沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




7.最初の負傷兵




 空襲は毎日続いていた。

 二十三日から二十六日までは朝の七時から夕方の五時までだったのが、二十七日は朝の六時から始まった。那覇や首里、それに港川方面は大変らしいが、八重瀬岳の野戦病院にはまだ爆弾や艦砲弾は落ちなかった。初めてここに来た時、照明弾や艦砲の音に(おび)え、眠る事もできなかったのに、ここはまだ安全だとわかると自然と慣れてしまって、皆、グーグー眠っていた。昼間も敵の飛行機さえ気をつければ大丈夫だった。敵の上陸を恐れて防空壕に避難していた富盛(ともり)集落の住民たちも畑に出て仕事をしている姿も見られた。

 内科の患者さんしかいないので、外科勤務の千恵子たちも交替で内科患者の看護に当たった。実際に注射を打ったり、薬を飲ませたり、食事の世話をしたりした。手術室で盲腸の手術の見学もあって、血だらけの患部を見て気を失いそうになった子もいたけど千恵子は大丈夫だった。トヨ子も平気な顔をして興味深そうに見ていた。

 看護勤務でない時は作業だった。富盛の集落に行って、水瓶(みずがめ)や戸板、(たたみ)などを調達したり、非常食としてサトウキビを刈り取ったりした。

 二十七日の勤務が終わった後、高良婦長が三角兵舎に来て除隊者の名を呼んだ。第四外科ではヒロミと和江の二人、第三外科では志津と恵利子、それと看護教育隊に参加しなかったが、直接、富盛まで来て加わっていた文江の三人だった。文江は二日間しか皆と一緒にいないのに除隊になってしまった。皆に会いたいと名護からやって来たものの、看護教育を受けていないので不安になって除隊を願い出たのかもしれなかった。それに、看護婦たちの目も冷たかった。患者もろくにいないのに、役に立たない女学生なんかが大勢来ても仕方がない。野戦病院にいれば食事に困らないから来たのだろう。まったく穀潰(ごくつぶ)しだわと陰口をきいていた。

 内科でも慶子と初子が除隊になっていた。慶子が除隊になると聞いて千恵子は耳を疑った。女医志望の慶子が除隊を希望していたなんて考えられなかった。千恵子はトヨ子を誘って内科の兵舎に行ってみた。

 慶子は澄江、美紀、和美たちに囲まれて、困ったような顔をしていた。

「ほんとにごめんなさい」と美紀と和美が謝っていた。

 千恵子たちを見ると澄江が説明してくれた。十・十空襲以来、体調を崩して通院していた慶子を心配して、美紀と和美が慶子の除隊願いを慶子に内緒に出してしまったのだという。患者さんに実際に注射も打ち、張り切っていた慶子は突然の除隊に驚き、どうしてあたしが除隊なのと愕然(がくぜん)とした。美紀と和美が訳を話して謝り、婦長さんに取り消しを頼んだけど認められなかったという。

「いいのよ、いいの。体調を崩してるのは確かなんだから、今はいいけど忙しくなったら倒れちゃって、みんなに迷惑をかけるかもしれないし」

「本当にごめんなさい」と美紀と和美はもう一度、本当に申し訳なさそうに謝った。

「いいのよ、もう。でも、あたしの家族は今、ヤンバル(国頭)の東村にいると思うんだけど、あたし、どう行ったらいいのかわからないのよ」慶子は不安そうな顔をした。

「志津が久志(くし)村まで行くって言ってたわよ」とトヨ子が言った。「東村て久志村の先でしょ。一緒に行けばいいんじゃない」

 千恵子たちは慶子を外科の兵舎に連れて行って志津と会わせ、宜野湾(ぎのわん)まで行くヒロミも一緒に行く事になった。

 除隊された者たちは、支給された『み号剤』という暗い所でも見えるようになるという薬と鰹節(かつおぶし)乾麺麭(かんめんぽう)(乾パン)を返し、荷物を背負って小雨の降る宵闇(よいやみ)の中を去って行った。無事に家族に会える事を祈りながら、千恵子たちは友達の後ろ姿を見送った。港川方面では相変わらず、艦砲の音が鳴り響いていた。

 二十八日から昼夜二交替の勤務に変わり、第一内科と第三外科が日勤、第二内科と第四外科が夜勤となった。朝晩六時が勤務交替で十二時間労働だという。内務班の時、朝から晩まで休む間もない程、忙しかったので十二時間労働はいいのだが、夜中に起きていて朝まで働くというのは自信がなかった。午前中、サトウキビ刈りをして昼食後は夜勤に備えて眠れと言われた。

 横になったが眠れなかった。千恵子は『啄木(たくぼく)歌集』を広げた。安里先輩から借りた事を皆が知っているとわかってからは隠す事なく堂々と読んでいた。特に安里先輩が赤線を引いた歌は何度も読んで、安里先輩が何を考えていたのか想像したりした。

『それもよし これもよしとて ある人の その気軽さを 欲しくなりたり』

 という歌は千恵子にもよくわかった。晴美やトヨ子みたいに、くよくよ考えないで気軽に行動できる性格をいつも羨ましいと思っていた。

『何がなしに 息きれるまで 駈け出してみたくなりたり 草原などを』

 この歌も何となくわかった。安里先輩はどんな気持ちでこの歌を読んだのだろう。何か悩み事でもあって、それを忘れようとしてたのだろうか。

『教室の窓より逃げて ただ一人 かの城あとに寝にゆきしかな』

 安里先輩が授業をさぼって首里城で昼寝をしている姿が浮かんで面白かった。安里先輩は何の授業を抜け出したのだろうかと考えていると隣に寝ているトヨ子が声を掛けて来た。

「なあに」とトヨ子を見るとノートに何かを書いていた。

「ねえ、外科の第四病棟って、寝台がいくつあったっけ」トヨ子は病院壕の見取り図を書いているようだった。あまり、うまいとは言えないけど。

「四十とか言ってなかった」と千恵子は言った。

「いいえ、もっと多かったような気がするのよ。それと薬局はどこにあったっけ」

 トヨ子は自分が書いた図を千恵子に見せて、ここだったかしら、こっちかしらと言ったけど、千恵子もよく覚えていなかった。

「ねえ、これから行ってみない」とトヨ子は言った。

「行くってどこに」

「病院壕に決まってるじゃない。勤務場所で迷子になったら恥ずかしいでしょ。今のうちによく知っておいた方がいいわ」

 怖いからいやよ、とは千恵子には言えなかった。トヨ子は隣に寝ている信代にも声を掛けて、三人でそっと抜け出した。

 草むらに隠れながら山の方を見ると千恵子たちの宿舎の真後ろあたりに第二坑道の入口があった。一番右端の第一坑道ではモッコを担いだ兵隊が出入りしているが、第二坑道に人影は見えない。

 空を見上げて、敵機がいない事を確認すると、「行くわよ」とトヨ子が声を掛けた。三人は真っすぐに第二坑道へと向かった。

 入口を擬装している木の枝を少しずらして坑道の中に入った。誰にも見つからなかったので、ホッとしていると、「何よあれ」と信代が叫んだ。

 坑道の入口から北の方を見ると真っ黒な煙の上を物凄い数の敵機が飛び回っていた。

「凄い」と千恵子は思わず言って口をつぐんだ。那覇はもうメチャメチャになっているに違いなかった。五ケ月間暮らしたあの小屋も吹き飛ばされたに違いない。父は無事だろうか。もしかしたら県庁もやられて、城岳(ぐすくだけ)の防空壕に避難しているのだろうか。県民のためにと無理な事をしなければいいのにと思った。

 艦砲弾が撃ち込まれている港川はここからは見えなかったが、港川の上空も真っ黒な煙が立ち昇っているに違いなかった。

「敵機が来る」と信代が叫んだ。

 編隊を組んだ敵の戦闘機が何十機とこちらに向かって来た。敵機は速く、見る見る近づいて来る。

「危ない」と千恵子は叫び、思わず身を伏せた。爆音を響かせて敵機はあっと言う間に上空を過ぎて行った。トヨ子も信代も身を伏せていて爆音が過ぎるとホッとしたように顔を上げた。

「行くわよ」とトヨ子が言って、千恵子と信代はトヨ子の後に従った。

 三日前に入った時よりも薄暗いような気がして気味が悪かった。第二坑道は右側だけに二段の寝台が並んでいた。

「ここは患者さんの搬入口よ」と千恵子は思い出した。「薬局はこの先だわ」

「そうね。突き当たりに手術室があったんだわ」とトヨ子も思い出していた。

 中央の坑道を抜けて、真っすぐ行くと左側に部屋があった。

「ここが薬局よ」と千恵子が言うと、「ここは倉庫よ」と信代が言った。倉庫なんてあったかしらと千恵子は思ったが、そう言われてみれば、少し狭いような気がした。

「こっちよ」と先に行っていたトヨ子が右側を指さした。そこの方が広い部屋だった。三人は部屋の中に入った。この前来た時は何もなかったけど、奥の方に棚ができて、棚の上にランタンが置いてあった。

「ここが薬局ね」と千恵子が言ったら、

「おい、誰だ」と突然、声を掛けられた。三人は思わず悲鳴を上げた。

 振り返ると箱を抱えた兵隊が立っていた。どうしよう、怒られると千恵子はビクビクした。

「第四外科病棟の補助看護婦、長嶺トヨ子以下二名、高良婦長殿より命じられ、薬局の位置や各病棟の寝台の数を調べております」トヨ子は堂々としていた。

「おお、学徒さんか。ご苦労だな。ここが薬剤室だよ」そう言うと兵隊は部屋の中に入って来て、抱えていた箱を置いた。襟章を見たら伍長だった。

「まだ何もないが、この棚に薬品が並ぶはずだ。薬剤師の金井中尉殿がおられる事になろうが、多分、俺もここで働く事になろう。俺は野中伍長だ。薬剤室に用があったら何でも言うがいい」

「はい。よろしくお願いします」

「うむ、第一坑道と第五坑道はまだ工事中だから近づかない方がいい。充分に気をつけるんだよ」

 千恵子たちは人のよさそうな野中伍長に敬礼をして、手術室の方へ向かった。

「さすがね」と千恵子は感心した。トヨ子が側にいると本当に心強かった。

 手術室はこの前と同じで何もなかった。左に曲がって第三坑道に向かった。

「ここが第四外科でしょ。数えるわよ」とトヨ子は寝台を数え始めた。第三坑道を入口の方に向かい、中央坑道に出た。

「第四外科は四十四ね」

「うん、四十四だったわ」

「四十四人を十一人で看護するって事は一人で四人という事ね」と信代が言った。

「その倍よ」とトヨ子が言った。「日勤と夜勤に分かれるから五人か六人で四十四人を見るのよ」

「すると八人から九人だわね」

「そんなにも見られるかしら」千恵子は不安だった。

「今からちゃんと覚悟しておかなくちゃあね」

 第三外科の寝台の数も四十四だった。ついでに第四坑道にも行って、第一内科と第二内科の寝台の数も調べた。第二内科は四十四だったけど、第一内科は第五坑道への通路があるため二つ少ない四十二だった。

「ねえ、本部も見て行きましょうよ」とトヨ子が言った。

「本部はまだ工事中って言ってなかった」と信代が言った。

「ちょっと覗いてみましょ」とトヨ子は気楽に言って、第五坑道へと抜ける通路に入って行った。千恵子と信代は慌ててトヨ子の後を追った。薄暗い通路を抜けると第五坑道に出た。兵隊たちが奥の方に太い竹や板切れを運んでいた。

「怒られるわよ」と千恵子は小声で言って、トヨ子の(そで)を引いた。トヨ子もうなづいて、引き返そうとした時、「どうした、迷子になったのか」と誰かが言った。

 見ると薬剤室にいた野中伍長だった。野中伍長はまた箱を抱えていた。どうやら、薬品を運んでいるようだった。

「いえ、本部の位置も頭に入れておけと言われましたので」とトヨ子が言った。「野中伍長殿、本部を見学してもよろしいでしょうか」

「本部か。まあ大丈夫だろう。俺に付いて来い」

 野中伍長は千恵子たちのいる通路に入って来た。

「第五坑道はまだ工事中でな」そう言いながら第四坑道に出ると、抱えていた箱を寝台の上に置き、奥の坑道の方に向かった。奥の坑道を左に曲がるとすぐ左側に通路があった。通路を覗くと兵隊たちが寝台を作っていた。

「この通路は、さっきの第五坑道なんですか」とトヨ子が聞いた。

「そうだ。ここは衛生兵たちの宿舎になる」

「斜めに掘ってあるんですか」と信代が聞いた。

「そうだ。ここは本部専用の通路なんだよ。患者の中を通らずに外に出られるように作ったんだ」

 真っすぐに行くと右側に部屋があって、病院長の安井少佐殿が入る隊長室だと教えてくれた。部屋の中はまだ何もなかった。隊長室の向かい側には壁に沿って寝台が並んでいて、軍医たちの寝台だという。

「寝台も立派なんですね」と信代が言った。

 千恵子は気づかなかったが、よく見ると病棟にある寝台よりも幅が広く、作りも丁寧で寝心地もよさそうだった。

「何事も将校は待遇が違うんだよ」と野中伍長は当然の事のように言った。千恵子は本部勤務の晴美から聞いた話を思い出した。

「病院長さんや軍医さんたちは勤務の時は本部にいるけど、三角兵舎には寝泊まりしないで、富盛の民家を借りて住んでるのよ。噂ではチージ(辻遊郭)のジュリ(遊女)も一緒にいるらしいわ」

「えっ、ほんとなの」と千恵子が驚くと、晴美は意味ありげな顔して、「夜は一緒にお酒を飲んで、昼は炊事場のお手伝いをしてるんだってさ」と言って笑った。

 軍医たちの寝台が並んでいる先の右側が大きな部屋になっていて、そこが本部だった。

「中央に大きな机が置かれ、軍医殿や婦長殿が顔を突き合わせて、作戦を練る事になる。もっとも、ここは病院だから作戦を練ると言っても、負傷兵の治療に関する相談をするというわけだ」

 晴美たちもここで働くのかと思いながら、広い部屋の中を見回した。それにしても、山の中に、これ程立派な地下壕を掘るなんて、凄いと感心するよりなかった。これだけの技術があれば、日本の勝利は間違いない。患者さんがいっぱいになる前に、きっと、戦争は終わるだろうと確信した。

 野中伍長と一緒に薬剤室のある第二坑道まで行き、中央の四つ角で別れた。お礼を言って千恵子たちは入口に向かった。外の景色を見るとホッとしたが、目の前に見えるのは信じがたい敵の襲撃場面だった。

 その夜、千恵子たちは初めての夜勤を経験した。一緒に夜勤をする第二内科には澄江や由紀子、美紀たちがいた。澄江が千恵子の側にやって来て、「和美と朋美は将校病棟の勤務になったのよ」と告げた。

「えっ、二人だけで?」

「そうなのよ。どうして二人が選ばれたのかわからないけど、偉い人の看護をするなんて、何となく、いやよね」

 千恵子は将校病棟に入院していた偉そうで気難しそうな顔をしていた四人の将校を思い出して、あたしもいやよと言うようにうなづいた。

 正看護婦も二人いた。一人は東風平(こちんだ)の教育隊の時からお馴染みの新垣(あらかき)看護婦、もう一人の大城看護婦は二高女の先輩で、千恵子の姉と一緒に県立病院の養成所に通っていた人だった。

 最初の仕事は水汲みと飯上げで、第二内科が飯上げ、第四外科は水汲みを命じられた。千恵子たちは天秤棒(てんびんぼう)一斗罐(いっとかん)を持って富盛集落の井戸まで行き、水を汲んでは三角兵舎まで運んだ。内科病棟と将校病棟、それに患者さんのいない外科病棟や手術室の水瓶も新しい水に替えなければならなかったが、人数が多かったので四往復しただけで仕事は終わった。

 内科病棟に戻ると患者さんたちはもう夕食を済ませ、第二内科の生徒たちが看護婦と一緒に食事をしていた。千恵子たちも慌てて食事を済ませた。余ったご飯は勤務者の夜食にするため、おにぎりを作った。その後は、患者さんの数より看護婦の方が多いので、仕事と言える程の事もなく、患者さんたちが眠ってしまい夜が更けるに従って、ただひたすら眠気と戦っていた。

 真夜中、誰かが外で騒いでいた。千恵子たちは薬の空きビンにガーゼで作った(しん)を入れてランプをいくつも作っていた。正看護婦の二人が何事かと外に出た。

「おーい、山部隊の野戦病院はここか」と誰かが言っていた。

「ここよ。何があったの」と新垣看護婦が聞いた。

「艦砲にやられた。港川から来たんだ」

「こっちよ。早く連れて来て」

 担架(たんか)に乗せられ、二人の衛生兵に運ばれて来た負傷兵は意識不明状態だった。艦砲にやられたと聞いて、血だらけの患者さんだと思ったら、傷らしいものは見当たらず、血も出ていなかった。

「誰か軍医殿と婦長さんを呼んで来て」大城看護婦が言って、側にいたトヨ子と由紀子がうなづいて出て行った。

 負傷兵は新垣看護婦の案内で手術室の方に運ばれた。第二内科の者はここに残り、第四外科の者は手術室の方に行くよう言われ、千恵子たちは負傷兵を追って手術室に向かった。

 負傷兵は手術台の上に寝かされ、新垣看護婦は負傷兵を運んで来た衛生兵から負傷兵の名前と所属部隊を聞き、どんな状況だったのかを詳しく聞いた。千恵子たちは大城看護婦に命じられて、火のついたローソクを二本づつ持って手術台の回りに立った。やがて、トヨ子たちが梅沢軍医と高良婦長、それに二人の看護婦を連れて来た。

 新垣看護婦が梅沢軍医に負傷兵の事を報告している間に、二人の看護婦は負傷兵の軍服をハサミで切って脱がせた。あっと言う間に負傷兵はふんどし一つの裸にされた。ローソクの光に照らされた負傷兵の体にはどこにも傷はなく、彫刻のような立派な体格をしていた。顔を見ると二十五歳位で、まるで眠っているかのような静かな顔付きだった。

 梅沢軍医は新垣看護婦の報告を聞き終わるとうなづいて、手術台の側に来て診察をした。負傷兵の目を開き、体のあちこちを触り、口の中を見て、首を振ると、「爆風を飲んだな」と言った。

 梅沢軍医は手術台から離れ、手を洗いながら高良婦長に何かを指示すると帰って行った。梅沢軍医と一緒に来た二人の看護婦も帰って行った。

 新垣看護婦が負傷兵にカンフル注射を打っただけで、治療は終わったようだった。千恵子たちはローソクの火を消して、大城看護婦が指示した所に置いた。

 負傷兵を連れて来た衛生兵が負傷兵を手術台から担架に乗せて、隣の外科病棟に運んだ。千恵子たちも外科病棟に移動した。負傷兵は寝台に移され、毛布が掛けられた。衛生兵たちはうなだれたまま、隣の寝台に座り込んでいた。千恵子たちには負傷兵がどうして意識不明なのか、さっぱりわからなかった。

 高良婦長がキョトンとした顔で立ち尽くしている生徒たちを集めた。

「あの患者さんは紺野見習士官殿よ。港川で艦砲弾にやられたらしいの。外見は何ともないように見えるけれど、爆風にやられて内蔵はメチャメチャになっているの。残念ながら助かる見込みはないわ。これからもああいう患者さんが運ばれて来るでしょうから、よく覚えておきなさい。駄目だとわかっていても決して諦めてはいけないわ。患者さんを助けるために必死の努力をするのが私たちの仕事なのよ」

 千恵子たちは先を争って、汗を拭いてやったり手足の汚れを落としてやった。死んでしまうにはあまりにも若すぎた。時々、苦しそうに(うな)るだけで、何を言っても返事はなかった。数時間置きにカンフル注射を施したが、紺野見習士官は千恵子たちの見守る中、夜明け近くに亡くなってしまった。

 戦死者を初めて目の前に見て千恵子は震えが止まらなかった。シクシク泣いている子もいて、千恵子の目にも涙が溜まってきた。







山部隊第一野戦病院の推定図


港川



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