酔雲庵

無住心剣流・針ヶ谷夕雲

井野酔雲










 焚き火の火が揺れている。

 岩屋の中で五郎右衛門とお鶴は酒を飲んでいた。

 お鶴が持って来たローソクがあちこちに灯され、岩屋の中は昼間のように明るかった。

「こういう所で飲むお酒も、また格別だわね」

 お鶴は新しい藁束(わらたば)の上に座って、ニコニコしていた。

「わしはこの酒、飲んだ事あるぞ」と五郎右衛門はお椀の中の酒を見つめた。

「あら、そう。伊豆のお酒らしいわよ。なぜだか、お寺にいっぱいあるわ」とお鶴は両手を広げてみせた。

「観音様が持って来た酒と同じじゃ」

「観音様?」

 お鶴には五郎右衛門が何を言っているのかわからなかった。

「ああ。あいつじゃ」と五郎右衛門は岩棚の上の観音様を指さした。

「あんた、真面目な顔して、わりと冗談ばっか、言う人ね」

 お鶴は眉を寄せて横目で五郎右衛門を見た。

「夢の中の話じゃ‥‥‥しかし、この味は夢の中とそっくりじゃ」

「久し振りにお酒を飲んだから、そう思うんじゃないの」

「うむ。かもしれんのう‥‥‥そう言えば、そなた、観音様に似てるな」

「あたしが、あの観音様に?」

 馬鹿言わないでよというふうに、お鶴は酒を飲んだ。

「あんな達磨(だるま)さんのように太った観音様にあたしが似てるって?」

「いや。あれじゃなくて最初の観音様じゃ」

「なによ、最初の観音様って。まだ、他にも観音様がいるの」

「いや‥‥‥夢の中の観音様にそっくりだったんじゃ」

「ふうん。どうして、あなたの夢に観音様が出て来たの」

「知らん。きっと、ここの守り本尊が出て来たんじゃろ」

「ああ、あの壁に彫ってある観音様ね。あれが、あたしに似てるの」

「夢の中の観音様は、そなたと同じように、そこで酒を飲んでいたんじゃ」

 五郎右衛門は夢の中の観音様を思い出していた。なまめかしい体はすぐに思い出せたが、なぜか、顔が思い出せなかった。どうしても、お鶴の顔と重なってしまう。

「へえ。観音様がお酒をね‥‥‥」

「ただ、観音様はそんなに厚着じゃなかった。透け透けの着物を着ていたがのう」

 お鶴は自分の着物を見つめ、「いいわ。あなたの観音様になってあげる」

 お鶴は立ち上がると、しなを作りながら厚い打ち掛けを脱いだ。脱いだ打ち掛けを片隅の藁の上に放り投げると、「どう?」と色っぽく笑った。

「もっと、薄着じゃった」

「焦らないでよ。徐々に脱いであげるからさ」

 お鶴は座ると酒を飲んだ。

「あたしが観音様ならあなたは仁王様ね。あたしをちゃんと守るのが仕事よ」

 花柄模様を散りばめた小袖(こそで)姿となったお鶴は、また(いき)だった。

「そういう事じゃな」

「でも、ほんとに、この中はあったかいわ」

「冬を越すには穴に籠もるのが一番じゃ」

「熊みたい。ねえ、五右衛門さん。あなた、江戸に行った事ある」

「ああ」

 お鶴は相変わらず、五郎右衛門の事を五右衛門と呼んでいた。五郎右衛門も一々、訂正するのが面倒臭くなっていた。

「そう。あたし、行ってみたいわ。浅草に観音様がいるんでしょ」

「小さな黄金の観音様がいるらしい。わしは見た事ないがのう」

「仁王様も?」

「でっかい仁王様が二人、入口で頑張ってるよ」

「ちっちゃい観音様を守るのに、でっかい仁王様が二人もいるの」

「そうじゃ」

「さすがね。でも、あたしはあなた一人でいいわ。二人なんて無理よ。体がもたないわ」

 お鶴は肩をすくめて酒をなめた。

「お鶴さん。そなた、何を考えてるんじゃ」

「何って、観音様の事じゃない。ねえ、もっと、江戸の事、聞かせてよ」

「わしは江戸にいた時も剣術の事しか考えてなかったからな。あまり知らんよ」

「じゃあ、何でもいいわ。お話、聞かせてよ。何か面白いお話ない」

「それじゃあ、一つ、昔話でもしてやろう」

「色っぽいのを頼むわ」

 お鶴は五郎右衛門の側に行くとお酌(しゃく)をした。

「わかっておる」と五郎右衛門は一口、酒を飲むと話し始めた。

「昔々、ある所にお爺さんとお婆さんがおったとさ。お爺さんは山に柴刈りに‥‥‥」

「ちょっと待って」とお鶴は五郎右衛門の肩をたたいた。

「それ、もしかしたら桃太郎じゃない」

「当たり」と五郎右衛門は(こぶし)をお鶴の前に差し出した。

「桃太郎くらい、あたしだって知ってるわよ」

 お鶴は五郎右衛門の拳を払うと、「どこが色っぽいのよ」とふくれた。

「桃から生まれた桃太郎が龍宮城に鬼退治に行って、乙姫様としっぽり濡れるんじゃろ。色っぽいじゃないか」

「どこが? 帰って来たら、おいぼれ爺さんの鶴になって、どこかに飛んで行くだけじゃない。鶴は千年、亀は万年、めでたし、めでたし。もっと他にいいお話ないの」

 お鶴は五郎右衛門の膝を揺すった。酒がこぼれそうになり、五郎右衛門は慌てて口に持って行った。

酒呑童子(しゅてんどうじ)はどうじゃ」

「駄目」とお鶴は横目で睨みながら酒を注いでくれた。

「そんなの、つまんないわ」

「面白いぞ。源頼光(みなもとのよりみつ)が四天王を引き連れて、大江山に乗り込んで行くんじゃ」

「つまんないったら」とお鶴は五郎右衛門の口をふさいだ。

「ただの鬼退治じゃない。あなた、鬼退治しか知らないのね」

「それじゃあ」と五郎右衛門は焚き火をかきまぜながら考えた。

「一寸法師も駄目」とお鶴は五郎右衛門の心の中を見破った。

「そうか‥‥‥それじゃあ『夢ケ池』ってのはどうじゃ」

「なに、それ?」

 お鶴は興味深そうな目を向けた。

「悲しい恋の物語」と五郎右衛門は自信たっぷりに言った。

「うん。それ、行ってみよう」

 お鶴は嬉しそうに酒を飲んだ。

 五郎右衛門は焚き火に枯れ枝をくべた後、お鶴の顔を見つめながら話し始めた。

「昔々、まだ武蔵野が一茫の野原での、江戸という地名はもとより、人家もほとんどなかった頃の事じゃ。浅茅(あさじ)ケ原と言ってのう、今の浅草辺りらしいんじゃが、そこにポツンと一軒のあばら家があったんじゃ。ちょっと、待て‥‥‥この部屋、明る過ぎるぞ。こう明るいと雰囲気が出ん」

 お鶴も回りを眺めて、「そうね」とうなづいた。

「これじゃあ、雰囲気でないわね。お酒を飲むには焚き火だけの方がいいみたい」

 二人は部屋中のローソクを消して回った。

「これでいいわ。まず、乾杯ね」

 二人は一息に酒を飲み干し、新たに注いだ。「ねえ、続けて」

「うむ。昔々、何もない武蔵野の野原にポツンと一軒のあばら家があったんじゃ。それは汚い小屋じゃったらしいが、長旅を続けて、疲れている旅人にとっては極楽だったんじゃな。なにしろ、辺り一面、原っぱで、家なんか何もないんじゃ。仕方なく、野宿しようかと思っていると、ポツンと明かりが見えて来る。旅人はその明かりに引かれて、一夜の宿を頼むわけじゃ」

「わかるわ、その気持ち‥‥‥特に寒い冬の野宿はとても辛いもの」

「ほう‥‥‥」と五郎右衛門は以外そうにお鶴を見た。武家娘のお鶴にそんな経験があるとは信じられなかった。

 お鶴は昔を思い出しているのか、しんみりとした顔で焚き火を見つめていたが、続けて、と言うように五郎右衛門を見た。

 五郎右衛門はうなづき、話を続けた。

「そこに住んでるのは老婆と娘の二人っきりでな。その娘っていうのが、えらく綺麗なんじゃよ」

「ねえ、ねえ、あたしとどっちが綺麗」

 お鶴は陽気に戻った。

「そうじゃな。そなたの方が綺麗じゃろう」と五郎右衛門が言うと、お鶴はうんうんと喜んだが、「婆さんよりはな」と付け足すと、「なによ、この」と五郎右衛門の肩を押して、フンと横を向いた。

 五郎右衛門はコロコロと気持ちの変わるお鶴を面白そうに眺めていた。

「それで、その娘っていうのは色白で目元涼しく、その美しい顔には何とも言えん哀愁がただよっているんじゃ。それがまた魅力でな」

「あたしみたい」とお鶴はまた、嬉しそうな顔を突き出した。

 五郎右衛門はうなづいてやった。

「それで、旅人なんじゃが、その娘の美しさに放心して、ある者は恋人を思ったり、ある者は故郷に残して来た妻の事を思うんじゃ」

「思うだけで、その娘には手を出さないの」

「出した奴も中にはいたじゃろうな」

「あなたみたいにね」

 お鶴は五郎右衛門の顔を指で突っついた。

「うるさい。黙って聞いてろ」

 五郎右衛門はお鶴の指をつかもうとしたが、お鶴は素早く引っ込めて、舌を出して笑った。

「どこまで、話したっけ」

「旅人が娘を口説く所よ。娘はいやよ、駄目よと言いながら、旅人を()らすの」

「違うわ‥‥‥娘じゃなくて、老婆じゃ」

「えっ、あなた、老婆も口説いたの」

「馬鹿、わしの話をしてるんじゃないわ。その老婆っていうのはの、実は鬼婆なんじゃ。旅人が旅の疲れでぐっすり眠ってしまうと‥‥‥」

「いいえ、それは違うわ」とお鶴は(そで)を振り上げ、五郎右衛門の話をさえぎった。

「その旅人はね、娘を抱いたから疲れたのよ。そういういい女ってえのは男を疲れさすものなのよ」

 お鶴は自分で言って自分でうなづいていた。

「そうかい」と五郎右衛門は相手にならなかった。

「とにかく、旅人はぐっすり眠ってるんじゃ。老婆は石でもって旅人の頭を砕いて殺し、身ぐるみを剥がすと死体は近くの池に投げ捨てた。そうやって、老婆は何人もの旅人を殺して旅人の持ち物を盗んでいたんじゃ」

「娘はそれを黙って見てたの」

「そこが悲しい所なんじゃ。老婆っていうのは娘の母親なんじゃが、そんな事やめてくれって言っても聞いてはくれん。旅人は助けてやりたいが、それには母親の悪事をすべて、さらけ出さなくてはならん。小さな胸を震わせて、毎日、悩んでいたんじゃよ」

「とか何とか言っちゃって、本当は自分も楽しんでたんじゃないの。きっと、その娘、淫乱なのよ」

 お鶴はそう決めつけると足を崩して酒を飲んだ。

「おい、勝手に淫乱にするな」と五郎右衛門は酒を飲み、とっくりに手を伸ばした。

「それで、どうしたのさ」

「ある日の夕暮れ、一人の旅人があった。それが見目麗(みめうるわ)しいお稚児(ちご)さんじゃ」

「あんた、お稚児さんにも興味あるの」

 お鶴は五郎右衛門を指さし、変な目付きをして見た。

「わしじゃない、娘の方じゃ。娘がその稚児に一目惚れしたんじゃ。そこで、娘は考えた」

「可愛いちっちゃな胸で?」

「そうじゃ」

「そのお稚児さんと駈け落ちしようと?」

「うむ、そうすればよかったんじゃけどな、娘にはできなかった」

「どうして」

「母親を一人残して行けなかったんじゃ」

「おや、優しい娘だこと」

「その夜も稚児が眠ってしまうと、老婆は手慣れた石で頭を一気に砕いたんじゃ。ところが、明かりを近づけた老婆は悲鳴をあげると共に、その死骸に取りすがって泣いたんじゃよ」

「もしかして、娘だったの」

 お鶴は身を乗り出して聞いて来た。

「そうじゃ。稚児を助けるために娘は自分の命を捨てたんじゃよ」

「それで?」

「おしまい」

「お稚児さんはどうなったの」

「腰を抜かして小便を漏らして逃げて行ったんじゃないのか」

「情けないわねえ。その娘が可哀想じゃない。どうして、そんな男のために命を捨てるのよ。わかんないわよ」

 お鶴は口をとがらせて、とっくりに手を伸ばした。

「娘は稚児だけじゃなく母親も救ったんじゃ」

「母親はどうなったの」

 お鶴は酒を注ぎながら興味なさそうに聞いた。

「尼さんになって自分が殺した死者の菩提(ぼだい)(とむら)ったんだとさ」

「めでたし、めでたしね‥‥‥ねえ、もっと、(つや)っぽいお話はないの」

「そうじゃのう‥‥‥おい、話が一つ終わったら一枚脱ぐんじゃなかったのか」

 お鶴は目を丸くした。

「何ですって? 誰がそんな事言ったのよ」

「徐々に脱ぐって言ったろ」

「そうね、いいわ」

 お鶴は笑うと立ち上がり、「一枚だけよ」と帯を解き始めた。

「いいぞ」と五郎右衛門は手をたたいた。

 お鶴は踊りながら帯をはずして口に挟むと、小袖を脱ぎ、前に脱いだ打ち掛けの上に放り投げた。花柄模様の小袖の下に現れたのは、薄い梔子(くちなし)色の小袖だった。

 お鶴は帯を締め直すと、くるりと一回りして見せた。粋な花柄模様に比べて、今度はしっとりと落ち着いた感じになった。

「いかが?」

 お鶴は舞いながら、五郎右衛門の側まで戻って来ると聞いた。

「うむ、色っぽいのう」と五郎右衛門は腕組みをして、お鶴の舞を眺めていた。

「ありがとう」

 お鶴は五郎右衛門の肩に手を置きながら隣に座り込んだ。

「あと三枚よ。頑張って」

「まだ三枚もあるのか」と五郎右衛門はお鶴の襟元を覗いた。

 小袖の下に萌黄(もえぎ)色と白い下着が覗いていた。

「だって、寒いんだもの。でも、ここはあったかくていいわ」

「全部、脱いでも大丈夫じゃ」

「やらしいわね」とお鶴は五郎右衛門の肩をたたいた。

「さあ、うんと色っぽいの話して」

「よし」

 五郎右衛門は枯れ木を焚き火にくべながら、「どこかの殿様が愛する(めかけ)のアソコを食っちまったっていう話はどうじゃ」と聞いた。

「アソコって?」

「ここじゃ」

 五郎右衛門はお鶴の股の辺りをさわった。

「この、すけべ」

 お鶴は五郎右衛門の手を払うと、「あんた、ちょっと変態じゃないの」と眉を寄せて睨んだ。

「馬鹿者、わしがそんな物を食うか。その殿様だって好きで食ったわけじゃない。だまされて無理やり食わされたんじゃ。色々と女どもの嫉妬がからんでるんじゃよ」

「やめてよ。そんな気色わるい話。今度は純愛物がいいわ」

「そんなもん、わしが知るか。今度は、そなたがやれ」

「そうね‥‥‥」

 お鶴は落ちている藁屑を拾うと、それをもてあそびながら考えていた。

「まあ、飲め」と五郎右衛門はとっくりを差し出した。

 お鶴は笑うと空のお椀を手に取った。

「八百屋のナナちゃんのお話、知ってる?」

「知らん」

「じゃあ、話してあげる。ある年にね、江戸で大火事が起こるの」

「そういえば、江戸はよく火事が起こる所じゃったのう」

 五郎右衛門は酔っ払って寝ていた時、火事に見舞われて、やっとの思いで逃げ出した時の事を思い出した。丁度、今頃の寒い時期で道場も焼けてしまい、毎日、震えながらも稽古だけは続けていた。

「へえ、そうなの。じゃあ、このお話、実際にあった事かもしれないわね。八百屋のナナちゃんの家も焼け出されてね、お寺に逃げ込むのよ。ナナちゃんはまだ十五で、それはもう初々しくて可愛いの。あたしみたいよ」

「十年前のそなたじゃな」

「ううん」とお鶴は五郎右衛門の手の甲をつねった。

「いてっ!」と五郎右衛門は手の甲を撫でた。

「可愛いナナちゃんはね、お寺の境内を散歩してたのね。そして、寺小姓(てらこしょう)のヨッちゃんていう美少年と出会うわけ」

「それは十年前のわしじゃな」

「ハハハ、笑わせないでよ、あなたが美少年だって‥‥‥」

 お鶴は大口をあけて笑ったが、五郎右衛門の顔をじっと見つめると、「かもしれないわね」とつぶやいた。

「あたしたち、十年前に会ってたらよかったのにね。二人ともまだ初々しくて‥‥‥あなた、十年前、何してたの」

「十年前か‥‥‥江戸で剣術の修行してたのう」

「あなたはいつでも剣術なのね」

「そなたは何やってた」

「あたし? 十年前はね‥‥‥」

 お鶴は一瞬、ぼうっとしていたが頭を振ると、「もう忘れたわ」と言った。

「ええと、ナナちゃんとヨッちゃんはね、お寺の境内で偶然、出会ったのよ。その出会いが、また可愛いのよ。ヨッちゃんの指にとげが刺さって困ってたの。それをナナちゃんが優しく抜いてあげるのよ」

「そのお返しに、今度はヨッちゃんがナナちゃんにとげを刺してやったんじゃな。優しく、太い奴を」

「なに言ってるの、この馬鹿。それが縁で、二人はこっそり会うようになるの。境内の木陰や物陰で幼い恋が芽生えたのよ」

「とげの抜きっこをするんじゃな」

「とげはもういいのよ」

「抜いたり刺したりするんじゃないのか」

 お鶴がまた、五郎右衛門の手の甲をつねろうとしたので、五郎右衛門は慌てて手を引っ込めた。

 お鶴は笑った。

「ところがね、焼けたナナちゃんの家がなんとか住めるようになったんで、二人は別れなければならなくなったの。つらい別れだったわ。家に帰ったナナちゃんは悲しいくらい、ヨッちゃんの事を思って苦しんだわ。会いたいけど会えない‥‥‥」

「どうして、会えないんじゃ。会いに行けばいいじゃろう」

「あんたにはわかんないのよ、恋に悩む切ない乙女心が。ナナちゃんはとても内気で、そんな大それた事なんてできなかったの。でも、下女に頼んで、手紙のやり取りはしてたみたい。だけど、とても、そんな事だけじゃ耐えられないわ。悩んでいるうちに一つの考えがひらめいたの。『もう一度、火事になればいいんだわ。そしたら、また、ヨッちゃんに会える』初めのうちは、そんな事はしちゃいけない、しちゃいけないって思ってたけど、とうとう、恋心の方が勝っちゃったのね」

「火を点けたのか」

「そう、放火したの。でも、失敗してね、人に見つかって火は消されてしまうし、自分は捕まってしまうのよ。放火の罪は火あぶりの刑よ。ナナちゃんは素直に放火の事を白状しちゃったわ。そして、火あぶりになって死んじゃったのよ」

「熱かったじゃろうのう。で、男の方はどうしたんじゃ」

「自殺しようとしたけど人に止められて、高野山(こうやさん)に登ったわ」

「ふん、つまらねえ男じゃ」

「あなたなら、どうする」

「こうするよ」と五郎右衛門はお鶴の腰を抱き寄せた。

「フフフ、優しくしてね。まだ十五の乙女なんだから」とお鶴は五郎右衛門にもたれ掛かって来た。

「十五の乙女にしては酒臭えのう」

「お互い様でしょ」

 二人は藁の上に倒れ込んだ。

「ねえ、この刀、痛いんだけど」

「わかった」と五郎右衛門は脇差を抜いて脇に置くと、お鶴の上に重なった。

「これも邪魔なんじゃがの」

 五郎右衛門はお鶴の帯を引っ張った。

「まったく贅沢ね。でも、汚れそうだから脱ぐわ」

 お鶴は起き上がると帯を解き始めた。

「ねえ、お互いに余計な物は、みんな、脱いじゃいましょ」

「そうするか」と言いながらも、五郎右衛門はお鶴が着物を脱ぐのを眺めていた。

「最高の酒じゃな」

 お鶴は色っぽいしぐさをしながら、梔子色の小袖を脱ぎ、萌黄色の下着姿となった。萌黄色の下着もパァッと脱いで、白い下着姿になるとお鶴は五郎右衛門に背を向けた。鶴のように舞ながら藁の敷いてある片隅に行き、すべてを脱ぐと、「寒いわ」と言って脱ぎ散らかした着物の上に寝て、打ち掛けをかけた。

 五郎右衛門も着物を脱ぎ捨てると、お鶴の打ち掛けの中に入った。

「寒い」とお鶴は五郎右衛門に抱き着いて来た。

 お鶴の体は暖かかった。五郎右衛門はお鶴の背中を優しく抱いた。

「ちょっと、このヒラヒラしてるの邪魔よ」

 お鶴が顔を上げると言った。

「まだ、いいじゃろう」

「臭いのよ」

「そうか‥‥‥」

 五郎右衛門はふんどしをはずした。

「あら、元気いいのね」とお鶴は握りしめた。

「そなたがいい女子(おなご)じゃからのう」

 五郎右衛門もお鶴の股間をまさぐった。

「あら、嬉しい‥‥‥うぅ〜ん‥‥‥あたしのね、一番感じる所、ここよ」

 お鶴は五郎右衛門の手を横腹に持って行った。

「ここか」

「そう、そこを撫でられると、ゾクゾクってするの」

 五郎右衛門はお鶴の乳房に顔をうずめながら、横腹を優しく撫でた。

「うん、いいわ‥‥‥痛い!」

「どうした」

「これよ」とお鶴は藁の中から石を取り出した。

「背中の下にあったのよ。それに、藁をもっと敷いた方がいいわ。下がゴツゴツしてるんだもん」

「ごちゃごちゃ抜かすな」

「あぁ〜ん‥‥‥いいわぁ‥‥‥うぅ〜ん‥‥‥はぁ〜ん‥‥‥あぁ‥‥‥」

「おい」と五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんでいた。

「痛い! 放してよ」

 お鶴の右手には匕首(あいくち)が握られていた。

「何の真似じゃ」

 五郎右衛門はお鶴の右腕をつかんだまま、お鶴の体にまたがった。

「やっぱり、ばれちゃったか」

 お鶴は舌を出して笑った。

「ばれたかじゃねえ。何の真似じゃ」

「気にしないで、冗談よ」

「何じゃと、お前は冗談で人の首に刃物を向けるのか」

 五郎右衛門はお鶴の右手をつかんでいる手に力を入れた。

「ちょっと放してよ。みんな話すからさ」

 五郎右衛門は右手でお鶴の手から匕首をもぎ取ると、遠くに投げ飛ばした。匕首は岩壁に当たり、音を立てると下に落ちた。

「話してみろ」とお鶴の手を放した。

「ああ、痛かった」

 お鶴は右手をさすった。

「ほんとに馬鹿力なんだから。腕が折れたらどうすんの」

「何を言ってるんじゃ。わしの首を刺そうとしたくせに」

「あやまるわ。御免なさい」

「さあ、話せ」

「あのね、実は、あたしの夫の仇っていうのは、あんただったのよ」

「確かにか」

「そうよ。針ケ谷なんて名前、滅多にないでしょ。でも、あんたは強いし、とてもじゃないけど、あたしには斬れないわ」

「それで、色仕掛けで近づいて来たのか」

「そう。あたしに夢中になってれば大丈夫だろうと思って」

 お鶴は五郎右衛門の足を撫でた。

「あんたって本当に強いのね。あたし、死んだ夫じゃなくて、あんたの妻になってりゃよかったわ」

「そうか、わしが()ったのか‥‥‥」

 五郎右衛門は焚き火の火を見つめた。

「ねえ、あなた」とお鶴は五郎右衛門の腕をつかんだ。

 五郎右衛門は焚き火から、お鶴の顔に視線を移した。

「あなたはあたしの仇討ちを助けてくれるって言ったわね。ねえ、お願いよ、助けて」

「お前、なに言ってるんじゃ。わしを殺すのをわしが助けるのか」

「そうよ、一番簡単じゃない」

「馬鹿言うな」

「なによ、この嘘つき!」

 お鶴は五郎右衛門の足の下でもがいた。髪の毛を振り乱し、手と足をバタバタさせて、抜け出そうとした。五郎右衛門はお鶴の両手を押さえた。

「お前だって嘘ついたじゃろう」

「じゃ、おあいこか‥‥‥」

 お鶴はおとなしくなって天井を見つめた。

「あたし、これから、どうしよう」

「そんな事、知らんわ」

「ねえ、よく考えてみて。あたしだけじゃないはずよ。あたしみたいな女が他にも何人もいるはずだわ。あたしがそういう悲しい女たちを代表して、あなたを斬るわ。だから、あなた、ねえ、協力してよ。死んで行った人たちの魂を弔ってやった方がいいわよ」

「わしに坊主になれと言うのか」

「坊主になったって駄目よ。あたしに斬られればいいのよ。どうせ、あなたもいつかは誰かに斬られて死ぬんだから、どうせなら、あたしに斬られて死んだ方がいいでしょ」

「今、わしはお前に斬られるわけにはいかん。わしはお前に斬られるために、今まで苦労して剣術の修行を積んで来たのではない」

「そんなの自分勝手よ」

「だから、もし、わしに(すき)があったら、いつでも、わしに斬りかかって来い。もし、わしがお前に斬られるようじゃったら、わしの剣術も役立たずじゃったと諦める。それでいいじゃろう」

「うん、まあ、いいわ。それじゃあ、そういう事にしましょ」

「ああ」と五郎右衛門はお鶴の手を放した。

「寒いわ」とお鶴は両手を差し出し、五郎右衛門の腰を抱いた。

「ねえ、抱いて」

「おい。わしとお前は仇同士じゃ」

「だって、途中だったじゃない。それとこれとは別でしょ」

「何が別なんじゃ」

「何がじゃないの、続きよ。仇同士になるのは明日からでいいじゃない」

 五郎右衛門はお鶴の体を見つめた。二つの乳房が五郎右衛門を誘っていた。このままで終わってしまうには、確かに勿体なかった。

 お鶴は上体を起こすと五郎右衛門に抱き着いて来た。五郎右衛門の理性は本能に敗れた。

「今度は刃物なんか持つなよ」と言うと五郎右衛門はお鶴の体を抱き締めた。

「うん。持たない」とお鶴は五郎右衛門を見つめて笑った。

「よし。明日の朝まで休戦じゃ」

「う〜ん‥‥‥」

 二人は再び、重なりあった。

 焚き火の火のように二人は燃えて行った。





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