階段を登ると一階の屋根裏に出る。ここは二階に直接に階段を付けると急になり過ぎるため、階段の中継地だった。屋根の中なので、二階への登り口から光りが入って来るだけで中は薄暗かった。

 この屋根裏部屋は中程から二つに仕切られていた。階段の側はただの通路で、仕切りの向こうに隠し部屋があった。仕切りは一見した所、ただの板壁にしか見えないが、甚助が細工した隠し戸が付いていた。その隠し部屋には、天井に明かり取りの小さな窓があり、畳を敷いた四畳半の座敷があった。そこは太郎が座禅を組む所で『瞑想(めいそう)の間』と名づけた。

 二階は回廊付きの畳敷きの六畳間だったが、部屋の中程を太い柱があるため、畳は五枚半敷いてあった。ここには北の壁に楓の絵を画く予定で『楓の間』と名づけた。北の壁だけでなく、部屋の回りの板戸にも山水画を描く予定だが、まだ、一枚も描かれていない。夢庵が、そのうちに知り合いの絵師を連れて来てやると言ったまま、未だに実行されていなかった。

 二階の上には、また屋根裏部屋があった。ここは高さが五尺そこそこしかないので、階段から階段への通路としか使い道はなかった。太郎はこの部屋には特に名前をつけなかったが、百太郎を連れて来た時、太郎たちが頭をかがめなければならないのに、百太郎は平気で走り回っていた。太郎はここを『百太郎の間』と名づけた。

 三階は回廊なしの四畳半だった。回廊はないが、北側に床の間と違い棚が付き、茶室のような構えだった。床の間には、夢庵が書いた『夢』という一文字の掛軸が掛けられ、夢庵が商人から貰ったという新茶の入った茶壷が飾ってあった。太郎はここを『夢の間』と名づけた。この三階の部屋は地上から約四(じょう)(約十二メートル)の高さがあり、城下町を一望のもとに見渡す事ができた。天気のいい日、東西南の板戸を全開にして、大の字になって昼寝をするのが最高の楽しみだった。

 三階の部屋の上にも屋根裏部屋があった。部屋という程の広さもなく、立つ事もできないが、最上階のその部屋には守り神として、太郎が彫った智羅天(ちらてん)の像が飾ってあり、『天の間』と名づけられていた。

 勿論、敵が下から攻めて来た場合の事も考えて、逃げ道も用意されている。各階の目立たない所に抜け穴があり、階段を通らなくても、そこから下の階に降りられるようになっていた。さらに、一階の階段の下にも抜け穴があり、そこを通ると屋敷の外の山の中に出る事ができた。

 太郎はこの城下にいる時は、ほとんどの時をこの月影楼で過ごしていた。この楼閣のすべてが、太郎にとっては書斎だと言えた。

 松恵尼は百合を抱きながら、庭で遊ぶ百太郎を見ていた。実際に、孫を抱いている祖母のようには見えないが、松恵尼は目を細めて幸せそうだった。

 松恵尼がここに来たのは九月の一日だった。楓に引き留められるまま、いつの間にか八日間も滞在していた。松恵尼も久し振りにのんびりしているようだった。大河内城下にも、銀山開発のための『小野屋』の出店があったが、松恵尼は一度だけ顔を見せただけで、後の事はすべて藤兵衛に任せていた。

「御主人様は、また、月影楼に登っているの」と松恵尼は聞いた。

「いえ。今日は、朝早く出掛けました」

「へえ、忙しいのね」

「そんな事ないわ。有能な家臣が一杯いるから、飯道山にいる時より自分の時間が持てると言って喜んでるわ。暇さえあれば月影楼に籠もって剣術の工夫をしているの」

「剣術の工夫?」

「そう。飯道山にいた時は忙しくて、陰流を完成する事ができなかったでしょ。やりたい事ができなくて焦り始めて、おかしくなって大峯山に行ったんですって。こっちに来てから、もう二つの技を考えたって言ってたわ」

「へえ。そうだったの。あたしはまた戦の事でも考えていたのかと思ったわ」

「今の所、戦に行く予定はないみたい。とにかく、銀山を軌道に乗せるまではそれに付きっきりみたい。今年一年は戦には行かないだろうって。今のうちに、できるだけ陰流と陰の術を完成させるんだって張り切ってるわ」

「殿様がそれ程、真剣に剣術をやってるなら、この城下の者たちは、みんな強くなるわね」

 楓は笑いながら頷いた。「道場の方も忙しいらしいわ」

「道場の方はあの三人のお弟子さんが見てるの」

「そう。それと、槍の名人の福井様と薙刀の名人の高田様が教えてるわ」

「ふうん。有能な家臣がたくさんいるのね」

「個性の強い人が一杯いるわ」

「そうね。次郎吉や伊助も重臣ですものね。でも、太郎殿の命を狙っていた阿修羅坊殿も、重臣になってるなんて驚きだわ」

「阿修羅坊様と金比羅坊様は主人の両腕とも言える人だわ。阿修羅坊様はこの前の但馬に進攻する時も大活躍したらしいし、今度、銀山を掘るのに中心となる生野という所にお城を作るらしいんですけど、そこのお城を阿修羅坊様が守る事に決まったんですって。生野にお城下を作るために、今朝早く、夢庵さんを連れて出掛けて行ったの」

「夢庵殿も変わったお方ですね。あの方も家臣なの」

「いいえ。夢庵さんはお客様。何となく居心地がいいんで、ここにいるみたい。あれでも御公家さんなのよ。お兄様は大臣をしている偉い人なんですって。ちょっと信じられないけどね、本当みたい」

「へえ、あの人、御公家さんなの? 見えないわね」

「あの人の乗ってる牛、見ました?」

「ええ、金色の角をした牛でしょ。あんな牛に乗って、のんきに歌なんか歌ってるんですもの、初めて見た時、びっくりしたわ。わたしも色々な人を見てるけど、あんなに変わった人は初めてだわ。あの人が御公家さんとはね、世の中も変わったものね」

「夢庵さん、あの牛に乗って、どこでも行くらしいわ。天子(てんし)様や公方(くぼう)様にも会った事があるんですって、凄い人よ」

「そうなの、凄い人ね。その人も例の牛に乗って、太郎殿と一緒に新しいお城下に行ったのね」

「そう。夢庵さんは色々な事を知ってるの。幕府にも出入りしていて、お茶や連歌にも詳しいでしょう。色んな所から招待されたりして出掛けているので、色んなお城下の事を知ってるの。お屋敷に関しても、将軍様の花の御所にも入った事あるし、各地の大名のお屋敷の事も知ってるのよ。このお屋敷のお部屋の配置を考えたのも夢庵さんだし、御城下の縄張りをしたのも夢庵さんなんですって。それで、今度も、生野のお城下の縄張りを夢庵さんに頼むんじゃないかしら」

「へえ、あの人が、このお屋敷をねえ。人は見かけによらないものね」

「そうね。でも、主人もいいお人に巡り会ったわ。夢庵さんのお陰で、主人も別所様と会って話がうまく言ったの。夢庵さんに会えなかったら、主人は亡くなっていたかもしれないわ」

「大丈夫よ。太郎殿は運の強いお人よ、その運が付いている限り、決して死にはしないわ」

「そうね、運だけは強いわね」楓は頷いてから、フフフと笑った。「初めて会った日に、その事は分かったわ」

「雨乞いの天狗騒ぎね。懐かしいわね。あの日、初めて会って、もう、二人の子供がいるんですものね。わたしも年を取るはずだわ」

「何を言ってるんです。松恵尼様は全然、変わってないわ。松恵尼様といると、あたしだけが、どんどん年を取ってるように感じられるわ」

「そんな事はないのよ。わたしも最近、年の事が気になってるの。気はいつまでも若いつもりなんだけどね‥‥‥ねえ、楓、わたしの頼みを聞いてくれる」

「何です、頼みって。松恵尼様の頼みなら何でも聞くわ」

「実はね」と楓の顔を見てから、松恵尼は意を決したかのように、「太郎殿と楓の子供、女の子を一人、養子に貰いたいのよ」と言った。

「えっ、養子?」楓は松恵尼の突然の申し出に驚いて、松恵尼に抱かれて眠そうな顔をしている百合の顔を見つめた。

「わたしの跡取りに欲しいのよ」と松恵尼は言った。

「花養院のですか」

「花養院と『小野屋』の両方よ」

「小野屋の跡取りですか」

 松恵尼は頷いた。「小野屋も大きくなり過ぎたわ。わたしが亡くなったら誰かが跡を継ぐ事になるけど、わたしの下にいる人たちじゃ駄目なの。誰を跡継ぎにしても『小野屋』は分裂してしまうわ。『小野屋』を一つにまとめて行くには、わたしの娘が一番いいんだけど、わたしには娘はいないし、楓が跡を継いでくれたらいいと思ってたけど、楓は太郎殿と一緒になっちゃったし、それで、あなたたちの子を養子にして、跡を継がせたいの。あなたたちの子なら間違いなく、うまくやってくれると思うの、どう、お願い、聞いてくれる」

「この百合をですか」

「ううん。百合はあなたたちの最初の女の子でしょ。あなたたちも手放したくはないでしょ。次の女の子でも、その次の女の子でもいいわ」

「‥‥‥分かりました。主人と相談してみます。きっと、喜んで松恵尼様の養子にすると思います。でも、女の子の方がいいんですか」

「ええ。女の子の方がいいの。男の人だと、どうしても危ない橋を渡りたがるでしょ。危ない橋を渡れば、儲けも多いかもしれないけど損する事も多いわ。その点、女の方が慎重だし、ケチな所もあるから『小野屋』を潰さないで続けて行く事ができると思うのよ」

「ふうん。商人の世界も難しいのね。うちの人には向いてないみたい」

「そんな事はないわ。太郎殿は人を使うのがうまいわ。そういう人は商人に向いてるの。これからのお侍さんは商人をうまく使いこなせるかどうかで、生き延びて行くか、滅びて行くかが決まると思うの。昔のように、ただ、お百姓さんから絞り取っていただけでは駄目だわ」

「ふうん。よく、分からないけど、うちの人、人を使うのがうまいのかしら」

「そりゃ、うまいわよ。わたしの所でも変わり者で通っている次郎吉が、太郎殿の家臣に納まってるのよ。あの人を使いこなしただけでも大したもんだわ」

「次郎吉さん‥‥‥そういえば、あの人も変わってるわね」

「まあ、太郎殿は人を使いこなしてるとは思ってないでしょうね。太郎殿には自然と人が付いて来るような魅力が、生まれながらにしてあるのよ。愛洲水軍の大将の息子さんとして生まれた事も影響してるかも知れないわね。生まれながらにして大将なのよ。たとえ、何をしていてもね」

「そうかもしれないわね。飯道山でも、すぐに有名になっちゃたしね」

「あなたは大したお人を旦那様にしたんだから最高の幸せ者よ」

「やだわ、松恵尼様。松恵尼様は、その旦那様の母親代わりなのよ」

「そうそう、太郎殿の本当の御両親の方は、ここにお見えになったの」

「まだなの」

「どうして、呼ばないの」

「呼ぶとは言ってるんだけど、まだ、何だかんだと忙しいでしょ。それに、お城下も完成してないから、来年の春になったら呼ぶって言ってたわ」

「そう。御両親に立派なお城下を見せたいのかしら」

「遠くから、わざわざ来てもらうんだし、そう何度も来られないでしょうから、完成したお城下を見せたいんじゃないかしら」

「そうよね。伊勢の国の一番南だものね。遠いわ。今、来て貰っても、あちこち普請(ふしん)中で、うるさいものね。せっかく来るのなら完成した方がいいわね。どうせ、ずっと、ここにいる事になるんだろうし、焦る事もないわね」

 百合は松恵尼に抱かれて、気持ちよさそうに眠っていた。

「ねえ、月影楼に登ってみない?」と松恵尼は言った。「一度、登ったけど、わたしもね、高い所って好きなの」

「本当? あたしたちもね、子供が寝た後で、夜、あそこに登ってお月様を見てるの。気持ちいいわ。子供たちを侍女に預けて行ってみましょうか」

「行きましょう」

「色んな仕掛けがあるのよ。教えてあげるわ」

「甚助さんが作ったんですって? 甚助さんならやりかねないわ」

 百合を寝かせ、百太郎の事を侍女に頼むと、二人ははしゃぎながら月影楼の方に向かった。

 どう見ても、親子というより仲のいい姉妹だった。







 見事な紅葉だった。

 太郎は一人、鬼山(きのやま)一族の村に来ていた。山伏姿だった。

 夢庵を連れて生野に行ったが、太郎の用はなかった。夢庵と大沢播磨守(阿修羅坊)と小川弾正忠(だんじょうちゅう)(弥兵次)の三人で、城下の縄張りを決めていた。

 今、生野には、大沢播磨守を大将として、四百人近くの兵が敵に備えて待機していた。勿論、すべてが太郎の兵ではない。太郎の兵はその内の百人足らずで、残りの兵は置塩のお屋形様が付けてくれた者たちだった。上原性祐入道、喜多野性守入道、別所加賀守らの兵だった。

 太郎は今年の春、雪が溶けると同時に但馬に進攻し、生野を占領する事に成功した。生野より北にある鷲原寺(わしはらじ)の協力もあって、大した苦労もなく、生野の地を落とす事ができた。

 鷲原寺のさらに北にある安井の地を本拠地とする山名氏の武将、太田垣(おおたがき)氏は一端は太郎たち赤松勢を播磨に追い出そうと攻め寄せて来たが、太田垣氏の支配圏までは攻めて来ない事を知ると、鷲原寺との勢力圏との境に百人余りの兵を残して、安井城に引き上げてしまった。

 敵の大将の山名右衛門督(うえもんのかみ)政豊は大勢の兵を率いたまま未だに在京し、安井城の城主、太田垣土佐守も京にいた。安井城を守る土佐守の息子、三河守は今、赤松氏を相手に戦をしたくはなかった。赤松氏がそれ以上攻めて来ない限りは、今のところは放っておこうと思っていた。山名宗全が亡くなって以来、山名氏の領国内も国人たちが騒ぎ始めていた。太田垣三河守を初め、留守を守っている武将たちは国人たちを静めるのに忙しかった。山名政豊が帰って来るまで、なるべく騒ぎを起こしたくはなかった。朝来(あさご)郡の一部を赤松氏が占領したとしても、政豊が帰って来れば播磨に追い出す事は簡単だった。今の所、放っておいても差し支えないだろうと三河守は判断した。お陰で、太郎たちは犠牲者を出す事もなく、山名側の砦を幾つか落として簡単に生野を占拠する事ができた。

 太郎は後の事を大沢播磨守に任せると、今朝早く、一人で銀山に登って来ていた。

 早いもので、この村に初めて来てから一年が過ぎていた。

 山奥のこの村も銀山開発のお陰ですっかり変わってしまった。以前、この村の女たちが耕していた田畑はなくなり、大きな作業場が立ち、その回りに鍛冶師(かじし)や大工などの職人小屋、人足たちの小屋が立ち並んでいた。

 村を去って行った者も多かった。

 銀太はおろくを連れて大河内城下に移り、町奉行になっていた。小太郎もおすなを連れて大河内城下に移り、銀太を補佐している。太郎は生野に城下ができたら、小太郎を生野の町奉行にするつもりだった。

 男まさりだったおとくは、すっかり女らしくなって、小野屋藤兵衛の(めかけ)になり、盲目の小次郎はおくりを連れて金勝座の一員になっていた。おきくは山崎五郎(探真坊)と所帯を持ち、大河内城下で暮らしている。そして、おきさは太郎の子供、千太郎を七月の初めに産み、今、銀太の屋敷で暮らしていた。

 銀山開発の方は小野屋藤兵衛と鬼山小五郎を中心にうまく進んでいた。

 長老の左京大夫は一族の者以外、立ち入り禁止の作業小屋に入って、息子たちに銀の製錬の仕方を仕込んでいた。仕込まれていたのは助太郎、助四郎、助五郎、助六郎、助七郎、小三郎の六人だった。

 一族以外の者に先進技術である銀の製錬術を教えないと言うのは、先代の赤松性具(しょうぐ)入道(満祐)以来からの取り決めだった。それは明国(みんこく)(中国)から、はるばる異国に来た彼らの生きるための知恵だった。異国の地において生き抜いて行くには、身に付けている特殊技術を決して日本人に盗まれてはならなかった。盗まれてしまえば自分たち一族の者の値打は下がり、しまいには異国にて野垂れ死にするかもしれなかった。長老は銀山開発に当たって、その事をまず条件に出した。太郎はお屋形の政則に告げて許しを得た。

 政則にとって銀山を開発する事は、どうしてもしなければならないという程、切羽(せっぱ)詰まったものではなかった。赤松家は鉄の生産と販売を一手に握っていた。鉄は武器の原料であり、今の時勢、一番重要なものだった。銀はないよりもあった方がいいが、それ程の期待をかけていなかった。

 銀が重要な物となり、大名たちが争って銀山を開発するようになるのは、もう少し時が下ってからの事であった。海外貿易が盛んになり、取り引きに銀が使われるようになると、大名たちは銀を獲得するために血眼(ちまなこ)になって銀山の奪い合いで戦をするようになるが、まだ、銀の需要は低かった。

 彼ら一族が明国から持って来た特殊技術とは『灰吹き法』と呼ばれるものだった。

 当時、日本において銀を採掘する場合、天然に露出している銀鉱を砕き、細かくして水に流し、比重の重い銀だけを選んで、熱によって固めるという方法を取っていた。この場合だと、かなりの不純物が含まれ、しかも、一見しただけで銀と分かるような、かなりの銀を含んだ銀鉱でなければならなかった。すでに、それら天然の銀は取り尽くされていた。

 彼らの持って来た技術は、銀を含んだ鉱脈の中から銀を取り出すもので、当時の日本においては考える事もできない程、進んだ技術だった。まず、地表に出ている鉱脈に沿って岩を掘り、掘り出した岩は細かくされて鬼山村まで運ばれた。運ばれた鉱石はさらに細かく砕き、粉状にして砂金を取る時のように、板の上に乗せた粉鉱を水中で揺すり、比重の重い銀だけを選び出す。これには熟練した技術を要したが、太郎の家臣となった金掘りの勘三郎が、砂金取りの仲間を使って慣れた手付きで行なっていた。揺り分けられた銀の砂は長老たちのいる立ち入り禁止の小屋に運ばれた。ここまでの作業は人足たちの手で行なわれたが、ここから先は鬼山一族だけで行なわれた。

 ここまでの作業は金掘りである勘三郎も知っている。勘三郎たちが揺り分けた銀の砂を加熱しても銀の(かたまり)になった。しかし、それには不純物がかなり含まれ、海外から来る銀とは比べものにならない程、お粗末な物だった。苦労して、そんな物を作っても銀としては扱われなかった。

 長老の元に行った銀の砂はタタラを使って加熱され、どろどろに溶けている鉛の中に入れられた。砂の中の銀は鉛と一緒になり、この工程において、ほとんどの不純物が除かれた。この時使う鉛は前以て採ってあった。生野の山には鉛を多く含む鉱石もかなり分布していた。銀と鉛が一緒になった塊から鉛を取り除くのが『灰吹き法』と呼ばれる技術だった。灰を入れた炉の中に、その銀を含んだ鉛を入れ、タタラを使って加熱すると溶けた鉛は灰に染み込み、銀だけが残る、その銀は『灰吹き銀』と呼ばれ、かなり純粋な銀だった。しかし、その銀の中には金も含まれていた。灰吹き銀から、さらに金を抜き取る技術は、まだ、長老たちも知らなかった。

 およそ、五十年後、この『灰吹き法』は博多の商人、神谷寿貞(じゅてい)が朝鮮から連れて来た技術者によって、石見(いわみ)(島根県西部)の銀山の開発に使用された。大名ではなく商人が中心になって開発を行なったため、その技術は各地の銀山に伝わり、銀山採掘の最盛期を迎える事になるが、この時期、日本において、この技術を知っていたのは鬼山一族の者だけだった。

 太郎も小野屋藤兵衛も長老たちの作業小屋に入る事はできなかった。

 今年の春から本格的に掘り始め、長老たちはすでに二十貫(約七十五キロ)近くの銀を製錬していた。銀一貫が銭にして百二十貫文(かんもん)だとして、二千四百貫文の銀を掘った事になる。米にして、およそ三千(ごく)余りという所だった。開発が軌道に乗って順調に行けば、年間、五十貫以上の銀が取れるだろうとの事だった。

 取れた銀の半分は置塩のお屋形様に献上され、三割を太郎が取り、残りの二割を小野屋が取るという事になっていた。しかし、大河内城下を建設するために、小野屋に多額の借金をしているので、当分の間、太郎の取り分も小野屋の物となった。

 置塩のお屋形様は、一旦、献上された銀を受け取るが、その銀は小野屋によって銭に替えられ、戦のための費用となった。小野屋藤兵衛は手に入れた銀を堺の小野屋伝兵衛のもとに送った。堺では近いうち遣明船を出す事に決まり、取り引きに使う銀を集めていた。その銀は明国に渡り、銅銭や生糸、高級な織物などと交換された。

 太郎は、長老たちが作業する小屋から立ち昇る黒い煙を見ながら、この煙が敵に発見されはしないかと心配した。それと、村中に立ち込めた異様な臭いが気になった。

 今年のうちは、ここでも仕方ないが、もっと大規模に開発が始まれば、ここでは狭すぎる。それに、銀を作る事によってできる鉱石のカスの量が思ったよりも多く、川の水も汚れていた。この村には山を掘る人足たちだけを置き、鉱石を砕く作業から長老たちの作業は別の場所に移した方がいいと思った。できれば但馬ではなく、一山越えた播磨側に移したかった。生野の地は鷲原寺の協力もあって占拠する事ができたが、生野に作業場を移す事はできなかった。生野は飽くまでも赤松家の最前線の軍事基地とし、敵に銀山を掘っているという事を気づかせてはならなかった。太郎は大河内城下に帰る途中、作業場を移すべき土地を捜そうと思った。

 村の中央辺りに建てられた奉行所に寄って、鬼山小五郎から現場の状況を聞くと、太郎はお屋形と呼ばれる太郎専用の小屋に戻った。この小屋は以前、長老の小屋が建っていた位置に新しく建てられたものだった。長老の小屋の北側に建っていた古い三軒の小屋が壊され、長老と小五郎の小屋が新しくでき、鬼山一族の者たちは長老の小屋より北側に集まっていた。以前、きさたちが住んでいた南の方には作業場が並び、人足たちが住んでいた。

 お屋形に戻ると、おこんが待っていた。

 おこんは今、助四郎の妻になって、三人の女の子と共に助四郎と暮らしていた。

 太郎がこの村に来ると必ず、一族の娘が交替で、太郎の世話をする事になっていた。皆、それぞれ夫婦となるという取り決めに従った今でも、長老は太郎に娘たちを差し出して、夜の世話までさせようとしていた。長老からすれば、おきさのように娘たちが太郎の子供を産んでくれれば、一族の将来が安心できるのだったが、太郎にしてみればかなわなかった。おきさが子供を産んだ事でまいっているのに、第二、第三のおきさが現れてはたまらなかった。太郎は、なるべく、この村には泊まらないようにし、どうしても泊まらなければならない時は、酔った振りをして先に寝てしまう事にしていた。

 今日の太郎の担当はおこんだった。おこんは以前、光一郎と関係のあった女だった。色っぽく魅力的な女で、抱いてみたいとは思うが太郎は諦めた。

「お屋形様、あたしをお城下に連れてって下さいよ」とおこんは言った。

「この村が、いいのではなかったのか」と太郎は聞いた。

「前はよかったわ。でも、今は、もう駄目。臭くて鼻が曲がりそうだわ」

「確かに、臭いな」

「あたし、お城下って、どんな所だか知らなかったのよ。この村から出た事ないし、この村に残っている男たちは、村から出ればろくな事はないって言うし、恐かったの。でも、この間、帰って来たおろく姉さんから話を聞くと、とってもいい所だって言ってたわ。色々な物があって、色々な物が食べられて、綺麗な着物も着られるって。おろく姉さん、この間、来た時、綺麗なかんざしなんか髪に付けてたわ。あたしもおろく姉さんみたいに綺麗な着物を着てみたいし、綺麗なかんざしも欲しいわ。ねえ、あたしも連れてって下さいよ」

「まあ、城下に来るのは構わないが、助四郎さんはどうする。助四郎さんが許さないんじゃないのか」

「あんなのいいのよ。好きで夫婦になったわけじゃないし。お城下には一杯、いい男がいるんでしょ」

「いい男もいるが、悪い男もいる。長老殿の許しが出たら来るがいい。もう少しすれば生野に城下ができる。そうすれば、みんな、そっちに移る事になっている。今年の冬には間に合わないが来年には移る事ができるだろう」

「来年まで待てないわ。今すぐ、ここを出たいの。こんな所にいたら、子供だって病気になっちゃうわ」

「子供の具合が悪いのか」

「時々、ひどい咳をするの」

「そうか‥‥‥それはまずいな。長老殿と相談して子供の事は考えた方がよさそうだな」

「長老様は出て行った方がいいと言ったわ。ここは人足たちが増えて来るだろうから、女子供はお城下に移った方がいいって」

「分かった。考えておくよ。まだ、城下の方も完成してないから、すぐに移るというわけにはいかないが、銀太殿と小太郎殿の屋敷が完成すれば、おこんさんもそこに移る事ができるだろう」

「いつ頃、完成するの」

「冬が来る前には完成するだろう」

「今年の冬はこの山から下りられるのね」

「多分」

「よかった。ねえ、お屋形様、今晩は泊まっていかれるんでしょ」とおこんは太郎に擦り寄って来た。

「いや、そろそろ帰るよ」と太郎は笑うと立ち上がった。

「何だ、つまんないの」とおこんはふくれてみせた。

 太郎はおこんから逃げるように、錫杖を鳴らしながら播磨側の山へと下りて行った。







 市川の渡しを渡ると、太郎は城下に入る大通りの方に向かった。

 船着き場の近くの河原には芸人たちが小屋掛けして住んでいた。金勝座はもう河原にはいない。太郎の家臣として太郎の屋敷の側に土地を与えられ、今、屋敷を建てていた。

 大通りの入り口の所に建つ代官所は、かつて、太郎や重臣たちが住んでいたが、今は奉行所となり、町奉行の鬼山銀太、銀太を補佐する鬼山小太郎、勘定奉行の松井山城守(吉次)、作事(さくじ)奉行の菅原主殿助(とのものすけ)、普請奉行の太田典膳、材木奉行の堀次郎らが詰めていた。

 太郎は奉行所の所を曲がり、大通りに入ると両脇に並ぶ商人たちの蔵や屋敷を眺めながら歩いた。大通りは人通りが激しかった。材木を積んだ荷車や食糧を積んだ荷車が、忙しそうに行き来していた。

 大通りに面して左側に、酒屋、伊勢屋、紀州屋、備中屋、山崎屋、京屋など、大きな商人たちの店と屋敷が建ち並んでいる。丁度、その裏には広い馬場があり、何頭もの馬が飼われ、馬術の稽古も行なわれていた。馬場の責任者である(うまや)奉行は川上伊勢守(藤吉)だった。藤吉は足が速いので、馬など必要ないだろうと誰もが思っていたが、実は、藤吉は子供の頃から馬と一緒に育っていた。

 関東の牧場(まきば)博労(ばくろう)の子として生まれた藤吉は、生まれた時から馬の中で暮らして来たといえた。子供の頃から馬と共に走り回っていたため足が速くなったのだった。当然、馬術も心得ているし、馬の良し悪しを見分ける目も持っていた。そこで、藤吉が廐奉行となり、新しく太郎の家臣になった者たちに馬術を教えていた。

 大通りの右側にも、三河屋、信州屋、大和屋、讃岐屋、奈良屋などの商人の屋敷が並び、その奥の方に町人たちの長屋や職人たちの長屋が建つ予定だった。讃岐屋と奈良屋の間に磨羅寺(まらじ)へと続く参道があり、その参道の両側がこの城下の盛り場だった。

 馬場への入り口の所、城下の中心ともいえる所に小野屋があった。商人たちの中でも一番いい場所で、しかも、一番広い土地を持っていた。小野屋はまだ完成していなかった。藤兵衛たちの住む屋敷と大きな蔵が一つ建っていたが、まだ、大通りに面して建つ店構えはできていなかった。

 小野屋は大通りと稲荷神社へと続く通りが交差する四つ角に面していた。その稲荷神社へと続く通りによって城下は東西に二つに分けられ、西側が武家屋敷の建つ一画となった。小野屋と通りを挟んで、斜め向かいに鬼山銀太の屋敷があった。

 銀太の屋敷はほぼ完成していた。家族たちの住む建物は完成し、今、広間や会所(かいしょ)などの晴れの間のある建物を作っていた。

 その建物の裏に離れがあり、おきさと子供たちが住んでいた。

 おきさがこの城下に移って来たのは先月の初めだった。楓たちが置塩城下から、ここに移って来た日よりも半月程前の事だった。銀太は自分の屋敷よりも先に、おきさの住む事となる、この離れを建てていた。

 銀太はおきさの腹の中にいる太郎の子供をこの離れで産ませたかった。この城下で産めば太郎の側で産む事ができる。生まれて来る子供の事を考えると、山の中の粗末な小屋で生まれたと言うよりも、城下町で生まれたと言う方が、後々、都合がいいような気がした。しかし、間に合わなかった。おきさは離れの完成する三日前に、山の中の鬼山村で男の子を産んだ。その知らせを受けると太郎は鬼山村に飛んで行き、子供と会って、千太郎と名づけた。元気のいい赤ん坊だった。

 太郎は楓に、おきさと千太郎の事は言っていなかった。できれば内緒にしておきたかった。太郎の正妻、楓は赤松家の当主、政則の姉だった。その姉を妻にしながら、他の女に子供を生ませたなどと世間に知れたら大変な事になる。政則としても、そんな男の所に姉はやれないと言い出すかもしれない。せっかく、楓を赤松家から取り戻す事ができたのに、また、奪われるという事もあり得た。太郎が実績を上げて、お屋形様の姉の婿という立場以上に、太郎自身が認められる時になるまでは隠しておこうと思っていた。

 おきさも銀太も太郎の言う事を分かってくれた。おきさにすれば自分が産んだ四人の男の子が太郎の家臣となってくれれば、それでよかった。太郎にはすでに跡継ぎである百太郎がいる。千太郎が跡を継ぐという事はあり得なかった。

 おきさは離れの中庭にいた。

 おきさは山の中にいた頃のように中庭に畑を作って野菜を育てていた。元々、ここは畑だったので土は良かった。

 おきさは太郎の顔を見ると嬉しそうに笑った。

「今、山に行っていた」と太郎は言うと縁側に腰を下ろした。

「みんな、元気だった?」とおきさは手に付いた土を払いながら聞いた。

「ああ。ただ、村中、物凄い臭いだった。あれじゃあ、子供たちにはよくないな。人足たちが大勢、山に入って来たんで遊び場所もなくなったしな。女子供はあそこから移動させた方がよさそうだ」

「みんな、こっちに移って来るの」

 太郎は頷いた。

「ここか、生野だな。生野の城下ができるのは来年以降になりそうだから、取りあえずは、ここに移る事となるだろう」

「そう。みんな、ここに来るの。賑やかになるわね。でも、ここに来てもする事がなくて退屈だわ」

「退屈か‥‥‥」

 楓も退屈だと言っていた。花養院にいた時は朝から晩まで働いて忙しかったが、播磨に連れて来られてから何もする事がなくて退屈だと言う。今は百合の面倒を見ているので退屈だとは言わないが、百合の手が掛からなくなったら、花養院のような孤児院を作って子供たちの面倒でもみようかと言っていた。

 鬼山一族の娘たちは皆、働き者だった。彼女たちがここに来ても何もする事がなかった。銀山のためとはいえ、のどかで静かだったあの村があんな風になってしまって、鬼山一族のためには悪い事をしてしまったのかもしれなかった。彼女たちが子供たちを連れて、ここに来たとしても、やがて、山が恋しくなるかもしれない。しかし、かつての山は、もうなかった。

「千太郎は元気か」と太郎は聞いた。

「元気よ。今、おすぎちゃんが見ててくれてるの。静かになったから、おすぎちゃんも一緒に寝ちゃたんじゃないかしら」

「おすぎちゃんが来てるのか。他の子たちは?」

「おろくさんちの子と遊んでるわ。きっとまた、お寺に行ったんじゃない」

「磨羅寺か」

「そう。あそこの和尚さん、子供たちが何をしても怒らないんですって。いい遊び相手だと思ってるわ」

「そうか。あの和尚も変わってるからな」

 太郎は奥の部屋を覗き、眠っている千太郎とおすぎをチラッと見ると、また縁側に戻った。おすぎというのは銀太の妻、おろくの一番下の妹だった。十六歳の娘で、同い年の助七郎と一緒になる事に決まっているが、十八になるまでは銀太の世話になっていた。

 縁側に戻るとおきさの姿はなかった。

 銀太の屋敷に行ったのかな、と思いながら太郎は野菜畑を見ていた。

 おきさは手を拭きながら帰って来た。ニコニコしながら太郎の隣に座ると、「井戸っていうの、どうも、苦手だわ」と言った。

「どうして」

「だって、山にいた時は、ずっと川の水を使ってたでしょ。何となく使いづらいわ」

「そうか、井戸なんか使った事なかったんだな」

「井戸だけじゃないわ。ここに来て、見た事ないもの一杯見たわ」

「そうだろうな。おきさはここに来てよかったと思うか」

 おきさはしばらく考えていたが、太郎の顔を見つめると頷いた。

「そうか‥‥‥」

「ねえ、お屋形様、今晩は泊まって行けるの」

「いや。駄目だ。今、お客さんが来てるんでな。大事な客なんだ。そのお客が帰ったら、ゆっくりしに来るよ」

「奥方様は大丈夫なの」

「大丈夫だ。うまく抜け出すさ」

「待ってるわ」とおきさは太郎の手を握った。

 太郎はおきさの手を握り返すと軽く抱き寄せ、おきさと別れた。

 来た時と同じく裏口から出ると通りを北に向かった。

 おきさのいる銀太の屋敷の隣には鬼山小太郎の屋敷があった。

 小太郎の屋敷もまだ未完成だった。その隣に材木奉行の堀次郎の屋敷があり、その隣には公人(くにん)奉行の田口弥太郎の屋敷があり、両方共、建設中だった。

 田口の屋敷の正面に評定所(ひょうじょうしょ)があり、その向こうに太郎の屋敷内に建つ月影楼が見えた。

 太郎は月影楼を眺めながら評定所の裏を通って、突き当たりにある敷地の中に入って行った。

 そこは太郎の三人の弟子の家が建つ予定地だった。今、一軒だけ北西の角に家が建っていた。山崎五郎(探真坊)の家だった。

 五郎は三月に鬼山一族の娘おきくと一緒になっていた。おきくはおきさのように五郎の子供を身ごもったわけではなかったが、五郎はおきくに惚れてしまった。おきくも決まった相手がいなかったため、時折、訪ねて来る五郎の事を首を長くして待つようになった。

 二人が初めて会ったのは、去年の八月、銀山を捜しに山に入った時で、その後、九月の半ばと十一月の初めに、五郎は太郎と共に鬼山村を訪ねた。その後、冬の間は太郎は二月に一度、行っただけだったが、五郎は小野屋藤兵衛を連れて、ちょくちょく鬼山村に行っていた。その頃、一緒になる事を決めたらしい。太郎が五郎から相談を受けたのは春になってからだった。但馬進攻のための戦の準備に忙しい頃、太郎は五郎から、その話を打ち明けられた。太郎は五郎の話を聞いて長老と掛け合う事を引き受けた。

 五郎は二十一歳、おきくは二十六歳、五つも年上で、しかも、子供が三人もいた。その三人の子供の父親は、一番初めの子が行方不明になっている助次郎、二番目の子が銀太、三番目の子が助太郎だと言う。五郎はそれを承知で、おきくと一緒になる覚悟を決めていた。太郎は長老と掛け合って許しを得、その日のうちに鬼山村において彼ら流の祝言(しゅうげん)が挙げられた。例によって祝い事は三日間も行なわれ、一緒に行った光一郎と八郎も五郎たちを羨ましそうに眺めていた。彼らも、それぞれ、おこんとおとみを口説いていたらしいが、うまくは行かなかった。

 太郎はさっそく五郎夫婦の屋敷を建てるための土地を捜して家を建てさせた。

 太郎は弟子の三人を自分の屋敷か、武術道場に住ませようと考えていたため、屋敷を建てる土地など用意していなかった。しかし、嫁を貰えば独立させなければならない。光一郎と八郎もそのうち嫁を貰う事になるだろうと思い、三人の家を同じ一画に建てさせようと考えた。その一画は評定所の北で、太郎の屋敷や道場にも近かった。今はまだ、五郎の家しか建っていなかった。

 おきくが子供を連れてここに移って来たのは、おきさと一緒で八月の初めだった。

 おきくは井戸の側で食事の支度をしていた。子供たちは庭で遊んでいた。太郎が入って来るのを見ると、おきくは頭を下げて迎えた。

「ここの暮らしは慣れたか」と太郎は言いながら子供の方に行った。

「はい。何とか‥‥‥」

 おきくの長男の久太郎は八歳で、一つ年上のおきさの長男の紀次郎とは父親が同じだった。太郎は久太郎を眺めながら、紀次郎と似ているな、と思った。二番目の子は四歳の女の子、一番下は二歳の女の子だった。二歳の女の子がよちよち歩きをしながら、太郎の方にやって来た。

「女の子は可愛いいな」と太郎は言った。

「お屋形様も女のお子さんが生まれたそうで、おめでとうございます」とおきくは言った。

「ああ、女の子と男の子の二人が一遍に生まれたわ」

「おめでたい事です」

「まあ、そうだな。ところで、八郎や光一郎の奴らがここにしょっちゅう来てはいないか」

「はい。毎日、来ておりますけど‥‥‥」

「やはりな。最近、俺の所に顔を見せんから、おかしいと思ってたんだ。あんな奴らが毎日、来てたんじゃ邪魔だろう。今度、来たら追い出しても構わんからな」

「いえ。子供たちと遊んでくれるので助かってます。それにしても、あの三人、仲がいいですね」

「三人揃うと、うるさくてかなわんだろ」

「子供たちは喜んでいます。特に八郎さんは面白いって」

「そうか。まあ、適当にあしらってやってくれ」

「はい。分かりました」

 太郎はおきくと別れると武術道場に顔を出して、一汗かくと屋敷に帰った。





大河内城下跡




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